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2024-04-21 10:17

#58 やればできる!への違和感と日本的マゾヒズム

働かないニッポン(河合薫)/ビジネスにおけるマゾヒズム的構造は日本の部活動にも通じる/結果の裏にある構造/
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サマリー

この番組は、元アスリートのカフカが日々の絶望と些細なヒントをお届けしています。最近の絶望は、やればできると感じています。今回は、やればできるへの違和感と日本的マゾヒズムについてお話しします。

絶望カフカの何者かになりたいラジオ
絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが日々の絶望と 些細なヒントをお送りするラジオです。
最近の絶望は、やればできるです。 さて今回はですね、やればできるへの違和感と日本的マゾヒズムというお話をしていきたいなと思っております。
このやればできるってすごくいい言葉だと言われますよね。 自分にとって難しい課題があったとしても、
まあ自分自身、 自己肯定感が下がっている時でもやればできるんだと、自分を鼓舞させてその難しい課題に取り組んで何とか課題を達成する
みたいなサクセスストーリーってあると思うんですけど、 本当にやればできるのっていうところの違和感を、
まあ僕自身スポーツの経験から感じる時ってあるんですよね。 それをビジネスの領域で
あーなるほどと言語化してくれる本がありましたので、 そちらを紹介しながらこの僕の違和感を
ご説明していきたいなと思っています。 では今回のご紹介する本は、働かない日本という
なかなかパワーワードの本なんですけど、 河合香織さんが書かれた本ですね。
この本は今日本人は働く意欲を失っている人がとても多いと、 その理由は日本の構造的な問題にあるんじゃないかなというところで河合さんが
その構造を解き明かしていっている本になります。 こちらの本なんですが
まあなかなか その強い言葉がいろいろあのキーワードとして書かれています。
例えば ジジイという
ワード、まあこの本の中でジジイというのは 年齢のいたおじさんではなくて
性別や年齢に関係なく組織内で権力を持ち、 その権力を組織のために使うのではなく自分のために使う人たちの総称と言ってます。
こういったジジイが日本を悪くしているんだと。 そして
例えば他には一億総モラトリアム社会というキーワードが出てきます。 社会や組織に帰属意識がない人ごとの社会とか
あとは この後説明する日本的マゾヒズムという言葉も出てきますね。
上からの命令で無理難題を押し付けられても次第に理不尽が理不尽でなくなってしまい 逆にそれを望んでしまうような心理状態
まあこんな 日本的マゾヒズムが
いろんな企業に起こっている。そんな風にこの河合さんはおっしゃっているんですよね。 そしてそういうそれを引き起こしているのはある種のジジイなんだと。
で僕はこの本を読んだ時になかなか通列だなぁと思いながらも身近なそのビジネスの組織では ここまでなってないなと思ったりはしているんですが
でもこれってスポーツの教合校では結構あるあるな 世界かもしれないなぁって思いながら読んでたんですよね
それは何かっていうと まあいわゆる教業教合校と呼ばれる学校だとですね
求められる まあ目標が高いと日本一を目指しなさい君たちは
そしてある種の精神主義ですよね その目標に向かってやれば何とかなる
量を積み重ねば何とかなるやる気さえあれば苦しくないと まあ
生徒を鼓舞して そして身を子にして
そして寮をこなしていく生活のすべてをかけてその部活動に臨んでいく それってある種
ノルマを与えられてそのノルマを達成するため身を子にして働く ビジネスパーソンと近いものがあるんじゃないかなぁとも思いますし
それがまあ学生時代から身につかれついてそれがビジネスの世界にも 続いているって考えるとですねなんかすごく恐ろしいなと思ったりするんですよね
やればできるへの違和感と日本的マゾヒズム
例えば皆さんはあんまりこう知らなくて 知らない世界なのかもしれないですけど
僕のいた陸上の長距離の世界でいうと ある種共合校の指導っていうのは私の聞いた話で言うと
まあなかなか凄まじい世界なんだなっていうふうに あのそういうエピソードは数々あるんですよね
例えば 女子の長距離のアスリートにおいては生理がなくなるまで走りなさいと
あとはそれそのぐらいまで体重を絞りなさいと 指導者に言われるみたいな話っていうのは今の時代でも聞いたりするんですよね
まあそんなことあるわけないだろう そんなのダメだろうパワハラだろうって思うじゃないですか
でもあるとかそんな世界があるとかないとかっていう話は時を聞いたりするんですよね
とかまあ体重っていうのは非常に競技力にも影響はしますから みんなの前で体重計に乗らされるとかねそういった世界なんですよねそしてその目標が
クリアしてなければみんなの前で出席をされるみたいなことっていうのがどうやらあるらしいと
でまあそれをクリアしている生徒に対してはまあよくやったなと でまぁもちろん目標をクリアした選手にはよくやったな努力のおかげだなと
である種それは なんていうかな日本的マゾヒズムの
まあ極めて狭いスポーツの世界でも行われているんじゃないかなっていうふうにも思ったり したんですよね
そしてまあそれで結果が出ればまあ報われるけれども結果が出なければ ある種なんていうかなそのやり場のない気持ちをどうにもできなくて
精神を病んでしまうみたいなパターンっていうのは まあなあきにしもっていう感じなんですよね
それがビジネスの世界でも行われているって考えるだけでいややっぱり恐ろしいなと思い ます
本書ではそういった日本的マゾヒズムは実は江戸時代から日本に存在するっていうふうにも 言ってるんですよね
それが明治政府によって戦争中には軍隊によって 上から下への言葉と暴力で権力の恐ろしさを染み込ませてきたと
なんかまだそれが残っているのかというところにある種絶望はしながらも
とはいえやっぱりそれである程度の結果を残してきたという部分においては 認めざるを得ない部分っていうのはあるんだろうなって思うんですよね
徳川の時代から続いてきた あるいは戦争の時代
そしてまあ部活動でもそう 会社でもそう
そういうある種マゾヒズム的な文化構造があることによって 一定の高い結果を収めてこれた
それをまず認めることが大事なのかなって僕は思ったりするんですよね でもその結果っていうのは
目に見えているものだけじゃない その裏にはそういった構造があった
そこまで認めることが大事なのかなと思っていて その上で人の尊厳をないがしろにするようなことを禁止するような
構造だったりルールを決めていくことが重要なのかなというふうには思っています それこそ大罰だったり
いわゆるパーハラセクハラみたいな コンプライアンスをしっかり守るっていうところですよね
日本的マゾヒズムを認めることとモチベーション
そういったことが重要になるのかなというふうに思っています そこからある種その意欲ってまた別のフェーズで生まれてくるのかなというふうにも思っています
この意欲まあ言い換えればモチベーションに関しては 僕自身ずっとぐるぐると考え続けていることなんですけれども
力を生む構造って多分めちゃくちゃいっぱいいろんな構造がある中で そのモチベーションの源泉となるものっていうのを人それぞれ見つけられたらいいよなっていう
ふうには常々思っています 皆さんはどう思いますか日本的マゾヒズムに陥ってないでしょうか
僕は若干そこに片足を踏み入れた経験から今回そんなお話をさせていただきました では最後までお聞きくださりありがとうございましたではまた
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