面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト。第69回の本、実は、アトミック・リーディングについて語ります。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
アトミック・リーディングとは?
1年ぶりに、私がアトミック・シンキングの続編として書きました。
新しい本。
厳密に言うと、まだ完全に終わったわけではないんですが、一応形は整ったので、これでAmazonの登録も済みまして、紹介できるようになったので。
発売予定は?
発売予定は、去年と同じ8月11日にしようかな。前作と同じ。
去年いつ出たんですかって聞こうと思ったんですけど、ちょうど同じ日にしていくわけですね。
にしようかなと思って。まず、もう1回1週間くらい時間を置いて、読み直して、その上で再評価しようと。
なるほど。
そういう意味でも、今回いろんな新しいことに挑戦した本でした。
ほう、なるほど。
本の書き方というものが、前回に比べてだいぶ変わった気がして。
前回と今回、まず前回はどのように進められたのか。
まず前回はですね、あまりにも久しぶりにそういう文章をいっぱい書くということをしたということと、完全セルパブで本を作るというのは、事実上初めてに近い。
本当に初めてではないんですけど、っていう意味で、瞑想していてどういうやり方をしたらいいかわからなかったんですよね。
で、確かこの本編とかでも語ってたと思うんですけど、まず初めての本を書いた時に使ったスクリブナーをもう1回使ってみようと思って。
そのアウトライナーでいわゆる目次案を立てまして、スクリブナーを使って順番に書いたりっていうのをしてきたんですけども、
ウィジウィグ系のエディターが気持ち悪い。
で、悩んでいろんな試行錯誤をしていたら、なんかあれ、俺がやりたいことは、記事の順番を自由に入れ替えられるテキストエディターであること。
で、スクリブナーとか、例えばスクリブナーって左のペインで記事の順番を自由に並べ替えられるんですよね。
で、UlyssesっていうMacで使えるエディターなんかも記事の順番を自由に並べ替えられるんですよね。
で、思いついたのが、Obsidianで目次ページっていうのを作れば、記事の順番って自由に並べ替えられるやんということに気がつき、そこからObsidianで書き直したっていうニュアンスに近いのかな。
ていう感じで始めたのが前回。
で、一応前回はそのObsidian方式で最後までいけた?
一応、細かいことを言えば色々あったと思うんですけども、大雑把にはObsidian方式で最終的に終わらせたというイメージ。
で、今回はちょっとそれとまた違う?
今回はそこに、クラシタ式下書きシステムをかなり強く反映させた感じ。
前回でもある程度やってたと思うんですけども、クラシタさんが言ってた30点ぐらいの原稿を書いて、書き直して、書いて書き直してを繰り返してっていうようなやり方っていうのを自分なりに取り入れて真似をして、
Obsidianに大雑把な木字案ができたら、頭から順番に出来とかをあまり気にせず、重複とかをあまり気にせず書いてしまおう。
で、1回目が終わったら、それを見ながら繋がりとかがもうちょっと良くなるようにして書いてしまおう。
っていうのを2,3回繰り返して、大体こんでいいなって思ったらできたっていう感じの作り方。
僕自分でやってるやり方からイメージはできますけど、2,3回繰り返す道中ですげえ困ったこととかってなかったですか?
ずっとメモリが足りない感じ。
なるほど。
なんていうんだろうな。やっぱね、整理されてないんですよね。だから、これでいいと思ってないんですよね。書いてる最中に。
で、書いてる最中はとにかく、これでいいと思うことにして、次を書こう。これでいいと思うことにして、次を書こう。
ちょっと文章変だけど、次に進もう。説明わかりにくいけど、次に進もう。っていうことをひたすら繰り返しているので、ずっとメモリがいっぱいだった感じがする。
例えば、書き換わし2週目とか3週目の段階で、構成レベルで、例えば2部がごろっと変わったとか、そういう変化はありました?
普通にあったと思う。ありました。順番入れ替え。ものすごく大きな変化ではないけど、2,3割は動いたっていうイメージ。
なるほど。
それも、多分今回の方法は結果論でいって、意外と自分と相性が良かったのかなと思って。
なんて言ったらいいんだろうな。どうせ直すんですよね。
そうやね。
めっちゃできたと思っても、どうせ直すんですよね。
そうそう。
だったら、めっちゃできてない段階で書けばいいんだっていう。
まさにそれやね。
言ったら、今だってどうせ直したいんですよね。どうせじゃないか。
当然そうやと思う。
だから、それを繰り返して、ある程度の段階でクオリティが一定程度を超えたらこれで完成というやり方にしないと作れないというか。
いつまでも聞き延ばされてしまうね。完成っていうのが。
っていう意味で、良くも悪くも締め切りがあるおかげで終わってるんですよね。
なるほど。
これをあと1年直してって言われたら、あと1年直せるので。
そうやね。確かに。
そういう意味でも、今回は前回よりもスッキリとは違うんだけども、このやり方で今後いける気がするなっていうイメージが掴めた感じ。
確かにこのバザール執筆法はおっしゃられてるように、常にメモリが足りないっていうか、スッキリしないが一番近いかな結局。
全体像をクリアに決めて、あとはこの通り書けばいいという安心感が得られないから、スッキリはしないけど、でも原稿は進むんだよね。
ある程度書いてあると、やっぱり直せるんですよね。変な話なんだけど。
それは確かにあるね。
結局文字にしないと脳内でイメージしていることを文字にしたら、イメージなので100%正確に文字には反映できないんですよね。
それをある意味割り切るために結局文字にするしかなくって。
その文字を並べ替えたり、組み替えたり、入れ替えたりして、結局答えなんて無限にあって、どれが正解かわからないので、できることは今回意識したのは前回の反省を生かそうっていうことだけ意識して、あとはできることをやるしかない。
ある意味あれですね。だからちょっと今思ったんだけど、やっぱり自分ができないことを思い知る経験でもあると思う。本を書くというのが。
まあそうやね、基本的には。特に2冊目以降はそうじゃない。1冊目は勢いで突破してしまうけど、2冊目からはちょっとできなさ具合を痛感することが多い気がするね。
ですよね。少なくとも前より良くしたいとまず思うしね。
で、前より良いかどうかなんていう判断基準は存在しておらず。
書き方はあれ。もう一点気になるのは、今回の本の執筆において、日常的にやっておられるはずのアトミッキングシンキング的なノートの取り方がどれくらい活用されたのか。
まず一番でかかったのは構成を練るときに、構成の精度っていうのか密度っていうのか。そういうのがある程度濃いものが簡単に作れる。
何も材料がない段階で目次案立てると、6章分の章のタイトルを思いつくけど中身がらがらみたいなことになりがちですが、案外もっと詰まったものを思いつけた。
そうですね。それによって、処理に困った的なことがないとは言えないんだけれども。
小話はいっぱい出てくるんで、小話いっぱい並べて、クラシタさんのバザール執筆法を1回目に近いところは終わっているとまでは言わないけど、それに近いところまで行く気がする。
だから、普段やってることはちゃんと知的生産に生かされたわけだね。
そうですね。やってたことがだいぶ昔だから忘れてたけど、十分に生きてるって言っていいんじゃないかな。
その辺のノウハウを伝えるのはいいけど、ちゃんと役立ってるのかっていう話は、こういうノウハウ業界ではあまりされへんから気になってないけど、役立ってるのやったら素晴らしいことね。
あと、1作目、アトミックシンキングとアトミックリーディングの関係性みたいなものも、純粋に続編と捉えていいのかどうか。
独立して読めるようにしたつもりだけど、続編のつもりです。
一応、原稿、ゲラの段階かどうかわからないけど、一発読ませていただいたんですが、アトミックリーディングとは何かっていう説明が、結構後の方にしか出てこないのよね。
この本からいきなり読む人は、このアトミックって何やろうって、結構モヤモヤして読み続けるんじゃないかなと、ちょっとだけ思いました。
そこはね、言いたかったことが、やっぱりアトミックシンキングの続編だったからっていうのはデカいと思う。
シンキング読んでる前提であれば、全然そこは問題ないんですけど、一発目の時にアトミックリーディングとは何かがなくて、逆に副題の方が主題になってるというか、当然なんですけど。
そうですね、副題が主題になってるから、別に違和感はないけど、結構アトミックリーディングって何やろうって思いながら読む人は出てくるかなとは思います。
それはちょっと考えておいた方がいいですね。
前作との繋がりを踏まえて、軽くアトミックとはどういうことかっていうところを、ちょっと始めとかに入れておくと良いのかもしれない。
そうですね、明日読みしてくれた人とかも基本的に知っている人たちなので、難しいところではあって。
どっちかっていうとですね、あんまりタイトルが重要ではないというか。
でもアトミックリーディングっていう本をポチろうとする人は、やっぱりちょっとさっき気になる気がするけど。
シリーズものだっていう。
アトミックシリーズやから別に問題はないんですが、一応多分突っ込まれるところがあるとしたらそんなところかなというところで。
一読者としての感想なんですけど、一著者じゃなくて読者としての感想でちょっと上からになりますが、前作アトミックシンキングはなかなかよく書けている本だったんですが、こっちはすごくよく書けている本だと思います。
それは大変ありがたいですね。
読み物としてのクオリティが上がっているという感じがするね。
何が良かったんですかね。
多分、おそらく一作目の時に反省をご自身でされてたんですけど、具体的な話、自分がこうやったって話があんまりなかったからっていうことを言われて、多分意識されてたんやろうと思うんですけど、
その辺ですごい、この本は何を伝えようとしているのかなっていうのがスッと始めの方に入ってきたんで、非常に読みやすかったですね。
そこはね、ちょうど同じタイミングにプウオンさんの本を読ませてもらったやつ。
あれがめっちゃ響いていて、もうあれをずっと意識していて、というかそれを書いた上での話をしたかった。
で、思い返せばやっぱり繋がる話がいっぱいあったっていうので、都合が良かったって言うとあれなんだけど、過去の経験がちゃんと生きた感じがした。
そうですね、アトミックシンキングが3年分だとしたら、アトミックリーディングは20年分くらいの経験を踏まえた上での話になっている。
だからその辺の、自分が本の感想を語ろうとした時にあまり語れなかったところから始まって、今、ブック語り手とかでやってるみたいなことを繋げていくっていう。
よくありがちな自慢話にも別になってないですし、読者と同じ姿勢に立とうとする姿勢とかも非常に共感が持てられたし、内容そのものが当然、当然じゃないけど、地に足のついた広報論になってるので、これは非常に良い本だなと思いますね。
ありがとうございます。
自分が得意なのは、できないことを晒せることだと思っていて、本当にしゃべれなかったし、できるようになったのってどうしたのって言われたら、それを本に書きましたっていう感じなんだけど、
逆、結果で言うと、やっぱりやったからできたんですよね。できるようになったんじゃなくて、やったらできるようになったで、順番が逆なんだけど、それを逆説的に掘り返してというのか。
やったって何やったんだろうって考えたのをまとめたら、今回のやつになったっていう感じか。
なるほど。ちなみに著者自身からこの本はどんな本なのかを紹介していただけると良いのですけども。
そうですよね。ここまで全く本の内容を触れていなかったなっていうことを思い出すんですが、一言で言うとよくあるじゃないか、読書術系の本という分類になると思うんですけれども、
自分の中の特徴というか、他の本とは違うところっていうのが、大抵の本がサクッと読める、すぐに役立つ、5分でできる、3日で完成みたいな、そういうお手軽感とか速読とか、そういうタイパーが良いようなことみたいなのが、
世の中の読書系の方にすごくそういうものが溢れている印象があるんですよね。
近年のものはそうやね。
正直、ブックカタリストの経験を真面目に踏まえて考えると、真逆のことをした方が遥かに逆にタイパーが良いんですよね、用語で言うならば。
確かに。
それを知らしめたかった世の中に。
なるほど。
タイパーが良いというものを、タイパーが良いと判断して行動するのは、最もタイパーが悪い行動なんだぞっていう。
タイパーって、タイムのスパンをどのぐらいで考えているかということで、多分だから、世の中のタイパーは1日とか2日とか1週間のタイパーやけど、この本のタイパーはもっと長いスパンでの、よりエフェクティブなことを目指していると。
そうですね。このいろんな本の主張で毎回言ってるんですけど、80年もあるんですよね、平均的な日本人の人生は。
確かに。
40歳なんだけど、まだ半分なんですよね、42、3か。
で、やっぱね、10年先を見越して考えるっていうのは、ちょっと偉そうなんですけど、やっぱ30を過ぎてからじゃないとね、分からないと思っていて。
確かに。
その20歳までは大人になった経験が0年なんですよね。
そうやね。
で、30歳になって大人になってやっと10年の経験ができて。
40歳で大人20周年か。
そう、大人を10年を2回経験して、そのいろんな違いを思い知るっていうのかな。
だから成人式が20歳、18やけど成人が20歳すると、40歳は2回目の大人ってことだよね。
そうですね。だから大人になってやっと大人になるまでの期間が経験できるようになった。
で、この20年でやっぱ学んだことという、一番大きなことというのは、10年は長い。
なるほど、かっこいいね今の。
10年は長くて、想像を絶するぐらい何もかもが変わるんですよね。
で、そういうことが変わるということが肌で分かるようになるのはやっぱり40くらいになってからじゃないかなって自分は思うんですよね。
なるほど。
その経験をもうちょっと若い人にも伝えられたらいいし、逆に40とか50の人にまだ40年、30年ある可能性が高いんだから。
そうだね。
5年後の成果を目指していてはもったいないぞって思うんですよね。
なるほど。
っていうことを、その読書というものを通じて伝えたかったっていうのが割とこの本に込めた思いみたいなやつかな。
直接的にそういうことはどんくらい書いたのかな。
そうやな。直接的には年のスパンは出てこないけど、長い視点で捉えましょうという雰囲気は全体から伝わってきますね。
多分ね、そういう話をいきなりタイトルにして本を読んでもね、やっぱね、おっさんの説教臭い話にしかならなくなってしまうので。
それはそうだね、確かに。
同直球にそれを言おうとはあんま思わないですけど、本とかで。
構成が3部立て、こっちもまた部なんですね、省じゃなくて3部立てで、1章がいかにして読書するか、第2部が読んだ本について書く、第3部が書いた読書メモを活かすですけども、
本全体のコンセプトというか、何を目指して、さっきタイパーじゃないという話をしてましたけど、どういうことを目指す本なんでしょうかね。
これはね、タイトルにも書いていて、思いついてこれはいいって話なんですけど、読書というイメージを変えようという話。
読書という言葉から受けるイメージが変われば、本を読むやり方を変えることができるんじゃないのか。
それはあれですよね、勉強の哲学が勉強という言葉をラディカルに塗り替えようとしたっていうのと似たような感じですね。
それはね、言われて気づいたけど、そうかもですね。
そうっていうと影響を受けているのかもですね。
直接意識はしてなかったんですけど、読書って言われて書を読むことになるので、誰も読書メモを書かないし、読んだ本について語ることをしない。
でもメモを書くこととか、メモを振り返ることとか、読んだ本について語るっていうことまで、読書だと考えることさえできてしまえば、本を読もうと思ったら、読書しようと思ったら全部やれるよねっていう。
しかしそうすると逆に読書の、あえて反論しますけど、読書のパッケージがでかくなるわけじゃないですか。読書に含まれるものを。
そうすると逆に、そんなことをやりたくないと思う人が増えるのでは?
そんなことをやりたくないか。
だってあれもやらなあかん、これもやらなあかんってことになりかねない?
一応それに対する答えとしては、本で書いているのは、その方が楽しいんですよね。
なるほど、なるほど。より楽しむためには、そっちのほうがいい。
そう、結局めんどく、これはね、これも人生論なんですけど、結局ね、大体のことがね、めんどくさいこととか楽しいんですよね。
そうだね、確かに。
そのパッと見面倒だと思ったことを、ちょっと重い腰を上げてやってみて、苦労をして結果が得られたほうが、いきなりクリアできてしまうよりも楽しい。
はい。
それは例えばゲームの話で言えばね、今ダークソウルシリーズが流行っていることとかにも象徴されているような気がして。
なるほどね、そうだね。非常に簡単なロールプレイングゲームってお使い芸って言われて、あんまり評価が高くないわけですけど、一番簡単なゲームはそれですからね、要するに言われたことだけやるっていう。
そうそう、言われたことを言われた通りにやるのは、それは俺が思うビデオゲームではない。
楽しさはあるにしても、強度が弱い感じがするね。
主体性が低いのかな、参加したことに対する。自分じゃなくてもクリアできるとか思うとかもあるかもしれないし、いろんな考えがあるのでなんともなんですけど、
少なくともそういう苦労をした方が楽しいと思ってくれるというのは、ゲームの世界でも、このフロムソフト20年くらいでしたっけ、ダークソウルが出てから。
そういうゲームの世界なんかでもそういう人はやはり一定数いるはずで。
そもそもゲームをするということ自体が、やらなくていい面倒くさいことをやるんだから、それを無双することが楽しいというのはわかるし。
10年前はやっぱり三国無双、千国無双だったんですよね。
無双は無双で一定の楽しさがあって、そのことを全く否定するつもりはないんだけれども、ダークソウルだってあっていいじゃんっていう感じ。
いや、しかも無双シリーズも、後半に行くとレベル最強とかでやるとめっちゃ難しかったね、結局。
三国無双2しか覚えてないんですけど、各キャラクターの最強武器とかを取ろうとすると、一番強いランクにしないといけなくて、敵が堅すぎてこれ人間じゃねえだろうっていう戦いになるんですよね、相手。
しかも特定の条件を満たしながらやらなあかんとかって、結局めんどくさいことさせられるんだよね。
という感じで、ある程度物事を深く楽しもうと思うと、他人から見たら、興味ない人から見たら、ものすげえめんどくさいことをやるのが普通なんだろうな。
普通というか、その方が楽しめる確率が高い。
ということは、ファストなもの、速読法とかっていうのは効率的ではあるけど、逆に楽しさをトレードオフで失ってるわけですね。
勝手なイメージの中で速読楽しいとはあんま思わないんですよね。
役に立つという言い方をすれば役に立つかもしれないけど、楽しいかって言われたら、想像なんだけどあんま楽しくないんじゃないかなって思うんですよね。
ちょっと作業感はあるよね、あれきっとやってたら。
作業は作業で、作業芸というジャンルもあったりするので、それはそれで確かにそこに楽しみは見出せるので、否定するものではないんですけれども、多様性を広げたかったなのかもね、そうやって考えると。
読み方、本を読むっていうものをもっと多様に捉えられるようになる。
タイパー、コスパー、効率が増えすぎているので、そうじゃない意見を出しているものも増えてもいいんじゃないのか。
しかも別にタイパーを否定してるわけじゃないんだよね。真なるタイパーはむしろクロームの中にあるってことだよね。
それは確信していますね。
そういう逆説的な展開はよろしいね。
たぶん、この3年はそういう意味で振り返って、めちゃめちゃ濃かったと思うので、
ブックカタリストで、別に読んだ本って読書家の人からしたら微々たるもので、年間100冊読んだことなんてあったかな。読んだ年はあったかな、この3年で。
でもたぶん平均すると、4,50とかなんですよね。冊数で言うならば。
人からすれば多いとも言えるかもしれないけれども、いわゆる読書家の人たちって簡単に年間100冊を超えるような勢いで本を読んでいたりもするので、
さらに言うと積み上げてきた期間で言えば長いとは決して言えないので、
とはいえ、読んだ本について語り、そこから関連する本の話をしたり、他の人たちからこんな本も面白いぞって話を聞いたりっていう3年間で、
安易な言葉で言えばものすごく成長したなっていう気はするし。
なるほどね。この本にも書かれてますけども、10倍楽しめるとか100倍楽しめるっていう話が前半に出てきますけども、
初めのうちは弱いんですよね。1冊本読んで得られるものってまだすごく小さいんだけど、
数がある程度増えてくると、いわゆるリンク同士のネットワークが広がって、
いわゆる逃避急須的に関心とか知識とか興味とかが増えていく。だから線形じゃなくて放物線形に増えていくんだよね。
1年、3年っていう期間の後半の増え方ってたぶんすごいと思うんだよね。
たぶん。
ここのカーブのタイパーがすごいんだよね、結局。
たぶん次の3年はもっとすごいはず。
確かに。
でもそれを、タイパーを求めて3年続けることはおそらくほとんどの人はできないと思うんですよね。
そうよね、たぶん。
結果をあせたら3ヶ月しか続かないんじゃないかなって思うんですよね。
確かにね。
でもたぶん一定程度結果が出ると実感できるのはおそらく半年ぐらい経ってから。
3ヶ月は絶対し、その人のかけてる時間にもよりますけども、半年ぐらいかかりそうだね。
半年続けるのって10年とは明らかに短いスパンなんだけど、半年続けるのはクッソ難しいんですよね。
いや、0から6ヶ月が一番難しいんじゃない?
1年続いたら結構簡単。
簡単じゃないけど、いくつかのアクシデントを乗り越えるだけで済むけど、
0から6ヶ月が一番難しくないかな、きっと。
そう、だからそこをいかに乗り越えるかっていうので、
言ったら最初の3ヶ月は読んだ本のタイトルをメモることができれば十分だと思うので。
そうだよね、確かに。
次の3ヶ月でもうちょっと進められればいいぐらいなイメージはあるんですけど、
それも書き足してもいいかもしれないな。
全体的にプロジェクトの捉え方のスパンがやっぱり長いよね、この本は。
そうですね、そうじゃないと無理っていうか。
そういうメッセージはあんまり昨今のビジネス商業出版では出てこないから、
極めてセルフファブリッシング的な話題だなとは思いますけども。
最近売れている、やっぱりAmazonのランキングっていうか、
Amazonとか本屋さんで売れている本を見るとあんまりいい気分がしないんですよね、大体の場合。
でも結局あれじゃないですか、
欠乏状態にいるときって人は短期的な効果を求めるわけですから、
社会現象としてそうなってるということですよね、きっと。
社会、まあそうですね、極論自分の本の話で言うと、
毎日1時間の余暇を確保できない人には不可能なので、
それは事実なんですよね。
その明日の、なんて言うんだろう、
今日の睡眠時間をどう確保するかとか、
明日仕事を終わらせるためにどうしたらいいかということに悩んでいる人を助けることはできないんですよね。
そういう意味で昔古臭いライフハックとはちょっと違うよね。
そうですね、いわゆるライフハック的なものは極論何にもないんじゃないかなぐらいに。
オムシリアンの話が出てきたところぐらいはちょっとライフハックっぽかったけど、それぐらいかな。
今回は前回の具体例がないっていうのをやはりいろんな人に言われて、
できるだけ入れないようにしたんですけど、やっぱちょっとぐらいはあったらいいなっていうので入れたりもしてます。
やっぱあの辺も良かったね。
あれをもっと読みたいという人ももちろんいるんでしょうけど、
塩梅としてはあれぐらいでいいかなという。
ちょっと多い、もっと減らしてたいけど、減らしすぎたらもっとあった方がいいと思うという意見がやっぱ多数なので。
あれをやるならブログでやるのでブログニュースレターを読んでくださいなんですよね。
そうやけど雰囲気みたいなのが伝わるだけでだいぶ違うかなと思いました。
そこは多分いろんな人の意見をもらえたのはやはり毎度思うんですけど、
コメントは救われる感じがしますね。
そうやって言ってもらえるとか、こういうとこが面白いと思うみたいな話をしてもらえると、
これはやればいいなと思うし。
あと振り返ったので言うと、
くやしたさんが企画してくれた読書会、アトミックシンキング読書会みたいなので、
あれいつぐらいでしたっけ?9月ぐらいだったっけ?ちょっと忘れたんだけど。
その時にいろんな人から感想をもらって、
それも今回の本に強く響いているというか、
そこでもらった感想がやっぱりだいぶ今回のモチベーになっているというか、
こういうことをもっと書いた方がいいんだろうなっていうのが、
何人かの方から直接その声を聞かせてもらうとすごく参考になった感じがします。
全然話はそれけど、
例えばそうやってオンラインで音声ベースでやったじゃないですか。
それなんかメモりました?そういう時感じたこととかっていうのを。
めっちゃって言ったらいいかわかんないけど、
結構メモしていて、そこからネタが出てきたりだとか結構ありました。
こういうの面白いと思ったんだなとか逆に言ったら、
こう思ったけど全然伝わってないなみたいな感触もあったりして、
ならばこういうふうに書いたらいいんじゃないかなっていうことは。
それで言うとあれかな。
やっぱり足りないなと思った感触が一番大事だったかもですね。
足りない。書き足りない。
プー音さんの本を読んで、自分の体験談が足りない。
読者からの感想をもらって、こういう部分が足りないっていう、
前回足りなかった部分を足りるようにしたっていう印象はあるかも。
なるほど。でも文字数がガッと増えたわけじゃないわけで、
増やした分何か割合的に減らすことになってるはずですけど、
何か逆に書かないようにしたこととかっていうのはあるんですかね。
書かないで言うと、やっぱりできるだけ具体的なことをあえて書かないようにしたっていうのは
でかいですね。
それはやっぱり一作目、たった一度の人生を記録しなさいで、
エヴァノートの話ばっかりしすぎたので。
なるほど。
3年で劣化したんですよね。自分の印象で。
20年もてとは言わんけど、3年で劣化はやっぱりちょっと切ないなっていう。
しかもテーマ自身が一生続く記録の話だからね。
っていうことを考えると、10年持つ話を書きたいとなると、
具体的な手法なんて、自分の場合何なら3ヶ月とか1ヶ月とかで変わることがあるので、
そうなんだよね。
その具体的な手法の元になるところは、年単位で変わる可能性が低い。
そういう話を書かないといけないなっていうのは思いましたね。
デジタルツールを前面に出すと、特にそうなりやすいね、結局ね。
難しいんですよね。デジタルツールの本を書こうと思っても、
デジタルツールの本を書いてしまうと、その本はすぐに劣化してしまう。
だからツール名をタイトルにするとかテーマにする本は賞味金がどうしても短くなってしまうね。
例えば辻生さんの技術はアナログのカードとかタイプライターの話をしてますけど、
全然今でも読めるわけじゃないですか。だから主題がそれじゃないからなんですね、きっと。
そうですね。ちなみに例えばタイプライターの話とか、今さら何言っとんねんって思った部分がすげえいっぱいあるんですよね。
はい、もちろん。
全部ひらがなにするとか、何を言ってんだこの人はって思ったし。
思うと思う、はい。
ただ、全部読まなくてもいいっていう観点に立つと別にいいんですよね。
だからその本論に組み込まれてなければ全然いいわけだよね、要するに。
うん。
だからそういう枝端として実例を扱うというのは多分ありやと思う。
ですね、だからそうですね、それで言うとあれかな、今のやり方みたいなのは扱いとしてはコラムみたいな扱いにして、
まあこれはやっぱ変わる前提ですよっていうのは一応もうちょっと強くアピールしようとしていたりとか。
なるほど。
まあそんなんとかはしてたりするかな。
うん、そうやね。
結局その著者がやってるこの最強の方法を真似しましょうっていうノウハウ本じゃないからね、この本は。
そうですね、確かにそれ、アトミックシンキングの感想の時に言われてめっちゃ気に入ったんですけど、
なんかね、ねちっこく同じことを何回も言ってくるから、しゃーねーからやる気になる的なことを言われたんですよね。
おろいな。
あーそれは面白いな、自分はそういうつもりなかったんだけど、それはすごく開かれた感じがして、もっとねちっこくしようと思いましたもん。
うん、ねちっこくなってると思う、ちゃんと。
うん、そう、もっとねちっこくしようと思って、だからすごいその感想はありがたかった。
そうか、だから昨今のファストフード的ノウハウ本って全体がさらっと流れていくから、その分読みやすいわけですけど、記憶に残らないわけですね、結局、粘らない。
本書はある一つのテーマについてねちっこく書くから、最後まで読むとだいぶその著者の感じが憑依するというか、その価値観が映ってくるところはあると思うね。
じゃああれですね、だいぶそういう意味で言うと、その意識したのは成功だったし、もらった意見がめっちゃ役に立ったかなって言えますね。
まあね、わからんけどね、もちろんこの本を公開した時にどんなレビューがつくかはまだわからんから、なんとも言えんけど、ある種のゴルゴさんらしいテイストがより生まれてる本にはなってるかなという感じ。
結局、好き嫌いはあるので、この文体が嫌いな人とか俺の喋り方が嫌いな人にこのやり方を真似しろとも全く思わないし。
でも、あんま良くも悪くもねちっこいというつもりがなかったので、やっぱりあれは開かれた感じがして。
面白いね。
そして、もっと意識できたのは良かったですね。
ねちっこいと言われて指摘して、それを直すんじゃなくて、それを強めるというのが面白いね。
一応、その意見をくれた人はネガティブな意味じゃなく言ってくれてるんですよね。
なので、余計そう思ったかなっていう。そっか、もっとねちっこくすればもっといいんだっていう感じがした?
程度の問題はあると思うけどね、もちろん。
全体的に印象の良い本でしたね。読んでて楽しくなるというか。
それはありがたいですね。
やっぱ読者を見下さない感じがあります。逆に言うとノウハウ本が読者を見下してるところが結構強いというのを対してコントラストとして感じるっていうところかな。
それはね、同じくね、それも上の世代の本でよく思うんですけど、文化人気取りの文章を書いている人ってね、すげえいっぱいいてね、すごく嫌いなんですよね。
内容の良し悪しではなく、好みの問題で読まない本というのがいっぱいあって。
たぶんその時代のカルチャーはそういうのが求められてたんやと思うけどね、今の雰囲気には合ってないということなんやと思いますが。
平均するとやっぱ一回り上になるとそうなる傾向が強い感じがして。
それは反面教師として非常に役立ったというか。
あえて思想的に言えば、前の世代はパタナリズム的な感じのノウハウで、こっちはリベラリズム的なノウハウの感じがするね。
そうですね。あと自分のノウハウの一応根拠というか、常に通定して考えていることは、大抵の人はまずできないっていう。
私はこんなにできましたなんていうのは、嘘という言い方は違うんだけど、まずできない前提でやらないとできないぞっていう10年のスパンで考えたら。
3ヶ月続けることは3割以上の人が多分できるんですよね。
ただそれはあと無理をしていろんなものを捨てて取り込んでいるだけなので、10年続けられると思うとやっぱその1パー無理したらちょっと辛いだろうなって感じがするんですよ。
確かに。
その0.1パーぐらいの無理でできるようにならないと10年続けられない。
その0.1パーぐらいの無理のうち半分ぐらいはマインドセットを変換することでなんとかなって、半分ぐらいは習慣を変えることでなんとかなって。
その2つが両方取り込めればいいのかな。本でいうとマインドセット的な部分が多いのかな要素としては。
だからその読書っていうのをどう捉えるかで、これまで僕方にしても紹介してきたけど、
読書っていうものを例えばもう積んであるだけでもう読書だっていう言い切ってしまうことでメンタルセットを変えていくっていうようなアプローチがたくさん、たくさんじゃないかな。
ごく一部でされてますけど、逆に言うと人はやっぱり本を最初から最後まできちんと読まねばならぬっていう思いと、逆に読んだらいい。
読んで終わりになる。
この2つのセットを持ってる場合は多いね、確かに。
自分の話で言うと、今日もようやくちょっと心の余裕ができて、過去に読んだ本の振り返りみたいなことをしてみたりしたんですけど、やっぱりそれがでかいんですよね。
なるほど。
よかったなって思った本を振り返って、どんなことが書いてあったか思い出して、心にこれも余裕ができないとできないことなんですけど、そこから得られるものは本を読んでいないけれども読んでいるより大きいかもしれない。
なるほどね、確かに。
半年前に読んだ何々っていう本の読書メモを振り返る。
1から10まで全部読むわけではないんだけれども、もうやっぱ忘れてるんですよね。
そうでしょうね。
読み返して思い出して、そういえば俺この時こういうことをすごい考えていて、そういえば今本書き終わってちょっと余裕ができたからまた考えたいなって思えたりだとか。
これは今話しながら思いついたことなんですけど、いっぱいいっぱいになった時に一時的に放置しても大丈夫になる仕組みがメモを書くこと。
確かにそうですね。
人生のそれもやっぱ10年スパンで長生きしてきて分かったことなんですけど、やっぱ忙しい時期というものは存在するんですよね。
心に余裕がない時期とか、なかなかやれない時期とか、その時期はやらなくていいので、引き継げるようにしておこうっていう。
確かに。
引き継げる手段が読書メモ、アトミックなメモを書いておくこと。
っていう意味で、読書メモを主題にしたのは読書系のことにしたらちょっと読者層が広がるんじゃないかとか、そういう目論みももちろんあったんですけど、やっぱ根本は書いておこうにあるんだなって思いますね。
この本も副題に書くことが入ってますけども、書くことは欠かせない。書くことと考えること、思い出す考えることの組み合わせをすることはゴリゴさんの主要なテーマではありますね。
そうですね。書こうということの範囲が前までは日記だったんだけれども、日記だけじゃないことが使えるように残せるようになった。
日記を書くことももちろん大切で楽しいことやけど、読書メモを書き残すことは質的に違いってあるかな。
質。質。質です。質的な違いになるんじゃないかな。
一応日記とかで自分の起きた出来事とかを思い出して、記憶を豊かにするとか人生を豊かにする便利さももちろんあるわけですけど、
読書メモとかその他諸々のある外部の情報についての自分の考えを書き残しておくことっていうのは楽しさももちろんありつつも何か別のものもありそうですよね。
そうですね。日記の話で言うとおそらく自分の場合はっていう前提を踏まえて、直接的に幸福のために書いてる印象があるんですよね。
ストレートな楽しさとかストレートな思い出とか。読書メモ的な感じで言うと、逆に幸福とかそういうものではなくて、幸福とは何かを考えるために読書メモがあるみたいな感じ?
だから日記とかはダイレクトな感じで、間接的な感じだよね。読書メモというのが。
そうですね。この日記を書くということは幸福につながるんだろうかっていうことまで考えないと多分幸福になれなくて。
そういえば本の中でも書いてありますけど、読書メモってめっちゃ楽しく撮ってるとかじゃなくて、ちょっと嫌々とか面倒を感じながら撮ってると書かれてましたけど、逆に日記とかは割に書くのを直接楽しい感じ?
日記はもうね、楽しいというよりも書かないともったいない感じ。
なるほど。
昨日起こったことがなくなってしまう気がしてもったいない気がする。
なるほど。
読書メモはその境地にはいたれていない。
原理としては同じなんですけど、心情的にはまだそこまで至っていない。
続けていったらそうなるものなのかな?
経験で言うと読書メモ、このシステムで3年、日記なら10年を超えているからなり得るかな。
日記というか、人生の記録を残したいみたいな概念で言うと、物心ついた頃からある。
そこまでは言わんか。
っていうのに比べると、思考をきちんと残しておきたいという欲求と経験値は低いので、少ないというか短い。
ので、まだ面倒に感じやすい。
例えば日記システムで言うと、いわゆるデジタルで言うと、完全なライフログを残す。
例えば、頭にカメラをつけてっていうものに対する欲求とか憧れみたいなのはまだキープされている?
それとももうそういうのはない?
減りました。
チャットGPTがあれば、すげえことできるかもしれないなって思うけど、
そこまでの精度はいらなかった。
もうちょっとライトでいい。
それよりも、日記を書くことは幸福なんだろうかっていうことを考える時間をもうちょっとあったほうがいい。
なるほど。
だから、読書メモを残すことは重要というテーマでありつつ、
でもやっぱり、面白くなかった本は別に書かなくていいという主張もあるわけじゃないですか。
だから、記録を残すことそのものが大切というよりは、その記録を残すことを通して考えることが大切ってことですよね、この場合。
そうですね。結論からというか、結果的にはやっぱりそうで。
なので、面白くなかったのは何で面白くないと感じたことを書いておくのは重要だと思います。
何が面白くないと思ったのか。
自分、本を読むという経験をメタに捉えると、また別の質の記録が生まれてくるか。
アフタートークでよく喋ってますからね。この本はこういうところが面白くなかったと思うって。
俺なんか2回に1回ぐらいなんか出てくる気がする。
いや、それ結構だから特徴的やなと思ってて、僕はあんまり思わないんだよね。
分析しないというか、どっちかっていう。
面白くなかったらもうそのまま記憶から消えていく感じやから。
その辺に多分センスの鋭さ、感覚の鋭さがコリコさんの方が多分強いんだろうなという感じがします。
結構反発心だと思うんですよね。
なんでこいつはこんなんなんだみたいなところから、ただもったいないからなんでなのか考えておこうっていうのと、
同じ失敗をしないようにするために考えておこう。
その中、もったいないマインドあるよね。経験を生かそうっていう感じ。経験を生かして次に進もうっていうのが結構全体的にあるよね。
そうですね。日記がそもそもそうだから。
そうですね。だからいろんなことをもったいないと思うタイプなのかな。
かもしれないね、きっと。
あんまりそういう観点で考えたことがないけど。
でもそうだな、それをプラスに使えばいくらでもうまく使えると思っていて。
それはある。
なんか失敗したのにそれを生かさなかったらもったいないと感じれば失敗は悪いことにならないというか。
そうだね。実験結果になるね。
そういうのはあるかもですね。だから自分の場合、探すのは困難なんですけど、読みつまらんと思ってやめた本も、読書メモ自体が存在していて。
で、できるだけ何がつまらなかったか残すようにしている。
何がつまらないと感じたのかを分析というか考えて書き残すようにしている。
読書メモ中級編ぐらいの話だね、これはきっと。
そんなところまで書いてはいないんですけれども、本編では。っていうのはそうだな、あるかもですね。
本の出来をいつも僕は5つ星評価で聞くんですが、まだ本が発売されて読者の感想が返ってきてないのであれなんですけど、
一番一押しの場面もないか、書くの苦労したところってあります?
苦労ね、やっぱり一個一個よりも順番とかそういうのですね。
素材そのものは不足したりとか、描写に悩んだことは少なかった?
そう、前回の、前回っていうか最初の方に話した、書けることしか書いていないので。
そっかそっかそっか。
書けないことは諦めた。
諦めね。
没原稿が存在している。
中途半端で終わって、これは無しっていう感じで。
バザール執筆系でやるとあんまり苦労しないんだよね、そういうのはね。
おっしゃる通り、書けることしか書かないから。
あれかな、やっぱり苦労ではないんですけど、できるだけその例え話みたいなものを、
とか自分の経験を踏まえた話みたいなのをできるだけ入れたいなと思って、多すぎない程度にできるだけ。
苦労じゃないけど、そういうものを入れようと常に考えていたみたいな感覚はあるかもしれないです。
ちなみに例えば本書いてない時に、これ使えるやんって思いついたことがあったら、どこにメモするんですか?
そう、やろうと思ってたんですけど、結局書かないと思いつかんっていうことが分かった。
そうやね。
日常、一応意識はしたんですよ。
前作の時に気がついて、そういう例え話のネタを思いついたらメモしようと思っていたんですけど、
例え話のネタは書いてみないと、1年では1個も出てこなかった。
いや、それはもう、それがリアルだと思いますよ。
結局そうやな、例えば半年後に書き始める本の素材みたいなのを集めておいて使おうっていうのは、
原理的に無理があるんだよね。
結局その半年で脳が変わっちゃうから、自分の。
その注意とか関心とか、その例えを出す切り口も変わるから結局。
なんかすげーなじまないものをそこにボタンってブロックを押し込むような感じになるから、あんまり良くないんだよね、そういうやり方。
そうですね、なんていうんだろうな。
本を書く時のね、脳みその使い方というのが、書くことをまとめている時とは違うことをしている。
その時にならないと、例え話が出てこない。
ので、日常生活でそのモードになるのは書いている時だけなんですよね。
ので、出てきようがない。
こういう話を書いたらいいなっていうのは出てくるんですけど、
その話の中でこの例え話とか、こういうことをサンプルとして盛り込んだらいいなぁは、
たぶんやっぱり人生経験を広めることが最も重要なんだろうなって思いますね。
書いている時に思いつく思いつかないはまさにそれで、あとは実際に経験を増やすことなんですけど、
やっぱり書いている時以外に出てこないっていうのが一番のポイントで、
やっぱり書いている時って頭の中に読者がいるんだよね。
その読者に何かを伝えようとして、例えがひねり出されるっていう、
読書会かなんかで紹介してもらった、頭の外で考えるという本が紹介されてましたけど、
あれと一緒で、やっぱり僕らはイマジナリーな読者を使って考えてるんだよね、本を書く時って。
一人では考えつかないのか。
日常で歩いている、普段生活している時はイマジナリーな読者がいないから思いつかないんだよね、これ。
だから結局書くのが一番やねんな。
本を書くのが一番はかどる。
本を書くのが一番はかどるっていう、何の身も蓋もない話になってしまうんですけども。
だから、バザール執筆法が良いだろうっていうのは思うんですよね。
常に現場にいるという。
ずっと書いていれば、いっぱいネタは出るはずだっていう。
そういうこと、そういうこと。
そういう感じが一番、僕らの執筆スタイルから言うと良いかなという印象がありますな。
そうですね、一番難しかったのは順番というか、ニクラスルーマーの本にしてもテイクノーツにしても、
ニクラスルーマーは読んでないんですけど、すごいかもしれないけどぐちゃぐちゃやんって思うので。
そうだね。
一応ね、多分徹底的なカステムを使って書いただと思うんですよね。
自分の本の書き方が。
で、ぐちゃぐちゃやんっていう風に言われなければ、それは成功だったのかなとは思います。
これは成功、上から言うけど、読みにくくは、話がごちゃごちゃしてる感じは出てなかった。
なので、順番が一番苦労しましたね。そういう意味で言うと。個別なっていうより。
結局、徹底のカステム型っていうのは、やってることを情報を広角的に言うと、ネットワーク型に情報を広げることじゃないですか。
ネットワーク型ってことは、つまり順番を持たないってことじゃないですか。
だから、ああいうメモが増えれば増えるほど、順番を考えるのが難しくなってくる。
ルーマンは一応作ってたらしいですかね、そのなんとか、ストラクチャーノート。
でも結局、ルーマンの。いや、あのストラクチャーは結局文章のストラクチャーじゃないと思うんだよね。論理のストラクチャー。
論理の構造のストラクチャーしかない。
だから、結局読みにくいものになる。やっぱり、連想すればするほど情報がつながっていくと、
順番を決定するための組み合わせ数が爆発してしまうから、どんどん決めにくくなるんだよね。
だから、そういうネットワークの情報が片方にありつつ、書き下ろして書き直して書き下ろしてを続けていくっていう、
これは要するにリニアのループなんですけど、で、その流れを整えるっていうこの二軸があると多分うまくいくんですね。
で、片方しかないと、片方しかない。
というか、ネットワークしかないと本を書くのって多分すごく難しいと思う。
あの、素材だけいっぱいあります。どう並べようはない。多分解決できへんと思うわ。
うーん、まあね、そのあたりはね、世の中どのくらい書き手が増えてくるのかとか、いろんなわからんことはあって、どうしたらいいかなんですけど。
まあ、あんまやっぱその順番を考えて書けないというか、大抵の人間は多分。
そのよくあるライトなビジネス書みたいなやつとかも、こう切って貼り合わせた感じだねっていうのとかすごいやっぱりよく思うので。
結局多分その、著者が書いたものを編集者さんが順番並び書いてる感じやね、きっと。
うん、その2000円を20個送ってくださいって言って。
そこにラベリングして並べて。
もうちょっとこう繋がるようにしてくださいは何なら編集者がやってますからね。
っていうことはあると思う。まあだからどうしても突き破棄感とか流れの悪さはあるね。
だから主体、流れのコントロールはある種そのトップダウンというか、一人の主体がコントロールせえへんとなかなか難しいんだよね。
うん、でそれをね、やっぱね、人間一人でその10万字レベルでやれるんだろうかっていうことも思うし。
まあやれるやれないで言うとやれるけど、すげーハードなことは間違いないな。
まあそうだな、だからそれで言うとやっぱある程度小立てみたいなやつをちょっとずつ固めてとかそういうことになってきますからね。
そこはやっぱりアウトラインというものをある程度どんな形でかは使っていかないといけないし、アウトラインをしながら書くということが多分ベストかなという感じと。
あとはこの本をどういう人に読んでもらいたいかというところを聞かせていただければまあ締めになるかなという感じですが。
どういう人か、まず勝手な期待なんですけど、前作を読んでくれた人は読んでくれるんじゃないかというまず期待をしていて。
そこに加えて書くことじゃなくて読むことにしか興味がなかった人にその読んでもらって、その読書がやっぱあれですね、書くということまで含めてもうちょっと気楽に書けるようにしたらいいじゃんって思ってもらえたら一番成功かなと。
なるほど。賢くなりたい人とかではなく?
賢くなりたい人を想定はしていなかったですね。自分の場合、そういうことをする人はもうやっていると思っている。
なるほど。
賢くなりたいと思っている、まあ賢くなりたいっていう言い方がちょっとなんともなんですけど、と思っていたらもうアンテナを張ってこの本に書いてあることは大体全部知っているんじゃないかなぐらい思ったりはするんですけどね。
自分は本を読むのがあんまりうまくないなと思っている人には向いてそう?
読むのがうまくないと思っている人っているのかな?
いると思うよ。直接思っただけでなく、もっと本をうまく読めるようになりたいと思っている人はいると思う。
それだったら十分すぎるぐらい一番ヒットする人かもしれない。
なるほど。
と自分は思います。
なるほどね。
読んだけど分かったつもりにならんとか、読んだけど読んで何か得られたんだろうかみたいなことに疑問を持っているんであれば、非常に役立つんじゃないかな。
そして一冊目としてこの本のメモを書いてもらったらいいんじゃないかな。
そうよね。
っていうのは思いますね。
なるほど。
想定読者で言うと、いつも自分の話で言うと前提としてナレッジスタックを読んでくれている人みたいなのを想像しているかも。
狭いと言えば狭いかな。
法人じゃないけど仮想人としてナレッジスタック読者みたいなのがある。
まだああいう分野に興味を持っている人ってことね。
っていう概念が、顔とかそういうものは存在していないんですけど仮想の人として存在していて、その人に書いている印象はあるかも。
なるほどね。
それを後付けで言語化すると今みたいな感じになるのかな。
という感じで、今のところこれで2冊目は書けたんじゃないかなと思っておりまして。
来年も今度はちゃんと誕生日に間に合うようにしたい。
でも811でいいんじゃないかな。
誕生日に発売しておめでとうございますって言われたい。
おめでとうって言いやすいじゃないですか。
確かにね。3年目からは誕生日にして、4年目はずっと誕生日にしたらいいね。
っていうのを一応来年の目標なので誕生日に発売をすることです。
そうするとちょっと生活サイクルが1ヶ月早まるんですよね。その考えでいくと。
ちょっと早く取り掛かれないといけないっていうのはあるんですが。
あとまだ直す気はあるので、一応終わったのでそれを含めて今後、
これをまず手におはから構成的なことを直しつつ、ついでに構造をもうちょっと入れ替える可能性もあるという感じでやっていこうと思っております。
そんな感じかな。
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対応です。
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