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こんにちは。このチャンネルでは、そぼらミニマリストの私がご機嫌に暮らすための、ちょっとした知恵をゆるくお届けするチャンネルです。どうぞよろしくお願いします。
娘が先週手術をして、無事退院して、ようやく今週から通常モードというような我が家なんですけど、
こちらの配信の方も通常モードでいこうと思うんですが、
最初の通常モード一発目、何の話をするかというと、ストレスのお話させてもらっていいですか?
仕事におけるストレスについて、私がどういう対応をとったか、どういうふうに消化させたかというようなお話させてください。
よかったら聞いていってください。
皆さん、ストレスって抱えてますか?
私は先週、娘の手術もあったんですけど、仕事でとっても理不尽なことがあって、自分の中でずっとモヤモヤしてたことがあったんです。
自分の精神状態も、娘の手術ということもあって、少しナイーブになってたところがあったのかもしれないんですけど、
自分の中ではとっても理不尽で、それがどうにも消化できなくて、土日もずっと寝ても覚めてもそれのことが心に重りのようにのしかかっていて、
そのことを考えるたびにストレスを抱えて落ち込んだり、その時のことがフラッシュバックしたり、ずっと対応しきれずにいたんですね。
そういうふうにずっと無限ループのように、理不尽な対応を受けたような自分がずっとモヤモヤしてたので、どうしたかっていろんな対応をとってみたわけですよ。
まず一つ目にしたのは、夫に話すことですね。
帰ってきて開講一番、ずっと聞いてくれるって思いの丈を、感情のそのままを夫に聞いてもらって、そこでスッキリするかと思いきや、
そこで話したところには少しスッキリはしたけれど、全然その後、そのことが頭から離れることはなくて、ずっとそれがまだまだ頭にこびりついているわけですよ。
もうなんかすごいモヤモヤすると思って、次にどうしたかというと、
紙に書き出してみました。
そういう自分が思っていることとか、自分がどこが嫌だったのか、書き出して客観的に見てみるということをしてみたんですね。
それをやってみて、少し自分が嫌だったことというのは、起きた事実というよりも、
例えば前提に自分は悪くないというところが大前提、自分の中での思いとしてあるから、
それを自分は悪くないというのを誰かに知らしめたいという気持ちと、
その理不尽だった出来事が結構間接的に自分に回ってきた。
ちょっとなかなか言いづらいんですけど、そういうふうなことにもモヤモヤしていたということが、
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それで浮き彫りになったわけですよ。
それで書き出して、何となくそうだったんだな、自分はそういうのが嫌だったんだなって思ったんですけど、
それでも頭から離れることはないわけですよ。
次にどうしたかというと、私のその行動というのは一つの学びだったんだというふうに思うことにしようと思って、
それはワンママハルさんの放送で、人生には失敗はないんだと、成功か学びかしかないという言葉を聞いたら、
失敗、理不尽と思っているから、私はそもそも失敗だと思っていないけど、
強がってみる、そこは学びだったんだと思うと、心が楽だなと思って、
そこで20%ぐらい荷物が降りたような気がしたんですね。
そういうふうに、何となく荷物が降りたかもと思ったんですけど、
寝て次の日になったらまた考えているわけですよ。相当しつこいですよね、私も。
まだモヤモヤしていると思って、
それで結局一番自分の中で効果的だったのが、今読んでいた本にまさにヒントがあったわけです。
それはアイルベーダーの考え方だったんですけど、
その中で、アイルベーダーで自分を整える生き方というところの項目に、
自分のよりストレスにならない方を自分の中で選択するようになることが大切というふうに言っていて、
それはストレスにならない方を選択というのは行動をというよりは、
捉え方をストレスのないような捉え方をする。
その心の選択なわけですよ。
それをするということが大切というふうに言っていて、
ストレスを感じにくい人っていうのは、
物飲み方が柔軟で、自分が望んだこととは違う結果が起こった時でも、
受け入れられるように捉え直す力があるっていうふうに書いてあるんですね。
例えば雨が降っているっていう事実は変わらなくて、
一人はね、雨だ、憂鬱だ、もう今日やる気出ない、もう早く今日も終わらせたい、
仕事行くのめんどくさい、雨に濡れるの嫌だ、みたいなふうに思っている人と、
もう一人はね、雨っていう事実を見て、
じゃあ今日は家の中でできること、いつもできないことを何やろうかなっていうふうにワクワクするようなことを、
家の中でできるワクワクすることを前向きに探すっていう二つのことがあると、
どちらがね幸せになれるかって言ったらやっぱり後者じゃないですか。
雨が降っているっていう事実は変わらなくても捉え方が前と後ろの人だとね、全然違うっていうので、
そこから先の人生も変わっていくっていうことだと思うんですよね。
じゃあそうだ、私はまさにそれだと思って、
自分が望む結果ではなかったんだけど、それをね、まず捉え直す、
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さっきの自分の起きたことは失敗じゃなかった、学びだったんだっていうのも、
捉え直すっていうような力だと思うんですけど、
それをねまず磨いていくと、そのことに対して前向きに、
よりストレスのないような捉え方ができるようになるっていうのを見て、
あ、そうだそうだと思ったんですね。
あともう一つ参考になる考え方が、自分なりの美意識を持って、
その美意識に照らして物事を見るっていうことが書いてあったんですね。
で、その美意識って何?外見の美しさ?
顔が小さいとか足が長いとかそういうこと?って思いがちだと思うんですけど、
その美意識のっていうのは、外見じゃなくて心とか価値観の美意識になるわけなんですよ。
だから心の美しさとか、自分が目指したい価値観とか、そういう倫理観とか、
それにのっとって物事を見る。
つまり、私は理不尽だなと思ったことに対して、
もう人の意見を聞いて、私は悪くない、私は悪くなかったっていう票を集めて戦うっていうことは、
自分の美意識ではちょっと違うわけですよ。
心が、自分が美しい状態、自分が目指したい美意識っていうのは、
物事を寛容に捉えられる。
そこで戦うんではなくて、それの一歩先、一歩上を自分が行って、
自分が新たに捉え直して、その人も批判しない、自分も批判しないで、
なんとか心を沈めるっていうところが自分の中での心の美意識なわけですよ。
それに照らし合わせると、そこで戦うべきではない。
自分の心の美意識っていうのは、さっき言ったように寛容であること。
人を認めること、許すこと、それも自分に対してもそうっていうふうに考えたら、
今回のことはとてもモヤモヤした自分、
それを考えた自分も否定はしないけれど、
それ自体を戦う対象とはせずに、捉え方を前向きにして、
次に活かせばいいやっていうぐらいの感じで、
昇華できればいいなというふうに思ったわけです。
この美意識っていうのは、生き様とも言えると思うんですけど、
どういう生き様が美しいかっていうところを自分の中で一つ持っておくと、
何か理不尽なことが起きたときに、
それを自分じゃないその理想の生き様っていうのはどういうことかな、
自分の目指したい美意識っていうのはどういうことかなって思うと、
モヤモヤした気持ちも一歩上に、自分が一歩その人の上に立って、
同じ土俵で戦うんじゃなくて、前向きな捉え方でできるような気がして、
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これでようやく通常モードで仕事ができるかなというところまで自分が持っていけたわけです。
まとめると、私がやったストレスに対する行動、
一つ目は人に話す、二つ目は紙に書く、三つ目は捉え方を変えてみる、
四つ目は自分の美意識を持って、その美意識に照らし合わせて、
そのことを上から見るようにするっていうふうにするのが、
私のストレス解消法かなというふうに今思います。
よかったら参考にしてみてください。
素敵な一日をお過ごしください。
かいほでした。