1. 名谷教会
  2. 2016/03/13:聖日礼拝(旧音源)
2016-03-13 34:50

2016/03/13:聖日礼拝(旧音源)

2016/03/13 聖日礼拝(旧音源)




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はい、それでは一言お祈りいたします。
ありがとうございます。
では、お祈りしましょう。
神様、今日もこの日で、共に愛する巨大姉妹たちが、
共に主の御前に集まって、共に礼拝できるこの幸いを、本当に感謝いたします。
とかして、我らの賛美も、祈りも、主が手立てくださったことを信じます。
今から、日を天の窓を開いて、あなたの宝の御言葉を、我らに主御自身がお語りくださいますように、お願いいたします。
とかして、家様の皆によってお祈りします。
アーメン。
今日は、ノアについてですけれども、信仰の人、ノアです。
皆さんは、ノアといったら、何が一番心の中に、頭の中に浮かぶのでしょうか。
箱舟、あるいは洪水、あるいは虹、なんでしょうか。
このノアのストーリーはですね、私たちに何を語っていて、そして私たちに何を教えているのでしょうか。
神様が、荘石の場合は、孟子が書き記しているわけですから、
その孟子を通して、荘石にノアと洪水、箱舟のそのストーリー、
あるいはこのヘブルビートの手紙の11章の7節に、このノアの記事を記した、その目的は何でしょうか。
今日、私たちはその目的を、今日読んでいただきましたヘブル11章7節と、それから荘石も6章開いていただきまして、
そこからその目的をともにですね、教えていただきたい、見つけたい、発見したいとそう願っております。
そしてそこから、信仰の本質について学んで、そして見習いたいと願っております。
今日の7節をもう一度ご一緒にお読みしましょうか。
ヘブルビートの手紙11章7節、新約定書の438ページです。
それではご一緒にお読みしましょう。
3.信仰によってノアは、まだ見ていない事柄について、神から警告を受けたとき、恐れ勝ち込んで、その家族の救いのために箱舟を作り、
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その箱舟によって世の罪を定め、信仰による義を贈続するものとなりました。
今日、もしここにいらっしゃる方の中で、ノアについて初めて聞かれる方は、ノアは誰だろう、箱舟は何だろう、彼が何か箱舟を作ったみたいね、
そういうふうに思われたかもしれませんが、創跡をちょっと開きましょうか。
今日は創跡も一章に読みたいと思いますので、旧約聖書の創跡です。
ノアの記事は創跡の6章に書かれていますね。
旧約聖書の8ページでございます。8ページと9ページですけれども、その中で、まず9節をご覧ください。
私が読みますね。9節、9ページになります。
これはノアの歴史である。ノアは新しい人であって、その時代にあっても全く一緒であった。
ノアは神と共に歩んだ場所です。
そして10節、ノアは3人の息子、彼は家族がいたわけなんですね。息子と3人いました。
セム、ハム、ヤベテを産んだ。このハムは生ハムではありませんよ、皆さん。
もちろんセム、ハム、ヤベテは今のアキア人、白人、黒人の祖先になりますけどね。
その次の11節をご覧ください。
ノアの家族がいました。5人の家族がいた。生きていたあの時代がどんな時代だったのかよくご覧ください。
11節、一緒に見ましょうか。11節だけでいいです。
地は神の前に堕落し、地は亡虐で満ちていた。
ノアが生きていた時代はあまりにも堕落して、あまりにも亡虐で満ちていた時代でした。
それがどれほどだったのか、その深刻さが神様がこの地上のいる人を作ったことを、6節ですけれども、
悔やみ、心を痛められるほど、それほど人間はこの地上は堕落に住んでいた。
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そして神様はこの地上、この人類を捌くためにノアに箱舟を作りました。
そしてそこにあなたの家族、それから動物を、オス、メスを入れて、そういうふうに神様がノアに命じました。
そしてノアが箱舟を作ったわけなんですよ。
ところが、今日はそこにポイントがあれじゃなくて、ノアの彼のこと、あるいは彼の家族のことを立場を置き換えて深く一緒に考えてみていきたい。
ノアが生きていた時代は堕落して、亡虐で満ちていたといいます。
だからこれは、ノアとその家族がクリスタンとして神様を信じる人として、なかなか正しく生きるのが難しい時代ということです。
イエス様を信じる人が馬鹿にされる時代。
揺りさされて笑われる時代。
神様の御言葉や神様の権威はもう死に落ちてしまって、踏みにじられている、そういう時代がノアが生きていた時代です。
人々は様々な罪を、案外を犯してしまった。
ばらけと暴虐がはびこっていた時代です。
あのような時代に、ノアは人間的に考えるならば、とても寂しかった、孤独であったかもしれない。
ノアも家族の以外には神様を信じようとしない。聞こうともしない。
多分、ノアは無権者から神様について、彼は語り続けてきたことでした。
みなさん、神様がおられますよ。罪を悔やかめて、神様に復帰りましょう、と彼はきっと、いわゆる伝導したに違いないと思います。
そして彼が箱舟を作った期間は数十年になります。
その数十年間、彼は箱舟を作りながら、そして同時に神様がおられることを言い続けてきたと思うんですね。
ところが誰も耳を貸してくれない。聞こうとしない。信じようとしない。
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その中でノアと子供三人、箱舟に入るときにはお姫さんも三人いましたが、
人口がどれくらいなのか知りませんけれども、何万人でしょうか、その街に何千人でしょうか、あるいは何百人でしょうか。
その中でノアとその家族は、とても非常に孤独の中にこの信仰を持ち続けてきたんですね。
みんな応援して、応援して、助けて、みんな疲れて、そんな中で箱舟を作っただけではありませんよ。
彼は、さっきの旧説の最後に書かれているように、ノアは神と共に歩んだ。
彼は神様と共に歩む人でありましたから、さっき申し上げたように、自分のこと、自分の家族の救いばかり考えてはいなかったでしょう。
自分の友達、隣の人に神様を信じなければなりませんよ。裁きが来ますよ。裁きが来ますよ。
と、彼は少なくとも箱舟を作る数十年間、それを言い続けて、あるいは叫び続けて、嫌に違いないと思います。
ところがどうでしょうか、皆さん。それは難しいことです。本当に難しいことです。
何でしょうか。ノアの話を聞いて、少なくとも家族の床に箱舟に入った人は誰一人いなかったでしょう。
私を乗せてくれ、ノアさん、私を乗せてくれ、そのドアが閉まる直前にでも、飛び込んだ人もいない。
それだけ見たら、本当にノアは、自分と家族の信仰を守り続けるのも本当に難しい時代でありました。
これほどに堕落して、神様を信じない、逆らう時代がノアが生きていた時代。
もし私だけがノアだったらどうなんでしょう。これはあくまでも私の推測ですけれども、ノアはもう人間でしたから、
彼の心がちょっと揺れてしまったことがあるかもしれません。これは推測ですよ。推測に書かれています。
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数十年を箱舟を作ったわけですから、数十年を殿堂下、でも誰も聞こうとしない、信じようとしない。
その中で、私が悪かったのか、これが間違っているのではないかと一度くらいは考えたかもしれません。
今日の皆さんはどうでしょうか。ノアが生きていた時代。
今日のこの日本の道場はよく似ているなと私は思いました。
私がこの世に入れ合っていても、神様について救いがありますよ、裁けがありますよ、
いくら声を張り切って世間でも殿堂下でも聞こうとしない、信じようとしない世代が今日の日本であります。よく似ています。
他にはここに二十三年たっていても、自ら出会いしてみようかな、神様本当にいられるかなと入ってくる人はなかなか少ない。
だから私では皆さんは、この日本の道場の中で信仰をここまで持ち続けてきたのは、本当にこれは簡単なものではなかったでしょう。
時には詐欺使ったことでしょう、皆さん。時には孤独だったかもしれない。
家族の中でたった自分一人だけ、日曜日に朝起きて教会に行く。
応援もしてもらえない。一人で祈って、一人で聖詩呼んで、一人で礼拝して、時には涙をして祈る。
寂しい時がたくさんあった。これが正しい道なのか、そういった疑問が心の中に生じてきたことがあったかもしれません。
しかも皆さんが今まで信仰を守り続けてきたその年月は、一日二日でもない、一、二年分でもない、数十年を、ここまで、今日まで、追い取りで信仰を持ち続けてこられたこと。
それはまさに皆さんがノアであり得ますし、皆さんの信仰がノアほど立派な信仰では。
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私はそう考えました。ノアが箱舟をつくりました。それが正確に何年かかったのか、それは120年ではないと思います。
子どもが生まれて、お嫁さんができて、それを年を数えたら、少なくとも40年から80年はかかったと思われます。いずれにしても数十年かかりました。
箱舟をつくるときに、人々はノアをたらさかでした。
ノアさん、あなたちょっと変じゃない?笑われた。一日でもないですよ。一週間でもないですよ。一、二年でもない。数十年を愚かな者として笑われていた。
相手にしてくれない。ノアだけではないんですよね。ノアの奥さんも、その三人の息子、そのお嫁さんも、笑われて笑われて、そういった堕落して法薬に満ちていた時代が、ノアが生きていた時代です。
ところがノアはどうだったんでしょうか。そんな孤独の中で、戦いの中で、ノアは神様を捨てなかった。
自分の信仰を捨てなかった。孤独でありましたけれども、戦いはありましたけれども、からかいはありましたけれども、ノアは自分だけではなく、妻も三人の息子も三人の嫁の信仰を守ることができた。
皆さん、これを見るときに、ノアの人生は戦いのスピーカーといっても囲んではないです。戦いですか。戦いですか。それは何との戦いなんでしょうか。
それは、からかいとの戦いであって、孤独との戦いであって、諦めたいといった放棄との戦いだったのですね。それをノアは数十年、数百年、それを守り続けてきたんです。
皆さん、私たちの信仰生活も、日本のクリスタンもノアとよく似ていると思います。99.5%が神様を信じない。
2010年の日本同盟キリスト教団が出した統計によりますと、皆さんのように、日曜日に礼拝して守っている。休んでいるじゃないですよ。礼拝しているクリスタンの日本の人口は約60万人くらいです。
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大体で、大まかに言って、礼拝して。100人いたら、そこにクリスタンが半分ですし、一人でもないですし、もう半分いる。200人いたら、一人というわけです。
信じようとしない。来そうとしない。神様を信じる人を愚かな者と、あるいは、よく旦那さん方は、正義の弱い人だから宗教を持てと言われる。
弱い人は宗教を持っていただと笑われる。この道堂の中で、皆さんは信仰を立派に守っておられるわけです。
だから、私たちの信仰というものは、その世の笑わいとの戦いであって、孤独との戦いであって、宝家との戦いでもあるでしょう。
では、どうしたらいいんでしょうか、皆さん。どうしたらいいんでしょうか。ただ、ただ、かろうじて、かろうじて、持っていたらいいんでしょうか。そうではない。
そんな中でも、ノアが鳩骨を作り続けていったように、私たちも、ただ、その中で、なおなお神様を仰いでいることです。
主を見上げることです。神の御加を求め、神様の助けを求めることです。そして、主よ、私の助けとなってください。
主よ、私の助けとなってください。と、祈る、求めることです。
そして、神様は、私たちに、ノアにも下さった、その自由に動かない信仰を、主が与えてくださる。
諦めない信仰を、そして、粘り強く忍耐する信仰も、主がノアにも、私たちにも与えてくださるんですね。
皆さん、日々、どれほど神様を見上げておられるでしょうか。そして、その中で、心臓をどれだけ強く持っておられるんでしょうか。
どうも、ノアがですね、本当にただ孤独の中で、笑わいの中で、粘り強く忍耐し続けて、神様の御命令に従ったように、私たちもノアの信仰を見習って、
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そして、信仰によって進み、信仰によって従っていこうではありませんか。
さて、漱石六章に戻りますと、六章と七章に同じ言葉が二回繰り返して出てきます。
それは六章の二十二節、それから七章の五節ですが、六章の二十二節を一緒に読みたいと思います。
ご一緒に、3、ノアはすべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。
次のですね、七章の五節、次の提起ですよ。
五節、3、ノアはすべて主が命じられたとおりにいた。
神様がノアに、箱舟は寸法、高さ、深さ、これぐらい、これぐらいにして、こういうふうに作りなさいと、神様が指示をなさいました。
そのとおりにノアは何十年もかかって箱舟を作った。
そして箱舟ができた後に、神様もその約束、御言葉、教告通りに大工事が起こったことなんですね。
このノアは、よくご覧になりました。
ノアはすべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。
あるいは五節に、ノアはすべて主が命じられたとおりにしたという言葉を、その意味を深めて考えてみていきたいと思います。
このすべて神が命じられたとおりにし、そのように行ったこの言葉には、二つの意味があると思いました。
結局同じなんですけれども、一つは神様が命じられたその命令が、それを一から十まですべてことごとく従ったという意味です。
箱舟を高さこうしなさい、こうしなさい、横幅を、そのとおりに従ったという意味でもありますし、
そしてもう一つは、最初から最後まで従い通したという意味があります。
お分かりになるでしょうか、ノアは。神様が命じられたものは、それが何であれ関係なく、
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すべてを一から十まで、すべてを一つ一つ従ったということであります。
1、2、3、4、そのとおりにすべて従ったということです。
でも皆さん、これは簡単なものではないんですよね。一つ二つは従うのはいいんですけれども、
三つ四つ、十、百、従うのは本当に難しいことです。
でもノアはすべて従ったわけですから、本当に素晴らしい信仰を持っていた人なんですね。
それからもう一つの意味は、さっき申し上げたように、最初から最後まで従った、従い通したという意味なんです。
最初は、神様、そう言いましょうって作った。でもここでやめて、そういう意味ではない。
最初も、最後も、始めも終わりも従う。それがノアの信仰によって従った信仰なんです。
皆さん朝鮮はどうでしょうか。神様の命令に、ノアはすべて神が命じられたとおりにそのように行った。
そのノアの代わりに皆さんの名前を置き換えるならば、こう言えるのでしょうか。
誰々はすべて神が命じられたとおりにそのように行った。皆さんこの信仰を見習いたい。
ところが皆さん、ノアはどうやってこの世に素晴らしく世界を通すことができたんでしょうか。
その力はどこから来たんでしょうか、皆さん。それを今日のペブルみたいな手紙、11章7節から、
このメッセージスムースにこの11章7節を何十回も読んで読んで読んで読んで、
そしてノアの力はどこから、この心臓の底力はどこから来ただろうと目想して、その中で私はそれを7節のおそれこすこんでという言葉から発見しました。
よくご覧ください。信仰によってノアはまだ見ていないこと柄、まだ見ていないこと柄なんでしょうか。
大洪水ですね。まだ見ていないんですよ。
実は創造科学者たちによりますと、ノアの大洪水の前まではあんなに多くの雨が、洪水が起きたことはないだろうとそういうふうに言われています。
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もし、例えば日本のように津波の経験がある、地震の経験があったら5年後、10年後、地震が起こるよ、津波が来るよと、だいたい騒動がつきますよね。
ところが今までノアも家族もその時代に来ていた人は、あんな工事を見たことがない。記録にもないし、経験もないし、わからない。
大洪水というもの自体がわからないんです。
その中でノアは、まだ見ていないこと柄について神様から警告を受けた時、その時ですよ、恐れかし込んで、その家族の救いのために箱骨を作って、
その箱骨によって世の爪のため、信仰による義を創造するものとなりましたとあります。
この恐れかし込む、恐れかし込む、これがノアの信仰の本質だと考えます。
ノアは神様を恐れかし込む人です。
皆さん、恐れかし込むという言葉の意味は何でしょうか。
それは、神様を天の神様として、大なる神様として、創造中の神様として、万分の中、大の大、宙の宙として信じるという意味です。
ところが、興味深いことをわかりました。
この恐れかし込む、日本語は恐れかし込むという言葉で訳していたり、あるいは他のところでは恐れるという言葉で訳しているんです。
ところが、どの国の言葉も言葉には限界があります。
本当の意味を訳すところに、翻訳したら本当の意味がなかなか言葉には出てこないんですけれども、
だからこの恐れるという言葉だけ、文字ですね、ノンクリティカルな方が読むのなら、神様は怖がるという意味として読み取る可能性もあるかなと思います。
ところが、この恐れかし込むという言葉の意味は、英語で言うならば、well, good、良い、素晴らしいという意味と、
それを攻撃的につかむ、そういう二つの意味の合成がこの恐れかし込むの意味なんです。
何年前か元旦にテレビを見たら、どこどこのデパートで福袋を売るんですね。
そうすると、デパートの玄関のガラスのドアが閉まっていて、人々が何時間前から立っていて、
そして、3、2、1と開けたら、うわーっと開いているんですね。
福袋を買う光景をテレビで見たことがあります。
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恐れかし込むというものは、ただ恐れる距離を持って、そして恐極的な、そういう、あ、怖い、やっぱり怖いからな、そういう意味ではない。
恐れかし込むという元々の意味は、恐れる、怖がるという意味より、神様は最高の禅であって、唯一の禅であって、
最も素晴らしい良いお方であられますから、その神様が実であられますから、
神様を、その御言葉を攻撃的であるほど、強く積極的に最後まで掴み続ける、それが実は恐れかし込むという意味なんです。
さあ、だから皆さん、ノアがなぜ数十年をかけて箱舟を作ることができたのか、信仰を持つことができたのでしょうか。
恐れかし込む信仰があったからです。
ノアは神様が主であられますから、ノアは神様の御言葉が最も良いものでありますから、
ノアは神様の御言葉が最高の禅でありますから、その神様とその神の御言葉、命令を強く積極的に、粘り強く持ち続けていたわけなんです。
これが皆さん、ノアの信仰の本質なんです。
皆さん、私もノアのように、神様を神様として信じる、主を主として信じる、神様が最も良いお方である、神様の御言葉は最高の禅であると信じて、それを攻撃的ほど掴み続ける、離さない、
それがノアの信仰なんです。
そして、この朝、私たちが担うべきノアの信仰の本質です。皆さんいかがでしょうか。
今日、私たちはやりたいこともたくさんあります。あるいは、しなければならないこともたくさんあります。
学生のときには勉強しなくならない、部活もしなくならない、受験もしなくならない、大学に行ったらバイトもしたいし、恋もしたいし、旅行にも行きたいし、レポートもなかなかならないですし、いろんなことがたくさんあります。
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そして、大人になって結婚したら、やることはなくなるのか、もっと増える。育児もあるし。
女性の場合、結構前のある本で読んだけど、女性の場合、奥さんの場合に結婚してからなくなるまで推理を何十万回するんです。
そして、もし布団の生活をするんだったら、布団を開いて畳む。それも何十万回する。家の掃除も、あまり普段人は少ないかもしれませんけれど、毎日朝、晩をする人だったら何十倍にもなるんですよね。それもする。
やるべきことはたくさんありますが、しかし、だからこそ、私たちはノアのように信仰によって従わなければならない。
やりたいこともたくさんあります。知らなければならないこともたくさんありますが、その中でたった一つだけを選ぶならば、神様の御言葉です。
お一人だけを選ぶならば、それは神様です。これがノアの信仰なんです。
メッセージを終わりたいと思います。ノアの信仰は、神様を恐れかし込んで、神様の御言葉を最後の最後まで信仰によって従った信仰でした。
またでしょうか、神様は神様であられますし、神様は大いなる主であられます。
皆さま、私たちも信仰によってノアのように従ってまいりましょう。お祈りたいます。
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