1. 伝説の新人~20代でぶっちぎれ
  2. 第56回:『20代は好きなこと、..
2012-11-22 20:49

第56回:『20代は好きなこと、やりたいことにエネルギーを注げ』木山裕策さん

20代前半はシナリオライターへの夢を追いかけ、28歳から定職に就いた木山さん。ご自身の20代の軌跡と今の20代へのメッセージをお話いただきました。


00:02
20代でぶっちぎれ!伝説の新人ポッドキャスト
伝説の新人ポッドキャストは、様々な業界で伝説的な活躍をしているゲストをお招きし、
20代の皆さんに向けて優秀な人材と言われるレベルではなく、
圧倒的に突き抜けた人材になるためのヒントをお伝えしていく番組です。
本期の20代に火をつける伝説の新人養成プロジェクトがオープンいたします。
皆さんこんにちは。20代でぶっちぎれ!伝説の新人ポッドキャストへようこそ。
ナビゲーターの戸谷香菜です。
伝説の新人養成プロジェクト、小宮です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
本日は、これまでのゲストの方とは、がなりと方向性の違う方をお呼びしているんですけれども、
ご存知の方も多いのですが、2008年にサラリーマンとして
紅白歌合戦に出場した方で、かなり話題を呼んだ木山雄作さんをお呼びしております。
木山さんは、もともとサラリーマンということで、その時代のことですとか、
歌手になってからのお話、いろいろあると思いますので、
うかがっていこうと思います。
ということで、まずは簡単に経歴の方をご紹介させていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。
木山雄作さんは、大阪の大学を卒業後、上京。
子供の頃から歌が大好きでしたが、自分で曲を作ることができなかったため、
当初は歌を仕事にすることは断念し、シナリオライターを目指し勉強を始めました。
その後、そこで出会った奥様と結婚し、4人の子供を設けたことにより、
夢よりも家庭を優先することを決意し、株式会社リクルートに入社。
長年会社員を務め、100人のチームを率いるマネージャーに就任しますが、
2004年、36歳の時に口調性に主要があることが判明。
手術の際に声が出なくなってしまう可能性があることを宣告されました。
幸い、手術は無事に終わり、声を失うことはなかったのですが、
その時、子供たちに自分の声を残しておきたいと強く思うようになり、
カラオケで1人歌の練習を重ね、自分の歌声を録音し始めました。
2008年、日本テレビの歌スタのオーディションへの応募をきっかけにチャンスをつかみ、
代表曲となるホームでデビューし、同年、紅白歌合戦の出場を果たします。
38歳のサラリーマンが歌手としてデビューし、
紅白歌合戦に出場するという異例のサクセスストーリーは、
多くの人たちに夢と感動を与えました。
はい、ということで、本当にこういった言い方をするとちょっと失礼になるかもしれないんですが、
03:03
かなり特殊な人生を歩まれてきた方だなという。
まあ、だいぶ特殊ですよ。
そうですよね。人生経験もいろいろありかと思いますので。
楽しみですね。
ということで、本日から8日に渡りまして、
喜山裕作さんをゲストとお迎えして、
番組の方をお送りさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。
はい、それでは喜山さんどうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
本日はスタートが違うというテーマでお話ししていただこうと思うんですけども、
喜山さんは、失礼な言い方ですけども、特殊な経歴をお持ちですけども、
一般的な社会人の方が過ごされる20代の頃って、
どんな過ごし方をしてきたのかな?
20代ですか?
20代はですね、やっぱりちょっと普通の方とは違うところが、
普通は大学卒業してすぐに就職していると。
僕も就職はしたんですけど、大阪の大学を卒業して、
正社員で働いた先が塾講師だったんですね。
ただそれは、塾講師がやりたいっていうこともあったんですけど、
実はお金を貯めて東京に出ていきたいと、そういう気持ちがあって、
期間限定で1年って決めて、塾講師を正社員でやったので、
それでいくと、なかなか1年で辞めようと思っておられる
診察の方ってないですからね。
それでいくと、まずそこも違います。
それが1年お金を貯めて東京に出てきて、
当時は脚本家の勉強をしたくてですね。
昼間はアルバイトとか契約社員とかをやりながら、
夜に六本木のシナリオ教室に通っている20代だったんですよ。
なので、それで言っても東京に出てきてからも
やはり一般的な会社員の方とは違う生徒です。
昼間は一緒なんですよ。
昼間は仕事を9時から5時半くらいまで普通にやるんですけど、
その後、自分の本当にやりたい仕事、目指していた仕事の勉強をしていた
というところでは、それが28歳まで続いたので、
そういう意味でいくとやっぱりちょっと違うのかなと思いますね。
その時は歌手ではなかったんですね。
歌手ではなかったんです。
歌は大好きだったんですけど、
自分で何か作りたいという気持ちがすごくあって、
歌の場合、僕本当に歌は大好きなんですけど、
自分で作らないんですね。
ああ、なるほど。
なので、歌に関しては自分でコントロールができるかどうかが
本当に自分で分からない状態だったので、
であれば、自分で何かを書きたいというものすごい衝動があったので、
そちらでご飯を食べていけないだろうかと思ったのが、
そういった夢を追い続けたのが20代の過ごし方でしたね。
その後、リクルートに入社されるんですよね。
06:02
そうなんですよ。
で、夢を追って20代過ごしていて、
全然自分の中では納得していたんですけど、
そこで夜にシナリオ教室に通っているところで、
場所で知り合ったのが今の妻なんですね。
で、そこで色々と夢に向かって頑張ろうみたいな話をしている中で結婚して、
で、知り合ったのに結婚するまですごい早くてですね、半年ぐらいだったんですよ。
早いですね。
なんかその辺からスピードが自分の中でも加速しているんですけど、
結婚して半年後には子供が長男が生まれて、
というところで、僕の中ではその頃からあれ?
なんか自分の人生、今まで自分でうまくコントロールしてきたつもりだったんだけど、
そのくらいからあれ?なんかコントロールできなくなっているかもしれないっていう、
ちょっとその意識が芽生えたのがその頃なんですね。
ただ子供が生まれて、夢に向かって走ろうとずっと妻とも言っていたんですけど、
子供が1歳になるとやっぱりお金もかかりますし、
ミルク代もかかるし、おむつ代もかかるし、
そんな中でちょっと僕の中で出した結論が28の時に、
ちゃんとした会社員になって子供をちゃんと育てようという考えに切り替わっちゃいました。
なのでずっと持っていた夢というものが少し形を変えたというか、
夢よりも優先順位的には上に来るものが、
自分の中では自分の人生の中では思いがけと出てきたのが家族という存在だったんですよね。
なので普通なので会社員、新卒の方と比べると、
僕は28歳の時にようやく新卒の方と一緒のスタートラインに立った、
そんな人生の流れになるんでしょうかね。
その時は家族もいるので、おそらく本当に新卒の方とは意識とかも違ったのかなと思うんですけど。
そうなんですよ。なので自分の中でのお夢としては、
普通に新卒の方ができる名刺交換とか、
電話を取った時にお世話になっておりますという言葉が、
初めはなかなか言えなくて、ただ人に聞けないんですよね。
皆さん新人研修で必ずやっていることを、今さら28歳になって聞けないし。
とにかくみんながやっているのを盗んで、聞かずに、
とにかく人の身振り手振りをずっと見て盗んでというところから始めたので、
かなり出遅れていた意識があった分、とにかく早く6年間ですかね、
6年間を取り戻さなきゃという、そこはものすごい気合が入っていました。
じゃあ本当ガムシャラにやっていた。
ガムシャラにやっていた。
もう何でもやります。できないことなんで会いませんという、
そんな風に名刺でも言って入ったので、何でもやらせてくださいと、
そんな姿勢でしたね。
その当時お仕事は主にどういうことをされていたんですか。
09:02
当時はインターネットのウェブ制作ですね。
当時はHTML言語というのが、今みたいにホームページエディターがない時代なので、
自分でエディターで打って、
僕文系なんですけれども、基本的に得意ではなかったんですけど、
ただ本を何冊も読んで、あとフォトショップとかイラストレーターを全部自分で練習して、
家で何冊も市販されている本を買って、
それで家で何度も何度も自分で作ってみて、イラストを描いて、
というのをとにかく練習して、会社に行ったら、
サムはお前からできましたみたいな感じで演出しながら、
ボロが出ないように、ボロが出ないように、ものすごい緊張感がありましたね。
できないことは会社の人には内緒だったんですか。
できる前提で入ったんですよ。
本ページできますっていう。
もちろんそれまでに姉がイラストレーターだったので、
そこで仕事をさせてもらったりという、
下積みは少しやっていたんですけど、
ただ下駄を履かせて、面接では応えていたので、
その分とにかく言ったからには頑張らなきゃという、
かなり自分で自分の首を締めつつ前に進んでいました。
それバレちゃったのはいつぐらいなんですか。
バレちゃったんじゃないですか。
バレなかったんですよ。
意外とバレなかったんですね、それが。
その分泊まり込みですよ、もう。
入ってすごい忙しい会社だったんですね。
2月に入って、3月にはもう本当に週2回ぐらい会社に泊まって、
今では考えられないんですけどね、
そういうあんまり夜遅くまでやっちゃいけないとか、
そういう労働時間の基準もできちゃってるので、
当時はそういうのはあんまりなかったから、
とにかく労機に間に合わせるためにやらなきゃということで、
がむしゃらにやってたので、
幸いなことにバレなかったんです。
幸いなことにボロは出ませんでした。
今だから言うみたいな、そんな感じですけど。
大変ですよね、バレずに。
変なこと言うもんじゃないなと思って、
それからはすごく肝に銘じたことがあって、
面接ではできることをできると、できないことはできませんとやっぱり言わなきゃっていうのは、
身をもって感じましたけど、
当時はでも28歳になっちゃってたから、
やっぱり人ができることを自分ができないということはやっぱり言えなくてですね。
子供がもういたので、なんとか。
それじゃ決めなきゃいけないんですね。
そうなんですよね。
インターネット業界は半年後まで読めない状況、今もそうですけどね。
だったので、出遅れててもまだ間に合うっていう、
そういう業界だったので、
なので追いつくぞっていうそういう気持ちはとても強く持って、
毎日毎日バレないための戦いですね。
すごいですね。
本当に大変でした。
ちょっとお伺いしたいんですけども、
リクルート時代を含め20代過ごした時間って、
12:04
今の木山さんにとって役立ってるのとか、
この時間があってよかったなと思うこととかありましたか?
それで言うとですね、
その後に僕がやるべきことを結構凝縮されてた期間なのかなと思うんですね。
会社員をその後十数年、今もそうなんですけど続けてまして、
会社員をやるための土台っていうところでいくと、
20代にやっぱりその2年間っていうのは僕の中ではとても大きな位置を占めるっていうことと、
あとただ夢に向かって頑張るっていうことも、
僕30代の後半からもう一度チャレンジするので、
それでいくと僕は24から28の4年間っていうものを、
とにかく夢に向かってがむしゃらにっていう、
なので目的は違うんですね。
夢に向かって走る自分と会社員として頑張る自分っていうところが、
ちょっと夢の種類が違うので客本化っていうものと会社員ってまた違うじゃないですか。
ただそういった違う2つの目的に向かって、
とにかく走り続けたっていうのが20代なので、
自分にとってはいろんな頑張り方を自分の中でしないといけないんですけど、
その基礎となったやり方っていうのは、
20代に何か出来上がっているのかなっていう気は今でもしますね。
急に38になって歌を歌おうって思わないですからね。
普通の会社員やってると。
なのでそれでいくと夢っていう大きな気持ちを持って、
東京に出てきたっていう気持ちがあって、
ただその後家族ができて優先順位が変わってっていう、
そういう流れの中で最終的にやっぱり歌にっていう話になったので、
それでいくと20代は何でしょうかね、
本当に僕の中の基本っていうものが2つ、
かくとして今も持ち続けているかくっていうものが、
何か何で育っていった時期なのかななんて、
今となっては思いませんね。
やっぱり人生の中でここぞという時に集中して能力を出し切ることって大事。
20代でしか出来ないことっていっぱいありますよね。
今20代と同じことをやれって言われるとやっぱり厳しいから、
その基礎があるから何とか今は走ってられるけど、
頑張り方が変わってきますからね、30代40代ってなると。
なので20代は僕にとっては重要な時期だったのかなって思いますね。
体力的にもね、あと情熱も。
ものすごい情熱ですね。
情熱は持ってましたね、やっぱり。
大学卒業して親にもちゃんと就職せずに僕来てますから、
それを親にも自分は東京に行ってこうやるんだからみたいな話をしないといけないですし、
理解はしてくれなかったですよね。
そういう意味でもものすごい情熱は持っているのが20代だと思うので、
今の若い方もだから、
よくニュースとかで浅めている方が多いと言いますけど、
やっぱり20代は体的に人間の一番エネルギーが発散される時だから、
15:06
絶対みんな燃えているはずですよって思いますよ。
燃えるものが見つけられない人とかって。
話にね、聞くんですけど、
それは何だろうな、頑張るというか、
ちょっと恥ずかしいとかって思っている人なのかもしれないなと思いますけど、
僕の時代だと森田健作さんがちょっと恥ずかしいみたいな、
何でしょうかね、頑張りすぎている姿ってちょっと恥ずかしいみたいな風に映って、
ちょっと冷めている方がかっこよく映るみたいなね。
かっこつけた。
もしかしたらあるのかもしれないけど、
本当は突き詰めると、
何だろう、だって何もしないで週末、
好きなものもなくて、
次の1週間頑張ろうって、
なかなか思いづらい。
あと10年、20年、
もう10年生きていくって考えると、
どうやってこの時間を過ごそうかっていう過ごし方は、
やっぱり20代はあんまり多分できないんじゃないかと思って。
やりたいこととか、
やりたいことじゃなくてもいいけど好きなものとか、
そういうものに、
だって1人で足を踏み出して、
家族とか養わないといけない子供とかもいないわけだから、
そういう意味で本当に拘束するものがない中で、
何でもできる時代ってそんなにないですよね。
その中で、
多分、分かんないですけど、
どうなのかな、頑張ろうって、
僕自分の子供が上が高校2年生になってきたんですけど、
やっぱり映画が好きだったり、
バンドが好きだったりで、
やっぱり、
自分の子供が上が高校2年生になってきたんですけど、
やっぱり、
映画が好きだったり、
バンドが好きだったりで、
バンドが好きだったりで、
打ち込むんですね。
中学2年生の時なんですが、
バスケにすごく打ち込んでて、
ものすごいエネルギーを感じるんですよ。
僕とは全然違うものなんですけど、
そう考えると、
10代でそれがあって、
20代で急になくなるってことはないと思うから、
持つべきだと思うし、
持ってほしいなと思いますね。
そうですね、はい。
ということで皆さんも、
じゃんじゃんエネルギーを発してもらいたいですね。
持ってると思います。
ということで、
本日はスタートが違うというお話でした。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
はい、ということで、
清松は本当に20代の頃に、
もともとはシナリオライターになりたくて、
上級をしてきたっていうお話だったんですけども、
その時からご結婚されて、
お子さんが生まれて、
リクルートに入ってっていう経緯がある中で、
夢を追いかけるにしても、
会社員として働いていたりしても、
きっと全力でやられてたのかなっていう印象を受けて、
やっぱり20代で、
つぱしっていけるうちに、
つぱしていったほうがいいっていう話もあったんですけど、
やっぱり清山さんの今の、
歌を表現するっていう上でも、
基礎になっているのかなっていう印象はありましたね。
うん、そうですね。
なんかこう、生き方が自由でいいですよね。
そうですね。
うん、なんかこう別に、
学校出たから何しなきゃとか、
18:01
っていうよりは、
その場その場に、
出てきたものに対して、
全力で対応していく中で、
ちゃんとその場その場で、
きちんと実績を残してきているっていうね。
そうですね。
うん、なんかこう、
キャリアプランの作り方って、
絵でして、
最初の段階でどこになりたくて、
そこに向けてどうやって進んでいくかとか、
だいたいそういう人が多いじゃないですか。
はい、そうですね。
その意味では、
清山さんのって、
キャリアプランだったり、
ふうな感は感じるんですけど、
それはそれで、
面白い生き方は。
そう、そこで出会いとか、
そのきっかけによって、
いろんなものが変化しながら、
でもきちんと前に進んでいるっていう、
一つのキャリアプランの形として、
なんか聞いてて清々しいですけどね。
うん、でもやっぱり今おっしゃった、
その場その場でっていうのも、
その時に出会ったものを、
真剣に当てたんだろうし、
それに真剣に取り組むっていうことが、
どんどん次につながっていたのかな、
という感じがしますよね。
そうですね。
そういう意味では、
今回のデモのスタートっていう意味で言ったら、
その時その時のスタートの、
やっぱりダッシュの仕方は、
お伺いしててもすごいなと思いますけどね。
そうですね。
ということで、
今回はスタートダッシュについて、
語っていただいたんですけども、
次回以降については、
歌手になったいきさつとか、
歌手になった。
ありがとうございました。
本日のトークはいかがでしたでしょうか。
伝説の新人養成プロジェクトのホームページ、
およびフェイスブックページでは、
新人時代を誰よりも早く駆け抜けるための、
ヒントや講座情報など、
日々更新していますので、
ぜひ一度ご覧ください。
検索キーワードは、
伝説の新人です。
また、就営者より出版されている、
伝説の新人20代でチャンスをつかみ、
突き抜ける人の10の違いでは、
20代のうちから身につけておくべき習慣について、
わかりやすく解説しています。
ぜひ皆さんも、
突き抜けるための思考や行動習慣を、
新人時代の今にこそ、
自分のものにしていってください。
この番組は、
伝説の新人養成プロジェクトの提供でお送りしました。
20:49

コメント

スクロール