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2024-04-24 09:27

Bさんの「ぶたさん文庫」"待つ"太宰治 #179

179回目のキコアベは…Bさんの登場!

■待つ あらすじ
主人公は毎日、買い物帰りに駅に立ち寄り、冷たいベンチで自分でも誰ともわからぬ人を待つ。
そして様々な空想を巡らす。
その運命の人が現れたら命を差し上げたいとまで思い詰めている。
日本が大戦争に突入し、家に黙って座っていられない不安で落ち着かない心境から、空想に逃げ込み運命の人にすがりたいのだろうか。 ≪読書メーターより引用≫


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サマリー

たくさんの人が電車の戸口から吐き出され、ドヤドヤ改札口にやってきて、一様に怒っているような顔をして、パスを出したり、切符を手渡したりしています。彼/彼女はぼんやり座って、誰かを待っています。

人々の到着と怒り
待つ 太宰治
たくさんの人が電車の戸口から吐き出され、
ドヤドヤ改札口にやってきて、
一様に怒っているような顔をして、
パスを出したり、切符を手渡したり、
それから、そそくさと脇目も振らず歩いて、
私の座っているベンチの前を通り、
駅前の広場に出て、
そうして思い思いの方向に散って行く。
私はぼんやり座っています。
誰か一人、笑って私に声をかける。
おお、怖い。ああ、困る。胸がドキドキする。
考えただけでも背中に冷水をかけられたように、
ゾッとして息が詰まる。
けれども私はやっぱり誰かを待っているのです。
いったい私は毎日ここに座って、
誰を待っているのでしょう。
私は何をしているのだろう。
毎日ここに座って、誰を待っているのでしょう。
どんな人を。
いいえ、私の待っているものは人間でないかもしれない。
私は人間を嫌いです。
いいえ、怖いのです。
人と顔を合わせて、
おかわりありませんか、寒くなりました、
などと言いたくもない挨拶をいい加減に言っていると、
なんだか自分ほどの嘘つきが世界中にいないような苦しい気持ちになって、
死にたくなります。
そうしてまた相手の人も、
無闇に私を警戒して当たらず触らずのお世辞やら、
もったいぶった嘘の感想などを述べて、
私はそれを聞いて、相手の人のけちな用心深さが悲しく、
いよいよ世の中が嫌で嫌でたまらなくなります。
世の中の人というものはお互い怖ばった挨拶をして、
用心して、そうしてお互いにつかれて、
一生を送るものなのでしょうか。
私は人に会うのが嫌なのです。
だから私はよほどのことでもない限り、
私の方からお友達のところへ遊びに行くことなどはいたしませんでした。
家にいて母と二人きりで黙って縫い物をしていると一番楽な気持ちでした。
けれどもいよいよ大戦争が始まって、
周囲がひどく緊張してまいりましてからは、
私だけが家で毎日ぼんやりしているのが大変悪いことのような気がしてきて、
なんだか不安でちっとも落ち着かなくなりました。
身をこにして働いて直接にお役に立ちたい気持ちなのです。
私は私の今までの生活に自信を失ってしまったのです。
家に黙って座っていられない思いで、
けれども外に出てみたところで私には行くところがどこにもありません。
買い物をしてその帰りには駅に立ち寄って、
ぼんやり駅の冷たいベンチに腰掛けているのです。
どなたかひょいと現れたらという期待と、
でも現れたときには仕方がない。
その人に私の命をさしあげよう。
私の運がそのとき決まってしまうのだというような諦めに似た覚悟と、
その他、さまざまなけしからぬ空想などが異様に絡みつくのです。
胸がいっぱいになり窒息するほど苦しくなります。
生きているのか死んでいるのかわからぬような、
白昼の夢を見ているような、なんだか頼りない気持ちになって、
駅前の人の往来のありさまも、ぼんやり駅の冷たいベンチに立ち寄って、
駅前の人の往来のありさまも、望遠鏡を逆さに覗いたみたいに、
小さく遠く思われて、世界が死んとなってしまうのです。
私は一体何を待っているのでしょう。
ひょっとしたら私は大変みだらな女なのかもしれない。
大戦争が始まってなんだか不安で、身をこにして働いてお役に立ちたいというのは嘘で、
本当はそんな立派そうな口実を設けて自身の軽はずみな空想を実現しようと、
何かしら良い機会を狙っているのかもしれない。
ここにこうして座ってぼんやりした顔をしているけれども、
胸の中ではフラチな計画がチロチロ燃えているような気もする。
一体私は誰を待っているのだろう。
はっきりした形のものは何もない。ただ、もやもやしている。けれども、私は待っている。
大戦争が始まってからは毎日毎日、
お買い物の帰りには駅に立ち寄り、この冷たいベンチに腰をかけて待っている。
誰か一人笑って私に声をかける。
おお、怖い。ああ、困る。私の待っているのはあなたでない。
それでは一体私は誰を待っているのだろう。
旦那様、違う。恋人?違います。
お友達?嫌だ。お金?まさか。
亡霊?ああ、嫌だ。
もっと和やかな、ぱっと明るい、素晴らしいもの。
なんだかわからない。
例えば、春のようなもの?
いや、違う。
青葉?五月。
麦畑を流れる清水?やっぱり違う。
ああ、けれども私は待っているのです。胸を躍らせて待っているのだ。
目の前をぞろぞろ人が通っていく。あれでもない、これでもない。
私は買い物かごを抱えて、細かく震えながら一瞬に一瞬に待っているのだ。
私を忘れないでくださいませ。
毎日毎日駅へお迎えに行っては、
虚しく家へ帰ってくる二十歳の娘を笑わずに、どうか覚えておいてくださいませ。
その小さい駅の名は、わざとお教え申しません。
お教えせずとも、あなたはいつか私を見かける。
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