1. 名谷教会
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2016-03-20 32:19

2016/03/20:聖日礼拝(旧音源)

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2016/03/20 聖日礼拝(旧音源)




00:01
みなさん、おはようございます。
今日は、年二回の招天者合同記念礼拝として、共に礼拝できますことを感謝いたします。
ここで併せて、神様の御前に礼拝を捧げたいと伝わっております。
それでは、メッセージの前に、よろしかったら隣の方々に、軽く挨拶しましょうか。
ようこそいらっしゃいました。
それでは一言、お祈りさせていただきます。
私たちの妻である父上の幕屋が壊れても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。
それは人の手によらない、天にある永遠の家です。
主よ、今、父の御前に心を合わせて礼拝する一人一人の上に、
主よ、今日も天にある永遠の家への希望を、望みを、我らに主よ、お与えくださいますように、お願いいたします。
神様御自身が、今日お祝いの一人一人に、主がお語りくださいますように、お願いいたします。
感謝して、イエス様の皆によって、お祈りいたします。
今日は、挑戦者、豪土記念礼拝として、神様の恵みを共に奉介したいと願っております。
今日のメッセージのタイトルは、天にある永遠の家であります。
私の家族は、今、この教団の牧師でありながら、同時に、韓国から派遣されています選挙士でもあります。
それで、年に2回とか、たまに韓国に1日帰国しましたら、
久しぶりに帰っていくので、嬉しいんですけれども、何とか不便さと言いましょうか、落ち着かないというか、そういう気持ちがあるんですよね。
よく思われるのは、向こうにいる時ですよ。
03:02
ここは、私がいるところではないかな。
私の居場所は、ここじゃなくて、神戸であるんだ。
そして、行ったら、1日、2日、3日くらいは、何とかおいしいものを食べて、うれしいなという気持ちがするんですけれども、
4日、5日経ったら、もう帰りたいわと、そういうふうに思うんですね。
それで、神戸に帰ってきて、教会に帰ってきたら、家に帰ってきたら、ほっとするんですね。
先週の月曜日、火曜日、選挙市、神戸、大阪にいる先生たちの集会がありました。
そこで、初めてお会いした、50代後半の選挙士夫婦にお会いしましたが、
神戸で、家の教会を2つ、僕がやっている選挙士です。
国籍は、アメリカの国籍を持っていますけれども、
ウズベキシタンで6年間選挙をして、そして教会を現地の人々に預けて、完全に終えて、
そしてアメリカに戻って、しばらく経って、また日本に派遣されて、10年ほどなったとそうです。
引退まで5、6年残っていて、そうすると、引退するわけなんですよね。
見たら、旅人なんですね。
アメリカ、ウズベキシタン、日本、引退の後はどうなるんでしょう。
皆さん、家のない人を何と言うのか、ご存知ですか。
家のない人、ホームレスです。ホームレス、家がない。
選挙士は厳密に言いますと、ホームレスじゃないかなと、そういうふうに思いました。
こういうことを経験しながら、そして誇ることがあります。
それは、選挙士とか牧師だけではなく、私たちみんなは、全ての人は、この企業は私たちが永遠にいる場所ではない。
私たちが永遠に住む場所は、今日の御言葉にもありますように、天にある永遠の家であるということです。
聖書一箇所ですね、一緒に見たきたいと思います。
第一ペテロの手紙、2章11節です。
新約聖書の454ページです。
06:01
それでは、聖書をお持ちの方は、ご一緒にお読みしましょうか。
第一ペテロ、2章11節、454ページです。
それでは、ご一緒に。
愛する者たちよ、あなた方におすすめします。旅人であり、起留者であるあなた方は、魂に戦いを挑む肉の欲を遠ざけなさい。
ここにですね、旅人であり、起留者であるあなた方とありますように、私たちを、この地上での私たちの暮らしと言いましょうか、人生を、聖書は正確に旅人、起留者と指しています。
本当にそうなんです、皆さん。
愛する皆さん、私たちはこの地では旅人であり、起留者なんです。
そういうこの心構えを持って皆さんはお過ごしになっているでしょうか。
私は旅人である。あなたも旅人である。
さあ、よかったらその横の隣の方に、あなたは旅人ですと言い合いましょうか。
私たちは旅人です。
あなたも旅人です。
本当に皆さんそうなんです。
私たちは皆旅人であって、起留者なんです。
なぜ旅人、起留者と言うのでしょうか。
それはですね、本当の家はここじゃないからです。
本当の私たちの居場所はこの地上ではないからです。
帰るべきふるさとがある。帰るべき永遠の家がある。どこですか。
天にある。
この真理を悟って、そしてこの真理を信じる人が幸いな人なんです。
皆さん、幸せは幸福は遠くにあるものであります。
幸せは何かを持っているか持っていないのか、その普及の問題でもないでしょう。
自分が旅人であること、帰るべき永遠の家がある。
それを分かって、それを信じて、そしてそれを増し望みながら歩む人、その人がいつも幸いな人なんです。
ですから皆さん、幸福は幸せは真理を真理だと認めて信じる時に幸せに生きるのです。
09:16
最近ですね、家様を信じて私と個人伝説の学びをしている青年がいます。
知っている方は知っていらっしゃると思うんですけれども、
昨日は聖書について学びました。結論はこれです。
聖書は生きる神様の御言葉であり、真理であるということです。
それが結論ですけれども、2時間半ほど学びをしてですね、
最後に私は彼に質問しました。
今日何かお世話だとはありますか。
育ったことありますかと聞いたら、彼がなんとこういうふうに答えてくれました。
真理は確実にあります。
しかしその真理を認めようが認めなかろうが、真理は真理です。
神様は作り主です。
認めようが認めながら神様は創造主です。
神様の御言葉は真理です。私はその真理を信じますと言ってくれてですね、
私は彼に告白しました。まもなく洗礼を受けると思いますけれども、
皆さんそうなんです。
私は旅人である。これも真理です。
永遠にこの地上に生き残る人は誰一人いません。
今日の御言葉をもう少しですね、深く掘り下げて見ていきたいと思います。
今日も一つ私がもう一度お読みいたします。
私たちの住まいである地上の幕屋が壊れても、神の下さる建物があることを私たちは知っています。
それは人の手によらない、天にある永遠の家です。
ここにですね、住まいとか幕屋、この言葉は二重の意味を持っています。
実際の家をあるいは住まいを意味すると同時に、私たちのこの体を意味します。
ですから、ここにですね、私たちの住まいである地上の幕屋が壊れてもという意味は、
実際に私たちのこの体が亡くなることを意味します。
みんな亡くなります。この地上から去って。
それを今日の御言葉は、地上の幕屋が壊れてもというふうに表現をしています。
12:13
ところが、それで終わりではない。何にも残らない無になるのか、そうでもない。
聖書の御言葉は、天にある永遠の家と言っていますし、それから四節を見たら、
この幕屋を脱ぎたいと思うからではなく、かえって天からの住まいを期待からですと。
ですから皆さん、天にある永遠の家、それも二重の意味があるわけなんですね。
一つは、私たちが永遠に生きる、住むあの天国を意味していますし、
そしてこの私たちの体が、この地上での体とは全く違った、
埋めきもない、苦しみもない、重荷も持てない、新しい体によみがえられる、その新しい体を意味するわけである。
もう一度申し上げたいと思います。
この地上でのこの体、住まいは壊れる時が必ずみんなに来ます。
無の状態になるのではありません。あるいはぐるぐるぐるぐる回るものでもあります。
聖書は私たちに希望を与えています。天にある永遠の家がある、そこに私たちはみんな帰るんだ。
それが聖書のお知らせであります。
これこそ皆さん福音であってグッニュースであります。
永遠の家がある。
どれだけ皆さんは日ごろこの地上の今皆さんが住んでいらっしゃるお住まいの家ではなく、
天にある永遠の家をどれほど皆さん恋したて、求めて、真っ直ぐに望んでいらっしゃるでしょうか。
そこを考えていただきたいですね。
たぶん皆さん今ご自分のマイホームをお持ちの方、そしてそこに住んでいらっしゃる方が結構いらっしゃるかと思いますが、
たぶん一生懸命貯蓄して家を買われた方もいらっしゃるでしょう。
あるいはお金がちょっと足りなくて銀行のローンを借りて、そして家を建てたり、あるいは買ったり、そして20年間あるいは30年間返済された方もおられるでしょう。
15:09
大変苦労されたと思うんですね。
そして例えばですよ。30年返済が終わったら、実際の自分の家に自分のものになったらどうなんですか。残念ながら既に家は古くなっていらっしゃる。返済が終わるまで私は皆さんのものではありませんよ。銀行のものなんです。そうでしょ。
そしてまた古くなったらリニューアルするために何百万円もお金をかけます。天気が黒くなってきたらまた塗り替えをします。そこが皆さん、天にある永遠の家は、それを持つために働く必要もありません。
銀行に行ってお願いします、お願いします。何とかもう少しお願いする必要もありません。借りる必要もありません。20年、30年かかる必要もありません。返済が終わったらもう家はゴロゴロになって古くなってどうしよう。そんなこともありません。
あるいはですね、近隣に住んでいる。私は今までずっと、ずっとね、韓国に居る時は心配の暮らしですけれども、近隣に行ったらですね、自分の家じゃなかったので、このお宅は何か落として、キスつけたらどうしよう。あるいは破ったらどうしよう。そういう気にする必要もありません。心配はありません。
天にある永遠の家は、神様が恵みによって私たちに与えてくださる賜物、プレゼントだからです。ところが皆さん、ここでですね、とても重要な条件が一つあります。天にある永遠の家は、みんなに開かれています。しかし、誰もが入ることはできない。
もう出てほしいと言われることがない永遠の家。引っ越しをしなくてもいい天にある永遠の家。返済しなくてもいい天にある永遠の家。一生懸命働いて苦労しなくてもいい天にある永遠の家。傷つくか心配しなくてもいい天にある永遠の家がある。
この家は、イエスとキリストを信じる者が入れていただく家であります。この真理を信じるのが救いであって、この真理を信じる者に天にある永遠の家に永遠に居住する使命権が与えられている。
18:21
私の話としてちょっと失礼ですけれども、日本にいる間は、今は宗教ビザというもので来ています。選挙室ですから、牧師ですから。
最初は3年で更新して、2回目には5年の更新をして、今その5年のうちにどんどんどんどん短くなっているわけなんです。そしてもしもですよ、そんなことはあってはいけないんです。もしもビザが出なかったら帰るしかない。もちろん永住権を申請してそれが出るか出るかそれもわからない。
実際にある選挙室は、特にその先生が悪いこととか罪を犯した犯罪を犯したわけではないんだけれども、なぜか宗教ビザが切れて出なくてですね、帰ってしまった選挙室も日本にあります。ちょっと稀な真室ですけどね。中古とか他の国はよくあるんですね。
皆さん、実はあたなかはみんなこの地上でのビザは長くても80年、もっと長くても90年でしょう。もちろんどんどんどんどん医療がですね、発達して100年、120歳まで長生きされるかもしれませんが、でも切れる時がみんなに来るんです。
そしたらこの地上で住めます。帰らなければならない。だから私たちの市民権はこの地上にあるのではなく、天にあるわけです。
聖書を一箇所開きましょうか。新約聖書にピリピリ人への手紙という聖書があります。387ページです。387ページ、ピリピリ人への手紙、3章20節。この20節をご一緒に読みたいと思います。
けれども私たちの国籍は天にあります。そこから主イエスキリストが救い主としておいでになるのを私たちは待ち望んでいます。アーメン。
21:07
ここでですね、私たちの国籍市民権とも訳されますが、国籍市民権はどこにありますか皆さん。天にあります。天にあります。天にあります。
私たちの国籍はこの地上にあるのではありません。天にあるのです。だから天にある永遠の家が私たちの本当の家であります。それをいつも保存止めて、それをいつも待ち望んで生きる人が幸せな人なんです。
ですから皆さん、私たちはこの地上での人生はしばらく住んで去っていくところがこの地上であります。だから私たちは旅人であって気流者なんです。
旅人として生きるということは、その人生は、その生き方はこの地上のものを最も大きな価値とするのではなく、天にある永遠の家を最も大きな価値とする生き方。
この地上で立って生きて働いていますけれども、でも私の国籍はこの地上ではない。天にあるといつも考えて信じて生きる方。その生き方、それがイエス様の生き方であります。
イエス様の王や子長男の3年間、イエス様が語られた御言葉を見たら、少し多くの御言葉のポイントは天にありました。この地上にあるのではなく天にありました。
ではちょっと整理をしていただきたいと思います。主にマサイの福音書と一緒にいただきましょうか。マサイの福音書4章から見ていきましょう。いくつかの箇所を一緒に読んでいきたいと思いますが。
まずはマサイの福音書4章17節。新約の5ページです。17節一緒に見ますね。
この時からイエスは選挙を開始と言われた。悔やめなさい。天皇御国が近づいたから、アメ。
イエス様がこの王や子長男が初めて働き選挙の開始、その時の一番最初のメッセージは悔やめなさい。天皇御国が近づいたというメッセージになりました。
24:05
イエス様のメッセージのポイントは天にありました。天にありました。だからですね、聖書のイエス様のお言葉は、私たちがこの地上でどのように天の市民のように生きるかを教えられたお言葉であります。
さあもう一箇所。次のページの5章1節。3節です。失礼しました。6ページ5章3節。ご一緒に読みましょう。
心の貧しい者は幸いです。天皇御国はその人たちの者だから、アメ。ここにはですね、イエス様の肝心は地上にないんです。天にあるんですよ。
だから、その山上水君という多くのあの群衆にイエス様の口を開いて最初に語られた言葉は、幸いな者たちよ。あるいは心の貧しい者は幸いです。天皇御国はその人たちの者だから。もう一箇所。次のページの6章10節。9ページですね。
先ほどですね、礼拝の中で祈りました主の祈りの1句ですが、10節だけ一緒に読みたいと思います。
御国が来ますように。御心が天で行われるように。地でも行われますように。アメ。
皆さん、イエス様が教えられた祈り、このお手本の祈りの中に最も大事なポイントは御国が来ますようになんです。
天国がこの地上のようになりますようにじゃなくて、神の国がこの地上にも成就されますように。神の御支配がこの地上にもそれが成し遂げられますように。この地上で私たちが御国に生きている人のようにこの地上でも生きるようにというメッセージであります。
皆さんは、主の祈りを祈る通りに御国が来ますようにと心から願って、願って暮らしていらっしゃるでしょうか。御心が天で行われるように、神の御心がこの地上でも行われるように願って、切に願っておられるでしょうか。
私たちはこの地上で生きていく中で最後ですよ。学校を卒業して大学に入学します。4年間。あるいはセミナリーまで行くと6年間。ドクターまで来たら大体10年間1週間勉強します。お金を給養します。
27:20
そして何度か就職をします。一生懸命働きます。上司の顔をがらって、またある程度上司に来たら今度は下から登ってくるので、下の部下の顔をがらって働きます。20年30年働きます。55歳でしょうか。
定年をします。そのうちに子供が生まれてきます。1人2人3人4人生まれてきます。その子供を養います。育てます。結婚させます。この地上でそのうちに私は信仰を持っていながらも、天にあるものに関心を持つように、あまりにもこの地上のもので心も関心も霊もすべて奪われているかのように、
すっかりこの地上のものにもぼっとしてしまうんですね。そのうちに私のこの目は、心は天に向いているんだろうか。この地上に向いてばかりいるんだろうかと思わされます。
もう1回しよう。同じ大の国書です。6表33節を読みましょう。11ページです。私が31、32節読みますので、皆さんは33、それから34をお読みください。31から私がお読みします。
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るかと言って心配するのはやめなさい。こういうものは皆、日本人が切に求めているのなのです。しかし、あなた方の天の父は、それが皆、あなた方に必要であることを知っておられます。
ご一緒に。だから、神の国とその義徒をまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えてこれらのものはすべて与えられます。だから、明日のための心配は無用です。明日のことは明日が心配します。
ロークは、皆さん、イエス様のメッセージは、子供の希望のために何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、大体の私たちの、人間の心配はこの三つの部類に大体入っていると思うんですね。だから、イエス様は言われました。やめなさい。そんな心配はいりませんよ。
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神の国とその義徒をまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えてこれらのものはすべて与えられます。
皆さん、イエス様の心は、イエス様の目は、イエス様の関心は、御事はいつも天にありました。天に向いていました。そして、感謝しにもこのように生きなさい。このように歩みなさいと言われて、天に引き上げられました。
皆さん、やかんでしょうか。皆さんの心はどこに向いているんでしょうか。どこを向けているんでしょうか。皆さんの目はどこを向けているんでしょうか。皆さんは、天にあるものに関心を持っているんでしょうか。このように言われたイエス様は、再び必ず帰ってこられます。
そして、私たちは皆その方に立たされて、聖参をする時が必ず来ます。その聖参は、この地上で私たちがどれだけ何を多く残したのかではなく、神の国とその義をまず第一に求めたかどうかが聖参されます。
メッセージを伝えたいと思います。皆さん、天に永遠の家が備えられています。うめきもない、おもにもない、苦しみもない、働くこともない、天才もいらない。その天にある永遠の家は、イエスキリストを救いの地として信じる人にだけ開かれた家であります。お祈りします。
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