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こんにちは。横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
お待たせいたしました。108日間世界一周の船旅。今回は、一気にギザのピラミッドまで行こうかと思っていたのですが、
あまりに長くなってしまうのと、駆け足になりすぎてしまうので、結果、今回はスエズ運河だけのお話とさせていただくことにしました。
船は、サファ学校を5月29日に出航し、30日には1日船の上、赤い海、レッツ・シーと書く海を北上しました。
31日の朝5時に起床し、デッキへ上がります。目的は朝日を拝みつつ、船がスエズ運河に入るのを見るため。
日の出前のエジプトはかなり肌寒く、Tシャツ1枚で出てきたことを後悔しました。
朝5時から8時の間にスエズ運河に入るという話だったので、5時に起きてデッキに上がってきたものの、実際、スエズ運河に入ったのは10時15分頃でした。
スエズ運河は世界二大運河の一つであり、世界史を勉強した人なら、フランス人技師レセプスの歴史的偉業として覚えていることは間違いないでしょう。
全長は約193キロにあります。
航海レッツシーと地中海メディタロイニアンシーを結ぶスエズ運河は、1859年から1869年、10年の歳月をかけて開通しました。
最初はもうちょっと短かったんですけどね。
ちなみに、ペリー帝都区が黒船艦隊を率いて日本に開国を迫ったのは1853年。
日本は江戸時代後期のこの時代、世界では地中海側から中東、アジア方面へ抜ける近道を作るべく、世界的大工事が行われようとしていたんですね。
この運河ができる前、イギリスからシンガポールまではアフリカの希望峰を回り、約100日間をかけて大変危険な航海をしていたのですが、スエズ運河開通後はそれが約40日ということで、恐るべき時短ができるようになったんです。
興味のある方はぜひ世界地図とスエズ運河をご覧くださいね。
私がわざわざスエズ運河をこの旅配信の1ページに入れたのは、この運河を渡る経験は船旅だからこそできるものであったからでもあり、20年たった今でも印象深く覚えている風景の一枚でもあるからです。
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運河を通りたい船はたくさんあるため、数々のタンカーや客船が運河の入り口で順番を待っている光景は何とも奇妙でした。
太陽を渡っているときには実際他の船をたくさん見かけることはありません。
港には船が停泊しますが、そんなに一度に何十隻もの大きな客船やタンカーが一堂に会することは稀なので、スエズ運河入港待ちのために何隻もの船が停泊して順番待ちをしているのは不思議な眺めでした。
ゆっくりと我らがオリビア号は方向転換をし、右手に市内半島、左手にアフリカ大陸、エジプトの風景を眺めながら音もなくスエズ運河を滑り出した。
右手の市内半島は見事な高齢たる大地と砂地、見えるのはパイプと電線のみ。
運河を挟んだ左側、反対側はエジプトを対照的に街並み、人々の生活の風景がのんびりと視界を流れていく。
そんな流れゆく風景を眺めながら、その日は特別デッキでランチをいただきました。
この日は屋外でのランチということで、炭火の和風バーベキュースタイル、焼きとうもろこしや焼き鳥、炭火で焼いたパティ入りのハンバーガー、そして一番人気はなんといってもサンマの塩焼き、これは老いも若きも乗船客みんな大喜びでした。
エジプトの強い太陽の下、ゆったりと流れる風景、風と波を感じながらいただくランチは格別でした。
スウェーツ運河入口から乗り込んできたアラブの商人がレセプション前でいろいろなお土産を広げて売るというピラミッド直前特別企画が行われ、私もモノミユさんに出かけました。
どうやら大きなリングと便箋を買ったという記録があったのですが、全く記憶にございません。
運河の水は青から深いエメラルドグリーンへと変わりました。
砂漠の乾いた風が水面を細かく波立たせ、明るい太陽の光を受けてキラキラと輝いて美しい。
当然ながら波もなくゆったりと水は流れる、あのナイルのように。
大河の風景は時に茶色の砂地、時に緑豊かな田畑、夏目谷市の果樹園、遠くから見るとおもちゃのようなミニチュアのような建物や街並みがまるで絵巻物か映画のエンドロールのように流れていく。
時々運河で午後の水浴びをする人々や運河沿いの道路を行く人々が大きく手を振ってくれたり口笛を吹いて笑顔を見せてくれる。
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全く知らない人たちなのに嬉しくなってこちらも笑顔で大きく手を振り返す。
ある時は岸辺で少年たち何人かが海に飛び込んだりして遊んでいた。
そのうちの何人かが競って船に向かって泳いできたからびっくり。
もちろん途中で止まり口々に何か叫びながら大きく手を振ってくれていた。
ある時は大きな橋が見えてその中心には日本の国旗とエジプトの国旗が描かれていた。
こんな遠い場所で日の丸を見ることになるとはなんだか不思議。
聞くと日本企業がこの橋を架けることに貢献したということだった。
太陽光海ではお目にかかることのないとびきりの風景と時間。
次から次へと新しい風景が目に飛び込んできて飽きることがありませんでした。
夕方地平線の向こうに沈む太陽を眺めるために再度デッキへ。
同じことをみんな思うのでしょう。自然と人々が集まり始めていました。
運河の向こうの砂地に街がオアシスが夕焼け色に染まっていく。
他はすべてシルエットとなって影の世界へと沈んでいく。
その風景の中で巨大で丸い太陽だけがはっきりと形をとっている。
燃えるようなオレンジの輝き。明るい金色からオレンジ、赤へ。
少しずつ色を変えていき、その形も完全な円から押しつぶされたような楕円へと変わっていく。
そして地平線にかかるよいなやストンと突然沈んだ。
太陽が地平線の彼方に帰ってしまった後も上空に薄く広がった雲に光が反射してまさに芸術。
自然のグレデーションは完璧な采配で言葉を失うほど美しかった。
しばらくすると雲も金色からオレンジ、赤からエンジへとお色直しを終えて、
上下から夜の闇が藍色を増していき一番星がきらめき始めた。
砂漠の夕日は格別美しい。世界はこんなにも美しいショーを毎日繰り返しているというのに
私はそれを知らずに生きてきた。もったいないことだ。
すばらしい自然のショーに感動し、この経験のある気持ちのまま早めにシャワーを浴びて
明日のポートサイド上陸、ギザのツアーのための支度をしているととあることに気がつきました。
私はポートサイドでもギザのピラミッドとカエル博物館のツアーに申し込んでいた。
つもりだったのですが、オプショナルツアー参加者に事前に渡せられるツアーのバウチャーが見当たりません。
何度見てもそこだけが抜けている。
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ということは、え、ピラミッド見られない?
ポートサイドからピラミッドのあるギザまではサファガからルキソウルと同じぐらい離れているため、
ツアーに乗らなければ日帰り旅行はまず不可能。
ここまで来てまさかピラミッドを拝めないなんて、あってたまるか!と、
ダメ元でレセプションに駆け込むと、閉店間際に滑り込み、
希望していたツアーに私の予約がされているかどうかを再度確認してもらいました。
ダメだ、予約されてない。
私の予約ミスか、ツアー側のミスか、そんなことは今どうでもいい。
肝心なのはピラミッドが見当たりません。
泣きそうになっていると、ツアーのBコースならまだ空きがあるので参加できるよ、とのこと。
Bコースはギザの三大ピラミッドと、
カイロ博物館の代わりにさっからの階段ピラミッド、
ピラミッド尽くしのコースです。
カイロ博物館は世界一周の中でも楽しみにしていた博物館だけど、背に腹はかえられない。
ツアー代金を払って、あすの朝の集合時間と集合場所を聞き、部屋に戻りました。
集合時間は5時15分、気象は4時ということで、ピラミッドへの憧れを抱きつつ眠りにつきました。
さあ、次はいよいよギザの三大ピラミッドと、さっからの階段ピラミッドです。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
次回の船旅もまたお待ちください。