面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト、第70回の本日は、
HELP! 人生をなんとかしたいあなたのための現実な提案について語ります。
はい、よろしくお願いします。
はい、お願いします。
えーと、今回は倉下のターンということで、毎度恒例、自己継承系の本を取り入れたいと思うんですけども、
簡単に初始情報だけ先さらっとくと、著者がオリバー・バークマンという方で、
これは第何回か忘れましたけど、少し前に取り上げた、限りある時間の使い方という本の同じ著者の本ですね。
この本自体は、2023年の4月26日に出版されてるんですが、
もう全然気づかなかったんですけど、2014年に東宝出版というところから、
HELP! 最強知的お助け本というタイトルで出てた本をタイトルを変えて、
改めて別の出版社から、かかわて処方から出たというのが、この本です。
はい、ありますね。つい最近なんですけど、昆虫からタンパク質を取らないといけないという本、
ちょっとタイトル忘れたんですけど、あれも最近タイトルを変えて、
早かったかな、なんかから出てたりして、やっぱもう一回売るっていうのは結構やるんですね。
そうみたいですね。おそらく限りある時間の使い方、完結出版から出版されてる本が、
結構大きなヒットになった。僕、書店でも結構ランキングの上の方に並んでるのがあって、
それが2022年やったんで、おそらく同じ著者の本があると。
これはちょっと出した方がいいだろうということで、復刊改題としか書いてないんで、
翻訳自体は多分そんなに大きく改まってないと思います。
2014年版見てないんで中身わからないですけど、おそらく翻訳者の方も変わってないので、
おそらく似たような感じ、そのままに近い形で出版されたんだろうと。
同じく河瀬さんから2023年の3月、だからこの本の1ヶ月前にも
ネガティブ思考こそ最高のスキルという同じオリバー・バークマンの本から出まして、
言っては悪いですけど、著者人気の後を追うっていう感じの本の出し方なんだろうなと。
僕、そのオリバー・バークマンの本2冊、今回読んだことになるわけですけど、
全体的にメッセージ性が強いとか、本としての完成度でいうと、
限りある時間の使い方の方がドッシリした本だというのが印象なんですね。
この本が、著者が書いてた、雑誌か新聞かに書いてたコラムをまとめて本にしたという形なので、
大きなメッセージというのはなくて、ちょっとエッセイがまとまったような本なので、
限りある時間の使い方のようなドッシリ相撲ではなくて、割とちょこまかと動き回るタイプの本なので、
どちらをお勧めするかというと、限りある時間の使い方なんですけど、
こっちの本の方が、著者のイギリス人っぷりがよく出てるというか、皮肉なユーモアが割かし多いんですよ。
それは好きな人が嫌いな人が結構分かれると思うんですね。
すごい偏見ですけど、イギリス人のちょっと天の邪悪が好きなようなユーモアセンスが好きなら、たぶんこの本は楽しめると思いますけど、
著者の本領発揮かな、いわゆる自己啓発的なものと哲学的なもの、哲学とか思想的なものを合わせて論じるという意味で言うと、
全長の方がたぶんいいです。
この本は、もっと軽くパラパラと読むタイプの本になってますね。
どんな本なのかということなんですけど、当然コラムがまとめられた本なんですけど、
著者自身の関心が、人の幸せに関わるようなことを、
自己啓発と本書でも書いてあるんですけど、自己啓発に対する疑いのまなざしですよね。
うさん臭いこと言ってるんだろうなというようなまなざしとともに、
でもそこに全否定するのもなんか違うなという微妙なアンビバレントな気持ちがあって、
で、著者は著者なりに自己啓発を含む諸々の分野、本書ではポピュラー心理学と総化してますけど、
ポピュラー心理学的なものを文献を読み漁ったりとか、実際にやってみたりとか、
実践している人に話を聞くというふうに経験を通りながら、
でも懐疑的なまなざしをそこに向けつつ、できるだけ良いものを、
玉石混合の中に残る良いものを見つけ出そうという試みのエッセイ集という感じですね。
【佐藤】結局ジャンルとしては自己啓発に含まれる。
【佐藤】含まれると思います。つまり自己啓発と関心の対象は似ている。
つまり人の性というものを少しでも良いものにしようという思いは一緒ですけど、
でも一般的に言われている自己啓発の、この本では多分100冊ぐらいの冊目が上がっているんですけど、
本社にある本をかなり批判的に述べている部分もあれば、
意外にこれ効果あるよというところを論じている部分もあって、
一緒くたんに自己啓発は良いなしは悪いとかいうことではなくて、
個々の発言に対してこれってこういうことじゃないとか、
こういう角度から考えられるんじゃないかなということが書かれているので、
著者は自己啓発の世界を旅するときの労働マップになったらいいなということを本書について言っているんですけど、
自己啓発という世界にどんな言説が含まれているのかということがまず知れるのと、
その言説に対してどういう角度から意見を申せるのかということが分かるという意味で、
2つの意味でのマップになっているかなというところです。
【佐藤】ある意味で一通りの自己啓発みたいなやつは、知っておいた方が楽しめそうな雰囲気なんですかね。
【寺田】そうですね。全然知らんよりも、ある程度ああいうのってあるよねということを知っている方がいいと思います。
だから自己啓発ゼロの人が読むよりも、自己啓発知っている人が楽しめますけども、
でもある意味でこれから自己啓発を読む人であれば先にこれを読んどくと、ちょっと免疫がつくんじゃないかなと思いますね。
【佐藤】まあ、自己啓発の多くが上手いですからね、そういうのを。これならできるっていう気分にさせるのが。
【寺田】そういうのが優れた、そういう誘導とかインフルエンスするものが生き残ってきた生存しているわけですから、
そういうベストセラーとかに触れる前に逆にこういうので全体の触れといて疑問点を知っておくと、
逆に有用に活用できるようになるんではないかなとはちょっと読みながら思ってました。
【佐藤】現代もあまり強くいかない、How to become slightly happier and a bit more down。
【寺田】ちょっとだけ幸せになったりとか、ちょっとだけ今よりもできることが多くなるための方法みたいな感じで、非常に控えめなタイトルで、
でも最初に出た時、最強知的お助け本ってなってて、そのお助けの部分が多分ヘルプっていうのにかかってるんでしょうけど。
【佐藤】ヘルプは一文字もタイトルに入ってないですよね、元のタイトルには。
【寺田】ごめんごめん、これ副題やな。現代のいわゆる大元のタイトルがヘルプ。
【佐藤】あー、ヘルプ。
【寺田】ヘルプっていうタイプで副題がHowなんとかっていう。
【佐藤】はいはいはいはい。
【寺田】一応ヘルプ感はあるけど、一応新版の方にも人生をなんとかしたいということも特になくて、だいぶひねったタイトルをつけてるんですけど、
本書のメッセージにも通じるんですけど、極端なものではなくて、もっと小さいものの方がいいよというメッセージを反映したタイトルだと思います。
小舘がいくつかありまして、ちょっと読み上げましょうか。
1章が今すぐに改めるべきこと。
第2章が心の使い方を知る。
第3章が良い友達、良い人間関係。
第4章が職場と自身の環境改善。
5章が仕事をはかどらせる方法。
6章が健康な精神生活を送るための知恵と工夫。
7章が日々の疎ましい思いとの付き合い方。
8章が安易についていくな。
9章が不完全こそ最高の状態ということで、結構バラバラで、当然コラムをまとめたもので、
一つ一つの章が論じていって最後に大きくまとまるというタイプの本ではないです。
もちろんボトムアップ的にコラムがありましたと。
このコラムを集めたらこういうのができます。
それを集めてこういう章にしましょうみたいなボトムアップで構成されているタイプの本ですね。
一通り自己啓発で実践をしたいことがちゃんと網羅されている印象。
著者は自己啓発とともにライフハッカーだった。
あるいはライフハック的なことにも興味がある人なので、
その辺から読んでもライフハック的な効率性が好きな人がはまりやすい考え方とかも紹介されているので、
そういう意味でも我々世代にも非常に読みやすいかなと思います。
これが10年前に出てたっていうのがすごいですね。
そうやって考えると。
ある意味そのライフハックの袋工事は結構早い段階であったということなんだと思いますけども。
小手先の効率化っていうのは1年もすれば確かに飽和しちゃうんで、
その後を求めるとこういうとこにたどり着くということなんでしょうか。
全体的なメッセージがそれほどないんで、
今回はクラッシュタグが気になったところ、面白かったところをピックアップして紹介しようかなと思うんですが、
まず自己啓発のよくあるメッセージに積極的思考というのがあるんですね。
特に自分がこう思えばこうなるみたいな。
願いは叶うみたいなタイトルがつきそうなやつ。
僕はそれ大嫌いなんですけど。
あれは何が問題かというと、
例えば何かを実践、言われたことを実践すると。
で、うまくできなかったとしますよね。
良いキックが訪れなくなったときに、
それはあなたの考え方がまだ十分に変われてないからですよっていうことになるわけです。
つまり、永遠に自己責任なんですね、それって。
そのメッセージ、アドバイスをした本人、著者らは何の責任も問われない。
最強の免罪婦なんですね、その積極的思考っていうものは。
ノウハウの中でそれほどイビルなものはないと思うんですけど。
確かに積極的な考えを持った方がいい場面っていうのはあると思うんですけど、
その自己責任につながる考え方は、
その自己啓発全般に及ぶもので、
結局、あなたが変われば世界が変わる。
でも世界が変わってないってことは、あなたが変わってないですよねっていう、
その輪の中に閉じ込めてしまうという考え方がまずいと思うんですけど、
本書はきっちりそこをフォローされてまして、
そこを読むだけでも本書の価値があるんじゃないかなと思いますね。
なんかあれだな、今聞いてパッと思い出したのが、
20年ぐらい前にそういう本を読んだなっていう印象があって。
でも今でもその手のための本は、
自己啓発のベストセラーの上の方に必ずありますからね。
そうなんだ、なんかね、夢が叶う手帳術みたいな感じで、
なんか夢を手帳に書きましょうとかって、
20年ぐらい前は追おうとかって思ってたような印象があるんだけど。
やっぱ難しいんじゃないかなっていう。
あーそうかそうか。
それは難しいな。
僕はがいは感じてないけど、
楽しいけどね。
いや、がいは感じてるんちゃうかな。
僕はその、
ゲラが上がってきた時に、
文字を細かい流度で直す?
なんか、
開業があるから一義を減らしてください、
みたいなことをやってる時って、
すげー夢中になってるけどね。
でもまぁ、
あれはそれやりがいとは違うから。
そう、夢中とやりがいもなんかやっぱ違う気がする。
だから僕らはやりがいとは何かを、
そもそも知らんままに
それを探してる風なとこがあるね。
多分夢中になっていたということは、
結果としてやりがいがあることをやっていた、
情熱を持って取り組んでいただと思うけれども、
多分その最中にそう感じていたら、
それはやりがいを持てていないんじゃないかという気もする。
なるほどね。
結果からしかわからないものと。
なるほど、確かにそれはあるかも。
だから先に探そうとしても結構無益、
空振りに終わりそうやな。
うん、ですね。
せいぜい翌日思い出せるぐらい。
そうやな、それぐらいの思い。
そういう感覚で仕事の取り組み方をしたらいいんではないかって話と、
あと補足的に、びっくりしたんですけど、
森田雅崎っていう森田療法の人ですね。
森田療法ってご存知?
なんか聞いたことあるかもだけどわかんないかな。
神経症とか不安障害とかに対する一つの方法で、
無理に治そうとしないんですね、森田療法では。
なんとなく聞いたことあるかも。
例えば不安があるだろうと。
心配もなるだろうと。
でも、そのままの状態でまずやってみなさい、行動してみなさいと。
その結果を引き受けなさいっていうような、
まさに東洋的な感じのメッセージ。
で、実際に効果もあるという話を聞いたことがありますけども、
その森田雅崎の言葉として、
できるだけ最高に不完全な人間でありなさいというメッセージがあって、
僕らはつまり、どうしたって人間は完全には至れないと。
不完全であると。
でも、その不完全の中でできる最高のことをしようというメッセージね、これは。
不完全の中の最高になろうというところにかかっている。
完全にならなくても、
完全な人間になろうとしなくていいと。
そもそもそんなものにはなれないと。
でも、不完全だっていろいろあるでしょと。
不安を感じててじっとしてる状態と、
不安を感じてやって失敗する状態。
こういう中で、少しでも自分の能力が発揮されるものを目指しましょう。
それでいいじゃないですかというメッセージがあって。
実はこれが本社の指名にも関わってくるキーワードで、
時間があったら触れるんですけど、
森田さんって結構こんなところまで有名なんじゃない?
ちょっと驚いてましたね。
森田 東洋的で仏教的な話ですね。
今のところでいうと。
そうですね。
森田 治療的な治療と医療で正常な人間になおそうというのとは違う発想ですね。
そうか。東洋医学というのが最高の不完全に戻すことなのか。
森田 不完全体になろうとはしませんよね。
だから治療に標準状態で戻すとか、
その人の体の力を生んぬんかなみたいなことを言うから、
ちょっと思想的に違いがありますね。
その辺の話と、
いつもの自分パラドックスというのがあって、
これありのままの自分パラドックスと言い換えてもいいんですけど、
ありのままの自分になりましょうとか、
いつもの自分でありましょうっていうようなメッセージも自己啓発にはよくあるんですけど、
いつもの自分とか本当の自分とか、
ありのままの自分になろうとしてた考えで、
もうそれありのままの自分じゃないよねっていうことなんですね。
そこに作意があるじゃないですか。こういう方向にしようっていう。
だから本来は何もしない状態がありのままの自分なはずなんけど、
ありのままの自分であろうとしてる段階でもうねじれてますし、
かといって何もしないでおこうとしてる段階でも、
もうそれはありのままの自分じゃないじゃないですか。
だからこのプラスにしろマイナシロのその方向に向かおうとしてる段階で、
もうあなたのありのままの自分からは外れてますよということが結構ダイレクトに書かれてます。
それもやっぱ夢中になってみるしかないのかな、結果的に。
結局そうしようと思ってる時点で、本来的にはそれからはずれてるっていうところは、
さっきの話と近いですね。
だからこういうふうに、ありのままの自分に至ろうっていう時に、
自分っていうのをどう捉えるか。
自分っていうのがある種固定的なものと捉えるか、
変化して発展していくものとして捉えるかで、
精神的な安定度って違うよねっていう研究が紹介されてたんですけど、
発展的に、固定的に捉えるんじゃなくて、
自分を変化するものとして捉えた方がおおむね幸福だろうという話が紹介されてましたね。
それはそうでしょう、きっと。
似た問題で、人生の再出発問題というのがありまして、
これも自己啓発によくあるんですね。
生まれ変わるってやつですね、要するに。
今日からあなたは生まれ変わります。おめでとうございます。
でも、結局そんなことは無理なんですね。
無理なことの多くって結局、
人間って環境に定義されてる部分が多いので、
今日僕が心持ちを変えたところで、環境は何も変わってなかったら変わるわけがなく。
だから結局、大きな変化じゃなくて、
今いるところから現実的に変えていけるものを変えていきましょうと、
これもまたごく当たり前の話がされております。
あとね、ゴールですね、ゴール問題、目標問題ですね。
ブライアントレイシーっていう超有名な、
自己啓発で超有名な方がおられまして、
この人はもう人生の目標を立てろと。
目標のない人生なんていうのはもう何の価値もないということを延々と言われるわけですね。
普通の人ってそんなにクリアに目標を持って生きてないじゃないですか。
スポーツマンとか以外はぼんやりと生きてて。
そういう人たちがそのメッセージをくれると、
自分の人生っていうのは間違ってた、生き方っていうのは間違ってたんだっていうふうに劣等感を抱いて、
この人が言うことを従えばもっといい人生に至れるんだというふうに誘い込まれるわけですね。
結局、こういう言説が結局僕らが目標っていうのを嫌う原因になってる?
そうか。そう言われるから目標を持つことが嫌になるか。
確かに。
小中さんはあんまり好きじゃないですよね。その目標を決めなさい言説ってあんまり好きじゃないでしょ、きっと。
ひねくれ者なので、学校で歌われそうなやつは大体嫌いなんですけど。
でも目標って結局、例えばこの仕事を1時間で終えようとかいうのも目標ですし、
今年1年楽しく生きたいなとかも目標じゃないですか。
でもそういうものじゃないじゃないですか、僕らが嫌う目標っていうのは。
まさにこのブライアント・レイシーが言うような、もっと自分の生き方を明確にして、
そこに至る手順をはっきりして、その通り進めなさいみたいなメッセージなわけですね。
こういうのが結局、僕らと目標の関係を危うくしていると読んでて思いました。
もっとラフなもんでいいはずし、目標ってもっとぼんやりしたものでも、
僕、テーマとかってよく言ってますけど、ある種目標と同じ機能を持ってるはずなんですけど、
自己啓発における目標というのが人間を苦しめているんだなと。
まあそういうのはもう、この本ではこきおろされてますね、はっきりと。
この著者の名前を挙げてさらにこきおろされてる。だいぶ喧嘩を売ってますが。
やりそうですね。イギリスっぽいっていうのがちょっとわかってくる感じ。
そういうこと。普通だったらちょっとぼやかしじゃないですか。この手の書籍は、みたいなちょっとぼやかしをしますけども、
はっきり名前を挙げて言ってるんで。
ブライアント・レイシーがダメだって言ってるんですよね。
この言説は間違ってるってはっきり言ってるんで。さすがやなと思いながらちょっと読んでました。
ブラックスワンの著者とかと似てるような印象がある。
似てますね。ああいうはっきり言うタイプですね。
だからはっきり言うのが嫌いな人はちょっとあれですけど、好きな人は楽しく読めると思います。
あとは似た話かな。何日で人生が変わるとかいうやつも、結局起源を設けるとストレスが溜まりますし、
特に○○日で人生が変わるっていうのって完璧主義なんですね。
要するに。その時点で人生が○○日と変わってたらOK、変わってなかったらダメで、
例えば目標の30%ぐらい変わってたら良いとかいうことにはならないんですよ、こういう言説っていうのは。
これも結局人を、当然そんな風に変わるわけではなく、挫折感を読んでしまう。
意思、史上主義といって、思っただけでなんとかなるっていうのもこのタイプの言説にある話ですね。
あと一個、これも第1章の最後は出てくるんですけど、死ぬまでにしたい○○なことっていうやつ。
ありますね。百個のことみたいなやつとか、作りましょうとかっていう。
これはスタンフォードの自分を変える教室っていうケリー・マクゴ・ニガルさんの本にあって、
そのリストを作っただけで満足する効果というのがあるらしいですね、人間というのは。
うん、わかりますね。書くとすっきりするっていう。
そうそうそうそう。だからそのリストを作るだけで終わってしまうと。
むしろ、行動が逆に生まれなくなってしまうという問題がある。
で、マーリン・マンテ、ライフハックで有名な方なんですね。43フォルダースか、管理人の方で。
その人もね、昔はリストを結構作ろうって言ってたと思うんですけど、
情報リストは物事の根本的な改善を積極的に妨げようとするっていうことを、
反リストみたいなことを言われてるらしく。
ライフハックとリストって僕の中では切っては切れない関係だなと思ったんですけど、
そうでもないっていう風潮になってきてて。
でも確かにリストを作ると満足するし、それ以降どんどん逆に触らなくなってくるっていう恐れは実際にあるんで。
リストじゃない形のライフハックっていうのはあるのかなというのはちょっと思いましたね。
情報リストっていう言葉を初めて見たかもって思ったんですけど。
この本で。おそらくインフォメーションリストの訳じゃないと思います。
リストって書いただけをちょっとわかりやすくしたんじゃないかな。
ちょっと概念として良さそうだなと思ったんですけど、死ぬまでにやりたい何々のことみたいなのはおそらく情報リストだと思うんですよね。
スーパーで買いたいものリストは多分ちょっと情報リストと違う気がするし。
アイテムリストって書いてあるな。
今日やろうと思うことを情報リストじゃなくて今言ったアイテムリストみたいなものにできれば実現できるんじゃないかっていう気がして。
リストをもうちょっと細かく解像度を上げてみてみたら使い方が変わってくると。
それはあると思うね。
定期を考えないといけないんですけどね。
マーリンマンによると情報リストの何が悪いかっていうとまず今すぐそこに情報があるから本当に必要な情報っていうのが不鮮明になってしまうと。
たくさんの情報に紛れて重要な情報がどれかがわからなくなると。
もう一個は選択肢があまりにも多い。
結局人生で言ったら100のリストとかじゃないですか。
基本的に。
そういう中で言うと選択するのがめんどくさいから一番簡単なものを選んでしまう。
イージーゴーイングに走る傾向がある。
コーチに行ってうどんを食べるとかだったらまあやれるかっていう本を書くより簡単ですからね。
簡単なものを選んでしまいがちってなるといえば問題があるということで。
僕もよくよく考えたのは数年前からそういうリストってほとんど作ってないですね。
やっぱりデイリーだけ。
デイリーのリストだけ。
1年間のやりたいことリストとかもないですし。
だからそうなっていくんかなっていう感じがしますね。
いつかやりたいことみたいなの消えましたね。
もう無くなったね。
GTDの時はね機器として作っていた。
作ってた。
ありとあらゆることをリストしてたね昔は本当に。
でも確かにねもう書いてあるまんまでね。
やった気にはなるけどやらんくって。
しかも数が増えるから管理する気にもならなくなって。
ただ増えてしまうんですよねそれもまた。
増えることによって大切さが減るよね。
情報としての重みが減ってしまう。
こういうのもライフハック好きの著者やから多分実体験としてはわかる。
同じことをやっているんだろうなっていう。
そういう感じで第一章っていうのは目標とか行動とか自分がどこに向かうとか
その行動をどう管理するかっていうことに関するコラムが収められている章です。
1章だけでも結構話題があるんですけど。
引き続き2章いきましょう。
2章はね心の扱い方を知るっていうことで。
感謝習慣感謝リストサンクスか。
サンクスすることこれもね非常によくある。
感謝の心を持ちましょう。
実際にやっぱり感謝する人って論文で出てるデータでも
健康な度合い精神的にも身体にも健全な人が絶対にあるらしいんですよね。
ただ問題は感謝しましょうということを習慣にしてしまうことに問題があるかもよということがあって。
つまりなんで感謝がいいかっていうと感謝ってありがたい。
ありがたいって絵がたいってことですよね。
つまりなかなか怒らないのに怒ってくれてどうもサンクスっていうことですね。
感謝を日常にしてしまうと感謝することそのものがありがたくなくなってくる。
感謝すべきという心で望む時点でもうちょっと間違ってるわけですね。
だから感謝したくなって感謝するのは別にいいけど
感謝習慣を身につけたら幸せになるという理論は多分間違ってるんですね。
難しいところですね。
それもやっぱ間違ってないと思うんだけど確かに間違ってるんだよなっていう。
だから多分著者も最初1週間くらいやっててすごい良い気分になれたけど
ある時期を過ぎてから心の中で葛藤が生まれたと。
これをまだ続けていくのかどうかっていう葛藤に苛まれたりしたけど
その葛藤を感じた段階で多分もうダメなんですねきっと。
そっからは義務になってしまうから。
感謝が義務になったら幸せではないですね。
感謝ってのは義務じゃないからこそ価値があるんだよって。
だから感謝する心を持って世界を眺めましょうというところまではいいですけど
それをもっとメソッドっぽくして毎日感謝日記を書きましょうとなってくると
ちょっと怪しさが出てきますねこれ。
まあそういうような全体的に感謝することはいいけど
そこを習慣化するのはどうかという話が語られて。
あと心配について。
心配も僕チャッターの時に挙げましたけど心配って結構大きな問題なんですけど
本当に言うと僕らが得られる満足感というのは非常に淡白なものだけども
不安や心配というのはそれよりもっと刺激的だと。
つまり脳にとってより強い情報量、刺激がある。
たぶん狩猟採集の頃からきっとそうなんでしょうね。
ドーパミン的な思考っていうか。
だから僕たちは満足感に浸ってるよりもつい不安や心配の方に引きずられてしまうと。
これはもう生物的な傾向だからある程度は仕方がないんで
著者が言うには悩んでもいいけど一人で悩むと。
悩む時は複数人で悩んだ方がいいと。
おそらく問題解決にとってもいいですし
心理的な不安にとってもおそらくそれはいいでしょうね。
結局チャッターに悩まされてる時って一人で悩んでる時なんですね基本的には。
あれが起こるのは一人で悩んでる時なのでやっぱり誰かに言うっていうこと。
それを考えたら昔キリスト教の教会に罪の告白しに行くっていうのは
この意味でも合理的なんだなぁと思いましたね。
残ってるもの多分数百年残ってるものはだいたいそういう
今考えても結構理にかなってることが多いですよね。
現代社会で宗教と切り離されて各家族で一人で家で仕事してる人たちは
結構危ういバランスにいるとは言えますねこれ。
一人暮らしが増えていてっていうのはめっちゃ見ますね問題になっているっていう。
ある種の地域的なコミュニティとか趣味的なコミュニティとかは全く持ってなくて
あるいは持ってても相談できるような人がいない場合は
幸運から少しずつ遠ざかっていく感じがありますね。
よほど心が強い人であってもやっぱり危機的な状況になった時に
それを堪え切れるかわからないんで。
だからそういう意味でも何かの場に属しておくことっていうのは大切かなと。
でもこれもよくお金の話で出てきましたがリタについて。
リタって英語でどういうかわかりませんけども
実験があって実験者にお金をもらえるか
誰かに寄付するかがランダムに割り当てられるみたいな実験で
ノウハウを測ってるわけですね。
自分のポケットマネーから大きなお金を寄付する時ほど
ドーパミンが激しく動くらしいんですね反応するらしいんですよ。
なんかあのギャンブルで大金を吸った時とかと似ている。
当然そのドーパミンっていうのがある種の幸福感につながる。
特にリタ的な行為をしたら幸福感が生まれるでしょうから。
だから自腹を切るのが一番幸福に近い。
しかも他人のために自腹を支払うのが一番幸福感があって
しかもその行為が他の人に知られない時ほどよく反応するらしいです。
匿名である方が。
だからこれも難しい話で
寄付をソーシャルネットワークで自分が寄付してしまって
広げることで寄付の波が広がっていくっていう話がありますけど
あれは幸福感で言うとちょっと減ってるわけですね実際。
誰かに言わない方が幸福度的にも高いし
おそらく道徳的にも良いことなんだろうなとは思います。
だから昔から良いことは匿名でせよっていうような
ある種のモラルというか道徳感というのは
これも生物の反応的にはごくナチュラルなことなんだろうなと思いましたね。
幸福なお金の使い方みたいなそういうのでよく出てきたやつですね。
結局他人のためにやってあげることが一番自分に
結果自分が幸福になれる行為だっていう。
それを他人に知らせると自分のブランドに寄付する
高感度に寄付する行為として認識され直してしまうから
ちょっと下がるんでしょうねきっと。
たぶんそれをアピールしている俺はちょっとかっこよくないかもしれないって
自分でも思っちゃうんでしょうね。
だからそういう意味でも匿名でやるのが
自分の幸福感でいうとその方がよろしかろうと。
これも不成功と不作為の話があって
やった後悔とやらない後悔問題ですね。
自己啓発的に言うと。
やっぱり基本的にはやって失敗した方がいいと。
やらなかった不作為の後悔というのは
無限の広がりを持つとあるんですけど
ああやったらよかったこうやったらよかった
ああやらなかったよかったって
いくつものパターンが考えられてしまうと。
これは悩みの谷を広げてしまうけど
やった後悔はやっちゃったなとかっていう
限定的な後悔で済むんで