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2017-02-26 28:57

2017/02/26:愛のうちに建てられる教会

2017/02/26 聖日礼拝

尹善鎬牧師

エペソ人への手紙 -16

00:02
みなさん、おはようございます。
よくいらっしゃいました。
では、今日もメッセージの前に隣の方と挨拶しましょうか。
よくいらっしゃいました。おはようございます。
ありがとうございます。
それでは、一言お祈りさせていただきます。
キリスによって体全体は、一つ一つの部分が、その力量にふさわしく働く力により、
また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。
アーメン、主よ。
私たち一人一人が、イエス・キリストを頭として、その体の一つ一つの部分として、組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられますように。
このような神と一人一人が、また名谷教会となりますように、主よ、祝福して下さい。
あなたの見栄えに耳を傾けます。
神御自身が、私たちのこの群れの上に、今日、総会を控えたこの礼拝において、主御自身の御言葉を、主よ、行くべき指針を、あなたが示して教えて下さいますように、お願いいたします。
忍びは聞きます。主よ、どうぞお語り下さい。イエス様の皆によってお祈りいたします。
アーメン。
解散します。
今日は、2017年度教会総会が開かれる成立です。
今日はですね、そういう成立でもありますので、改めて、教会と信仰、あるいは教会と愛に関して、御言葉の恵みに預かりたいと願っております。
教会を建てられる方は、父なる神様です。
イエス様が弟子ペテロに言われましたように、そのペテレの信仰、あるいは信仰の告白の上に、私の教会を建てると言われました。
ですので、教会は神様に対する信仰から始まって、神様に対する信仰によって建てられて、信仰によって発展して、また信仰によってイエス様の祭りを備える待ち望む場所であります。
03:25
今日、4章全部読んでいませんけれども、1節から16節の全体を読みますと、まず4節から6節のうちに、教会がどういうものであるべきなのかをイエス様がこの御言葉を通して私たちに教えてくださるんですね。
私が4節から6節までお読みしますので、ご覧ください。
すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。とあります。
皆さんでは、教会はどういうものであるべきでしょうか。
その一は一つです。一つです。
4節の御言葉を見ますと、体は一つ、見たまは一つ、望みも一つ、五節、宿は一つ、信仰は一つ、アプテスマは一つ、
6節の最後に、すべてのもののうちにある神は一つです。
二つではありません。三つではありません。多くではありません。一つでございます。
一つ、これこそ教会の本質なんです。本質。
ですので、教会がそこに属している私たち神道が求めるべき本質的な価値は、一知一つということです。
3節にもありますように、平和の絆で結ばれて、見たまの一知を熱に保ちなさいとあります。
ところが皆さん、この一知というのは、単なる愛称があって、
人間的な一知観、あるいは団結観ではありません。
06:06
あるいは、文化的な共通している思想や考え方が同じく、そういう一知でもありません。
あるいは、伝統的な何かのそのものを持っている人々の一知観でもありません。
この一知はどういうものでしょうか。それは、宗にあっての一知です。
宗教の一知、信仰においての一知なんです。
皆さん、レフリンションで二人三脚とかされたことはありますか。
二人真ん中の脚を下で結んで、ゴールを折り返しのところを見て出発したら、
一人は早過ぎで進んでしまって、一人は例えば止まっていたらどうなるんでしょうか。
二人一緒に倒れます。そうでしょうね。
私は結構昔ですけれども、二十五人ぐらい、二十五人、二十六脚をしていたことがあります。
すごいでしょう。二十五人が並んでやるんですよ。最初はもうめちゃくちゃなんですよ。一歩も進めません。
ところが、ちゃんと一歩目はどの脚を出すか、それをちゃんと決めて、そして心を一つにしていったら、
ちゃんと二十五人が百メートルも行って折り返して帰ってくることができた。
同じ方向を向かって、心を一つにして、歩調を合わせて歩むこと。
教会の一知とはどういうものなんでしょうか。
わかりやすく申し上げますと、
野谷教会の信徒一人一人が一人も漏れなく、みんなで神様という、あるいは福音宣言という同じ方向に向かって、
手を取り合って、歩調を合わせて、心を一つにして、相手合って、近寄って、歩んでいくことではないでしょうか。
その方向は神様に向かう方向です。
自分が決めた方向ではありません。聖書が示す方向なんですね。
神様が喜ばれる方向、聖書が教える方向、救いのための方向、あるいは互いに愛し合う方向、互いに使い合う方向。
この方向、ゴールを目指して、同じ方向を見て、向かって、手を取り合って、愛し合って、あるいは肩を組んで、歩んでいくことではないでしょうか。
09:07
今年度、2017年度、与谷教会の神と皆さんお一人お一人が、みんなで、三様の一致、神は一つですから、その一つになって、一致になって、
神様が示してくださる方向に向かって、神様が切り開いてくださるその方向を向かって、
共に手を取り合って、愛し合って、心を一つにして、歩んでいこうではありませんか。
そして、一緒にやって、一つにある教会。心と心が通じ合う教会。
そして、それで信仰生活が本当に一緒にやって、幸せな神とお一人お一人、教会でありたいと切に願っております。
では、このように私たちが三様の一致、信仰における一致をなったら、どういうことが起こるのでしょうか。
十三節を一緒に読みたいと思います。
十三節を一緒に。
ついに、私たちが皆、神の御子に関する知識の一致とに達し、完全に大人になって、キリストの導きたいたけにまで達するためです。
ここにですね、信仰の一致、神の御子に関する知識の一致に達したらば、完全に大人になって、キリストの導きたいたけにまで、その分まで達するということであります。
新しい皆が信仰における一致、神にあっての一致を保っていくならば、同じ方向を向かって進んでいくならば、そこに新しい皆、お一人お一人が、信仰的に、聖者的にですね、完全に大人になるのです。
皆大人なんですけどね。
ここでの、完全に大人になる、完全な大人になるというのは、どういう意味なんでしょうか。
それはですね、何の失敗も罪もなくても、完全無欠な、そういう意味より、常に神様に向かって歩む人、神を愛する人、神様に喜べる者になりたくて、
時にはもがいて、時には熱気に進んでいく人、時には失敗しても、もう一度起き上がって、食いがらがら寝て、神を愛していく人、神を愛していく人、そういって、強められて、どんどんどんどん、神様の身姿に変えられていく人、それが、完全に大人になることではないでしょうか。
12:12
ですから皆さん、私たちがイエス・キリストにあって一つになった時には、教会の中で同じ方向に皆手を取り合って進んでいく時、あるいはお互いに謙遜に減り下がって使い合う時、あるいは愛し合う時、
私たちはその一致の力によって、そこまで達して、完全に大人になって、そしてその完全な大人の姿はどういうものでしょうか。キリストの満ち満ちた御丈にまで達する、成長できる、イエス・キリスト様が成長させてくださるということです。
キリストの満ち満ちた御丈、キリストの満ち満ちた御丈はどういうものでしょうか。それは、イエス・キリスト様が愛されるように、愛することができる人になるということでしょう。
イエス・キリスト様が人との兄弟姉妹たち、あるいは親と関係、人間関係を結ばれるように、そういう関係を結ぶことができる人に変えられるということでしょう。
イエス・キリスト様がお使いになるように、互いに低くして、自分を低くして、無にして、使える人になれるということでしょう。
あるいは、イエス・キリスト様がお許しになるように、私たちも許すことができる人に変えられるという意味でしょう。
あるいは、イエス・キリスト様が神様を愛されるように、私も誰よりも、他よりも、神様を唯一に、ささひとつに、神様を愛することのできる人に変えられるという意味ではないでしょう。
あるいは、イエス・キリスト様が教会の会社として、教会を愛されるように、教会を愛する人に変えられるという意味でしょう。
これこそ、私たちが主にあって一つになるとき、信仰の一致、キリストに関する知識の一致にまで達するときに、私たちに主が与えてくださる素晴らしい祝福なんです。
そして、このような祝福の中で、一致の中で、恵みの中で、幸せの中で、私たちが均衡生活をしていくとき、どんなことが起こると皆さんは思いますか?
イエス・キリストを知らない人、教会を知らない人、あるいはキリスト様の人々が、イエス・キリスト様が信じたくなるでしょう。教会に行きたくなるでしょう。
そこに光がある、あのそこに幸せがある、あそこに恵みがあるという、それは知りたい、見たい、会いたいというふうに求められるようになるのではないでしょうか。
15:14
皆さん、春になると、お花が満開するんですね。でも、お花にも、蜂蜜のあるお花には蜂が飛んでいきますね。
ところが、いくらきれいなお花であっても、蜂蜜のないお花には蜂はいかないんです。
信仰の一致、キリストに関するその一致、そこからくる本当に幸せな信仰生活、家庭生活のある、まるでですね、甘い蜂蜜がある教会には人々が群がってくると思うんです。
皆さんもそう思いながらでしょうか。
教会に行けば、神様にお会いできる。教会に行けば、本当に癒される。
明太に教会に行けば、慰められる。明太に教会に行けば、自分自身も振り返ることができるようになる。
明太に教会に行けば、本当に心がどんどんどんどん清められる。
明太に教会に行けば、本当に未来の夢が見つけることができる。愛される。慰められる。希望が見出せる。
そして、どんどん本当に美しい人格と、あるいは品性、信仰を持つ人に変えられていくならば。
そして、夫婦関係、親子関係、社会にいても、会社にいても、学校にいても、教会にいても、本当にみんなが羨ましいというほどの人に変えられていくならば、
そこそ天国ではないでしょうか。そこそ、それこそ、その場所こそ、本当に驚くべきことが起こるのではないでしょうか。
その始まりは、信仰の一致、キリストに関する知識の一致から始まるのです。
私は、与谷教会がそのような教会でありたいと、切身に願っております。
本当に、今申し上げたけれども、なおなお本当に幸せな教会。
信仰の一致と、キリストを知る知識の一致をなす教会。
それでみんながですね、完全に大人になる教会でありたいと、切身に願っております。
先週、木曜日に帰ったE君が、後からメールが来て、あるいはですね、いろいろ話があってですね、
本当に与谷教会は、3年前に来たときにも感じましたけれども、本当に素晴らしい愛のある教会でした。
18:11
3年前ですね、E君の大学卒から他の大学生たちも、同じく関西に来たんですね。
それの学校のチームたちから、10人ぐらいは与谷教会に、他の10人、12人、2組は別の教会に1週間滞在しながら放置させてもらってですね、
みんなが最後の日に集まったわけですね。
こういうことがあったので、写真を見せたりするんですね。
そうしたらですね、悪口ではありませんよ。他の2つの教会はですね、だいたいお察しかなかった。
それでですね、E君たちがですね、写真を見せたら、そんなことがあったの。
食事もいっぱいもらって、一緒にですね、祈り合って、一緒に善動もできて、みんながですね、うらやましい、うらやましいと。
話せて、今回もですね、水曜日皆さんが本当にですね、おもてなしをしてくださって、彼ら本当に喜んでですね、
空港に行くにむじますで、本当に寂しさと言いましょうか、うれしさと言いましょうか、泣きながらも空港に行ってですね、そういうことでした。
本当にね、主にあるその幸せ、恵み、信仰の一致、キリストを知る知識の一致の上に、私たちが本当に完全な大人になるその日を待ち望んで、主にあって、一つになって歩んで行こうではありませんか。
そこに低くなります。
ところが、このような美しくて幸せな教会であるためになるために、私たちがすべきことがあります。何にもしなくても自然にオートマチックでできるわけではないんですね。
それが今日の十六説です。十六説を一緒に読みたいと思います。十六説、一緒に読みましょうか。
キリストによって、体全体は一つ一つの部分が、その力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと結び合わされ、成長して、愛のうちに立てられるのです。アーメン。
皆さん、この十六説はとても大事な箇所だと思いますけれど、よくご覧ください。
キリストによって、体全体は一つ一つの部分。皆さん、お一人お一人は一つ一つの部分なんですね。
21:03
その一つ一つの部分がみんな必要なんです。みんな大切な部分です。ところが、その力量がそれぞれ違うんです。
それをですね、八説とか前の箇所から言いますと、それぞれ神ご自身が喜んで様物を与えてくださった、性格も与えてくださった、その力量があるわけなんですね。
その一つ一つの部分が、その力量にふさわしく働くわけなんです。それぞれ力量にふさわしく働くことで、それがまず必要なんです。
信仰の位置、キリストに関する信仰の位置はどうやってそれができるのでしょうか。力量にふさわしく働くときに、それが可能になるんです。
教えることができる人は教える。おもてなしできる人はおもてなしをする。祈れる人は祈る。体で奉仕する人は体で奉仕をする。
それぞれ神様からいただいた様物にふさわしく、その力量にふさわしく働くことなんです。
そのようなときに、主の体である教会は、そのあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、そして支援としていくのです。
だから教会は、うるわしい、美しい教会となっていくのです。ここで力量にふさわしく働きますね。
そうすることによって、互いが結び合わされ、組み合わされ、組み合わされて結び合わされるのです。まるで、よく子どもたちが遊ぶときに遊ぶジグソーパズルみたいなものなんです。
パズルをやったことありますよね、みなさん。組み合わせる。へこんだところもありますし、出っ張ったところも、いろんな模様が違うんです。
一個一個当たると、これは何の絵なのか図なのか、みっともない。しかしそれをよく組み合わせたら、結び合わせたらきれいな絵になるわけです。
そのように、主の教会、この身体は、あたかたし一人一人が、それぞれ主から与えられた賜物をいかけて、力量にふさわしく働いて、一致にあって働くときに、それが組み合わされ、結び合わされるのです。
そして、主の身体が成る、完成されるということです。だから、みんなが互いに必要なんです。全部100個でできたジグソーパズルだとしましょう。
24:08
99個はある。でも真ん中が空いている。完成できないです。そこにその一つが働きに完成できるということです。
主の身体は、みんなを必要とする、みんなを大切にされるべきであって、そのようなときに、あたしたちはその最後の藍の丑に立てられるのです。
このように教会は、信仰の一致、キリストに関する知識の一致の上に、お互いが各自主から与えられた力量、賜物にふさわしく働くとき、それが組み合わされ、結び合わされて、みんなそれぞれ成長していくのです。
皆さんにも祈っていただきたい。ご存じなかったらご存じですけれども、去年1000名受け入れられた吉尾さん、それから藤本兄弟、それから田中真司さんも加えて、
週に1回火曜日か木曜日、夜7時あるいは8時に集まって、聖書の学びを、1000年の後のフォローの学びをしています。
何回受け入れられたか数えていないのですけれども、多分7、8回くらい集まっていると思うんですね。
みんな男性ですから名前も作りました。NBS。何でしょう。NBS。Men's Bible Study。NBSが集まって学びをしている。
少しずつみんなが成長している姿が、お互いに励まされて恵みなんです。
そんなところは4月の第二周年に三備も、礼拝の時に三備を発していきたいなと願っておりますけれども。
そういうふうに組み合わされ、結び合わされて、一致の中に人が生存してくださるんです。
あなた方のうちに良い働きを始められた方がそれを完成してくださるという言葉がありますね。その通りなんです。
教会はそのうちに、愛のうちに讃えられるのです。
メッセージを伺いたいと思います。
私が与太の教会に使わされて、あっという間に4年が経っておりますね。
2013年、14年、15、6、年末としては5年目に入ったわけなんですね。
本当に全てが神様の恵みである。
27:00
また皆さんが祈ってくださって、受け入れてくださって、支えてくださったから、
今日があると私は考え、また信じます。
改めて皆さんのご愛に、お祈りに、あるいは応援に、本当に心から感謝申し上げます。
2017年度、神様が私たちに1年という時間を許してくださいました。
その1年をどういうふうに過ごしていけばいいんでしょうか。
寝ていても1年は経つ。
遊んでいても1年は経つ。
平和をしていても1年は経つ。
何にもしなくても1年は経ちますね。
そうすれば今日の御言葉のように、主の身体なる教会、主に喜ばれる教会として、
信仰の一致、キリストを知る知識の一致の上に、
お互いに組み合わされ、結び合わされ、そしてお互いにみんな生徒して愛の内に例えられていく教会でありたい。
そのためにお互いに祈り合う、助け合う、使い合う教会でありたいと。
主の教会を共に手を取り合って立てていこうではありませんか。
そして年の末の決算のときには、本当に神様に報告できるたくさんの資格があって、喜んで主に報告できたらいいなと。
そういう風に願っております。
その1年を目指して共に歩んでまいりましょう。
お祈りいたします。
28:57

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