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2017-02-19 38:30

2017/02/19:信仰のベーシック(6)伝道

2017/02/19 聖日礼拝

尹善鎬牧師

マタイの福音書 -16

00:01
新たに皆さん、おはようございます。きょうもお出会いにようこそいらっしゃいました。
きょうは、メッセージのあとに、きょうは、転入会議が行われます。
また、きょうは、生活題が、最近の中で一番メンバーが多かったような気がしますけれども、
2ヶ月一緒に進行生活をしていた、いい兄弟が、今月の木曜日に帰国します。
その後で、挨拶も聞きたいなと思っております。
では、周りの方に挨拶しましょうか。
おはようございます。
それでは、ひとつお祈りさせていただきます。
このように、あなた方の光を人々の前で輝かせ、人々があなた方の良い行いを見て、
天に売られるあなた方の血をあざめるようにしなさい。
主よ、こんなようにありまして、
私たちの神様への信仰を正し、また振り返し、感謝し、あるいは反省する。
そして聖書から正しい信仰のお手をも教えていただく、このメッセージを語っていただく、この恵みを心から感謝いたします。
きょうは、最後の時になりまして、
神の御言葉をもべ伝えることについて、御言葉から主御自身が私たちに教えてくださいますように願っております。
どうかこの群れの上に、主の御言葉を、きょうの御言葉を、お一人お一人の魂の中に主御自身が語ってくださいますように。
神の御言葉は神の御言葉として受け止める信仰を聞く耳を悟る知恵を主御自身が与えてくださいますように。
そして私たちの実生活が、人間関係が、信仰生活が、主を本当に住み合って日に日に変えられ成長し、次に喜ばれるものとなりますように。
聖霊様どうぞ、あなたが私たちを導いて、恵みを与えて作ってくださいますようにお願いをいたします。
神様どうぞ、私の心の中にある曇りがあるでしょうか、罪があるでしょうか、思い込みがあるでしょうか。
どうかすべての本当に邪魔するものを、あなたが取り除いてくださって、あなたにきょうお出会いできますように祝福して、
03:07
神様心の目をはっきり見えるようにしてくださいますようにお願いをいたします。
未定に委ねて、イエス様の皆によってお祈りいたします。
アーメン。
お願いします。
これからですね、できる限り毎年新年には、この御言葉をテーマにして、繰り返してでもですね、教えていただきたいと願っております。
願わくは、どうか皆さんお一人お一人が、礼と誠をもって、神様に喜ばれる礼拝者でありたい。
そして、神様の御言葉を期待求めて、黙想して、読んで、そして神様の御前にいつも祈る神の人でありたい。
そして、神様の仕事として褒められて、主の働きを全うできる信者でありたい。
それから、主にある兄弟姉妹たちと麗しい交わりをもって、この幸せな福音を告げ知らせる私たちでありたいと、そう願っております。
今日のテーマは伝道です。
伝道と言ったら、先に先走る考えは難しい、私はうまくできないというふうに、皆さんはなかなか謙遜ですから、そういうふうに思ってしまうかもしれません。
ところが、伝道というものがどういうものなのか、その本質を、聖書が神様が教えられるその本質を、私たちが正しく学ぶ、悟る、気づくならば、
ああ、そうだ、私も実は伝道をしていたんだ、ああ、それが伝道だったんだ、私にもできると、皆さんお気づきできると思うんですね。
今日は大きく伝道について二つを教えていただきたいと願っております。
この前の水曜期と会に一緒に分かち合ったビジョン2021たより2月号、皆さんの手法本にお配りしましたから、
まだ読んでいない方がおられれば、ぜひ読んでいただけたりと思っておりますが、そこで扱っている内容でもあります。
06:03
大きく二つです。一つ目は直接的に伝道することです。二番目は間接的に伝道することです。
まず、直接的に伝道すること、簡単明瞭に申し上げるならば、直接的に神様を信じない方々に福音を知らせること、それです。
皆さん、今の時代は、この政府の時代、家様の時代より、あの時のペテロさんとか、あるいは使徒たち、あるいは信徒たちより、
今の私たちが生きているこの2017年の2月19日は、家様の歳月に2000年近くなっているわけなんです。2000年前より。そうなんですよね。
さあ、では皆さん、考えてみていただきたいと思います。人々が救われることを、もうせずに熱く願っている方は誰でしょう。神様なんです。
もちろん皆さんもそうですけれども、神様は2000年前より、今の方が家様の歳月が近くなっているわけですから、
神様の御心は、一人でも多くの人々が救われてほしいと、熱く切なる心を持って願っておられるわけなんです。そうなんですよね、皆さん。
だから神様は、一人でも多くの人々が救われたらいいな、救われてほしいなと願っておられる。
ところが皆さん、その福音を伝えること、それを2000年前は、ケテルとかピリッポとか、あるいはシト・パウル、あるいは西洋・アジアの教会、エルサレム教会の神様が依頼ました。
待たせました。私はあなたを信頼しますよ。私の代わりにやってくださいねと、待たせてくださったんですね。
で、2000年後の今はどうなんでしょうか。誰に神様が、誰を信頼して、誰に神様が依頼しているんでしょうか。おこしだけでしょうか。そうではないでしょう。
神様を信じる私たちみんなに、私はあなたを信頼するから、この福音をぜひ伝えてほしいと委ねておられるということであります。
するから神様はですね、皆さん私たちがですね、心の中に、ああ、伝導がしたいな、どうしたらいいんだろう、よくわからない、自信ないんだけれども、何かしたいんだけど、どうしたらいいんだろう、あるいは、せっかくしたらどうしようとかですね、
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そういうふうに考えて、心して祈っている人々を、主は喜ばれる、そしてその人々を用いられるということなんです。
ですから皆さん、伝導のために、最も大事な第一のステップは何でしょうか。それは、伝導がしたい、福音を伝えたいという心なんです。つまり、関心を持つことです。そこから始まりますよ、皆さん、伝導は。
伝導の始まりは皆さん、何かの発言とか、政策を全部もう暗記している、あるいはもう何でもできるポジティブシンキングとか、あるいはとても親切でですね、社交的なそういう性格を持つことではありません。伝導したい。
この人々を何とかして、救いに導きたいという心、ああ、そうなんですよ。そこから伝導は始まるのです、皆さん。アメリカのジョン・オートワークという先生がいましたけれども、その先生はこういう伝導について、簡単にこういう話をしました。
伝導とは、救霊に対する関心から始まる。お分かりになるでしょうか。そうなんですよ、皆さん。伝導はどこから始まるのか。さすが政策の実施、やってまいります。伝導したい。救霊に対する関心、ハートから伝導は始まるのです。
だからそう見たらですね、皆さんは、みんな実は今、伝導していらっしゃるんですよ。あらゆることからはですね、関心からそれがボンボンボンと深まっていくわけなんですよね。
例えば、ピアノを弾くこと、ピアノを演奏に関心を持つようになったら、弾いてみたり触ってみたり、あるいは楽譜の本を買ってみたり、あるいは演奏動画を見たり、あるいは実際に演奏会に行ってみたり、あるいはCDを買って弾いてみたり、
やがてはピアノを買っておいて弾いてみたり、教室に行って習ってみたりするんですよね。その始めは関心から始まるわけなんです。
伝導も同じだと思います。伝導は救霊に対して関心を持つことです。魂の救いに対して関心を持つことから始まる。
どうしたらいいんだろう?やりたいんだけどよくわからない。そこから伝導は始まります。
私たちがこのような、どうしたらいいんだろう?伝導がしたい。あの人、あの人、聖書の御言葉を使いたいな。でもよくわからない。
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そういう心を持ってさえいれば、そういう心を持っている救霊に対するハートを持っている私たちの神様がおらんになって喜ばれるということなんです。
そしてその人々に伝導できる福音を知らせるチャンスの神様が作ってくださる。福音を聞く人々を出会わせてくださる。
不思議なことが、そのハートを持っていれば不思議なことが起こるんですよ。
1ヶ月か2ヶ月前でしょうか、朝、教会に来る道で来た。普段はお城のアパートランチを向けて来るんですけれども、
散歩を電動カネで行って来たらのあの道を朝登って来たんですね。ところがですね、私が登って行くときに、
赤いお母さんがママさりに乗って、前にも後ろにも背中にも子どもをパタパタと降りて、とても忙しくして降りて行くんですね。
私は避けて行ったんですよ。そしたら50メートルぐらい私は踏んでいたら、カバンが落ちてあったんですね。
そのカバンにそっと入れたら財布も通帳も任せんもDSもいっぱい入って落ちてあって、不思議にあの道に誰もいなかったんですよ。
それを私がふと思ったのは、もしかしたらさっきのお母さんが落ちたんじゃないかと思って、
とりあえずカバンは大事だと思って交番に持って行くつもりで、とりあえず教会に来て車に乗って、
それをもしかしてあのお母さんが探してまた来るかもしれないと思って、近くのマンションのアパートの前ですか、そこに車を寄せて止めるってやったら、
もう一度そのお母さんが子どもさんに乗せたままですね、また上から降りてきたんですね。
それでちょっと私が、お母さんもし何か探してますかって、実はもう泣いてですね、もう泣きそうでカバンを忘れて、
どんな色ですか、とりあえず聞いてください、黒いカバンですって、もしこれじゃないですか、そうなんですってお母さんがもう泣いてですね、
それでカバンを渡してですね、もうどうもどうも言われる、私この近くの教会の牧師です、よかったら教会に来てください、
もう一言だけでしたけれども、そういうふうにね、一言でもですね、連動ができる。
私が、キュウレンに対して、この人、あの人をどうしたら連動ができるんだろうか、うまくできないんだろうと思って、
そういうハートを神様と通じる、神様の同じハートを持ってさえおれば、神様が連動ができる、一言でも伝えることができる、不思議な出会い、不思議なチャンスを、
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キュウが作ってください、だから連動の始まりは、キュウレンに対する関心、ハートなんです、そして何かのチャンスが与えられた、そしたら逃さずに、
弱音の福音書3と16節でも、あるいは私は神様に出会って本当にうれしいんですよ、あなたも教会に行ってみませんか、一言でも伝える、
またあるいは、もっと掘り下げて、一歩もうちょっと踏み込んで、聖書の学びもできたらと思ったら、それをやり始める、連動には失敗がない。
今、私たちが誰かを連動ができて、その人が救われたとしましょう、洗礼受賛したとしましょう、ところが、誰かが、
例えばその方が50歳の方としましょう、そしたら誰かがその方のために祈ったことがあったと思います。
いろんな方が種をまいて、声をかけて、あるいは祈って、そう支えられて、支えられて、私たちはこの時に、
こう拾っただけかもしれない。
連動は救礼の思いから始まります。
そして神様がチャンスを、機会を作ってくださるならば、抽象せずに、恐れないで伝えてみること。
それが神様の心なんです。
二つのステップは、連動を福音を伝えてみることです。
とりあえずやってみることです。
その相手は家族でもいいでしょう、友人でもいいでしょう、隣の方々でもいいでしょう、30秒でもいいでしょう、1分でもいいでしょう、
あるいは定期的に、週に1回でもいいでしょう、月に1回でもいいでしょう。
とりあえずやってみること、試みてみること。
ところが 皆さん 直接にこういうふうに伝道をすることによって 一番大きな難しさは何でしょうか
直接的に伝道をすることを 私たちがちょっとためらったり 強調している理由は 皆さん何だと思いますか
それは実は気付きとか 伝道の腕じゃなくて 実は私たちの感情 思い込みなんです
どういうものでしょうか 失敗したらどうしようという気持ち
伝道して 失敗したら教会にも先生に迷惑するんじゃないかと そういった思い込み
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あるいは あの人に伝道して 私が嫌われたらどうしようという思い
友達関係がダメになったら どうしようといった心配
伝道したのに 私もわからないことを聞かされたら どう答えるんだろうといった心配
私はうまくできないんだけど 立ち手もないし 下手くそでどうしたらいいんだろうといった感情が
実は一番大きな難しさになります
実は皆さん こういった感情 思い込みというものは
まだ起きていない事柄に対する 思い込みに過ぎないです
あるいは以前 昔伝道してみたところが うまくできなかったという
良くない記憶と言いましょうか そこから来るできた感情かもしれません
ところが皆さん 10年前 5年前 1年前 失敗としましょう
失敗言葉だけでもちょっと矛盾がありますけど うまくできなかったとしましょう
ところが皆さん 今 他の方に伝道しようとしているとしましょう
そしたら その相手は 昔のその人ではありません
時代も変わっています
あらゆる環境も変わっています
何より 皆さん 自分自身が変えられていることなんです
1年前より10年前より 自分自身が成長して 神が生きていて変わっていることなんです
同じものは何一つもないんです
変わっていないのは 私だけの感情だけかもしれない
だから その時には このように神様に祈ったらどうでしょうか 皆さん
神様 伝道がしたいんですよ
ところが 昔 失敗したことがあって 勇気がないんです 神様
どうしたらいいんでしょうか
私の心にあるこの恐れを 神様 取り除いてくださって
少しでも 何度かでも この福音が伝えたいんだから
できるように 神様 力をつけてください
勇気を与えてください 支援を与えてくださいと 祈ったらいいのではないでしょうか
こういう時に 私たちに力を 勇気を与えてくださる二言葉があります
開きたいと思います
第一ポイント 二書 一説から五説です 一緒に開きましょうか
21:09
新約の319ページです 私が読みます
さて 兄弟たち 私があなた方のところへ行ったとき
私は優れた言葉 優れた知恵を用いて 神の証を述べ伝えることはしませんでした
なぜなら 私はあなた方の間で イエス・キリストすなわち十字架につけられた方のほかは
何も知らないことに決心したからです
あなた方と一緒にいるときの私は その次の言葉よ みなさん見てください
弱く恐れおののいていました
そして 私の言葉と私の宣教とは
説得力のある知恵の言葉によって 行われたものではなく
見たまと見たまと道からの 現れであっただけです
みなさん どうでしょうか
ファオロー先生が ここにここに留まって 殿の下のときに
ファオロー先生でさえ 弱くて 病気を持っていて 恐れおののいていたんですよ
伊京都の町で 難しいんですね
ファオロー あの偉大なファオロー先生でさえ 弱くて恐れおののいていた
そして きさも説得力じゃない
私たちの言葉を思うときに 説得力があって それができたらいいなと思うんでしょう
でも それじゃないんですよ
見たまと見たまと道から 見たまと道から 神の力ですね
見たまと道からの現れで 伝導ができたということであります
みなさん いかがでしょうか
私はファオロー先生のことを考えるときに もう何でもできる スーパーマンみたいにですね
考えやすいんですけれども 違います
ファオロー先生も弱かった 病気を持っていた
私たちがまったく同じ人であって 失敗したり 恐れたりしたことがありますよ
伝導したところですね もう死ぬ直前まで打たれたこともありますし
逃げたこともありますしですね 同じ
伝導はみなさん 説得力にある 知恵の言葉によるものではありません
安心してください
私も説得力 あまりありませんけれども
伝導というものは 見たまとその道からによるものですから
神様が 精霊様がやってくださる
みなさん 幽霊に対して関心を持つ
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福音に導きたいな というハートを持って 関心さえ持っておれば
精霊様が語る言葉を 口に与えてくださる
能力を授けてくださる そして その福音を伝えるのは私ではない
私の内にある精霊様である その力である私はただ
それに用いられる道具にすぎない ということであります
愛するみなさん 願うわくは今年はですね
私たちはこのような経験を 伝導の経験をたくさんしてほしいなと思うんですね
伝導に対する関心を持つことから 始めようではありませんか
あるいは本当に何かのお出会いが与えられたら そこに一言だけ
あるいは自分の赤い気分をですね 持っていてですね それを聞かせる
お話をする そのような直接的に 伝導をしようとするときに
主は知恵も能力も勇気も 与えてくださる
その経験を差していきたいんですね
そういうことを願って 願って歩んでいきたいと思います
ところが関心はある 祈ってはいる
でも到底私には直接伝導するのは もう無理ですよ
ユン先生と思われ方がおられるかもしれない
でもみなさん よくよく考えてみましょう
それがいわゆる間接的伝導 あるいは生活伝導とも言えると思います
みなさん 私はキリンさんとして 今はね 教会に来て 礼拝を一緒に来ていますけれども
教会に来ていないときに みなさん自分自身の 日常生活のことを考えてみてください
会議室に発祥に行ったり 総合出発に行ったり 万代に行って そこに店員さんに触れます
あるいはそこで隣の誰々さんにお会いして ああああああ 挨拶するだけですね
影を引いて 係の内科に行って もう何十年も行っているんですよね
おじさんと一緒にポジロっている そういう内科に行っています
看護師さんも 昔は未婚の人だけど 今はおばさんになっている看護師さんがいる病院に行っている
いろんな人に触れているんですね
あるいは年に一回 同所会に田舎に帰って 同所会に行って いろいろ話が聞いたり 食事が聞いたり
それで大体の話題は60代から70代から 病気の話 癌の話 孫さんの話
誰々さんがもう亡くなったんだっていう話 そういう話をする
住みで 教室にいてピアノを習ったり コーラスをしたり そこの先生とお茶を飲んだり
一緒に習い事をしている人と 交わりをしている
27:03
あるいは小学生とか中高生 子どもを持つお母さんは 授業三館日に学校にいて同じ
大体お母さんが住まうんですけど 花の代わりに行ったり 誰もお父さんはいなくて
お子さんだけ行って ここだけお父さんが来ている場合も たまにあるんですけどね
それで同じクラスのお母さんとおしゃべりをする
会社に行っていらっしゃる方は 会社の中で同僚と仲間といろいろ仕事をしたり
取引先の誰かに会ったり そうする
学生たちは学校で友達に会って 教図に会って あるいは学職のお母さんに会ったりする
いろんな出会いがあって いろんな人々と触れ合いがある
その中で私たちは スリーシャンとして生きるときに 私たちのこの在り方が
在り様が 私たちの様子が香りとなって 伝道になっている
今日も タイの福音書の見言葉は まさにその言葉ではないでしょうか
もう一度 タイの福音書5章の16節を 一緒に読んでみたいと思います
タイの福音書5章16節 一緒に見ましょうか
このようにあなた方の光を 人々の前で輝かせ
人々があなた方の良い行いを見て
天によられるあなた方の地を 崇めるようにしなさい
皆さんがこのような日常生活にあって そこで会う方々
おしゃべりをする誰々さん あるいはよく会っている誰々さん
そういう方々に皆さんが 温かい言葉 一言でも
挨拶でも微笑みでも 親切さ
あるいは何かその方の悩みに 耳を傾けた
例えば 授業参加を見学校に行ったところが
普段と違って あるお母さんの顔が ちょっと暗くなって
どうしたの?と聞いてみて 実はね
そういう話が始まった
耳を傾けて もう聞いてあげるだけでも
そして その次のステップが そこから始まるわけなんです
だから皆さんは そういう人々に触れ合って
そういううちに皆さんの愛の行い 良い行い
関心を持つこと 交流を持つこと 親切さ
それが伝道になっている 伝道につながっていることなんです
実は皆さんは 実は伝道していらっしゃる ということであります
30:07
私たちの普段の行い 生活の中で愛を実践すること
あるいは悩みを抱えている人々の悩みを 聞いてあげること 聞き合いになること
あるいは皆さんが何かのボランティアを していらっしゃるとしましょう
そしたらそこで 近辺に 誠実に活動すること
親切を施すこと それも実は伝道ということであります
特にこの日本という土壌は なかなかクリスタル人口が少ない
そしてキリスト教に至らない 全く知らない方が多く
ほとんどと言って囲んではないほど 多くいるこの土壌の中では
もちろん直接伝道しなければなりません
ところが このように間接的に 私たちに良い行いをして
それが伝道につながる 始まる 進むということなんです
神様は 私たちのそのような愛 あるいは親切さ
私たちの良い行いを 神様が見てくださる
そしてそれが用いられるように 不思議なその場を 状況を
チャンスを主が 設けてくださるんですよ 皆さん
例えば 皆さんがどなたかの悩みを 聞いてあげたとしましょう たまにで
その人が 心がちょっと変わって
いやあなたが言っている教会に 行ってみたいね そう 行ってみません?
それが伝道につながるわけなんです
伝道 宣教というものは とてもトーパル的なものだと思うんですね
例えば 戦争はいいものではありませんが 伝道 宣教と戦争はよく似ていると思うんですね
例えば 戦争が起きたとしましょう
そしたら最先線にいて 銃を撃って 実際に戦う兵士がいるんですね
ところが 実際に戦ってはいないんだけれども
けがしたその兵士を治療する 医療の兵士たちもいるわけなんです
また その兵士たちが戦争ができるように 食糧を作る人もいるわけなんです
あるいは 広報で運ばれてきたその人々を 治療する看護師さんもお医者さんも
その病院を管理する人もいるわけなんです
あるいは 広報で作戦を指揮する 教徒たちもいるわけなんです
でも みんなが実は 戦争をしているわけなんです
伝道は良いものでありませんが 伝道も同じではないでしょうか
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実際にトラックを持って訪問をしたり 駅に行って伝道する方もおられる
それも立派な伝道です
そして その方々が伝道できるように 自分はいけないんだけれども
裏で祈りでサポートをしている方々も 伝道しているわけなんです
あるいは そういう伝道がうまくできるように 献金を捧げてくださる方々も
伝道しているわけなんです
あるいは そういう誘われた方々が 教会に お目になったとしましょう
そしたら あたかく ああ ようこそいらっしゃいましたね
挨拶をして あたかく迎え入れる それも伝道なんです
声をかけること 挨拶をすること 握手をすること お茶でも来ませんか
そういう声をかける それすべてが 実は伝道なんです
伝道というものは 誰か特定の人だけ する活動ではありません
出て行くことも伝道です 祈ることも伝道です
献金でサポートをすることも伝道です 誘うことも伝道です
誘う段階に行く前に 親しくなることも伝道です
あるいは 新聞を発送することも伝道です
表現することも伝道です あたかく迎えることも伝道なんです
すべてが伝道なんです
だから 皆さんは 実はいろんな形で 今 伝道していらっしゃるということなんです
なんと 感謝のことなんでしょうか
時代はどんどんどんどん変わっていって 伝道しにくい 難しい時代になってきています
だから ある意味で 伝道が難しいこと うまくいかないことは
当たり前ではないんだけれども 昔よりはもっと難しくなっていることは 現実であります
そんなときに 言葉を一括 一緒にしたきたいと思います
第2コリント4章 5節と7節です
第2コリント4章 5節と7節
第2コリント4章の5節から7節までです
349ページです
私が5節 6節を読みしますので 7節はご一緒に読みたいと思います
まず 5節と6節を読みします
私たちは自分自身を述べ伝えるのではなく 主なるキリストイエスを述べ伝えます
私たち自身はイエスのために あなた方に使えるしもべなのです
36:02
光が闇の中から輝き出よと言われた神は 私たちの心を照らし
キリストの御顔にある 神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです
一緒に私たちはこの宝を 土の器の中に入れているのです
それはこの計り知れない力が 神のものであって
神から出たものではないことが 明らかにされるためです
アーメン
皆さん私たちはですね 壊れやすい割れやすい
落としたらカタンと割れやすい 土の器かもしれない
いやもう土の器なんです
足りないところもたくさん抱えている 弱い弱い土の器なんです
ところがそれは大丈夫なのです
その中に何を持っているのか
私たちは弱い土の器の中に この宝は誰でしょう
イエスキリスト
そのイエスキリストを持っているわけですから 大丈夫なんですよ
そのイエスキリストが明らかにされる メッセージを述べたいと思います
皆さん今年の2017年度には
神様が私たちにくださった賜物に従って 伝道活動に臨んでいこうではありませんか
教令に対する関心を持つことから 始めてみようではありませんか
あるいは直接に一言でも伝道することを 心を見ていこうではありませんか
伝道のために祈りで サポートしていただけないでしょうか
あるいは周りの誰々さんの悩み話に 耳を傾けてみようではありませんか
そうしていくうちに神様は 魂を送ってくださるんです
教令に対するハートを持っている人に
そういう教会に神様が安心して
この教会なら無駄に大丈夫
そして魂を送ってくださる
今年はそれぞれ賜物 持ち場 立場 経験 ハートを生かして
何とかして伝道に心を見て 励んでいこうではありませんか
お祈りいたします
38:30

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