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2024-05-01 08:10

8分_ すみっコぐらしの映画から考えた自由の種類

すみっコぐらしの映画から考える自由の種類

映画 すみっコぐらし ツギハギ工場のふしぎなコを見た。
最初は好きで作っていた人形作りがノルマ50個、100個と増えていく。今の社会の大量生産への風刺だなと。

・ギリシャ時代やアメリカでの奴隷制度の雇い主の苦労話。
手段と行動の自由を奪い、調整する。目的の自由は与えない。

・自分はどんな自由を持ってるだろう?手段と行動は自由だけど、「目的設定の自由」は手元にないんじゃないか、と思った話。

#目的の自由 #手段の自由
#自由
#すみっコぐらし

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なんとかなった理系3児パパの頭の中ラジオ、今日もやっていきたいと思います。
今日はお昼ですけど、ちょっと考えていることをまとめがてで話してみようかなと思いました。題名は、すみっこぐらしの映画から考える自由の種類っていう話ですね。
すみっこぐらしの映画を見てちょっと面白かったですね。
見た感想と、あわせて奴隷制について結びつけてちょっと考えたので、その発信をしていきたいと思います。
結論としては、自由って何種類かに分けられるんですけど、自分が持っている自由ってどれかな?持っていない自由はどれかな?
手段と行動の自由はあるけど、目的の自由はないなーっていうのを話していこうかなと思います。
まず、すみっこぐらしの映画ですね。最新の映画Amazonプライムで見れるようになりました。
つぎはぎ工場の不思議な子ってお話ですね。別にネタバレ話じゃないですが、なんですかね。
工場長、クマの工場長、ぬいぐるみの工場長がいて、その工場長がぬいぐるみ作って、いろんな人に価値提供したい。
幸せな映画を見たいみたいので、そこにすみっこ、特に白クマですね。白クマ、風呂敷と仲いいので、
裁縫の技術が得意なので、お手伝いするよとか、ボタン付けも得意だよっていうのがあって、じゃあ手伝ってよっていうので、
その工場長のクマさんとかと一緒に、その工場でぬいぐるみを作り始めるんですね。楽しんで作ってて、
楽しんで作ってて、価値提供、子供の笑顔できるけど、途中でね、経路がなんか怪しくなってきて、
今日のノルマ50個とか出てきてね、で、頑張って作り上げて、52個達成!おめでとう!
MVPだれだれ!とかね、なんか怪しくなっていくんですけどね。
で、そのノルマがどんどん50個、100個で増えていって、みたいな話の展開で進んでいくんですが、
この映画って今の社会の大量生産への風刺だなーっては思いました。
うーんって思いましたね。
この映画のポイントになるのって、いつからこんな厳しくなっちゃったのかなと思うんですけど、
最初スミッコたちと工場長さん楽しくね、楽しくぬいぐるみ作ってるんですよ。
オーダーメイドというかハンドメイドで作って提供してて、
なんですけどいつの間にかね、50個作って!とかなって、そこら辺ぐらいが怪しくなってくるんですよね。
これ何か、何でこれ怪しくなっていくのかなーって考えると、
奴隷制度の話と結びつきましたので、そのお話しします。
ちょっと話が変わって、ギリシャ時代にも奴隷、昔ですね、ギリシャの時代2、3000年前か、
ギリシャの時にも奴隷っていて、あとアメリカでも奴隷制で、
これはほんと数十年、70年くらい前、アパルトヘイトとかね、アメリカでも奴隷制度ってのがありました。
その時ね、ちょっと視点として奴隷側じゃなくて、
雇い主側の苦労っていう本を何かいくつか読んだことがあるんですけど、
奴隷を雇い主の側の苦労ですね。
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雇い主側の苦労として何かというと、奴隷が気持ちよく働いてくれないっていう苦労ですね。
具体的に言うと、例えば1日で100個これをこうやって作り上げろって言っても、
奴隷って気乗りしないとゆっくりしかやらないんですよね。
自分のやりたいことだったら楽しんでやるんだけど、
奴隷、雇い主が思うのはどうすれば奴隷を効率的に働かせることができるのかというところで、
そこで奴隷主が考えたのは、ある程度の自由を与えるっていうところですね。
具体的にその自由とは何かというと、例えば1日100個作るとした場合、
そのどういうふうに作ってもいいよっていう手段の自由、
あとはまた別に何か行動の自由ですね。
ある程度行っていいよみたいな。
最初のうちはその自由というのは奪って、
手段も行動もここにしか行っちゃダメ、やり方もこれだけってやるんですけど、
裁量によってある程度自由に作っていいよ、ここまでは行っていいよという行動の自由と手段の自由を与える。
そうすると奴隷ってやる気が出るというか、
俺はこんな自由にできるんだって分かって活発に動くというか、やることができるらしいです。
その調整をマーク、奴隷のランクによって与えると効率的に働いてくれるっていうのがあるみたいです。
本の知識です。私が試したわけではないです。
どの本かっていうのも曖昧ですね。
そういうのあるんだけど、絶対に与えないのは目的の自由。
これは絶対に奴隷には与えないものだっていうのが印象に残ってて、
目的の自由って何かというと、あなたはどこに向かっているのか、
それは奴隷には設定させない、というか与えるものじゃない。
それは雇い主が絶対奪っているもの。
そこは奴隷にも見えないようにして、奴隷に与えるのは目的を設定した上での手段と行動の自由は
うまく調整して与えるとよく働いてくれるよというお話が印象に残りました。
それを隅っこ暮らしの映画に当てはめると、隅っこたちは最初自由にやってるんですよ。
作りたくて作ってる。自分たちはやりたいからやってるってとこなんですけど、
途中からノルマが課される。今日は50個作ってね。
それって目的が違う人から設定されちゃってるんですよね。
違うところから降ってくるというか、作り方とかは自由かもしれないですけど、
だから目的の自由、好きにできたことが目的が設定されて、それでやらなくちゃいけなくなったから
隅っこたちは苦しくなっていくんだろうなという映画を見てて思いました。
見方を変えると、ノルマ50個、ノルマ100個とかっていうのが与えられた設定値じゃなくて、
自分たちで隅っこたちと工場長が話して、じゃあ次は30個作ってみようかとかね。
自発的な目的の設定であれば、隅っこたちはストレスを感じることはなかったのかななんて思いますね。
隅っこが杉浜工場の不思議なコデのポイントとしては、目的の自由が奪われてしまった。
そこら辺で変容があったなーって感じですね。
というのがちょっと話してみようかなと思います。
文章に起こすのがしんどいでね、お話で撮ってます。
まとめというか気持ちとして、私はどんな自由を持っているんだろうって考え中なところですね。
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たぶん子どもたち養うとかっていうところで、手段、どういうふうに養ってもいいし、
行動、どこに行ってもいいって自由は持ってます。
けど、目的の設定ですね。
目的設定の自由っていうのは、これ本当に手元にあるのかなどうかなっていうのを考えるところでして、
何やってもいいよ、目的をどこに設定してもいいよ、あるのかな、あってもないと思っているのか、
目的設定自由にしていいよって言われてもね、どういうふうに設定していいかたぶんわかんないのかなーなんて思ってますね。
最後の結論としては、自由の種類を考えた場合、目的に対して手段と行動の自由は既に自分は持っているなー、
けれど目的の設定の自由っていうのは持ってるか持ってないかよくわかんないなー、
持ってたとしてもちゃんと使えてない目的設定の自由っていうのは、
どういうものかって扱い切れてないなーっていう自分のことが見えてきたっていう感じですね。
ちょっとややこしい話しちゃったかもしれないですが、まとめると隅っこ暮らしの映画を見て自由に人形を作ってた隅っこたちが、
途中からノルマを課されるようになってしんどくなっていくっていうので、
今の社会への大量生産への風刺だなーなんて思いました。
なんで隅っこたちしんどくなるのかなって考えたときに、
ギリシャ時代やアメリカでの奴隷制度のときの雇い主の苦労って持ってくると、
手段と行動の自由はあっても目的の自由って奪われると、
しんどくなるよなっていうのを思い出しました。
3つ目で私ですね、自分はどんな自由を持っているのかな。
手段と行動の自由があっても目的を設定する自由、
多分会社員だと会社ではそれは持てないので、
会社では目的設定の自由はないな、
プライベートでは多分あるのかなーとかね、
そこら辺考えたという感じで話ですね。
ちょっとまとまりがないかもしれないですが話してみました。
お聞きいただいた方いらっしゃいましたらありがとうございます。
それでは失礼します。
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