1. 絶望カフカの何者かになりたいラジオ
  2. #27 歴史は勝者が書き換えてい..
2024-02-08 09:10

#27 歴史は勝者が書き換えているので学ぶ意味はない?

「歴史って勝者が書き換えているので、勉強する意味なくないですか?」という問いに対する深井さんの回答から僕が思ったこと。
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絶望カフカの何者かになりたいラジオ。この番組は元アスリートのカフカが日々の絶望と些細なヒントをお送りするラジオです。
最近の絶望は物忘れです。
さて今回はですね、古典の深井龍之介さんのとあるXでのポストから着想を得てお話していきたいと思います。
そのポストというのが昨夜ポストされたのかなと思うんですけど、それに内容について僕自身としてとてもハッとさせられる内容だったんですよね。
なのでそれをご紹介しつつ、それを踏まえて僕はどう思ったのかっていうお話をしていきたいなと思っております。
ではその内容をお伝えしていきたいなと思っています。
こんな内容でした。
よく聞かれるんだけど歴史って勝者が書き換えているので勉強する意味なくないですかという質問を受ける。
気持ちはわかるけど歴史に限らず現代もそうだよ。
会社とか学校とかあなたの身近な周りでもそうだしあなた自身も常に認知で世界を作り続けているよ。
まあこれは哲学的立場によって変わるんだけど。
そもそも真理にしか意味がないわけではなく認知にも意味がある。
というか人間社会にとっては真理より認知が影響力がでかい。
一部抜粋をして今お伝えをしたのでご本人の強調したい部分とはちょっと異なるかもしれないんですけど
自分なりに要約をすると歴史というものは勝者が書き換えているので意味がないのではないかという質問に対して
深井さんとしてそんなことは決してない。
なぜなら勝者だろうが敗者だろうがその情報というのはその人の認知によって作り上げられた情報であり
それを受け取る我々も認知によってその情報を受け取っているから
ファクトに意味があるのではなくて認知に意味があるということが言いたいんだと僕は解釈をしました。
まあそうですよね歴史というと歴史学者の人だったり社会学者の人が積み重ねてきた
ある種の功績というかその学術的に積み重なってそのファクトが作り上げられているという側面はあるにせよ
少なくともそれを受け取る我々の認知というのが大事っていうのはわかるような気がしますよね
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僕は友達に歴史学科に所属されていた友達がいるんですけど
その友達がですね言っていたことがすごく印象に残っていてこのポストを見たときにその言葉を思い出したんですよね
それは何かっていうとまあその研究者という人とかその学生もそうですけど
その勉強を歴史をその専門分野として勉強している人は何をしているかというと
当時の人たちが何を考えどう伝えたかったのかということをできるだけ細かく勉強して分かろうとする
それを文章として残そうとするっていうことをやっているっていうふうに言っていたんですよね
つまりAとEという情報からCを導き出すのではなく
できる限りABDEという多くの情報を集めてCもしくはC'という情報を導き出そうとする
それを研究者はやっているんだっていうふうに言いたかったんだなと僕は理解をしています
そのできる限り情報を集めてできる限り正確にその人が言いたかったことを導き出すってことを
まあ研究者はやっていると
それが僕がその深井さんのポストとどうつながったかっていうとですね
我々は別に歴史の研究者ではないっていうことなんですよね
つまり歴史の研究者はできる限りその認知の歪みのないようなファクトとして
その情報を積み上げてくれていっている
我々も同じことをした方がいいのかって言ったらそんなことはないくてですね
やっぱり認知の歪み
自分は見たいように世界を見るというところで
その情報をできるだけ集めて
自分なりの認知を積み重ねていくっていうことが大事なんだろうなというふうに思ったんですよね
研究者というのはできるだけ正確に歴史を歩み出そうとする
過去の偉人だったり出来事がどう起こったのかっていうのを
できるだけ正確に導き出そうとするという側面はあると思います
私たちが歴史を見るときにそういうことまでした方が良いのかというと
そうではないと僕は思ったんですよね
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深井さんの言う認知という言葉にハッとさせられたんですよね
つまり歴史を学ぶ意義っていうのは
できるだけ積み上げられたある種認知を元に
自分なりの認知っていうのを形成していくことにあるんだなというふうに思ったんですよね
ちょっと認知という言葉が分かりづらいかもしれないんですけど
なんて言うんですかね
認知のグラデーションみたいなものがあるんだなというふうに思ったんですよね
歴史学者が積み重ねてきたものすごい濃い認知
それはある種勝者の認知と言えるのかもしれない
それを見て判断する我々の認知
積み重ねてきたABCDEという認知のうち
AとEしか知らなければ
私たちのその認知っていうのはすごく薄い認知なのかもしれない
ボイシーパーソナリティでもある佐々木敏直さんは
歴史を学ぶ意義っていうのが物事を一面的に見るんじゃなくて
多面的に見る立体的に見るっていうことが大事なんだっていうふうにおっしゃっていて
確かにAとEという場所からしか見なかったら
そんなに立体的には見えないけれども
A B D Eっていう視点から見たら
より立体的に見れますよね
だからなんかいろんなことがつながって自分の中では
自分自身が研究者になる必要はないと思いつつも
やっぱり積み重なってきた
濃い認知であり歴史というのはやっぱり価値があるものだし
それを学ぶ意義っていうのはとてもあるんだろうなっていうふうに
深井さんのツイートポストを見て思ったんですよね
なんか振り返ると
僕自身歴史にあんまり興味が持てなかった経験もあって
すごい不勉強だったなぁと後悔しつつ
今からでもねいろいろ勉強とか
知見を広げるってことはできるので
これからもいろいろ学んでいきたいなって改めて思えたポストでした
深井さんに感謝しております
ということで今回はですね
深井さんのとあるポストをですね参考にお話していきました
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というわけで今回はお聞きくださりありがとうございました
ではまた
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