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絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが日々の絶望と些細なヒントをお送りするラジオです。
最近の絶望は体重増加です。さて今回はですね、深く考えている人は深く感じている人というお話をしていきたいなと思っております。
これの言葉ですね、実は今年の、去年のか、ボイシーフェスで渡川和人さんがおっしゃっていたんですよね。
その言葉が非常に印象に残っていて、まあボイシーフェス以外でも渡川さんはこういうお話しされていますので、まあいいかなと思ってお話していきたいと思うんですが、それを着想的にですね、
ウィット原子体の言語ゲームにつなげてお話していきたいと思っています。 さてでは渡川さんどんなふうにこの深く考えている人は深く感じている人っていう言葉を使ったかというとですね、
まず思考と感性は限りなく近いっていうふうにおっしゃっていたんですよね。 つまり深く感じている人は深く考えている人になると。
むしろあの皆さんが想像している論理的だとか、論理的思考力があるっていうのは訓練でどうにでもなると。
そんなことよりも重要なのは感性を磨くこと、そして感じること。 だから感性をもとに非論理的に喋れる人はもうすでに天才なのです。
っていうふうにおっしゃっていて。 つまりまあ天才であり、そこから訓練をすることによって論理的に喋れることも可能だし、
だから感性を磨いていることが何よりも重要なのだっていうふうにおっしゃっていたと僕は認識しています。
ではその感性をどうやって磨いたらいいんだろうかっていうことを考えた時にですね、
先ほどお伝えしたウィトゲンシュタインの言語ゲームに着想的に結びついたんですよね。
でこのウィトゲンシュタインの言語ゲームっていうのは前回のお話しした 近渕佑太さんの世界は雑魚でできているという本の中で出てきます。
この言語ゲーム、平たく言うと私たちの言語コミュニケーションはすべてこのゲームによって成り立っている。
ゲームのルールが存在し、私たちが共通のルールを認識することによって成り立っている。
なんとなくわかるような気がしますよね。 例えばスマホという言葉をとっても、
なんとなくこのスマホってこういうものだって私たちは認識しているからこそお互いに共通認識があって、
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それを取ってって言ったら取ってこれるし、それは正しいとか正しくないというわけではなくて、
そこにいる2人のコミュニケーションにとって何か共通のルールがあって、
そこのゲームを2人でやっているんだと。 それを言語ゲームと言うと言っているんですよね。
つまり僕らの生活のすべてはこの言語ゲームの中にあって、そのゲームから切り離された言葉というものは存在しない。
というふうにも内川内さんは言っています。 つまり僕らはこの言語ゲームの中に閉じ込められていると。
そして僕らが他者を理解できないのはその人の言語ゲームが見えないからというふうに言っているんですよね。
そこで本書の中ではなるべく 相手の言語ゲーム、そのルールを見ることによって
雑用の受け取りになれる、そんなお話がされています。 まあ簡単に言うと相手が何を言っているのかを理解しようと
する。そしてその想像力を働かせることによってその言葉の 意味を
意味以上なものをまあ想像するということですよね。 行動や言動のその裏にある何かを想像する。
そういうことによって雑用を受け取る。 そんなことってあるような気がします。
そしてここからまた感性の話に戻っていきたいと思うんですが そういうふうに考えるとですね
感性を磨くということは 特定の言語ゲームを
面白がる、踊りたくなる、そんな言語ゲームを一つだけ見つけて そこを深く掘っていくっていうことなのかなっていうふうにも思うんですよね。
例えば僕は長らくスポーツの領域にいたので そのスポーツを通して
自己との対話、言語ゲームをする。 トレーナーさんと言語ゲームをする。
で その言葉にできない領域まで
感覚を掘り下げていく。なんかそこに面白みを感じていく。 あたかさんの言葉を借りるならそこに知性のようなものが存在してくる。
なんかそういうことなのかなというふうに思ったんですよね。 だから僕たちが
感覚、感性を磨くっていうのは自分が踊りたくなるような 言語ゲームを見つけることなのかもしれないなっていうふうにも思うんですよね。
確かにそこ、そのゲームを織りない。 その中でいろんな方とのコミュニケーションを円滑にしていく。
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造詣を受け取るっていうことは大事だけれども 自分がここを掘っていきたいって思う言語ゲームを掘っていく。
そこを一つだけ極めていく。なんかそこに やっぱりその人の魅力っていうものがあるんじゃないかなというふうに思いました。
そしてこれは人に対しても同じですよね。 ある人が使っている言葉、
熱量、コンテンツもそうですし、それが自分にとって心地が良いとか なんとなく自分にとって良いものだと感じる。
そこに深く関わろうとする、聞こうとする、読もうとする。 そういうことによって自分の感性っていうものも
事後的に磨かれていくんだろうなというふうに思ったりするんですよね。 そう考えると自分はこれが好きとかこのコンテンツが好きっていうのを
一つ言語化してみるっていうのはある種一つの言語ゲームを 一緒になってやっているっていうことなのかもしれないですね。
はい、というわけで今後も面白いなぁと思える
まあその言語ゲームについて自分なりに言語化をしていくっていうことを この音声配信ではしていきたいなというふうに改めて思いました。
というわけで今回は深く考えている人は深く感じている人というお話をさせて いただきました。
最後までお聞きくださりありがとうございました。ではまた。