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2012-11-26 19:50

第57回:『かすかなチャンスでも何かが起きるかもしれないと思えるかどうか』木山裕策さん

喉の手術を経て、もう一度歌手になると決意した木山さん。とにかく人前で歌う機会を見つけ、チャンスをうかがっていたそうです。


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20代でぶっちぎれ!伝説の新人ポッドキャスト
伝説の新人ポッドキャストは、さまざまな業界で伝説的な活躍をしているゲストをお招きし、
20代の皆さんに向けて優秀な人材と言われるレベルではなく、
圧倒的に突き抜けた人材になるためのヒントをお伝えしていく番組です。
本期の20代に火をつける伝説の新人養成プロジェクトがお送りいたします。
皆さんこんにちは。20代でぶっちぎれ!伝説の新人ポッドキャストへようこそ。
ナビゲーターの音谷香菜です。
伝説の新人養成プロジェクトの小宮です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
本日は前回に引き続き、歌手の木山裕策さんをゲストとしてお迎えしております。
前回はスタートダッシュについてお話しいただいたんですけれども、
本日はチャンスのつかみ方について、木山さんはかなり大きなビッグチャンスを
掴まれたわけですけれども、その背景についていろいろお伺いしていきたいなと思いますので、よろしくお願いします。
お願いします。
それでは木山さん、本日もどうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回はチャンスの引き寄せ方が違うというテーマでお話ししていただこうと思うんですけれども、
木山さんは歌手として歌スターに出演されて、そこでビッグチャンスを得て
紅白に出演するという経緯があるんですけれども、
そのチャンスをつかむのはおそらく誰でもできたわけではないと思うんですが。
難しいですよね、チャンスをつかむというのは。
それでいくと、つかめるチャンスとつかめないチャンスというものがあると思っていて、
今おっしゃっていただいたところ、紅白に関しては正直、自分でつかめるものでは正直ないんですね。
なので、運というものはもちろんあるんですよね。
ただ、僕の場合は歌を歌おうと思った後に、
どうやったらそれが自分の声を何かしら形に残せるかという目標を決めて、
それを実現するかみたいなところの過程については、
少しやり方によってある程度設定できるものなのかなと思っています。
例えば、僕の場合は38歳まで普通に会社員をやっていて、
そこで急にオーディション番組に出ようと思っちゃったんですけど、
普通はなかなか思わないですよね。
僕も絶対思わなくて、普通だと。
28歳で普通の会社員になった後、ずっと会社員として頑張るんだということで制作を覚えて、
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あとは途中から管理職になって、
マネジメントの難しさと楽しさを学んでという中の30代だったので、
そのまま行くときと会社員としてどうやって生きていくか、
子供も4人おりましたから、そういう風に進んでいくと思うんですけど、
僕の場合はちょっと違ったのが病気になったことなんですよね。
36歳の時の会社の人間ドックで甲状腺に腫瘍が見つかってしまって、
そこで喉の器官なので手術をしたんですけど、
医者から手術の前の晩に声が出なくなるかもしれないということを言われたんですね。
言われて僕は初めて会社員として頑張っていた自分はもちろん否定するつもりはないんだけれども、
何かもうちょっと頑張らないといけないことがあったんじゃないのかという考えに急に迫られて、
そこからやっぱりもう一回チャレンジしようと思ったのが歌だったんですね。
声が出なくなるかもしれないってまさか一生言われるなんて思う、
本当に未人も思ったことがなくて、そんな中でちょっと言われてしまって、
しかも悪性の腫瘍って言われたらあと何年生きれるんだろうって自分のタイマーみたいなものが起動してしまって、
あと何年生きれるんだっていうことを自分に考えた時に、
子どもたちにやっぱり何か残したい、生きてきた証を残したいって思ったのが僕の中で歌だったんです。
なので普通の人生で考えると、38歳の時にもう一回歌にチャレンジなんていうことはまずないと思うんですけど、
僕の中ではそういった病気になった経験をもとにもう一回頑張ろうと思って、
そこからが本当に難しいんですよ、チャンスがないんです。
38歳だから、38歳の子持ちのおっさんなんてそんなオーディションなんかないんですよ。
ほとんどがオーディション番組っていうと、10代、20歳までの若くて可愛い女の子っていうオーディション番組しかないんですよね。
なので僕の場合は何をしたかというと、とにかく出れるものは全部出ようと思って、
もとから人前に出ることが苦手なタイプだったんですけど、
例えば子供がピアノを習ってたので、子供のピアノの発表会があるといえば横で歌わせてくださいと。
長男がエーデル・ワイスとかを弾いてくれるんですが、一緒に歌おうかということで無理矢理出て行って、
子供の発表会で歌って、でもどんな人が見に来てるかわからないから、何かしらそこで繋がるかもしれない。
結果的には繋がりませんでしたけど、そういうこともありました。
ちょっと変な人でしょ?
変な人ですよ!
お父さんって繋がるんじゃない?
そうですよね。
そんなイメージでいいんですよね。
そんなイメージですよね。
でも多分そのくらいしない人でもないんですか?
38歳で人前で歌う機会ってなかなかなくて、
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例えば次にやったのは、とにかく人目のつくところで歌わないと広まらない、何にもならないと思って、
僕の住んでいる町の夏祭り、結構派手にやるんですよ。
団地がいっぱいあるので、そこである夏祭りにカラオケ大会があって、
そこでいろんな人が歌いに来るんですけど、のど自慢ですよね。
その時も出ようかということで、恥ずかしいんですけど浴衣着て出ました。
賞金目当てではあったんですけど、お米が10キロくらいもらえたんですよ。
子供がすっごい食べるから、男4人だから。
なので、お米も欲しいし出ようって言ったら、縁下のおばちゃんに負けちゃって2位だったんですよ。
そういうこともいろいろとにかく、38歳で子供がいて会社にやってるっていうと、
もうね、チャンスはないんですけど、ないんですけど、ないと思わずに、
自分からちょっとでもいろんな人の前で歌ったら何かそこから広がるかもしれないという、
かすかな望みをいくつかですね、そういう藁をもすがる気持ちでチャレンジしていた時期だったんですね。
そんな中で、自分の歌をとにかく残さなきゃっていうことでカラオケボックスに一人で行き、
今みたいに一人カラオケで全然トレンドでもなくて、そこでもまた変なことが。
すいません、一人で2時間お願いしますっていうカラオケボックスに行くときは初めは恥ずかしくて、
本当になかなか言いづらかったんですけど、ただ自分の声をCDに残すと、
1時間練習して1時間録音するということをやり始めました。
その中で5枚か6枚くらい、もう自分の中ではアルバムと呼んでるんですけど、
自分の好きな曲のアルバムが出来上がった頃に、
当時はビッグエコーですね、大地工場さんのダムという仕組みの中で、
自分の声を録音してそのままカラオケボックスからエントリーできるっていうのが
歌舌という番組につながっていまして、歌舌のすごいところは年齢不満なんですね。
そういう人のキャリアもいりません。誰でもOKっていうところだったので、
その時も自分が通るなんていう気持ちはなかったんですけど、
でもやっぱりチャンスがここにあるんだったら、1%でもあるんだったら、
これはちょっとやるしかないんじゃないかと。ただ恥ずかしいんですよね。
恥ずかしいんですけど、悩んで悩んでエントリーボタンを3回目くらいに
悩んだ上で押してっていうところから歌舌っていうもののチャレンジが始まりましたね。
なので、なかなか歌舌に関してもそんな簡単にいったわけではないので、
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その後もずっといろんな綱渡り綱渡りで一度ダメになったりとかっていう、
簡単にデビューができたわけではないんですが、
ただチャンスのつかめ方としては、とにかく諦めずに、
これはきっとダメだよなって思わずに、ダメだよなって思う前に、
でも年齢不問って書いてるよねっていう、0.1%でもあればやってみるっていう気持ちは、
自分の中ではすごく重要なのかなって。
やっぱり歌には自信があったんですか?
自信ですか?自信はですね、難しいですね。
ちょっとカラオケが上手いぐらいのところっているじゃないですか。
多分そこまでしないなと思って。
そうですよね。それでいくと、自信はある程度あったんですよ。
ただ、人がどう評価するかっていうのが分からないんですよね。
ただ、あの会社のリクルートに入った時に、課長になるとですね、
いろんなキックオフで前で出し物でいろんなところで歌ばされるんですよ。
半年に1回。で、そこで僕よくやらされたのが平井健のモノマネを務めたんですよ。
声質似てますもんね。
スキンヘッドなんですけど、普段はアフロをかぶらされて、
ツナギを着せられて、ポップスターを歌う。
しかもこのリニューアルをやるんですけど、
この業務をどんだけ大変だったんだっていう、上司に向かっての恨み節みたいな。
よく言わないですかね。
どんだけ大変だったと思ってるんだ、このリニューアルみたいな。
それをリニューアルが終わった1週間後ぐらいにみんなでやるみたいな。
そういうのでやってて、結構受けが良かったんですよ。
なのでそういうのでちょっと調子に乗ってたっていう気持ちも多少あったんですけど、
意外といけるかもみたいな。
勢いはいりますからね。
チャレンジする時には、自分が100できるんだったら150できるぐらいの気持ちでいっとかないと
パワーがいるので、そこでもあんまりなので控えめな気持ちっていうのはちょっと抑えて、
ダメ元でやってみようかっていうそんな気持ちは。
たださっきも言ったんですけど、本当に引っ込みじゃんで、
なんで人前で歌ってるのって今よく言われるんですけど、
本当に人前で話すことが苦手だったんですよ。
ただあの会社にいた間にそういうことは苦手は長所にしろということをものすごく言われた上で、
人の前で歌わされるというそういう場をもらったので、
なのでそういうと自分の中で苦手意識を持っていることでも、
頑張れば長所になるのかもっていうことは思えた経験を得た会社だったので、
それってすごく貴重な経験なんじゃないかって。
普通そんなことさせられないんですよね。
人前で替え歌みたいな。
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病気になったのが36で、実は手術の後1年ほどうまく歌えなかったんですね。
なので、前歌いてた、要は喉を切っちゃってるので、
例えばビブラートって言って声を震わすっていうのをよくやるんですけど、
それが得意だったんですけど全くできなくなっちゃったので、
1年間はとにかく自分の中で練習をする期間にあてて、
その後1年ほどいろんなところで歌ってみたいな感じだったので、
足掛け2年くらいですかね。
2年くらい。36であって38のチャレンジまで2年ほど。
結構長い期間ですね。
なんかその間に心が折れそうになった。
なるんですよ。
それはどう克服していったんですか。
僕の場合はそんな精神力が強くないので、
このまま元の生活に戻ればいいじゃないかっていう保守的な悪魔の囁きが毎日毎日来るんですよ。
だから僕の場合は病気になっちゃったでしょ。
病気になった時に甲状腺を1個取っちゃったんですよ。
ただ1個残ってるんですね。
左側のは取っちゃったんですけど、右側が残っているのでよく夢を見るんですよ。
夢の中でまた宣言されてるんですね。
右の甲状腺にも腫瘍ができました。
取りますよ。
手術しますよって夢の中で見るんですよ。
その時に僕が思うのは、なんで歌っとかなかったんだって。
チャンスがあったわけでしょ。
36の時に1個取って声が出たんですよ。
出たんですけど、そこで歌わなかったっていう夢なんですね。
手術の結果はまだ分からないですけど、いつも告知される夢を見るんですよ。
その時に朝起きて、うわーどうしようって。
なんで歌っとかなかったんだって絶対思うよね。
今やっとかないと、絶対に次にそうなった時に絶対後悔するでしょっていうところが
とても自分に対しての脅迫観念みたいなものになっていて、
やっぱりやすきに流れがちだから会社も忙しいし、子供も4人いるから
元の生活に戻ろうっていう気持ちはとてもあるんですけど、
ただ、今のままでいいのかっていう問いに関しては、
いや、ダメだよねっていうものが常につきまとって、
なのでそういう気持ちに後押しされて、やっぱりやろうって。
最後の歌スタの応募ボタンを押したのも、
歌えなくなるかもよって自分でやっぱり自分自身に言い聞かせて、
だったら、やっとくしかないんじゃないのって。
ダメかもしれないけど、後悔するっていうのが一番嫌だから、
それはちょっともうこの間後悔したでしょって。
手術の前の晩に本当に後悔したんですよ。
なんで歌っておかなかったのかって。
今まで何十年も歌わないからって。
マジで8年間歌われてて、なんでもっと歌っておかなかったのかって。
会社で歌ったのにね。
そう、会社で歌って、会歌だけでお前はいいのかって。
会歌だけで、マジでお前はいいのかって。
会歌だけで、マジでお前はいいのかって。
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っていう気持ちがすごく後押しをしてくれた。
だから、すごい強い意志というよりは、
何かそういうちょっと怖い、もう一回後悔したくないっていう意識の方が、
僕の場合は強かったかもしれないですね。
だからこそ、ちょっと恥ずかしいことでも少しの希望があるのなら、
挑戦してみようっていう気持ちが生まれたんでしょうね。
人それぞれだと思うんですけど、
強い意志を持ってやるっていうところももちろんあれだし、
意志は絶対いるんですけど、
ただ自分をどう持っていくかですよね。
自分の持っていき方みたいなものを、
30代くらいになると何となく分かってくるので、
正面からいくんじゃなくて、
自分の場合はちょっとそういった、
後ろから後ろから押されながら、
しかも自分で自分を間接的に押してやろうみたいな、
そんな感じでいくパターンもあるかなと思うんですけど、
僕はそのパターンでしたね。
本当に壮絶なお話でしたけど、
ありがとうございました、今回も。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
非正観って言葉があって、
死に直面するとか、
自分の何かの寿命みたいなのを感じたときに、
すごく人って、それが原動力でエネルギーになって、
活躍されてる方とか成功されてる方って多いんですよね。
キャラさんの場合、死んじゃうわけじゃないけど、
声が出なくなるみたいな、
ほとんど自分が歌が好きだとか、
その道でやってみたいみたいなのが、
自分の残り時間が計算されて、
今やらないと後で絶対後悔するみたいなね、
そういうスイッチが入ったんだと思うんですよね。
そうでしょうね。
なのでやっぱりそこに向けて動くのがすごいなと思うのと、
ちょっと説明書書かないとわからないかもしれないですけど、
木山さん言ってましたけど、
リクルートって課長になると歌を歌わなきゃいけないみたいな話がありましたけど、
そういう意味で、そういうのを披露する場というか、
達成すると達成会で誰かが歌うだろうとか、
催し物するみたいな、
多い会社なので、
歌を目指すということが何となく知れ渡っても、
許されやすいというか、
いろんな言い方を応援してくれる人が前にいたっていうのは、
もしかしたらラッキーかもしれないですけどね。
そうですね。
そういう風に巻き込んでいったんでしょうね、きっとね。
そうでしょうね。
おそらく病気になられたのが36歳ですけども、
その後からいろいろリハビリをしていく中で、
応援してくれる方もたくさんいらっしゃったんだろうなと、
お話を聞いていて、
なかなかそうは言っても、
38歳で歌手になろうというのは思えないよなって思ったんですけどね。
普通に誰かに言ったらバカじゃないって言われるじゃないですか。
そうですよね。
まず100人握ったら99人はバカじゃないだし、
多分親御さんも止めるかもしれないし。
別の場で親にはすごく反対されたというか。
普通するよね。
そうですよね。
その中で、それがチャンスに見えたり諦めなくて、
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どうにかなれるように動いた?
うん。
っていう時に、ここからオッケーボックスから
エントリーできるみたいな仕組みがたまたま見つかってみたいなね。
そうですね。
やっぱりその瞬間でそれが掴めるか掴めないか、
チャンスっていっぱい転がってるでしょ。
はい。
そんな特殊なものじゃないですよ。
いっぱい転がってるけど、
自分の引き寄せるような状況ができてないと
一つも見えないっていうね。
うんうん。
そんなことが勉強になりましたね。
そうですね。非常に勉強になるお話でした。
この番組は、伝説の新人養成プロジェクトの提供でお送りしました。
ご視聴ありがとうございました。
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