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絶望カフカの何者かになりたいラジオ。この番組は、モッター3とのカフカが日々の絶望と、些細なヒントをお送りするラジオです。
人生の比喩としてのインターバル走
さて今回はですね、人生は短距離走でも長距離走でもなく、インターバル走だというお話をしていきたいと思います。
まあよく、人生は短距離走ではなく長距離走である、もしくはマラソンである、みたいな表現ってよくされていると思います。
繰り返し使われてきた比喩ですよね。そのニュアンスとしてですね、短距離走って一瞬で終わってしまうから、そこに全ての勝負をかけて
なんかこう、全集中をして、まあそこが全てだ、そこは人生の全てだって思うのは、ちょっと視野が狭くなっているよ。
だったら、もっと淡々と走り続けるのが人生なのではないか、もっとその客観的な視点を持つことが大事なんじゃないか、というニュアンスで
人生はマラソンなのである、という言葉が使われてきているんじゃないかなと思うんですが、
あるあれですね、ペース配分を、まあちょっといきなりアクセルを踏みすぎるのではなくて、スタミナを考えながら自分のペースで、自分のリズムで
走り続けることの方が大事なんだよっていう意味合いがあったと思います。
ただ、僕は言いたい、人生は長距離走でもないのだと、っていうのもですね、
僕は元長距離選手でして、このなんか短距離とか長距離とかいう、ちょっとざっくりした言葉の使い方にですね、ちょっとピクピクッとしてしまうんですね。
めんどくさいやつかもしれないんですが、最後までお聞き下さいさればと思います。
えっと、じゃあ何なのか、人生は何層なのかっていうと、冒頭にもお伝えした通りインターバル層だと思うんですよね。
皆さんインターバル層ってご存知ですか?
まあ何とかのインターバルっていうと、間の時間っていうイメージを、とかそういう意味を
持って使われる方多いと思うんですが、インターバル層っていうのはどういうものかっていうと、まさしくその間に注視したトレーニング方法になってます。
えっと、具体的に言うと、心拍数を一気に上げる区間、
失踪区間とか言ったりするんですけど、心拍数を上げる区間と心拍数を落ち着ける区間、ここも基本的には走り続けるんですけども、
その失踪区間と落ち着ける区間の繰り返しを行うトレーニング方法なんですね。
例えば、陸上競技場は400m なんですけれども、その400m を失踪区間として70秒で走って、
落ち着ける区間で200m を、これまた70秒で、なのでだいぶ遅いペースで走って、そしてまた失踪を400m 走る、みたいなことを交互にやっていくんですよね。
これが開発された当時は、かなり画期的な方法でして、スタミナとスピードを同時に養ったということで、
エミール・ザトペックという選手が、ヘルシーン紀五輪、1952年のオリンピックで、
5000m、10,000m マラソンの参観を成し遂げたということで、非常に有名なエピソードとして描かれています。
長距離選手は今でもインターバル走というのはよく行われてますね。基礎的なメニューとして世界中に広まっています。
僕も現役時代はやってました。 で、何が言いたいかというとですね、
単純に、インターバル走というのは、先ほども言った通り、全力で走って休んで、全力で走って休んで、っていうのではなく、
自分の中の心拍数の負荷、これをある程度上げた中で、
その後、またその心拍数が元の状態に戻るところまで、アイドリングの時間を設け、
その後、また心拍を上げて走る、というずっと繰り返しになるんですよね。
それはまさしく、人生の祝辞なのではないかと、僕は思ったりするんです。
例えば、仕事で言うなら、何か大事なプロジェクトがある時に、そこだけはもうかなりの負荷をかけて、心拍を追い込むような形で、
いろんなリサーチをしたり、資料を作成したり、プレゼンテーションの準備をしたりとか、
そういうところで心拍を上げて、トレーニングをして、それがいざ終わったら、完全に休むのではなくて、
日常の普段のペースに戻して、一旦その心拍が落ちるまで待つ。そういうことって大事なんじゃないかな、って思ったりするんですよね。
そして人間の成長っていうのは基本的には、負荷を与えることと回復させることで成り立っていますし、
このインターバル層で重要なのが、ある種休むこともまたトレーニングだっていうことなんですよね。
インターバル層の肝っていうのは、速い、遅いを交互にやることではなくて、自分にとって、自分の体にとって心臓の鼓動、これが
上がっていくことを認知して、そして自分の鼓動、それが下がっていくことを意識して、その繰り返しなんですよね。
つまりその心拍の上下っていうのは人によって違います。 例えば400メートル70秒で走って心拍が爆上がりする人もいれば、全然上がらない人もいます。
だからその人にとっての正しい負荷を与えて、その人にとっての正しい休養をする、そういうことで心の筋肉というのも育つんじゃないかなと思ったりするんですよね。
だってその長距離走の淡々と続けるイメージだけだと、なんかこう人生の実感、充実感って足りなかったりするじゃないですか。
あるいはマラソンのように3時間サブスリーを目指して、この集中をしていくっていう長距離にも、なんとなく人生というのは
掛け合わせづらいようなイメージが僕の中にはあります。 それよりもある程度全力を出す時期があって、
その後ある程度立て直す時期が交互に来る。 そのリズムをずっと持ち続ける人生っていうのが
まあ面白いんじゃないかなって思ったりするんですよね。
なんかその修羅場的なものはちょっと勘弁だったりするんですけど、負荷をかけ続けるというかね、それは
定期的にストレッチゾーンに行ってみる。 そしてちょっと疲れたらまたコンフォートゾーンに戻ってくる。
それで、ある程度回復したらまたストレッチゾーンに行く、みたいなことなのかもしれません。
はい、いかがだったでしょうか。 走るということが時折メタファーとして使われるんですが、走る中にもいろいろあるよっていう
ちょっと面倒くさいお話をさせていただきました。 まあね、僕はずっと走り続けているんですけれども
時折休養をしながら自分の心拍を休める時間というのも持っていきたいなーって思っております。
というわけで今回は以上になります。最後までお聞きくださりありがとうございました。 ではまた。