1. 7trailsラジオ練
  2. epi34 「バトンを渡したい」、..
2023-02-06 1:16:30

epi34 「バトンを渡したい」、九州で唯一TJARに挑戦した福原正夫さん。

エピソードをシェアする

Share on X Share on Facebook Share on Threads

epi34 「バトンを渡したい」九州で唯一、TJARに挑戦した福原正夫さん。


現在65歳の福原さんは山歴45年の大ベテラン。マッキンレーやチョー・オユーといった名だたる名峰に挑み、国内では北アルプス〜南アルプスと季節問わず遠征を行い、そのスタイルはアルパインスタイル、ファストパッキングと多彩。その福原さんが58歳で国内最難度の山岳レース「TJAR」に挑戦する。本戦に出場できるのは選考会という厳しい試験を通り抜け、さらに抽選という〝運〟も味方にした30名の戦士だけ。現在、九州から選考会に出た人は福原さん以外いない。TJARとの運命的な出会いから現在まで、福原さんの挑戦の記録をぜひお聴きください。


出演 : 7trails / @7trailsfun

Ishikawa hiromi / @rolleinar

Chiba hisanori / @momentphotogram

千葉久寛(バーチー)/ 7trailsメンバー。2022年5月に初100マイルを達成しマイラーに。福岡市にて「moment coffee / @momentcoffee 」というカフェを営む。


ゲスト :

福原正夫 / @masao_fukuhara

1958年生まれ。熊本県出身、福岡市在住。20歳より山に登り始め、1981年マッキンレー峰登頂、1983年チョー・オユー峰遠征(高山病のため登頂に至らず)。その後も多くの国内・海外遠征を行う。2012年にNHKスペシャル「激走!日本アルプス大縦断」を見てTJAR(トランスジャパンアルプスレース(Trans Japan Alps Race、略称:TJAR))出場を目指す。63歳で挑んだ二度目の選考会(※)で、露営の試験にて唯一ミスがあり失格となる。クライミングからオリエンテーリング、トレイルランニングまでさまざまなアウトドアアクティビティを愛す。


TJAR(トランスジャパンアルプスレース/Trans Japan Alps Race)

日本海側の富山湾から日本アルプスの北アルプス・中央アルプス・南アルプスを縦断して太平洋側の駿河湾までの約415km・累積標高差26,662mを、8日間(192時間)以内で踏破する。2002年に第1回を開催して以降、2年に一度の開催となっている。

(※)出走人数30名を決める選考会では参加要件に厳しい規定が定められている。

https://www.tjar.jp


収録 : 2023年1月27日


#マラソン #トレイルランニング #福原正夫 #TJAR #トランスジャパンアルプスレース #岩瀬幹生 #OMMJapan #日本山岳ガイド協会 #7trailsラジオ練 #7trailsfun


このPodcastは、九州のランニングメディア「7trails(セブントレイルズ)」のメンバーが、日頃のランニングにまつわる、ローカルな話を配信しています。


Strava 7trailsクラブ

https://www.strava.com/clubs/7trails


INSTAGRAM

https://www.instagram.com/7trailsfun/


WEB Magazine

https://7trails.fun

00:21
このポッドキャストは、九州のランニングメディア7trailsのメンバーが、日頃のランニングにまつわるローカルな話をお届けしています。
こんばんは、石川です。こんばんは、バーチーです。
今日は、1月の27日、バーチーの店、モーメントコーヒーで収録しています。
バーチー、よろしくお願いします。よろしくお願いします。
今日のゲストですが、福原正夫さん。
レジェンドですよ。レジェンドです。
山岳界というかね、クライミングもそうなんですけど、レジェンドの福原さんをお呼びして、今日は収録したいと思います。
福原さん、よろしくお願いします。
福原正夫と申します。
よろしくお願いします。
福原さん、今は65歳?
65ですね。昨年くらいで65になりました。
65ですよ。強靭なフィジカルを持っている福原さんです。
福原さん、TJRに挑戦していらっしゃって、そこの話とかを聞きながら、
次のTJRを目指す人が九州から現れてほしいというところでバトンを渡したいというようなお話をちょっと聞きたいと思っています。
福原さん、今65で山のキャリアって言ったら、どのくらい学生から?
学生の時は山登りは全くしていなくて、登り出したのは仕事をし始めた20歳過ぎですね。
それでももう45年ですよね。
45年、ちょうどそうですね。
45年ってなると、山の様相もそうでしょうけど、
登山スタイルとか、今でこそ行ける山でも当時は卑怯とか、めちゃめちゃ変わってますよね。変遷があるというか。
私45年前から始めはしたんですけど、子供ができたりとか仕事が忙しいとかで、
波がある中で、いくつかのピークの時にはちょっと頑張ってやって、今があれという感じですけど。
所々中断しているという。
本当に山に登り始めた頃は、道具にしても今で言うゴアテックス素材が出る直前ぐらいですね。
まだなかったんですか、ゴアが。
フリース素材もまだなかったぐらい。
どういう格好で行くんですか?
アンダーからすると本当に、今のようなメリノールのような良い素材ではない。
ウール素材の下着を着て、厚手のウールのセーターに。
ウールはやっぱりウールなんですね。
03:00
基本的に全部ウールで、一番上はダブルやっけのナイロン地の二重素材のものを最初買いましたね。
小説で読む世界ですね。
でもそれは本当に最初の1,2年で。
登り始めてすぐにフリースが出てきて、3年目ぐらい。
23ぐらいの時にゴアテックスが、一番初代が出てきたんですね。
じゃあ、化学繊維が出てきたっていうぐらいの解釈ですか?
そういうゴアテックスが出てきたら、これめっちゃ調子いいやんっていう感じですか?
というか、何もよくわからないけど、とりあえず新しいものを知りたいということで。
毎年新しいものを買わざるを得ないというか。
じゃあ、当時の参考はどういうところに登りに行ってという感じなんですか?
仕事しだしですよ。山登りを始めて。
夏山は北アルプスに滝谷とか屏風を登りに行ったり。
当時は福原さんは九州ですか?
もちろん福岡ですね。福岡市役所に勤めましたので。
生まれは熊本なんですけど、福岡に来て市役所の山岳部に入って、先輩たちに連れて。
市役所の山岳部とかがあるんですね。
そうですね。当時入ってすぐ、すごい先輩がおられて、
俺に1年間付き合いと。
市役所にそんな強者の先輩がいらっしゃったんですか?
そうなんですよ。1年付き合ったら、クライミングを、岩登りを教えてやると。
そこから今度はクライミングですか?
山登りイコールクライミングであり、フィーバーまで先々はひまれを目指してという。
ひまれを目指すんですか?
階段をみんながイメージして登山というか、やっているという時代で。
そういう人がいっぱいいたんですよね。
そういうグループが社会人山岳会、福岡でも今でも活躍されているグループの福岡山の会とか、
当時は福岡渡航会とか、老山系とかですね。
北九州は八幡山岳会をはじめ、小倉アルペンのいろんな山岳会があって、
そこでの当時まだ20代30代の人がガンガン動いてたんですね。
その当時って他の山岳会とはバチバチですか?
結構そうですよ。
そこそこ落書きしながらでも、あの人たちがどこのフリー山どこ行くとか、どこ登ったとか、
俺たちはここに行く、ここに行くぐらいですね。
その当時はまだ未踏破というのはないかもしれないですけど、
あまり手がついていないルートというか、そういう記録とかいうのが割とあったんですか?
06:00
記録としてはそこそこありましたけど、九州からはまだ誰も登ってないとか、
登っててはもちろんいても厳しいところに、
あの連中が行ったんだよな、俺たちはここぐらいに行けよ、とか。
バチバチですね。
そういうのがあって、それを設定して、そのために秋はどういうトレーニングをする、
どういう参考をするとか、夏は事前にそこに行くとか、というのがお互いに言ってましたね。
いいね、パタゴニアフィルムの世界やね。
そこぐらいからは登山、クライミング、
その後どういう風な変遷というかキャリアを伸ばしていくんでしょう?
その1年付き合いという先輩に本当に付き合わせてもらって、
クライミングからの最初の冬山が北カモーネからイアニー、
それから通してオクホまで、
カラスワだけ降りるという。
それから冬山が始まって、翌年は釣りのイオーネですね。
ここはもう豪雪で登れなかったんですけど、
そういう冬山から始まって、
あとクライミングのほうも九州内の当時の最高難度に近いようなところは、
ほとんど2年ぐらいで上を登らせてもらって、
その辺もあって、
それはいくつぐらいの時ですか?
もう21、22ですね。
めっちゃ若いじゃないですか。
23で福岡の市役所の山岳でマッキンレイに登りに行こうという。
23の5月ですね。
5週間の中でマッキンレイに一応登って。
当時のお蔵さんが23の時にマッキンレイというのは、
だいたいいくらぐらいかかるんですか?
50万ぐらいかかっているような気がしますね。
50万。
それは結構な金額ですよね。
1ドル360円の当然時代。
50万だったら車買えるんじゃないですか?
経営は自分は変えてましたよね。
カロラでも100万したかなというぐらい。
そうですか。
じゃあまあまあな金額ですよね。
当時の給料がまだ基本金10万ちょっとぐらいだったでしょうね。
じゃあ給料4、5ヶ月分費やしていくわけですよね。
そうですね。
すごい。
すごいよ。
すごい。
何人ぐらいの会で?
それは8人ぐらいしたかな。
8人ぐらい。
でもみんなモサですよね。
もちろんその中心には先輩もおられるし、
八幡山岳会の人も何人か参加されたり。
マッキンレイはうまくいったんですか?
そうですね。
09:00
それは登れたんで。
5週間ですか。
5週間ですね。
やっぱりそんなに時間がかかるんですか。
向こうに着いてマッキンレイの近くの氷河までセスナーでランディングするんですけど、
それまでにアンカレッジに着いて、そこでいろんな食料を買い集めて少し整理して、
アラスカ鉄道で一番近い村まで行って、タルキートナっていう村ですよね。
そこであと天気待ちで。
そういうのがあるんだよね。
取り付きとかベースキャンプ作ったりとか、登山するまでの準備っていうのが時間がかかるんですね。
5日くらいかかったでしょうかね。
氷河の上にセスナーで下ろしてもらうまで。
ベースキャンプまで3000mくらいかな。
ちょっと超えたところはベースでしたから。
そこまで2日くらいかけて氷河の上をスキー入って、
荷物をソリの上に乗せてひたすら上に上がっていくという。
かっこよさそうなイメージしかわかんない。
そうですね。
すごいよね。
アラスカなんで、氷と岩と雪と青い空と虫もほとんどいないという。
当時の装備がどれだけ暖かいのか寒いのかわかんないんですけど、どうでした?耐えられる寒さでした?
そうですね。実際、登頂の時はマイナス20度で、風もそこそこ10から15くらいは行ってましたけど、まあなんとか。
10、15ってまあまあじゃないんですか?
まあまあですよね。
今さらっと言ったけど、まあまあやなと思って。
最終キャンプからのアタックが氷河沢で700mくらいあったんですけど、そこのスタートの時はマイナス20度でしたね。
うわー。
結構もうガチガチの先へ。
まあ斜面の45度あるかないかくらいの斜面も上がってきて。
45度って言ったらほぼほぼ垂直にしか見えないじゃないですか。
それをもう500mくらいずっと行くんですよ。
500mですか。
みんなロープつけずに。
ロープつけないんですか?
つけずにもうひたすら一歩一歩に集中して。
それぞれ一緒に落ちないようにそれぞれ。
そうなんですか。それぞれなんですか。うわー。それも怖い。
クロープもなしで?
それもうないですね、最後はね。
そうなんですか。
本当に足のステップ、アイゼン効かせて。
ちょっとだけ靴のアイゼンの先プラス靴が入る。
でピッケルとバイル。
もう一歩一歩ずっとそれを。
何時間くらいかかるんですか?
多分500m上がるのにもう2時間はかかってるんでしょうね。
3時間。
全然かかるでしょうね。
12:00
本当にアイゼンくらい。
アイゼンくらいはいかないけど、まあ少し待った設定でいいですよね。
そこから見えると、もう白い雪山と青いっていうか、もう湖に近いみたいな空しか見えないような世界ですか?
そうですね。
行ってみたいですね。
見てみたいけど行ってみたいかって言われるとちょっとな。
空気も冷えてるし、全体が閉まった感じですね。
ですよね。
こちらの緊張感ももちろんあるし。
石と隣り合わせですよね。
簡単に死ねますよね。
ミスはできない。
そこそこの集中をして、あまりそこで緊張しすぎるのも良くないですけど、
そこそこの集中をしながらずっと続けています。
そういうのを見ていると言うじゃないですか。
登るよりも降りる時が一番大変だっていうか。
そうですね。
登って上に10分もいたでしょうかね、写真撮って。
ちょっと周りを見渡して。
だけどさ、もう下るしかない中で、下る時も壁側を向いて。
下る時の方が緊張って。
緊張しますね。
足元下が見えるし。
怖いよ、下りの方がね。
怖いですよね。
ある程度慣れてきたら、斜面が少し緩くなってきたところではもう下向いて。
それまで何日もかけてジャンプを上げていって最終のアタックなんで、
その間にかなり雪的とか氷の斜面の歩きには体が慣れてきているんですね、恐怖感も。
ある程度下ってきたら、これも下向いていけるなっていう。
クライミングの人が言ってたけど、怖くないですかって、落ちたら死にそうって思いませんかって言ったら、
5メートル以上は落ちたら死ぬから、100メートルでもあんま変わらないみたいなことを言ってたりしてたから、
もうそんなに近いんかなと思うけど。
慣れてきて、この具合であれば大丈夫だっていう自分の中での確信があっての動きですね。
そこで変にビビるとやっぱり体勢も悪くなるし、相手の危機も悪くなるから、
そこはもうある程度大丈夫だって自信を持った中で100ステップずっと。
そんだけ練習を積んできてるわけですもんね。
練習しないといけないよな。
無理ですよね。
人にも迷惑かけるもんね。
マッキンレーが終わって、いろんな条件もよく登れたんで、次の欲が出てきて、
その2年後に、ひまわり屋の蝶湯っていう8000mを目指していくようになったんですけどね。
それも行かれたんですか?
15:01
それは福岡で福岡登山研究会というグループ団体がありまして、
その一番の親分、代表は新海伊沢さんという、もう亡くなりましたけど、
1977年の京都の日本山岳会の登山隊の隊長をして、
全国のクライマーを率いて登頂に導いたっていう、その方が福岡の方で。
そのパーティーで行ったんですか?
いや、その方の地元の福岡の中での海外登山メディアという人たちの集まりだったんですね。
なるほどですね。
これは新海伊沢さんが代表で、そこでいろいろ集まって、海外登山の勉強と、どこに行こうかという。
その時は何人ぐらいで行かれたんですか?
あれも10人ぐらいでしたよね。
大体パーティーっていったらそのぐらいの人数なんですよね。
そうですね。福岡がほぼ中心でしたよね。福岡といっても北急なりも含めてですよね。
すごい。あれね、PJRに行けないね、なかなかね、この登山の。
参劇だけ聞いておきたいぐらい。
参考記録がすごいというか、履歴がすごすぎて。
これだけで何日か持つんじゃないかな。
それに今じゃない時代だから聞いてて楽しいというか。
千尋に一緒にいた方で、結局千尋は誰も登れずに一番上まで行った人で、7700ぐらいでしたよね。
私はもう全く高度障害になって、登山病がかかって。
高度障害はどのぐらいの高さで来たんですか?3000メートルぐらいだったら全然来ないでしょ?
ベースキャンプが5500ぐらいでしたから、5500から登り出して、6200ぐらいにキャンプワーンを作って、キャンプ数が6700ぐらいでしたからね。
6200から700までの間で、ちょっと200とか頑張りすぎて、完全に体がダメになりました。
6200ってどんな世界ですか?
酸素量は…
3000ぐらいだったら僕らも北アラブスとか行くじゃないですか。やっぱり違うんですか?千々上がっていくと。
いきなり上がればもちろんダメですけど、その前に5000ぐらいのところで、まだ雪のないぐらいの山に上がったりして、順応しながらベースキャンプに入るんですよね。
18:09
ある程度は順応してたつもりだったのが、ちょっと6500前後で頑張りすぎて。
これは僕らの資料で福原さんが作成してこられた参考履歴っていうのを過去から今に渡るレポートをいただいてるんですけど、A4のシートにびっしり載ってるんですけど、これが何枚もあります。
一番古い、覚えてらっしゃるっていう範囲になるのが、1979年から書かれていて、2021年ぐらいまでのものをびっしり載ってるんですけど、
青い網がかかってるのは陶器の参考。黄色が外国ですね。海外ですね。
グリーンが春山、ゴルデンウィークにほとんどなりますね。
これを見ると、陶器と春山と海外って半分ぐらいあるんじゃないですか?
そうですね。結構春行って、冬行くために夏もどこかそれを想定して行ってとかですね。
日帰りのクライミングとか日帰り参考は全く入れてないんですね、このリストには。
福原さん、今海外2つお聞きしたんですけど、やばいなっていう思う経験ってないですか?
安全リスクとかすごい取ってらっしゃるでしょうけど。
最初の蝶遊に行ったのが1983年で25歳の時ですけど、その時あたりは若くてあんまり考えずにガンガン売ってて。
8000円って言ったら普通のレベルじゃないですからね。
これはもちろん先ほどの新海さんをはじめ、先輩たちが作られた計画があって、それに一番若い隊員として入れていただいて、連れて行ってもらったような登山なんですよね。
その中で一番先に潰れて大した働きもしなかったという。
このところは3名とか5名とか11名とかいうふうにある程度の人数でアタックされているんですけど、
21:04
最近というかシートの新しいところになるとほぼほぼ単独が多いですよね。
この記録の履歴で言うと2009年の9月、連休の時に行った北アルプスの室堂から薬師通って和芝野口黒湖から七辛温泉に降りた。これが最初ですね。
今でいうシルバーウィークとかそのぐらいの時ですよね。まだ山小屋が閉まるちょっと前ぐらいのあたりですね。
まさに本当に閉まる直前。
紅葉も綺麗ですもんね。
この時3日目の朝からグッと冷え込んで紅葉が黒目の源流が一気に色づいたという。その日、快晴の中でですね。
僕も初めて北アルプスに行ったのがちょうど9月の20何日でして室堂から入りました。
そしたら雷鳥沢のあそこのキャンプ場に行っただけで感動しました。こんなに紅葉が綺麗なものかと思いましたね。
ここの参考形態というのは登山形態がファストパッキングというようになっています。
そうですね。この時はもうトレーラーニングを始めていた時で。
この時期ファストパッキング寒くないですか。北アルプスのファストパッキング。
そうですね。朝はほとんどかなり寒くて最後の日はあまりよく寝れなかったですよね。
夏じゃないですもんね。ファストパッキングってあるからすげえと思ったんですけど。
当時まだそういうやり方を私自身が始めた最初でもあったので、最近のよりかはまだグッとちょっと重たいのになっていた。
TJRの選考の期間の時にかなりいろいろ行かれていたじゃないですか。
そうですね。
その時期というのは2019年あたりですか。
一番最初の選考会に行ったのは2016年の大会の選考会にも実は行っていまして、その時ももちろん落ちたんですけど。
その後が20年の外駅になって21年ですね。
その時の選考会の参加資格というかが2000メートル級の山での10日間のキャンプだったりとか大会の上の指定地のビバーク時間というのもありましたよね。
そうですね。
それを得るために行かれたという感じですか。
実際このトランスジャパンを知ったのが2012年のNHKBSの放送を見てになりますので、それから参加資格なり参加条件を調べた中でビバーク4日以上とかですね、要件があったので。
24:08
その後の参考はそれを意識して実績作りとして行ったというのがほとんどですね。
小原さんのブログというかフェイスブックで見たんですけど、1963年の時にTJRを目指すというような感じでしたが、
TJRの選考会6月はここはワンミスがあり落選というのを書かれていたんですか。
そうですね。
まあ63でチャレンジした2021年になりますけど、そこの選考会でセルトの試験というか、ロエのところでちょっとミスをして落ちたという。
読みました、僕は福原さんのフェイスブックを見たら、セルトを張った時にピンが曲がって結局岩にくくりつけたら岩が回転してセルトが倒れたというような感じの記事だったと思うんですけど。
そうですね、セルトの設営のまずテント場が河原の横のダウンテントサイトで、ほとんど採石というか小石がしっかり固まったような。
穴張りにくいですよ、もう。
普通のペグが通らない。
その時にピンペグだったんですか。
そうですね、もう本当に軽い。
軽いやつですね。
先にテストを受けている人を見ても、周りにある大きな石で叩いてもかなり苦労してなかなか入らないという状況が。
あれは8分以内に設営しないといけないんですよね。
そうですね、セルトで8分、あとフトクシュレーターあたりで4分なんですけど、私はセルトを持っていたので一応時間としては8分でしたけど。
それで一箇所のペグを石で叩いて入れるのに結構1分近くかかっているのが見えて、セルトであれば8箇所、これだけでも8分使ってしまうかどうかわからないという。
それを考えてちょっと横目に見たらそういうのが見えたので、ペグ使ったらタイムオーバーの可能性が高いので。
河原の横のテントマンでそこそこ2、30センチくらいの石の塊はいくつもある。
当然これも使っていいということで、これを並べてペグ代わりにシートしようと。
それは一応想定して、それができるようにハリヅナの先をリング状にある程度の大きさのものをくくれるような準備はしていって、そっちに変えてそうやろうと。
貼れたのは貼れたんですよね。
5分、7分以内に貼って、中に入り込む前に一通り貼り具合をチェックをして、中に入り込んでファスナーを閉めて、8分。
27:04
そこまでで8分なんだ。
時間的にはOKでしたけど、その後試験としてはバネばかりで3キロの力で引いて、2方向から引いても全くペグが浮かない、崩れないというのが合格の条件です。
それで片方のハリヅナのところに2箇所ある、片方は良かったんですけど、もう一方の方で引かれている時に1個が玉石に張っている玉石がちょっと重心位置が違っていたのか、回転してそれが動いてしまったと。
その中で貼られているのを見ながら、おっと、これ浮いたなと。
あ、わかったんですか。
これでダメの可能性が高いなと。
もちろんそれで試験間の試験シールを付けてくださいということで、あとは撤収して片付けて、結果は本当に何日後かに通知が来るまではわからないんですけど。
それはやっぱりもうミスったら絶対ダメなんですか。総合力ではなくて、1つでもダメだから。
総合力で5項目があるんですね。総合力と地図読みと、今のロエ・ゼルト・ハルノとパスタエイドができるかというのと、最後の筆記試験という。
それ全てについて大会事務局が考える基準値を超えているというのが選考基準です。
参加要件を申しますと、70キロ以上のトレイルランニング大会で完走していること。
標高2000m以上で10回以上のキャンプ経験があること。
主催者が指定したキャンプ指定地において4回以上のビバークスタイルでのキャンプ経験を証明する写真が提出可能なこと。
フルマラソン3時間20分以内、もしくは100キロマラソン10時間30分以内に完走した記録を持つこと。
これも結構厳しいよね。
厳しいです。
これは厳しいですよね。
それはエントリーする基準で、それを全部証明するものを全部して。
これフルマラソンの3時間20分来てたんですか。
そうですね、ギリギリ本当に3時間19分47秒。
これがまたすごくないですか。
13秒だけクリアという。
すごいですね。
それもコロナで大会が中止になる直前の信岡の西日本マラソンなんですけど。
2月の初めてですね。
これどうなんでしょうか。フルマラソン3時間20分キリよりも100キロ10時間半の方が良さそうな気がするんですけど、そうでもないですか。
30:02
普通のロード走るのではフルマラソン以上ほとんど走ったことないんです。
距離がね、距離と時間が。
長く走るのが嫌なんで。
まあそうですよね。
山なら良いんですよ。
でもそれだけの参加要件をクリアして望んだ選考会で石が回転したということでワンミスで。
5項目のうちの他のはクリアしてたんじゃないかなと思いますけどね。
ラクセン不合格通知のメールが来て、その中で路営技術において基準に達してないと判断したので不合格といたしますという。
うわーっていう感じですね。
走るのだけでは条件も良かったのもあって、そんなに雨とかも厳しくなくて。
まあフルマラソンはもちろん振ったんですけど、全体の中では順位だけで言うと6割か3分の2以内ぐらいでは2日目のゴールはしてはいたんですけど。
これでもふくらさん、仮に出れるようになっても中止になったじゃないですか。
そうですね。
そのまま繰り上げて次の年にあれ出走だったんですか。
いやもう大会としてはそれで一回終わって。
もう一回選考し直しということですよね。
そうですね。
だから通ってても出れなかったんですか。
通ってたら私が出た時には選考会合格した人と前回の時に完走した人が出る意思があれば参加できてですね。
そうなんですね。
参加で全員30人なんで30を超えてたんで抽選があって決められたんですね。
抽選で落ちた可能性ももちろんあるんです。
逆に言うと早い人から順番にとか、体力のある人から順番に、成績が良かった人から上位の30人というわけじゃないんですね。
ある基準を例えばそれが1項目10点ずつしたら全部8点でも合格は合格なんですね。
1つでも6点があると不合格になってしまう。
なるほど。
全体的にきちっとした能力があるという、そういう意味では総合力なんです。
1つだけ火出てても地図読みが全くできないとかパステードができなかったらもう落ちてしまう。
ダメなんですね。
これまでも何人もそんな方がおられるんですね。
大会のコンセプトが書かれてましたけどトレイルランニングではない。
登山って書いてて自己完結できるようにっていうふうに書かれてました。
逆に言うとその基準さえクリアできれば誰でも可能性があるっていうことなんですね。
33:01
これも平等的な抽選なんでギリギリで、さっきのフルマンソンのタイムで言うと13秒しかクリアしてないですけど
全ての選考会もギリギリでもクリアできたらあと運良く抽選に出残れば出れる。
誰でも可能性があるっていうところがわかったのでずっとチャレンジしてきたっていうことでもあります。
TJARって何?って聞いてる人いると思うので改めてTJARって何かっていうのを簡単に説明させていただくと
トランスジャパンアルプスレースと日本海側の富山湾から日本アルプス、北アルプス、中央アルプス、南アルプスを横断して
太平洋側の駿河湾までの約415キロ
累積方向差26,662メートルを8日間以内で踏破するというレースであります。
8日間というと192時間ですね。これが2年に1度の開催ということでやられています。
これ2002年か?
2002年に第一回目を開催して以降2年に1度の開催となっているようなものすごいレースですよ。
とんでもないレースです。
定員が30名のための選考会というのがあって
先ほど言ったマラソンが3時間20分というのも
選考会にまず出るためにこれだけの基準を満たしてくださいねっていう参加要件があって
それが超厳しいというところで今九州から出た人いないんですよね。
いないんですね。
九州から出た人いないんですよ。
選考会は福原さんだけですか?
そうですね。私だけですね。
そこがすごいし、この九州のポッドキャストなので
福原さんからバトンをもらうということで
これを聞いた人が誰かチャレンジしてほしいなというふうに思ってて
俺はバーチャルチャレンジしてほしいなと思ってるよね。
僕は出たいんですけどまだ3時間20分切ってないですからね。
3時間20分はバーチャルチャレンジ切れるから
あとだからもうね、いろいろなことを一個ずつ過ごして
福原さんに聞いて何が大事かっていうのを教えてもらって
そうですね。私が経験して得た範囲のことを
それはですね、いろいろお伝えしていきたいという
最近100マイルのレースの3位の国っていうのも九州から去年ね
何名もサイラーが誕生して
九州から出たことがないとかやった人がいないとかいうことっていうのはね
TJRっていうのがあるので
これね、ちょっとね、誰か出てもらいたいな
36:03
出てもらいたいですね
九州からのハンディが一つだけあるのがやっぱり
それは2000メートル以上の
ビバーク経験ですね。4日間のビバーク
4日間、写真を撮らなくちゃいけないやつですね
1日として認められるのは標準のコースタイム
大和高原地図で言う標準コースタイム20時間以上の距離を
もちろん当然それ以内で行って
シュラフを使わずにゼルト等でビバークスタイルでやって
その日2日目も同じ20時間以上のコースタイムのところを
余裕のある時間内で走ると
走れたことで初めてその間のゼルト博一日が認められる
ということになるので
4日を満たすためには実質5日
そういう行動を5日間確実にできれば
そのためには前の日から北アルプスの登山口まで行っておかないといけないし
終わるのが夕方の夜の暗くなってから帰ってくるのはまた翌日
7日間はほとんどいるんですよね
それをするのに7日間絶対費やすということですね
九州から行くとですね
これを2つに分けたら2日ずつに分けると
逆にまだ8回
バーチャルは大丈夫です
店閉める
バーチャルの店だったら多分開けられると思うんだよね
これはクラウドファンドですかね
コーヒーもドリップしか作れないよって対応するし
あと夜間営業で酒売ってやるから逆に儲かるかもしれない
帰ってきた時にはお客さんはここはバーになったと思うかもしれない
そういう裏方のお手伝いをします
バーチャルは大丈夫よ
これ全部クリアする時間は取れる
時間は取れる大丈夫
今までそういう状況があるので
なかなかやれる人がなかったでしょう
独自の力っていうのはどの程度要求されるんでしょうか
そんなに難しくはないんですけど
一応私もOMMレースが始まって
1回目から6回目までは全部出て
レースに出ることで総力プラス地図読みを高めてきたというのがあります
面白いことに事務局の飯島さんとか
これまで完走したすごいメンバーの人たちが
結構7,8人くらい出るんですよね
その方たちはチーム組んでるのを一緒に走って
39:00
途中で先に向こうへ行ったはずなのに
次のポイントではこちらが前に先にいるとか
金谷さんめちゃめちゃ速いって言ってましたもん
そういうのが結構面白いというのもあります
そんなことをやりながら
一番のベースとしては地図読みはライン折り入れているということで
あらかじめ先行回のルートコースは決まっていて
それにコースのラインが引かれている地図を渡されるんですけど
その地図に地図通りに歩いてきたところで
フラッグがオリエンティングフラッグがあって
この場所を地図上に正確に落としなさいという仕組みがあるんですね
そこで前後2ミリでしたかね
50mずつぐらいの誤差はいいんですけど
結構正確な地図読みができないと
私もこの前の先行回では
一つ最後のが落としたというのは何となくはっきりしているんですけど
他は多分良かったと思います
地図読みできないわ
地図を読むのじゃダメなんですね
昔国体の山岳競技というのがありまして
今はクライミングとボルダミングだけですけど
一昔前は銃操と搭載という3種複合の競技だったんです
搭載というのが今と同じ地図読みをするような競技で
10キロの飯島さんとかも当時国体選手で出ていたし
そんなことをやっていたので
その前の創始者の岩瀬さんも国体の選手監督でやられていたので
そういう流れの中で
福原さんも福岡の監督だったんでしょ?
選手で3回で監督も3回ぐらいしましたからね
大阪国体の時は選手で出て
搭載競技で一応3位にはなったんですよね
それだけで普通の人は出れないんですよ
出れないよ
選考会に出ることすらすごい
当時は競技の地図読みの練習をかなりやっていたので
その延長なので地図読みは全然問題ないなと思っていたんです
地図読みに出るために今から頑張りますと言って
1年ぐらいで出れるぐらいいけます?
内容としてはそれぐらい十分ですよね
頑張りましょう
なんで俺やん
42:03
選考会の時も最初の3問は私的には簡単で
みんなが迷っているところを突っつけて
そこで20人ぐらいすぐ出会わせて
だけど最後の最後に疲れもあって相当迷って
結局間違えてしまった
地図読みが一番自分がやるんだったらネックだなって思って
OMM出るんでしょ?
年齢的にやるんやったらここ1,2年じゃない?
そうですね
いやいやいや
福原さんだから選考会行けるんですよ
なかなか難しいですよ
最初にこのレースに出ようと思ったきっかけっていうのも
今ちょっと言いましたように創始者の岩瀬さんが
国体の同じ三角協議で一緒におられて
その頃ちょうどいただいたので
1998年の10月の国体の時にちょうどご一緒したんですけど
神奈川であった国体で
協議終わった最後の閉会式待ち上げの時に
岩瀬さんがこの同志を募るという
めちゃめちゃ貴重な
あれじゃないですか
同志を募るって書いてます
岩瀬さんがこういうことをやるからどうっていう
お声掛けの案内ですか?
そうなんですよね
私は近年こんなことをやりました
という中で98年の夏に日本海から北アフリカから
太平洋まで7日間と10時間で行きました
今後こういうことを考えてます
トランスジャパンを立ち上げた岩瀬美希夫さんという方がいらっしゃって
この方がこういうことをやろうって
トランスジャパンがまだ始まる1回目もない時に
こういうことをやりたいですって言った紙ですよね
自分でやってるんですね
そっかそっか
他にもこんなことをやりたいっていう
それがベースとなって
98年夏日本海北中和南亜太平洋
高低差3000m距離400km
7日10時間33分
レースにしたらもっと早くなるよ
本当に一流の選手を集めたら面白いレースになるんじゃないかなって
もっと記録が縮まっていく
これ今もうコースは変わってないんですか?
当時のコースのままですか?
岩瀬さんが行かれたこの時とはちょっと違うようですけど
45:02
コースとしては1回目
これは1回目の報告書ですけど
岩瀬さんが作られた報告書で
でも距離的にも今410何kmだから
同じちゃ同じぐらいですよね
昔は西北か南下まで行って
上甲地に降りてたとかっていう話を聞いた気がします
それはレースになる前だと思いますね
それだと危ないからということで
宮城から上甲地に降ろすようになって
これは当時岩瀬さんがやられた時っていうのは
もう食べ物全部全餅でしょ?
この時はまだ食べながらですよね
山小屋で食べてたんですか?
去年の大会
2011年の大会からコロナもあって
山小屋での食事は一切NGで
水の補給しかできないということに変わったんです
餅月さんが全餅でやられて
それを見て本来そうあるべきなんじゃないかとおっしゃられて
じゃあ2021年からそういうふうにしようみたいなことで
2018年が餅月さんが一人で自分への課題としてやられた
だから今はもう全餅ですよね
その中で土居さんは4日間だったっけ?
土居さんは4日間17時間33分
それでさらに早くなって
読んだらすごかったね
あれはちょっと別格かなと思ったけど
より厳しくなったということですよね
それまでの大会であれば山小屋でどういうものを食べるとか
山小屋が使える時間が朝の5時から夜の6時だったかな
ご飯提供できる時間
迷惑をかけない時間でという決まりがあるので
その中で山小屋が開く前に手前で2,3時間仮眠して
休憩取って空いたらすぐ食事にして補給して
それから行こうとかいろんな作戦が
山小屋利用の中での作戦があったようですけど
もう使えなくなったから
もうひたすら早くやる
その分当然全エネルギーカロリーを自分で持たなくちゃいけないので
当然負荷が増える
私は2021年からそうなったので
少しだけでも持つ荷物を減らすために
カロリーは必要だけど
より効率よく摂るために
脂肪の方がグラム当たり99カロリーで
多数化物の2倍以上のカロリーがあるので
脂肪も摂りながらいけるように
48:03
1年くらいかけて
少し体質改善というか
パッドアダプテーション
自分の体脂肪を燃やせるし
少し脂肪を摂っても
自分もこなせるように
そういう体に若い時からなってそうな気がしますけどね
ある程度はたぶんなってたと思うんですけど
より意識して脂肪を摂るのを
日常的にやるようなことで
今も
これめっちゃ貴重な紙だよ
すごいですよね
そういうのを母さんが残しているのがすごい
それをいただいた時には
すごい人だなと思ってたぐらいでしたけど
2012年のNHKのBBSの放送を見て
あの岩瀬さんだよね
そういえばそんな記録があったよなと思って
改めて昔のやつを引っ張り出してみたら
やっぱりそうかと
このことかみたいなことですよね
でちょっとTJ新田の距離が近くなったというのと
それを考えて2013年
2013年に一人で南原州に行って
ちょっと台風が来たんで
途中の赤石の手前から下に降りたんですけど
降りたところに降りて
どんだけ第一段までかなりの距離で歩いていたら
途中で一人男の人がバス停で
山の中走るバス停で待っていて
でふと見たら
やっとしたら岩瀬さんがそこにいたんです
そこで岩瀬さんと再会
よくあそこで会うもんですね
10何年ぶりですか?
何年ぶりですか?
15年ぶりかもしれないですよね
14,15年ぶりにそんなところで会うってすごいですね
でトランスジャパンすごいですねって話しながら
実はちょっとそれに出たいのもあって
練習で来ましたっていう話をしたんですけどね
もうなんかね裏口入学されてくれた方なんで
そうなんですね
ダムのところに岩瀬さんが車を置かれて
そこまで一緒に歩いたり走ったりしながら
ちょっと話をしながら行って
ダムのところで車に乗せていただいて
そのままコース
トランスジャパンのコースの最後のロードコースを
全部車で走ってもらって
大浜海岸まで連れて行ってくれたんですね
ここがゴールですよ
すごいですね
それがまたちょっと近く
51:00
気持ち的にはですね
わー
福原さん出場されてたらNHKをおかけましてましたよ
そうですね
絶対なってストーリーになるよね
めちゃめちゃストーリー
もう無理ですか実際
そうですね
まずフルマーソンの3時間20分切るっていうのが
そうですよね
普通でも50代でも結構きついですよね
ちょうど3年前の今頃ですよね
本当に採水調整の時でしたけど
あの時は11月のOMMに前の都心に出る直前も
10月くらいから
OMMに過ぎたら特にもう山に行かずに
フルマーソンの練習だけ
もうマラソンだけに
その他もクリアしそうですもんね
条件的には
実績は前の年の夏まで全部準備はできていたので
あとはフルマーソンだけということだったので
とりあえずここで最後のチャレンジでした
実際どうしたかというと
たまたまですけどね
アルトライトラボが主催したランニング教室みたいなので
そこで先生で来られたのが
矢田勇子さんっていう
アルトラのアンバサダーと
僕も行きました
それがきっかけでその後
矢野さんのオンラインコーチングを
したんですか
そうなんですね
それが10月から
矢野さん目の目のでオンラインコーチした人たくさんいましたよ
でも伸びたんですね
そうですね
それでずっとプログラム毎週
非労働を管理しながら
練習メニュー1週間単位のメニューをいただいて
自分の実績
心拍数とか
行った距離時間を
エクセルに全部打ち込んで
それを毎週送ることで
また次のメニューをもらって
それをずっとやっていたんですね
非労働を管理しながら
ステップを踏んで
最後ピークを合わせる
ピーキング
そのための最後のテーパーリングという
それを理論を教えてもらいながら
実践としてこういうことをやりましょう
それを確実にこなすメンタルもすごいし
福原さんは割と緻密ですよね
こうやってメモもしっかり取られるし
昔のものをきちんと思い出して言えるし
54:01
すごい緻密なところがあるから
適当でもあるんですけど
その時はやっぱりそれだけで
アルコールも10月ぐらいから一切取らない
マラソンの3時間20分を目指して
とにかくそこ
ちょっと体調崩したり
故障したりしたら多分それで終わりなんで
それを絶対にしないように
少しずつ
選考会というのは
いつからいつぐらいまでの間の期間にあるんですか
マラソンとしては2シーズン
大会のある年の
1月2月の冬とその前の年ですから
実際1年半ぐらいですかね
マラソンシーズンって2シーズンあるんです
2シーズンですね
その2シーズンでとにかく3時間20分を切って
なおかつその参考経験というか
リバークとかを含むものは
それはもう1年ですよね
夏山行かないといけないということですね
前年の夏山です
なるほど
それまでずっと
2016年の選考会までは
3時間30分だったんですね
3時間30分
10分縮めるのも結構しないな
2016年はそれで出れたんですけど
2018は3時間30分から20分に変わって
それが切れずに18は出れなかったんです
3時間30分から20分になったんですか
選考会の参加基準が
それが2018からですね
そうなんだ
応募者が増えたのもあってでしょうか
少し厳しくしたんですね
なるほどそういうことか
山の実績は作ってたんですけど
結局マラソンのタイムが切れなかったんで
エントリーができなかったのが2018で
だからもう絶対マラソンを切るためには
なかなか30分前後をずっといってたけど
20分には届かなかったから
これを大きく変えたことをやらないと
本当にそれだけに打ち込まないと
ダラダラとしても難しいなっていうのがあったんで
オンラインコーチ向けながら
年々これ厳しくなっていくんですね
厳しくなるね
3時間15分とか10分とかどんどんなっていくってことやろ
そのうちサブスリーとか言いそうやな
言いそう言いそう
でも今までの実績ない総力の中では
そこはそんなに重視は
してないんじゃないかと思うんですけどね
それとやっぱり
リスクマネージェントがしっかりできるかという
低耐温症なりですね
いろんなそういう危機管理の能力
対応ができるかという
それを一番多分求めてるんでしょうかね
だから可能性はみんなに結構広くあるんですね
みんなにあると言われてもだいぶ可能性は高いですね
57:02
いやでも出てみたいって簡単には言えないけど
チャレンジはしてみたい気はある
でも先行回に出る資格もそうだけど
実際出たところで4百何十キロで
2万8千キロっていうのはまたちょっとね
すごい強度やなとは思いますけどね
私も2016年に先行回で落ちたんで
レース期間中の後半をですね
大会期間中の5日目からでしたね
勝手に走ったんですけど
3日と19時間くらいでは
自分的にはもう完全にハーフと
DJRのハーフをね
とりあえず休憩を
でもそのDJRのハーフを3日となれば
制限時間は8日間あるわけだから
そのペースで行けば完走できるんじゃないですか
そのペースで行けばできますね
でもやっぱりハーフマラソンを走るのと
フルマラソンの違いが大きくあるように
ハーフが走れたからといって
そのペースでフルにはというのは到底という感じですかね
そうですよね
2016ができたんで
これをより高めていけば
可能性はあると
大会になると自分のアドレナリンも出るし
もっとパワー出るじゃないですか
福原さんが自主的にやられたもので
3日で19時間だったら
大会だったらまた力も出てね
そうですね
私も勝手にそんなふうにも
思うんでしょうね
最後は4日の最後
レースで言うと4日目最終日の
午前11時前ぐらいに
ゴールはしたんですけど
ちょうどその頃は走ってる選手の
邪魔にならないように
ほとんど反対側走ったりしていきながら
最後はでも足かなり来てて
信号で止まるたんびに固まって
次の動き出しがきつい
225だからマイル以上ですからね
これ睡眠はどうだったんですかこの頃
睡眠はちょっと
本当のレースで考えるよりかは
余計に
4時間前後は寝てましたよね
一回それやってその後
2019年の夏に
6日間のキュタルクスのほうの
参考をやったんですよね
これもそこそこ
4時間前後ぐらいは寝ながらで
6日間
睡眠と食事がある程度できれば
1:00:01
体が動くなっていうのは
なんとなく体感をしたような
これは夜間も行動したんですか
そうですね
夜の7時8時ぐらいもあったし
5日目は薬師を超えるところで
7時半とかもう暗くなって
9時過ぎまでは動きましたね
朝はもちろん3時半ぐらいから
プライナーがスタートして
じゃあね
一旦全工程に近いところは
当廃してはいるっていう
全工程を2回はだいたい行ってます
2回
バンバ島からまでの
ベッド山湾からバンバ島剣を
越えていくっていうのは2回はやってます
南アラスも2回
2.5回くらい
うちも台風で
一度降りたのも
でも福原さんがTJARに目指す人がいたら
そういうところの監督になって
九州チームの監督で
引っ張ってもらいたいなという気がします
経験を
私自身としてはもう一つ区切りをつけて
体力的にもいろんな面でも難しいなとは思っているので
いろんな形でお伝えするのでお手伝いというか
できたら早々にしていきたいなという気はありますね
バチ今いくつ?40?
今年40です
まだ全然いけますよね
40代が強いですからね
いけるよ
2回チャレンジしてもまだ45までいかないじゃないか
2回もチャレンジするんですね
1回でうまくいくと思うなよ
確かにとりあえず
3回4回6年とか10年の思いをという人が
可能性も出てますもんね
大浜海岸におるよ俺
途中途中の幼稚園でおるよ俺
バチが出るんやったら
でも体力的にはある人はたくさんいらっしゃるから
九州でもですね
選考会に出る体力
体力というか選考会に出る基準をクリアすることですね
要件をですね
ゼルトを履く4日というそれが一番でしょうけどね
それを思い切って
ゴート決めてクリアしていただければ
選考会の要領といったら変ですけど
考え方なりどういうのが必要かというのは
2回出ていろいろ失敗したのもあるんで
1:03:02
ある程度はですね分かっていると思います
レース感想はまたまた別な要素が多いと思いますけど
なるほど
ありがとうございます
参考履歴はまだまだ掘って掘って掘りまくりたいんですけど
これだけっていっぱい聞きたいです
福原さん何回もこれ出ていただいて
これをちょっとお祝い聞こう
ネタ上やろこれも
僕はまず3時間20分切りを
3時間20分切りをちょっとやってくれ
今度は伊達マラソンで
伊達2月の伊達マラソンなんですよ
私の金栗思想の成果と
私の実家は2キロくらいの距離なんです
でも20分は切れるでしょ
20分切れたらビバーク系
伊達の時は無理かもしれないけど20分は切れるでしょ
あとビバーク系
と地図用に
地図用にちょっとさ
俺もしたいけん勉強しようオリエント化いこう
この前出てもらったマイクとか
教えますよとか言ってくれてたし
倉田さんも1年やったら大丈夫だって言ってるから
大丈夫ですね
実地でやるのが一番早いんですか
もちろんそれはありますけどね
例えば電車に乗って向こうに山が見えたら
あの尾根とか
今スマホでも地図見れるじゃないですか
あれ見てあの山の尾根が地図でどういう形で出てるのか
地図の平面と山の立体を頭の中で合わせ切るか
山を見て地図にいるのでそれにしたら逆に地図を見て山が浮かんでくる
もちろんそこの中に入り込んで
入り込んだ中で周りをどう把握するかっていうのはありますけどね
当然ながら福原さんは平面を見て目をつぶれば立体の山がふわっと浮かぶんですよね
25,000m見たらある程度はおっとつって
VRやな脳内VRやな
よくあの山
頂上じゃなくて山の中で写真撮ってて
一回転するとどっちから来たのかわからなくなるじゃないですか
ならないあれ
あれ怖いよね
あれってどっちから来たみたいなね
私も一人で南アルプスの戦場畑を越えて
旅馬田小屋の方に降りるというときの最後の降り口の手前ぐらいで
もう夜の8時は過ぎてたんですよね
雨が結構土砂降りの中で
1:06:00
僕は疲れててもうちょっとあと1時間かからずに
テントまで着くかなと思っている中で
降りる方向を確認しようと思って右左横辺に回転したりしたら
全然わからなくなって
こっちだなと思った方向に進んで
15分20分進んで
あれ?逆走してた?
やっぱりなるんよ
北アルプスにいた時に遅い時間
午後過ぎたあたりから剣の方に向かったんですよピークに
そしたら剣までそんなに距離ないかなと思ったら
あれ前剣とかいろいろあるじゃないですか
あそこかなあそこかなと思ったらずっと裏切られるじゃないですか
だんだん日が暮れてきて
戻るくらいにはかなり暮れてたんですよ
でも僕減ってなかったんですよその時
前の小屋に結構荷物置いて軽い装備で
簡単に行って帰るくらいのつもりで減って置いてきたんですよ
そしたらもうかなり暗くなって
どこだったかな前剣どっかで
ものすごく綺麗だったから写真を一周撮って回ったんですよ
そしたら自分がどこから来たかわからなくなって
でも暮れて減ってないやん
もうちょっと終わったと思った俺
でもこっちかなと思ったところに行ったら
たまたまそれが進行方向が合ってたから
もう降りる時には真っ暗になってた
あれはやばかった
これからの目標はどんな感じですか
今はですねクライミングばっかり
クライミング
すごいなクライミング
去年の5月から仕事ももう6時ご近いので
週4日勤務にして水曜日は休みとしたんですね
水曜日はクライミングの日
あと週末もう1日は基本的にクライミングで
あともう1日は状況を見て山に行って
今はもうそういう登山というよりはクライミングの方が
クライミングとそうですね
雪山も一応3月にはやりがたけの方に行く予定になりました
雪降ってる時行かない
それもあって一昨日の水曜日も
セフリーにちょっと荷物持って行ってきました
たまにすごいことやってますよね
セフリーとか雪がすごいあるところに
ルートもないようなところガンガン行ってるじゃないですか
ちょっとその辺を今まで遊んできたことを
改めて少し整理しながら
クライミングという機能も忘れない程度に
やっていきたいなとは思っているところですね
本当に山の楽しみ方を隅々まで知っているという感じですね
いやちょっとそれがですね
今日もどんなことを話そうかなとか思いながら
改めて考えるとこのトランスジャパンへの
自分的にはチャレンジをしてきた中で
1:09:02
あまり楽しんできてないんですよね
これまでの山にそこそこ行ってはいるけど
たぶん普通に山を登りをしている人ほど
楽しんでないっていうのを改めて感じて
だから山の花に興味があるかというと
ほとんど花に興味なく
あちこち花畑の横をすり抜けながら何か咲いてるなっていう
でも花をめでる余裕がないというか興味がなかった
とにかく早い時間に危険地帯を明るい道に通過したいとか
早く次向こうに行きたいっていう
それだけでしかできてないし
いろんなことを楽しんでないんですよね
記録を見ると強度の高いものとか
より過酷なものとか
そういうものにずっとチャレンジし続けてるからですね
見てる幅もできるけど狭いんですよね
動いてる中で考えてることっていうのは
今水がどれだけあるのかなとか
次の水が補給できる水離り小屋までの距離時間
今のテイストで言ったらどれくらい水の量
着いたら何を買おうかとか
天気の具合はどうかな何時くらい着くかなとか
普通やっぱ北アルプスに行くって言ったら
三股レンゲにベース張って
あとはもうチャラチャラチャラチャラ一回遊ぶスタイルが
楽しいし多いしね
そこを一気に何分かで切り抜けていくから
調子が悪くなってきたら痛いななり
胃の具合がおかしいなとか
これ何食べれるかなとか
小屋でカップラーメン丼食べたいけど
ちょっと無理かもしれないなとか
そんなのばっかりで
本当に楽しんでなかったっていうのは改めて
振り返って考えると
この前セフリーに行った時も
フォーマンに行った時か
ゆっくり歩いたら
ここってこんな崖だったんだとか
ここからあの景色見えて
全然見てなかったっていうのは
フォーマン山とか何回も何十回かな
もう100回以上は
見てる景色が変わってきたということですね
そうですね
特に去年の春に
去年のTJRを諦めてから
登山ガイドの資格を取ろうと勉強を始めて
去年の春に日本山岳ガイド協会の
登山ガイドのステージ2というのを取ったんですけど
それで資格は取ったけど
道案内はできるけど
自然の花をもう知らない
麻生さんがどうやってできたかもよくわからないとか
いろんな歴史のある地質、花、自然を
何も知らないというのを改めてわかったというか
1:12:01
それからですけどね
もう1年くらい前から
当然試験を受けるにあたって
合格するためには花の名前とか
いろんな火山なり試験の特徴とか
いろんなことが引式にも出る
勉強を始めて
改めて実際にガイドするにあたって
花を植えたり
どうやってこの山ができたかとか
話すということで考えて
いろいろ勉強すると面白いなっていうのを感じて
人に伝える気持ちで
本を読んだり調べたりするのが
今ちょっと楽しいなっていうところですね
道に咲いている花の説明をしている福原さんを見て
真っ近で登った人とは思えないですよ
そういうのが一面一つあるのと
選考会の時に一つ感じたのが
本当に2日目の最後のロード区間が
20何キロかあるんですけど
緩やかなずっと下り
2日目の最後でかなり疲れていて
最初の走り出しは全く体が動かなかったんですけど
これでどこまで走れるかなと思ったけど
もう最後だし
多分ダメかもしれんけど
これまでを練習したことの結果として
悔いがないような気持ちもちょっとあって
まあでも楽しまないとねっていうので
周りの景色を見ながら
あの尾根を2つ越えた向こう側の尾根の先を下って
それから左に曲がってとか周りを見て
ずっと行き出したら
だんだんランニングのリズムができてきて
スピードが上がってきて
キツさが結構消えていったんですよね
最後の本当に4,5キロは
5分ちょっとぐらいのペースで
そこを担いで走れたのが自分でも不思議だったんですよね
なんか最後
本当に最後で楽しむ気持ちになり
周りを見て楽しむっていう
そういう気持ちになって
そう感じることができたのかもしれないなという気もして
せっかくそういう場所に
山の中の自然の豊かなところに行ってて
ほとんどなんかもあれ見てなかったなと改めて
大失礼
もっと楽しみながらやれば
まあもっといろんなことが学べて
全然まだまだじゃないですか
深原さんも
そういういろいろと楽しみも含めて
勉強というか
更新の指導もできていただければと思います
1:15:02
お話しするなり伝えるということも一つ
正しい言葉とは思っています
まだまだたくさんお聞きしたいことあるんですけど
何回もまた出てください
まだ続けていきますので
ありがとうございます
じゃあ今日はコーヒーで乾杯しましょうか
以上お終わりの皆さんお疲れ様です
乾杯することになっています
じゃあ深原さんどうもありがとうございます
PJRを目指します
01:16:30

コメント

スクロール