潜在的な希望の開かれる瞬間
テラシーが普及した時、ユーザーにとってどんなものだと思いますか?
ユーザーにとってか…
希望?
希望
希望ですかね…
なんか、そうやな…
目が見えない人が、初めて眼鏡をつけた時とか
色毛の人とか、目が見えない人が目が見えるとか色が…色毛の人が色が見える時の動画とかも結構あるんですけど
涙を流すみたいなシーンがあって、あれすごい分かりやすいんですよね。
なんかそれって何なのかって多分、潜在的に諦めてることだと思うんですよ。
潜在的に諦めてることがあって、コータが言ってた話もそうやけど
例えば、生まれた国とか、今の自分が置かれた状況とかがあって
それが開かれる瞬間ってすごい…何て言うんかな
多分本人はもう潜在的に諦めてるケースが多くて
てか方法が分かんないみたいな感じかな
戦闘力が高い人とか、例えば奇跡的に良い環境に巡り会えたとか
親が良かったとか、色んな要因で自分の人生を向上するところまで生けた人っていうのはいいけど
そうじゃない人たちもいるんで
プレイ社会に出るまでとポスト社会に出た後で、結構その時間配分って変わる
学生時代って結構自由じゃないですか
社会に出た後に、どれだけ機会が限定される固定化されるかってことを知らないまま進んでいく
それを知ったらもっと勉強したのにとか
それが分かってたらもっと努力したのにって人って多分潜在的にすごいいると思っていて
それは結構もはや教育の文脈なんかもしれないですけど
あと日本とかで言ったらゆとりみたいな部分もあるし
なんていうの
機会を開くことに対して
本人のマインドセットと外的環境とかテラシ含めた仕組みみたいな要素があって
マインドではどうにもできないし
逆にマインドが育つためには環境が必要みたいな
そういうジレンマが存在していて
だから本当に戦闘力が強い一部の人たちは結局言ったらいいかもしれないです
リモートワークと機械格差の解消
別にそれはそれで頑張って生きてくれみたいな感じで
俺はそのマイノリティに基本的に
マイノリティとかあるいはその多くの潜在的に諦めてる人たち
俺の場合はその自分がマイノリティで
で地元の友達とか
海外旅したときの出会ったインド人のやつとか
父親とか
一社目二社目あっていく中で出会った仲間とか
いろいろ社会現象とかいろんなものにベクトルを向けていく中で
希望がないなと
やっぱ日々それを生活していくだけで精一杯やし
その環境を飛び出す手段がなかったりとか
最初のノートにも書いてあるんですけど
後藤の話とすごい近くて
二社目の時のメンバーが
母親が病気になって
長い間看病で戻るってなったときに
仕事がない
でも自分のキャリアのビルは
本当はウェディングの領域で働きたい
そういう環境が田舎松本市にはなくて
やりたくない仕事をせざるを得ないみたいな
それで結局リモートワークで行けるから
テラシー入ってよって言ったんですけど
テラシーというか当時はリベースだったんですけど
入ってよって話をしたんですけど
でも最終的にテラシーが未熟だったが故に
ほとんど通わせずに
かつコロナ禍の緊急事態宣言下で
営業やってくれてたからやんだんですよね
しかも家ではお母さんの看病みたいな
性格的にもすごい気真面目で
責任感が強くてやんだんですよね
だから俺すごいそのことを考えていて
やっぱりどこにいてもチームで働けるし
機械にアクセスできるっていうものと
あとはそのよりもうちょい具体の話で言ったら
会話を通じたりとコミュニケーションとか
繋がりを通じて
甲太が言ってたとこに近いけど
メンタルヘルスだったりとか
やりがいとか生きがいの部分ですよね
そのテラシーストーリーに書いた
分かち合えるとか
誰かと何かを作るということが
やっぱり重要だと思うんで
そういう人生における希望を
与えてくれる存在みたいな感じです
平たく言うと機械格差を
なくしてくれる存在みたいな話ですけど
でもやっぱりその
オーパスをやってる理由もそうなんですけど
機械に出会うっていうのと
その機械へのアクセス性を上げたりと
機械の中の充実度を上げるみたいな領域ってやっぱあって
なんかテラシーって割と後者で
機械の流動性自体を上げる
機械の流動性を上げることにリモート博が寄与するんで
どっちにも寄与してるんですけど
テラシーの場合で言うと
だけどやっぱりその
仕事の環境が一つじゃなく複数に変わってきたりとか
フリーランスとか副業って働き方が生まれてきたりとか
まとめるとそのリモートと個人化みたいなものが進む社会の中で
テラシーの目指す社会
よりそのいろんな機械にどこからでも出会えて
アクセスできてコミュニケーション取れる
逆にそのテラシーがないとオーパスが成立しない
大きく成立しない社会になるかもしれないし
みたいなそういう住み分けやけど
目指してるとこは近いみたいな感じかな
そんな感じかな
機械の中の充実度を上げる
コミュニケーションだったり
機械に出会うためにはそもそもリモート化が必要やったり
どういう環境があるかっていうことを可視化していかないといけない
それがそのテラシーとオーパスがやってることだと思ってて
そもそもリモートっていうのがもっとネイティブで環境良くならないと
オフィス出社を重要視する企業も増えたり
離れていたらコミュニケーションで何かをすることができない
ものづくりがしづらかったら
イコールそれって機械に出会える数が減るじゃないですか
東京来てくださいって言われたら終わるわけで
機械に出会った後の人との繋がりとか幸福度みたいな
ノートで書いた2つの記事
どこでも働けるということっていう記事が
いわゆる孤独とかリモート自体を広がって
アクセスできる仕事は増えたけど
実際そこの中身のフタを開けたときに
やっぱりリモートで働く人が増えたりとか
いろんな機械で働く人が増えたりとか
いろんな機械で働く人が増えたりとか
いろんな機械で働く人が増えたりとか
フタを開けたときにやっぱりリモートっていうものが
まだまだ過渡期だから
それが本当に幸せなのかっていうと
病んだりとかそれこそ一人でデスクワークしてるとか
そういった両方のアプローチがあるなと思ってるところですね
てやしーがどんな世界をディズニーに行ったら素敵だと思うか
機械格差をなくすってことですよね
俺はやっぱり
やっぱり機械格差をなくすっていうのが俺のテーマで
可能性を持ってるけど
押し込めてる人たちを何人も見てきたから
そういう人たちが希望を持って生きられるようにしたい
人の可能性ってすごい無限大だと思ってて
youtubeとかもすごいそれに寄与してるなと思うんですよ
悪い面もあるんやけど
メディアが発達したことによって
例えばブレイキングダウンみたいなのが出てきた
ブレイキングダウン知らんか
田舎のヤンキーがスターになるとか
いろんなきっかけを受ける人って多いと思うんですよね
今のyoutubeとかソーシャルメディアで
悪い部分もあんねんけどみたいな
その中で環境によるちょっとした違いで
人の人生って分かれるから
それがアクセス可能なものにしていくことが重要で
だから結構何やろう
2対8対2の法則的な話で言うと
割とトップ2に関してはあんまり意識してなくて
戦闘力が高い人たちみたいな
もちろんその人たちはターゲットになったりとか
サービスを広げていく上の
アーリーアダプターになる可能性は高いんやけど
やっぱりそれを民主化していくっていうことが
8に対して機会を広げることだと思うんですよね
その最後の2って機械格差とかも
言ってられないレベルの人たちがいて
表現で言うと難しいけど
ほんまに貧困国でインターネットも通ってないとか
平たく言ったらセーフティーネットが必要で
テラシーとオーパスの次にやりたいのがそこなんですよね
だから寄付なんですけど寄付の民主化なんですけど
寄付の民主化とかWEB3の領域なんですけど
なんでこの2対8対2の上で言うと
8に対する機会の流動性を上げていくためには
場所の制約と環境の可視化と
働き方自体を変えていくっていうことが必要で
なんでかって言うと働くってことは
お金がない世界あるいは
ベーシックインカムが成立した世界じゃない限り
大きな時間をかける場所になると思うんですよね
だからコンシューマー領域でエンターテイメントやるとかって言うより
結局人生において働くってことは
お金を稼ぐことだけじゃない
社会の生き物としてのやりがいとか生きがいを
働き方の変革とアウトリーチの重要性
与えてくれるものだと思ってるから
少なくとも今の資本主義っていうのが抜本的に変わらない限り
このほぼほぼの時間を費やす働き方を変えていくことっていうのが
すごく社会にインパクトが大きくて
その働き方を変えるところで
やっぱり環境の流動性を上げていきたいからやってる
最後のラストには環境の流動性云々の前に
アウトリーチが必要な領域で
そもそもその人たちは環境が流動してもそこにアクセスすらできない
そのケアが必要な領域で
そこの領域はちょっと照らしとずれるけど
資本主義のエコノミクスが成立しない領域
財政がベーシックインカム組んだりとか
生活保護組んだりとか
NPOが寄付っていうところで
テラシーのビジョンと父親への思い
アウトリーチっていうのは個人からじゃなくて
団体側とか財政側がアプローチしていかないといけないっていう領域ですね
そこのアウトリーチと寄付の仕組みっていうのを
寄付を1万倍とか1000万倍
市場規模を上げられる仕組みを俺は考えついてて
それを次やりたいっていう
今やりたいのはそこの機械学者をなくすっていうところの
282の8の部分の機械の流動性を上げたい
ざっくりそんな感じですかね
今の開発を続けている理由
上のビジョンとかがあるからっていう
シンプルにそれですね
ちょっと現代的な話で言うと
俺って好奇心と
好奇心とノブレスオブリージュで生きてるみたいなところがあって
ノブレス?
ノブレスオブリージュっていう言葉があって
これちょっと語弊あるかもしれんけど
好奇なるものは与えるべきみたいな
貴族の時代の話なんですよね
恵まれた人間は恵まれてない人たちに
与えるべきっていう思想なんですよ
企業を始めてから気づいたのって
だんだんスコープが広がってきたっていうか
ずっと機会格差やったんですけど
ずっと機会格差やけど最初は
俺が人生変わったのは学生の時の営業活動やったから
そういう学生が集まってビジネスしたりとか
社会に出る前に自分の戦闘力を上げるとか
機会を広げる力をつけるために
一社目のところで40人
Aちゃんとかもそうやし
立つとかもそうやし
みんなそこにいたわけだけど
そのことをやっていて
でも人を変えれるのは40人ぐらいかみたいな
なってくるわけですよね
もっとスコープを広げないと
人を変えるというよりは仕組みを変えないといけない
みたいな風になっていきました
仕組みを変えるってなった時に
結構早い段階からテラシーもあったけど
フリーランスの領域に取り組みたいと思ってて
それでメーカーズバンクっていうところから
最終的に上位ってなったんですけど
上位も別にテラシーのための
キャッシュビジネスとしてだけやってたわけじゃなくて
もともと仕組みを変えるために
テラシーの仕組みを変えるために
もともと仕組みを変えるために
クラウドソーシングとか
フリーランスの領域には興味があって
やっていったけど
それでも数百人かみたいな
ってなっていって
もっとインターフェースとか仕組み
プロトコルソフトウェアを作らないと
大きなインパクトを出せないなってなっていき
テラシーに至るみたいなところがあって
だから必然的に
スコープが広がってきたっていうか
もっと社会とかユーザー数とか
世界とか
っていうのと
ノブレス・オブ・レイジュ的な話で言ったら
あとはやっぱり結構
好奇心・ノブレス・オブ・レイジュ
みたいな要素で多分できてて
なんでそうなんだっていう
続けることの重要性と資金調達の役割
虚しさを感じる瞬間すごくあって
話し出すとちょっと無限になるんですけど
一番
印象的なトピックで言うと
俺大学3回戦の時に
大学辞めるって言ったんですよ
起業し始めた時で
コミットしたいし
どうやら別にこの大学出ても
あんまりメリットなさそうみたいなことに気づいて
両親に京都の居酒屋で
大学辞めたいと
その時に
お父さんに言われたのが
結果的には了承してくれて
そもそも俺に機会を与えたいと思って
県外に出ろって言った親
その大学辞めるってなった時に
了承してくれて
その時に言われた言葉が
俺たちは生きていくだけだからって言って
お前にはまだまだ未来があるし
お前が生きたように生きろ
でも俺たちは生きていくだけだからって言葉が
そこまで深い意味で言ってないと思うけど
でも父親って市役所の人間
役所の人間で
地元にいて本当はもっと
実を言うと市長候補やったんですよ
福祉市長候補やって
それになれんかったりとか
いろんな政治的な話とかになれんかったりとか
父親は元々弁護士になりたかったけど
弁護士になれんかったりとか
本当はもっとこう生きたいけど
でもそれは無理だろうと思って生きてるみたいな
海外に行くってことも無理だろうと
海外に旅行行くとかも
無理っていうバイアスみたいな
そういう前提があった中で
俺はそれを反面教師じゃないけど
起業してた部分もあったから
お前が生きたように生きろ
俺たちが生きていくだけだからっていう
諦めのような
そういうつもりで言ったわけじゃないと思うけど
その言葉がすごい引っかかって
帰り道にすごく悔しくて
泣きながら帰ったんですよね
それをすごい突き詰めた時に
そういうシーンっていっぱいあった
いろんな海外でもそうやけど
社会が悪いなって思ったんですよね
別に父親は
頭いいし人間性いいし
ダメなとこも見つからへんと
特にその時代って就寝雇用の時代だし
リモートワークとかも当然なくて
新しい機会とか転職とか副業とかも
当たり前ですけど無いじゃないですか
そういう人たちがいる
ってことがすごい
価値観ギャップを感じて
すごい悔しいなっていう
それをずっと思ってやってきて
その時に海外に行くのもって言ってたから
その時にUFJで定期預金して
金たまったら親を
世界旅行に連れて行こうと思って
実際
フランスとイタリアに連れて行ったんですよね
フランスとイタリア連れて行ったら何が起きるかって
父親とお母さんがその後バリに勝手に行き出したんですよ
やっぱなって思うわけ
やっぱ人って経験したりとか
成功体験積んだら変わるんや
それだけじゃないんですよ
地元の友達とか海外のやつとかも
要素的には同じですね
環境が良かったり
一回その経験を積むと変わるっていう
人は変われるっていう
ちなみに1社目の時のビジョンが
選択できる人を増やすっていうビジョン
2社目の時のビジョンが
クリエイトイットフォーリバティ
ゴリゴリに一緒なんですよね
やっぱり父親が亡くなったけど
父親との
俺はテラシを通じてこういう世界を作りたいとか
オーパスを通じてこういう世界を作りたい
機械格差云々とかはずっと言い続けてきたから
だからそれが
ある種の約束じゃないけど
自分の中で
やり切りたい
っていうとこですかね
あとは何かその事業的な観点で言ったら
続けることが一番の簡単な
方法だと思ってるからっていう
続けることが失敗しない一番
簡単な方法であり
大きなことを実現するために
再現性のある唯一の方法だと思ってるから
続けることができない理由っていうのは
多分のみの時にも言ったんですけど
意思の問題だけでは
意思の話だと思ってて
意思だけではなくて力学が重要ですと
続けられない理由っていうのはみんなあって
それは資金だったりVCの圧力だったり
いろいろあるじゃないですか
そういったものをぶっ壊すのが正直
ファンダーが金持ってるってことだと思うんですよね
今回それがあるから4年走れてるわけじゃないですか
だって普通に資金調査してたら
絶対ビホッとしてるんですよ
どうするってなるっていうか都度
けどジャブジャブやれてる失敗反省も込めて
ジャブジャブやれてるっていうのはそれがあって
だからイーロンマスク理論って言うんですけど
そういう意味では今回の企業を通じて
少なくとも100億以上の資金を個人で持って
社会に還元したい
売却とロングタームゲーム
そしたら今回の前の売却が3億なんで
たった3億の売却で
このロングタームゲームとか
イノベーションゲームがやれてて
いいとこまで来れてるなっていう感覚もあるし
100億1000億持ったら俺はもっと世界を変えられると
確信してるから
その山をしっかり登りたいなっていう気持ちもある
ざっくりそんな感じですかね
ありがとうございます
テラスにかかってどう人生が良くなるかみたいなとこも
そうですね
自分の人生が良くなるっていうのは
人の人生を良くしたい結果
自分が良くなるみたいなイメージ
だから今の社内のメンバーに対する思いもそうだし
ユーザーとか社会に対してもそうだし
今の株主に対してもそうだし
1社面時も2社面時もあんま自分軸
そういう戦略的な異論マスク理論とかももちろんあるし
ビジョンとかももちろんあるんやけど
なんていうんかな
基本的に俺リタ的なんですよね
価値観的にリタ的ってのもあるし
リタ的であることの方が長期の軸で見た時に
自分の人生にとっても良いって分かってる
みたいなとこもあるし
それ分かってない人はアホだなって思ってる
理工的な人が多いと
それで上手くいくケースってないじゃないですか
やっぱ人がついてこなかったり
中途半端なことやったり
理工的になりすぎて捕まったりとか
人生においてリタ的であるということは
絶対的に自分にとってプラスだと思うんですよね
だからあんまり自分の人生が良くなるっていうのは
人の関わったメンバーたちを成功させるとか
仲良くするっていうことを考えていて
それによって自分が成長できたり
次のステージに行けるっていう
そういう考え方をしてるって感じですね
あとはもっと大きいゲームをしたいから
今30歳ですけど
35歳くらいまでに今のテラシアサブとかオーパス
マーケティングと社会への影響
を仕上げて次に行きたいって思いはありますね
だから俺に金を預けてくれ社会みたいな感じですね
そしたら帰るからみたいな
マジで思ってる普通に
そんな感じです
ありがとうございます
今これコウタのも聞いててすごい思ったんですけど
プロダクトだけじゃなくて
組織への影響めちゃくちゃ良さそうやなと思ってて
工技のデザインっていうかカルチャーデザインとか
すごいあると思うんで
すごくめちゃくちゃいい取り組みやなと思いましたね
そうですね
ブランディング結構工技だから
そうですねだいぶ上流からやれててすごい素晴らしいなと思った
ちょっとやったことないから
だいぶ上流なんで
そうですね
ブランディングとかも結構興味あったんで
いやーめっちゃいいですね
OKです
なんかこういうのを聞くのすごいいいです
そうですねなんかお互いの認識も取ったりとか
ちなみにコウタの話聞きながら俺泣いてましたから
そうなんですか
私もグッと起きちゃいました
コウタさんのやつ撮れてなかったんですけど
もう一回喋ってもらおうか
いやなんかなんつーのやろな
コウタが言ってることを聞いてて
なんか思ったこといくつかあって
それはただ組織のカルチャー作りにすごく重要な観点だと思うんですけど
なんか俺一人じゃないんやなって思えたんですよ
コウタもそう思ってるんやとか
一緒に作ってる仲間として
やっぱどうしてもその
ビジョナリー自分に言うのもないんですけど
ビジョナリーというか自分がこうしたいみたいなのが強いタイプじゃないですか
どっちかというとそれをこう
みんなに説明していくみたいな順序がある
あって今までの企業もやってきてて
やっぱりその温度感とか熱量の格差とか
その責任感とか統一意識の格差ってどうしても生まれてたし今まででも
だからまあやっぱ孤独感はあって常に
でもやっぱその孤独の中で自分が見える光みたいなのを
できる限りみんなに共有していくみたいな感じだったんですけど
でもなんかその光がコウタにも見えてるんやなと思って
すごいその光を共有できた感じがすごく
孤独感が解消された気持ちと
あとはその人としての愛があるんで
最近もコウタと
飲みの前にいろいろ話したりとか
いろいろしている中で
なんていうかそのコウタの
そこを捉えてくれてるという気持ちだったり
主体的に考えてくれてるんだなっていうことに対しての
気持ち感謝だったり愛みたいなものがすごく湧いたんで
すごくいいなと思いましたね
同じような現体験もあって
そうっすね
しんすけさんと
なんか考え方はすごい近いなって思って
そうですね
いいと思います
ありがとうございます