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こんにちは。横浜で15年以上犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
さて、今日は108日間世界一周の船旅、サファガから王家の谷、エジプト編をお届けいたします。
5月21日にモルティブマーレを出港し、エジプトの港町、サファガに帰港したのは5月29日。
8日間の長期航海となりました。荒れるインド洋を抜けるサインであるアフリカのツノと呼ばれるソマリア半島が見え、
久々の陸地を横目にみんなで歓声を上げたり、銀色に跳ねるトビウオの群れを見たり、船を追いかけて遊ぶイルカの大群に遭遇したり、海の暮らしをそれなりに堪能していました。
航海に入ってからは海は嘘のように穏やかになりました。さてここからは当時の日記からの回想録をたどっていきます。
5月29日、朝5時に起床。6時20分に下船のため集合なので、支度をして朝日を見に甲板に出る。
日の出前はエジプトといえどずいぶん肌寒く風も吹いている。けれど海は湾内のためか細かいさざ波が立っているだけでとても静かな。
水平線の彼方に丘が二つ見えて、太陽はちょうどその間から顔を出し始めた。
空には雲一つなく薄い青から紫、赤、オレンジへと空は変化していき、太陽の登場を予感させる。
ようやくその姿が見えたかと思うと、その後は一瞬にして上っていき、目が離せない朝一番の壮大なショーだ。
ため息をつくほど美しかった。海と空と地平線と水平線、ただそれだけ。
6時20分にサロンに集合し、朝食を受け取って久しぶりに下船。陸地の感動を味わう時間もつかの間、迎えに来ているバスに乗り込みました。
バスは3つのツアーの全員が乗車するので、観光バスは11台、すべて連なっていくのだから大名行列そのもの。
さらにその先頭と最後尾には警察とエジプト軍の警備車両がくっついていく。
これはエジプト政府から観光客に対する警備の義務だそうで、コンボイというらしい。
私たちが訪れる5、6年前、ルクソウル神殿あたりで日本人観光客がイスラム過激派のテロによって銃乱射事件に巻き込まれ、死者十数人が出るという、観光収入で持っているエジプトにとって大ダメージとなる出来事があった。
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そのため観光客への護送は絶対条件になっているらしかった。今ではもちろんそんなことはないでしょうね。
サファガからルクソウルまではコンボイを組んでいてもいなくても結構な距離があるため4時間程度かかる。
バスの車窓から見える景色は初めは高粱とした乾いた大地だった。
木はなく草もまわらにしか生えていない。
赤土っぽい険しい山の間を観光バスは走って行く。まるで違う星に来たようだ。
バスに揺られながらお弁当を食べ、いつの間にか眠り、目が覚めると風景はガラッと変わっていた。
道路は土手沿いになりすぐそばには川がゆったりと流れている。
反対側の土手には夏芽やしの木やたくさんの樹木、花をつけた植物に日干レンガ作りの民家がところどころ建っている。
その向こうには緑豊かな畑が続いていた。
はるか昔、エジプトはナエルの恵みによって大陸地の広がる豊かな土地だったのだという。
今この風景からするとどうにも想像できないけれど、昔はこのような緑地帯がずっと砂漠の向こうまで続いていたんだろう。
車窓から見えるなんでもない日常の風景がとても印象的だった。
雲ひとつない真っ青な空とゆったり流れる川の水、生き生きとした緑、そして住人がいるのかいないのかわからないような半分崩れたような日干レンガの平屋の家々。
いかつい顔をしてひげを生やしたおじさんたちが白いターバンとゆったりとした民俗衣装を身につけて、どこか物悲しい表情のロバに乗って土手沿いをぽくぽく歩いている。
たくさんの荷車を背に乗せたロバ、簡素な荷車を引いているロバ、綱もつけずにおじさんの後をパカパカついていく子供のロバ、
どの家にも白や黒、灰色のロバがいて、おもいもいのところで草を食べたり、木陰で休んだり仕事をしていました。みんなとってもかわいかった。
本当にエジプトの田舎の人々の生活の一部、そして家族の一員なんだな。
頭でっかちで耳が長くて、ちょっと物悲しい顔に見えるロバたち。がんばってね。
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王家の谷はルクソウルの西岸、荒れ果てた山の中にある。その昔ルクソウルはエジプトの都テーベといった。海より登ってきた島という意味。
ルクソウルは後に来たアラビア人によってつけられた名前で、宮殿のある町という意味。
その名の通り、当時は世界有数の大帝国、母なるナイルに面した王都であり、今もその名残を残して広がっている。
母なるナイルはどんな川なんだろうとずっと思い描いていました。
目の前に広がるナイルは大きく穏やかで照りつける太陽の光を受けてキラキラと光っていた。
思いのほか水は澄んでいて本当に美しい。ナイルを遡ってアスワンに行くようなナイル川クルーズの豪華なボートがいくつも停泊していました。
海と違って波がそこまでないので、川を渡る風が涼しげで穏やかで大きな川、本当にエジプトの母というにふさわしい。
人々はナイルの近くに寄り添って住み、そこから文明が生まれてきたのです。
王家の谷はナイル川の対岸に広がっていた。地平線の見えそうな広大な大地に突然、巨大な山が現れる。その山には草木は一本も見えない。
近づいていくにつれ荒れ果てて乾いた土と砂岩の中に溶け込んで同じような色の日干しレンガ作りの民家がぽつぽつ立っている。
この村は500年前からあって遺跡の一部として認知されているらしい。確かに今500年前にタイムスリップしたとしても何も変わらないだろうこの風景。
またまた火星かと思うような砂と岩、土だけのそびえ立つ山々を両側に中に分け入っていくと谷間にゲートが見える。
一度バスを降りてこの風景とあまりにつかわしくない。テーマパークにあるようなイラスト入りのトロッコとその電車に乗って王の墓の入り口まで行く。
風が空気がものすごく乾燥していて鼻の奥と目が乾く。太陽が照りつけていて肌がジリジリと音を立てて焦げていくような感じだ。
日中は40度以上になるそうだが乾いているからカンボジアよりもずっと楽に感じる。
はじめにラムセス4世の墓に入る。中は思ったより明るく広い。入るとすぐ両側の壁に死者の書がびっしりと描かれている。
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柔らかい土の地に象形文字が彫り込まれ、3200年前のものと思えないほど鮮やかに色が残っている。天井にもエジプトの神や女神が描かれている。
奥に入っていくとちょっとしたスペースがあり、その紙面には王が神々と対話をしているいろいろなシーンが彫り込まれ鮮やかに彩色されている。
一番印象に残ったのは現室へと伸びる通路の左右に作られた小部屋に入る入口の壁に描かれた美の神、美と愛の女神イシス。
ちょっと暗がりにあったためか、わりとはっきりと絵が残っていて、たくさん描かれているイシスの中で最も美しかった。顔に静かな笑みをたたえているのがとても心に残った。
次は、かの有名なツタンカーメンの王母。彼の墓は小規模だったため洞窟を免れたと言われている。それでも埋葬されていた金銀財宝の数はものすごい額に上るらしい。
次に寄港するポートサイドの通は、カイロの博物館に一部が収められているとのこと。さすが20世紀になって発見されただけあって、どの墓よりも鮮やかな色が残っていた。
約3000年前の王の墓。当時の王は再生、復活を信じていた。永遠に続く命、それは太陽と太陽神ラーを崇拝していたエジプトの文明に象徴されます。
ミイラとなって今に残る者たちはまさに永遠を生きていると言えそう。3000年という年月は人の一生を考えたらある意味もはや永遠だ。今から3000後の世界がまるで想像できないから。
その時代そのものが色が思想が建築がそしてミイラが今に残っているとはすごいことだ。王家の谷には時間と歴史の軌跡に感動しながら昼食をとりました。
初めて食べるエジプト料理はどんなもの?ビュッフェ形式ということで若い私は片っ端からお皿にのせました。きゅうりや茄子のピクルス、サフラン風味のポテト、ひよこ豆のペースト、エジプトの平べったいピタパンに挟んでいただきました。
ミックスベジタブルの炒め物、ズッキーニ、パプリカ、玉ねぎのカレー風味炒めといった野菜が多い印象を受けました。
羊とか牛の焼肉は独特の個香辛料が使われていて固いけれど美味しかった。特に美味しかったのはチキンとパプリカ、玉ねぎが串に刺さったココナッツミルク風味のケバブ。チキンが柔らかくココナッツミルクの風味がスパイスと相まって不思議な美味しさだった。
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デザートは甘い。とにかく甘い。みーんな蜜とココナッツと油でした。
遅いエジプチャンランチの後、ルクソウル観光のもう一つの目玉、カルナック神殿へ。母なるナイルに面して建てられた壮大な神殿で、アモン神と当時の王、ラムサス二世が祀られている。
大理石で作られた巨大な石像はところどころ欠けている。大きな柱がいくつも並んだ神殿内にいると、まるで自分が小人になった気がする。
すべての像、壁、柱が巨大で、そこに描かれている象形文字やエジプトの女神、神の姿はとても大きく見下ろされているように思えてくる。柱の神殿を抜けると高いオベリスクが建っていた。
これは、王の業績をたたえて一本の大理石から作り出された十メートル以上の建造物、まっすぐ空に向かって刺さっているかのよう。何千年も前にこんなものを建てたのだから驚きだ。クレーンもないのにどうやったんだろう。
さらに奥に行くと、王と神だけが入ることを許された礼拝堂へ。そこは神殿の入り口からまっすぐ、奥に見える位置にあたる。天井や壁は二重構造になっていて、間を空気が流れ、中が熱くなりすぎないように工夫がなされている。
確かに外の焼けつくような日差しは遮られ、ひんやりとした石の壁を、石の陰を、乾いた風が通り、涼しさを感じて気持ちが良かった。神殿の左奥には、目横のための王の聖なる池が水をたたいていた。
近くに首都西西の象徴であるスカラベの像が、日本ではフンコロガシなんて不名誉なネーミングだが、丸いフン、すなわち太陽を運ぶ虫であり、死有良性のため、自ら小宇宙を作り出すことができる虫として、古代エジプトでは神聖史されていた。
カルナック神殿の後、最後はルクソウル神殿。ここはほとんど時間がなく、もっとゆっくりしていたかったなという気持ちが強く残りました。
カルナック神殿に面して建てられていたのは、アモン神の奥形の女神が祀られているからだそう。初めはエジプトの神殿、次はキリスト教、そしてイスラムのモスクまで3つの様式が入っている、面白い神殿だった。
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入口は公園のようになっていて、街の真ん中に突如現れる遺跡たちが、この街の古い古い歴史を物語っていた。最後はほんの少しナイル川クルーズをしながら、クルーズ船の上で早めの夕飯。
あまりお腹は空いていなかったので、ビッフェ料理を軽くお皿に乗せたまま、ひたすらナイル川の向こうに沈んでいく、黄金色の太陽を眺めていた。
黄金にきらめくナイル川、木も日干しレンガの民家も空もすべてが金色に輝く、一瞬は感動的なまでに美しい、最高の眺めだった。太陽はこうして死んでいき、また朝に生き返る。
それがエジプトの文明なんだ。
最後はまた警察と軍に囲まれて、11台のバスは連なり、4時間かけて船に戻りました。
部屋に着いたのは日付が変わる30分前。疲れ果てて早々に眠りに落ちました。
翌日はまた1日を船の上で過ごし、船はかの有名なスウェズ運河を越えて、ポートサイドからギザへ。
今回も最後までお聞きいただきありがとうございました。次はスウェズ運河とギザの3大ピラミッドの旅をお届けいたします。