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スピーカー 1
IBUKI STATION
トランスジャパンアレプスレースの創始者であります岩瀬幹生さんに来ていただきました。
はい、ようこそお越しくださいました。急にお声掛けして来ていただいて、本当にありがとうございます。
IBUKI STATIONというポッドキャストをやっております。よろしくお願いします。
今日はゴール会場に来られているのは、毎年、毎年というか毎回。
毎回何か、この時期になると応援せざるを得ないというか、ワクワクしちゃって、どうしても来ちゃうんですけど。
ずっと大会はこうやって見守られている感じですかね。
大体そんな感じですかね、アクセントがない限り。
もう何回も聞かれているかもしれないですけども、改めてDJR、トランスジャパンを始められた時のことをちょっと伺えればと思うんですけれども。
最初って何で始まったんですか。他でも答えられてますよね。
学生時代にやっぱり、日本海から太平洋まで歩いてみたいという思いがあって、始めたんですよね。
学生の時だったんですか。
そうですけど、あの時は静岡から行って、南アルプスを越えて、車山公園ですかね。
巣箱に降りたんですけど、もうちょっと行きたいなという思いがあって、そこで終わっちゃったんですけど。
終わったんですか。
学生だったんで、ワンゲル部だったんですけどね。
ワンゲル部。その時はお一人ですか。
一人です。
ワンゲル部だったら山月の方は部内にもたくさんいらっしゃったと思いますけど、なぜお一人だったんでしょう。
一月以上かかったんですけど、大キスリングにザックを背負って、だから35から40キロぐらい背負って、一月ぐらい。
キスリングって言ったらお祈りみたいな、黄色い横に長い、うちの両親も大学のワンゲル部で、昔の写真見せてもらったらそういう。
なんか100リッターぐらい入るよね。
それにプラスアルファで。
あれに40キロ。
プラスいろいろ、小育てにキスリングと箱とか色々な食料を詰め込んで、一月ぐらい。
それは一月分の食料を入れたってことですか。
ほぼ入れましたね。
山小屋では補給はしなかったんで、昔の暗黙のループだよね。
その当時の食料って、多分今と全然違う食料だと思うんですけど、どういう食料?
昔はアルファ米が出たか出ないかぐらいのとこだったんで、多分お金もなかったから、普通のご飯を水でさらいで乾かして持ってったかな。
おかずもケチャップとニンジンを持ってくるんだけど、ニンジンが腐りかけてとか。
ニンジン生でもってったんですか。
生でもってた。
乾燥米がなかったかな。
もちろんフリーズドライとかもないですからね。
ないですよね。
それ何年の話ですか。
学校生で。
生歴で言うと何年。
何年になるんかな、ちょっと思い出せないですけど。
大学4年の時だったかな。
ということは22歳ぐらいですかね。
今はいくつですか。
今は69歳ですから。
ってことは47年前。
半世紀前ですね。
1970年代。
ちょうど生まれる頃だ。
そうなのかい。
じゃあその時にお一人で南アルプスから車山まで巡走されたんですか。
そのスタートは大浜海岸ですか。
じゃなくてあっちの旗泰居からいたんですけど。
じゃあそこから南アルプスに入られて、1ヶ月かけて巡走されて、
南アルプスでは来たらず一度降りて八津に行ったと。
そうですね。
海岸に乗って降りてつなげてたり。
北上されたっていうことですか。
北上したんですけど。
ワンゲル部の中でもそういうことやるのはちょっと変わった人って。
変わった人ですね。
スピーカー 1
誰も一緒に行こうとはならなかったんですか。
いや、ならなかったですね。
変な人がおらん。
多分大学だと夏合宿とかあると思うんですけど、
ご自身の夏合宿はこれだって言ってみんなが来てくれたりとかじゃなかったんですか。
それとは別で、クラブで合宿あったんだけど、
僕は4年になるとフリーになるんで、
自分で自分の夏休みを、というか夏合宿やったみたいな。
合宿じゃないですね。
一人一人一人旅だね。
どうでしたそれは。
なかなか大変だったんですけどね。
なるほど。
それが計画的には南アルフスだけだったんですか最初。
いや、やっぱり車山行ってスワスワ湖まであったんですけどね。
一旦車山まで入土されて、その後何が起きたんでしょう。
いや、まあ、そして卒業したって、
社会人になるとやっぱり夏休みしか取れないじゃないですか。
できても1週間だよね。
その中でもっと荷物を軽くしてスピードさないといけないなということで、
いろいろまたチャレンジをしまして、
あと例えば北アルフスを立山から上甲市まで1日やれて当たり前とか。
あとは南アルフスだと北岳からテカリまで1日でとか。
当時の道具でってことですよね。
当時ですね。
当時立山から上甲市まで1日で行かれてたんですか。
そうですね。
本当ですよね。
今の選手より早くないですか。
いや、わかんないですけど。
だって土井さんが初めて1日でっていう感じじゃないですか。
そんなことはないと思いますけどね。
そうなんですか。
じゃあどんどんご自身の工夫で軽量化されて、
北アルフス1日で抜けるような工夫をされていったという。
ちょっとその当時の装備で立山から上甲市まで1日。
あとその夜行ってる人があんまりいないかと思うんですけど。
確かに確かに。
タブーっていう感じ。
そうかもしれないですけど。
その頃はどうされてたんですか。
いや、そんなの無視して。
かなりの遺憾事でした。
もしかして。
そうかもしれない。
でもそうしないと行き着けないですよね。
もちろんそうですけど。
一応例えば国体に重装競技があったとか。
そういうのもやりましたけど。
そういうのも出られながら夜通し行くみたいな大会はなかったんですかね。
覇節寝とかありましたけどね。
あれは1日で終わっちゃうから。
途中でこう宿泊したりとかそういうのはなかったですけど。
そうか、じゃあ夜に山を走る競技自体は覇節寝とかでは行われてはいたけど。
そうですね。
アルプスをそんな夜に行くっていうのは。
そういうのはなかったかな。
かなり非常識で。
無謀登山者ですよね。
大丈夫でした?怒られなかったですか。
いや、そういうのも言ってくれない人も。
逆に。
特に何も言ってくれない。
そうだね。
早月越えで言われたこともあるね。
夜6時か暗くなるときにまた鋭木へ登ってくる。
バカがおるんじゃ。
そうなりますよね。
お若いですしね。
なんか若いやつが無謀なことやってるみたいになりますし。
そういうのに対しては。
いや、まあちょっと無視。
ちょっと無視。
ちょっと無視。だいぶ無視ですね。
まあ行けるし行けるんじゃん。
それはもう行けるっていう自信があった上で。
そうですね。地元の山から始めて順番に行こうね。
じゃあ山を走るトレーニングとかもされてたっていうことですか。
まあそうですね。
その頃は靴とかはどういう靴で。
普通の靴だった時もあるし、ちょっとアウトドア系の靴も。
靴も出始めでしたよね。
普通の山を走る靴じゃなくて。
トレイルランという言葉もない頃ですけど。
どっちかというとランニングシューズですか。
それとも登山靴のような。
ランニングシューズ系ですね。
ランニングシューズで。
でも今でもトレーニングの時はランニングシューズ軽いからいいですよね。
いいですよね。
そうですけど、その当時だと靴も重登山靴でみたいな。
スリング背負ってみたいな。
私はそういうイメージがあります。
日課ぼっかはいって。
まあまあそれはアンゲルの時代でしたけどね。
でも下島圭さんの本が出て、あれで刺激を受けまして、
あの人は八ヶ岳を8時間とか9時間で全裸重装していて、
あの人が使っていたのは普通の運動靴だったんですよね。
ボーとかやってみたら、できるじゃんみたいな。
じゃあ常識にとらわれずに。
軽快だよねって。
軽くしていったらどうなるかみたいなことを追求していたみたいな。
服はどんな格好ですか。
普通の靴で短パン。
Tシャツに短パンみたいな感じ。
そんな感じですかね。
先駆者ですね。
本当ですね。
ちなみに部内ではどういうふうに言われてたんですか。
本当にそういう活動を。
いやまあほっとかれたんですけどね。
ほっとかれた。
じゃあちょっと異端者ですか。
まあまあそうですけどね。
でも逆にやっぱりすごい人だってみなさん思われてたんですか。
いやそんなことないと思います。
なんか変な人やな。
でもお早いでしょ。少なくとも。
部内で一緒に山に行ったら。
ワンギルのときはもうまた別ですよ。ゆっくり。
スピードは出してないんです。
社会人になってからそのスピードを出して。
ワンギルのときはもう本当に片つむぎじゃないんですけど。
本当に思いにを背負って。
いっちらほっちら歩いて。
あれが嫌だったんですけどね。
社会人になるとそんなことやってると。
休みがなくなっちゃうんで。
休みの間に北アルプス全部行きたいから、軽くするしかなかったですね。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
社会人になるとしょうがない。
まあそうですね。
だから今回もね、社会人の夏休み。
社会人の中で、できても8日とか9日が目一杯じゃないですか。
その中でこのレースが開催されるっていうのはまた追えているのかなと思うんですけど。
じゃあそうやってお一人で北アルプスを1日抜けたりとかされていて。
それをまた繋いで繋いでみたいな。
で、できるじゃんみたいな感じで。
そっか、1アルプスごとにやっていたのを、
じゃあ全部繋いでみようかって思い立ったってことですか。
そうですね。
それが何歳ぐらいの頃ですか。
30代後半ですかね。
結構経ってるんですか。
じゃあその社会人になられてからずっとそういう活動は続けられた。
学生時代はワンギルだったけど、社会人だったら三学会に入って、
ちょっと氷原へも行って、国体を始めてスピード登山っていうかそこら辺に目覚めて、
それからスピードを追求するみたいな感じになったんですかね。
国体でもご活躍とかされてたんですか。
一応選手もやったし、選手になれないんで監督もやらさせてもらったんですけど。
スピーカー 1
それを引きずり込んで。
引きずり込むというのはどういうことですか。
サポートをお願いして。
先回りしてちょっと食べ物とか補給。
そうですね。
じゃあそれを毎年。
ご自身で全部1回ずつやるっていうのがまた。
中央アルプスと南アルプスは以下略でいいんじゃないですか。
いやもう順番にやっていかないといけない。
できたらつながる。
そんな感じですかね。
投資での思想とかもされたんですか。
投資もしましたけど、
投資ができたのが今のコースの2年前とか4年前なんですけどね。
最初に2000年か1998かそこら辺で投資でできたんですけどね。
初めて投資に成功したってことですか。
そこまではうまくいかなかったんですか。
いろいろ曲があって、コースどうしようかとか。
そのチャレンジは誰かは知ってたんですか周りの方っていうのは。
なんか変なのがおかしなのがおるよみたいな。
それは例えば文章を書いてどっかに雑誌に出したりとか。
そういうのもちょっとやってたんですけどね。
山形とかに。
それでちゃんと記事になったりとかはしてたんですか。
記事も起こしてくれたこともあるんですけどね。
じゃあ一応すでにやろうとしてることが注目はされてる。
そうですかね。なかなか出してくれてなかったけどね。
寄稿するけど採用されないこともあった。
そうですね。
じゃあ毎回何かそういう文章に記録として残されて。
記録としては自分として残しておきたいんで。
今だったらブログに書いたりとか。
そういうのはある。
YouTubeにアップしたりとか。
そういう世界はなかったですよ。
すぐに出版社の編集部通らなくても自分で出せちゃう。
昔は半年とかその後とか1年後ぐらいに出てったらええとか言って。
でも山形とか載ってその反響はどうだったんですか。
あんまり変なのかなと思う。
ハセツネで呼びかけてはみたんだけど。
それは一緒に行きませんかと思うんですか。
いじまくんとかまっせたんとかが来てくれるようになったかな。
第2回とか第3回。
ゆかさん第4回目ぐらいだっけ。
変なことやってるわ。
プライついてくれるいただける方が出てきたかな。
ちょっと待ってください。
1回目はお一人ってことですか。
感想は私一人なんですけど。
7人で行ったんですよね。
みんなもうなかなか途中で。
ちょっと待ってください。
思想にまず成功したのが1回目で、その後第1回であるってことですか。
思想は何回もやってる。
コースが確定したのが、コースが確定して2002年が1回目なんです。
2002年が第1回と。
そんな感じですね。
7人の方が出場されて、お一人しか感想しなかったという。
その7人はどういうふうに集まったんですか。
やっぱり呼びかけて来てくれたんかな。
山のお友達とか。
それを見て面白そうと思えるモサたちが集まったっていう感じなのかなと思います。
そこで行く人たちも面白かった。
そうですよね。
だってその時は今のコースで415キロ8日間で行くよっていうコンセプトで募集したわけですよね。
もうそこから一緒なんですね。
一緒ですね。
名前も同じですか。
名前も一緒ですね。
じゃあそれはご自身で考えられたんですか。
いや、僕が考えたかな。
このロゴはイジモサさんが考えてくれた。
そうですか。
じゃあその頃からウォーズからこの大浜海岸というコースができて、
7人の方が出た最初の回っていうのは、周りには人はいたんですか。
いやだから全然いなくて、CPなんてないかな。
北アラプスのスタートも7人で行こうかって誰もおらんし。
スタート見送ってくれる人もいなかったんですか。
ほとんどいなかったかな。
ご家族がうちらほらぐらいかな。
じゃあ身内でサポートしてくれる人が見守る中でスタートして、チェックポイントもなくて。
チェックポイントもほとんどなくて。
紙コーチ着いたらホームの竹内さん、田中雅人さんの奥さんに紙コーチですって電話して。
大丈夫ですとか。
自分で電話するんですか。
自分で電話して。
自己申告。
自己申告で。
じゃあ行くよって。
でも一応大会本部みたいなものがあったんですね。
一応ありましたけどね。
あと中央を越えて一ノ瀬か。
一ノ瀬ではうちのお母ちゃんがみんなからデポを集めとってグバッと。
うちのお母ちゃん動員したんですか。
家族相当で。
両同して何させんねんみたいになりました。
そういうのもありますね。
7人ぐらいですんで、いつ来るかわかんないし。
そうですよね、その頃はGPSもないから。
そうですよね、ただ待つしかない。
待つしかないって。
1日2日、全然先職員ここで大丈夫みたいな。
その時お一人しか完走しなかった理由は。
やっぱなんかちょっとハードすぎたか、わけわからんですけど。
そりゃそうですよね、今だってハードなのに。
そうですね。
やれるっていう概念がなかったかもしれないですね。
全然いらないからね。
やったこと何回もされてたからだけど、他の方たぶんやれるって思えてなかったかもしれないですね。
かもしれないですけどね。
ある程度いけるかっていうイメージがつかないと。
そうですよね。
僕は何回も試走してるから、なんかいけるかなっていう感じがあったんで、行っちゃったんですけど。
他の方はね。
僕もちょっと途中で嫌になって、もう2時ぐらいでオフしちゃったとか。
もう嫌になって、その時もそうだったんですけど。
嫌になりますよね、暑いし。
もうなんでこんなことをやってんだ。
それでもそんな寝ずに帰ったんですか?
いや、だから途中でもう、僕らもう寝ないとダメだから、本当に睡眠はしっかりとって。
もう記録がなくなったらもう2時ぐらいでオフして、
今日は休みだって、寝ちゃってみたいな。
それで何日ぐらいで疲れたんですか?
だからその時は7日間と5時間ぐらいで。
ちゃんと制限時間内にね。
まあまあ。
辿り着かれているっていう。
それがじゃあ2002年。
2002年ですかね、第1回目ですかね。
で、そこからこんな大きな大会になっていった。
どういう。
そこから、どこまでかな。
飯島先生君が委員長になったのいつだったっけ、2008年だっけ。
スピーカー 2
飯島さんとトナカさんと2人体制でやったのが2012ですかね。
スピーカー 1
10年後。
スピーカー 2
で、14から自分なんか入っているので。
スピーカー 1
今、ゆかわさんが入ってくださいました。
スピーカー 2
自分が最初に言ってた2008年なんかまだミラージュランドの駐車場に集まってた。
スピーカー 1
駐車場の地下道みたいな変なとこだったっけ。
スピーカー 2
駐車場の地下道じゃなくて上ですね。
本当に駐車場のとこに集まって、みんなでじゃあブリーフィングするぞって岩瀬さんが声かけて、
みんなちゃんと装備持っとるかって言って、持ってますみたいな。
スピーカー 1
これで終わり?
スピーカー 2
そんな感じで。
スピーカー 1
持っとるかって終わりですか。
ご責任だな。
スピーカー 2
で、みんなでゾロゾロ海外行って、じゃあ行こうかっていうそういうぼっか的なスタート。
2010も、12もそこ、12までそこ。
スピーカー 1
12までそうだったっけ。
スピーカー 2
そうですね。
12で番組NHKスペシャルになって、それを見たウォーズの関係者が、
地元でこの大会やってるの知らんかったからちゃんと盛り上げようっていうんで、
スピーカー 1
開会式やったりとか選手控室作ってくれたりとかっていう今の形になったんですね。
そこら辺は飯島さんのすごい努力かなと。
スピーカー 1
うちは合宿みたいな形でやってたから。
じゃあ運営体制というのはなくて、ご自身も走られながら準備して。
選手イコール実行委員みたいな。
ずっと出られてたんですか。
だからそこまではね、指がなくなるまでは出てたんですけど。
でも選考会は始まってたんですね。
一応やっとったよね。
スピーカー 2
選考会は毎年、選考会Aっていうのを中央アルプスでやって、
選考会Bっていうのを北アルプスで。
2回も?
スピーカー 1
AとB。
スピーカー 2
それは何か、AとB違いがあるんですか?
年に2回だから、各年もやってたんで。
スピーカー 1
実は選考会が昔はチャンス4回あった。
今は1回しかないけど。
スピーカー 2
ただ基本ワンデーなんですね。
スピーカー 1
橋、総力だけだったよね。
装備とかそういうのはなかったから。
中央だとね、スラの台からぐるっと。
スピーカー 2
駒金を出て、黒川林道っていうところであんまり使われてないルートを登ってって、
基礎駒からずっと宇都木まで行って、ぐるっと戻ってくるっていうのを何時間以内に。
スピーカー 1
半日ぐらいではみんな行ってたよね。
スピーカー 2
選考会Bが立山というか、
スピーカー 1
大山か。
スピーカー 2
大山をスタートして、24時間以内に上甲地。
スピーカー 1
え?
早くないですか?
大山から上甲地まで24時間。
スピーカー 2
24時間。
スピーカー 1
早っ。
スピーカー 2
でも早い選手は上甲地から出る最終バスに間に合いましたっていう人もいたから。
スピーカー 1
4時か5時っていうこと?
スピーカー 2
そう、夕方の。
スピーカー 1
陽気だね、陽気くんとか。
スピーカー 2
みどりちゃんは間に合ってたんじゃないかな。
スピーカー 1
間に合ってるな。
瀬さんはスターまでかな。
そこら辺は間に合ってたかもしれない。
すごい。
でも選考会しなきゃいけないぐらい、参加希望者がどんどん増えていったってことですか?
いや、その当時はそんなでもなかったですね。
いなかったね。
いなかったね。
全然。
ちなみに横浜さんはなぜ出たいと思われたんですか?
スピーカー 2
2006年の報告会っていうのが原宿のノースのスペースであって、
で、報告会の参加者も30人ぐらいでちっちゃいんですけどね。
で、当時2006年大会の選手も6人ぐらいですかね。
みんなほとんど来てくれたんかな。
で、完走者2人。高橋かおるさんが完走した時。
高橋かおるさんと瀬さんが完走した時だと思うんですけど。
スピーカー 1
この2人だけしか完走しなかった。
スピーカー 2
完走しなかったんですよね。
だけど、残りの4人は完走してないんだけど、
もうこのレースがいかに楽しいレースかっていうことを、
みんな目をキラキラさせて語るわけですよ。
で、高橋かおるさんとかってもう、
アルプスの全図ってあるじゃないですか、地図。
あれをこうルートの部分だけピューって切り抜いてこんなの持ってて、
くるくるくるくるくるって巻いて、
軽量化ですとか。
スピーカー 1
エスケープできないじゃん。
スピーカー 2
エスケープできないじゃん。
みんなそれぞれに面白い工夫をみんなして、
こんなトレーニングしたとか、こんなことで軽量化したっていうのを、
まだ今みたいにギアがそこまで進んでない中で、
すごいみんな工夫してやっていて、
スピーカー 1
なんかすっげー楽しそうだな、これはっていう。
もともと岩田さんも山はされてたってことですね。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
それで引かれて目指した。
なるほど。
でもその当時の装備とかあれをオープンにして、
ずっと報告書ができてるのもすごいですね。
そうか、じゃあ早々期、
岩田さんの運営しながら自分も走るっていう早々期と、
もう今の飯島さん、田中さん体制っていうのは、
その2台しかないってことですね、ここまで。
変わったよね、そこで。
スピーカー 2
実行委員自体はちょっとずつ増えてますし、
ほっとくと高齢化しちゃうんで、
若者を入れていかないと、
持続的な大会にならないので。
だけどなかなかみんな若い人は走りたい。
スピーカー 1
走りたいよね。
一番面白いと思うし、一番楽しんでるのは選手だよ。
スピーカー 2
今回も実行委員の原君も見事に落ちましたけど、
見事に抽選で落ちましたけど出たいと思ってる一人なんで。
スピーカー 1
なんか抽選で落ちちゃうのはちょっと心苦しいような気持ちですね。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
出たい人が出てほしいから。
今回は選考会でも抽選せざるを得なかったっていう。
最初は特に人数制限とかもなく。
人数がそれだけはつまらんじゃん。
出たい人。
出たい人で一応選考会クリアできればどうぞっていうことで始めたんだけど、
やっぱり問題があって、
走るのは早いんだけど、ツイレットが貼れない人がおるとか。
生活が、飯がしっかり食える。
食事が作れない人がおるとかいう人が出てきちゃったというのが問題だったんで、
スピーカー 2
今結構いろんな細々とした項目まで選考会で審査するようになったんだよね。
昔は本当に岩瀬さんの知り合いとか知り合いの知り合いぐらいのところの人が出てたんで、
大体実力も経験値もわかる人が集まっていたし、
選考会ってやっていたときも知り合いの知り合いぐらいが選考会に来るぐらいのマイナーな大会だったんで、
スピーカー 2
大体みんなそこそこ実力がわかってる人たちで大会出てたんですけど、
だんだん知らない人がたくさん参加するようになってくると、
あの人本当に大丈夫なのかなっていうことが不安になり、
そうするといろんなチェックをせざるを得なくなってきたっていうので、今に至るですね。
スピーカー 1
地図が読めない人とか、本当にツイレットとかが全然立たれない人がおるとか。
これは問題だろうね。
命に関わりますもんね、それは。
変なところで誘惑しちゃったりとか、そういうとこ、本当に命に関わるようなところがなおざりになって、
走るだけが早い人が集まってきたっていうのはちょっと危惧されたんで、
そういうのを補正するために、細かい項目で先行会をやるようになったんですよね。
飯島さんが実行委員長になられて、岩瀬さんはその実行委員に残ろうみたいな。
僕はもういいかな、指になくなっちゃったし、ずっと数年動けんかなということで、
飯島さんお願いしますということで、体制を。
そっから主催者で選手というか、一緒の展開になるかなと思いますね。
スピーカー 2
今って何の肩書もないんですか、創始者とか。
スピーカー 1
今、顧問です。
なんちゃって役員じゃないですか。
今日もフリーで山へ行ってきて、ちょっと寄ってこようかなと。
スピーカー 1
応援応援、みたいな形で。
あれですよね、飯島さんは迷った時には、岩瀬さんに相談するっていうことを伺ったことがあって。
そうなんですか、僕なんてもうどこのクソだよ。
いやいやいや、それやっぱりね。
もう過去の事ですよ。今の今の人が今のスタイルでやってもらえれば全然大丈夫です。
2012年のNHKでまたちょっと大会のフェーズが変わっていったと思うんですけど、その後の変化ってどういうふうに見られてますか。
どうですか、ゆかさんそこら辺はNHKが入って。
スピーカー 2
2012年でまさかNHKスペシャルになるとは思ってなかったんですけど、最初は東海のローカルの企画だったのが、
トントン拍子に企画が進んでNHKスペシャルになって、全国的にやっぱり反響があったし、
そのおかげで魚津のスタート地点で駐車場をこっそり使わなくても正々堂々と使えるようになりましたし、
大浜海岸もかつては大浜海道から入った右手の松林の中にこっそり、
スピーカー 1
ブルーシートをひいて、みんなまとって。
スピーカー 2
やって、時々警備員さんに注意される。
スピーカー 1
許可とかあんまり取らずに最初。
でもみんなで合宿みたいな感じなら許可とか取らないですか。
楽しい合宿でしたけど、何も考えないで。
スピーカー 2
ただ番組になった以上、その次にやるときには、
いろんなことをちゃんと許認可も含めて取っていかなきゃいけないというのは覚悟したし、
そういった手間はかかるんですけど、
その分たくさん全国の人にこういうチャレンジを知ってもらえたっていうのはものすごく大きくて、
ファンが増えたし、参加したいっていう人もやっぱり格段に増えましたし。
スピーカー 1
NHKの影響すごいですね。
そこで憧れを持って挑戦する方もどんどん増えていったと思いますけど、
そこは調整は大変だけど、正しい進化というかと思って見守られていたって感じなんですかね。
そんな感じですね。
スピーカー 2
ただ今回、久々にNHKの番組というか取材も入ってないですし、
一部ローカル局入ってますけど、