1. うちあわせCast
  2. 第百二十三回:Tak.さんとシン..
2023-03-16 1:15:20

第百二十三回:Tak.さんとシン・R-styleについて

00:01
うちあわせCast、第百二十三回ということで、今回もゲストにたくさんお会いしております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
結構久々の収録ですが、確定申告あり、過分賞ありということで、2月後半はなかなか大変な季節なんですけども、
時間が空きましたが、どうしようかな。まず大江健三郎さんが亡くなられたということで、
88歳なんで、もういいお年だったんで、あれですけど、どんどん僕らが若かった頃の、
どう言ったらいいんやろ。憧れの作家ってのはおかしいですけど、偉大な人物がどんどんこの世を去っていく感がありますね。
そうですね。でも、大江健三郎さん、倉下さん。
僕の頃はもう完全に。
もう本当にあれですよね。すでにおじいさんだと思います。
王将というかね、もうその位置にいましたけども。
ノーベル賞を取ったのが90年代の2年とか3年とかでしたね、確かね。
僕が小説とか読むようになった頃にはもう完全に大作家さんっていう感じでしたね。
まあそうですよね。
まあでも、そういういろいろな人が亡くなっていくんだなというのと、
あともう一個、村上春樹さんの新作のタイトルが明らかになりまして、
これはちょっとびっくりしたんですけども。
びっくりしますね。これにびっくりするのは結構詳しい人ですけどね、たぶん。
タイトルが「街とその不確かな壁」というので、これ一切苦闘点がないんですけど、
街とその不確かな壁という中編小説にあたるのかな?
その長編ではなかったのか。
あれはどこかの雑誌に掲載されて、それが大元になって、
ハードウォールドワンダーランドの半分の方のある種の土台になったという話。
僕はその雑誌に掲載された方は知らないんですけど、
そういう作品があったっていうことは聞いてたんで、読んだことはないんで。
たぶんないと思うんですけど、パイド見たときにパッて思い出しまして、
中身はわからないんですけども、確実にインスパイアというか、
セルフカバーみたいな感じになるんですかね。
そうですね。僕これ読んだんですよ、街とその不確かな壁。
大人のやつ。国会図書館に行って。
何に掲載されたんですかね。中古?
えっとね、なんだったかな。
当時でも高段車から2冊出た、
風の歌を聴けと1973年のピンボールが出た後の作品なんですね。
そうですね、たしか。
どこから出たのか調べればすぐわかると思うんですけど。
読んだんですけどね、ああー、なるほどなっていう感じで。
03:03
やっぱりハードボイルドワンダーランドとは最終的には違う。
違います。反対ですね、あれの。
あー、反対か。
反対なんですよね。
世界の終わりとハードボイルドワンダーランドの世界の終わりパートのベースになってるのは明らかにわかるんですけど、
まあでも今度ね、出るんで、それのネタバレもしかしてそのネタバレになってしまったら大変なのであれですけど、
あのー、えっとね、
ノルウェーの森の時に、
このノルウェーの森という作品は世界の終わりとハードボイルドワンダーランドが自伝的な作品であるのと同じ意味で自伝的であるとか、
なんかそういうことをどっかに村上春樹さんが書いてる。
だけどあれが自伝的だとは思わないじゃないですか、普通。
まあそうですね。
でもその街とその不確かな壁のほうを読むと、あーなるほどそういうことかって感じました。
あーそうなんや。
一応wikipedia見つけると、1980年の文学会に掲載された。
僕がちょうど生まれたとしてね。
あとあの目倉柳と眠る女という漫画にあるんですが、
それとの関係も感じられます。
うーん、そうかー。
まあwikipedia情報に、春樹さんはこの作品は失敗であり、書くべきじゃなかったとも語っているというので、
ちょっとこう心残りみたいなのがあるので、それをちゃんとこの現代にフィットした自分の気持ちで書き直すというようなことは予想はできますけどね。
そうですね。
全然違かったら面白いけど。
全く違いますから。
世界の終わりとアドモールドワンダーランドの続編はいつか書いてみたいみたいなことですよね。
はいはいはい。
だからそういう意味合いなのか、でも僕は海辺のカフカがそれだと思ってたんですよね。
あーはいはいはい。
でも、まあわかんないですけどね。これはもう読んでみるまでわからないですが。
まあそうですね。僕は世界の終わりとアドモールドワンダーランドはさすがにネタ割りを気にするような作品ではないと思うんですけど、
世界の終わり側は若干しんみりした終わり方というか、盛り上がる展開ではなかったわけですけど、
それをあのままのエンディングのような流れで、改めて現代で単品で出すということは多分ないでしょうから。
あのエンディングがやっぱり評価が分かれるところだと思うんですよね。
そうですね。確かに。
そこをどう捉えるか。
まあいかにもはるきさんらしいといえばらしいですけども、
ハードボイルに期待されるものでは難しいな。
06:03
どう付き合うのか、あの世界、壁に囲まれたあの街を主人公がどう評価するのかというところでは、
現代的に変わってくるんでしょうね。
おそらくそうになる。あとその何人称で描かれるのかもちょっと気になりますけども。
そうですよね。
しかもハードボイルとワンダーランドは両方一人称だったけど、僕と私が分かれてたんですね。
そうですね。だからはるきさんは一時期は一人称だけで描いてて、途中から三人称の練習をし始めて、
三人称もモノにしたということで、逆に改めてもう一回一人称に戻ってくるということも、
このタイトルからしても多分その原点回帰みたいなのはちょっと感じられますけどね。
そうですね。
とりあえずあと1ヶ月ぐらいで発売なので、ちょっと楽しみにしておきましょう。
この空いた2,3週間の間に、結構GPT関連の動きが大変激しくなりまして。
まずChatGPTに一応有料のAPIが付いたと。
なのでオープンAIのサイトにアクセスしなくても、例えばプログラミングとかゲームアプリとかから
そのAPIを叩くことでChatGPTの機能が使えるようになったと。
この機能を開放されたことですごい様々なサービスが生まれたんですけども、
そのうちの一つで実験的というか、西尾さんという方が自分のスクラップボックスのデータを出力して、
ChatGPTにこれを参照してねって言うと、自分のスクラップボックスの内容を踏まえた回答をしてくれると。
これこそ第2のノート呼ぶふざましいものになってて、これはすごいなと思ってたらつい先日GPT4が出てしまいまして、
昨日一つぐらいかな。
昨日一つでしたけど。
それぐらいでした。
これがまずとんでもなくすごいと。
今度はもう画像も読み込めちゃうけど、画像と画像の中に書いてある文字をオシャレ的に読み取って、
そこの文章を理解しちゃうよという規模になってて。
これ当然もうちょっとしたら普通にAPI開放されるでしょうから、そうなったらまたえらいことになっていくということで、
この一ヶ月ぐらいAI関連、生成AIかな、生成系AIと呼ばれているものの一般普及と進化の度合いがすさまじいことになってますね。
全体がもう把握しきれないようになってます。
去年の年末ぐらいの過去からやってきた人に今の状況を説明するのは相当そんなに難しいんだけど。
そうですね、ここまで来ているとはっていう。
09:02
AIテクノロジーが進化するっていうのはもちろん予想されるんですけど、
APIが出てからさまざまなサービスがギュッと増えて、
普通の人というかパソコンオタクじゃなくても使える環境になりつつあるし、今後どんどんなっていくんだろうなと。
今から言ってますけど、やっぱりチャットゲージで使えるっていうのが新しいコンピューターとのインターフェースになると思いますし、
西尾さんがやられたスクラップボックスとの接続っていうのが多分知的精査の夢みたいな感じだと思うんですね、僕のイメージとしては。
ただデータベースを作るだけじゃなくて、そのデータベースとインタラクティブに対話するというのかな。
データを保存して引き出すだけじゃなくて、そこにある地を使って何かしてくれるっていうことが、
一つの知的精査、デジタル知的精査の到達点だと思うんですけども、結局例えば、
Evernoteってユーザーのデータはあなたのものですというスタイルやったので、
ユーザーのデータを例えば学習させる、AIに学習させるっていうのは構造的に無理ですよね、きっと。
データはこっち側に持てるだけですから。逆にノーションとかでも一緒なんですけど、
AI機能を使いたかったらユーザーのデータを向こうに使用権とかを委ねる形になると思うんですよね。
それは結構危ういトレードオフというか取引になると思うんですよね。
今使える汎用的な文章作成とかアウトラインを提示してくれるっていうのはもちろん元々便利に使えるんですけど、
もう一個踏み込むとやっぱり自分のデータから何かAI的なものを使いたいというのがあって、
現状Scrapboxはデータをエクスポートできるので、それを中間的な処理は全然わからないですけど、
何とかこうとかしたらAIに活かせるということで、だからこのデータの持ち方とか読み込ませ方っていうのが、
現状課題というか難しい、簡単に解決できない問題だなとはちょっと思ってますね。
この辺はどう決着、例えばそのAIが使えるノートサービスですよという形で始めて、
ユーザーが初めからそれを同意した上で使い始めるのがいいのか、
もう完全にユーザーが自分でそのAI的なものにデータを読み込ませるのがいいのかっていうのはちょっとわからないんですが、
その汎用的なデータ生成よりもこっちの方がやっぱり面白いなとは思いますね。
そうですね。
知的生産の補助といった場合に、そのAI的なサポートで土台を作ってくれるとかいうのももちろんある種のサポートですけど、
あなたの情報こんなもの持ってますよって言ってくれるのもやっぱり別の角度からのサポートだと思うんで。
12:03
そうですね。だから多分初めてそのデータの市蔵問題に対する解が示されたんじゃないかなと思うんですけど、
それがいいのかどういうのかどう悪いのかというのはちょっと正直想像がつかないというか。
そうですね。眠ってるデータが全部使えるのがいいことかどうかっていう問題があるのと、
もう一個はそちら側の自分のデータ知的生産方向は多分ビジネス的にそんなに盛り上がらない気がするんで、
あんまり自分でなんとかせざるを得ない部分は残るだろうなとは思います。
データの市蔵問題で今さっき思い出したんですけど、
富山茂彦さん、もう亡くなってるんですけど、富山茂彦さんの新刊がちくま文庫から出てまして、
忘却の生理学って本なんですけど、これもともと単行本で出てたやつですね。文庫文化したやつなんですけど、
冒頭で忘れるってことが悪いことと言われてるけど、実は想像のためには忘却が非常に大切なんだっていうことが言われてまして、
その文脈で言うと、自分が持ってるデータを全部使ってくれるAIは果たして良いのかどうかっていう問題提起ができると思うんですけど、
逆にAIが覚えてくれるから人間が忘れられるということも多分考えられると思うんですよ。
僕らは忘れたくないから必死で覚えてしまっているけども、
AIに尋ねたら覚えられるんだから、本当に重要なこと以外忘れてしまおうとできるんだら、
むしろ忘却のための装置として使えるようになるかもしれないですね。
そうですね。それも本当に良いのか悪いのかわからないんですけど、
例えばそういう風な形で知的生産を4年5年積み重ねてきたとしたときに、
4年後5年後は全然違うものになっている可能性もありますけど、
積み重ねたときに、多分それってそのAIがあったときとなかったときでは、
多分違う積み重ねになっていると思います。
そのときに、できなかったはずのことができた、良かったっていう捉え方もあるし、
これは自分の人生に外から介入されているみたいな、
そういう感覚を抱くこともあり得るんだろうなっていう風にちょっと思って、
15:00
忘却もそうだし、偶然性というか偶然思い出すとか、
偶然忘れる、偶然思い出さなかったとか、
そういうことの色んな蓄積の結果として、今の自分というのがもしあるとすると、
そこにAIが挟まってるっていうか、AIが関与しているという自分の人生って何なんだろう、
みたいなことを考えちゃうんですけど、でもきっともっと気軽に使うべき、
単に便利だなって使うべきもののような気もするし。
そうでしょうね。だから今までとは違ったかゆいところに手が届く便利なノートツールという位置づけになるんじゃないですかね。
それに頼りっきり全部をそこに放り込んで何とかするという、
トータルリコール的なものではない着地点がハッピーな気がしますけどね。
だからどう使う側の捉え方ですよね。
全然関係ない論文で、AIを使って自分がこれからアウトプットする論文とか文章とかのひな形みたいなのを書かせて、
それに手直しする形で書き物を進めると、いわゆる生産効率が爆上がりしたという話があって、
当然そうなんですよね。結局ゼロからクリエイトがしんどいわけですけど、
そこにあるものを直すのはかなり楽というか、心理的なハードルが低いわけですね。
ゼロから苦労して作ったものが本当に良いものかというのも怪しいわけですよ、結局のところ。
だからそのプロトタイプがあって、いやこうじゃないんだよって言いながら書き直してなんとなく出来上がっちゃってるって案外こう、
マッチョ的な制作方法で、しかもそれは非常にAIのうまい使い方ではないかなと。
結局それを人間でやってしまうと、誰かが作ったもの違うよって言わなあかんのはしんどいわけじゃないですか。
編集さんがアウトラインを出してきて、それを見て自分なりのアイディアをこうですよって言う時にも、
やっぱりそれなりに返し方っていうのが、それは違いますよって言えないわけですよね。
こうの方がいいんじゃないですかみたいな、そういう政治的な表現が求められるわけですけど。
ちょっと思ったんですけどみたいな。
AIは素直にどう言っても向こうは気にしないわけですから、
だからブレストとかそのいわゆる叩き台の対話の一番最初の相手って案外いいんじゃないかなと思います。
だからそういう、これって本当にいいのかみたいな感覚っていうのは多分、
18:05
いろんな道具が今まで出てきた時に、その時の人たちが抱いたわけですよね。
それこそワープロが最初に出てきた時に、現行表紙にマネして書いてある人たちが抱いたような感じもあるだろうし。
だからその過時に起こることではある。
ただしやっぱりその前と後では変わりますよね。
いいか悪いか別の質的にスライドすることは起こるでしょうね。
まだそれをどう使っていくのか、使わないという選択もあるでしょうし、
うまいこと使っていく。
僕らより後の世代はほとんどナチュラルに、
僕らがキーボードを叩くのと同じくらいナチュラルに使っていくようになるでしょうね、きっと。
そうですね。
そんなAIの話をした後なんですけども、前の時に、
1個前かな、システム手帳を使っているという話を2人でして、
その時にマネー筆でたくさんが書かれているという話を聞いて、
ふと思い立って、読書日記を手書きで付け始めたんですよ。
スーパーアナログで、しかも1000円くらいの安いマネー筆で、
マネー筆で読書日記を書くということをやってるんですけど、
これは存外に良いですね。
存外に良いですね。遅さが良いですね。
読んだ本に全て書くわけじゃなくて、
何かの新書を1日4ページとか6ページとかそれくらいちょっとだけ読んで、
次の日に1日経ってから何が書かれてきたかを思い出しながら手書きで日記を付けるというような、
感覚を空けた日記の書き方をしてるんですけど、
当然思い出しながら書くから時間がかかりますし、
手元に本がない状態で書くので。
何を書いてきたかを思い出しながら、
全てがゆっくり進むんですね。
キーボードでカタカタカタって言うんじゃなくて、
文字書きながら止まって、文字書きながら止まってっていう、
その速度感が非常に良くて、
どういう時にいいかというと、
ノートパソコンで文章を書いて疲れた時に、
何もしたくないなと思っても、なぜかその作業はできるんですね。
手書きで日記を書くということは案外スムーズにできて、
それをやってるとちょっと認知力が回復するんですよ。
だからこのギアチェンジというか、
一回別のまったく作業をしてみる、
しかもその速度が違うことをすることの功能っていうのを、
久々に感じますね。
あと体を使うっていうこともあるんですね。
手を使うっていう。
今までと違う動作をする、
動かすとかページをめくるとかっていうことを、
21:03
当然のように一日に発生するメモ、
すべてをそれを取ることはもちろん無理なわけですけど、
分量的に特に作業日とかを結構豆につけるんですけど、
それを手書きでは全然追いつかないんですけど、
日記とかっていうのが非常に手書きの方がいいな感がありますね。
そうですね。
振り返りながら書くことかな、どっちかっていうと。
そういうものとその手書きの速度感が、
結構マッチしているなというのをちょっと感じてます。
非常にそれはよくわかりますね。
あとこれまた時間のかかる話なんですけど、
環境の環っていう漢字に読むっていう漢字をつなげて、
環読って僕が勝手に作った言葉なんですけど、
環読プロジェクトというので、
1年かけて一冊の本を読んでいくということを今進めてまして、
今3月なので第1章、
人を賢くする道具っていう本の第1章を1ヶ月かけて読むと。
で、むちゃくちゃな成読なんですけど、
やっぱり全然違いますね、こういうことをすると。
何ページかな。
46ページから、
21ページから45ページぐらいを1ヶ月かけて読むんで、
1ページぐらいのペース。
だから1ページに書いてあるトピックを抜き出して、
それについて整理したりとか、
自分の考えを書き足したりとか、
関連項目を調べて、
スクラブボックスとかにページを作るっていうことを
ちまちまやってるんですけど、
ちまちまやると覚えるっていうのが頭に残りますね。
これも非常に当たり前のことを言ってるようなんですけど、
毎日少しずつ読むと、
使ってる時間が仮に一緒でも、
つまり60分やったら60分かけても、
5分を12回に分けた方が脳に刻まれる感じがありますね。
僕は結構早く読む派なんですけど、普段は。
パパーっと走り読みしてもう一回読む派なんですけど、
今回はそれとは違う読み方なんで、
違う読み方やとやっぱり違う入り方がしてくるなっていう感じがあります。
今回はそれは走り読みは一切せずに最初から?
一回とりあえず走り読みして、
走り読みした後にちょっと分かってないぞ感があったんで、
これはちゃんと精読せねばと思って、
そのプロジェクトを始めたと。
一応他の人も、一人でやると挫折しやすいんで、
24:00
他の同じ本読みませんかってことでメンバー集めて、
5、6人ぐらいかな今集まって、
DiscordっていうところとScrubboxを使いながら、
みんなそれぞれが自分の読書メモを取りながら、
読み進めているということをしてるんですね。
グループを作るという意味では、
環境の間っていう字を当ててはというような意味合いがあるわけですけども、
だから同時並行読書会みたいな感じですね。
やっぱりこの一人で素早く読むっていうのと、
こうやって1ページ1ページゆっくり読むということ、
非常に贅沢な本の読み方という気はしますけど、
著者が言っていることを丹念に追いかけるためには、
これぐらいのスピードでないと、
太りこぼすことが多いなという気がしますね。
改めて読むとこの主張はなぜこうなっているのかっていうのが、
はっきり自分で説明できないことに気づいて、
初めてそこから頭が動き出すようなことがあるんですけど、
文章が上手い著者の人ほど、そういうのを上手くスルーするというか、
うのみにさせるのが上手いというのは、ちょっと老悪的ですけど、
でもそういう感じがあって、
でも自分の理解ではここ分かってないなっていうのは、
やっぱりそれぐらいのゆっくりさでないと、
なかなか気がつきにくいなということを、
このプロジェクトをやって改めて感じていますね。
そうですよね。
分かってなくても文章の上手さで先に進んじゃうっていう人いますよね。
そういう著者の人っていますよね。
それも見事なその人の筆力の高さで、
そういう本を読むのは楽しいわけですけど、
ちょうど読んでいるのは人を賢くする道具ということで、
知的生産とか考えるための道具を考えるということで、
僕自身の専門というとちょっと言葉が強いですが、
大変強く興味を持っている分野なので、
ちょっと深く読んでみようかなというので、
そういう本の読み方をしている次第なんですけど、
これ実はめっちゃ前にやったことがあるんですね。
ドラッガーのマネジメントのエッセンシャル本というのを
ちょうど同じ読み方をしてたんですよ。
国読の100ページのノートを使って、
本を読んだときの赤線を引いたところを抜き出して、
書き抜きしたところにその下に自分の考えを加えるというやり方をやったんですけど、
そのドラッガーの本って僕が読むと、
ほぼ毎ページに赤線つくんで、
ほぼ毎ページに抜き出すっていうことを、
かなり時間がかかりましたけど、
でもやっぱりそれをやると、
今でもドラッガーのことを論じれますよね。
だから自分の頭の実証に入れるためには、
それぐらいのことをしたほうがいいんだなと。
これは結構マッチョなスタディ感ですけど。
これはちょっと簡単にはパスできないことやなと思いますね。
昔の勉強という感じがしますよね。
昔の勉強という感じがします。
でもやっぱり昔の勉強にしかなくて、
今失われちゃったものって多分あるんですよね。
27:01
ありますね。
しかも周りが誰もこういうやり方をやってないと、
こういうやり方あることすらに気づけないということがありますから、
改めてやってみる。
これやっぱり複数人でやることのメリットっていうのは結構あって、
まずめんどくさいから続けられないっていうのが周りの力であるのと、
やっぱりその読書メモを共有することによって、
ここに注目するんやとか、こういうまとめ方があるんやっていう、
それ自身に発見があるので。
本の読み方そのものを広がっていくというところがあるんで、
みんなでゆっくり時間をかけて本を読むっていうのは、
結構古いけど新しい。
インターネットを使った新しい読み方かなという。
特にスクラップボックスが偉いですよ、こういう時ってやっぱり。
それはやっぱり複数人のメモがリンクされたり。
そういうことです。
人の名前とかできたら、誰か1人がその人のページを作ったら、
あとは別にページを新しく作らなくてもいいっていう使用力感もありますから。
レジュメを用って読書会するのを非読記的にできるというのは、
やっぱりこういう用途ではスクラップボックスが他のツールだから、
例えばObsidianでは無理ですし、Notionでもかなり難しいでしょうから、
この辺はやっぱりスクラップボックスの運びかなという感じがします。
それって勉強会的な、1回で終わるんじゃなくて、
ちょっと時間をゼミみたいな感じで、
同じテーマをそれぞれが勉強するっていう時に、
それぞれのノートをスクラップボックスに入れたりすると、
例えばこれってもしかして前に読んだこれと関係あるんじゃないだろうかってやったら、
実は誰かがそのノートを作っててリンクしてたとか、
そういうことが起こったりすると、いいですね、いいですねっていうか、
それは以前にはなかった体験ですよね、多分。
そうですね。まさに言われている通り、やっぱり1回だけの集まりとかじゃなくて、
中長期的に、いわゆるそれぞれの地を持ち寄るみたいなことをする時に、
やっぱり爆発的な威力がありますね。
回想コードを作らないリンクベースっていうのが、
長期的な運用において確実に効果を発揮するんで、
だから改めて、やっぱりこういうプロジェクトとスクラップボックスの
親和性の高さを感じているところですね。
やっぱりチャット系のツールで集まっても、
会話はしやすいですけど、論考を深めたりとか、
リンクの繋がりを見出すっていうのがなかなかできないので、
だからDiscordとスクラップボックスみたいな感じで、
一つ同時に使うのが一つのソリューションかなという感じですね。
Discordのほうでは、スクラップボックスに書いたのとは違う、
リアルタイムのチャット的な感じでやり取りが済むってことですか。
3月はこの章を読みますみたいなアナウンスとか、
そういうのは逆に言うとあんまりスクラップボックス向きではないので。
30:01
ここの組み合わせが案外いいと。
スクラップボックスの更新を情報が、RSSがDiscordに飛ぶように設定してるんで、
誰が書いたらDiscordに分かるっていうことにもなってて、
うまいこと連携が取れてるかなという。
おもしろいですね。
っていうところをそのままの流れで、
古いと新しいの話が重なるところなんですけど、
本当は4月からにしようかなと思ったけど、
Rスタイルを全面的にディニューアルしまして、
前々から静的サイトにしようという話をメルマガで書いていたんですけども、
一番最初に思い描いたのとは違う形で静的サイトになりまして、
今はもうRスタイルの元々のURL。
.NETのスラッシュブログスラッシュにアクセスしてもらうと、
今までとは違ったデザインのページが表示されるようになってますと。
昔までは、昔までやってるか。
先月までワードプレス使ってたんですけど、ワードプレスは使ってないと。
静的サイトデザイナリタって結構いろいろありまして、
HugoとかNextとかっていろいろあるんですけど、
それらも使ってないと。
何が使われてるかっていうと、テキストボックスなんですね。
これは僕がこれまで何回か紹介してるような、
ウェブブラウザーで自分のローカルファイルが扱えるっていうシステムなんですけど、
それって結局その装備を、その設備をそのまま外部サーバーに置くと、
ただ、ビュアーなので、MDファイルビュアーなので、
MDファイルを閲覧するウェブサイトが出来上がるわけですね。
ほぼその通りになってまして、爆速ですとりあえず。
めちゃくちゃ表示早いです。
でしょうね。
ていうか、拝見しましたけど、早い。
どのリンクを押しても圧倒的な速度で読み込まれるようになってます。
懐かしい感じしますね。
とりあえず広告もありませんし、
その人のセッションとかも記録してないんで、
僕はアクセスブログも分かりませんし、
以前何のページ見てたかも分かりませんし、
どのくらいのアクセスが集まってるかも分かりませんし、
いわゆるピュアなウェブサイトの形を、
自分なりの仕組みを作って再現してると。
閲覧してる人にとっては早いっていうのが一番のメリットで、
サイト更新者にとってのメリットは、
サイトの管理が楽と、
ワードプレスのようなデータベースを使わないんで、
ログインとかもしなくていいし、
MDファイルを書けばいいだけなので、
生的サイトを作る場合ってどうなってるかというと、
33:02
記事をMDファイルで書くじゃないですか。
それを生的サイトジェネレーターのツールを通すと、
それをMDファイルを変換してウェブページにしてくれるんですね。
HTMLに変換してくれるんですね。
そのHTMLだって完全なページになってるんですけど、
言うたらHTMLタグがあって、ボディタグがあってっていうことですね。
そういう完全版がアップロードされるんですけど、
TextBoxはMDファイルビュアーなので、
もうそういうのはすらない。
文章を書けばもうそれでオッケーなんですね。
なのでRスタイルをページに表示されたときに、
今インデックスっていうのが表示されるんですけど、
これインデックスMDっていうファイルが読み込まれてるだけです。
これ書くときにヘッダーとかも全く何もなしで、
いきなりもう頭から書き始めて書き終わると。
それでアップロードしたらもうRスタイルのページとして表示されると。
だから記事書くだけでいい。
その前後は全く気にしなくていいっていうのがポイント一つと、
あとこれもTextBoxで言ったんですけど、
各ページにスタイルとスクリプトを持たせられるんですね。
だからページごとに一応全部違うデザインすることも可能。
まあしませんけど。
やろうと思えばできるか。
自由度の高さ。
もう一個はリンクなんですけど、
普通のウェブサイトは例えばリンク貼るときにまずAタグを書いて、
HREFの中にそのページのURLを書くわけですね。
例えばWordPressやったら、
Rスタイルスラッシュブログスラッシュ
はてだPイコール2345みたいな謎の記号になってるわけじゃない?
覚えてるわけがないですよね。
でもTextBoxはそのテキストのファイル名、タイトルを
ブラケット2個に囲むとリンクになるんですね。
だからいちいちその記事のURLを調べなくてもいい。
リンクしたい記事があればその記事のタイトルを書いて
それだけダブルブラケットにすればいい。
だからリンク構造を作るのがものすごく早いんですね。
なので基本的にすべてのページはMDファイルとリンクでできていて、
カテゴリーとかもすべてただリンク集になっているだけです。
ちょっと待ってくださいね。
ちょっと選挙が近いので。
いろいろとってますね。
だから構造自体もリンクベースなので、
いわゆる大分類で作ってとかじゃなくて、
カテゴリーのリンクが集まったページがあるというだけなので、
いくらでも作り変えられますし、いくらでも多重構造にできますし、
構造全体を簡単に変えられると。
だから要するに使っている人から言うと
Obsidian Publishに近い感じで言うと。
Obsidian Publishって結構時間かかるんですけど読み込むときに。
ものすごい速度で表示できるようになっているというところで。
36:05
不具合というか足りない機能がいっぱいありまして。
まず戻るボタンがないんですね。
使えないんですね。
何か記事、普通のブログのトップページから
どっかの個別記事を表示して戻るを押すと
トップページに戻ると思うんですけど、
Rスタイルの場合は1個前に見てたページに
URLに戻ってしまうんで非常に不便なんですが、
一応、Macやとショートカットコマンド開きかっこかな。
一応戻れるようになっています。
逆に言うとキーボードがないと戻れないんですね。
僕さっきiPhoneで使ってて気がついたんですけど、
これ戻れないなと思って。
これはまたiPhone版を考えますけど。
一応戻るボタンはMacやとコマンドを閉じる。
進むボタンは逆に開くの反対から閉じると開くで
行ったり来たりできるようになっています。
それぐらいですね。
それ以外の機能はおいおい付け足しますけど。
おいおいってことですね。
これ今リンクを、インデックスのページのリンクを
リンクからページ開くとそのページに飛ぶんですけど、
ページの真ん中が表示されるんですよね。
真ん中、はい。
一番上じゃなくてページの30行あるとしたら
15行目あたりが表示されるんですよね。
僕の環境だとどのページもそうなるんですよね。
それはスクロールされるってことですか?
スクロールされるというか
スクロールして上に戻らないとページの頭が表示されない。
それは多分僕の行動が悪いです。
後で直します。
一番上が表示されない。
多分クリックした場所で表示されてるってことですね。
なるほど。
普通のページは新しいページが表示されるから一番上からなんですけど
このページ読み込んでるだけなんで
元々のスクロールの位置で読み込みます。
一番上のやつをクリックしたら一番上が表示される。
クリックしたらスクロールを上に戻すっていうのをコードを書くべきですね。
やればいいよね。
ここに今表示されているdivがあるんですけど
そのdivの中身を入れ替えてるだけなんですね。
だからページの最余力がない。
その位置になっちゃうんですか。
そこを入ればいい。
そういう細かい不具合があるんですけど
圧倒的な速さだと
ワードプレイスから持ってきた記事をそのままMVDにしただけなんで
移行の作業そのものはそんなに難しくなかったですね。
これ昔の記事もピックアップじゃなくて全部並んで
39:03
インデックスページのカテゴリーのとこに
一番下にフルインデックスっていうリンクがあるんですけど
それを押すとちょっと待たされます。
ちょっと待たされて
あれ?リンク忘れてないのかと思いますけど
それを押すとフルのインデックスが出てきます。
カテゴリーはどこにあるんですか。
今一番トップページの2023っていうリンクがあるんですね。
ダイアリーがあってカテゴリーの下の捜索文の下に
これ押すと多分15分くらい待たされるのかな。
待ってますね。
待ってるときにもちょっと表示が必要です。
これを押すと2004年から2023年までのガチインデックスが出てきます。
本当だ。
これ5000円だから計算しないです。
5600記事が並んでるはずです大体。
すごいですね。
これね、僕が昔使ってた初期のワープロだと
インデックスが読み込めない。
それに近いですね。
これ全ての行を読み込んで全ての行に対してリンクの処理をしてるんで
ちょっと重たい。
本当は段階的に読み込む処理をすべきなんですけど
そもそもこのインデックス誰も使わないだろうと思って
このままにしてますが
これ初めそれを並べて置いてたんですけど
読み込みにあまりにも時間がかかるから不便だろうと思って
トップページは間引きしましたね。
トップページのインデックスを見て
静的サイトに間引きして写してきたんだなと思ってたんですよ。
そういうわけではないですね。
トップのリンクだけが間引きされてるだけです。
いいやつだけ写したんだなと思ってた。
そういうわけです。
その方がたぶんめんどくさいですよねきっと。
確かに。
まずこの大量のインデックスから
今日の一言まとめページとか
3月何日のまとめみたいな
間を埋めてるような記事を全部切って
2010年より前の記事はほぼ切ったんかな。
読む価値がほぼないと思ったんで。
10年以降それなりに面白そうなものを
10程度を目安にリンク削っていって
上に並べたという感じです。
こっちのフルインデックスはほぼ使われることなくて
覗き趣味がある人ぐらいですかね。
本当に2004年とかのって
いわゆる雑記ブログみたいな感じのことしか書いてないんで。
今でもそれが読みたい人もいます。
今いるかもしれませんが。
記事自体は全部残っていて
昔のURLからアクセスしたら
ちゃんとそのページが表示されるようになってます。
リンクボタンを押しても上のURLロケーション変わらないんですよ。
だからこれシェアできないんですね。
42:02
そうか。
ものすごい不便でしょ。
不便ですね。
そうか、そういうことですね。
リンクしようがないんですね、これは。
一応、ブログスラッシュの後に
URLアドレスバーにハテナを入れていただいて
記事のタイトルをそのまま日本語で入れていただいて
リターンをしたらその記事が開くはずです。
ハテナの後にタイトル。
いけます。
こういうふうに記事タイトルを付けて
ハテナの後に記事タイトルを付けると
そのページが開いた状態でこのサイトが開くということになってるんで
これを使うと一応シェアはできますけど
やるとこの手間をしない限りRスタイルの記事はシェアできないです。
すごいですね。
だから全然SNS向きでもないですし
これ記事を仮にURL付きで投稿したとしても
下にアイキャッチ画像が表示されることもありませんし
さっきも言ったようにデータこっち全然取ってませんし
非常に古いウェブサイトのまま
広告もどこにもありませんし
せいぜいアフィリエイトリンクを貼ってるぐらいのサイト
こういうのをちょっと作りたかったっていうのがあって
さっきの管理のテーマとか
そもそもテキストボックスと同じ仕組みでいけるなと気づいたので
こういうふうにしてみたというところで
ブロガーになりたい方はこういうサイトを使わないほうがいいですけども
個人的にはこれでいいかなと
これが面白いかなと
新しい遊びですよねちょっとしたね
楽しめるかなというところですね
そうか同じURLなんですね
そうURLが動かないというタイプの
だから戻るボタンが使えないですね
URLが変わるにあったら戻るボタンが使えないですけど
もちろん変えることもできるんですけど
リンクを押したらそのURLに移動するというふうに書き換えることもできるんですけど
まあそれであまり面白くないので
このタイプにしていると
このサイト自身が出来上がったのもいいんですけど
作るために全記事を処理して
さっき言ったように間引いてたんですけど
今まで書いた記事を見返すっていうことをほぼしてなくて
さっきRスタイルまとめ集みたいなKDP本を作った時はちょっとやったんですけど
あれは年代が限られてたんで
この2004年からの通年を全部振り返ったら
ほぼ覚えてないですね
ほぼ覚えてないしやっぱり書きっぱなしになっていることが多いなっていうのがあって
45:05
やっぱり段階段階で自分が言った概念についてちゃんとまとめないと
階段が登れない感じがちょっと最近してるんですよね
常に
これだけ書いてれば
逆に言うと書きすぎてたっていう
書くことに夢中になってて書いたことについてまとめるということを全然してなくて
多分ね知的生産の話とかは
全然今からまとめても全然一つのKDP本としてまとまりそうな話いっぱいありますし
ありますねこうやって見てるだけでも
であと結局ワークフローについてもぎょうさん書いてますけど
僕ワークフローについて一回もまとめたことないですし
だから書くことに走りすぎてたなーというのがあって
でもそれは結局ねブログっていうウェブサイトの性質だとも思うんですよ
書いてる本人ですらその直近の記事しか目に入らないというか
案理画面を覗いたとしても
自分が書いてることの相対とかっていうのに触れにくい状況があって
今はこのアップされてる記事全部が僕のローカルにMDファイルとして入っているので
しかもタイトルが全部日本語のこのタイトルになってるんで
タイトル見たら大体何書いたのかがわかるんで
こういう形で保存しておいた方が
もしかしたら二次政策っていうところをして
書いたことをベースに何かを書くっていうことが
しやすいかなという予感みたいなものがあると
古いワードプレスというか一個前のワードプレスの状態は
ブログならではやっぱり読み手にも最新の記事しか
フューチャーされないデザインになってるんですけど
でもまあこういうとなんですけど
2010年ぐらいでもいいこと書いてるわけですよね
そういうのをトップページからアクセスできないのって
やっぱりインデックスHTMLという
インデックスにふさわしくないのではないかとずっと思ってたんですよ
それはただのホットリストやと
インデックスっていうのはやっぱり少なくとも
モーラー的に全部にアクセスできてこそ
インデックスやと思ってたんで
過去記事も拾いやすいという意味で
むしろ2023年の次は2010年になって
このインデックスが並びになってるんで
だから昔のいい記事とかも
このページにアクセスしたら見つかる
でもシェアできないからバズらないみたいな
そのなんていうんですかね
いわゆる本当に隠れ家的な感じの
ウェブサイトになりつつあるかなと
これシェアできないようにしてやろうと思って
作ったわけじゃないんですよね
だけどシェアするためには機能改善が必要で
だとしたらまあええかなぐらい
そこまでせんでもいいかなっていう
そんなに別にシェアしてもらいたいわけではないですから
48:01
で一応タイトル
こうやって公開すること自身はシェア
僕から世界に対してのシェア
気軽なツイートってシェアしすぎになるというか
ひと手間かけないとっていうぐらいの
ブレーキがあったほうが
個人的にはさっき言ったようにタイトルを
一応付け加えればシェア自体は不可能ではなくなってるんで
その手間ぐらいでいい塩梅じゃないかな
最近ツイートでも記事を読む前に
RTショートすると記事読みませんかって出てきますけど
あれに近いものぐらいで
人間の認知にとってはちょうどいいのかなと
ある種の遅さがあったほうが
もしかしたらいいのではないかなというところ
サイドバーとかも全部ないんで
ノートよりもシンプルなウェブサイトになってるんで
文章の読みやすさで言うと
今まで作ってたから一番読みやすいんじゃないかなと
読みやすいと思うんですよ
それこそが本界かなと
ウェブサイトっていうか個人
自分が文章読んでもらいたいサイトというのは
その形でいいんじゃないかなと
ツイートボタンをつけると
青いボタンが目につきますし
そういうのってある種余計なアクセス
だって本を読むときってツイートボタンはないわけですから
こうでいいんじゃないかなというふうには思います
当然バズらないんで
全然ブロガーとして成功はできないんですけども
もうええやろうという感じですね
気軽にシェアできないっていうのは確かに
いい面があると思いますよ
デメリットももちろんあるでしょうけど
昔はできなかったわけですからね
シェアするってもっと手間のかかることだったんですか
その手間を経てもいいシェアしたいと思うものをシェアしたんですよね
その敷居が減ってことで
僕たちのツイッター見届きとかの
アテンションが奪われやすくなってしまっている状況に対して
読み手と書き手の純粋な関係を維持するという
ウェブサイトの在り方っていうのを
一番実現できるのは静的サイトなんですけど
更新がめんどくさいのであれ
だから鉄柱版としてのテキストボックスという形が
一つ自分の中での買いかなと
やってみたら分かるんですけどめっちゃ不便ですけど
テキストボックスはちゃんとビューワーとしては成立するということが分かったので
今新しいサイトを考えているんですけど
そのサイトもテキストボックスにしようかなと思っております
51:01
例えばこのテキストボックスでトップページ以外は全部リンクで飛ぶんで
リンクがなかったらウェブサーバーにファイルがあってもアクセスできないわけですね
考えてたのは新しいウェブサイトっていうのは
ある種の知識を公開する記事を読める場としては使いたいんですけど
サポータープランみたいな
サブスクリプションで応援してくれる人を募りたいなと思うんですけど
そういう人用の特別なページを作って
そのページからしかリンクが貼ってないページを作れば
なんとその人しか読めないページになるんですね
トップページからにはリンクされてなくて
その特別なページにしかリンクがなかったら
その人しか読めないという秘密の隠し部屋みたいなことが
この仕組みならできるんで
もちろんタイトルが分かれば
当てて使えば誰でもアクセスできるんですけど
まあ無理ですよね
だから隠してないけどちょっと隠すぐらいのやり方
このシステムを使うと結構やりやすいんで
それを使って定期的に仕事上でやってたような記事をアップしつつ
舞台裏的なコンテンツはその人サポーターだけが読める
っていうようなサイト作りに使えるかなと
なるほど
これはということは
Googleにインデックスされないと思いますよね
今までインデックスされたすべてのURLと
広報知観してるのでアクセスはできるんですけど
僕がこれ以降に書く記事はインデックスされないですね
どうしても
ですよね
まあでもいいじゃないですか別に
だってほとんどRスタイルというタイトル以外で
僕の記事が引っかかることは多分ないと思いますよ
もはやRスタイルが
それぐらいSEO的には弱々しいので
特定の固有名詞がヒットするというのは
あるんじゃないですかね
結構怪しいと思いますけど
エヴァノートは絶対無理ですけど
スクラップボックスでググったらどうかな
僕が書いたノートの記事は引っかかりますけど
やっぱりドメインの弱さがあるので
もう最近では難しいじゃないですかね
ドマ
ドマ
ドマ
ドマ
違うなそもそも引っかからないな
気にしてもしゃーないなというレベルですね
トップレベルのページに
例えばこれが暮らしたページですっていう情報は
54:02
インデックスMDじゃなくてインデックスHTMDに書けば
補佐補足されますけど
ここの記事ってもう
Googleにも迷惑かけんでもいい
知りたい人は知りたい情報があったら
口コミで広がったらいいかなという
謎の戦略ですね
謎の隠れ家戦略ですね
ブログという形ではほぼなくなってしまったので
しょぼい記事
アルコール日記ってありますけど
R3時代ではまず書かないようなものを
マップできるわけですね
よくよく考えたら
RSSもないので
自分で更新しなければならないわけですね
システムがないから
RSS自体はXMLファイルに
更新のメタデータを上書きしたら
フィードリーダーがチェックするって感じですけど
RSSに載せたいものを選べるわけですね
アルコール日記の更新とかは全部無視して
これは読んでほしいっていうものだけを
RSSとして登録したら
読みたい人はそれにアクセスするという形が
何でも書けるようになったっていう感じがあります
何書いてもそもそも読まれないからっていう
そもそも読まれないからっていう開放感って
多分あると思うんですよ
昔そうやったはずなんですけどね
ブログという形式とか
SNSとかのシェアとかが
ネクタで締めるような
身の引き締め方は読んだものの
書くことを限定化してしまってたんだろうなと
どうしてもこんなしょうもないことを
RSSでリンク踏んで読んできてもらったら
申し訳ないなというような気持ちが
必然的に湧くわけですけども
そこから離れるメリットっていうのは
スクラップボックスを使ってた時も感じてましたけど
それのよりラディカルな形なのでこれは
だから書き手の書きたいことを書けるような
ウェブサイト
それが個人ウェブサイトのはずなんですけど
に帰ってきたかなっていうところですね
だから非常に原点回帰
さっきから何度も言ってますけど
結構昔のものに戻っているという印象ですね
特に今の若い人はむしろ知らないもの
だから必然的に今年のテーマは
リバイバルになってるんですけど
かつてのものを今何とか新しい文脈で提示するっていう
形が
セルフテーマみたいな形になってるんですけど
57:01
でも全く昔のものをそのままやってるわけじゃなくて
このサイトもいわゆるちょっと新しい技術を使って
このページしてますし
単純じゃないですね古く見えるというか
新しさがないように見えるけども
一応テクノロジーはそれなりにモダンなものを
使ってるという形になってるんで
そういう形が個人的にはいきすぎてたっていう感じがありますね
昨今の技術は
人間を置き去りしてた感じがあったんで
そこをどう回復できるのかという試みの一つで
片方ではそのチャットGPTみたいなAIがありつつ
もう片方ではこういうアナログ回帰原点回帰なども
並行で進んでるし
存外に面白いですねこっちのほうが
ウェブサイトを作ってるって感じがしますこれは
個人が作ってるって感じ
やっぱワードプレイスだと
時系列に記事並ぶ形にフィットされてるんですけど
これがワードプレイスだと
時系列に記事並ぶ形にフィットされてるんで
固定ページっていうのがどうしてもおまけ扱いなんですね
複散物扱いなんでそうすると
構造を持ったページっていうのが作りにくいんですよ
どうしても
でもこのパターンだとそれこそ自由自在に構造が
作れますしどう配置するかもどう見せるかも
自分で決められるので
ワードプレイスってテーマを改造するときに
PHPのサグを探すところから始まるんですけど
それが面倒で仕方ないわけですが
これはほぼ手書きのHTMLだけで
例えばマークダウンの変換からだけでいけるんで
簡単にできるというメリットもあります
だから
素人の手に届く改造ができるっていうところですね
そういうものだったはずですよね
昔はそういうものだったはずで
CMSの簡単さ利便性っていうのが
僕らを引き付けたわけですけど
ニュース的に記事を更新するという風に
動機づけられていたなとは思いますね
あれは
そうですね
でも例えば5年前とかに
こんなサイト作ってたらあれですけど
もう最近ブログで成功するみたいな話は
もう完全にチン化してるので
ゾンカイもしかしたら案外これっていいよねって言ってもらえるかもしれないですね
少なくとも5年前より
そう言ってくれる人は増えてるでしょうね
それいいんじゃないですかね
やっぱり
基本文章があってたまにその記事を補足する画像があるっていうところが
僕のブログ
ウェブ記事の原風景みたいなところで
例えばツイッターにシェアするときに
サムネイル画像が出るのは
1:00:01
非常に素晴らしいとは思うんですけど
あれはアテンションをどうしても奪ってしまうものですし
画像との内容とのマッチみたいなのを考え始めると
もう認知資源を鼻足から落ちてしまうんで
文章を書けばいいっていうところに
変えてこれたのは
よかったかなという気はします
もっとだから
今までよりは趣味的なものも
こっちに上げやすくなってきたかなという感じですね
そう考えると
この十何年自分たちは何をしてきたのかっていうのを
ちょっと思ってしまいますけどね
ここでも何年か前に
静的なサイトを閉じちゃったんですけど
その
いろいろあって閉じざるを得なかったっていうのもあるんですけど
ネットにおけるプレゼンスが
低下したような気がするんですよね
ブログだけだと
明らかに自分より
例えばアウトライナーについて検索しても
ほとんど2ページ目までには出てこない
静的なサイトがあったときは
そうじゃなかったんです
だから
やっぱり
構造を持った状態に
しておきたい内容というのがあって
そこは
ブログに
ブログの方の静的なページで
再現しようと試みたんですけど
なかなか難しいですね
そもそもそういうものではない
Weblogから始まったCMSのシステム
ワードプロジェクトはそうですけど
全くそれに向いてないんで
今例えばEvernoteのカテゴリのリストを適当に並べてるやつを見てるんですけど
これも初心者向けはこれとか
アプリ情報はこれみたいなのに分けて並べたら
もっと使いやすくなるでしょうし
導入する人もこのページから入ったら
作れたはずなんですけどそうはなってなくて
例えばEvernoteっていうタグだけで
ワードプレイスを検索しても
結局その20ページぐらい分割されて
出てくるわけですよ
誰もクリックしないですよね
そもそもそういう過去への閲覧性っていうのが
意識されてないんですね
今僕がこういう形をやってるのは
東高校のWWW入門っていいよなって
改めて思ったからなんですよ
何年続いてるか分からないですけど
東高校さんのサイトまだやってはって
まだ新しい情報が新規で出てきて
アクセスしたらページの構造があって
自分の好きなものをクリックして見ることができる
1:03:01
トップページに全てのカテゴリが出てるので
つまりこれは全体像がそこにあるわけですね
これがとても重要で
例えばJavaScriptの下にTypeScriptっていうカテゴリがあるんですけど
TypeScriptっていうのを知らない人が見たときに
JavaScriptを探したときに目に入るということなんですよ
これは辞書的な感じというか
隣の項目を見つけられるっていう辞書のメリット
みたいなのがあるんですけど
ブログの場合って最新記事か知ってる言葉の検索しか
アクセスルートがなくて
ブログ全体にどんな情報があるのかって
よほど好奇心がない人を出会うより見つけられないんですよね
それは
それがいいということも書きやすいというのはあるんでしょうけど
書くときに毎日
昨日の記事気にしなくてもいいという書きやすさはあるんですけど
ある情報の待機を示したいという時には
やっぱりブログって無理が多いなというのは
常々感じていて
ちゃんとウェブサイトを作らなあかんという思いが
長年あって
アルファサイルでやる必要はなかったけど
アルファサイルでやったと
僕の認識だと昔のブログって
いわゆるウェブサイトがあって
そのウェブサイトの右のうちの右端の方に
ブログみたいなのがあって
それを押すとブログが出てくるんですよね
日記ページみたいなのを
便利版みたいな感じでしたよね
ような気がするんですよね
主客がいつの間にか逆転してたのか
このアルファサイルもトップレベル
ラスタ.ネットってあるんですよページ
そこは一応トップページなんですよ
今見てみましたよ
名前があって公式サイトで書いてあるページがあるんですけど
自分自身ですらここをアクセスしないですからね
本来はここの下にブログっていう
フォルダが切ってあって
そこにブログが出てくるという構造だったんですけど
今でも僕の名前で検索したらブログの方が出てきますからね
おそらく
最新情報をありがたがる評価する
Googleやったからこそ
主客が起こりやすく
出客逆転が起こりやすかったんでしょうけど
でも何かやっぱりおかしいですよね
それは
本当は並存してたはずなんですよね
だからアウトラインで言うと
プロジェクトの項目があって
アイディアの項目があって
デイリーの項目があって
このデイリー部分がブログだったんですけど
そうですね
最初はみんな
プロバイダーが提供するブログサービスを
1:06:00
使って始めたりとか
エキサイトブログとかヤフーブログ
みたいのがあってそういうので始めて
自分で作る人は最初は
ムーバーブルータイプとか使ってやってて
その頃は割にそうでもなかったんですけど
ワードプレスだけみたいな
ワードプレスに決まっちゃってから
色々変わってきたというか
ワードプレス多機能だから
ブログだけじゃない何でもできるよ
企業サイトだってワードプレスで作られてるんだよ
みたいな感じになってきて
そのうちにサイトというものは
ワードプレスで作るみたいな
感じになっちゃったんですよね
しかもそれが本当に
ワードプレスの力を発揮するんじゃなくて
結局ブログがメインページになっちゃってる
という状況が
傾向が生まれてたっていう
この前千葉正先生が
新しい自分のサイトを作られて
自分の作品とかが並んでるページなんですけど
あれワードプレスで作られてるんですね
あれは全然ブログぽくないですよね
ああいうサイトは全然作れるんですけど
でもその発想にならない
トップページをデザインするっていう考えが
もうだいぶ前に伝わってしまってた
っていうのはありますねきっと
そうですね
難しい問題なのかな
デイリーが楽っていうのは
メモツール使ってたらよくわかるじゃないですか
デイリーがあれば一応なんとかなるっていう感覚はあるんですけど
でもやっぱりその一つ上の構造って
どっかのために欲しくなるなとは思うんですけどね
やっぱりある程度
内容のある大きなテーマを
扱っていたりするとそうですよね
そうですね
構造が失われて
順列だけになってしまっていた
しかもその順列って言っても
一番最後の方しか注目されない
順列になっていたっていう
新しいものを次々更新していくという流れ
過去の記事とかを踏まえて書くみたいなことも
やっぱりしにくかったですし
いろいろ歪みはあったんでしょうね
どっかの段階で
書いてる本人も過去の記事参照しにくいですか
そうそうそう
不思議なものですね
本当に何をしてたんやものとは思いますけど
だから本当はこの
いわゆる今の言ってるブログっていうのは
1:09:02
本当は大したことを書く場所じゃなかったんですよね
きっとそうやと思います
を書く
そもそも一番大元の
ウェブログって言ってたのは
その日見つけた面白いリンクみたいなものを
ログ的に紹介する
日付ごとに
そもそもログっていうものが
時間的情報の保存っていうニュアンスが強い
ウェブサイトではない
ウェブサイトではない
だからこの20年
我々は何をやっていたのかという
もっと早くサイト作りっていうものに
舵を切ったほうが良かったんですね
だから
自分が伝えたいテーマがあるときに
静的サイトとツリー構造
構造を持った書き方をして
その全体を持って読み手に何かを伝える
っていうところにアピールしたほうが
多分書き手にとっても読み手にとっても
良いことになったんでしょうね
それに気づけなかった
いや違うな
ワードプレスから移るのが面倒くさかった
やっぱりワードプレスの枠の中で
みんな思考するようになっちゃった
楽なんですよあれは
文章を書くってウェブに公開するっていうコンセプトを考えたときに
あれほど楽な環境はなかったのは間違いなくて
その重力からは逃れられないし
さっき言ったように書いた記事が一応
このように変換はできますけど
かといってボタン1個だけで進む話ではなかったので
メロマでも書いてましたけど
そのコストって結構大きく見えるし
この情報はなるべく早く伝えたい
例えば新しいアップデートが来たから知らせたい
っていうのは多分ブログ向きなんですよ
でも例えばここ3年の記事をタイトル見ても
そんなもんほぼないんですよね
だとしたらブログである意味がなかったっていう
だから僕は今最近
エッセイ
エッセイの中で
モンテニューのエッセイっていうものを
再評価してるんですけど
もっとそういうものでいいんじゃないかなっていう
ブログに書くとしたら
日々のちょっとした話を書くのでよくて
情報をちゃんと伝えたい場合は
ウェブサイト
投稿的ウェブサイトを作った方がいいんじゃないかなと
思ってるとこですね
だから日々のちょっとしたことを書くで
はっきり言ってしまえば短くてもいいし
1:12:01
アイキャッチなんかなくてもいいし
そうなんですよね
だから逆に今あんまりブログに書いちゃいけないような気が
なんとなくみんな知っていることこそブログに書くべきこと
そうそうそうそう
これは間違いなくそうで
学習したっていうチャットAIとかがある中で
もう新たなノウハウを
個人がわざわざ書く意義とかってほぼなくて
その人なりの
例えば経験を踏まえた失敗とかっていう話だったら
全然いいですけど
フォニアララの操作方法みたいになって
もう挙げる意味がほぼなくなってるんですけど
でもだから日常で
そういうのこそやっぱり書くっていう
そういうエッセイ的なものにより回帰した方が
個人のブログとしての価値バリューも上がっていくんじゃないか
というアピールの仕方はあるかなとは思ってます
そう思います
そういう風に新しいツールとかメディアの変化で
既存のメディアも変わっていかざるを得ないし
変わっていった方が多分隅分けとしては
お互いに良いか悪いかっていうのが
隅分けとしてはお互いに良い感じになるかなという気はしますね
逆に言うと
そういう個人的な体験を書こうっていうのは
ノウハウ化できないというか
ブログで成功法として本にまとめることができない
だからこそ価値があるんですけど
始めてみましょうの後押しがちょっとは
難しいかなと思いますけど
そうですね
連追をするような人だったら
連追をするような人だったら
それをツイートじゃなくて
もしくはツイートした後でもいいから
それをそのままペタペタペタと貼って
ブログにしちゃうっていうのはあるでしょうね
でもありじゃんじゃないかなと思いますよね
そうしたもの自分がペタペタ貼った記事とかを
10個ぐらい眺めてみたらきっとそこから思いつくものっていうのはきっとあって
それって要するに地理生産の技術でやってるわけなんですね
基本的には
ツイートっていうのが一つの実際カードでそのカードを集めたものから
塊を作ってっていうことをしていくっていうのを
やることが多分現代的なカード法で
それがブログに
いわゆるワードプレス的な閲覧体験では
なかなか発生しづらかったっていうところが
なんかで変わっていけばいいんですね
そうですね
というわけでRスタイルここが使いにくいとか
このページリンクを押したけど表示しなかったみたいな
もしあればクラッシュさんにお報告
していただけると助かります
1:15:01
ハッシュタグは打ち合わせキャストひらがなで打ち合わせアルファベットキャストまで
いただければクラッシュさんが早急に自分で
コードを書き直して修正したいと思います
お知らせどうございますかね
特にはありません
じゃあ今回はこれまでにしたいと思いますお疲れ様でした
お疲れ様でした
01:15:20

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