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(♪ BGM)
はい、ソレテツラジオ、今日も始めていきたいと思います。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、次はアリストテレス編まで完了と終了ということで、お疲れ様でした。
はい、お疲れ様でした。
今日はね、それまでの感想ということで、
今日もゆっくり雑談、解答、ということでやっていきたいと思います。
はい、どうでしたかね、アリストテレス。
うん、前回の最後も言ったけど、多分ね、やっぱ、
万学の素っていうだけあって、多分めちゃくちゃトピックが多いんだろうなっていうのをね、なんか感じたね。
そうですよね。
本当に触れたいこといっぱいあったんですけど、全然盛り込めなかったなって僕は思ってて、
そこ入れちゃうとちょっと細かすぎるなとか、
エピソードとしてはすごい好きなんだけど、あんまり流れとしてうまく組み込めないなとかっていうのを結構省いたこともあって、
はい、やっぱそうなんだね。
うん、でもその意味では、本当にアリストテレスだけでも、
本当に多分このラジオが10回に10回くらいできちゃうみたいな、
うんうんうん。
それぐらいの厚さというか、テーマ性がある人だなっていうのを改めて感じてました。
確かに哲学ラジオじゃなくてアリストテレスラジオが作れるんじゃないかぐらいの話ってことだよね、多分ね。
でもなると思う、確かに。
アリストテレスの話だけでもあるし、
後の人がアリストテレスをこう解釈したとか、
この分野に影響があるとかって言ったら、多分普通にできちゃうよね、アリストテレスラジオ。
確かにそうだね、最初10分野ぐらいあったもんね、心理学と何学と何学ととかさ。
そうそうそう、倫理学とか政治学とか、
芸術とかも話してるから、アリストテレスに詩学っていう、
詩、言葉で作る、詩についての本とかもあって、
詩の良さとは何かみたいなとかまで広げちゃうと、もう本当にキリがないよね。
そうだよ、確か一番自然科学だったけどさ、
さらにそこからどんだけ広がったんだよみたいな話だもんね、
いわゆる科学とか数学とか、でも全部物理とかか、そういうのも全部。
だからちょっと、全部理解というか、話してもらった内容だけでも理解しきれた自信はないんだけど、
やっぱその凄さというか偉大さみたいなものが感じたし、
こういう人たちの考えた概念の上に乗っかってそうだなっていうのをね。
そうだね、そういうのを感じてもらえたらめちゃくちゃ嬉しいですね。
たぶん、そんな風に歴史の教科書とかで見てるだけだと思わないと思うんですよ。
とりあえず最初の本に出てきたギリシャの人たち、哲学者なんだろうなという感じだと思うんですけど。
本当そうだね、30秒で終わるもんね、こういう人たちがいましたみたいなね。
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そうそうそう。で、やっぱりそれがここまで話すと、なんとなくこの3人というのが本当にいろんなことを考えたなとか、
僕らが普段考えてることを当時、なんでこうなんだろうという風に思って考えてたんだなということもなんとなく伝わると思うし。
僕も改めて学びながら、なるほどって思ったんだけど、それまでのギリシャの人たちって、
要はそもそも世界とは何かとか、何から生きてるかみたいな。
そんで水だとか火だとか、運動だとかって言ってるんだけど、やっぱりソクラテスが迷惑やったのが、
それを人間に引き戻したというか、そもそも人はどう生きるべきかとか、どういう風に生きていくことが人間にとっていいのかみたいな、
要は万物とか世の中じゃなくて、人に焦点を当てたっていうところが、すごく哲学の変換点というか。
そうなんだ。そこは姿勢がちょっと違うんだね。
そうそうそう。だよっていうことが書いてあって、なるほどな、それは確かにそうだなって思ったんだよね。
書いてあって、論文とかにそういう話があった?
論文とか本とかに読んでた時にそう書いてあって。
はい、というような感じ。やっぱりこの3人というのはすごく面白い。それぞれに特徴もあるしね。というのを思いながら、僕自身もちょっといろいろ勉強してました。
はいはい、なるほどね。それこそ今回、話を聞くまで教科書レベルで名前しか知らないみたいな話だったんだけれども、
そもそも最初、例えば哲学に興味を持った時って、やっぱりソクラテスとかから入ったの?
僕?全然そんなことはなくて、実はもうちょっと近代の、そういうことあるの?フッサールとか知ってる?
もう知らないんで、どんどん名前出したって大丈夫。知らないんで。
フッサールとか、持ってると問題意識があるんだよね、自分の中に。どうしたら人生って楽に生きていけるんだろう?なんでこんなに苦しいんだろう?みたいなことを思ったとして、
そうすると苦しんでそうな手作者が知識として持ってるわけよ。キルケゴールとか。
人生苦しんでた人がきっとそれを乗り越える何かを考えてるだろうと思って読んだりします。
そうすると、大体何言ってるかわかんないよね。やっぱり書いてることを読んでる。
そうすると、昔の例えばプラトンがこう言っていたとか、アレステレスがこのこと考えていたとかっていうふうなことを参照しながら言っていることがだんだんわかってきて、
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ああ、そこすらもだんだんなんだ。そこの土台に立ってたんだなみたいな。
直接的にはあまり言ってくれなかったりするんだよ。
解説本とかも色々リウムの中で、これはやっぱりその手前?この人たちが何を乗り越えようとしたかがわからないと、本当に何が言ってるかわかんないぞと思ったの。
それでどんどん遡っていって、やっぱりこういうアレステレス大事だなとか、プラトンも読んだけど、でもよくわかんないなとか、
それで読んでいって、遡った時に、遡ったけど結局どうしたらこの苦しみが楽になるかわかんなかったなみたいな。
問いの答えはなかったなみたいな。
なかったなみたいな感じになって、西洋哲学にはないのかもと思って、仏教とか鬼実は学びに行ったのはそういう理由。
うーん、なるほど。
なんか下達ってすればあったよなみたいな。でも下達ってなんだなく聞いたことがあるけど、それもちゃんとわかんないなみたいな。
そうだね、宗教なのか哲学なのかもわかんないしね。
そう、思想なのか哲学なのかみたいな。こういう風に哲学っていうのもいろいろ読んだ結果、なんとなく見えてきた。
生きるとはとか見えてきた中で、仏教とかそういう下達とかも、いろいろ学んでいったり見えてくるものがあるんじゃないかと思って勉強をしてましたっていうのが3、4年前ぐらい。
そうなんだ、割と最近というか、ずっとそういうのをちょこちょこ読んでたみたいな感じなのかな。
そうですね、20歳ぐらいにてからちょこちょこいろいろ読んで、今32歳ですけど、10年ぐらいあれをつまみながら、少しずつ分かってるような気がしてきたっていう感じ。
なるほど、その辺が繋がってきたみたいな感じなのかな。
そうだね、なんとなくはこの言ってることってこの人を質疑にしてるなとか、この人の問題意識っていうのは、この時代の、確かにドイツの時代のこういう状況から生まれてるんだろうなとかでもなんとか分かってきたりして。
ニーチェとかハイディガーってドイツの人だけど、当時、第一次対戦前か、でもドイツって国の国際的な地位がやっぱりちょっと危よくなってきたりとか、っていう中でどうしたら元ドイツっていう国が良くなるのかみたいなことも含めていろいろ考えたりしてるから。
人間とは言うよりも、もうちょっとやっぱり国際的なレベルでの問いがあって、それに対してどんどん問いされたりとか、抽象化してたりっていうのをやってた人たちってことなのかね。
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アリステルスとかスクラテスはやっぱりアテネっていう地域に住んでいて、アテネってやっぱり街だったり、政治とか混乱してる中で、どう生きるべきかとか、という風に街ってものを良くしていくべきかみたいなところが根本的な思いとしてあっただろうから。
別に哲学者誰もが、とにかく抽象的な真理とは、みたいなことを考えてるっていうよりは、結構その根本はやっぱり自分の中の個人的な理由だったりとか。
意外と具体的な問題や課題だったりする出発点だったりする。
まさにスクラテスなんて、スクラテスの時も話したけど、いきなりアポロンの神殿の神託で「お前が一番の賢いやつだ」みたいに言われて。
あったね。
嘘嘘、嫌だ、困る、みたいな。そんなこと言われても、どうしてか分かんないよって、どこから始まったりしてるっていう話も残ったりするぐらいだから。
そうだね、確かに。しかもそれが自分で言ったんじゃなくて、弟子に勝手に占われてたよね。
そうそう、占われて。
だからそういう意味で、哲学っていうのはなんとなく抽象的なものとかよく分からないものじゃなくて、あんまり作者に引き付けすぎるのもどうかみたいな話もあるんだけれども、
やっぱり一人の人とか人間がやったとか、一人の思いが籠もってるっていうふうに感じた時に、すげえ面白いなって思ってきた感じかな。
そうかそうか、そういう人の思想自体もあるし、その人自体だったり、その環境をしていたり、いろんなレイヤーというか切り口で味わえるというかね。
そうですよね。
そういう人たちはその人たちなりの課題だったりとかあるし、自分は自分でね、それを読む自分も今の状況だったり、課題もあるしっていう、そういうのを総合作用みたいなのもあるのかもしれないね。
本当にそれはあると思う。
なるほど。そういうのをあれか、ちゃんとあれはね、いきなりさっきの言うと、フッサールとか、全然知らないけど、そういう人からじゃなくて、ちゃんとそういう人の、
その、うよ曲折あった経験を踏まえて、やっぱ西洋鉄山構想くらいですからやった方がわかりやすいでしょうっていうところで今やってくれてたみたいな感じなんだね。
そうだね。そうだね。もちろんね、例えばじゃあ、なぜ人間はこのように生きているのかとかっていう問いを持ってる人だったら、
いきなりフッサールの話をしても聞いてくれるかもしれないけど。
まあ、そっか。確かにそうだもん。
そう。別にね、そういう人ばかりじゃないし、そもそもこういうラジオでやるんだったら、まずは哲学者として知っている人たちから話したほうが聞いてくれるかなっていうのはもちろんあったし。
まあ、そうだよね。確かに哲学だもんね。別に悩める人のためのラジオじゃないもんね。
そうそうそうそう。あなたの悩み解決しますラジオではないから。
うんうんうん。そっかそっか。
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しかも悩みを解決するには、ちょっとまた全然アリサテレスの話じゃなくてあれなんだけど、あんまりこうね、フッサールといってやっても別に解消しないんだよね。
そうなんだね。実際そっか、ハイトがそれで解決せずに他のを読んだようにってことだよね。
そうだね。ただ哲学やっててよかったなと思うのは、世の中の味方がすごく増えるなって思うんですよ。
増える、はいはい。
増える。世界観とか、自分の価値観とかっていう言葉があると思うんですけど、価値観って普通に生きてると、今自分が持ってる1個だし、そもそも自分がどういう価値観を持って生きてるかなんて考えることもないと思うんですよね。
そうだね。そこをちゃんと認識してるだけでもめっちゃすごいと思う。
そうだよね。そうではないというか、だと思うんだけど、でも哲学やってると、いろんな価値観とか世界の味方っていうのが出てくるんですよ。
はいはいはい。
世界っていうものが実体としてあって、自分っていうのはないみたいな言うこともあれば、自分っていうものしかなくって、世界っていうものは自分が作ったものだっていうのが考え方もあるし。
ただ自分が作ったものがあった時に、どうしたら本当に世界というのを構築できて、人と人が分かり合えるのかとか、そういうこともフッサイルという人が言ってたりするのね。
はぁ~、なるほど。わかりづらそうだけど、面白そうでもあるね。
そうそうそう。
じゃあ、なぜフッサイルはそういうことを考えなきゃいけなかったのかとか、本当に自分しかいない、自分が世界を作り上げるのとしたら、じゃあ僕と兄貴がこうやって喋ってるっていうことはどうやったら成立するのかとかって、
その人の世界観を一個一個積み上げて新しい世界観を作ってるんですよね。だからそういうのを知ると、やっぱり自分がどういう世界観で生きてるのかとか、別の世界観で見た時に物事ってどう見えるのかとか、そういうことが広がっていくっていうこと自体が楽しい、楽しめるから、やっぱりどんどん読んじゃうっていうのはあるかな。
だからアリソテレスは、プラトンのイデアっていうのが一個の世界の見方だし、理想的なものがあって世界は一つに分かれてるっていうのはプラトンが見た世界だし、やっぱり目の前のものが大事で、一個一個のものに注目していこうっていうのはアリソテレスが見たアリソテレスの世界の見方だし、
やっぱりそういういろんな世界の見方っていうものがある中で人間って生きてるんだな、すごいなみたいな、なんかそういう驚きですね。
はい、まあそっか、そうだよね、プラトンの宇宙の話でもあったけど、今の科学からするとそれは間違いだって言い切れるんだけれども、ということでね、じゃあ果たしてそう言い切っていいものか、言い切って終わりじゃなくて、その宇宙ってものを考えた土台だったりとか、その思考過程みたいなものにはめちゃくちゃ価値はあるのかもねっていう、そういう見方もできるってことだよね、いろんな考え方というか。
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そうそう、見方もできるし、逆に言うと、じゃあ僕らが今思っている宇宙って本当にそうですかっていう問いかけにもなるよね。
例えば、ソリューシーがあってとか、原子があってみたいなのがあるけど、そもそも原子っていうものも本当に存在してるかっていうと、一応電子顕微鏡で見てるからあるものはあるんだけど、でもその存在の仕方で言うと、それこそ確立論的にしかないみたいな感じで、実体としてあるわけじゃないとかっていう話があったりするじゃない?
そうだね、確かに。さっきの支配者回想と民衆とみたいな話があった時に、自分とかもろ民衆だから、上の偉い人がそう言ったならそうでしょっていう感覚で宇宙ってそうだよって今理解してるから、自分で別に望遠鏡を見て、今の宇宙はこうなってるとかって思ったわけでもないから、そういう意味でも、そこを妄信しないじゃないけどね、意外と自分もそうなんだなとか、さっきの自分の価値観をそもそも分かんないみたいな感じで、
確かにこれはアプラトンの時、謙虚さみたいな、そこは忘れちゃいけないんだなって今思った。宇宙のこうでしょとかって、そうやってまた聞き出して、誰か調べてくれて本にしたものを自分もそう思ってるだけみたいなね。
確かに、そういう色んなものに適応していくと、意外とやっぱ傲慢になっちゃダメだなって。
そうだね、結局は借りてきた説明をしてるだけって結構多いから、そういう意味でもしかし常識を疑うじゃないけど、自分が生きてる世界っていうのは、結構自分がいろんな意味付けをしちゃってるよねっていうことに気付かせてくれるのが哲学かな、僕にとっては哲学の面白さですね。
うん、確かに確かにね。それが良い悪いじゃなくてね、そうなってるんでしょっていうことに気付かせてくれて。
そう思った時に自分はそれでいいと思えるのか、いや、意外と間違ってたからこっちのアプローチもしてみようと思えるのかっていう気付きをくれるものっていうとね、それこそアリソトリスの実践地みたいな話になっちゃうけど、でもね、実はそういう実践地みたいな感じで使っているのは全然ありだよってことだよね。
個人的にはそれが面白いなと思うし。
そうだね。確かにアリソトリスからすると、そういう風に実践地として使えないものは本当の知識罪人じゃないぐらいのこともあるかもしれないし。
はいはいはい。
そうなんです。だから逆に言うと、別に哲学が役立たない人もいると思っていて、実践として使うにはちょっと合わないよっていう人もいるだろうし。
うんうんうん。それはそれでね、っていうことね。
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それはそれでいいというか、別に良いも悪いもそういうものだみたいな。
なんかね、フラットさというか、まあなんでもアリではないけど、別にこう、なんていうんですかね、これがいいとかこれを押し付けるみたいにならないような気持ちになれるっていうのもあるかもしれない。
うんうんうん。
はい、ちょっとね、本当に雑談でいろいろ話してましたけど。
でもなんかそうね、そもそもやっぱりなんでこの西洋哲学の話で最初にしたの?みたいなとこも含めて、その辺も聞けて面白かったなと思うね。
そうですね。今この3人やってね、今後このラジオどうしていくの?というところなんですけど。
さっき途中でちょっと言った、武教が代償的な東洋思想かみたいな話もあるんですけど、
僕自身があんまり他のことを知らなくて、例えば中国の法師とか、そういうことはイスラムとかにも哲学があったりするんですけど、さて僕があんまり知らないっていうのもあって。
ああ、そうだね。
そう。あと武教は日本で言うと、ある程度認知度はあるじゃないですか。
うん。そうだね、馴染みはあるというか。
そうそうそう。というのがあるんで、それを取り上げながら、これまで西洋哲学3人やったんで、それともまた違う考え方としての、主に仏教、ブッダっていう人が何を言ったかというところを触れてみたいなと思ってます。
で、仏教も面白くって、僕らが今日常触れているお寺とかの仏教と、ブッダが当時やった仏教というか、その仏教の考え方って結構違うのね。
今のお寺と当時の仏教は違うと。
そうそうそう。全然違う。
そう思っていると、これも歴史だったかもしれないけど、例えば鎌倉仏教とかで、神覧とか法念とかっているじゃないですか。
あの人たちの仏教と、ブッダの仏教も全然違うっていうのがあるんで、まずはブッダっていうのはそもそもどういう人?という、今後みたいな感じでやりつつ、
ちょっとあれだったら、仏教全体の、仏教主じゃないけど、どういう流れがあったのか、みたいなところをさらってみて、全体像を使うみたいなことができたらいいかなって思ってました。
なるほど。そっちも楽しみだね。
さっき、なじみがあるみたいな話があったけど、どうなんだろうな、逆に、あんまりここから話を広げても、時間が長くなってもあれだけど、
果たして、西洋哲学と東洋、今のブッダのあたりの東洋哲学としていった場合、仏教は確かに日本ってなじみあるけれども、哲学という意味ではどっちがなじみがあるの?ってなった時に、意外とどっちだろうね、みたいなね。
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意外と西洋哲学の方がなじみあるんじゃないの?みたいなね。あるかもしれないもんな。
そうだね。仏教を思想として知るみたいなのって、それこそ機会もあんまりないだろうし。
そうだよね。ただなじみがお寺が近くにあって、お墓もあるだけで、別に哲学について、うち学んだわけでもないからね。
そうそうそう。じゃあ、浄土神宗と浄土宗って何が違うの?とか、意識しないし、基本的には知らないじゃん。
そうだね。そう、神がついたからってね、確かに。
そう。とか、禅で禅寺に行って修行しますとかってあるけど、最近。
うんうん。
じゃあ、禅ってそもそも何で?とか、いつどこかやって起こってきて?とか、他の宗派と何が違うの?とかって、あんまりわかんないじゃないですか。
わかんない。うん、確かにな。
そう。そういうのを知ると、仏教っていうひとくくりのものも、意外とこういう違いがあるのねとか、
こういう考え方を発展させたから、こういう禅というものができたのねみたいなこともあるし、
要は、あるいは前のこういう考え方を批判したから、こういうのができたのねみたいなところとかも、やっぱりそれ自体も面白いなと思うし。
はいはいはい。
あと、やっぱり東洋と西洋みたいにやっちゃうと、それこそ文系系みたいな感じで、本当は意味がない、区画になっちゃったりするんだけど。
ああ、はいはい。なるほどなるほど。
言いやすいか言っているともあるし、僕も改めてこういろんな、また東洋の本も読んでるんだけど、
ちょっと前にね、西洋哲学が行き詰まってるから、今は東洋哲学だみたいな、とか東洋思想だみたいな話が漏れわた時もあったんだけど、やっぱりそれは単純化しすぎていて、
別にどっちがどっちってことでもないし。
うん、そうだよね。そこそビジネス的に言うと、スティーブ・ジョブスとかがね、前、マインドフルネスに溜まってましたとかって、
多分そういう文脈からね、西洋よりも東洋がちょっと注目されてるみたいなね、部分ってね。
あると思うね。結局それもバランスで、いわば当時アメリカの人たちが、おそらく西洋的なものを強く持っていたとしたら、
そこに東洋的なというか、前的なものが入っていくことによってバランスが広がったみたいなぐらいの話だと思っていて。
うんうん。どっちがそれこそ生き詰まりでもないし、どっちが優れてるでもないしってことだよね、別に。
そうそうそう。別にどっちか片方、もちろんそれが自分にぴったりはまる人がいれば、思想だったりとかできると思うんだけど、
何か一つが真理とか正解ってわけでもないし、あともっと思うのは、僕自身はなんか、ブッダが見てたものとアレストテレスが見てた真理というか、
物は結構同じとか近いものだったんだろうなとか思ったりもするのね。
ガータとか同じことにさらりついたんだけど、語り方とか表現の仕方が違うみたいなことなんじゃないかなって思う部分も実はあったりして。
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それも面白そうだね。でも納得だよね。もちろんだって当時の住んでる場所とか環境とかさ、そもそも当時の宗教感みたいなとか政治状況とか、全部違うだろうしね。
そういうのがあるので、そういった意味でもある西洋デザイクをずっとやるっていうよりは、そういう東洋思想とかも含めた上で、皆さんの主婚の幅も広げながらとか話の領域も広げながら、いろいろやっていけたらいいかなって思ってました。
おー、いいね。そうだね。結構言うて長かったもんね。この3人。
結構ね、もうそれだけで1ヶ月。1回、じゃあ15回ぐらいになっちゃったじゃないですか。
これを次はデカルトデーとかカントデーとかやっていくと、多分疲れちゃうんで僕も。聞いてる人も疲れちゃうと思うし。そういったものを取り入れながらやっていこうかなと思っております。
はい。なのでぜひ次回もお楽しみにということで。わかりました。じゃあ一旦ここで、今回は雑談だけど、西洋哲学の基本編シリーズ終了ということで、次は東洋編スタートと。そうですね。ちょっと試してみようと思います。
楽しみにしてますんで、じゃあまた次回もよろしくお願いします。よろしくお願いします。ありがとうございました。ありがとうございました。
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