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2025-07-27 10:44

#155 『文学は何の役に立つのか?』の読書会に参加して。

文学は何の役に立つのか?/平野啓一郎
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サマリー

平野圭一郎の新作『文学は何の役に立つのか』の読書会に参加し、参加者が文学の価値や役立ち方について討論します。特に文学が精神的な安定や自己理解に寄与する可能性が示され、興味深い議論が交わされます。

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絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが、日々の絶望と些細なヒントをお送りするラジオです。
平野圭一郎の新刊紹介
さて今回はですね、平野圭一郎さんの新刊、文学は何の役に立つのかの読書会に参加をしてきまして、
その感想とか本についてですね、ちょっと思うところがあったので、お話をしていきたいなと思っております。
さて平野圭一郎さんといえば、僕もこのスタイルで何回かご紹介させていただいてますが、
諸説家として有名ですし、文人主義という考え方を提唱されている方としても有名ですよね。
文人主義っていうのは、要するに、格なる自分、本当の自分というものは存在せず、
いろんな人間関係の中でいろんな自分が出てくる、例えば家族に対する自分、友達に対する自分、恋人に対する自分、
それぞれの自分というのは違って当たり前だし、その違っている自分というのは分けられている本当の自分なんだっていう考え方ですね。
なので、文人分ける人の主義と書いて文人主義を提唱されておられます。
そんな平野さんがですね、新刊文学は何の役に立つのかというエッセイを出されたんですよね。
この表題が非常にインパクトがあるというか、文学は何の役に立つのか、ちょっとドキッとされる、考えさせるような問いじゃないかなと思います。
実際エッセイ集なので平野さんがこの5年間ぐらいですね、いろんな文芸誌だったり雑誌に出していった論評集のような形で、
いろんな文学、音楽、映画等々に関してお話をされているのがオムニバース形式で載っているようなエッセイ集になっています。
実際読書会でですね平野さん初めてお目にかかって、非常にイメージと違って、
ちょっと外交的な方なのかなという印象をいただきましたね。
もっと内向的な方なのかなっていうイメージだったんですけど、あと思ったより若いっていう印象をいただきました。
平野さんが当日何を語ったのかということについては、ちょっと伏せるとして、
文学の役立ち方
当日はですね、参加者の人とグループワーク形式でこの文学は何の役に立つのか、という本について語っていったんですよね。
その中で非常に面白い議論というか感想を言い合ったりしたんですけど、
やっぱりこのタイトルにもある文学は役に立つの?立たないの?っていうことを中心に話していったかなというふうに思います。
なのでそれについて今回はお話をしていきたいなと思っています。
皆さんは文学を読むこと、それは皆さんにとって役に立っていますでしょうか。
あるいは文学って今あんまり読んでないので、その実感というのはわからないっていうおられる方もいらっしゃるかなと思っています。
当日役に立つってそもそも何なんだろうねっていう話になりました。
例えばAIとかってまさに役に立つっていうものの代表ですよね。
効率化をして課題を解決してくれる。僕もめちゃくちゃ頼っているし、日常的に活用しています。
でも役に立つっていうのは、そういう即座に課題を解決するっていう役立ち方とは違う軸もあるんじゃないかなっていうふうに思っているんですよね。
当日そんな議論にもなりました。つまりゆっくりじわじわと役に立つような役に立ち方というのもあるんじゃないかっていうふうに話していました。
その代表格が文学なのではないかと。
平野さんは本の中でこんなふうに書いているんです。
文学に関しても役に立つかどうかはともかく、価値があるということを何らかの形で表現していくことは重要だと思います。
と同時に、やはり文学は役にも立つのではないかという感じが僕はしています。
最初に言った正気を保つためという非常に重要な意味自体も含めて、こんなふうに平野さんは言ってるんですよね。
この正気を保つためという言葉が僕はすごく強く響いたんですよね。
そのために文学を読むんだって。
ここでいう正気を保つっていうのは一体どういうことなのかなっていうのもちょっと当日みんなで話しました。
例えばこれは社会に適応するためのいわゆる理性みたいなものなのか、
あるいは他人とか雰囲気に押し流されない自分の核みたいなところなのか。
これは例えば先日選挙がありましたけど、そういうメディアとかSNSの情報に踊らされない自分の核みたいなところとかね。
あるいは資本主義社会の中で、成果主義に対する重圧、そこに正気を保つためみたいな部分っていうのはあるのかなって思っています。
で、僕自身はどうかなーって考えたときに、文学は正気を保つために読むものではないって、ちょっと正直平野さんとは違う考え方だなって思いました。
でも僕にとって正気を保つためにルーティンしていることは何かって言ったら、やっぱりそれはランニングなんですよね。
なんかそれは体から整える正気であって、何かこう汗を流すことによって一旦リセットするみたいな感覚が僕の中にはあります。
きっと平野さんの中にも、そういうリセットをするような効果を文学の中に感じておられたのかなっていうふうに想像しました。
それは先ほど言った、まあなんて言うんですかね、実存的なところから一旦離れて、自分の内なる部分、それも自分が意識していない無意識領域の内なる本当の自分の核みたいなところにアクセスをする。
物語を通してアクセスをすることで、なんとか正気を保つことができる。
そんなイメージがあったのかなっていうふうに思います。
加えて先ほどの平野さんの一説、もう一度読みますね。
文学の多様な価値
文学に関しても役に立つかどうかはともかく、価値があるということを何らかの形で表現していくことは重要だと思います。
と同時に、やはり文学は役にも立つのではないかという感じが僕はしています。
ここで言っているのが、役に立つと思いますではなくて、役に立つのではないかという感じが僕はしていますという、何とも歯切れが悪い言い方をされているんですよね。
確実に役に立つというわけではなくて、おそらく役に立つんじゃないかなーっていう言い方ですよね。
それは自分自身に対しても、やっぱり役には立っているが、それは他の人にとって再現性があるのかどうかっていうのはわからない。
そんな立ち位置のようにも聞こえるし、自分に対しても、まあおそらく役に立っているんだろうなっていう、なんか微妙なニュアンスを感じたんですよね。
それが何となく多様な価値観、それを物語の中で感じてきたからこそ出てくる言葉なのかなっていうふうに僕は感じておりました。
その物語の中にはいろんな考えを持つ登場人物が出てきて、それを読めば読むほど自分と共感する、共感しない人物というのが出てくるわけじゃないですか。
そうした時に、やっぱり自分とは違う人間がいるんだということは、肌感として理解できている。
だからこそ、まあ自分とは違うかもしれないけど、まあでもおおよその人間にとっては文学は役に立つのではないか、そう推測するみたいな。
なんとなくそこの資料深い部分というのは、この一文でかやま見えたような気がしています。
なんかね、文学の功用というのはそういう部分にあるんじゃないかなというふうには思ったりはしますね。
人の気持ちがわかるというか、その人間というものをより深く理解できるような気がする、そんなような気が僕はしています。
今回は平野さんの一節について絞って、またその読書会で話したことについてお話をしていったんですが、
この本についてはもっと興味深いところいろいろあったので、それはまた別の機会にお話をできたらいいなというふうに思っています。
というわけで今回は以上になります。最後までお聞きくださりありがとうございました。ではまた。
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