令和人文主義の提唱
令和人文主義、哲学。
この番組は、哲学を知りたい3人が知らないながらも素人をあがく番組です。ミソです。
モーです。
トモキです。
いやいやいやいや、もうシバスも中バスよ。
いやいやいや、ほんとだ。
ねえ、ドラクエワン2クリアしましたよ。
またドラクエの話してる。おめでとうございます。
あー面白かったー。
あーそうっすか。
感動したわー。
エンディングとか?
そう、エンディングがめちゃくちゃよかったよ、ほんと。
あ、そうなんだ。やっぱちょっと違うんですか?
全然違う。
あ、全然違う。
全然違う。
へー。
すごいなんかエモい感じでしたね。
へー。
あ、まあやっぱエモを求めてるんですね、時代が。
そう、だからざっくり言うと、ドラクエ1,2,3って、その伝説の勇者が3の勇者で、で、1と2の勇者っては子孫なんですよね。
あーそうなんだ。
そう、その3の主人公の子孫が1と2に出てくるキャラクターたちなんですけど、3の勇者が最後やり残したことみたいなのがあるんですよ。
それを、その何百年の時を経て、それをやり残したことをやって最後終わり?みたいな感じの演出になってたんで、なんかもう涙が結構出てくるぐらい感動しました。
なるほど、それはすごいね。ちゃんとリメイクをもう1回やった人を感動させるってすごいですよね。
そうなんですよ。
よくちょっとさ、2人さ、よくまあさ、ほんとだんだんポッドキャスターだよね。
なんで?
急にさ、全然違い話してた2分30秒前までは。
たしかにね。
タイトルコールして。
ずっと全然違う話してた。
全然違う話してた。私今まだ切り替えられてないわけ。感情的だからもうなんかもう全然切り替えられない。
僕まあそんな急にドラクエの話で、そうっすよねってかって、何者なの?何者なの?ほんとに。
僕はドラクエすらやったこともないのにね。
なんかエモっすよねとか言って、もうそこに行ってるみたいな。
いやいやいや、その時代がね、やっぱエモを求めてるんだなみたいな。
なんか切り替え早すぎるのか、2分30秒前までは話聞いてなかったのかどっちかだよね。
まあどっちかだね。たしかに。
いやいやいや、違うんすよ。
すごいわ、もう。
違うんすよ。
違うんすよ。
さすがですよ、ほんとに。
さすがでしょ。
びっくりしちゃった。ついていけないわ、私ほんとに。
もうすごいわ、ほんとに。
もうさんがずっとすごい顔してたからね。
もうさんがでもあれですよ、たぶん酔っ払ってるからですよ。
もっとね、頭がしっかり働いていれば乗っかってこれたんじゃないかなっていうふうに思って。
ドラクエの話はちょっと無理かなって思うんだけど。
いやいやだからね、違う角度からね。
そうそうそうそう。
で、なんだっけ、本編は何?
本編は、令和人文主義ですよ。今話題の巷で。
全然知らないんだけど。
それ巷じゃないと思うけど。
巷でもう発狂をにぎわしている。
何で令和人文主義って、マジで知らない。
もうハッシュタグで令和人文主義でみんながつぶやいているみたいな。
へー。
知らんけども。
でも私もそれに反応しててちょっとなんか恥ずかしかった。
なんかそれを知ってしまっていた自分みたいな。恥ずかしいというか、
なんかそういうのを求めているのかなって思って。
はいはいはい。
なんかいろいろ教えていただきたいです。
いやいやいや僕も全然知らないし。
なんかこう、まあちょっと前か。
今年の9月だから、もうちょっと前かな。
ぐらいから概念として提唱されていて。
新たな人文学の潮流
9月だって、そんなに前だったっけ?
そう、確か。
そう。
谷川よしひろさんっていう哲学者の方が、この人若いんですけど、
1990年生まれとかの人なんですけど。
そんな若いの?
スマホ世代の哲学みたいな本を書いてらっしゃる方?
そうですよ、ほら。
おー。
私は結構ポッドキャストが好きで、谷川さんの。
そうそう、この人もポッドキャストやってるし。
あ、そうなんですね。
そう、っていう人が、ちょっと聞いてくださいよみたいな感じで。
あれ、ポッドキャストの中で提唱したのかな?ちょっとわかんないんですけど。
なんかあとは朝日新聞の新聞の記事にもなってたし。
へー。
今のこの時代を表す何かこう、
人文系の言葉みたいなのをちょっと考えたんですよねみたいな感じで、
令和人文主義ってどうすかみたいなフレームワークというか枠組みみたいなのを考えたんですっていうのを提唱しましたと。
はいはいはいはい。
すごいよねー。
今の時代の潮流みたいな。
で、その中に谷川さんが真っ先に挙げていた人が、古典の深井さんとか、みたいなのが上がってくるんですよ。
なるほど。
古典の深井さんとか、あとはそれこそ地を描いたうごとさんとか。
ヤムチャさんは入ってなかったっけ。
ヤムチャさんは入ってなかったと思うけど、谷川さんの中ではね。
違う違う。
古典語の水野さんとか。
あとは三宅科学さん。
バンコクに住んでる。
なんか書いてあるのだと、田村正介さん。
僕もわりと知らない人いっぱいいたんですけど、
40代から20代後半くらいの比較的若い世代の人たちが、今人文の潮流みたいなのを作り始めていて、
これって今までにはなかった新しい動きというか、地の営みみたいなものが始まってるんじゃないのっていうのを言葉で表したくて、
そういう命名をしました、みたいなことを言ってるわけですよ。
古典ラジオとかを聞いてる人とかは、まさに谷川さんが言う、令和人文主義という潮流の一部であって、リスナーの時点で。
我々もそのもはや一部として、これを語らねばならぬのだろうなと思ったので、話したいなみたいな感じですね。
谷川さんが定義する漢字だと、結構文体がわかりやすく、できるだけわかりやすく伝えようと頑張っている。
一昔前の人文主義というか教養主義というか、そういうのって難しい言葉を重ねれば重ねるほど頭がよく見えて、それこそが地なんだみたいな。
それこそ無理することが地なんだみたいな風潮があったけど、そうではなくちゃんと伝わる言葉で伝えなきゃダメだよねっていう潮流が生まれてきている。
わかる気がするぞ、めちゃくちゃ。本とか読んでてもすげえそういうのって昔感じたもんだけどもさ。
無駄に難しい言葉使うみたいなね。
でも結局わかりやすいところからのインプットのほうが楽しいし、総論的な部分になっちゃうけれどもさ。
結局覚えられるし、それを元に語れちゃうみたいなところもあるんで。
そうだよね。
確かに難しい哲学書とか歴史書とかそういうのなんて読みてえななんてかけらも思わなかったね、昔から。
あとは結構会社員とか、深井さんとかもそうだけど、ビジネスパーソン向けにわりと語りかけているというか。
今までは学生たちよ、もっと頑張って勉強するんだ、これを無理して勉強してインプットしろみたいな押し付けみたいなところも若干感じていた部分から、
社会のメインというか、勉強っていうのを一回終えた人たちに向けて、もう一回ちょっと学び直してみませんかみたいな語り口で、
会社員とかビジネスパーソンに向けて、新しく顧客を開いていっているみたいなのとかが、さっき挙げた前の人たちに共通する潮流だよね、みたいな。
あとはアカデミズムに対しても、一定の尊敬というかちゃんとリスペクトをしながら、その学者さんたちの本とかを引きながら、それを我々がわかりやすく説明しますみたいなのとか。
あとは政治的なメッセージがあんまりない、なのも多分大きい。これであんまり谷川さんは言ってなかったかもしれないけど、共通点みたいなのを谷川さんがいろいろ挙げてるんで、それはいろいろ調べてもらえば簡単に出てくるんでいただければと思うんですけど。
谷川さん的には、僕はこういう枠組みどうっすか、みたいな。この人とかこの人とか、令和人文主義な気がするんすよとかっていうのを挙げていったりとか、こういう概念が今の潮流っぽい気がするんすよね、みたいなことを言っていって。
令和人文主義っていうのを、ある意味雑に使ってもらって、その概念を育ててほしいんですよね、みたいなことを言っていて、おもろいな、みたいな。確かにそうやって雑に使うことによって批判を浴びたり、これも令和人文主義に入れてもいいんじゃないですか、とか。
それこそ、モウさんがさっき言ってたヤムチャさんとかね、オコウトユウミンさんとかね、そういう。僕から言わせれば青柳兄弟とかだって入れてもいいと思うし。潮流としてはなんかね、そうそうそう。
概念の炎上とその影響
そういう誰がとか、どこまでとか、それはどうなのとかも含めて、なんか概念で遊んでもらえたら面白いんじゃないですかね。
でも怒ってたよ、ヤムチャさんとは話したくないとか言ってたよ。
あーそうなんだ。そういう怒り方なんだ。
わかんない、話したくないじゃなくて、仕事はしたくない人たち、みたいなのの名前に入ってたんだけど。
いや、そう、まあ何かだから。
最近のね、それはすごい最近のだけど。
そっかそっかそっか。
わかんないよわかんない、ちょっとちゃんと確認しないといけないけど。
あの、谷川さんが言って思ってらっしゃるのは、なんか豊博さんとか哲学者の豊さんとか、あとチューヒチョルさんとか、なんかあの100分で名庁に出てて、私すごいなんか結構話聞いてて、
あのこの前言ってたのバザールとなんだっけ、違うなんだっけ。
バザールとクラブ。
クラブとバザールだっけ、バザールとクラブの話をしてるチュさんとか書いてあるね。
書評家の渡辺スケザネさんとか、結構クイズノックの人ね、さっきの田村さんっていうのが出てますね。
その方たちは挙げてらっしゃるけど、ヤムチャさんは挙げてないから。
ここではね。
結構面白いね、そのなんかやりとりがね。
その年代の方たちで、私たちなんかよりも若い年代の方たちばっかりだからね。
令和のね、ほんとにね。
面白いね。
なんかこういう置き換えとかわかりやすく語るみたいなのはね、それこそ深井さんなんかっていうのはあんまり嫌う部分だけどさ、
なんか今のあの話聞いてて思ったのは、なんか音楽とかの話とかとも似てるなって思ってさ、
クラシックとかってさ、もう本当になんか、もういろんな音楽の歴史とかさ、そういうのめっちゃ勉強してさ、
もう本当、こうコンディション一つでも大きく評価が変わるみたいな話とかあるじゃないですか。
そういう堅苦しさを嫌ってさ、そこから自由になったものがロックだと。
ロックだって定義みたいなものもねえみたいな感じでさ、自分がロックだと思ったらロックなんだみたいなさ、
そういう感じで育ってきたみたいなところもあるじゃないですか。
なんか結構そこの話と近いなっていうふうに思ったし、そうイメージするとすげえイメージしやすかった。
たしかにそうだよね。そうやって概念と育っていくみたいなね。
そうだよね。概念を育てるって意味が本当にそんな感じですよ。
そうだよね。だからその、そうだね。
谷川さんはそうやって、最初は概念を雑に扱ってもらって、
どこまでかとか、それは言いすぎだからもうちょっと縮めたほうがいいとか広げたほうがいいとかっていうふうに
遊んでもらいたいみたいなニュアンスで僕は捉えたんですけど、
昨今、わりと令和人文主義という言葉自体がなんとなく炎上気味になっているというところもあって。
そうなんだ。どういう意味で?
令和人文主義っていう言葉とファスト教養みたいなのが、わりとイコールに結ばれつつある感じなんですよ。
はい、お手軽にYouTubeで見て、その気になってる人たちね、みたいな。
確かにガチ勢からしたら、そう言いたくなる気持ちもわかるというか。
浅い意識高い系みたいな、そういうことかな。
そういうことかな。はいはいはいみたいなね。
令和人文主義の普及
お手軽にね、実際本も読んでないのに、その動画を見てわかった気になってる人たちみたいな感じで、
わりとそういう炎上の仕方というか批判が出ていて、それを助長している人たちはどうなんですかみたいな。
でもここに名前出てきてる人たちはプロでちゃんとやってる人たちだからね。哲学者とか評論家とかさ。
だからその人たちを主義者というんじゃないの?その令和人文主義者というのはね。
谷川さんが挙げた人たちだけじゃなくなっちゃってるわけですよ。
ある意味本当に雑に令和人文主義が広がりすぎていて、
もはやその批判をしている人たちからすると、たぶんもっと広がってんじゃないのかなと思うんですよね。
その人たちの定義に誰が入ってるのかは知らないですけど。
誰かって挙げるとあれだけど、YouTube大学とかああいうのとかさ。中田敦彦さんのとかさ。
炎上しやすそうじゃないですか。言いやすそうだしみたいな。
そういう見て満足してるのねみたいな風になっていってるみたいなところもあって。
でもそれも含めて、おもろみたいな感じで見てるんですけど。
ちゃんと炎上してってるってことは、この概念が広がっていって育ってってるんだこれみたいな。
確かにそうだよね。
めっちゃすごいね。
私谷川さん結構ずっとフライヤーのブックキャンプっていうのの講座も受けてるぐらいで、
お話いろいろ聞いたりとかしてる人で、若いからいろいろ迷いながらも、
本当に哲学者と名乗ることさえも、たぶんすごく、哲学者って名乗ることさえ。
あえて哲学者って名乗ってるんですよね。
哲学研究者とか、哲学の学者というわけじゃありませんと。
私は本物の哲学者ですみたいな。
そこもすごいこだわりがあって、結構見た目とかすごいふんわりしてて、結構いろいろ話も今までも聞いてるんだけど、
オンラインとかでも。
でもすごくふんわりしてるんだけど、やっぱりね、なんか尖ってるものがあるのよね。
話聞いてると、どうしても伝えたいものみたいのが、まだ私もよくわかってないんだけど、結構私は彼の本持ってて、
あとで見せるけど、感動した。
谷川さんがそれを言い始めて炎上してるのって、みんなが気にしてるってことじゃん。
そうそう。本当に。
めっちゃすごい。
批判を恐れ、有名になったら絶対批判出てくるに決まってるからね。
それなりに広がったっていう証でもあるし、その概念が。
それにとりあえず雑でいいから使ってくれみたいな感じで言ってるっていうのもさ、
要はそれでもっと広がってほしいよみたいな話があるわけなんでさ、
広がれば広がるだけうぞうむぞうが増えるからクオリティは当然下がるっていうのはわかるけど、
でもそれもやっぱり意図して覚悟してのことなんじゃないかなって気も、ちょっと今聞いてて思った。
それをだから、私はヤムチャさんとか面白いからよく読んでるからノートとか、
それで谷川さんのも読んでるし課金して読んでたから、全部は読めてないんだけどいっぱい出てくるから、
お二人ともすごく真面目に書いてらっしゃるの。
でもヤムチャさんユーモアがあるの。
だって多分哲学者とは名乗ってないし、多分大学で教えてたりとかしないじゃん。
だけど谷川さん大学の先生とかやってるし、やっぱり責任があるよね。
だから多分もっとおちゃらけて話しちゃったりとかしてもいいじゃんとかってちょっと思っちゃったりするの、谷川さんとかは。
だけどやっぱり違うよね、その表現の仕方が。
両方私は面白いっていうか、すごい興味深く読ませてもらってるんだけど。
立ち位置とかあるよねとか思って。
若手哲学者の視点
おもろいね。
そうね。
あとは何だっけな。
こみねひずみさんっていう、この人もいろんな本を書いてる人なんですけど、
比較的若い著述家みたいな方なんですけど、
この人がガチで、令和人文主義に異論ありっていうノートを書いていて。
ガチガチの学術的にというか、いろんな視点で分析してみたいな感じなんですけど。
すげえ長いんで、僕も全部はちゃんと読んでないんですけど、
ザーッと読んだ感じ、なんというか。
この人ね、たぶん、いわゆる左翼の人なんですよ。
なんというか、資本主義とかにあんまり乗っかりすぎると危ないよっていうことを、
いろんな著書の中で言ってらっしゃるんだと思うんです。
僕もちょっと読んだことないんで、なんとも言えないんですけど。
その中で、今の令和人文主義の人たちって、ビジネスパーソンに向けて発信してるでしょ。
それは市民社会を育てるみたいなふうにはなかなかならなくて、
結局ビジネスパーソンに地位を与えて、資本主義の強化になっていってしまうという構造的な危険性があるよね、みたいなのとか。
あとはやっぱり、最近の令和人文主義の人たちは政治について語らないから、市民社会が育たないというか、
今までの過去の人文とか教養とかを大事にしてた人たちは、まず政治ということを全面的に語っていて、
そこを大事にしていたのに、そこをやらないと、それこそ地のつまみ食いみたいな感じになっていってしまい、
政治的議論の重要性
自分たちの社会を良くするみたいなことにはつながらないみたいなことを、おそらく言いたいんじゃないのかなって僕は解釈したって感じです。
まあまあ、ごもっともなのかもしれないけどさ。
そういう批判をする人っていうところに対してはちょっと思うところっていうのはさ、なんかそれこそ歴史を見てりゃ、
とりあえず転がるところなんて誰もわからんじゃないですか。しかも今の概念的な話の部分で言ったら、さっきのロックンロールっていうところもそうだしさ、
なんかちょっと別の似たもので言うとさ、宗教とかでもさ、すごい修行しなきゃいけないようなものだったのがさ、
民衆にももっとわかってほしいからっていうことで生身たぶつ唱えたらさ、極楽にいけるみたいな、わかりやすいとか出たわけじゃないですかね。
ファスト教養だよね。
ですよね。別にそれは多分当時のさ、そういう修行してる系の坊さんたちからはめちゃくちゃ批判は出たのかもしれないけれども、
でもなんかそれによって社会が何か悪い方向に行ったのかって言ったらさ、別に長い目で見たときにおかしな方向に行ってるふうには見えないし、
まあそれも一つの文化みたいな感じになってるしさ。そういう、いやまあ批判をするのはいいと思うんだけど、
でもそれを、例えばじゃあ今のこの潮流を止めろみたいな感じで言ってるんだとしたら、なんかちょっとそれは、
ちょっとそれもまた傲慢じゃないかなっていう気もしない。やってみることを否定するみたいな感じ。
ああ、そうね。えっと、小峰さんは否定まではしてなかったと思いますね。
なるほどね。
なんかまあ面白い試みだなみたいなふうには言っていたと思うし、なんかまあ今後それによって社会がどうなるのかなみたいな。
なるほどね。
今まではでもこうだったよねっていう、でもこういう面も大事だよねみたいな。
だから、小峰さんが前提としてる人がちょっといまいちわからないので、
誰をちょっと危ないとか思ってるのかっていうのがわからないんですけど、
なかなかこのままいくと潮流としては慎重になったほうがいいんじゃないかなっていう警鐘を鳴らしていくみたいな感じかなとは思いますね。
まあまあ多分そうだよね。
反対意見を出すっていうことは、反対のふうに思ってる方々っていうところに対して共感を求めるっていうところとか、
同じように思ってる人たちがいらっしゃるとか、
令和人文主義を見てる中の方とかでも違和感抱いてる方とかの一つ継承になればなっていうか、
別の視点で捉えてくれればなみたいな意味合いになるかもしれないですね、確かに。
そうですね。
まあまあ僕らは本当にその令和人文主義をめちゃくちゃ享受してるなという感じを僕自身は思っているので、
自分自身でもいろいろ歴史を調べたりとかしながら、
その調べたものを学者先生が書いた本を読んで、それを自分の言葉で伝えるみたいな。
うわ、まさに谷川さんが言ってるムーブメントを自分自身もやってるかもしれんみたいな感じも思ったので。
この概念がどこまで育っていくのかとかも楽しみだなって感じもしますし。
なるほどね。面白いね。
こんな面白い話してて、一番その話聞きたい知りたいって言ってたものが緊急事態につき今離席中っていうね。
そうですね。
かわいそうに。何があったのかちょっとわかんないですけど。
わかんないですけどね。
大変なことじゃなければいいなって感じでございますけれども。
なるほどね。帰ってきた。
おかえりなさい。まだおかえりなさいじゃない?
ごめんね。
全然?大丈夫ですか?
止めちゃってる?今大丈夫?
止めてない止めてない。
本当?すいません。お話すいません。全然聞けてなくて今。
いやいや。
大丈夫ですか?
息子が私が作ってあったカレーを温めてたんだけど、なんかスメルがするなと、匂いがするなと思って、消さないで小さくするだけにしちゃって、そのまま45分とか経っちゃってたみたいで、匂いがしたから、えーって思ったら。
焦げ付くか。
すみません。初めてそんな事態になっちゃって。すいません。
誰もが経験したことあると思いますんで大丈夫です。
そうですか?すいません。一通りお話終わっちゃいました?
そうですね。
うーん、そうね。
でも、なんか騒論的なところがあるんじゃない?大丈夫?
騒論的なことか、なんだろうな。確かに小峰さんの批判とかを見て、小峰さんの批判の中には政治的な話をしなさすぎだよね、みたいなとこもあったわけで。
それはちょっとわかる部分もあって、あえて避けすぎだなという感じは、わりとするかなとは思う。
なんか言ってたよね、それトムキ氏もね、どっか民生家かなんかで。
民生家でも言ってるかな。
日本人は本当に政治的な部分についてもっと話すべきだつってね。
そういう話が単純に僕が好きなだけっていうのもあるけど、確かにそういうのが市民社会っていうのを育てるっていう小峰さんの言ってることはすごくわかるなという気もするので。
そういうのも含めて、令和人文主義が育っていくというか。
リベラルってそういうところなのかもしんないよね。
リベラルっていうか、リベラルってどういう意味だっけ。新たなっていうかなんですか。
自由主義ですけど。
自由主義かリベラル。じゃあちょっとイメージ違うけど。
そもそも政治の話をしないだとか、そういうような話とかって、これも日本人の文化みたいなところとか、暗黙のルールみたいな。
あるかもね。
そういうところだと思うんですよね。
そういうのをもっと話していったほうがいいよとかっていうような話って、そもそもやっぱり日本人の根底にある考え方だとか、空気を読むみたいな。
そういうところ自体を少し緩和していこうぜみたいな部分に近いような気がしていて。
なんかもっと議論に対して自由にやろうぜみたいな。
なんかそっち側のような気がちょっとしていて。
だからそうなのかもね。
小峰さんが言いたいのは、過去の人文主義とか教養主義っていうのは、そういうのをもっとちゃんと考えなきゃダメなんだよっていう説教臭さもあったけど、
ちゃんとそういうのを考えてる人たちが考えって言ってたから、説得力もあったし、
本当にそれこそ魂を燃やして命を懸けて、魂の叫びとしてそれを言っていたみたいなところがあったのを、そういう話もせず、
分析として最近はこうですよね、みたいな。
それはまあそうかもね、みたいな。
それはお前の魂の叫びなのか、みたいなのを感じているのかもなとかはちょっと思った。
令和人文主義への批判
もうすいませんね、谷川さんの提唱している令和人文主義に対して、ちょっとアンチテーゼ的な感じのものを書いた小峰さんっていう方の話を。
ノート見てる。
ノート自体はめちゃくちゃ長い。
そうなんだ。
長いっす。
でもすごいよね、これが。
これを真面目に反論するのがすごいと思うしね。
かっこいいよね。
かっこいいよもうね、私。
これだけ労力使って。
そうだよ。
哲学だね。
別に誹謗中傷でもバリ増言でもない、ちゃんとした批判をするという。
言ったじゃん前さ、私が初め全然わからないときにさ、今もわからないけど、悪口と批判は何が違うんですかって聞いてたの覚えてる?
私まだそれもよくわかってないけど、でも最近わかってきたのは批判はやっぱり、なんか批判っていうか、自分の意見とこれは違うっていうことを本当に戦わせてるのが最近やっとわかってきた。
やっぱりだから悪口だなって思っちゃうのもあるけど、読んでると。
だけど今これねパーッと見ると、私ちょっとそんなに早く読めないけど、かっこいいよねこれだけちゃんと裏付けを持って。
でもそれを多分谷川さんも望んでるんじゃないかとかって思っちゃったりして。
なんか書いてあったね。周りがこの騒がしい感じだと今は話せないけど、もうちょっと落ち着いたら話したいですねって。
はいはいはい。
あーそうだよね。
そうかもね。自分はこう思ってんだよねって言っちゃうとそうなっちゃうからね。谷川さんが今言っちゃうとね。
黙ってて偉かったねって誰かが言ったっていう話も書いてあったよね、どっかに。
あーそうなんだ。
でもそれがかっこいいよね。やっぱりさ、なんか私ほんとスポーツと例えちゃうけど、なんか本当になんか我慢比べなのよね。テニスとかだと。
例えば。なんか出し方とかもあるわけじゃん。で本気だから。だから本気だからやっぱここまで書けるっていうのもあるんだ。かっこいいよね。
最近そっちのテニスのやっぱここでこのショットだよねっていうのが、やっぱりこの本気の人の書いてることを読むと、なんか重いなって全部理解できてないけど思います。
なんか今のももさんの話を聞いて、小峰さんがまさに悪口論っていう本を書いてるんですよ。
えー。
ちょっとすげー読んでみたいなって思いましたね。
ほんとだ。悪口論って書いてある。
でもすごい、やっぱりかっこいい。これだけちゃんと正々堂々と言えるってかっこいいなと思って。
そうだね。
なんかポッドキャストとかでこそこそグチュグチュ言ってる人とかやっぱり聞いちゃうけど。
うちらもそう言っちゃう。
でも私たちは別に戦いを挑んでないっていうか。
はいはいはい、まあそうか。
そうそう、全然なんか理解したいって思ってるだけじゃん。
なんとかして。
こういうのが楽しかったよねみたいな話をしてるけどね。
どういう、うん、なんか知りたいねっていう話だけど、やっぱり。
そうだね。
言い方とかで違いが。
そうなんだね。
正々堂々と批判するみたいなのも含めて、これは人文主義には足りないよみたいなことを言ってるのかもしれない。
世代間のギャップと若者の課題
あ、そうなんだ。
わかんないですけど、そのスタンスも含め。
そういうのあるよね、ちょっとね。
あるかもしれないよね、確かに。
若い子たちにグジュグジュ感があるなっていうのは、なんとなくこういう大人、おばさん的に言うと、ぶつかってこいよみたいなのはあるのかもしれないね。
あるのかもしれない。
もしかしたらわかんないけど。
コンビネーションさん自身も若いとは思うんだけどね、多分。
そうなんだ。
相当若いんじゃないかなと思うけど。
それこそね、ストレングスファインダーのアッキーさんとこの間飲んだけどさ、最近の日本人の特性、若い子たちの特性でめちゃくちゃ上に現れるのが、
昭和性と親密性っていうのがめっちゃ上に現れるって言ってましたね。
人と争いたくないみたいなんとか、そういうような意識っていうのがやっぱりすごい。
特に会社員に対して絡んでるからっていうのもあるんでしょうけど、もうその辺の特性っていうのが上の方にめっちゃ出てくるって言ってて、やっぱそのグジュグジュ感みたいなもんさんが出てくるっていうのは。
ごめんね、言葉が足りなくて。
まあでも、立ってんなっていうか、実際その体感として実際そういうのを感じてらっしゃる方っていうのもいるよなっていうのはありますよね。
でも怖すぎるのよね、多分なんか。
ぶつかるのがね。
ぶつかり方もわからないし、表現の仕方がわからないっていうのもあるんだろうし、調和をしなきゃいけないみたいな脅迫関連みたいなのもあるのかもしれないし。
逆に価値観が多様化しすぎちゃっているし、コンテンツみたいなものっていうのに関しても、
みんな同じものを見るみたいなのっていうのもほぼほぼないみたいな感じじゃないですか。
身近なところではね。オンライン上とかではそういうので集まったりっていうのはあると思うけど。
そうなってくると、そこのところで、今の価値観的な部分の話で言っても、
なんか他の人が好きみたいなところっていうのに対してヘダに突っ込むと揉めるみたいなのっていうのを、
体感的にわかってるんじゃないかなっていう気もする。
そりゃそう。それはそう。
お客さんたちは結局それをわからずにズカズカ行くから嫌われるのよ。
まあそうだね。それはそうだわ。
老害、老害の一秘策ってことですね。
そうなんだろうな。確かにな。
こんなのも知らねえのかとかね、言っちゃうみたいなね。
そこまで露骨に最近言う老人もいないかもしれないけれども、でもなんかね、あるよね、そういう。
今の子はそういうのも知らないんだなあ。やっぱりカルチャーギャップ、ジェネレーションギャップ感じるわーっつって。
別に何らおかしいことは今この老人も言ってないんだけど、でもなんか若者にとってはちょっとプレッシャーにかかっちゃうみたいな。
そうだよね。そりゃそうでしょみたいなね。
でも上のその人たちの方がよっぽど何もわかってないとかっていうこともあったりするから。
すごいむずいよ。話が通じないなっていうことが結構最近よくわかってきて。
話、わかってきてっていうか、話ってこんなに通じないんだなっていうか、なんていうのかな。
価値観の多様性と教育の重要性
なんていうのかな、なんか本当に話をしなければいけないときに、
本当になんか今までだったら経済成長のためっていうのってすごく簡単なことだったんだなって思ってて。
目標がね。目標目的。
めっちゃわかるそれ。
それはあまりよくわかりあえてなくてもできちゃってたんだなっていうのがあって。
めっちゃわかる。
今本当に何か、あの価値観とかが違うと、同じ方向に進めない感がめちゃくちゃあって、
でもそれを何か納得するには、
同じだなって思うときまでの話がみんな多分そこまで考えてないから、考える癖をつけられてないから、やっぱり教育とかで。
だからなんかすごく大変だなって最近すごく思ってて。
平和な、でもそれ一つの平和の時に訪れる、それも歴史的な再現性のある出来事な気がしますけどね。
確かにな。
経済成長とか戦争とか一緒かもね。
やっぱりね、平和な時代が来ると少子化になるだとか、
大敗的な感じになっていくだとか、
人に対してあんまり興味をみんな持たなくなっていくみたいなんとかっていうのは、
なんかやっぱり江戸時代とかローマの市民たちの話とかからでもなんか読み取れる部分ってあるような気がするんですよね。
そういう大敗的な停滞感というのが限界に達した、もしくは外圧とかがあった時に、
政府に対してすげえ不満が爆発して、そこを倒すみたいな動きが出てきたりとか。
それを政府倒して、また新たな成長フェーズになれば成長の方向にみんな向かっていくんで、
一つの方向で成長していくみたいな感じになり、
そしてまた平和になったら停滞感が起こるみたいな。
そうね。
戦後の復興期みたいな状態。
平成に入る直前ぐらいまでは本当に単一価値観でいけたけれども、
やっぱ平成入ってからだんだんその辺の歪みみたいなのが出てきてるよなっていうのは、
ちょっと思うところはありますね、確かに。
すいません、これはファスト教養的な知識ですいません、本当に。
まじでこういうのだろうな、多分ね、批判されるのって。
いや、そうなのかな。
そうなのかな。
別にそれは自分で考えて言った言葉だから、ファスト教養とは全然違うと思うんですけどね。
それ以上の深い話は別にできないわけで、
数字とかエビデンスを持って話すことはできないわけなんで、こういうのかなと思っちゃったんですけど。
いや、たぶん違うと思います。
読んだ本をさっくり説明します、みたいな。5分でわかりやすく、みたいな。
そういう系ですよ。
わかんないけど。
でもそれが必要だったのよ、経済成長をしたいときの日本にはファスト教養が必要だったのよ。
だからそれがいいのかなっていうのがまだそのまま続いちゃってるっていうのはあるよね。
本当は私たちのときに超必要だったのよ、YouTube大学とか。
めちゃくちゃ必要だったのよ。
でもなかったじゃん、インターネットで。
みんなだから一生懸命その頃実用書とか、たぶん半年経ったら全然使えないような実用書がいっぱい出てて、
それで一生懸命読んでたのよ、みんな。
どうすればいいのか、みたいな。
でもその頃はまだそんなにこんな情報型みたいに言われたことなかったし、私とかが20代のときとかは。
経済もまだ一応バブルは弾けちゃってたけど、まだ頑張ればなんとかなるみたいな、
24時間働けますか、みたいな言ってたときだからさ、
じゃあ24時間働くためにはどうしたらいいんだろう、みたいなことを考えたり、
24時間働けばなんとかなると思ってたから。
だからファスト教養は今はそんなに必要ないはずなのに、
違う、それが必要なものじゃないはずなんだけど、
やっぱりまだその名残が残っちゃってるっていうのはあるのかなとか思っちゃったりする。
なるほど。
それを信じてる人たちが多いのかもしれないね。
なるほどね。
まだ、まだ。
その令和人文主義のコアに名前が出てる人たち、
深井さんぐらいしか知らないけど、深井さんなんてあれじゃないですか、
もう自分で誇り持ってる感じで、
もう僕めっちゃ勉強してるんで、学畜生のごとく言ってるじゃないですか。
だからそういう発信者は別にそういうふうな、
もう本当に教養っていうところに関しては気使っていろいろやってるし言ってるけども、
捉えて側のところがやっぱり簡単、
とりあえずそれを知っておけばなんか語れちゃうとか、
なんかそれをこう表面上のところだけ捉えてひけらかしちゃうとか。
そうね。
捉えて側のやっぱり問題だよなって。
アベラブルだからだよね。
そうそう。
使いやすいし。
使いやすいし。
なんか、僕でもわかったって気になっちゃうみたいなのを含め、
危ないよみたいなね、そういう傾向なのかもねっていう気はする。
その伝えて側は本当にわかりやすく頑張って伝えようとしているっていうだけなんだけど。
でもさ、なんかその表面的なところかもしれないけれどもさ、
例えばコテンラジオを聞いてさ、これめっちゃ面白かったよね、
こういう話あるよねみたいな感じでさ、
初めて聞いた人がさ、お便り送ってきたりとかさ、
コミュニティでそういうのを同意を求めてさ、やり合うみたいなさ、
なんかそれだってまさにフィロソフィーじゃねえかなっていう気がするんだよね。
三宅加穂と炎上
それをやっぱ、その火種を止めてしまうみたいな感覚っていうのもちょっとやっぱり違和感感じるよなっていう気もするし。
そうだね。
難しいね。主義主張って難しいよ、本当に。
だからなんか、一昔前の教養を重んじるみたいなので、
主に担い手がアカデミズムの人たちしかいないぐらいの感じ。
あとは評論家というか諸評家みたいな人たち。
そこが今、三宅加穂さんになっていて、
三宅加穂さん自身もちょっと炎上してるみたいなところもあって、
それで諸評家名乗るなよみたいなことを言ってる人たちとかもいるわけですよ、
おじさん連中が。
ルサンチマンでしかねえだろみたいなふうに思うわけですけども。
ガチでやってる人たちしか担い手がいなかったのが、
ちゃんとこっちが今広がってきたからこそ、
それこそだって大卒の人たちとかがだんだん増えてきたからこうなってるわけじゃんとかっていうだけなんじゃねえのみたいな。
それはだんだん広がってきて、語れる人たちが増えてきて、
その需要もあってて、
すごい、これはいいことなんじゃないんですかみたいな感じはしなくはないんですけども。
三宅加穂さんが人気だからみんな嫉妬してるでしょ。
嫉妬してる。
話が下手っぴなおじちゃんとかが面白くないとか。
だって三宅加穂ちゃん可愛らしいし、
こういうルッキ図むの言っちゃいけないかもしれないけど、
やっぱりいろんなところに出てて。
彼女の話も私も結構いろんなところ、オンラインで聞いたりとかしてるけど、
気合入ってるから本当かっこいいのよ、本当に言ってることが。
自分がどういうところが足りないかとかっていうことも、
ちゃんと聞けばいろんなところで言ってるから、
だけど言わなきゃいけないことがあるんですって言ってるから、
かっこよ、みたいな。
もう怖いだろうけど、
多分めちゃくちゃ勇気を出して言ってると思うし、
と思ったりするんだけど。
炎上が絡み合ってるんですよ。
哲学の役割
三宅加穂さんと令和人文主義の炎上みたいなのが、
絡み合ってみたいな。
でも嬉しいんじゃない?
たぶん力かけたところに炎上してるんだから、
燃えてるほうがいいんじゃないの?
そういう人たちはもしかしたら。
人間そこまでやっぱり強くないっていうかさ、
はためから見たらさ、
そんなノイジーマイノリティなんてほっとけよって、
見なきゃいいだけのことじゃんって思うけど、
でもやっぱそれを仕事にしている人たちにとっては、
やっぱり見てしまうし、
見たらやっぱり悪意向けられるって、
とても人間きついですからね。
そうだよ。
僕も仕事とかで悪意向けられるみたいなのって、
別に冷静に考えればほっとけばいいのにっていう感じなんですけど、
やっぱ向けられるととても痛いですよね、心が。
そうだよね。本当に削られるよね。
でも戦ってると思う。
三宅嘉穂さんとか本当にたぶんすごい、
たぶんこれは女性だからという問題とか、
若いからとかっていう問題とかにね、
すごくあると思うんだけど、
そういうの想像してて、
めちゃくちゃなんかやっぱ、
そのいいところと、
たぶんまだ未熟なところが、
他の方からすればあるのだろうけれども、
だろうけどね。
でもまずはいいところからいかないでしょうかね、
伸ばしていくみたいなことを考えないですかね、
とか思っちゃうけど、
もし批判とかすごいしてる人がいるんだったら。
あなたが読めなかった読み方をできてるでしょう、
彼女はっていうのとかね。
めちゃそう。そうそうそうそう。
とか思っちゃうけど、わからないけど、
ごめん、全然違う話してた?
いやいや、してないですよ。
本筋ですけどね。
でもすごいわかってきた、
なんか哲学の昔からの歴史が、
この討論みたいな、
討論って言っていいのかな。
そういうので、
本当に魂を燃やすっていうのを、
ノートミ先生がどっかで言ってて、
わかんない、違う、
それはノートミ先生が言ったんじゃなくて、
ソクラテスが言った?
ソクラテスあたりは言いますよね。
言ってたの?なんかよくわかんないけど。
哲学はね、死に向かう練習なんで。
それもよくわかんないんだけど。
死に向かう練習なんて誰が言ったの、そんなこと。
ソクラテスです。死への練習みたいな。
死への何を練習するの?
いやだから、
鍛錬ってこと?
鍛錬、そう。
死を乗り越えられるんですよ、哲学制は。
いやなんだけど、怖いんだけど。
まあでも乗り越えたほうが怖くないじゃないですか。
じゃあもう二人はいいかもしれないけど、
私はまだ怖いよ。
救ってくれるわけ、これ。
そうそうそうそう、救ってくれる。
死への恐怖ごとき乗り越えられる。
魂を燃やせば。
魂を燃やせば、哲学すれば。
魂を燃やすイコール哲学するかもしれないですね。
よく生きるかもしれないし。
どこに魂があるかもわかんないのに。
そうね、ちょっとスピリチュアルがわからないんで。
ねえ、嫌いだからね。
みすちゃんわかる?今言ってること。
全然わかんない。
全然わかんないけど、わかったような気になってみるっていう、
ファスト教養的な発想で言いますか。
いやでもまあだから、確かに本当に、
令和人文主義という概念、言葉を紡いだことにより、
新たな哲学が始まっているというか、
現代で討論が始まって、
令和人文主義をあえて否定するとかね。
令和人文主義の展望
めっちゃワクワクした。
さらにそれにかぶせてくる概念とかも出てくるかもしれないし、
レッテル割りみたいのも始まってるわけですよね。
令和人文主義はファスト教養でしょ、みたいな。
そういうタグみたいのがいっぱいついていき、みたいな。
楽しみですよ。
それはもうストリートファイターズじゃないよね。
ストリートファイターみたいなもんだよね。
そうだね。本当だわ。
俺より強いやつにあいにくですわ。
たぶん。みんななんかお勉強できる、
なんかぼんやりした感じかもしれないけど、見た目は。
中身は燃えてるのよ、あの人たち。
燃えてるんだろうね、確かにね。
じゃないとできないよね。
無理だよ、もう本当。
いっぱい本読んでんだよ、絶対。
だからファスト教養とか言ってるやつ舐めんなって、
本当は絶対心の中で思ってるけど、あえてそれ言わない。
相手にしないと思う、たぶん。
同じその場に、
なんていうの?
何?ほら。
ちょっと今出てこない。レスリングとかするとか。
レスリングね、同じリングに立ってない。
だろうね。
そういうことだよね、結局ね。
そんなやつらを相手にしてもしょうがないってことだよね。
かっこよ。
でも、そういううぞうむぞうの攻撃はさっきも言ったように、
効きますからね。
深井さんの中ではめっちゃ効いてるから、
まぼろしか言ってるんでしょうけどね。
そうだね。
そういうことか。
だからその辺が面白かったなって、
最近思ったっていう話ですね。
ありがとうございます。
とりあえず1時間喋ったんで、終わりの方に行きますか。
そうですね。
すいません。
いやいや、もうさん途中でね、
ちょっといいところ聞けなかったんで残念でした。
配信楽しみにしてます。
はい、どうぞ。
またわからなくなる。
また、もう何を、
締めるのもうさんっていうことを忘れてるね、完全に。
忘れてますね、ほんとに。
結構酔っ払ってるよね、もうさん今日。
酔っ払ってないわよ。
そうかな。
ほんとボケてるだけだから、
あと5年もすると何言ってるかわからなくなるから、
気をつけて、ほんとに。
もうね、自分に自信がなくなってきたから最近。
なるほど。
何も。
いいですか。
じゃあ今日も最後までテツセカお聞きいただきありがとうございました。
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いつも感想いただく皆様、本当にありがとうございます。
ありがとうございます。
でもなんかさ、さっきリングに立ったら、
あれって話ありましたけど、
そもそも哲学って昔からね、
お互いの論を批判し合うみたいなのが、
結構あるじゃないですか。
論爆するみたいな。
反爆するとかさ。
あるけどもさ、
なんかね、
それって人の営みとしていいことではあるのかもしれないけどもさ、
でもなんか、どうなんだろうなとも思う部分も。
そうね、確かにこう、
やっぱウェルビーングじゃないというか、
エピクロスとかはさ、
多分そこから逃げたんですよ。
あー、なるほど。
政治とかから逃げて、
これもレッテル割りだけど快楽主義という。
そうだよね。
快楽とは何かっていうのを自分で徹底的に、
突き詰めたっていう哲学のあり方も、
絶対あったはずなんだけど、
やっぱりストア派の方が主流になってしまい、
それが哲学なんだっていう、
なんというかね、
流れに、やっぱりメインはそっちになっちゃってるよねーっていう感じはしますね。
そうかー。
なんかエベレストに登る人が生えないのと同じだよね。
そうね。
いるかもしんないのにさ。
まあそうね、そうかもね。
痛いほうがいい人もいるってことよね。
まあそうだね。
痛い人がいるのはいいんだけどもさ、
別に痛い人がいてもさ、
痛くないのがいい人もいてもさ、
いいじゃんっていう感じがするわけよ。
発信だけしたい人もいるし、
それを別に論爆されたいわけじゃないんだよなーという人もいるだろうし。
それはそれで不健全なのかね。
人は人っていう感じで、
自分の見たいものだけを見るみたいなのっていうのがさ、
それが人間にとって幸せなんですかみたいなさ、
そういうところの考えに立つ人もいるし、
なんとなくそれをわかるような気がするから。
そう言われるとね。
そうするとやっぱり批判みたいなのも健全なものなのかなっていう気もしつつ、
でもなんかそんなふうに、
別に一生交わらないでいる道でもいいじゃんっていうふうに思ったりもするし。
確かに。
難しいし、
僕は本当にそういうのがあったら、
もうほんとすぐ引きこもりなくなっちゃう人間なんで。
そうですね。
でもめっちゃ戦いを挑んでる感じの、
みんなね、そういう感じにも見えるもんね。
挑んでるよね、やっぱりね。
ちょっと楽しみですね。
ストリートファイターだから。
平和人文主義というリングというかステージというか、
そこでどう戦うのか。
でもみんなかっこいいよ、本当に。
本当にそれぞれがすごい、それぞれの人のやり方で表現してる。
令和人文主義の理念
令和的な戦い方をしてるんですよね、なんかね。
そうなんだ。
SNSでバリ雑言的なのを浴びせる人もいるけど、
小峰さんみたいなバリ雑言じゃない批判というのをちゃんとするというのも、
令和的な振る舞いな気がするんですよね、やっぱり。
かっこいいわ。
だからそれも含めての令和人文主義なんじゃねえのかな、みたいなね。
なるほどね。
すごい、これはちゃんと残しといて、
トモキの論だから、トモキ論として世に残るかもしれないし。
人間ね、やっぱりリングの上に上がって戦うみたいなの好きなんですよね、周りの人もね。
ストリートファイターを観戦するのもみんな好きな人も多いし。
観戦する人ね、ほとんどね。
そういうこうやって血を戦わせ合ってる人たちを観戦するっていうのをまた、
エンタメとして見てる人たちっていうのも、
確かに僕はそう見ちゃってるかなって感じしますね。
好みだな、色がね、そういうの。
いや、テツセカっぽいわ、これ。
よかった、すみませんね。
いろいろ考えさせられる回でした、ほんとに。
また続令和人文主義やりましょう。
確かにあるかもね。
未来への展望
どうなるかね。
また谷川さんが何か発言したりとかね、ありそうだし。
素晴らしい。
パンチみたいなね、なんかパンチしてるのよ。
カウンターパンチを。
そうそう。
ちょっと読み取れないところがちょっと残念なんだけど、
あと5年も経ったら何とかなるわよって、
そのうちに目が見えなくなってるかもしれないけど。
いいでしょう。
頑張りましょう。
頑張りましょう。
はい、じゃあ終わります。
ありがとうございました。
ありがとうございました。