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今回は、オリバー・バークマンの『HELP! 「人生をなんとかしたい」あなたのための現実的な提案』を取り上げました。

バークマンの本は、『限りある時間の使い方』に続いて二回目です。長く続けていると徐々にこういうかぶりも出てきますね。それもまたよしです。

書誌情報

* 著:オリバー・バークマン

* 1975年リヴァプール出身

* 『限りある時間の使い方』かんき出版 (2022/6/22)

* 『ネガティブ思考こそ最高のスキル』河出書房新社 (2023/3/25)

* 原題

* Help !How to become slightly happier and get a bit more done

* 翻訳:下隆全

* 出版社:河出書房新社

* 出版日:2023/4/26

* 2014年8月東邦出版『HELP!最強知的"お助け"本』の改題・復刊

自己啓発は、self-enlightenmentでもあるわけですが、self-helpでもあります。その「help」から本書の原題は来ているのでしょう。

ちなみに、自己啓発でいうと『自己啓発の罠:AIに心を支配されないために』という本を以前取り上げていますが、本書の趣は少し違います。 世の中にある「自己啓発的言説」を、著者の実際の経験も交えながら批評的な切り口でばっさりやるというのが本書のテーマで、そこでは「悪しき自己啓発」がやり玉に上がっています。

一方『自己啓発の罠』は、健全な自己啓発が持つ危険性を指摘するもので(フーコー的なまなざしです)、「悪しき自己啓発」ではないものがやり玉にあがっています。批判の観点が異なるわけです。

とは言え、この二つのまなざしは重ねることができるのかもしれません。

本書のメッセージは原題の副題(slightly happier and get a bit more done)にもあるように、今よりも少しだけ幸福に近づけたり、できることが増えたすることを目指す、というものです。完全な幸福や無限の生産性に近づくものではありません。そういう幻想を追い続けると、結果的に幸福ではなくなってしまう、という観点がさまざま形で語られています。

でもってそれは、「健全な自己啓発」であっても、それを突き詰めてしまえば上記のような「反-幸福」につながってしまうとは言えるでしょう。つまり、あからさまな「悪しき自己啓発」ではないものだったとしても、何もかもを完全にコントロールし、理想的な自我の形に近づいてかなければならない、というような思いに囚わているのだとしたら、それは完全にオーバーコントロールになり、人間が持つ自由さや矛盾性を抑圧する結果になりかねないというわけです。

結果的に、「健全な自己啓発」であってもほどほどに留めておく必要があり、逆に言えばそれがほどほどに留まっている間ならば、人間にとって好ましい効用をもたらしてくれるのではないか、という風に考えられます。

つまり、「悪しき自己啓発」を退ける上でも、「健全な自己啓発」がもたらす危うさと距離を置くためにも、「ほどほどマインドセット」が大切だ、という風に二つのまなざしが重ねられるわけです。

ちなみに本編では上記のような話はせずに、本書から特に面白かった項目を紹介していますので、興味があればぜひ本編をお聴きください。



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サマリー

第70回のブックカタリストでは、『HELP! 人生をなんとかしたい』について話しています。この本は、オリバー・バークマンさんの著書で、自己啓発やライフハックについて疑問を持ちながら良いものを見つける試みがされています。この本では、人生は完全ではないというメッセージが伝えられ、情熱を持つ仕事を見つけることや自己啓発の考え方について語られています。 第1章では、目標の管理や変化の考え方、そして感謝の心の持ち方についてのコラムが紹介されています。第2章では、感謝の習慣や心配についての話があります。後悔や他人とのコミュニケーションに向き合うことが、しゃあないなっていう精神で重要だと述べられています。また、職場の意義や価値を考える必要があります。会議の必要性や会議を減らして雑談を増やすことの意義についても話し合われました。さらに、自己啓発の本やライフハックについて、小さな変化に焦点を当てることの重要性も述べられています。 この本は、ビートルズと同じような感じを与えてくれる本だと思います。オリバー・バークマンさんの本は、すべて売れていそうな雰囲気がありますね。

オリバー・バークマンの本の紹介
面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト、第70回の本日は、
HELP! 人生をなんとかしたいあなたのための現実な提案について語ります。
はい、よろしくお願いします。
はい、お願いします。
えーと、今回は倉下のターンということで、毎度恒例、自己継承系の本を取り入れたいと思うんですけども、
簡単に初始情報だけ先さらっとくと、著者がオリバー・バークマンという方で、
これは第何回か忘れましたけど、少し前に取り上げた、限りある時間の使い方という本の同じ著者の本ですね。
この本自体は、2023年の4月26日に出版されてるんですが、
もう全然気づかなかったんですけど、2014年に東宝出版というところから、
HELP! 最強知的お助け本というタイトルで出てた本をタイトルを変えて、
改めて別の出版社から、かかわて処方から出たというのが、この本です。
はい、ありますね。つい最近なんですけど、昆虫からタンパク質を取らないといけないという本、
ちょっとタイトル忘れたんですけど、あれも最近タイトルを変えて、
早かったかな、なんかから出てたりして、やっぱもう一回売るっていうのは結構やるんですね。
そうみたいですね。おそらく限りある時間の使い方、完結出版から出版されてる本が、
結構大きなヒットになった。僕、書店でも結構ランキングの上の方に並んでるのがあって、
それが2022年やったんで、おそらく同じ著者の本があると。
これはちょっと出した方がいいだろうということで、復刊改題としか書いてないんで、
翻訳自体は多分そんなに大きく改まってないと思います。
2014年版見てないんで中身わからないですけど、おそらく翻訳者の方も変わってないので、
おそらく似たような感じ、そのままに近い形で出版されたんだろうと。
同じく河瀬さんから2023年の3月、だからこの本の1ヶ月前にも
ネガティブ思考こそ最高のスキルという同じオリバー・バークマンの本から出まして、
言っては悪いですけど、著者人気の後を追うっていう感じの本の出し方なんだろうなと。
僕、そのオリバー・バークマンの本2冊、今回読んだことになるわけですけど、
全体的にメッセージ性が強いとか、本としての完成度でいうと、
限りある時間の使い方の方がドッシリした本だというのが印象なんですね。
この本が、著者が書いてた、雑誌か新聞かに書いてたコラムをまとめて本にしたという形なので、
大きなメッセージというのはなくて、ちょっとエッセイがまとまったような本なので、
限りある時間の使い方のようなドッシリ相撲ではなくて、割とちょこまかと動き回るタイプの本なので、
どちらをお勧めするかというと、限りある時間の使い方なんですけど、
こっちの本の方が、著者のイギリス人っぷりがよく出てるというか、皮肉なユーモアが割かし多いんですよ。
それは好きな人が嫌いな人が結構分かれると思うんですね。
すごい偏見ですけど、イギリス人のちょっと天の邪悪が好きなようなユーモアセンスが好きなら、たぶんこの本は楽しめると思いますけど、
著者の本領発揮かな、いわゆる自己啓発的なものと哲学的なもの、哲学とか思想的なものを合わせて論じるという意味で言うと、
全長の方がたぶんいいです。
この本は、もっと軽くパラパラと読むタイプの本になってますね。
どんな本なのかということなんですけど、当然コラムがまとめられた本なんですけど、
著者自身の関心が、人の幸せに関わるようなことを、
自己啓発と本書でも書いてあるんですけど、自己啓発に対する疑いのまなざしですよね。
うさん臭いこと言ってるんだろうなというようなまなざしとともに、
でもそこに全否定するのもなんか違うなという微妙なアンビバレントな気持ちがあって、
で、著者は著者なりに自己啓発を含む諸々の分野、本書ではポピュラー心理学と総化してますけど、
ポピュラー心理学的なものを文献を読み漁ったりとか、実際にやってみたりとか、
実践している人に話を聞くというふうに経験を通りながら、
でも懐疑的なまなざしをそこに向けつつ、できるだけ良いものを、
玉石混合の中に残る良いものを見つけ出そうという試みのエッセイ集という感じですね。
【佐藤】結局ジャンルとしては自己啓発に含まれる。
【佐藤】含まれると思います。つまり自己啓発と関心の対象は似ている。
つまり人の性というものを少しでも良いものにしようという思いは一緒ですけど、
でも一般的に言われている自己啓発の、この本では多分100冊ぐらいの冊目が上がっているんですけど、
本社にある本をかなり批判的に述べている部分もあれば、
意外にこれ効果あるよというところを論じている部分もあって、
一緒くたんに自己啓発は良いなしは悪いとかいうことではなくて、
個々の発言に対してこれってこういうことじゃないとか、
こういう角度から考えられるんじゃないかなということが書かれているので、
著者は自己啓発の世界を旅するときの労働マップになったらいいなということを本書について言っているんですけど、
自己啓発という世界にどんな言説が含まれているのかということがまず知れるのと、
その言説に対してどういう角度から意見を申せるのかということが分かるという意味で、
2つの意味でのマップになっているかなというところです。
【佐藤】ある意味で一通りの自己啓発みたいなやつは、知っておいた方が楽しめそうな雰囲気なんですかね。
【寺田】そうですね。全然知らんよりも、ある程度ああいうのってあるよねということを知っている方がいいと思います。
だから自己啓発ゼロの人が読むよりも、自己啓発知っている人が楽しめますけども、
でもある意味でこれから自己啓発を読む人であれば先にこれを読んどくと、ちょっと免疫がつくんじゃないかなと思いますね。
【佐藤】まあ、自己啓発の多くが上手いですからね、そういうのを。これならできるっていう気分にさせるのが。
【寺田】そういうのが優れた、そういう誘導とかインフルエンスするものが生き残ってきた生存しているわけですから、
そういうベストセラーとかに触れる前に逆にこういうので全体の触れといて疑問点を知っておくと、
逆に有用に活用できるようになるんではないかなとはちょっと読みながら思ってました。
【佐藤】現代もあまり強くいかない、How to become slightly happier and a bit more down。
【寺田】ちょっとだけ幸せになったりとか、ちょっとだけ今よりもできることが多くなるための方法みたいな感じで、非常に控えめなタイトルで、
でも最初に出た時、最強知的お助け本ってなってて、そのお助けの部分が多分ヘルプっていうのにかかってるんでしょうけど。
【佐藤】ヘルプは一文字もタイトルに入ってないですよね、元のタイトルには。
【寺田】ごめんごめん、これ副題やな。現代のいわゆる大元のタイトルがヘルプ。
【佐藤】あー、ヘルプ。
【寺田】ヘルプっていうタイプで副題がHowなんとかっていう。
【佐藤】はいはいはいはい。
【寺田】一応ヘルプ感はあるけど、一応新版の方にも人生をなんとかしたいということも特になくて、だいぶひねったタイトルをつけてるんですけど、
本書のメッセージにも通じるんですけど、極端なものではなくて、もっと小さいものの方がいいよというメッセージを反映したタイトルだと思います。
小舘がいくつかありまして、ちょっと読み上げましょうか。
自己啓発のメッセージに対する考察
1章が今すぐに改めるべきこと。
第2章が心の使い方を知る。
第3章が良い友達、良い人間関係。
第4章が職場と自身の環境改善。
5章が仕事をはかどらせる方法。
6章が健康な精神生活を送るための知恵と工夫。
7章が日々の疎ましい思いとの付き合い方。
8章が安易についていくな。
9章が不完全こそ最高の状態ということで、結構バラバラで、当然コラムをまとめたもので、
一つ一つの章が論じていって最後に大きくまとまるというタイプの本ではないです。
もちろんボトムアップ的にコラムがありましたと。
このコラムを集めたらこういうのができます。
それを集めてこういう章にしましょうみたいなボトムアップで構成されているタイプの本ですね。
一通り自己啓発で実践をしたいことがちゃんと網羅されている印象。
著者は自己啓発とともにライフハッカーだった。
あるいはライフハック的なことにも興味がある人なので、
その辺から読んでもライフハック的な効率性が好きな人がはまりやすい考え方とかも紹介されているので、
そういう意味でも我々世代にも非常に読みやすいかなと思います。
これが10年前に出てたっていうのがすごいですね。
そうやって考えると。
ある意味そのライフハックの袋工事は結構早い段階であったということなんだと思いますけども。
小手先の効率化っていうのは1年もすれば確かに飽和しちゃうんで、
その後を求めるとこういうとこにたどり着くということなんでしょうか。
全体的なメッセージがそれほどないんで、
今回はクラッシュタグが気になったところ、面白かったところをピックアップして紹介しようかなと思うんですが、
まず自己啓発のよくあるメッセージに積極的思考というのがあるんですね。
特に自分がこう思えばこうなるみたいな。
願いは叶うみたいなタイトルがつきそうなやつ。
僕はそれ大嫌いなんですけど。
あれは何が問題かというと、
例えば何かを実践、言われたことを実践すると。
で、うまくできなかったとしますよね。
良いキックが訪れなくなったときに、
それはあなたの考え方がまだ十分に変われてないからですよっていうことになるわけです。
つまり、永遠に自己責任なんですね、それって。
そのメッセージ、アドバイスをした本人、著者らは何の責任も問われない。
最強の免罪婦なんですね、その積極的思考っていうものは。
ノウハウの中でそれほどイビルなものはないと思うんですけど。
確かに積極的な考えを持った方がいい場面っていうのはあると思うんですけど、
その自己責任につながる考え方は、
その自己啓発全般に及ぶもので、
結局、あなたが変われば世界が変わる。
でも世界が変わってないってことは、あなたが変わってないですよねっていう、
その輪の中に閉じ込めてしまうという考え方がまずいと思うんですけど、
本書はきっちりそこをフォローされてまして、
そこを読むだけでも本書の価値があるんじゃないかなと思いますね。
なんかあれだな、今聞いてパッと思い出したのが、
20年ぐらい前にそういう本を読んだなっていう印象があって。
でも今でもその手のための本は、
自己啓発のベストセラーの上の方に必ずありますからね。
そうなんだ、なんかね、夢が叶う手帳術みたいな感じで、
なんか夢を手帳に書きましょうとかって、
20年ぐらい前は追おうとかって思ってたような印象があるんだけど。
自己啓発のメッセージへのフォロー
でもやっぱりその当時はちょっと追おうと思ってたわけですね。
たぶん。やっぱね、そうやって考えると、
簡単に惑わされるんだなっていう。
そうですね。いや、惑わされるのは仕方がないとして、
そこから抜け出て成長したらいいんですけど、
やっぱりそこの段階で、やっぱり私がダメなんだという考え方が
醸成されてしまうんであれば、それはあんまり良くないですよね。
結局、ある部分、自分ではどうしようもないことってあるわけじゃないですか。
環境とか、世代とか年代とか、時節とかによって、
個人の力ではどうしようもないことがあるはずなのに、
その積極的思考の考え方では、
そういうものすらも考え方を変えれば何とかなると主張されるので、
そこの辺がやっぱりちょっと大雑把な感じがしますね。
うーん、そうだな。そういうところで言うと、
私はそれができてなくても別に何とも思ってなかったっていう、
その性格の相性の良さはあったのかもしれない。
そこの侵食されないんで、占いの良いことだけ信じるみたいなことができるんだら、
多分積極的思考は多分いいと思いますね。
うーん、そうですね。
悪い時に、特に自分自身の方法が悪いじゃなくて、
自分自身が悪いみたいなことになっちゃうと、
帰属を間違えちゃうと、だんだんネガティブの方向に進んでしまって、
より高いセミナーへとかいうことになってしまうので、
その辺の安全弁はちょっと持っておきたいなと。
何よりも厄介なのが、その意見が間違ってないことなんですよね。
確かにね。
情熱を持つ仕事の見つけ方
それは確かに重要なことであると思うので。
ファクターとしては重要で、確かに積極的にやれると思うとか、
ポジティブに捉えるってことは必要ですけども、
かといって、それで全てが解決するわけではないという。
必要条件と十分条件をすぐ間違えてしまう。
写真でいうと、ある部分だけフォーカスして、
他の部分を写してないような写真の撮り方をしてしまっている感じ。
うーん、ちょうど言語の本質の中で、
人間がいかに論理を間違えてしまうのかっていう話が出てきて、
ああ、そうだな、その通りだな、面白いなって思ったんだけど、
必要条件を言われるのにそれが十分条件だと、
人間は簡単に逆転させて、破綻した論理で考えてしまう?
まあ、そうだよね。多分システム1で理解してるから、
システム2的には考えないでしょうね。
だから、必要条件と十分条件も結局、
あるロジカルな面において現れてくる分離であって、
システム1の中では多分ないはずやから。
つながってたらもうそれはつながってるっていうことやから。
だから、付け込まれやすいよね、基本的にはそういうのが。
そうですね。やっぱり人類のそういう、
論理的思考の隙をついて入り込んできてしまう。
うーん、っていうところで、
まあ、それでその人たちが儲けるのは別に勝手ですけど、
その人の、それを聞いた人の自尊心とかが傷つけられてしまうのは、
まあちょっとあまりよろしくないイビルなことかなとは思いますね。
それに関連することなんですけど、
著者からの忠告がはじめにの部分にありまして、
自らを助言者の元祖であるかのように振る舞う人々には、
絶えず疑いの目を向けなさいというメッセージがあって、
結局、幸せになるための方法みたいなのって、
ある種パブリックなもの?そんなに秘密にされるものでもなくて、
昔からずっと語られることなんですけど、
やっぱりそのメッセージの大元の人は、
私だけが知ってますと。
それをあなたに特別に教えます。
こういう振る舞いをする人は、
とりあえずその人が言ってることが正しいかどうか以前に、
まずちょっと疑った方がいいよという、
非常に役立つメッセージが冒頭に掲げられてますね。
大事なことですね。
大事なことですね。
第一章からが具体的な事例になるんですけど、
いろいろあるんですが、
情熱を持てる仕事について、
これはもうよく言われてることなんですけど、
そんなものは探したって見つからないと。
おそらく性格診断とか占いとかしても見つからないと。
それはだから見つけるものではない、そもそも。
自分自らが情熱っていうのは、
作り上げ育てていくものだという話で、
森博先生にやりがいのある仕事という幻想という、
全く同じようなタイトルの本がありまして、
ここでも同じことが語られてて、
ちょうど子供は4万回質問するっていう、
好奇心に関する回でも、
好奇心は育てるものであるっていう話を紹介しましたが、
全部一緒なんですね、基本的に。
自分が手間とかコストをかけたことによって、
初めてその対象に愛着なり、
情熱っていうのが湧いてくると。
だから、そういう育むことをせずに、
例えばいろんなものを点々と見つかって、
いつかは自分が情熱がある仕事に
巡り会えるだろうとか、出会えるだろうっていう受け身では、
おそらくは見つからないだろうという、
これもよくあるメッセージで、
逆転させたことがあるわけですね。
こうしたらあなたの情熱がある仕事が見つかりますよって、
メッセージが世の中にあふれ返ってるわけですけど、
不完全な人間でありなさい
そのアンチ訂正になってると。
どうですかね、ゴルゴさん、
今自分がやってること、
諸々ニュースレターとかブログとか含めて、
情熱は感じられます?
好きか嫌いかっていうと。
やっと情熱を持てるようになってきたかなっていう、
少しずつ見えてきた。
40にして惑わずぐらいに、
本当にあの人の言った通りだなって思う感じ。
10年以上かかってる?
はっきりとした感じになるまでは。
そうです。
10年前で言うと、
もうちょっとエネルギーはあったんですよね。
エネルギーを情熱という用語で表現はできるかもしれないけれども、
今考えるとそれは、
イコールではない。
今の方がそういう意味で言うと、
エネルギーは足りないけれども、
情熱はあると思う。
この仕事してていいのかなっていう疑問みたいなのはない?
そういうのはね、
ほとんど持ったことがないですね、
自分の場合は。
それはもう、
こういう自営業的なことを始めた段階からも一切ない?
そうですね。
バイトしてると、
こんなのいらんなって思うことはしょっちゅうありました。
でも自分で最良を震える仕事をしてるときはそんな感じなのかな?
完全にゼロとはもちろん言わないけれども、
限りなくゼロだと思います。
そうか。
どういうタイミングで自営業しようと思ったかどうかは知りませんけど、
早い段階で巡り合えたらなかなか幸運だった?
そうですね。
逆に言うと多分、
そういうところではやっぱりやれないタイプなんだろうなってしみじみ思います。
なんか意味を感じられないと本当にやる気が出せない。
だから、
情熱を持つ仕事は育てなければならないという話と、
でも相性ってあるよねっていう話はこれ普通にあって、
何でもいいわけじゃないよね。
何でもいいわけじゃないけど、
でも、
初めから与えられるわけじゃないっていう、
この2つを意識しとくのは仕事については結構重要かなと。
これを読みながら思いましたね。
でも、あれじゃないかな。
60ぐらいになって振り返って、
情熱持っててやれたなって思えたら成功なんじゃないかなって気がするんだけどな。
そうだね。
それだけの人生で振り返ってきた時に、
後悔まみれよりは、
情熱があそこにあったと思えた方が幸せでしょうね、きっと。
うん。
多分幸せと同じで、
なんていうんだろう。
あっても気がつかないものなんじゃないかなっていう印象もあって、
情熱を持って何かっていう。
そうだよな。
後から振り返った時に、
よく俺はそんなことできたなと思えた時に、
情熱がそこに、
痕跡が認められるっていうことはあるかもしれないね。
でも、
情熱とは言えばやりがい。
この仕事やってて、
あー良かったなと思える感覚は、
リアルタイムで多分、
リアルタイムというか仕事の結果の時に、
例えば本を書いて、
読者さんが読んでもらって、
面白かったですって言ってもらえた時、
その時には多分感じれると思うけど、
やりがいっていうのは。
細かな日本語の話なんですけど、
やったがいですよね、それは。
最中じゃなくて、
ドゥイングじゃなくて、
ダーンに関するがいやな、確かにね。
そうそうそう。
そういう意味で言うと、
リアルタイム、
書いている最中に、
やりがいを感じていたかというと、
ありのままの自分になることの難しさ
やっぱ難しいんじゃないかなっていう。
あーそうかそうか。
それは難しいな。
僕はがいは感じてないけど、
楽しいけどね。
いや、がいは感じてるんちゃうかな。
僕はその、
ゲラが上がってきた時に、
文字を細かい流度で直す?
なんか、
開業があるから一義を減らしてください、
みたいなことをやってる時って、
すげー夢中になってるけどね。
でもまぁ、
あれはそれやりがいとは違うから。
そう、夢中とやりがいもなんかやっぱ違う気がする。
だから僕らはやりがいとは何かを、
そもそも知らんままに
それを探してる風なとこがあるね。
多分夢中になっていたということは、
結果としてやりがいがあることをやっていた、
情熱を持って取り組んでいただと思うけれども、
多分その最中にそう感じていたら、
それはやりがいを持てていないんじゃないかという気もする。
なるほどね。
結果からしかわからないものと。
なるほど、確かにそれはあるかも。
だから先に探そうとしても結構無益、
空振りに終わりそうやな。
うん、ですね。
せいぜい翌日思い出せるぐらい。
そうやな、それぐらいの思い。
そういう感覚で仕事の取り組み方をしたらいいんではないかって話と、
あと補足的に、びっくりしたんですけど、
森田雅崎っていう森田療法の人ですね。
森田療法ってご存知?
なんか聞いたことあるかもだけどわかんないかな。
神経症とか不安障害とかに対する一つの方法で、
無理に治そうとしないんですね、森田療法では。
なんとなく聞いたことあるかも。
例えば不安があるだろうと。
心配もなるだろうと。
でも、そのままの状態でまずやってみなさい、行動してみなさいと。
その結果を引き受けなさいっていうような、
まさに東洋的な感じのメッセージ。
で、実際に効果もあるという話を聞いたことがありますけども、
その森田雅崎の言葉として、
できるだけ最高に不完全な人間でありなさいというメッセージがあって、
僕らはつまり、どうしたって人間は完全には至れないと。
不完全であると。
でも、その不完全の中でできる最高のことをしようというメッセージね、これは。
不完全の中の最高になろうというところにかかっている。
完全にならなくても、
完全な人間になろうとしなくていいと。
そもそもそんなものにはなれないと。
でも、不完全だっていろいろあるでしょと。
不安を感じててじっとしてる状態と、
不安を感じてやって失敗する状態。
こういう中で、少しでも自分の能力が発揮されるものを目指しましょう。
それでいいじゃないですかというメッセージがあって。
実はこれが本社の指名にも関わってくるキーワードで、
時間があったら触れるんですけど、
森田さんって結構こんなところまで有名なんじゃない?
ちょっと驚いてましたね。
森田 東洋的で仏教的な話ですね。
今のところでいうと。
そうですね。
森田 治療的な治療と医療で正常な人間になおそうというのとは違う発想ですね。
そうか。東洋医学というのが最高の不完全に戻すことなのか。
森田 不完全体になろうとはしませんよね。
だから治療に標準状態で戻すとか、
その人の体の力を生んぬんかなみたいなことを言うから、
ちょっと思想的に違いがありますね。
その辺の話と、
いつもの自分パラドックスというのがあって、
これありのままの自分パラドックスと言い換えてもいいんですけど、
ありのままの自分になりましょうとか、
いつもの自分でありましょうっていうようなメッセージも自己啓発にはよくあるんですけど、
いつもの自分とか本当の自分とか、
ありのままの自分になろうとしてた考えで、
もうそれありのままの自分じゃないよねっていうことなんですね。
そこに作意があるじゃないですか。こういう方向にしようっていう。
だから本来は何もしない状態がありのままの自分なはずなんけど、
ありのままの自分であろうとしてる段階でもうねじれてますし、
かといって何もしないでおこうとしてる段階でも、
もうそれはありのままの自分じゃないじゃないですか。
だからこのプラスにしろマイナシロのその方向に向かおうとしてる段階で、
もうあなたのありのままの自分からは外れてますよということが結構ダイレクトに書かれてます。
それもやっぱ夢中になってみるしかないのかな、結果的に。
結局そうしようと思ってる時点で、本来的にはそれからはずれてるっていうところは、
さっきの話と近いですね。
目標の管理と変化の考え方
だからこういうふうに、ありのままの自分に至ろうっていう時に、
自分っていうのをどう捉えるか。
自分っていうのがある種固定的なものと捉えるか、
変化して発展していくものとして捉えるかで、
精神的な安定度って違うよねっていう研究が紹介されてたんですけど、
発展的に、固定的に捉えるんじゃなくて、
自分を変化するものとして捉えた方がおおむね幸福だろうという話が紹介されてましたね。
それはそうでしょう、きっと。
似た問題で、人生の再出発問題というのがありまして、
これも自己啓発によくあるんですね。
生まれ変わるってやつですね、要するに。
今日からあなたは生まれ変わります。おめでとうございます。
でも、結局そんなことは無理なんですね。
無理なことの多くって結局、
人間って環境に定義されてる部分が多いので、
今日僕が心持ちを変えたところで、環境は何も変わってなかったら変わるわけがなく。
だから結局、大きな変化じゃなくて、
今いるところから現実的に変えていけるものを変えていきましょうと、
これもまたごく当たり前の話がされております。
あとね、ゴールですね、ゴール問題、目標問題ですね。
ブライアントレイシーっていう超有名な、
自己啓発で超有名な方がおられまして、
この人はもう人生の目標を立てろと。
目標のない人生なんていうのはもう何の価値もないということを延々と言われるわけですね。
普通の人ってそんなにクリアに目標を持って生きてないじゃないですか。
スポーツマンとか以外はぼんやりと生きてて。
そういう人たちがそのメッセージをくれると、
自分の人生っていうのは間違ってた、生き方っていうのは間違ってたんだっていうふうに劣等感を抱いて、
この人が言うことを従えばもっといい人生に至れるんだというふうに誘い込まれるわけですね。
結局、こういう言説が結局僕らが目標っていうのを嫌う原因になってる?
そうか。そう言われるから目標を持つことが嫌になるか。
確かに。
小中さんはあんまり好きじゃないですよね。その目標を決めなさい言説ってあんまり好きじゃないでしょ、きっと。
ひねくれ者なので、学校で歌われそうなやつは大体嫌いなんですけど。
でも目標って結局、例えばこの仕事を1時間で終えようとかいうのも目標ですし、
今年1年楽しく生きたいなとかも目標じゃないですか。
でもそういうものじゃないじゃないですか、僕らが嫌う目標っていうのは。
まさにこのブライアント・レイシーが言うような、もっと自分の生き方を明確にして、
そこに至る手順をはっきりして、その通り進めなさいみたいなメッセージなわけですね。
こういうのが結局、僕らと目標の関係を危うくしていると読んでて思いました。
もっとラフなもんでいいはずし、目標ってもっとぼんやりしたものでも、
僕、テーマとかってよく言ってますけど、ある種目標と同じ機能を持ってるはずなんですけど、
自己啓発における目標というのが人間を苦しめているんだなと。
まあそういうのはもう、この本ではこきおろされてますね、はっきりと。
この著者の名前を挙げてさらにこきおろされてる。だいぶ喧嘩を売ってますが。
やりそうですね。イギリスっぽいっていうのがちょっとわかってくる感じ。
そういうこと。普通だったらちょっとぼやかしじゃないですか。この手の書籍は、みたいなちょっとぼやかしをしますけども、
はっきり名前を挙げて言ってるんで。
ブライアント・レイシーがダメだって言ってるんですよね。
この言説は間違ってるってはっきり言ってるんで。さすがやなと思いながらちょっと読んでました。
ブラックスワンの著者とかと似てるような印象がある。
似てますね。ああいうはっきり言うタイプですね。
だからはっきり言うのが嫌いな人はちょっとあれですけど、好きな人は楽しく読めると思います。
あとは似た話かな。何日で人生が変わるとかいうやつも、結局起源を設けるとストレスが溜まりますし、
特に○○日で人生が変わるっていうのって完璧主義なんですね。
要するに。その時点で人生が○○日と変わってたらOK、変わってなかったらダメで、
例えば目標の30%ぐらい変わってたら良いとかいうことにはならないんですよ、こういう言説っていうのは。
これも結局人を、当然そんな風に変わるわけではなく、挫折感を読んでしまう。
意思、史上主義といって、思っただけでなんとかなるっていうのもこのタイプの言説にある話ですね。
あと一個、これも第1章の最後は出てくるんですけど、死ぬまでにしたい○○なことっていうやつ。
ありますね。百個のことみたいなやつとか、作りましょうとかっていう。
これはスタンフォードの自分を変える教室っていうケリー・マクゴ・ニガルさんの本にあって、
そのリストを作っただけで満足する効果というのがあるらしいですね、人間というのは。
うん、わかりますね。書くとすっきりするっていう。
そうそうそうそう。だからそのリストを作るだけで終わってしまうと。
むしろ、行動が逆に生まれなくなってしまうという問題がある。
で、マーリン・マンテ、ライフハックで有名な方なんですね。43フォルダースか、管理人の方で。
その人もね、昔はリストを結構作ろうって言ってたと思うんですけど、
情報リストは物事の根本的な改善を積極的に妨げようとするっていうことを、
反リストみたいなことを言われてるらしく。
ライフハックとリストって僕の中では切っては切れない関係だなと思ったんですけど、
そうでもないっていう風潮になってきてて。
でも確かにリストを作ると満足するし、それ以降どんどん逆に触らなくなってくるっていう恐れは実際にあるんで。
リストじゃない形のライフハックっていうのはあるのかなというのはちょっと思いましたね。
情報リストっていう言葉を初めて見たかもって思ったんですけど。
この本で。おそらくインフォメーションリストの訳じゃないと思います。
リストって書いただけをちょっとわかりやすくしたんじゃないかな。
ちょっと概念として良さそうだなと思ったんですけど、死ぬまでにやりたい何々のことみたいなのはおそらく情報リストだと思うんですよね。
スーパーで買いたいものリストは多分ちょっと情報リストと違う気がするし。
アイテムリストって書いてあるな。
今日やろうと思うことを情報リストじゃなくて今言ったアイテムリストみたいなものにできれば実現できるんじゃないかっていう気がして。
リストをもうちょっと細かく解像度を上げてみてみたら使い方が変わってくると。
それはあると思うね。
定期を考えないといけないんですけどね。
マーリンマンによると情報リストの何が悪いかっていうとまず今すぐそこに情報があるから本当に必要な情報っていうのが不鮮明になってしまうと。
たくさんの情報に紛れて重要な情報がどれかがわからなくなると。
もう一個は選択肢があまりにも多い。
結局人生で言ったら100のリストとかじゃないですか。
基本的に。
そういう中で言うと選択するのがめんどくさいから一番簡単なものを選んでしまう。
イージーゴーイングに走る傾向がある。
コーチに行ってうどんを食べるとかだったらまあやれるかっていう本を書くより簡単ですからね。
簡単なものを選んでしまいがちってなるといえば問題があるということで。
僕もよくよく考えたのは数年前からそういうリストってほとんど作ってないですね。
やっぱりデイリーだけ。
デイリーのリストだけ。
1年間のやりたいことリストとかもないですし。
だからそうなっていくんかなっていう感じがしますね。
いつかやりたいことみたいなの消えましたね。
もう無くなったね。
GTDの時はね機器として作っていた。
作ってた。
ありとあらゆることをリストしてたね昔は本当に。
でも確かにねもう書いてあるまんまでね。
やった気にはなるけどやらんくって。
しかも数が増えるから管理する気にもならなくなって。
ただ増えてしまうんですよねそれもまた。
増えることによって大切さが減るよね。
情報としての重みが減ってしまう。
こういうのもライフハック好きの著者やから多分実体験としてはわかる。
同じことをやっているんだろうなっていう。
そういう感じで第一章っていうのは目標とか行動とか自分がどこに向かうとか
その行動をどう管理するかっていうことに関するコラムが収められている章です。
1章だけでも結構話題があるんですけど。
感謝の習慣と心配
引き続き2章いきましょう。
2章はね心の扱い方を知るっていうことで。
感謝習慣感謝リストサンクスか。
サンクスすることこれもね非常によくある。
感謝の心を持ちましょう。
実際にやっぱり感謝する人って論文で出てるデータでも
健康な度合い精神的にも身体にも健全な人が絶対にあるらしいんですよね。
ただ問題は感謝しましょうということを習慣にしてしまうことに問題があるかもよということがあって。
つまりなんで感謝がいいかっていうと感謝ってありがたい。
ありがたいって絵がたいってことですよね。
つまりなかなか怒らないのに怒ってくれてどうもサンクスっていうことですね。
感謝を日常にしてしまうと感謝することそのものがありがたくなくなってくる。
感謝すべきという心で望む時点でもうちょっと間違ってるわけですね。
だから感謝したくなって感謝するのは別にいいけど
感謝習慣を身につけたら幸せになるという理論は多分間違ってるんですね。
難しいところですね。
それもやっぱ間違ってないと思うんだけど確かに間違ってるんだよなっていう。
だから多分著者も最初1週間くらいやっててすごい良い気分になれたけど
ある時期を過ぎてから心の中で葛藤が生まれたと。
これをまだ続けていくのかどうかっていう葛藤に苛まれたりしたけど
その葛藤を感じた段階で多分もうダメなんですねきっと。
そっからは義務になってしまうから。
感謝が義務になったら幸せではないですね。
感謝ってのは義務じゃないからこそ価値があるんだよって。
だから感謝する心を持って世界を眺めましょうというところまではいいですけど
それをもっとメソッドっぽくして毎日感謝日記を書きましょうとなってくると
ちょっと怪しさが出てきますねこれ。
まあそういうような全体的に感謝することはいいけど
そこを習慣化するのはどうかという話が語られて。
あと心配について。
心配も僕チャッターの時に挙げましたけど心配って結構大きな問題なんですけど
本当に言うと僕らが得られる満足感というのは非常に淡白なものだけども
不安や心配というのはそれよりもっと刺激的だと。
つまり脳にとってより強い情報量、刺激がある。
たぶん狩猟採集の頃からきっとそうなんでしょうね。
ドーパミン的な思考っていうか。
だから僕たちは満足感に浸ってるよりもつい不安や心配の方に引きずられてしまうと。
これはもう生物的な傾向だからある程度は仕方がないんで
著者が言うには悩んでもいいけど一人で悩むと。
悩む時は複数人で悩んだ方がいいと。
おそらく問題解決にとってもいいですし
心理的な不安にとってもおそらくそれはいいでしょうね。
結局チャッターに悩まされてる時って一人で悩んでる時なんですね基本的には。
あれが起こるのは一人で悩んでる時なのでやっぱり誰かに言うっていうこと。
それを考えたら昔キリスト教の教会に罪の告白しに行くっていうのは
この意味でも合理的なんだなぁと思いましたね。
コミュニティの重要性
残ってるもの多分数百年残ってるものはだいたいそういう
今考えても結構理にかなってることが多いですよね。
現代社会で宗教と切り離されて各家族で一人で家で仕事してる人たちは
結構危ういバランスにいるとは言えますねこれ。
一人暮らしが増えていてっていうのはめっちゃ見ますね問題になっているっていう。
ある種の地域的なコミュニティとか趣味的なコミュニティとかは全く持ってなくて
あるいは持ってても相談できるような人がいない場合は
幸運から少しずつ遠ざかっていく感じがありますね。
よほど心が強い人であってもやっぱり危機的な状況になった時に
それを堪え切れるかわからないんで。
だからそういう意味でも何かの場に属しておくことっていうのは大切かなと。
でもこれもよくお金の話で出てきましたがリタについて。
リタって英語でどういうかわかりませんけども
実験があって実験者にお金をもらえるか
誰かに寄付するかがランダムに割り当てられるみたいな実験で
ノウハウを測ってるわけですね。
自分のポケットマネーから大きなお金を寄付する時ほど
ドーパミンが激しく動くらしいんですね反応するらしいんですよ。
なんかあのギャンブルで大金を吸った時とかと似ている。
当然そのドーパミンっていうのがある種の幸福感につながる。
特にリタ的な行為をしたら幸福感が生まれるでしょうから。
だから自腹を切るのが一番幸福に近い。
しかも他人のために自腹を支払うのが一番幸福感があって
しかもその行為が他の人に知られない時ほどよく反応するらしいです。
匿名である方が。
だからこれも難しい話で
寄付をソーシャルネットワークで自分が寄付してしまって
広げることで寄付の波が広がっていくっていう話がありますけど
あれは幸福感で言うとちょっと減ってるわけですね実際。
誰かに言わない方が幸福度的にも高いし
おそらく道徳的にも良いことなんだろうなとは思います。
だから昔から良いことは匿名でせよっていうような
ある種のモラルというか道徳感というのは
これも生物の反応的にはごくナチュラルなことなんだろうなと思いましたね。
幸福なお金の使い方みたいなそういうのでよく出てきたやつですね。
結局他人のためにやってあげることが一番自分に
結果自分が幸福になれる行為だっていう。
それを他人に知らせると自分のブランドに寄付する
高感度に寄付する行為として認識され直してしまうから
ちょっと下がるんでしょうねきっと。
たぶんそれをアピールしている俺はちょっとかっこよくないかもしれないって
自分でも思っちゃうんでしょうね。
だからそういう意味でも匿名でやるのが
自分の幸福感でいうとその方がよろしかろうと。
これも不成功と不作為の話があって
やった後悔とやらない後悔問題ですね。
自己啓発的に言うと。
やっぱり基本的にはやって失敗した方がいいと。
やらなかった不作為の後悔というのは
無限の広がりを持つとあるんですけど
ああやったらよかったこうやったらよかった
ああやらなかったよかったって
いくつものパターンが考えられてしまうと。
これは悩みの谷を広げてしまうけど
やった後悔はやっちゃったなとかっていう
限定的な後悔で済むんで
しゃあないなっていう精神
どっちかっていうとやらない後悔より
やった後悔ってよく言われるんですけど
これはおおむねそうだという話ですね。
この辺はあれですね。
よく言われているけどその通りだよねってことだってやつですよね。
アドバイスとしていいのは
一旦決めるともう元に戻せないような決定は
その結果がどうなってもあまり後悔しなくても
良いというメッセージが紹介されて
つまり取り返せないわけですから
どう考えたところで。
だから気にするなっていうことなんですけど
こう言っといてもらうと結構いいと思うんですね。
自分が後悔している対象について考えて
いやこれも考えても後で変えられないよなって思ったら
できるだけそのことから距離を離そうとするっていう
だから人はね後悔にしがみついてしまうね自分で
自分から。
おそらくそれはさっきの
不安の話ですよ。
不安の話とつながって
その方が刺激が大きいからなんですよ。
そこを一旦手放す判断として
取り返しがつくことが
普通なんか逆じゃないですか
取り返しがつかないことをしたら
より大きく心配するとか不安を覚えるっていうことだと思うんですけど
そうじゃないと
考えるべきことは変えられることを
限定した方がいい。
後後悔って
すごいネガティブに捉えられますけど
ストレスと一緒で
でも別に全部なくさなくていいよと
ちょっとぐらい後悔を心に抱いている方が
人間的に良い行いをするのではないかという話もありましたね
この辺ちょっとイギリスに
うーん
だから何の後悔も抱いてない人って
何の反省もしてないってことですから
まあそれはありえないというか
嘘だとしか思えないですよねそんな人は
だから心の中で
ちょっとちらっと後悔がちらついてても
それを糧にして
次からの判断を変えていけばいいと思って
それを邪魔なものとして
退ける必要はないよというような話が
紹介されてました
職場の意義や価値
俺そういうのでね
最近好きな日本語がね
しゃあないなっていう感じで
なるほど
今ちょっと辞書を調べて
言語の定義として
素晴らしいというわけではないんですけど
なんか
言葉の響きとして
しゃあないなっていうぐらいの
響きが一番ちょうどいいんじゃないかと
思っていて
仕方がないよりは
しゃあないのがいいね
うん
うん
しゃあない精神っていうのは確かに
まあその
現代
どうしようもないし
後悔はしてるけど
もうどうしようもないから
まあしゃあないかっていう
しゃあないことはもうこれ以上
どうしようもないもんね
うん
確かにね
そういう思いっきり
そのフレーズを思い出すのは
確かに有効かもですね
あとね
結構ね重要なのが第3章
3章
人間関係の
人間関係の話なんですけど
相手に何か聞くときがあって
尋ねるときがあって
2つの文化があると
1つは
とりあえず聞いてみるタイプの文化
でもう1つが
探ってみるタイプの文化
でこれ結構違うと
で聞いてみるタイプって要するに
もうナチュラルに疑問に思ったら聞く
例えば今週の土曜日遊びに行っていいかな
っていう聞く
この聞く人は別にも
断られてもいいと思ってる
ただ聞いただきやがら
でも探ってみるタイプの人は
おそらくうんって言ってもらえるだろう
ということを確信してから聞く
でこの2つのタイプがあって
この2つのタイプが
一緒で喋ると
非常にストレスが大きく
特にその探ってみるタイプの人にしたら
その土曜日行っていいって
聞かれるってことは
おそらく私はイエスと答えるだろうと思われてる
っていう風に認識して
非常に断りづらいけど断らなあかん
断らなあかんっていう
葛藤に晒される話ですね
そこまで読んだ上で
そういう答えを返す
っていう
相手もそういう風に想定してるだろうから
自分はその想定に答えなければならないと思ってしまって
使われてしまう
だからこういう
相手はただ聞いてるだけだよ
そういう文化に属してる人だよと思うだけで
スッと楽になるよという話があって
どうやらゴリゴさんは聞いてみるタイプかな
どっちかっていうと
物によって結構違って
どっちともかな
難しいですね
度合いで言うとどっちが
50-50ってこともあるけども
どっちだろうな
日によって違うんじゃないかっていう
気がする
そこまで違うんか
僕の印象ではやや聞いてみるタイプ
例えば返事がノーって言われても
そこまで気にしない感じがするけどね
気にしないようになれるようになってきたかな
って感じがする
なるほどね
変身があるわけな
日本人は探ってみるタイプが多い
多分そっちですよね
それは
自分はあまり良くないんじゃないかな
と思って聞いてみるタイプに
なりたいと思っている
っていう感じかもしれない
日本人でも変な人とか
あるいは外国の人
アメリカの人は聞いてみるタイプで
確かにそこで文化摩擦が
起こるだろうなと
文化なんで変えられないから
探ってみるタイプの人が
違うタイプ
違う文化圏にいる人なんだなと思えば
ちょっと楽になるよという話は
結構有効でしたね
その
相手は自分じゃないっていうのが
そういう言い方でよくわかる
気がする
違うロジックで質問してるんだ
聞いてるんだっていうことを知っておけばいい
あとはな
第4章は結構職場と自身の環境改善
っていうことで
仕事そのものについて
なんですけど自転車置き場の議論
っていうすごい
切ない話がありまして人は
結局どうでもいいことほど
大量に話し合うわけですね
クリティカルのことは
どうしてもいろいろ
摩擦が起きやすいから
あんまり話題に登らないと
だから自由に議論して
何にも問題もないことに人は議論
これツイッター見たらよくわかりますけど
どうでもいいことほど
これだから職場の会議とかでも
そういうことになりやすいらしいです
これはもう
それ以上何の手もないんですけど
まあでも確かにあるよなと
そこはねちょっと最近ちょうど
アフタートークで紹介した
ブレインワークアウトっていう本
で対話の重要性
っていうのを
すげえ語られていて
そこがね自分の中で結構新しい発見
だったというかへえっていう感じなんですけど
その対話というものが議論ではなくて
ちょっとパッと全部出てこないんですけど
違うんですよね
その目的というものが
その答えを得ようとすることを
目的とするんじゃなくて
何も目的がないことを話し合うことで
我々人類は
結果的にお互いのことを
よく知ることができていた
っていう考え方をすると
どうでもいいことを
ただ延々と議論することにも
深いところでの意味があるのではないか
無価値ではないとは思うよ
無価値ではないけど
そこに例えば2時間の
その人欠が
統治されていることを
会社がどう判断するかっていう
別に僕はどうでもいいんだけど
そこもより深い意味で
許容されてるんやったら
別にいいんですけどね
確かにむしろ会議じゃなくて
雑談でいいんじゃないかな
そこは
資本主義的価値観で言うと
そういうものが
よろしくないし
仕事が終わってからの
飲み会とかっていうのも
そういう意味で言うとやっぱり
無価値ではないんですよね
ただ現代社会では
失われようとしていることで
難しいな
一律に批判
どんな物事でもそうなんだけど当然
そういう会議を無くせば
職場がハッピーになるとまでは
即談はできんね確かに
しかも自分の場合割と
そういう会議を無くせというタイプなことは
事実で
ただ必ずしも
そうだけはないようなことも
最近ちょっと対話の話とかを見て
より思うようになってきたり
神社委員というものを
やってみて
はっきり言って無価値だな
っていう話し合いがいっぱいあるんですよね
ただ1000年以上
このやり方で
続いているもので
資本主義より長続きしてるんですよ
そうやって
考えるとやっぱ無価値ではないのかもしれないな
って自分の心を
なだめている
要素ももちろんあるんですけど
ジーンはそりゃそうですけど
会社の会議は資本主義より短いですよ
会社の会議は資本主義ができてからですからね
その正当性はまだ
立証されてないから
例えば
資本主義の中で
経営してる会議があって
会議の必要性と雑談の重要性
人と人が無駄なことを
話し合う場が会議にしかないんやったら
もう会議はこうしたからねきっと
でも逆に会議をなくして
もっと日常的に雑談ができるんやったら
それは全然トレードオフっていうか
そっちのほうがいい気はするけど
会議を否定するのではなく
議論を否定するのではなく
対話の重要性は
否定しなければいいってことですね
対話がキープされてたら
会議を否定してもいいけど
そこしかもう人と喋る暇がないんやったら
そこは最後
収拾しなあかんというは言えそうやね
これは
仕事の話は僕らにとっては
あんまり遠慮い話なんですけど
自分の場合そういうものがないっていうのも
今の生き方を選んだ理由でもあるので
たぶん無駄な会議は
ブルシッドジョブ的にやってる人の
ストレスにはたぶんなってると思うけどね
あれは
それはおそらく対話にならないんですよね
そうだとするとやっぱり結局
なんかやって
あー面白かった
話し合えて得るものがちょっとでもあったな
っていうことがあればいいけど
はーまた会議か
みたいなのはよくなさそうやね
もうちょっとそもそものやっぱり
仕事時間が減ることが
重要なんじゃないかなそういう意味で
仕事量っていうのか
そうやね確かにね
会議を遊び時間と捉えられたらそれぐらいやったらいいんですけどね
だから本来
はい1日3,4時間で終わる仕事量だけをこなして
3時間雑談をしているんだったら
なんか近全だと思うんですよね
それは思う
で、たぶんクリエイティビティは
そっちのほうが上がりそうやねきっと
たぶん午前だけ
仕事してランチが終わったら
3時までは
仕事しなくてもいいけど
帰ったらダメっていうルールにするとか
なんか雑用片付けたり
人と喋ったりする時間っていうのが
脳的にはいいよね
そんなに長時間
頭働かせられないからね
でもそういう仕事で成立するようになったのが
ほんとここ数十年
レベルですからね
数十もないかもしれない
昔の名残がどんどんまだ続いている
というところなんでしょうけども
自己啓発の本と小さな変化
第5章がね
仕事の作業のほうで
いわゆる著者がライフハッカーやなと思ったけど
やることリストの話があって
ポイントがあって
一つのリストを複数目的で
利用しないことっていうのがあって
具体的に言うとマスタータスクリストと
デイリータスクリストを分けましょうって書いてあって
やるやんと思ったんですけど
これはもう
第3世
この通りだと思います
そうですね
今日やることさらに言うと
分かるというかやっぱみんな
同じところにたどり着くんですね
聞くんだよね
やることリストとやりたいことリストも分けたほうがいいと
義務と
ギムとウォントを分けろっていう話
だから一つのリストで全部を網羅的にするというよりは
役割に合わせて小回りの効くリストを
作りなさいというのがあって
ここだけで新しいライフハック本
テーマになりそうなことが
書かれてました
あと6章7章があるのですが
時間がないので
どんどん飛ばしまして
さえいい子かな
9章8章も飛ばしましょう
9章これ最初に挙げた話だけど
将来が不完全こそ最高の状態
と思われる
最高の状態というタイトルなんですけど
要するに
自己啓発って
何をするかというと
良い人間になりたいとか
もっと幸福な人生を送りたいという動機があると思うんですけど
そうやって今の自分から変わること
変化する
そのために例えば目の前にある問題を
片付けていく
問題解決していって
ちょっとずつ変化していこうということなんですけど
自己啓発書をたくさん読むと
一冊一冊にこれが問題です
解決しましょうって書いてあるわけですね
別の本を読むとまた別のこれが問題です
って書いてあるわけです
人生が問題だらけに見えてこないですね
そういう本をたくさん読んでると
でも
壊れてないものは修理するなっていう
メッセージが紹介されているんですけど
まさにこの通りなんですね
自己啓発は
本を読むとあれも問題これも問題です
でも実際
自分そこまでそれに困ってないようなことも
問題ですと言われて
解決しなければならない
でも具体的に例えば
自分の
明日やることがわからないですと
忘れてしまうんですって言ったら
カレンダーに書きましょうとか
手帳を書きましょうっていうのはいいじゃないですか
でもやることのすべ
やることリストをすべて書き上げて
それを適切に分類しなさいっていうのは
多分ちょっとオーバーワークですよね
きっと
そうね
そのGTDな思想では
そうだったけれども
そこまでやらんでも日常って
遅れてるわけじゃないですか
時々それで困ったことも2,3生まれるわけ
ですけどでも人生って
そういうものの連続で進んでいく
わけじゃないですか
困ることが起きたらまたそれについて対処
したらいいのに
GTDに限らず自己啓発
起こりそうな問題を
先もって全部解決して
完璧な人生に向かいましょうという
メッセージが
ライフハック界隈の
つながってる線ですけど
そこは行き過ぎじゃないかなと
もっと自分に
直面している具体的な
身近な問題を片付けていくだけで
いいんじゃないかと
結局それが
不完全な人間の最高な状態
っていう話も通じますし
この本書のタイトルちょっとだけ
幸せになるとかちょっとだけ
自分ができるようになるっていう
メッセージ
これがだから著者がいろんな
自己啓発とかライフハックを
くぐり抜けて得た答えが
幸せになる一つの
大文字の方程式を
得たんじゃなくて
起こってくる問題に
こう考えたらいいんじゃないとか
こう対処したらいいんじゃないっていう
小さなものたちがいくつか
引き出しに入ったことが多分
自分の中での変化だという話で
まとまっているんですけど
地味な話と効果的な変革
こういう
ミニマルなライフハックというか
小さな自己啓発っていうところ具合が
多分ちょうどいい
自己啓発なんじゃないかなと
自己啓発を全くしない
このままでいいんだと
自分の起こる問題なんか何もないっていうのも
間違ったひなき直りだと思うんですよ
困ることは解決したいし
イライラするような作業は
自動化したいみたいな
ごくナチュラルな欲望だと思うんで
それを目指していくのは
別に悪いことじゃないですけど
そこを完璧になるってことが目標になってしまうと
結果的に逆に不幸になってしまう
ってことが起こるんで
この小さなこと
リルビットなことだけに
留めておくっていう姿勢が多分
大切で
この本の別に
著者が語ってるわけじゃないですけど
本書から感じられるのが全体的なメッセージとして
そのちょっとした変革に留めておく
っていうところが
目の覚めることですし
確かにそうだよなというふうに
感じさせられる内容でしたね
なんか
アトミックシンキング的な概念と
近いような気がして
自己啓発もアトミックに
やっていったほうがいいんじゃないのか
アトミック自己啓発か
っていうことを今聞いて
ヒントになりそうだなって思いました
アトミック便利ですね
便利キーワードやね
最近
ミニマリストみたいな
ちっさくっていうような小飽きなりとかも
ありますけどちっさくっていうのは
キーワードとしてあって
自己啓発ってやっぱり
大規模で完全主義で完璧に
革命的だ
革命的っていうのはね
あったかも
そういうのじゃなくて
日常にあるちょっとした変化の連続っていう
これはでも例えば
lifehacking.jpの堀さん
ずっと言っておられることだよね
小さな習慣を変えろってやつですね
小さなレベルでの
小さな習慣と積み重ねこそが大きな変化で
ある種ずっと言ってあることで
おそらく今でも支持されているのは
そういうことだと思いますね
だから大きいこと
言ってきた人は大体聞いてきた
わけですけど
残るものはそういう
地に足のついたメッセージっていうこと
だからそういう視点で自己啓発書
っていうのをもう一回見てみたら
ある部分は使えるし
ある部分はちょっと革命的すぎるからやめよう
みたいなことが多分判断できるんじゃないかなと思います
ですね地に足を
ついたっていうのが
大事なことというか
やっぱあれですね
ロマン主義的な激的で
ドラマチックな人生というのが
そういうものばっかり
我々は目にするので
そういうものが物語になる
ロマン主義的lifehackから
リアリズム的lifehackってことだよね要するに
確かに地味な話って
受けないバズらないからね
基本的にはブログで
バズりたい人は書かないよねそういうことは
そしてやっぱそういうものは
刺激がないのでニュースにならないし
誰も見ないし私は毎日
8時に起きて
10時に寝ています
みたいな話は
誰も面白くないですからね
だから毎日感謝日記つけてます
って人とたまに思いついたら感謝日記ついてます
って人やったらバリューがあるのはやっぱ
すごいですねそれはどうだったら
できるんですかってなりますよね
そういうニュース
的なノウハウ
からやっぱ距離を置くっていう
感じかなだからそれこそ
ユージュアルなノウハウ
って多分十分で
それでもやっぱり5年10年
続けたら変わるものってのは大きいですからね
そりゃ
そうじゃないと俺は5年10年続けらんないと思うんですよね
そういうことじゃないと
毎日革命はできませんからねそりゃ
革命したらね革命が日常になってしまうのは
ちょっと刺激的すぎる
刺激的すぎるっていうのはあるね
だから結局
刺激的なものってすぐ逆に飽きるんだよね
だからそういう意味で
非常に地味な
結論としては地味な話が
多いんですけど
でも変化していこうという希望は
別に消さない
日本でもビジネス主義派みたいな本があったんですけど
全部嘲笑うだけなんですね
こんな信じてるなんて
自分が自分を救うみたいな感じなんですけど
本社は確かに有用な部分もあるという
拾い出しをちゃんとしてくれてるので
変わりたい
よく生きたいって思うことって
別に不自然じゃないと思うんですよね
欲望としては
だからそういうものを手助けとして
そのポピュラー心理学が
どういう風に使えるのかっていうのを
自己啓発に興味がありつつ、自己啓発に疲れてきた人におすすめ
ビートリーズとして与えてくれる本になってるかなと思います
はい
オリバー・バークマンさんもね
全部売れてそうな雰囲気はあるので
そうやね
このネガティブ思考こそ最高のスキルも
ちょっと読みたくなってきた
という感じで
自己啓発に興味がありつつ
自己啓発に疲れてきた人に
おすすめみたいなイメージですかね
それはまさにそうやと思う
という感じで
ぜひ気になった方は読んでみてください
ということで
Book Catalystのサポーター募集
Book Catalystはサポーターも募集しておりますので
気になる人は概要欄などご覧いただければ幸いです
それでは今回も
お聞きいただきありがとうございました
ありがとうございます
01:00:29

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