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2020-09-04 32:09

【GMV 219】なぜタスクシュート に記録するのを忘れないか?

なぜ私たちは無意識に行動すると思ってしまうのか?
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おはようございます。グッドモーニングバイブスです。
昨日ですね、多分アマゾンで
不安ゼロで生きる技術のレビューをいただきまして、大変ありがたいレビューでした。
なんか非常にですね、わかってもらえた感の強い星5で
大変ありがたかったということです。
で、えーとですね、感想欲しいかなーって思っています。
やっぱり、今回の本は書いた
文量というと、クラソノケイトさんの方がはるかに多いんですけど、
でもやっぱりこう自分が、自分が著者として
えーと、携わっている本っていうのは
非常にこう、どう読まれたかが気になる。そして面白いことなのかわかんないですけど、
予想通りであるという、読まれ方が予想した通りであるということは
ほとんどないんですね、本って。不思議な気もするんですけどね。
だから、このズレをやっぱり、なぜかこのズレをまた知りたいと思う気持ちが
少なくとも自分は長らく、本を書いている間中あって、
えーとやっぱり、どういう、実はですね、
国評とかでも、人にもこれよると思うんですけど、私は国評とかでも結構読むの楽しいんですよ。
あのー、1はですね、ビジネス的に厳しいことになるから、星1とかは嫌なんですけどね。
国評してもいいから、3はつけといて欲しいなっていうのが、これはビジネス的な本音なんですが。
国評とかでも欲しいんですけど、国評の多くはですね、
まあ、つまらないんですよね。
あのー、なんていうのかな。
ほとんど読まなかった漢字っていうのは多くの国評にはあるんですよ。
例えばあの、私昔、ライフハック2という、もうほぼ諸著作に近い、商業本本としては私の多分第1作になる本に、
星4かなぁ、つけられたんだけど、批評としては結構きつめで、
私が書いた本の中で、ただ唯一誠実な本だっていう趣旨だったんですね。
この著者は囲碁ライフハックで儲けるという味を占めて、誠実な本はないので、これだけが読む価値があるという公表なんだか批判なんだかわかんない感じなんですけど、
この批評を読んでて、なるほど面白いことを言うなと思ったんですけど、本の批評としてはいまいち面白くないんですよね。
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誠実な本かどうかは、僕は読者にはわかんないと思うんですよ、はっきり言って。
で、私読んでてこの著者が本当に誠実に書いたのか、お金を儲けるために書いたのか、全ての本について正しく判断せよと言われたら大変無理があると思うんですね。
宝島だったかな、RLスティーブンソンの宝島だったと思うんですけどね、有名な本ですよね。
彼は儲けるために書いた、言うんですよ。
あれでも大変良い作品ですよね。
だから、しかもそれは本人はそういうつもりで書いたのかもしれないんだけど、わからないと思うんですよね。
バネットの秘密の花園もバネット大変困ってたところがあるので、お金にね。
あれもお金を稼ぐために書いたということになってるんですけど、あれも大変もうなんかこう、自動文学の傑作とされてますよね。
わかんないと思うんですよね、そんなことは。
で、私が一番その種の批評でもう一つ踏み込んでほしいのは、本の中身について書いてほしいですよね。
あの、著者の姿勢とかについて書くんじゃなくてですね。
まあそういうことがあるので、国評がそうじて面白くないのは単純に著者として批判されるのがきついからってことは当然あると思うんですけど、
それよりも、だいたい星の位置というものについてはですね、中身についての言及が乏しいか、ほぼないかなんですよね。
これがやっぱり欲しいじゃないですか、書いた側の人間としては。
ジャケットとか定層とかレイアウトとかもあると思うんですけど、ジャケットや定層やレイアウトは、
クラゾンの定層さんは編集さんもプロとしてやられてたから、またちょっと違うと思うんですけど、私なんかの場合、
定層とかレイアウトに関わったことがないので、そっちについての批評とかが入ったとしてもですね、他人についての言及でしかないので、
まああんまり面白いもんではないです。
長々と話してしまいましたけど、そういうことで大変中身について書いていただいて、
しかも褒めていただいてたので、ありがたかったです。ありがとうございましたということですね。
で、今日はですね、
集中ということをちょっと、最近いろいろ発見があったのでお話ししたいんですけど、
これはグッドバイブス的で、かつタスクシュート的なんだけど、そのどっちでもない、
多分ちょっと自分の得意性みたいなものが出てるかなと思うんですけど、
私、結論から出しますと、集中しているときって目が四つある感じなんですよ。
意味不明だと思うんで、ちゃんと順を追ってお話しますけど、
よくタスクシュートでですね、開始時刻を押し忘れるとか終了時刻を押し忘れる、
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一部因語に打刻って言葉があるんですけど、打つ時刻の刻ですね。
これを忘れるという、
苦情に近いものが、後を絶たないんですが、私忘れないんですよ。
それは習慣ができたからだとか、いろいろ言っていたし言われてもいたんですけど、
これは大橋泉さんとか富井さやかさんね、タスクマの開発者、タスクシュートの開発者、
レイワコー、J松崎さん、タスクシュートクラウド、最近Androidのスマホ版も出たらしいですけど、
彼らは忘れないのだろうか、忘れないとするとなぜなのだろうかというのもちょっと考えるんですが、
私が忘れない理由はすごく簡単で、
あの開始時刻を押した瞬間に目が現れる。
厳密に言うとちょっと目はずっと現れてるんですけど、要するに自分を見守ってる目があるんですよ。
2個。 本当に2個なんですよ。
えっとね、イメージなんですけど、私イマジネーション非常に乏しい人間で、その目がどんな目かとか言えないんですよ。
目だとしか言えないんですよね。あえて言えば黒目があって、まつげはあるような気がします。
眉毛ないですね。私イマジネーション能力乏しいんで、目とかイメージするときに他のものまでイメージする能力はないんですよ。
で、2個あるんですね。 私はっきりしませんよ。すごいぼんやりしてます。
脳の右上の方にある。時々左上とか後ろとか真上に移動するんですが、この移動がポイントで
打刻をする、つまり何かタスク行動を始める、終わらせるときにはですね、目が動くんですよ。
ふっと動くんですね。だから絶対にタスク仕事のことを思い出すんですね。 タスクマンのことだけど。
この目がですね、だいたい右上にいて見守ってくれてるんですよ。見守ってるだけですよ。見張ってるわけじゃない。
見張ってると思う漢字も、漢字抱く人もこれと同じものだったらあるかもしれないです。ただこれは僕の漢字なんでね。
僕の主観というか、僕の勝手な想像なんで目があるっていうのは僕の想像ですからね。
これが見守ってるわけです。私が漫画を読んだりするじゃないですか、仕事を。
仕事開始って、開始時刻を入れて漫画を読むじゃないです。目が動くんですよ。キョロッと。
だから気づいちゃうんですよね。自分は違うことを始めるなっていうことに気づく。
この目は批判したり叱責したりはするものではないので、ただ動くだけなんですが、動いた以上は。
動くってことはですね、タスクマンの打刻機を変える合図なんです、私にとってはね。
この目が動くということと、タスクマンの開始時刻終了時刻を入れることは同じ意味になるんですよ、私の中では。
だからこの目が動いたのにタスクマンのことを思い出さないずにいるってことは不可能なんですね、自分としては。
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習慣化とかじゃないと思うんですよね、ある意味ではね。
とにかくこういう目があって、で私は今何をしているかをこの目は知ってるんですよ。
この話を多分したことはほとんどない。個人的にしたことは誰か特定の人とかにしたことあるんですけど、
公にしたことはないです。なんかすごい仕事術としてはダメそうじゃないですか。
目をイメージしましょうとか論外だと思うので、こういう話はしないんですけど、
まあこれはグッドモーニングバイブスなんで、こういう話もしてみます。
で、だからですね、私からするとこの開始終了を忘れるというのはありえないんですね。
目が動いちゃう。
で、あの、開始終了を押さなくていいタイミングで目は動かないんですよ。面白いことに。
なぜなのかは説明できません。
ただですね、集中っていうやつがあるじゃないですか。
仕事に集中する。漫画に集中する。野球中継に集中する。何でもいいですけど、集中している時。
音楽とかに集中している時。この目がですね、対象を見るんですよ。
目自体は動かないんですけど、この目は私を見守ってるんですよ。
でも、ふと集中している時というのは、例えば私が原稿に集中している時というのは、
原稿にこの目は向かっているんです。つまりこの目も原稿を見てるんです。私を見守るのをやめてね。
だからさっき言ったように、冒頭で言った通り、目が4つになるんですよ。
集中の対象、私が集中している時が私の目2つと、この私を見守っていたはずの目2つが合わせて4つがですね、集中している対象に向かうんですね。
この時が私にとって集中状態なので、自分が集中しているかどうかってすぐわかるんですよ。
この目が私を見ている限り、私は集中していないんですね。今さっき起こった現象なんですけど、この
これ、つまりグッドモーニングバイブス。 この目がですね、グッドモーニングバイブスに注がれているようになるんですね。
つまり私の視点と同じ視線になるんです。 さっきまではこれをやっている私を見てたんですよ。
目が。 だけど今は、今さっきはグッドモーニングバイブスを見てたんです。
を見るとしてもグッドモーニングバイブスは見えないんで、なんとも言えないんですけど、私の視線もあるんですよ。
このなんとなく画面のその先を見てるんですね。 そこを見てる。その時私は集中状態に入る。
セミナー中とかもそうです。最初は、セミナー開始頃は私のことを見てる。
でもセミナーで喋っていて、今日が乗ってきて集中しだすと、私と同じ視線の向き、位置は動かないんですけどね。
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で、セミナーが終わるじゃないですか。そうすると位置が動くんですよね、少し。 ふっと図上に移動したり、左上に移動したり、その時に僕のことを同時に思い出すんで
開始終了を打ち忘れるということがないということと、 集中状態というのはこの目が
私と同じ視線の向きになるということを意味しているんです。 信じていただけなくても全然いいです。これを信じたところでですね、私の役にも立たないし、
多分仕事術としても使えるもんじゃないと思うんですよ。 だから
これはなんか、この人の狂った思い込みだろうと思われてても、
まあ、この目、出したり引っ込めたりはもうできないですからね。常時出っ放しなんで、タスクもやってる限り出てるというふうに考えるべきなんで。
いや、全然嫌とかじゃないんですよ。嫌ってことは全くないですね。
見守るが近いな。 あのほら、そうだそうだ。
うちの娘が私の仕事ぶりをよく眺めてたんですね。なぜなのかはわからないですよ。 ただじーっと見てた。あれに近い。
それ、見張ってるのとは違うんじゃないですか。2歳ぐらいの話ですからね。 あの、じーっと見てる。でも私も昔子供の時そういうことをやってましたからね。そういえばうちの親父の仕事ぶりを眺めてた時期がありました。
見張ってるとかじゃないですよね。別に何やってるのかよくわかんないですしね。 まあ今思えばうちの父は忙しかった時期は陶場をずっと描いてたんですけどね。
陶場を描いてた。 陶場ってあるんですよ。
なんていうのかな。お墓とかに描いて、字がいっぱい描いてあって立ってるやつですね。 あれを描くんですよね。私もあれ運ばせられて
なんかですね、ひと夏でね、1000本とかになって、 あのひと束15本ずつ運ぶとそこそこいけるんですけど、すごい重いんですよね。
本当に汗だくだくになるじゃないですか。お盆頃だから。 陶場運びってすごい手伝いの中でも最高に嫌なものの一つで、あとあれ木でできてるから刺さるんですよね。
まあまあそういう寺の思い出的なのがあるとして。
そう、だから見守られている感じ。 別にいいんですよね、脱線しても。
ただ私は、今この目がある中で脱線という概念はないんですね。 なぜならば別のことをやると目がただ動くだけなんで。
しかも漫画に集中しだすとその目も一緒に漫画を読むということになるんで。 なんだそこに違いはないわけですよ。
ここを今仕事をするべきだからやめろと目が言うとかないわけですよ。 そういう働きは。ただ蛇腹だけは開始終了、内容、タスク内容だけ変えなきゃいけない。
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変えるわけですね。 私はなんですが、ここ飛躍がありますが
これが時間管理の、私にとっては全てだと思っています。 他は一切いらない気がします、本当はですね。
これさえできれば時間管理はできる気がします。
これがなかったら全然何もできない私はですね。 まず自分が集中状態に入っているということを明確に知ることができるのと
自分がやっていることが何であるかを常に意識することができる。 この2つが全てだと思うんですよね。
もちろん最初はね、タスクシュートのシミュレーション機能とか、リピートタスク設定とかそういうことによって徐々にこの目が形成されてきたんですけれども、
目的はこの目を形成することにあるのであって、シミュレーションすることにあるわけじゃないんだと思うんです。
シミュレーションをいくらしたところでシミュレーション通りになるわけじゃないので、 シミュレーション通りにすることに
何て言うんですかね、意思力を用いていたんでは覚束ないんですよ。 シミュレーションはどうでもいいんですよ。
間に合うということが分かりさえすればそれでいいわけです。 一番ポイントにしたいのは、つまり
よくタスクシュートユーザーが言うところの、今これをやっていていいんだというやつなんですけど、さらにその一歩先を行って
つまり今これをやっているのだということなんですよね。 これが分からずにやることによって
何もかも分からなくなっていく感じがします。 間に合うのかどうかっていうのも結局そういうことで、今これをやっているということが分かっていれば
その先に待っている電車の時刻なり何なりに間に合うということ、 間に合わせるという気があるということですよね。その気はですね
仕事上必須ではないので、とっておかれていいさえすれば その電車に乗るんだよということ。
電車の中で仕事に集中するのは集中するんだけど、 でも降りる駅に来たら思い出さなければいけないじゃないですか。
これが同時に起こっていてかつ忘れてもいるみたいな意識の状態ってあるんですよ。
僕の場合それが目なんですよね。
乗り換えする時に目は動くんで、その時に思い出すわけですよ。 打刻のことも思い出すし、降りるんだということも思い出し、そこで仕事を終了するわけですね。
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これの繰り返しなんだと思うんですよね。 時間管理というものは。
普段はそのことを覚えておく必要はないし、 何分やるとかいうことも実際はどうでもいいんですよね。
何分なら集中できるって話もよくあるじゃないですか。 仕事では90分とか。
全く役に立たない発想だなと思います。 この自分は目が4つっていうのを得るようになっている。
目が4つに 限界時間があるかないかという話は
意味がない気がします。 そもそも限界時間なんてない気がするし。
漫画読んでいて 一冊読むのに集中するじゃないですか。
一冊終わる頃には終わりますよね。 その長さを測るというのかな、その長さを何かエネルギーの
消防のように考えるのはおかしいと思うんですよね。 そんな意識はないので。
もっと簡単な話ですると、トイレ行くじゃないですか。 集中してますよね。目が私は4つともトイレにちゃんと合うようになる。
で終わるじゃないですか。そこで終わりますよね。 その間にエネルギーを使っていくっていう考え方が成立するはずないと思うんですよね。
そういうことじゃないと思います。 それはただ始まりがあって終わりがあるというだけのことで。
始まりがあって終わりがある時に行動って切り替わるわけですけど、その切り替わるということ
いう時に、しかし意識だけは切り替わらないという事態を
言ってみれば招かないようにすればいいんですよね。 逆に
トイレの間も
筋作を考えている。トイレが終わって食事中も筋作のことを考えているってやると、 行動の切り替えと意識の切り替えが一致を見なくなりますよね。
これが私は時間管理に失敗する全てだと思っております。 だから私は
散歩中に現行のことは考えないっていう話をして、 例のゴリゴさんとタクさんと3人で作った
佐々木さん記録って何の役に立つんですかね。 そこで議論がずっと続いちゃったんですけど、
私はしないんですよ。それをするメリットを全く感じないので。 それをすれば時間の節約になるというのはもう完全に間違っています。
時間の節約になんかならない。 もしそれが時間の節約になり、シャワー中に考え、散歩中に考えている人は私より多くの現行を書けるっていうなら、
それ2個同時にやってるから2倍書けるって言うなら、私の2倍の速度で現行が上がるはずだけど、そうはなってないような気がする。
世の中の人を見ていても。 そこは時間の節約にはならないと思うんですよね。
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なったとしてもごくわずかなものでしかない気がします。 実際にはなんないと思いますね。理由はすごく簡単で、
そこで考えておいたことを後で思い出してそれを書くという作業は、時間としてはロスになるから。
集中するのに時間がかかるって言ってるのと全く同じことを別の言い方をしているに過ぎないんですよ。
もし考えつくことがその時間にあるなら、その時間に書いたらいいわけじゃないですか。 その方が早いはずですよね。
そうしたくないんだっていう話であるならば、その時間に考えておいて時間の無駄を省くっていう発想はおかしいと思うんですよね。
常にやってることと考えていることの中身が一致している方が多分ロスは少ないはずですよね。
いろんなツールがあるじゃないですか。メモを取っておいてそのメモを読み返すと。
だからそのメモに印をつけておくなり、タグをつけておくなり、スターのフォルダに入れておく。
どう考えてもそれをするということは、二度手間は絶対に引き受けるっていう意味にしかならないはずなんですよ。
考えついた時と書く時が別々になるわけだから、あるいは考えた時とやることが別々になるわけだから、
ここの別々が発生する限り、最速でないのは間違いないと思います。
だから自分はどうしても忘れちゃうということは書きますけれども、
後々使いたいアイデアを取っておくということはしないです。なぜならばそのアイデアを使わなくても書けるはずですからね。
そのアイデアは多分絶対に書くことであれば、書く時に自動的に出てくるはずなんですよね。
そうでないとすると、私たちが記憶というものをちゃんとコンテクストに合わせて使えるというのは成り立たないと思うんですよ。
すごい問い側面じゃないですか。
例えば、もうほんとしょうもない例でもいいと思うんですよ。
奥さんがなんかこう、皿が汚いと文句を言ったら、いきなり反論が思いつくでしょう。
私たちは必要な記憶は全部必要な条件が揃っていれば、ぱっと思い出せるようにできていると思うんですよね。
その時に言い返すべきことをメモに書き付けておいて、散歩中にメモに書き付けておいて、
あ、ついにこの喧嘩が起こったから、あれをワーノートから奥さんとの喧嘩タグで思い出そうとする人はいないはずなんですよね。
役に絶対ならないと思いますね。
つまりこれは、なぜ仕事だけそういうことが役に立つと思っているかというと、
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行動したいタイミング、行動するべき時に思い出すこと、およびその行動が一致していないから。
で、一致していないことを前提にしちゃってるから。
で、それっておかしいと思うんですよね、やっぱり。
そんな前提は成り立たせるべきじゃないですよね。
それをやってる限り、いつまで経っても仕事に入った時には思い出すべきことは思い出せない。
エヴァノートだから見ると。集中しようとしても集中できない。
だから何か集中術を要求するみたいな、そういう話になっていって、
そこで生じている時間のロスはなぜロスと見なさないのかなと思うんですよね。
それ、節約した分のロスなんじゃないかという気がするんです。
で、話が2点3点してるんですけど、
要はなぜ思い出すべきタイミングで、つまりタスク仕事してるならばですけど、
開始というタイミングで開始を思い出せず、終了というタイミングで終了が思い出せなくなるのかというと、
やっぱりですね、その行為の切り替えについて考えていたくないからだと思うんですよ。
気が乗らないとか、他に考えたいことがあるとか。
この優先順というのかな、実行順が狂ってしまっているんじゃないかと思うんですね。
今これについて考えたいのに違うことをしなきゃならないみたいな状態が常に続いていると、
一致しなくなると思うんですよね。
一致していれば、行動について考えていて、その行動の記録を取っているだけなので、忘れるはずがないと思うんですよ。
でも、この苦情をいただくときは必ずですね、思い出せるはずがないというふうに言われて驚くんですよね。
思い出せるはずがないということは、行動が切り替わった時に、その切り替えは意識に入ってこないという意味ですよね。
そんなことってあり得ないと自分は思うんですよ。
食事中に気がついたらトイレにいましたって、かなり危ないじゃないですか。
それってもしかすると、家にいると思っていたんだけど、気がついたら市役所の前にいましたっていうことにもなり得るって話ですよね。
で、私たちはそういうふうな人たちが身内にいると、いろいろ手を打ってしまうわけですよ。
私も祖母が亡くなったんですけど、その祖母が最後にやっぱり病院にいたときに、ふと歩いていたりしているわけですよ。
同じ病室の人もそういう方がいらっしゃったんですけど。
で、非常に象徴的だなというか、ああって思ったのが、朝崎さんなんでね。
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どちらに行かれるんですかって言われるわけですよ。するとああって言うんですよね。
でもそれと変わらなくないですかね。この行動の切り替えを意識しないってことは。
で、それが良いとか悪いという話では全くないですよ。
ただ私たちはそうでないつもりになっているよねっていうことです。
自分が何しているかを意識している気でいるよねと。
で、タスクシュートをやらないんだったら別にそれはやらないんだから全然それでいいわけですよ。
でもやるのに、行動が切り替わるタイミングでその行動を切り替える記録をつけ続けていることを忘れているっていうのは、
つまり、どちらへ行くんですかっていう質問が飛んできているよっていうことだと自分は思うんですよ。
気がついたら、原稿を書いている時に気がついたらティッシュ丸めているとかって、そういうことは起こり得ないはずだろうと思うんですよね。
思考が自然と働いている限りにおいては。
これが盛んに言われているじゃないですか。
まず検索を始め、検索の結果を見て、で、関係ないサイトに行って気がついたっていう話をされる。
あのですね、それは大変危険なことだと思うし、
あと、そんなに何を自分がしているのかの思考を終えているのに、
終えているのにそれが無意識になっていますっていう心理状態っていうのはどういうことかなということを、
もっともっと自分はですね、突き詰めるべきだと思っています。
これに変わるやり方として未来の時刻を逆算してみたり、計画を立ててみるっていうのは枕すぎて無意味だと思うんですよ。
自分がもっとやっていることはミクロで、虫眼鏡で見ているようなものを見ていなきゃいけないのに、
よく言いますよね、鳥の視点、鳥の視点役に立つはずないと思うんですよ。私たちが歩いているのは街中ですよね。
鳥の視点で見えるのは日本地図ですよ。役に立たないと思うんですよね。
あのキルケゴールが言ったやつですよ。ワルシャワの街を歩こうというのに世界地図は役に立たないって言いましたけど、そういうことですよね。
自分らが時間、時間のイリュージョン性みたいな話をしてましたけど、そういう話を抜きにしても、
時間のロスをする時というのは、要するに長官的な視点で言えばですね、時間の単位というのは所詮は1日単位だからなんだと思うんですね。
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ロスしなければいいのは手帳における、手帳、バーティカルですよ。週刊手帳とか。
あれが役に立つとは到底思えないんですけど、あれですよね。あれがまさに鳥の目じゃないですか。
でも僕らが無駄にするのは秒単位ですよね。
だってつい気がついたらなんとかサイトを見てるとかいう、DMとかツイッターとかなわけですよ。
それって秒から分の単位以外ありえないじゃないですか。3日それをやってましたとかいうのは、それは違う僕は問題だと思います。
だからやるならば結局、もっともっともっと身近で目の前で細かい単位に目を向けるしかなくて、
結局その最終的に見えてくる風景はですね、見張ってるとか見守ってる目はここの際置いとくにしてもですね、
自分がいつ行動を切り替えたのかという、その行動には何という名前がついたのかという、名前だいたいつきにくい名前多いと思いますよ。
名もなき舵とかって言うじゃないですか。そこをあえて名前つけないといけないと思うんですよね。
サイトチェックなのか、原稿書きなのか、どこかで切り替わるはずであって、切り替わるっていうことが意識的に行われているはずなんですよね。
てことはどういうことかというと、それを自分で意識的に許諾しているし、方針付けているし、意思しているし、決定しているはずなんですよ。それを見ると。
いや決定してなかったんです、無意識なんですっていうのはおかしいと思うし、それをどうにかこうにかできるはずないと思うんですね。
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