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おはようございます。コウブンです。
栃木県の片田川にある蓮城院というお寺で副住職をしております。
本日はお悩み相談会をお送りしたいと思います。
このお悩み相談会というのは、
蓮の葉というお坊さんが答えるお悩み相談のウェブサイト、
そちらに寄せられたお悩み相談を私、コウブンが答える、といったものでございます。
はい、ではですね、早速お悩み相談の方に行きたいと思います。
30代女性の方より、タイトルが
長生きをしている動植物は幸せなのか?
では本文の方ですが、
ダイビングが好きで、きれいなサンゴショウを見て癒されました。
しかしサンゴショウは動物であり、苦しむこともあるとのこと、
数千年も生きることがあることを知り、なんだか可哀想だと思ってしまいました。
自由に動き回れる動物ならまだ良いのですが、
温暖化や海水汚染などの苦しみがあってもその場から動けないサンゴショウ、
数千年も生きていて退屈ではないのかな、という疑問と、
私だったら数千年もじっとその場に生きるのは苦しいから、
早く別の生き物に生まれ変わりたいと思ってしまいました。
近々ダイビングを予定していてとても楽しみにしていました。
ですが可哀想と思いながらするのも違う気がして、
自分一人で考えていると変な方向に考えすぎてしまうので、
お話をお伺いしたいです。
日頃からいろんな動物や植物に対し、勝手に可哀想なんて思ってしまい、
落ち込むことがあります。
野菜を冷凍保存したら苦しい時間を長引かせてしまっていないかな、
など、こんなこと周囲の人に言っても変に見られると思うのでなかなか言えません。
よろしくお願いしますといったお悩み相談でございます。
動物あるいは植物に対して可哀想という気持ちを持つことというのは、
慈悲の心というものを人間以外にも広げられるという、
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すごく慈悲心の強い心の持ち主の方なのかなと素直に思いました。
サンゴショウを見て、サンゴショウって動物なんですね。
私は知りませんでしたけど、動かない動物ということなのかな。
よくは分かりませんが、動物であると。
苦しむこともあるというふうに言っております。
動かない、動けないのが可哀想とか、
温暖化や海水汚染などで苦しみがあっても動けない。
あとは数千年生きても退屈ではないかというところね。
そこで可哀想だなと思ってしまったというところなんですけども。
まず最初に私が思ったのは、この可哀想という考え方。
これは人間の尺度での考え方なのかなというのが最初に思いました。
確かに温暖化、環境の変化とか、海水汚染もそうですよね。
環境の汚染があったのにも関わらず逃げ回れないと。
それは可哀想であるというふうに思う。
という部分は確かにその通りだなと思います。
産後症が素早く動けないからこそ、
もし温暖化とか海水汚染の原因が人間だとするのであれば、
とても可哀想なことであるというふうに感じるのは自然のことだと思いますし、
できることなら、保護の活動に人間も携わって産後症を守るという活動をしてもいいんじゃないかなというふうには思うんですけども。
そこの部分は可哀想だなと思うのはよくわかりますし、
そういう気持ちを持つというのはとてもいいことだと思います。
ただもう一つの部分ですね、数千年も生きていて退屈ではないかなという部分が、
人間の尺度で考えているのかなというふうに私は思いました。
産後症にとっては数千年も生きるというのが普通のことなのかな?
よくわかりませんけども、もしそうだとすれば、
それ自体は生物としてそういう能力と言ったらいいんでしょうかね。
そういう宿命なのかな、なんだろうな。
生物としてそういうふうに存在しているわけですから、
可哀想ではないですよね。
そういう生き物があるということですから。
もうちょっと詳しく言うと、産後症として生物として進化してきた過程で、
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数千年生きるという能力を獲得したという、
そういう能力であるということですよね。
それは人間の尺度とは全く別の能力というところでございますので、
可哀想には該当しないのかなというふうに思います。
ただし、人間が環境汚染だったりとか温暖化を引き起こすということで、
急激に環境が変わってしまって、
その産後症自体が環境に対応するというのが追いつかない間に、
衰えてしまう、死滅してしまうという状況があるのであれば、
それはとても可哀想だなというふうに思います。
今回、ダイビングを楽しみにしているということに対して、
温暖化とか海水汚染によって産後症が部分的にでもダメになってきているというところが感じたのであれば、
ダイビングをしているときに、
ダイビングをしながらもそういうところがあるというところをしっかりと認識していただいて、
保護活動等があるのであれば、そこに何かしらの形で協力すればいいんじゃないかなというふうに思います。
事実を事実のままに受け止めるというふうにしていただくのが大事かなと思います。
数千年も生きてきて退屈じゃないのかなというところに関しては、
人間としてのおごりの考え方であるというところで捉えていただいて、
そういう考え方は人間側の一方的な思いなんだというふうに、
ちょっと考え直していただくのが一番いいのかなというふうに思います。
そのようにしながらも、
ダイビングということ自体は、もちろんダイビングを案内してくれるガイドの方なのかな、
インストラクターというのかな、そういう方がきっときれいなところも案内してくれますので、
悲惨なところ以外にもきれいなところというのも見れますので、
そのきれいなところの産後症というのをしっかりと楽しんでいけばいいんじゃないかなというふうに思います。
もしもその過程で産後症としてちょっと死滅しているというような部分を見つけたのであれば、
それはどうしてそうなっているんですかというのをしっかりとインストラクターさんとかに聞いたりして、
自分もそういったものを保護活動するのにどういうふうに力が役立てますかというのを聞いたりすれば、
一方的に自分がかわいそうと思うだけじゃなくて、具体的に行動が起こせるわけですから、
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そういった形でダイビングというものが有意義なものに変わってくるのかなというふうに思います。
そのような形でダイビングを楽しんでいただければと思います。
あとは、野菜を冷凍保存したら苦しい時間を長引かせてしまっていないかなという考え。
これは本当にすごく優しい心の持ち主なのかなと思いました。
野菜を冷凍保存するということは、食べる前提ですよね。
めでる対象じゃなくて、自分のエネルギーとしていただくというところのものが、
冷凍保存したら、いわば生きている状態で、まだ命がある状態で凍結してしまう。
それがとても苦しいんじゃないかというふうに思ってしまうというところですよね。
確かに、もしかしたら苦しいのかもしれませんけれども、
ただ、私たちができることは命をいただくわけですから、その命に対して感謝をするというところ。
また、野菜を作ってくれた農家さんであったり、
それを運んでくれた方であったり、店の方であったり、
その様々な人々の手がかかっているということに対して感謝をしたりとか、
その食べ物をいただくにあたって、自分はきちんとそれに足るふさわしい行いをしているのかなとか、
そういった自分の自己反省というものに気持ちを切り替えていただいた方がよろしいかなと思います。
確かに、もしかしたら苦しいかもしれませんけれども、最終的には自分たちがいただくわけですから、
その命を自分の人生に生かすという方向に気持ちを転換するというのが大事かなと思います。
こんなところでしょうかね。
もしよければ、総統集の場合は五感の下という言葉で食べ物をいただく前にお唱えするものがあるんですけれども、
過去の放送でそういったこともご紹介しております。
そういった五感の下というものを学んで、食べ物をいただくにあたって、
どういう心構えをするのが良いのかということを学ぶと、
またそういった植物に対して、かわいそうだけではなくて感謝という気持ちも持てるかなと思いますので、
そういったものを学ぶということもお勧めいたします。
はい、今日のお話はこんなところで終わりたいと思います。
今日のお話を聞いてご意見、ご感想等などあれば、どうぞコメント欄の方へよろしくお願いいたします。
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また、人生相談、あるいはお悩み相談などあれば、私の方まで直接メッセージをいただければ、
この放送を通じてお答えすることもできますので、どうぞご検討ください。
はい、では蓮城院副住職の幸文でした。ではでは、またね。