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はい、というわけで始まりました。
本日はまた最近やったことを話そうと思うんですけど、
最近ちょっとあるクリエイターの方と話していまして、
作品のテーマについて話してたんですね。
で、テーマって割とこう…なんだろう…なんか…
結構僕はすごく大事にしてるというか、重要視してるんですね。
すごいはっきりと思った方もいれば、ぼんやりと思っている方もいれば、
あまり持ってないけどすごく作品は作ることができる方もいて、
結構様々なんですよね。
でも多くの人がはっきりと思っていない。
少なくとも、もしぼんやりと思ってたとしても、
それをはっきりさせるために、結構掘っていかなきゃいけないんですよね、
その会話の中で。
なんでだし、なんだったら結構ガンガンガンガン書き進めて、
作品ができていってるんだけど、
実はそれで何をやりたいかみたいなこと、
何をやりたいかやるのかっていうことが、
ぼんやりしてるケースっていうのはやっぱり多いと。
そうなると、割と羅針盤のない後悔みたいになっちゃうんですよね、作品作りが。
なので、かなり早いうちにテーマは何なのかとか、
テーマとはそもそも何なのかって話をよくするんですよね。
してて、またあるクリエイターの人に、
テーマ、テーマって言って、
こういうのがテーマで、ああいうのがテーマで、みたいな話をですね、
いろんな作品の話しながらしてたんですよね。
むしろですね、もう頭が焼き切れそうだと、
ちょっと考えてみると、みたいな感じで、
考えると、持ち帰って考えてですね、
なんかこの3つがテーマになりそうな気がする、
近い感じがしますみたいな感じで送ってきたと。
これはちょっとその材料ではあると思うと、
どれも確かにこの作品の一側面は言い当てていると。
でも、たぶんこの3つにさらに根底にあるようなことなんだと思うよ、
みたいな話をしてたんですよね。
そしたら、うーんって言って、
頭が焼き切れそうだ、みたいな感じで、
また持ち帰っていったんですけど、
その時に話したのが、
ドラえもんのテーマ何?って聞かれて、
科学は素晴らしいっていうことも間違いではないと思うと。
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科学っていうのは色んなことを可能にしてくれるよね、みたいな感じでですね。
それでも間違いはないと思うんだけど、
じゃあそれで全部言い表せてるかっていうと、
そうじゃないですよね、みたいな。
もっとありますよね、みたいな。
科学は素晴らしいってパーツの一つって感じはするけど、
根底にあること全部を救えてる感じはしないですよね、みたいな。
そこもっとあると思うんですよね、みたいな感じの話をしたんですよね。
そしたらまあ確かにそうだな、みたいな感じで、
うーんって言いながらまた持ち帰ったと。
そしたらですね、
とりあえずちょっと考えたと。
本当に頭がおかしくなるんじゃないかっていう限界まで考えたら、
なんて言ってたかな?
重厚な作品に共通するテーマ設定の仕方っていうのが分かったって言ったんですよね。
ほう、何ですかそれはって聞いたら、
重厚な作品っていうのはテーマが問いになってると。
で、主人公がその問いに対して答えを出そうとするっていう形になってるって言ってですね。
えっと、何だろう、例えばですけど、
鋼の錬金術師だったらですね、
この世の真理は、等価交換がこの世の真理なのかと。
って言ったら、主人公とかのとしては、
いや、それだけじゃないかもしれない。
壮烈じゃないことだってあるかもしれないって言って答えを出そうとしてるみたいな。
そんな感じですね。いくつか作品を例を引いて話しててですね。
さらに自分が今やってる作品についても、
すごい良いテーマをですね、バシッて言ってきたんですよね。
もうめちゃくちゃ感心してですね、
すげえ!ってなったんですけど、
すげえ!ってなったし、
良い作品っていうのはテーマが問いになっていて、
主人公はそれに対して答えを出そうとするっていう形が共通してるっていうのはですね、
ぼんやりと思ってたりとか、一部は言葉にしてたこともあったと思うんですけど、
こんなにはっきりと言葉にしたことがなかったんで、
勉強になる!みたいな。
勉強になるわ!って話してたんですけど。
これは本当にそうだなと思うんですよね。
もう少し正確に言うとなんですけど、
世界が主人公に対して、
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この世っていうのはこういうもんだからと、
真理を押し付けてくると。
何かの真理を押し付けてくると。
でもそこにはやっぱ疑問が生まれると。
主人公はそれだけじゃないんじゃないの?そうじゃないんじゃないの?とか、
俺の気持ちはもっと違うところにあるぞ!とかみたいな風に、
頑張って押し付けられた真理に対して、
偉大な疑問に対して答えを出していくっていう形になってるんだと思ったんですよね。
それをすごく本当に勉強になったんですけど、
これって作品論とかいう作劇の問題だけじゃなくて、
何でもそうだなと思ったんですよね。
僕らが普通に生きていくってことも、
はっきり言ってそういうようなもんだなと思ったんですよね。
世の中はこうだからという何かを押し付けてくると。
でも生きた生身の人間である僕らは、
それをそのままその形にピタッと当てはまるわけじゃなくて、
やっぱりはみ出す部分があって、痛い痛いと。
そうじゃそうかな?そうじゃねえんじゃないかな?みたいな気持ちとかが出てきて、
でもそれをグイグイ押し付けられて、
でも俺は違うと思うんだよねって言って、
生きながら答えを出そうとしていくっていうことって、
人間の生きるという営みみたいなものだと思ったんですよね。
だから作品のテーマの作り方っていうのかな?
テーマの作り方?テーマの在り方ってかな?
テーマの在り方っていうのと、人間の生き方っていうのが、
そもそも相似形だと。
かなり似た形をしているっていうのが自分の中で発見で、
なるほどと思ったんですよね。
それが今週めちゃくちゃ勉強になったことだったんですけど、
そんなときに、それにいもずるしきでいろいろ思ったことがあって、
この世の中こういうもんだぞっていう真理ですよね。
鋼の錬金術師だったら、刀下交換やぞとかあるわけですよね。
神極の巨人だったら、この世は残酷なもんやぞとかあるわけですよね。
僕らそれも今生きてて何種類か多分、
人によって違うと思いますけど、何種類か味わってるわけじゃないですか。
何か違うんじゃないかな?
俺はちょっと違うと思うぞって頑張ってるわけですけど、
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ただどちらかというと、
今頑張ってそういう押し付け、
この世はこういうもんやぞっていう押し付けが多いですね。
みんな頑張って解体していってると思うんですよね。
特にネット上とかで、
そこが解体していく、
そういう押し付け決まりごと、
この世の真理はこういうもんだみたいなことを、
積極的に解体していって自由になるっていうことが、
良きものであるっていうことが、
みんなの価値観の中にあって、
いろんな押し付けがましいこの世の真理みたいなのって、
どんどん解体されていってると思うんですよね。
もちろん強化されているものもあると思うんですけど。
その時に、すぐ分かりやすく言うと、
男らしく女らしくとか、そういうのとかは全部解体されていってるわけじゃないですか。
ただそうなると、
自分としては、
そもそも強い押し付けみたいなのがガーッてきて、
それに対してもう嫌だって言って、
いや俺はこうすんだみたいなのが、
強い生きるエネルギーを生むみたいな部分がある気がするんですよね。
その押し付けの部分ですよね。
こうじゃなきゃいけないんじゃないかみたいな、
オブセッションというか、
そのオブセッション自体が解体されていくと、
自由ではあるけど、
相手がいない感じになるというか、
なんか手応えがない感じっていうのが生まれるんじゃないかなみたいな気がしたんですよね。
そこのところが難しくて、
僕はそういう何たらしなきゃダメなんだみたいな、
そういうものから自由になりたいという気持ちはすごく強い方で、
多分それと裏腹なんですけど、
だからこそ何かの役割をものすごく背負わされている人の話っていうのがすごく見ちゃうんですよね。
さっきのこの形に収まれというのにギューギューに収められて痛い痛いって言っている人の話っていうのは、
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目を離せないものがあって、
僕は歴史上の人物とかでもそういう人の話が好きなんですよね。
例えば明治天皇とか、
閣僚の誰かが辞めるって言った時に、
その挨拶しに行った時に、
お前は総理大臣は辞めれるけど、
秦は天皇を辞められるのだよなみたいなことをボソッと言ったとか、
そういうエピソードってすごく惹かれるんですよね。
例えば乃木将軍とか、
やけに日露戦争回りとか明治の話多いですけど、
ものすごい責任を背負わされて、
ものすごい若者をどんどん死なせる攻撃命令みたいなのを続けざるを得なかったとか、
そういう話もやけに惹かれるんですよね。
人間が役割みたいな中に押し込められてボロボロになるっていうことに、
お話とか他人事とかフィクションだからこそすごく惹かれるんですよね。
ほんとついさっき見終わった、
女王陛下のお気に入りっていう映画の杏王女みたいな、
王家の血筋を残さなければいけないから、
子供を産み続けなきゃいけないんだけど、
17人も死山とか流山とか、
子供の溶接とかを繰り返して結局残せないみたいなね、
体がボロボロになってるとかですね、
そういうのもこのわーって感じで目が離せなくなっちゃう部分があるんですけど、
僕は何かの役割を押し付けられて、
自分の体が軋むみたいなのはめちゃくちゃ嫌だっていうところがあるし、
軋んでる人はやばいものを見てるって感じですごく惹かれる部分もあるわけですけど、
グイッと押し込めてくる、何かに押し込めてくるみたいなことが解体されていってると。
でももちろんないわけじゃないんですよ。
ないわけじゃないんだけど、あるんだけど、
なんかね、隠されていってるんじゃないかみたいな感じがするんですよね。
なんとなく、なんだろう、
そういうもの、オブセッションみたいなものっていうのが、
わかりやすい形でなくなってですね、
何かもっともっと隠蔽されていってるというか、
なんかこう、ビジレイクの中に隠れていってしまってるとか、
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もしくは本当は違うのにそのことをはっきりと言わないとかですね。
なんかそういうような感じの中に隠れていってる気がしてですね。
なんかそこがすごくちょっと気になってることなんですよね。
っていうのは、自分が子供に接するときに、
ある種、迷いなくこうならなきゃいけないよっていうことを、
あまりはっきり言えないんですよね。
それらはですね、例えばですけど、
僕とかそんなこと言われたことないですけど、
僕の親の世代とかだったらですね、
たぶん男の子がこけて膝すりむいていて、
泣いてたらですね、
これは男の子は泣いちゃダメだみたいなことがあったと思うんですよね。
なんかそういうですね、それは男女のジェンダーみたいな話ですけど、
もっと他にもですね、こうせなきゃいけない、
一家の大黒柱を生むとかですね、
自分の名前を残さなきゃいけないとか、
なんかいろいろあった気がするんですけど、
そういうのがですね、はっきりとこうしろみたいなことっていうのはですね、
なんかそんなに言えないんですよね。
もちろん細かいことだったらあるんですけど、
なんかないと。
で、そういうものにまさにそのテーマの立て方とか、
人間の生き方みたいな話で言うと、
そういうものに対して疑問が生まれて、
そこで、いや俺はこうするって言うやって答えを出していくっていうことが、
生きる営みみたいなものであると思うんですけど、
なんかその摩擦ですよね。
そこで起こる衝突とか摩擦みたいなことがないんですよね。
でも多分どっかで感じてるはずなんですよね。
それがなくなるわけないんで。
でも、なんかどうなんだろう。
なんかですね、分かりづらくなっていってるのかなみたいな気がしますね。
だからですね、そこにちょっと不安があるんですよね。
なんかこう、例えばですけど、
今日僕YouTubeのやつをずっと聞いてたら、
なんか自動再生で流れて、
なんかですね、誰かYouTuberの人がすごいこと言ってたんですよね。
これが20世紀に必要なビジネスマンのスキルセットであると。
それもめちゃくちゃいっぱいあるわけですよ。
なんかコミュニケーション能力やら何やら何やらみたいな。
交渉力で何たら力でみたいなこといっぱいあるんですけど。
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これからは、これはもちろんあるものとして、
でも、さらにこういう能力は必要なんですみたいな感じで。
もうそれが流れてきて、どんだけ能力を求めてんねんみたいな。
ハードル高すぎ多すぎやろと思ったわけですよね。
でもやっぱそうならなきゃいけないっていうそこにはですね、
ある種取り憑かれたようなオブセッションっていうのはあるわけですよね。
でもそれを、子供にそれを言うかといったら言わないわけですよね。
なんかですね、そこの間の隠されてる感じがするというか、
わかりやすい敵がいなくなったというかですね。
なんかそんな感じがしてですね。
全然答えないですけど、
そこはもうやっとするなーって思いました。
というわけで、ちょっとグダグダした話でしたけど、
本日は以上です。ありがとうございました。