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2020-11-19 07:27

ラジオドラマ『抱っこ紐外しのこと』#12「犯人との対峙」

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「抱っこ紐外しの犯人と複雑な感情になっていく駅員の会話」 


あらすじ 

駅員はホームで抱っこ紐外しの犯人に遭遇する。逃走した男を追い詰め、警察が来るまでの間に男の動機を探り始めるが…。 


自主制作のラジオドラマシリーズ『私的エクレアイズム』です。 

会話劇の形式で不定期に新作を公開しています。

楽しんで頂けたら幸いです。 


『抱っこ紐外しのこと』 

出演 関 英雄(男役)/安達 悟(駅員役) 

脚本・制作 村佐木 楓午


 (c) 2020 村佐木楓午 

00:00
ラジオドラマ 抱っこ紐外しのこと
乗客たちが一斉に車両から降りてくる。
最初はこの人たち全員に向かう場所があることが不思議で、
それぞれの軌跡をぼんやりと考えることもあったが、
駅員を始めて2年にもなると、特に何も感じなくなった。
電車を見送り、一息つくと視界に違和感が入り込んだ。
細い紐を手繰り寄せるように目を凝らすと、
スーツ姿の男が赤ん坊を抱っこした女性の背後にぴったりとついて歩いていた。
なぜか、僕はそれが何かを理解する前に歩き始めていた。
動機が乱れ、異様のない不安が高まっていく。
すみません。
そう僕が声をかけた瞬間、まさに男の手が女性の抱っこ紐を捉えていた。
危ない!
男と女性が振り返る。
女性は男の手に気づいて、落ちかけた赤ん坊をすんで手抱き止めた。
あっ、待ちなさい!あなたはその場を離れないでください。
すぐに別の駅員を起こしますから。
僕は女子に連絡を入れながら、駅構内を駆けていく男を追った。
行き止まりです。観念してください。
ああ、おい、それ以上近づくなって。
身柄を拘束して警察に引き渡します。
だから来んなって。
あ、ソーシャル、ソーシャルディスタンスは。
あなたが言わないでください。
おい、来んな。距離保てって。
落ち着いて。
お、ソーシャル、ソーシャル、ソーシャル。
うるさい!
都合よく使わないでください。
あなただって無視したんですから、私だって無視しますよ。
う、訴えるからな。コロナ感染したらどうすんだよ。
逃走した男を追い詰めました。
場所は西口から少し離れた牛丼屋の裏路地です。
おい、違うって。違うじゃん。
何がですか。
そっちが思ってる感じじゃないから、マジで。
だって、マジで。証拠は?
私とあの女性の証言があります。
だからそういうあれじゃねえから。
なんか、なんか汚れてたんだよ。それで。
もし僕が気づくのが一瞬でも遅かったら、
あの赤ん坊は死んでいたかもしれない。
死なねえし。
え?
あんくらいで死ぬかよ。
自分のしたことが分かってないんですね。
あんなの無効な不注意じゃねえか。俺は悪くないって。
そういうのは警察が来てから話してください。
頼む。な、この通り。
頭なんか下げても。
あ、ちょっと。
あ、もう、どけよ。
いい加減にしろ。
あ、いてえ。
何が、理由は何なんですか。
03:01
一体何が不満なんですか。
不満じゃない奴なんていないだろ。
それ、指輪。
家庭が終わりなんですか。
お子さんは?
え?
それ聞いてどうすんの。
子供いるよ。写真見るか。知りたいんだろ。
いえ。
育児なし。
僕には分かりません。
自分の家の子と他人の家の子で、そんな、
何もかも違って見れるんでしょうか。
お前には分からないだろ。
あ、僕さっき西口って言いました?
え?
いや、さっき、上司に連絡したんですけど、
こっちって東口ですよね。
あ、そうだ。こっち東口だな。
通りで。
あ、すみません。
先ほど焦って西口の牛丼屋の裏路地と言いましたが、
正しくは東口の牛丼屋でした。
え、いくつかある。
あ、何屋だっけ。
牛丼の漢字だけ記憶に残ってるんですけど、
いや、この人いつ逃げ出すか分からないので、
表には回れないです。
はい、すみません。
全部の牛丼屋当たってください。お願いします。
こんな奴の証言なんか当てになるかよ。
牛丼と犯罪じゃ、記憶の残り方違いますから。
犯罪って。
違いますか。
何か正当化できる根拠があるんですか。
うるせえんだよ。
え?
あの子供が泣き叫べてわめき散らして、
朝からうるせえな頭がガンガンすんの。
あ、会社に連絡してねえじゃん。
てかどうすんだよ、この後マジで。
いや。
あ?
それだけじゃないですよね。
そんなわけないですよね。
なんだよ、それだけじゃ不満か。
だって。
こっちは朝のラッシュで体力すり減らして会社向かってんの。
それだけで毎朝イラついてんのにギャンギャン泣きやがってよ。
そんな泣くんだったら電車乗んなよ。
母親が悪いんだよ。
だって普通周りのこと考えたら朝っ端から電車乗んないだろ。
あの人にどうしても朝向かわなきゃいけない場所があったら。
あ?
どこでも勝手に行けよ。
だから、電車じゃないと行けないような場所を。
タクシーに。
はい?
タクシーに乗れっつうの。
そしたら俺たちもうるさくないし向こうも快適。
ウィンウィンじゃん。
ほら、タクシー使ってどこでも勝手に移動すりゃいいんだよ。
こっちに迷惑かけんじゃねえよマジで。
タクシーを日常使いできる人がどれだけいると思ってるんですか?
いませんよ。ほとんどいませんよ。
今の日本でそんな経済力のある人ほんの一握りなんですよ。
ねえ、あなただってそれくらいわかるでしょ。
少し、ほんの少しでも他人を思いやることはできないんですか?
お前はどうなの?
僕の話はしてません。
でもお前だって自分のことで一杯一杯になってるときに笑顔で優しい人間になれるか?
06:04
毎日毎日限界だって思いながら生きてて他人を思いやろうなんて思えるか?
無理だろそんなの。嘘だよ。辛いのはこっちだよ。
だからって。
言ってやろうか。俺がどんな問題抱えてるか俺にだってあんだよ。
コロナのせいで家が窮屈になって会社だって毎日。
みんなそうやって生きてるんですよ。あなただけが辛いんじゃない。
あ、いや。
お前だって一緒じゃねえの?
不寛容な人間にまで寛容になってたら社会は成り立ちません。
あ、こっち行ったぞ。
じゃあ誰が俺を不寛容にしたんだよ。
乗客たちが一斉に車両から降りてくる。
僕は赤ん坊が死んでいた未来を考える。
男がああなった社会を考える。
目の前を歩いていくこの人たち全員に向かう場所がある。
けれど考えていることは何一つわからない。
今はそのことが途方もなく怖く感じるのだ。
07:27

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