映画『インサイド』の概要
絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが、日々の絶望と些細なヒントをお送りするラジオです。
さて今回はですね、インサイドという映画のお話をしていきたいと思います。 久々に
休日、ネットフリックス見まして、インサイドという映画ですね。 こちらの主演がウィレム・デフォーという男性の俳優さんなんですけど、
スパイダーマンのゴブリン役としても知られている有名な俳優さんですね。 ちょっとネタバレを回避しながら話すとですね、
この作品ほぼ一人しか出てきません。 というのも彼が演じるアート泥棒、つまり美術展を家に入って泥棒をしようとする
姿が描かれているんですけど、彼が高級タワーマンションに閉じ込められてしまうんですね。 そして閉じ込められた中で肉体も精神も追い込まれていく姿が描かれていきます。
そんな中、ナレーションもないので、 セリフも当然少なく、例えば
あーとかクソーとかしか言わないんですよ。 でも、凄まじい演技力で表情とか身体表現で引き込まれていく。
特に、ちょっとストーリーの話をすると、 最初に美術品を盗もうとしてセキュリティが作動して外に出られなくなるんですけれども、
家にある水とか食料っていうのが当然限られているんですよね。 で、外に出ることができないと。
だから、どんどん疲弊をしていって狂っていく様というのが描かれていくんです。
で、その中、いろんな感情が出てくる。 それが僕はいいなーって思いましたね。
人間の狂気を感じられるみたいなところで。
まあ特に、なんていうかな、 自分の中で儀式的なものをやったり、
何かこう、歌を歌ったり。 これって、トム・ハンクス主演のキャストアウェイという映画の中でも、
トム演じる主人公がバレーボールに顔の絵を描いて、
そのバレーボールに話しかけて、友人のように過ごしていく。
それで何とか正気を保っていくみたいな姿もあったりしましたけど。
そうやって、 閉じ込められる絶望感の中で希望を見出すには、
何かこう、孤独を和らげるための何か。
人ではない何かを作り出すということが、 人間性としてあるのかな。
人間の本来性としてあるのかなっていうふうに思いましたね。 まあ今回の主人公はバレーボールに絵は描いてないんですけど、
彼はその人間の本来性みたいなところで言うとですね、
生存に直結するわけではないというところで言うと、 壁に絵を描き続けたんですね。
そして彼にとって描く、描くということが、 自分の存在を証明する、
その唯一の行為だったっていうことですよね。
リアル脱出ゲームをしていく中で、 どんどん自分が疲弊していくのがわかると、希望もないと。
そんな中、自分を証明するもの、それがアートだっていう、 アート泥棒なんですけどね。
そう思って壁に絵を描き始めるんです。 で、それがとても自然な行為としてやられていく。
なんかそこは、人間っていうのは、
人生の中で何かしら表現をしたい動物なんだなーっていうことも、 示唆として感じられていいなっていうふうに思いました。
そしてネタバレを避けながら話すとですね、 映画のラスト付近で、
彼の絵が壁一面を覆っているんですよね。 その家っていうのは、
まあ不幸の家で、まあ彼の家ではないんだけれども、 もう彼の空間そのものになっているんですよね。
で、肉体が弱り果てていって、もう 足も引きずっていって、
もうここからどう脱出していこうか、 脱出できるんだろうか、みたいなタワーマンションでですよ。
そういう滑稽さも描かれながら、 彼自身の空間というものを支配しているような感じが、
映画では描かれているような気がしていて、
なんとなくそのラストのシーンというのも、 絶望の中にも、
アート的なもので人は美しいものを生み出すことができるんだ、 っていう何か象徴のようなものを感じることができました。
まあなのでね、このインサイドという映画が、 ただの、なんていうかな、その脱出サバイバル映画というわけではなくて、
追い詰められた時、人間はどのようになるのか、 そしてそもそも人間とはどういう存在なのかっていうのを、
問いかけるような作品だったのかなっていうふうにも思います。
アートによる自己表現
まあネットフリックスでやってるんですけども、 途中ちょっとグロテスクなシーンとかがあるので、
あのグロ態勢がある方は、ぜひご覧になっていただければと思います。 というわけで今回は、
インサイドについてお話をしていきました。 最後までお聞きくださりありがとうございました。ではまた。