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2020-12-08 15:20

#208 自由になりたい人へ

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あなたが考えなければならないのは「なぜあなたは自由を侵害されてしまっているのか」である。答えは簡単で「あなたが自由になろうとしていないから」に他ならない。
自由になるには責任がともなう。たとえ給料泥棒と戦う責任であったとしても。
/サイコパスのラジオは、サイコパスがサイコパスの視点で語るラジオです。斜め上の視点に触れたり、サイコパスについての理解を深めるきっかけとなることを目的としています。/番組の感想や質問は、ハッシュタグ「#サイコパスのラジオ」をつけて、ぜひTwitterでつぶやいていただけると嬉しいです!今後の番組の参考にさせていただきます。/パーソナリティ:うえみずゆうき https://note.com/y_uemizu/
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皆さん、こんばんは。上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、「自由になりたい人へ」というお話をしたいと思っています。
昨今の社会はですね、すごく
いろんな、多彩なサービスが溢れていると。 なんででしょうね。例えば、自分の社内の業務システム
を作ろうと思ったら、前はそういうシステムを作る会社さんに委託したり、もしくは
自分のところにエンジニアを抱えてやっていく、みたいな感じで、もうやるしかなかったものが、今はですね、コードを書けなくても
いけますよ、とかいうサービスもあったりします。 そのコードを書かなくてもいけますよ、みたいなサービスがたくさん、何十種類かあって、みたいな感じで
自分の予算とか自分の能力とか自分の使い勝手に合わせて、例えば会社の業務システムを作りたいなと思ったら、作れるようになっちゃった、みたいな感じで。
もちろん、ちゃんと作ろうと思ったら、お金もかけて、そういうエンジニアの方に作ってもらうっていうのがいいよね、とかっていう、なんか自分が求めている
結果に対してとか状況に対して、最適なサービスを選べる選択肢が増えたと。
それは今言った仕事だけじゃなくて、例えば結婚したいっていうとか恋愛したいとかっても、今マッチングアプリがあったりとかして、前だったらね、なんか自力で頑張ってましたよね。
クラブに行ってとか、友達から紹介してもらってとか、高校に行ってとかって感じで、なんか交通事故に会いに行くというかやってたんですけど、それが今サービスでね、
出会えるとか、結婚願望のある、しかも条件が合う人とマッチングできるとかっていうのは、ある人が痒いところに、自分の困っているところに、
偶然とかじゃなくて、結構再現性高くというか、サービスとして利用することができるような環境になったりとか。
そうもなるとですね、自由っていうのは比較的作りやすい時代になってるんですよ。
ただ、作りやすいっていうのは要は、痒いところに手が届く。痒いところに手が届くにもかかわらず、痒いんだよねって言えない時代でもあるのかなと思うわけですね。
言い訳になっちゃうと。だって痒いところに手が届くのに、痒いんだよねって、いやいや書けよって話になるわけじゃないですか。
そういう便利な時代だからこそ言い訳がしづらいし、自由になりたいのであれば自由になれる時代にいると。
ただ話はそんなに簡単じゃなくて、自由には責任が伴うと。これよく言われる話ですけども、別に説教ではなくて事実としてそうなんですよね。
例えば僕がこのポツキャストをやってますと、僕は芸能事務所とかに所属して、最後はラジオっていうのをやってるんだとすると、
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事務所の意向とかいろいろあったりとかして、更新頻度とか内容とかいろいろ多分言われるわけじゃないですか。
という中で、端的に言って不自由ですよね。楽しくやれるかもしれないですけども、一人でこうやってやるよりも不自由なんですよ。
もちろん結果が出るかもしれないし、他の良いことあるんですけど、自由度で言うと多分不自由だろうなというふうに思うんですね。
ところが、例えばこのポツキャストをやって、僕が予期せぬ大炎上してしまうと、社会的にすごいバッシングにあうと、
そして僕も言い返せないぐらいの予期せぬ、自分の失態でしかございませんみたいな内容の炎上をさせてしまうとすると、
もし事務所に所属していれば、事務所のみんなで考えられたんですよね。
どうすればこの炎上に対してどのように対応するのが適切だろうかってみんなで考えられるんだけども、
もし僕がね、今これ個人でやってますから、個人でやってスーパー大炎上したときに、全責任は自分で負わないといけないんですよ。
だから、自由気ままに発信するっていうのは、確かに自由気ままなんだけども、
なんかあったときっていうのは自由じゃないし、自由じゃないというか、その責任は全部その分自分に来るしっていう、
そういうね、実は自由というのはその分だけの責任を負ってるんだよっていうことになるんですね。
なのでね、YouTubeで気軽に一人で発信できるねとか言って、自由だねとか言ってるのは何もないからいいんだけども、
やっぱ炎上したときとかはやっぱり覚悟しておかないと、実はその責任まで重ねてやってたんだよってことはね、
後から気づいてもちょっと遅いですよね。これから発信しようという方とか、個人で何か事業やろうかなとか思ってる方ほどですね、
全責任が自分に来るということの意味を考えなければいけないのかなというふうに思います。
言い訳もできない上にですね、何だろうな、何かやろうと思ったら責任も伴うと。結構ね、自由になるってしんどいですよね。
今言った話とかをですね、なんとなくそもそも理解してる方の中の一部にはというか割と多くにはですね、
責任はもうあんまいらないから、自由はあんまいらないから責任はもうなるべく欲しくないって言ってる人は結構、
僕の周りとかでも見かけることがあって、特に仕事についてそういうことを言うんですけども、
その気持ちはすごいわかるんですよ。別に責任を負いたくない領域で責任を負いたくないだろうし、
僕だとそんなに責任を負いたくない領域で負いたくないし、仕事が全てじゃないと人生のね、
っていうのを100%同意しますと。ただ少なくともね、僕を並びに多くの庶民の皆さんはですね、
一生仕事をするであろうという可能性が高いわけじゃないですか。
AIが仕事を奪ってみんな失業しますみたいな時代が来ればね、違った意味で仕事をしなくていいのかもしれないけども、
仕事をしなくていいとか仕事ができないのかもしれないけども、今現状の社会がもし続くのであれば、
失業しない限りは、大失業しない限りは仕事をし続けるであろうことは想像できるわけじゃないですか。
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ってことは、人生の多くの時間を仕事に割くであろうという状況にある方がね、仕事で責任を負いたくないっていうのは、
つまり、自由、不自由な生き方を人生の長い時間したいですって言ってるようなものなんですよね。
もちろん自由じゃない、不自由でも満足ですという人はいいんだけども、自由になりませんってことを宣言してるようなもので、
言い換えるなら奴隷宣言ですよね。自分で自由はいりませんって言ってるわけですから、自由を放棄するってことは奴隷宣言をしてるようなものかなというふうに思います。
別に企業をしろとか言ってるわけではなくて、一時期企業をしろ企業をしろってありましたね。
そういうのではなくて、僕が言いたいのは、どうせ人生の長い時間仕事をしないといけないんだったら、
自分が責任を持ってもいいかなって思える仕事をするのがいいんじゃないかなというふうに思います。
別に企業をするのは全てだと思いませんので、バイトでも正社員でもなんでもいいんだけども、
自分が責任を持ってもいいなと、もし責任を誰かから与えられるときに、
ぜひ引き受けますって言えるような仕事をやった方が、自由度も高まっていくだろうなというふうに思いますので、
仕事をされている方が大半かと思いますけども、責任を負いたくない、だったら責任を負いたくない仕事をさせたとしても、
責任を負ってもいいかなという仕事をやってみるといいんじゃないかなと思います。
で、まあ責任責任って言ってますけども、責任がない自由だってあるでしょうと思うかもしれません。
2つの切り口から考えてみたいなと思います。切り口というか、2つの事例から考えてみたいと思います。
1つはですね、無料のサービスって自由じゃねっていう話ですね。
例えばGoogle、Google検索って無料で僕たちできますし、Googleのサービスって結構無料でできるの多いじゃないですか。
例えばGmailのアドレス持っている方も多いと思うんですけども、メールアドレスは無料で作れる。
メールのサーバー代とか払ってるわけじゃないですよね。15ギガまで無料かな。
だから、ただでメール使わせてもらえるし、YouTube見てる方とかも多いかもしれないですね。
ただで動画とか見てるわけじゃないですか。っていう感じで、ただでそれを恩恵を受けてるんだから、
それって自由だよね、責任なんかないよね、という風に思うかもしれないんですけども、
ご存知の方も多いと思いますが、Googleはその分情報を取ってますよね、私たちからね。
で、その情報を取って、例えばYouTubeでもいいですし、Googleの検索でもいいんだけども、
例えば僕が福岡市に住んでいる35歳の会社役員、サイコパスに広告を出しませんか?っていう感じで、
僕たちから取った情報を元にね、今度別の方にね、そういった情報がありますよと、
そして人も集まってますよと、そこに思いっきしターゲットを絞って、
あなたがお客さんだっていうところに向けて広告を出しませんか?って感じで、広告で商売してるんですよね。
っていう感じで、結局Googleはただで僕たちに提供してくれている、
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自由で、責任のない自由で僕たちにさせていただいてるという風に思うかもしれないんですけども、
僕たちは情報を渡すという義務を果たしている。情報を渡すという責任を果たしていることになるんですよね。
だから結局はその責任と引き換えに自由を得ているという感じになっております。
だからGoogleの情報を渡したくないのであればGoogleのサービスを使えないということになってしまうということになるので、
まあ自由と責任は結局連動してくるよねというお話でございます。
もう一つは、今度ね、責任はあるんだ、実はあるんだけども、責任を無視するパターンってどうなの?っていう、
いわゆる自由だけを享受して、責任は不履行というか、責任はもう放棄するというやり方ですね。
それは成立するのか?
これはね、結構日本の企業では割と成立するなと思うんですね。
例えば、仕事をしない正社員という人っていませんか。
それは上司だろうが部下だろうが知りませんけども、
そういう人がいると全く仕事をしない給料泥棒、
まあ給料泥棒ですよ本当に。
仕事で求められる責任、成果を得たたずに、ただ座っているだけというか、
ただ遊んでいるだけみたいな感じでね、給料だけ持っていく人がいると。
その時に、また自由は享受している。
そしてお金ももらっている。
けれども、そこのためにやるべき責任を果たしていないということで、
自由だけを得ていると。
いわゆるフリーライダーといいますけども、
フリーライドしちゃっている状態ですよね。
が成立すると。
何で成立するかといったら、
でも簡単で、
それが成立するのは、そこで放棄された責任を誰かが回収しているんですよ。
例えば、僕とAさんBさんという3人。
何人でもいいけど、3人とかで働いていて、
例えばAさんが何もやらなかったとしたら、
Aさんがこぼれた玉をBさんか僕が拾わないといけない。
もしくは両方で拾わないといけないわけですね。
という感じで、こぼれた玉を誰かが拾っているわけですよ。
ということは、
1人の単位で見ると、責任のない自由を成立するんだけども、
全体で見ると、責任の量と自由の量はちゃんとバランスが取れている状態になる。
だから、結局は自由と責任は連動するよというお話です。
ただ、それだとしっくりこないですよね。
だって誰かが自由に対して責任の量が多かったりするわけじゃないですか。
こぼれた玉を拾った人はね。
それってすごく不自由だよねと。
というか、その人が自由を侵害されているよねというふうに思うと思うんですよ。
まさにその通りで、
AさんとBさんの話をしましたけども、
Aさんが例えばサボっていて、Bさんが仕事をAさんがやらない分をさせられているとなった時に、
Bさんはある意味、Bさんの自由が侵害されているわけです。
つまり、これはね、
Aさんが意識していないか知らないけども、
Bさんの自由を奪うというある種の強奪をしているわけですよね。
Bさんはそれにもっと自覚的になって、
それと、僕が対峙しなければいけないと思っているんですね。
Aさんがやらないからじゃダメで、
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Bさんは自由を侵害されているわけだから、
自由のためにやっぱり僕は戦わなければいけないと思っています。
戦うといっても、別にAさんをボコボコにするとかではなくて、
社内を調整するとか、いろんな方法があると思うんですね。
いろんなやり方をやって、
なんていうのかな、その調整をする必要があるのかなというふうに思います。
で、それをやらないのは、ある種、
なんていうのかな、自分で自ら自由を放棄しているということになるんですね。
だから、実は自由になるためには責任が伴う。
つまり、それは給料泥棒と戦う責任さえも含まれるということなんですよ。
ちょっとね、歯がゆい話かもしれませんけども、
そうやって悪いことをしようとする人はいるわけですから、
その悪いことをしようとする人を、
悪いから悪いんだと言ってもどうしようもないので、
そういう人に対しては、やっぱり対処していかないと。
自由を侵害されている自分自身が対処していかないと、
誰かがどこかから助けてくれるんじゃないかって待っててもですね、
ただ単純に自由を侵害されて、
それこそ奴隷ではないですけども、
自由が侵害された生き方になってしまうんじゃないかなというふうに思いますので、
今日のタイトルになる、自由になりたい人へっていうのは、
ポジティブな意味でね、もっともっと自由になりたいなっていう、
その軽快な話というよりは、
自由を侵害されている人って意外と多いんじゃないかなと僕は思っているからなんですね。
その自由を侵害させないのもまた、
つまり自由を維持するっていうことも、
ある種侵害してくる人と戦うのも、
そういう責任も自由を守るためにはあるよっていうお話でございます。
なのでなんか、ついつい自由になるとかいうと、
なんか企業しますとか、なんとかですっていう、
なんかちょっとイケイケな感じのイメージが強いかもしれないですけど、
僕が今日言いたかったのは、
本来あるべき自由さえ失っていませんかと、
奴隷的になっていませんかっていうことなんですよ。
そこはね、すごく、
満足なら何も僕は気にしないんですけども、
やってくるものに対応するというのは、
やっぱりどうしても自分の自由を失っていくということになるかなと思いますので、
自分の自由を、
欲しい自由っていうのはちゃんと確保しないといけないんだよねというふうに思います。
それをやるためには、自由を得るためにやっぱり、
責任を負うという人がいると、
その責任は今も言ったみたいに、
必ずしもね、社長になりますという責任だけじゃなくてね、
自分の自由を奪ってくる者と戦う責任もあるんだよというお話でございました。
自由ってね、どうしても責任が伴ってくるという意味で、
適切な自由の量というのは人それぞれ違うと思いますから、
すごい自由度が高いことが必ずしもいいとは限らないんですが、
自分にとって最適な自由をデザインする、
そのためには自由を奪ってくる者と戦わないといけない時もあるよということをですね、
強く今日はお伝えしたかったところでございます。
皆さん、自分にとって最適な自由をデザインして、
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それを実現して、
すごく気持ち的にもね、
いい気持ちで人生を送れたらいいんじゃないかなというふうに思います。
本日は以上でございます。
またお会いしましょう。さよなら。
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