1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #284 日本に西洋哲学がやって..
2025-01-15 35:39

#284 日本に西洋哲学がやってきた!西田幾多郎に至る日本初の哲学者たち

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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00:11
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
このラジオは、身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟二人でお送りしていきたいと思います。
改めまして、兄の菅野教世です。
弟のハヤトです。よろしくお願いします。
はい、お願いします。
さあ、今回は西田幾多郎さんということなんですけれども、また前回までやってた日本の古代哲学の流れとはちょっと違う感じなのかな?
そうですね、もう全然時代的にはもう最近で、それこそ明治とかやってくるんですけど、
実はずっと取り上げたいのは、やっぱり日本の哲学者とかって取り上げたいなと思いながら、なかなかタイミングがなかったんですけど、
せっかく日本の思想というテーマでやってきたんで、繋がるわけではないんだけれども、
まずは日本の哲学とか、そういったものってどんなものがあったのかというところを、ちょっと掴もっていきたいなと思ってましたよと。
で、それもなんとなく時代としてこういう人たちがいましたよとかじゃなくて、やっぱり西田幾多郎って、ちなみに西田幾多郎って聞いたことあります?そもそも。
いや、ハヤトからしか聞いたことないね。
マジかー、そうだよね。
何回か言ってるよね、西田幾多郎さんが。
何回か言ってる、何回か言ってる。
それでしか聞いたことない。
そうか、まあでもそりゃそうか。日本で哲学者といえば西田であるぐらいすごい人なんだけど、やっぱりそこまでした方はちょっと違うよね、知名度的には。
なので、そういう意味でいくと、やっぱり日本の、こうして言いづりかもしれないけれども、やっぱり日本の哲学が西田哲学から始まるというか、広がっていくというところは全然あるぐらい人なので、
今回ですね、この西田幾多郎さんという人を取り上げて、久々に哲学のちゃんと深いところを見ていくような、そういう話にできたらいいなと思っているんですけれども、
今回は導入会でもあるんで、これまでの日本の思想というところとも若干つなげながらですね、そもそも前回も言った通り、哲学って元々日本にあったというより西洋から入ってきたものだと思うんですけど、どんなふうに入ってきて広がっていったのかみたいな。
そもそも広がっているのか問題はあったと思うんですけど、一応そういう、日本の中に哲学が取り込まれていたのかみたいな話をですね、今回は少ししたいなと思っております。
03:14
確かに広がってなさそうだね、確かに。
そうなんだよね。そういう論文もあった。日本の哲学教育はなぜこんなにダメなのかみたいな。ダメっていうかわかんないけど。
例えば科学とか数学とかはさ、もちろん小学校とかでも算数化だったりするけど、哲学の授業とかって、高校でも倫理の一部でやるぐらいだったりするじゃない?
まあただ歴史だよね。
まあそうね、確かに。それぞれの哲学者のことを学ぶとかってのはないとしたときに、それは浸透専用なのかってあったりすると思うんですけど、
そこまでは今日はいかないんだけれども、そもそもどう入ってきたかっていうときに、これはこれまでもお伝えしてきましたけれども、
やっぱり日本の歴史を通じて、仏教はもちろんですけど、儒教とか、それこそ前回雑談でも言った乱学とか、いわゆる海外の学問っていうものはどんどんどんどん入ってきてはいるんですよね。
例えば乱学で言うと、これ覚えてるかな?杉田玄白さんって覚えてます?歴史とかでやったかな?
解体新書。
そうそう、解体新書の人。これがいわゆる杉田さんが乱学者とかって言われたりするんだけれども、この人が1800年前後ぐらいなので、今から200年ちょっと前の人ですよ。
海外の時期とか経験を取り入れてそれを活かすみたいなこと自体は、全然そうやって行われてるわけなんですよね。
その中で哲学はみたいな話でいくと、いろいろあるんだけれども、一応研究というか学説的には、大体16世紀、ダビエルさんとかいたじゃないですか。ラシスト・ダビエルさん。
だから日本にキリスト教を持ってきたりすると思うんだけど、その時に、いわゆる哲学っていうものも入ってきたみたいな話があるらしいんだよね。
そう考えると結構前なんだけれども、それはやっぱり江戸時代って左国とかキリスト教禁止みたいな時代なので、そのキリスト教と一緒に入ってきた哲学っていうものも広がらなかったよねっていうふうに考えられてるんだよね。
あー、なんかタイミング悪かったのかな。
タイミング悪いって言うと、当時神を存在証明するとか、それ多分心学的な考え方の哲学が多かっただろうから、
06:04
そもそも神の存在を証明するとか、一神教的な考え方を広める、そこから広がった哲学は多分相性が悪かったんだろうね。
あー、なるほど。イメージ使いというか、そっちの人たちが一周持ってきたとすると、また哲学的に日本人にはちょっとなじみづらいよね。
なじみづらいとか、政治的にも、多分幕府からしてもこんなの広まっても困るわみたいな。これもあったんじゃないかなという感じですよ。
それが仮に第1回だとした時に、第2回目の哲学の需要っていうのが、まさに江戸時代末期ですね。
これは黒船とか海獄みたいな時代の流れがあった時に、あるキリスト教的な哲学よりは、そもそも西洋諸国、ヨーロッパと向き合う時に、
やっぱり哲学ってその時代の課題というか、結局自分たち何を問いとして持ってるのかっていうものを映す鏡だったりもするので、そういった意味合いとして哲学を理解する。
西洋諸国の人って何を今問題として持ってるのかとか、どういうことを考えてるのかということを知る上で、やっぱり哲学っていうのがすごく手がかりになったというふうな話なんですよね。
もちろんこれも番人がやったっていうよりは、ある種特殊な人たちが、まずは海外に行って学んできますと。この人の名前もあるかな。西天音っていう人の名前って聞いたことある?
ないですね。
ない。近代史とかだとやるんですけど、この人がいろいろ海外、それこそオランドとか留学して、いろんな概念を日本に持ち帰ってきてから翻訳しちゃうみたいな人で、実際このフィロソフィーっていう単語を哲学って訳したのが西山根さんという人なんだけど。
他にもこんな言葉も略したよっていうのがwikipediaに書いてたんだけど、例えば芸術とか、科学とか、理性、意識とかっていうのもこの人が作った言葉なんだって。
意識?
意識。
意識っていう言葉とか概念ってなかったんだね、多分ね、日本にね。
概念はあったかもしれないけど、ただ概念っていう言葉もこの西山が作ったらしいから。
09:05
もちろんね、心とか意識の意みたいな言葉は元々あったから、そういう意味での概念はもちろんあったと思うんだけど。
そうだよね。だって有意識とかそういうのを理解してる人たちはいたわけだからね。
意識っていう言葉として、我々は意識を持っているとか、そういう言葉にあったのはこの人が作ってたらしいんだよね。
そんな感じで、日本のそういう海外の概念とか言葉とか、そういったものを取り込むときに制約しちゃってきたんだけれども、
この人がオーランドで学んだ哲学っていうものを、やっぱり日本人とか日本の哲学授業の第一段階、第二回、哲学授業の第一フェーズですね、みたいな感じで言われたりするんだよね。
ちょっとね、これ雑談というか、わけにはいられちゃうんだけど、そもそも哲学って言葉としてわかりにくいじゃないですか。
哲学ってなんだっていうときに、なんでこんな文字なの、みたいな。
そうね。
っていう話が実はあって、これなんでできたかっていうと、元々フィロソフィーって知恵を愛するとか、愛知みたいな、まさに知識を愛するっていう言葉が元々の意味合いなんですよね。
実は最初、知恵とか、いわゆる賢い、賢者になるみたいな話で、そういうことを願う、愛するっていうか、いわゆるそうなりたいと思うとかっていう話でいくと、
希望の木、望むっていう言葉と、あと賢者の賢に額で危険額、危険額っていう言葉が最初あったんだって。
作ったんだけど、でもやっぱり危険っていう言葉が、いわゆる危ないっていう意味の危険って繋がっちゃうんで、ちょっとこれは良くないなってなったらしく。
賢くて、あと道理に通じてるみたいな言葉として、鉄学とか鉄人の鉄って、道理に通じてるとかって意味があるんだって。
なので、その字が当てられて、木鉄学、いわゆる道理に通じることを望む学問っていうふうに作ったんだけど、そこから木、最初の望むってのは取れちゃって、
鉄学になりましたみたいな。
そうなんだ。確かに言いづらいもんね、鉄学って。
ちょっとね。なので鉄学だったんだけど、ただその時に鉄っていう字もよくわからんし、学ってなんだって感じで、鉄学がわかりにくくなったのではなかそうかみたいな。
12:03
そうそうそう。
そんな話もあるんだけど。
もっとわかりやすい名前しときゃよかったっていう。
そうそうね。物理学とか心理学とかってわかりやすいじゃん。
まあイメージはできるか。
ね、イメージは。そうそう。鉄学って、じゃあ鉄ってなんだみたいなさ。鉄ってどういうこと?みたいな。
まあでも難しい話だね。確かにその、ちゃんとその物理とかのイメージをちゃんと浸透させてるっていう話もあるだろうから。
まあそうね、前提として。
やっぱりこの鉄っていうイメージを浸透させなかった方が悪いっていう言い方もできるかな。
まあそれもある。そうそうそう。
鉄とはなんだとか、まあ既説、要は道理に通じることを望むとはなんだみたいな話って。
まあ普段考えないじゃん、やっぱり我々。
まあね。
それがね、さっき言った教育の課題だよねとかって話ももちろんあったんだけど、
まあそれとして、こういう由来があって鉄学って言うんですって言うと、
あ、なるほど、そういうフィロソフィーっていう語源っていうかね、もともと意味を生かして、
実は翻訳したんだねとかっていう風な話ではあって。
はいはいはい。
で、これしたらね、結構実は半年ぐらい前に何か多分読んで知って、
いつかずっとお伝えしたいと思ったんですけど、鉄学の由来みたいな。
これをね、ここでお伝えできてよかったなと思ってるんですけど、
まあそんな感じで、ちょっと話を戻すと、
要はこの江戸末期から明治ぐらいの最初から鉄学っていうのは、
当然その海外、特にヨーロッパの流行である鉄学を学ぶみたいな、
流行であるとか鉄学の流行を学ぶか。
結局何が問題あってるのとか、誰が今鉄学界隈では人気なのかっていう時に、
例えばコンポっていう人も実証主義とか、スペンサーっていう人がいて、
その人を、例えばニシさんっていう人がオーランドで学んで帰ってくるみたいな話なんだけど。
ほうほうほう。
だからやっぱ基本的には、まずは海外のものを学びましょうから、
ここで始まるんだよね。
うんうんうん。
なんで、実際最初の鉄学史の講義っていうのが、当時の東京帝国大学か、
前は東大で行われるんですけれども、
講師は当然外国人なんだよね。
へー、そうなんだ。
日本で教える人がいないから、
海外の人を招いて鉄学の勉強をしてもらいますって感じなんだけど、
去年いろんな人の名前が出てきて、あれなんだけど、
これも聞いたことあるかな、ペドロサっていう人なんだけど。
聞いたことないぜってお願いしてください。
ないか。
はい。
ペドロサさんはですね、結構歴史だと美術の文脈が結構有名で、
ほいほいほい。
15:00
なんか日本に来て、当時日本人はやっぱ西洋の文明って、
すげー西洋文明とか西洋美術最高とかって言ってたんだけど、
いやなんか日本にも日本美術の良さあるじゃん、みたいな。
おー。
伝統大事にしようぜとかって言って、ペドロサさんが言ったことから、
日本のまさに美術的な価値とか良さが、
ちゃんと世界にも広まっていきましょうって言われるぐらいの人なんだけど、
へー、ほいほいほい。
そうそうそう。
この人が実は日本で初めて哲学の講義を行った哲学の教授なんだよね。
わー、そうなんだ。
うん。
でもなんか面白いね。
ある意味この時代で言うとちょっと劣等的な話だよね。
はいはいはい。
だから日本もしょぼいんじゃないかと思って来てるわけで、
哲学もないようなね。
はいはい。
ただ、この哲学をやってる人だけあってというか、
そこはやっぱふらとあったのかな。
そうだね。
聞いていくと、もちろん職人支配とかもあったとは思うけれども、
まだそんなに日本も回復したてで、
当然その文明的なとか科学的な差はあったとは思うんだけど、
結局やっぱり日本っていうところへの興味関心とか、
そんな文化文明の国があったんだというところの発見みたいなのもあったと思うから、
はいはいはい。
割とその興味を持って来た時に、
なんか全然自分たちやっぱ違う文化文明があるぞみたいな。
うん。
そういうところがあったんだろうなと思うんだよね。
はいはいはい。
日本にやってきて、東大で哲学の勉強を始めるんだけれども、
そこで学んだ、まさに東大哲学の一期生みたいな人たちがいて、
その人たちが次の哲学の流れを作っていくんだよね。
ほうほうほう。
うん。
これ僕も知らなかったんですけれども、
井上哲次郎っていう人はいて、
この人は全然、もちろん皆さんは知らないと思うんですけど、
この人が日本人初の東大の哲学教授らしいんですよ。
へー、はいはいはい。
なのでフェネロサさんが海外から来て初めて哲学の授業をしたんだけど、
そこで学んだこの井上さんっていう人が、
日本人初の哲学教授になりますみたいな。
へー、そうなんだ。
そうそう。
うん。っていう流れがあった。
この人が哲学をやっていく中で、
刑事養学の刑事上っていう言葉を作ったのもこの人らしいんですけど。
はー、そうなんだ。ほうほうほう。
まさにそういう海外の概念、
海外というかそういうヨーロッパの概念はどう日本語で訳すか、
ある日日本人でも扱えるようにするかというところが、
まさにこの初級生たちのやったことらしいんですけど、
18:03
あんまりこの人の考えを深掘りするのは今日はしないようにとは思ってるんですけど、
どんなことを考えたか、
要は海外から受け取ったものを教えるんじゃなくて、
自分なりのとか日本人なりの哲学を考えたっていうのが、
この第二フェーズというか、
要はまず海外のものを学ぶっていうところから、
自分たちの哲学を作るみたいな。
これはもうやったっていうのは井上さんという人なんだよね。
へー、そうなんだね。
で、言葉としては現象即実在論とかって言われるらしいんですけど、
現象はいわゆる起きる、何か現象ね。
即はいわゆるすなわち、四季即絶句の即で、
実在はいわゆるあるってことなんですけど、
つまり現象と実在は一致しているというか、
同じだいたいことを言っている人あって、
これはちょっとね、ちゃんと話すとすごく長くなっちゃうんですけど、
ざっくり言うと、現象と実在を分けるっていうのは、
よくある西洋の流れで、プラトンのイデア論もそうだよね。
目の前のリンゴとリンゴの本体のイデアが違うとかもそうだし、
カントの目の前にあるものともの自体みたいなものは違う、
分けて考えるという話なんだけど、
そうじゃなくて、実はその現象と実在は一つなんだと。
分けて考えることができないよっていうのを言ったのが井上さんなんだけど、
なんでそんなことを言ったかっていうと、
やっぱり単純な西洋哲学を学んで受け入れるだけじゃなくて、
日本には当然仏教的な考え方があるよねと。
いわゆる式則是空とか、
文外地にはちょっとウパニシャト的だけど、
やっぱり仏と全体とか本質が一緒だみたいな考え方がもともとありましたと。
それをある種西洋哲学の言葉でとか概念で説明できるのかみたいな、
そういうことを井上さんは考えてるんだよね。
なるほど。だからこっちの現実と、
西洋の哲学がどんだけリンクしてるかっていうのをやっていくと、
結構リンクしてない部分もあるよねっていうのを自然と感じてるわけだよね、この人たち。
そうだね、そうだね。
ほんとエネジャー・カントとかの概念版の時に、物自体とかあるって言うけど、
本当それってそうなのかみたいな。
それが仏の真理だとした時に、その真理と現象と一緒っていうことって考えられるんじゃないかとか。
21:04
そういうふうに考えたわけではないと思うんだけど。
もっと言うと、これまで自分たちがある種頼ってきた仏教とか、
いわゆる宗教的なものと、今西洋から入ってきている哲学っていう、
やっぱりよりロジカルなというか、
そういった考え方っていうものを組み合わす時に、
それをある種くっつけていくとか、関連させていって、
そういった、まさに仏教自体とかも発展できるんじゃないかとか。
そういうふうな思想をもっと発展させたいとか、もっとよりよく考えられられたいっていう、
そういうふうなことが起きてくるんだよね。
前回の雑談でも少し、やっぱり仏教ってどうしても、
仏様がまずはおっしゃったことを学ぶみたいなところがあるから、
なかなかそれを発展するって難しいとおっしゃったと思うんですけど、
こういう哲学的なものが入ってくることで、
それを活かして、もっとより良い幸になるんじゃないかとか、
仏教を哲学に生かす、哲学を仏教に生かすようなこともいろいろやりながら、
もっと我々が考えていることっていうのを専念させられるんじゃないかみたいな、
そういうことをやっぱり推し進めている人たちが、
いわゆる明治期初期の哲学者の人たちっていう感じなんだよね。
とはいえ、いきなりやっぱりそんなことやってるんだね。
そう、いきなりやってる。
だってね、仏教の世界観の中でいろいろ考えているっていうところを、
最近もう批判し始めてるもんね、仏教そのものを。
そうね、そうね。
だからやっぱり、当然ね、日本人初めての哲学教授って言われるぐらいの人だから、
すごい才能のあった人なんでしょうっていうぐらいで、
ちょっと僕はあんまりちゃんと調べられてはいないんだけれども、
やっぱりそういうふうな学びが続いていって、
日本の哲学っていうものが徐々に、徐々にまずは大学というか学問の世界で広がっていくわけなんだよね。
はいはいはい。
そういうところで、やっぱり最初の、いわゆる海外の哲学を学ぼうということから、
日本人としてやっぱり哲学をするというところにステップアップというか進んでいきますよと。
で、実は今回西田貴太郎がテーマなんだけれども、
西田さんっていうのがさらに次世代なので、
井上哲郎さんの東大の講義を聞いて学んだのが西田貴太郎さんですよと。
おお、そうなんだ。
そういうふうな流れとか系譜があって、
西田哲学とかって言われるんだけれども、これをですね、実はまとめて京都学派とかって言われるんだけど、
24:03
西田さん自体は京都大学、京都帝国大学っていうのかな。
で、教授をしてるんですよね。
その中でいろんな独自の思想だったりとか、哲学というのを発表していって、
その弟子とかがさらにいろんなことを考えていく中で、京都学派というのが形成されたりするんだけど。
あるんだ、そういうのが。
そうなんですよ。
というのが、どういうものなのかとか、西田貴太郎という人がいったいどんなことを考えて、
人生でも大体4つぐらいのフェーズに分けられて、
第1フェーズ、第2フェーズ、第3、第4でいろんなことが洗練されたりとか、考えが深まったりしてるよってよく説明されたりする人なんだけど。
なので、やっぱり簡単に西田さんこんなことを考えましたっていう感じではないんだけれども、
ちょっとそういう一番日本の哲学で有名という、中心的な人だって言われる人を取り上げることで、
日本の哲学、西田哲学とは何ぞやみたいな話をしていこうと思ってますっていうのは今回ですっていう感じなんだろうね。
なるほど、なるほど。
ちょっと今駆け足でバーっと明治、江戸末期から大国があって、哲学が入ってきましたっていう話をしたんだけれども、
当然ね、初めての話とか人の話ばかりだと思うんで、どうでしたっていうのも難しいと思うんだけど、何か感じたこととかあったかしら?
意外だったというか、哲学が入ってきたっていうのが、
どうだろう、これ結構政治とは別の、結構純粋に学問的な感じで入ってきて、
学問のまま日本でも行われていったのかなっていう。
なるほどね。
今回のハイトの話だけだと感じたね。
そういう人なんかあるのかな?
そうだね、もちろん西さんとか水上さん自体も海外の留学とか行ってるぐらいなので、
ハイソサイティというか、上流階級の人たちではあるんですよね。
だから哲学自体が政治的に言うよりは、その哲学を学ぶことで、そういった人たちがやっぱり日本の新しい体制を作っていくとか、
そういうところに影響を与えるっていうのもあったのかなっていう感じではあります。
もともと目的の一部としてはそれももちろんあっただろう。
世界の最新のいろんな学問を見てきて、日本にちゃんと取り入れるものは取り入れていきましょうっていう流れの一つではあるっていう。
そうだね、そうだね。
27:01
確かに哲学の今回調べた限りでいくと、わくまでも東京大学っていうのがまずあるというか。
この中でちゃんと法律、やっぱりいろんな物理学とかいろんなのがある中に哲学っていうものをどう位置づけるか。
最初やっぱりなかったらしいんだよね。
哲学ってそもそも学問として日本で成り立ってなかったのを、ちゃんとフェネローさんみたいな人が来て、
哲学家とかを作って、ちゃんと哲学っていうものが学問として地位置を占めていくみたいな。
そういう流れが今回調べた中では強かったかな。
最長空間みたいな検討士か。
そうだよね。
国家プロジェクトとして、国の信号仏教やね。
そっちに使うから、ちゃんと勉強してきなさいっていうのとはちょっと違うんだね。
そうだね、そうだね。
国策で派遣されてるとかじゃなくて、上流会社の人たちが普通に留学をして、
その結果自分たちのビジネスだったりとか、政治に生かすみたいなものはあれど、
直接帰ってきた国のために働きなさいっていう感じではないっていうところは違うんだね。
そうだね、確かに。
岩倉施設団とかがあって、技術的なこととか、いわゆる工学的な技術を学んでくるとかはあったと思うんだけど、
そういう感じで哲学を学びに行かせた国が主導で行かせたかっていう感じではなかったんだよね。
この時代で言うと福沢彦一とかも有名だとは思うんですけど、彼とかは実学。
いわゆる国を富国強兵的な感じで国を強くするとか、技術を広めていくっていうところが大事っていうところからすると、
哲学はもしかしたらそこから少し離れているというか、
そういうふうに当時も受け入れた部分もあったのかなとは思うよね。
なるほど。学問の中でもちょっと実学ではないよねっていうちょっと異色だった可能性もあるってことは。
あるかなと思う。
だからこそ逆に純粋な、ちゃんと哲学としてどう扱うかとか向き合うかとかっていうことが広まったってのもあるんじゃないかな。
変にやっぱり仏教とかも、国のために祈りなさいとかって言ったらちょっと歪むというかさ、本来の義達したいとかってやっぱりちょっと変わっちゃったりするじゃない。
そうだね。
そういうのが起きにくかったとかはあるのかもね。
30:00
だからいきなりそのペドローサークル先生が帰って来て、その一期生である井上さんが、
もういきなり自分の哲学をちゃんと純粋にやり始めてるみたいなのがあって、そこは結構最長空間的な感じと全然違うなと思ったの。
そうね、確かに。
でも僕も調べてる中でちょっと面白かったのが、初めてできた西洋の学問、哲学っていうものをさ、
じゃあ一期生で学びますみたいなことになった時に、やっぱ集まる人自体がすごい面白いというか、アンテナがかいのか尖ってるのかわかんないけど。
変な人たちだろうね。
そうそう。だろうなってやっぱ思うんだよね。
だからなんつーのかな、その最長とか空間やさ、まだやっぱり中国でもういわゆる本流の仏教とか学んできましたみたいなさ、ある意味そういう権威があるわけよ。
でも多分この時代の哲学って別に敵権威とかも多分ないし、ペドローサーさんとかも今でこそ有名だけど、
当時じゃあ何かね、国際的なスターでペドローサーさんが来日したことをみんなが歓迎してましたとかではなかったと思うと、
そこにちゃんと興味を持って学ぼうと思って、めちゃめちゃ難しい言葉すらさ、
ゲイ哲学とかってそもそもこれから作りますみたいな時代にやっぱそれを学ぶみたいなことって、まあまあ生半科ではないとは思うんだよね。
確かに。
そういう意味では変に使われるというよりは本当に学びたいから、興味を持った人が集まったっていう感じだったんじゃないかな。
確かに確かに。何のためにいくよりは、なんかそういう変な人たちがいて、
いろいろ多分こういうことを考えちゃう人たちはやっぱり一定推定だろうから、そういう人たちがこれだってむしろ思ったんだろうね。
これを教えてくれて、これだって教えてくれてからこれだじゃなくて、俺たちが求めてたのはこれがここにあったんだぐらいの考え方だろうね。
これかもしれないみたいな。
だから確かに逆にもっと国を発展させようとか、上手いことを学んで儲けてやろうとか、そういう人はあんまりいないと思うよ、哲学家には。
最初からね。
最初からね。そういう部分もあるかもね。
それがいいのか悪いのかは別としてだし、その哲学っていう営みの特性上こうなるっていうかもしれないですね。
33:09
だからね、最初にちょっと哲学って広まりきってないよねとか、なかなか浸透しないという時に、もしかしたらそういう部分がそもそもあるのかもしれない。
ではじゃあ結局ね、何の旅になるんですかってやる時にさ、やっぱり難しいよねって、ずっとこういう哲学上でもあると思うんですけど、
その時も哲学を学んだら偉くなれるかって多分そうではないだろうし。
その西洋とか関東がめちゃくちゃ出世したのかみたいなね、いわゆる経済的にね。
そう、経済的にとか社会的にね。
そういう部分もあるからね。
ただね、そういった意味ではやっぱり何かを深く考えたいとか、それこそさっき言ったように仏教っていうものでそれまである種満足したとか、
ある種自分たちの江戸時代という中では成立していたものが、いきなり退獄して西洋と向き合うという時に、
当然だいたい仏教のことなんて何も知らないし、その価値観でやっぱり何も振り扱わないものがばーっと思想とかものも入ってきた時に、
やっぱり哲学的なものをちゃんと扱うことで理解したいとか、ちゃんと自分たちの価値観とか世界観というものを接続したいみたいな、そういうこともあったんじゃないかなと思うんだよね。
ということで、次回からちゃんと西田さんのことやっていけますという時に、
結構古い話が続いちゃったんで、今回も西田さんの老いたちとかも少しでも話すけれども、いきなりどんな思想を持っていたのかとか、
どういうことをテーマに考えたのかというより哲学的なところを第2回からはちゃんと扱いたいなと思っているので、
ぜひそういう部分も楽しみに聞いていただけたら嬉しいなと思っておりますという感じですね。
はい、わかりました。では次回以降ですね、久々にたぶん哲学の中身深く見ていくみたいな感じになっていくところが進んで、その辺り楽しんでいきたいと思います。
では次回も引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
35:39

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