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1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、
また、各業界のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、
そこに燃える情熱に迫ります。
こんにちは。こんにちは。
1%の情熱物語、178回目でございます。
はい。
みなさん、お元気ですか?
元気ですか?さおいちゃんの喉は、先月はね、ちょっとダメージを食ってたんですけど。
はい、感知いたしました。
大丈夫そうですね。元気そうですね。
ご迷惑をおかけいたしました。
はい。
ということで、健康に賭けて、最近これ買いましたっていうので、
みつさん、何かわかります?
なんだそれは、タイヤの空気入れに見えるな。
あ、タイヤの空気入れっぽい。
マッサージガン。
あー、なんかやたら最近マッサージガンって言うの、それ。
なんか変な音したけど。
そう、マッサージガンって言って、ちょっとね、方向を変えたらボキボキって言ったんだけど。
そうそうそうそう。
マッサージガンって言ってみんなわかるの?
そう、これね、日本で流行ってるのかどうなのか不明なんですけど、
アメリカだとここ数年やたらと流行っていまして。
やたらとなんか出てくるよね、それ。
やたらと見るでしょ。
なんだんだ。
いわゆるマッサージ機なんですけど、ボタンを入れると振動が発生する。
ボタンを入れる。
スイッチを押すとね。
そうそうそう、ボタン、スイッチを押すと、手に持てるサイズでスイッチを押すと振動が発生しまして、
それを腰とか足とか腕とかマッサージしたいエリアに当てて、その振動でマッサージをするっていう機械。
そう、だから今鉄砲みたいな形をしてて、持ちやすい感じで人差し指でスイッチを入れるのかな、わかんないけどね。
だからガンと呼んでるんですよね。
そっかそっか、ガンみたいな形だからガンって呼んでるんですね。
うーん、じゃないの。
これやたらとね、みんな持ってるんですけど。
03:02
動かしてみてよ、それ。
すごい気持ちいいですよ、今ね手元に持っててね。
バイブレーションが今、監視されました。
バイブレーション、おーって音は広がらない。
どこに当てるわけ、それを。
私も全身、首、腕、腰、お尻、足、ふくらはぎ、足の裏とか全部で、この先っぽが変えられるんですよ。
先っぽが丸くて柔らかいのにできたりとか、あとはすごいとんがっててギューって押せるタイプになったりとか変えられるんですよ。
ツボースみたいなやつね。
ツボーシみたいなね。
この先っちょのガンのところが変えられるので、なんかね、これが私の大好きなディスカウントストアのマーシャルズに大量に売ってたので買ったんですけど。
割と安いよね。
そうなの。2、3年前は100、200ドルしたものとかでも今は50ドル、30ドルから50ドルぐらいで買えるので。
どうですか、実際。
私はすごい好きで気持ちいいと思って使ってます。
なんかやってます?みつさん、マッサージ。
いや俺はね、前話したかな、柔軟やってて、朝ね、朝も夜もだけど、なんて言えばいいんだっけ、プラスチックの棒じゃないわ、なんて言うんだあれ。
筒状になってるやつ?
そうそう、ハップスチロールの硬いやつの1メートルぐらいあるやつで直径20センチぐらいの丸い棒を腰の下に置いてグリグリやって。
仰向けで寝てって感じ?
そうそう、仰向けで寝て十字になるようにまず腰の下に置いてグリグリやって、その後体の線に合わせるように置いて肩を沈めてほぐすみたいな。
えー。
その後骨盤とかをギュッギュッってやって広げたりとかね。それがめちゃくちゃ調子良くて。
あ、そうなんだ。
そうだ、それはね、2、3年前からやり始めてるのかな、腰もなくなったし肩こりとかもあんましない感じだけどね。
私持ってるけど使ってなかったからやってみよう。
あれめちゃめちゃいいよあれ。
いきます?
うん。やり方がもうね、でもちゃんとあれした方がいいかもね。
俺、お妻がヨガの先生で、こういう風にやれって言われて。
もう、最高な。
今度動画撮って送ろうかって。
気が向いたら。
気が向いたら。なるほどね。
まあね、コロナでみんなお家でお仕事もしたり、パソコンに寄り向かうからマッサージが大事ですよね。
そうね。マッサージ側もね、気になる方は知られてみて。
06:00
日本でもあると思います。
前置きが長くなりましたけれども。
健康話。
健康話ね、ちょっとこう。
増えるんだよね。
増えるんですよ、だんだんねんねんねんねん。
本編に入ってきます。
そうですね。はい。
毎回一人の方のインタビューを4回に分けてお届けしております。
今回はですね、ブラジルに在住でいらっしゃいます三浦あずささん。
ちゅーずまキャリアネットの代表でいらっしゃいます。
今回は4回中のインタビューの中の第2回目。
はい。
そうですね、前回までが、
ちゅーずまキャリアネットの活動内容を軽くですけど、
伺ってたり、リンクというのを話をしたりとかね。
あとそのキャリアコンサルタントっていう、
それが全般に通ってる仕事内容、活動内容になってるんですけど、
前回チラッとね、リークをしたんですけど、
政治家を志して、きっかけのエピソードが今回あったりとか、
あとそのリクルートの時代のお話、
その後ビッグネームが出てくるんですけど、
そんなプロジェクトのお話などなどになります。
では、聞いていただきましょう。
はい。
じゃあ今から過去のお話を伺っていきたいんですけども、
まずね、幼少期からザザザッと伺ってるんですけど、
お生まれが、あれ北海道でしたっけ?
茨城県です。
大丈夫です。北海道も大好きなわけで。
失礼しました。
茨城県出身。
幼少期はどんな子供だったかって自分で振り返って、
普通が嫌いな子供でしたね。
人と違ったことをしたい。
みんな同じっていうのが、なぜ同じでないといけないんだろうっていうふうに疑問を感じて。
それ、学校がきついってことですよね。
そうですね。
先生の中でも理解してくださる先生が、小学校の時に、
小3、小4の先生はそれを理解してくれる先生だったので、
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このままの自分でいいんだなと思って、その以降は突き進んだんですけど。
そうなんだ。それはどういうエピソードとかあったりします?
そうですね。それこそ小学校の時に、
みんなが将来の夢って発表すると思うんですけど、
その時にノーベル賞を取りたいとか、
世界で輝く日本人ベスト100に選出されたいとか言ってたんですよ。
すげーでかいな。
で、なぜそう思ったのかって考えた時に、
さっき同じことがちょっとって思うのは、
前例のないことをしたいとか、パイオニアになりたいって思いがあったんですよね。
何かを生み出して、人の役に立って教科書に載るような人物になりたいって。
へー。それはなんか、
誰かの辞伝を見たとか、マザー・テレサを見てとか、
ヒーローみたいな人がいたんですか?
そうですね。なぜそう思ったのかというと、
それこそ2、3歳の頃に家にあった辞伝本がずらーってチチラって書いてくれたんですよ。
50冊くらいブワーって。
そうなんですよ。
で、それを読んでいって、読んで、
で、その時に海外から来る研究員の人たちを家に呼んでホームパーティーみたいなのをしてたんですよ。
アメリカだ、中国だ、マレーシアだって、いろんな国の。
で、その中に女性も10人で会わせてもらって、
で、その人たちが語ることが、結構パイオニアに私はなりたいんだと思うんですよ。
で、その辞伝本を読んで、
で、その辞伝本を読んで、
10人で会わせてもらって、
で、その人たちが語ることが、結構パイオニアに私はなりたいんだとかいう話があって、
そこで多分、こういう女性になりたいって思って、
頭の中に具体化されていったのがきっかけです。
そこの時点でも世界の視野は広がってたってことですね。
はい。自然と。あんまり意識してなかったんですけど。
すごい。でもそれって会話って英語なんですか?日本語なんですか?
英語で話をしてくれるのを父が通訳というか、こんなことを言っているようで、
日本語を喋れる。
みなさんにもあずささんにも教えてくれて。
そうです。で、その時に英会話を研究員の人から英会話教室を個別に開いてもらって、
自分の英会話を学んでたっていう。
へー、それはいいな。
へー、そうなんですか。
そうするとそうか、そういう視点になるわけですね。
うーん、視点に。だいぶ周りの友達たちとは異質なことを言ってたと思います。小学校の時こんなことばっかり言ってた。
そりゃそうですよ。僕だって走り回れるね。そこら辺の小学校と家と田んぼぐらいしか世界はなかったですからね。
12:00
川と田んぼと。
癒されますね。
癒されますね。
それが全部の世界でしたからね。
そうですか。そこからどれくらいまでいらっしゃったんですか、地元は。
地元は高校3年生までですね。
なんかでも具体的な夢っていうか、ノーベル賞とかそういうのも結構あれだったんですか、具体的に。
実はそれ以降が結構夢が変わりまして、ポイントは前例のないことをしたい、パイオリアになりたい、人の役に立ちたい、表彰されたいみたいなところだったので、
中学2年まではノーベル賞と思ってたんですが、中学2年生の時に祖母が癌で亡くなりまして、大好きだった祖母が亡くなってしまい、
癌の治す薬を研究して、同じような苦しみとか悲しみを持つ人が減ったらいいなと思って、そこから高校3年までは薬の研究者で目指していた。
ノーベル賞はそれで取れるかどうかっていうと、そこよりかは救いたいと思うに変わっていった感じですね。
そうなんだ、じゃあその医学の方に。
はい、行こうとしていたんですが、それこそさっきの進化をし続ける環境を自分で作るっていうのに繋がると思うんですが、
高校3年生の夏の時にそれこそ新聞で、いろんな大学の研究室に高校生で研究体験しに行くことができますっていうのが各大学国公立がブワーって載ってたんですね。
そこに手を挙げるには校長先生の推薦状が必要であるって書いてあって、高校生の校長先生に書いてくださいってそれを見た次の日に直談判しに行って、どう書けばいいのとか言われながら書いて。
とりあえずここにサインしてくれみたいな。
何かいいこと書いておいてくださいみたいなことを言って、それこそ薬を作りに行く研究室がちょうど私の地元の茨城大学で薬の研究をする体験、研究みたいなのが1日あったのでそこに行ってみたんですね。
そうか、医学というかもう創薬か。
そうですね、薬を作る。ただ行ってみたところですね、それこそ5グラムとか風邪薬を作るっていうお題をされて薬を作ったんですが、5グラムとか1グラムとかすごい粉を調合していくんですが、これがいかんせん向いてないというか全然面白くなくて。
小さく測ってやるのが苦手。細かい作業が無理だから全部2倍とか3倍にして作ったんですよ。同じ比率だったらいいかなと思って。
15:05
粒が大きくて飲みにくいとかね。
みんなより大きいのができちゃって、誰も怖くてちょっと飲むのは嫌だとか言われたりして、私も厳しくて。
本当に私は無視してるんだろうか、本当にやり続けたいんだろうかっていう悩みがそこから始まったんですよね。助けたいけど、これをずっと研究できるんだろうか私は。
思っていた高3の冬にドイタカコさん、今は亡き政治家のドイタカコさんという方が地元の茨城で学校の先生向けに講演をするっていう話を、友人のお母さんが学校の先生だったので高校生でちょっと潜入させてもらってですね、参加してくださいと言って参加して、
ドイタカコさんの話を聞いた時に、さっきの前例のないことをしたいというか、思いを伝えて人の役に立つっていう世界が政治家もあるんだって気づいて、政治家を志すことにします。
飛びますね。
コンセプトはぶれてないけど、量子は飛びますね。
そうなんですそうなんです。
ドイタカコさんが当時、同社大学ってところで先生をしてたんですよ。
なので、それまで国公立の理系をずっと目指してたんですが、禁止律の文系の同社大学を受けることにして同社大学に進学しました。
そのメジャーは政治、経済とか。
そこを選ぶ時も、自己分析、今では自己分析をしたんですよ。
自分はそれまで理系だったので、文系の学部を実はあまり知らなくてですね。
文系を見て、シラバスってカリキュラムを見た時に、一番心が躍ったのが、お金に関する授業のある小学部だったんですよ。会計。
なので、前例のないことをするためには、自分で稼いでいける人になる必要があると思ったので、政治家は正直何学部にいてもなれると思っていたので。
その後は、どいたかくさんの授業を受けに、政治家の授業も受けられるって分かったので、一番心躍った小学部で会計を勉強することにしました。
へー、なんかすごい幅広いな。そこら辺も変形がないっていうか、自由ですね。
自由ですね。
両親は大変だったと思いますよ。何がどうなってみたいな。
理系から文系の大学とか行けちゃうんですね。
そうですね。
受験があるから行きやすいと思います。理系から文系はどうしよう。
逆にね。武器持ってるみたいな。へー。
そっかそっか。なるほど。
そこから小学部ということで、それは政治家を目指しつつも会計とかビジネスよりの勉強をしていったんですかね。
18:09
そうですね。そこでもまた出会いがありまして、
授業でベンチャービジネスに関する授業をやってくれていた先生がいてですね。
その先生からさっきの鳥の目、虫の目、魚の目も教えてもらったんですが、
その先生が教授をずっとやってきた先生じゃなくて、元京都銀行の常務取締役だった先生方が。
何銀行っておっしゃいました?
京都銀行ですね。
京都銀行ね。
取締役?
常務取締役。
すごいですね。
地元の結構有力者みたいな方で、京都の社長さんはほぼほぼ知ってるっていうぐらいのネットワークを持ってる方が先生をして、
その先生の授業が面白くて毎回質問しに行ってたんですよ。授業が終わるたび。
そしたら気に入ってもらって、一緒に自主経営ゼミ、学年学部を取っ払って、
それこそグローバル人材のグローバルなリーダーになれるような人たちを排出するゼミを作りたいんやけど一緒にやらへんかって言われて、
やりますって言って創設メンバーになって一緒にゼミを立ち上げた。
すごい楽しそうだな、それは。
すごい楽しかったです。
結構そこで起業家マインドというかベンチャー志向みたいなのも学びつつ、コミュニティ運営みたいなのもやられたってことですかね。
そうですね。
コミュニティとは違うかもしれないけどゼミは。
でも1からゼロから仲間集めから始めたので、それまでは実は合唱団に入っていて大学時代。
週4全国大会に向けて練習をしていたんですね。
結構マジなやつですね。
もともとあるコミュニティというかは1から一緒に作るし、それこそ京都の中小企業の社長たちの悩みを解決するっていう名目で、
いろんな会社の社長たちと一緒にプロジェクトを起こして、学生にどうやって利用してもらえるかみたいなのを学生視点で実際のプロジェクトにして行って。
それも先生のコネクションもあって。
あってですね。
そこの場を開いてもらったり。
その時に企業とか経営者、経営することとは何かとか経営の大変さとか中小企業の方たちは何に悩んで何のために頑張っているのかみたいなことも肌で感じさせてもらった時期でしたね。
21:06
へー、すごいキャリアにつながりそうですね、それ。
そっかー、じゃあちょっとね、そこから次に行く前にちょっと皆さんに聞いてる。
人生でなんか転換期となったエピソードみたいな衝撃的な出来事ってありました?みたいな。
ちょっとここで挟んでみたいんですけど。
ありがとうございます。やっぱりそこでドイタカコさんとの出会いがあったからこそ今につながるなと思う。転換期だとそこだと思います。
そんなにインパクトのある、どんなちなみにお話をされたか覚えてらっしゃいます?
覚えてます。戦争反対ってことがテーマだったと思うんですね。9条の条例を変えないっていう。ただそれがテーマだったので。
詳細の言ってることは正直わかんないこともあったんですが、戦争反対であるってことに対してそこに参加してた教授の、大学の、あ、大丈夫。学校の先生たちが涙流してた人が多かったんですよね。戦争を体験してる年代たちが。自分の兄弟が。
そこのやっぱり戦争反対する。なぜテレビでよく見る政治家たちは言ってることが、このことを変えようとしてるのかっていうのを実際にそれを変えて欲しくないとか思っている人たちとの関わりの姿を見て、これが本当に政治をするというか、人の代表で国を動かすっていうことなんだなっていう思いがあった。
結構わがごとになりました。戦争反対が。
なるほど。へーそうだったんだ。
じゃあそこに本当に戦争を体験されてきた方たちが涙していたと。
そうですね、泣いて。なんで言葉よりか途中からその空白、その会場自体に結構目が行っていた。
でもそれはなんかわかりやすいとか、すごい何か感じたんでしょうね。いろんなことを。
はい感じましたね。そこでもう政治家になるって決めて、次の日学校の先生に言いに来ましたもん。政治家になることにしました。担任の先生に。
単純ですね。
単純です単純。
いやーでも面白いなあ。それがでも消えないっていうのはね今でも。
そうですね。
素晴らしいことですよね。
ちょっとじゃあそのその辺の将来的なビジョンはちょっと後々聞いていきたいですけど。
じゃあそこから、今ブラジルに在住ってことで。
24:02
それまでのキャリアっていうのはちょっと、先週ちらほら出ましたけどそのリクルートさんに就職されたりとか。
どういう曲折というかですね。小学部に入って卒業されてすぐにリクルートって感じなんですかね。
その後実は大学院に行ってるんですね。
大学院ですね。
その先生、さっきの京都銀行の元常務取締役の先生にその後ずっとキャリアの相談をずっとしていたのがきっかけで。
お金にかかることって考えると会計士の資格を取りたいと思ってたんですね。学生のとき。
会計士の勉強をしていたので大学院に行きましたと。
大学院に行っているときにそのゼミでそれこそいろんな会社にゼミ活動している中でATカーニという会社に先生が京都銀行のときに関わっていたので。
その時のATカーニ経営コンサルティングファームの日本代表とも会う機会があって。
コンサルティングファームの魅力を知りましたというのがありまして。
コンサルティングファームに入社をして自分自身がやりたいと思っていた政治家になるためのつながりだとかやっぱりその考え方も必要なのでそこでまずは勉強しようと思ったのが大学院の頃なんですね。
大学院から受けたんですがATカーニは当時は受からなくてですね。
落ちてしまいまして。
当時もう一つ先生が向いてるんじゃないかって言われたのがリクルート。その時に出てきたのがリクルート。
リクルートの説明会に行って話を聞けば聞くほどですね自分のビジョンとすごい合うなこの会社はって思ったんですよね。
世の中を良くしたいとか今までにない新しい出会いを創出とかここにない出会いとかテーマがあるんですが。
中小企業の社長さんたちと一緒に関わっていた時を思い出して自分がやりたいことを体現している会社でもあるし政治家も多く輩出している会社だったのでリクルートに興味を持ち始めてリクルートから縁が合って泣いてもらったのでリクルートにその後入社しました。
確かにねなんか本当に道を切り開いていくっていうイメージですねリクルートさんってね。
いっぱいいますもんね元リクルートで。
そうですね。
また元リクルートみたいな。
27:01
いますいます。
その後のキャリアっていうとそれこそ政治家になりたいと思えばずっと思っていて政治家になろうと思っていたのでリクルートにずっといるつもりはなく10年間だけリクルートにまずいようと決めたんです。
その時の10年っていう指標も先生その時のゼミの先生京都銀行の先生が10年単位で人生を考えるといいぞって言われてアドバイスもらったので10年単位でまずは10年って決めて。
10年経ったらリクルート辞めるって決めて行った時に政治家になるためにはっていうのでそれこそ入社した当初に私政治家になりたいなっていきたいので10年で会社辞めまして当時の営業のマネージャーに言ったんですよ自分の今後について。
普通言わないと思うんですけど。
まあねその辞める前提で入っていくんだって思いますよねまあそう普通はね。
リクルートは結構そういう人ばっかだったんですよ。
3年で辞めますとか10年は結構長くいる方みたいな感じの。
まあ卒業みたいなありますもんね。
で会った時にそれこそその時言ったら営業マネージャーから営業部長に話が入ってですね。
呼び出されるんです営業部長にちょっと三浦こいって言われて。
で言ったら何言われるかなと思ったら政治家になるためにはいいかよく聞けよって言われてホワイトボートにグラフを書かれてまず営業3年やってその後企画を3年やってそして人事を3年やってから卒業した方がいいぞってアドバイスもらうんですよ。
すごい良い方ですね良いマネージャーさんですね。
良いマネージャーそうなんですやっぱ政治家になるには営業活動も必要だけど制作を考える企画力も必要だし仲間を見つける事務所を運営するから採用する能力も必要だみたいな話があって。
それこそでもね人のことを知るってのは一番大事なことですもんね。
でそれ通りに異動願いを出して3つそれこそ経験してから辞めましたっていう。
すごいですねなんか絵に描いたようなやりやすい。
えーそうなんだその後に10年でもう本当に宣言通りに退職。
そうですぴったし10年やってあの辞める前の2年間はその後どうすごくつかの活動を始め。
でそのタイミングから友人との会社の設立も考え始めてたのが同時進行でいろいろやってたのが辞める2年前くらい。
なるほどそれが株式会社トーチ。
で行ったんですがちょっと辞めてフリーランサーをしながら会社の設立準備をしようかって考えてた時に入りたかった at カーニーからですねスカウトをいただいたんですよ。
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人事責任者になりませんかって。
すごいっすね。
リクルート辞めるときはこの後は特に決めてなくて自分で活動していきますっていうふうにしか言ってなかった。
本当にリクルート大好きだったのでできて転職するつもりでも全然なくて辞めたんですけど、
at カーニーからおそそいがあったのでちょっと行ってみたいという気持ちが強くなってですね。
その2ヶ月後にもう一回会社に戻るという。
それはもうでもその鍵つけたっていう感じなんですかね。
リクルートは三浦さん辞めるらしいぞみたいな。
どこからその話言ったんですかね。
当時そんな発信とか何もしてなかったのでビズリーチに登録してたんですよ。
ビズリーチを開いてなくて当時は自分の市場価値を知りたくて営業だけやってる時営業企画やってる時ってどういうふうな企業からの評価を得られるんだろうと思って。
転職の意思は全くなく登録してたものをリクルート辞めたからビズリーチも閉じようかと思って開いたらat カーニーからメールが来てたっていう。
まあそういうことか。今でもリンクトインで出してるけど。
すごい運命的な。
運命的な。入りたかった会社なのでそこに行って人事責任者をして。
それこそアメリカ本社とやり取りしたりアジアのオーストラリアとか中国とか韓国とかのリーダーたちと一緒に日本の新卒採用は中途採用はじゃあ中国ってどうなのみたいな話をしたので世界の採用市場を知ったりとかMBA事情を行うっていう。
リーダー業の。
それはまたなんかその小学校3年生とかのお父さんの研究員の方たちが集まってこのうちの国ではこうだよとかうちの国はこうだよみたいな。
そういう現場にちょっと今イメージが浮かんできたんですけど。
日本の採用がいかに特殊であるかっていうのを実感してグローバルから指摘をされたりとかしてましたよ。
今でも特殊ですよね日本って。
特殊ですね。
変わりつつあるとは思いますけどね。
そっかそっか。
それは何年くらいでもエティカーニさんにはいらっしゃったんですか?
そうですね。ただ時期は実は1年ぐらいしかいないんですよ。
なぜかというと当時がもう35歳になってたんですよね。
なった時に結構自分自身の10年ターンで次第2フェーズに来ている段階であった時。
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リクルート辞める時もどういう人生設計をするかっていう時でも会社設立も視野に入れて40歳前にどれだけ会社を設立して人間関係を構築してっていうテーマだったので。
それこそエティカーニも採用とか改革したりとか楽しくてまだまだいたいなと思ったんですが。
ここに3年間いるともう40近くになってしまうから。
3年間でこれをやったほしいって言われた社長からのオーダーをそれこそ8ヶ月で完了したんですよ。一気に毎年仕事をすごいして。
すげーなー。
それをやりつつ会社設立を今しかないと思って、もうやりきった上で会社設立に行きました。
かっこいいっすね。
それこそちょっと失敗談聞きたくなってきたけど、次のエピソードで聞こうかな。
エティカーニ落ちてますから、学生と失敗してる。
じゃあそれで起業に踏み切ったってことですか?
そうですね、そこで起業。ただいきなり起業するっていうとお金の面とかもあるので、起業しながら自分で人事コンサルタントとして仕事もするっていう。
フリーランス的な。
そうやって即のわらじを始めたっていうのが。
なるほどですね。
ちなみにその立ち上げられた会社というのも人材系の業務内容になるわけですかね?
そこがですね、面白いというか、変わっていてですね。一緒に会社を立ち上げた友人がCM監督をしてるんですね。
映画監督になりたいと映画を目指してる。
コマーシャルの映像の監督。
アニメを作る監督とか、プロモーションビデオとか作ったりとか、企業とか歌手とかの。
そこと製作×人事で掛け合わせた会社を作るっていうコンセプトで、ヒューマンブランディング、人をどう輝かせるかっていうテーマに会社を立ち上げたので。
トーチっていうのも松明を照らすことによって。
明かりってことですもんね。
そうです。落ち込んでいる。
例えば月曜日に会社に行くの嫌だなって下を向いている人たちが会社に行くの楽しい。
今自分はこんな世界があるって暗闇にいる人たちに照らすことによって仲間がここにいるよっていう明かりを示したいって思いが。
36:02
でも掛け合わせるとどうなるんですか。
そこで生まれたのが、それこそ安倍総理、自民党のプロモーションビデオを作ったんですね。2019年。
安倍総理が最後もう一度法理大臣に戻るタイミングで渋谷とかでババーンって流れた新改革みたいな新しい時代。
なるほどね。
その時に私の関わりとしては、10代20代の若者が政治家に興味をなくしているから、
10代のインフルエンサーたちに私がインタビューをして、その子たちの魅力とどういう政治になってほしいか、安倍総理に何を伝えたいかっていうのを言葉にまとめて。
例えばどういう方たちですか。
その時は結果的に4人に絞ったんですが、1人がダンサー、ダンスをやって世界のダンス選手権で優勝するような15歳の女の子。
周りから変わっていることをやってるって、後ろ指を刺されて自分の夢に突き進むんだって言って、いじめにも屈せず頑張ってきてるっていう女の子。
2人目がラッパーですね。その子も16歳の男の子でラッパーで、人と違うことを言葉にするっていう。
3人目が剣玉の世界優勝選手権で、4人目が落語家を中学生でやってるっていう子たちのインフルエンサーですね。
結果的に4人の言葉をもとに1つのテーマにしたのは壁。壁を壊せ。若者だからとか、普通っていう。
囲われた壁を壊してみんな自由にそれぞれ特色あるよね。ユニークで生きるべきだよねっていうコンセプトのもと、壁を壊せっていうテーマのもとを作りました。
なるほど。それも政治の生き入りにもかかってるってことですもんね。
そうですね。
梅田さんもやりたかったことの。そのものじゃないかもしれないけど。
それ見たいな。
YouTubeで上がってるので。
あとでチェックします。何で検索したらいいんだろう。
自民党2019って検索すると新しい時代っていうので、子どもたちとか中学生が4人と安倍総理がいる映像が出て。
私の名前も関係者として載ってるのでよかったら。
そうなんですね。すいません僕勉強不足でびっくり人事系のお仕事なのかなと思ってたんですけど。面白いことやってますね。
39:05
なので概念、その会社で当たり前になっているとかいうのを壊しに行く。ブランディングを壊すっていうののもと活動していて。
いろんな企業さんとか。
破壊からの創造ですもんね。
そうですそうです。一回破壊しないと。
一回ぶっ壊して新しいもの作った方が早いっていう。
そうです。
聞きたいことが満載なんですけど、そろそろ次のセクションに行かないと怒られそうなので。
次のセクションで仕事の掘り下げの前にちょっとブラジルに行ったお話を少し挟み仕事の掘り下げに入っていきたいんですけども。
すごいですね。それが一番の感想。すごい。
すごいっていう便利な言葉がね。すごいとしか言いようがないというか。
ほんとノーベル賞を取りたくて風邪薬を作って定時化を志し、大統領のビデオを作りてんてん。すごい。
リクルートとATカーニを経てですけどね。
ほんとですね。
面白いよね。ほんとに。
興味のあることに特に偏見を持たず、まっすぐいろんなことに突き進んでいらっしゃいますね。
子供の頃にね、お父さんが原子力の研究員で、それの同僚っていうか、国際的な海外から来た研究員の人たちが、そういう環境ってやっぱすげえいいなっていうか、いいポジティブ要因がいっぱいあるんだろうなって思ったんだけどさ。
ほんとですよね。
さおりちゃん子供の頃とか周りにいた?外国人の人とか。
もちろんいないですよね。山梨の田舎ですから、自然に囲まれ地元の子と育つって。
そうだよね。だから世界が全然狭かったっていうかさ。
そうそう。
俺も田んぼしかないしさ、周りは。
そうそうそうそう。
ただ、思い返すと、トヨタ自動車、うちは地元トヨタ市なので、トヨタ自動車の本社があって、そこにブラジルとかから働きに来てる人たちが結構いて。
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なるほど。
その人たちとサッカーをしたのは覚えてる。すげえ楽しかったのは。
へー。
その人らが休みの日に小学校でサッカーしてて、で俺らも別のとこでしてて、一緒にやろうみたいな。言葉も全くわからんけど、サッカーはできるからね。
それはなんか思い出として残ってるけど、ただ、なんの国際的な視野とかそういうのは全くなくて、ただ外国人のおっちゃんとサッカーをしたっていうだけなんだけど。
確かにすごい素敵な環境ですよね。
ね、そういうところから、そしてドイタカコさんの話を聞いて感動、衝撃を受けるっていうのはなんか、
そこね、たぶんそこなんですよ。そこの反省が非常に鋭かったんですよね、もともと。
ね、ほんとだよね。
なんか小学校の時、いろんな方が来て話すじゃないですか。
はい、してた。
あー、来てたなーって誰も思い出せないとかね。
ほんと早く終わんねえかなってずっと思ってたもんね。
ほんと先生ごめんって感じ。ほんとごめん、ごめん。そうなんですよね。
まあ、ね。
どこから話せばいいのかわかんないぐらい盛りだくさんでしたね。
でもね、その政治家になりたいんなら営業3年、企画3年、人事3年やれって言ってくれた営業マネージャーもすげえよね。
素晴らしい。
素晴らしいよね、ほんと。
広い心を持ってさらにアドバイスまでくれるんだよね。
いやでもほんとにそれ大事だもんね。絶対政治家もさ、お金集めるために営業しなきゃいけないしさ、
政策も言ってたけど、学力がないと。
面白い。
そりゃそうだわと思って面白いよね。
ある通りだわ。
そして先週もったいぶってたビッグネームっていうのはその安倍晋三さんなんですけどね。
えーすげえ。すげえ。
まあすげえっていう一言になっちゃうねこれは。
そうそうそう。やっぱり自分ご自身でいろいろ主体的に動いてらっしゃいますよね。
うん。しかもちゃんと計画的にというかね。
確かに。
そうね。
いや面白い。
えーそれでそれで。
45:00
そんなふうにね。
政治家は?
キャリアを着実に踏んできて。
まあこれ政治家になるんだと思うんですけど。
なっていただきたいと思うんですが。
今はね、ちなみにだから旦那様の転勤がきっかけでブラジルに住んで。
はいはい。
まあそこでもまただから勢力的にこのチューズマーキャリアネットの代表に就任されてですね。
またこれはまたすげえ意義のあることというかね。
すげえなーっていう言葉になっちゃうんですけど。
本当にね、どこにいてもピンチをチャンスに変える力を持っている方ですね。
あとね、その次回でリクルート自体のすごい境地というかですね。
ピンチではないんですけど、結構震災も絡んだですね。
ちょっとすごい面白いエピソードもね、伺ってますんで。
それも楽しみにしておいていただけたらと思います。
リアルアメリカ情報。
このコーナーでは最新のビジネス生活情報をアメリカロサンゼルスよりお届けしてまいります。
今回はですね、恒例となっておりますプレミアムスポンサースカイヤス様のご提供で、
インターン生の方のインタビューを実施したいと思います。
ということでですね、今回のゲストはニューヨークのアパレルセレクトショップにて短期インターンをされている吉田達也さんです。
よろしくお願いします。
吉田さんの方から簡単に自己紹介をお願いできますか。
吉田達也と申します。
今は京都の土砂大学の4年生で、
海外の学びたいことがあって就職活動してなくて、
それでファッションビジネス系の学科に進みたいなと思って、大学院で。
海外大学院に進むためのステップというか、一度海外を経験してみるっていうところと、
あとはファッションっていうバックグラウンドの強化っていうのを軸として、
この1ヶ月インターンに申し込ませていただきました。
48:01
1ヶ月間なんですね。
そうですね、1ヶ月です。
今ちなみに今日が9月27日ですけど、2021年のどれくらいの期間滞在していらっしゃるんですか。
今ですか、今で3週間目とかで、あともう1週間ぐらいしか残ってなくてっていう感じです。
そうですね、今日は仕事終わりでお時間をとっていただいてありがとうございます。
大丈夫です。
じゃあ1ヶ月ってことは結構ギュッと凝縮したインターンになっていると思うんですけど、
具体的にどんなことをされているんですか。
そうですね、本当にアパレルというかセレクトショップ、
コンサイメントストアという、要はメルカリみたいな機能をしている店で、
お客さんから服を委託してもらって、それを売って、
その売り上げを50-50で店と客で分けるっていう。
へー。
だから結構。
融通の商品ってことになりますよね。
セカンドハンドで。
新品も持ってくる人もいるんですけど、そういう感じです。
へー。
面白い。
ということはレアな商品が多いってことなんですか、レアというか。
レアというか基本的にはラグジャリブランドって言われる高い洋服と、
あとはデザイナーズブランドっていうのを基本的に取り扱っていて、
それを置いてる感じです。
だから、委託されるときに交渉して、
これは要る、これは要らないっていうふうに選別したりしてやってるので、
そういう感じです。
僕、前にいらない服をたくさん持って、そういうところに売りに行ったんですけど、
全然これ要らない、これ要らないってほとんど買ってもらえなくて。
恥ずかしい思いをしました。
よしださんもそういう選定作業とかもされるんですか。
いや、さすがにちょっと初心者なので、
素人というか、そこはちょっとやらせてもらってはないですけど、
EC、オンラインストアの方も経営してるので、
そこの写真を撮って、それを載っけるとか、
あとは普通にお店の中でアイロンかけたりとか、
あとはフィッティングルームかけたりとか、
普通にアパレルショップの店員みたいな感じで機能してます。
51:00
お客さんの対応もされてるんですね。
そうですね。
お客さんもガッツリ英語の環境なんですかね。
従業員が結構日本人、日本人というかハーフの方ばっかりで、
公用語というかそれが全部日本語なんですけど、
基本的に社員さんとかと喋るときは日本語の方が通じやすいので、
日本語なんですけど、先客は全部英語でっていう感じで。
そりゃそうですよね。
じゃあバイリンガルの環境ってことですね。
そうですね。
ファッションのインターンって世界中いろんな候補があったと思うんですけど、
なんでニューヨークを選んだんですか。
そうですね。
結構行きたいと思って、
求人見つけるまでの期間がすごく短くて、
そんなめちゃくちゃ探したとかそういうわけじゃなくて、
本当にご縁というか、
一回ニューヨークっていうのは観光で行ったことがあってもあったし、
あんまりイギリスとかヨーロッパも結構ファッションすごいんですけど、
あんまりインターンが盛んじゃないということで、
あとこのコロナっていう時代もあるので、
ニューヨークにあったので、
いいなと思って応募しました。
そうですよね、コロナの状況もあるし、
やっぱりタイミングが合わないといけないから、
土田さんがおっしゃったようにご縁ですよね。
そうですね。
実際にニューヨークで生活されて3週間目ってことですけど、
生活の面ではどうですか?
そうですね、やっぱり日本とは全然違うなっていうのが、
もちろん前提なんですけど、
食に関して言うと、
意外と日本食の店とか、
人種のうるつぼって言われてるぐらい人種が多いので、
いろんな料理があるので、
正直困らないというか、
値段は張るんですけど、正直選べるので、
そこは日本中の誰が来ても心配いらないのかなって思います。
あとは、
都会なので、地下鉄、バス、都会が20歳ので、
メトロカードを買ったら、
どこでも行けるので、
すごく便利だなっていうのと、
そうですね、生活。
ニューヨークに来て初めて食べて、
これおいしかったとか、なんかそういうのはありました?
なんかね、僕ニューヨークに行った時は、
54:02
ピザが、
あっちのそこらじゅうにピザ屋があって、
結構立ち食いとかで、
仕事終わりにワンスライスとだけ頼んで、
ささっと食べて帰るみたいな場所が多かったので、
そういうとこのピザがめちゃくちゃうまかったのが、
結構確かにピザおいしいですよね。
でも正直恥ずかしいんですけど、
来た初日は、がっつり日本食の店行って日本食食べました。
あるある。
なんでかって言われたらちょっと分からんけど、
安心したかったんじゃない?
はい、なんか安心しまして、それでいらっしゃいました。
へー。
そっかそっか、旅行で来たことがあるっておっしゃってましたけど、
じゃあそれ以来の初めての海外生活って感じですか?
そうですね、旅行って言っても5日間ぐらいとかなんで、
長期滞在、いわゆる留学っていうのは初めてです。
そしたらねやっぱり、
渡航の準備とか実際にインターン先を探すのって結構大変だったと思うんですけど、
どういう感じの流れでここまでたどり着いたんですか?
最初はアパレル商社みたいな、
洋服っていうよりかは装飾品系、リボンとかボタンとかそういうのを取り扱っている会社に、
大臣規模として応募してて、
っていうのも商社っていうポイントが結構でかくて、
大学院留学っていうのを履歴書に書く内容としては、
商社って結構強いのかなっていう考え方があったんですけど、
ちょっとその定員に達したっていうことで、他に来てくださいっていう風になって、
その時にちょうどぽって現れたのが、
今働かせてもらっているアパレルショップなんですけど、
結構その商社とは反対で、
イーストビレッジっていうゴリゴリのストリートというか、
下地学生が多いところになるんですけど、
今考えたら良かったかもなっていうか、絶対良かったなって思ってます。
それはやっぱり現地の人と触れ合えるからとかですか?
そうですね、結構その大きい会社とか行って、
実際にインターンらしいインターンというか、
社員さんと同じような動きをする、
そのような内容も将来的には役に立つのかなって思いますけど、
57:10
ニューヨークって、
人があってなんぼというか、そういう街だと思ってて、
実際にどんな人がこの店に来るのかとか、
そういうポイントって結構実際に働いてないと見れない部分があるので、
その点に関してはすごく面白いなと思いましたし、
ニューヨークって結構ファッションの街って言われてて、
おしゃれって言われてると思うんですけど、
なんかあんまり僕はそう思ってなくて、
正直日本の方がおしゃれやし、
ただ日本のファッションの欠陥というか、
国民性というか、ちょっと似たような服が多いっていうのがあるんですけど、
アメリカは結構個性が一番大事にされてて、
それこそ色使いが激しくて、
でも結構街の雰囲気には合ってたりとか、
そういう発見があってすごく面白いなって思ってます。
それは本当に現場にいてコミュニケーション取らないと感じられないことですもんね。
そうですね。
どう商品選ぶんやろってか、結構日本人と違うなって思ってて、
なんか日本人は結構その、
日本人はって言うと、そんな見てないかもしれないですけど、
結構物を見て、
これどうかな、どうかなってやってから、
何個か厳選して試着すると思うんですけど、
こっちの人はこれこれこれってパンってきて、
持っててきて、
これや、バーンみたいな感じで買っていくスタイルがあって、
なんかセンスないなと、
長く使うとかじゃなくて、
実際にその社員さんとかも言ってたのは、
やっぱりサイクルが早いというか、
今年、去年来たからもう今年は来ないみたいな感じのこともあって、
委託販売っていうビジネスも成り立ってるかなと思って、
面白いなって思いました。
確かにね。
本当そうですよね。
なんか全然違うというか。
確かに確かに。
私たちはロサンゼルスにいるんですけれど、
やっぱり両縁岸でニューヨークとロサンゼルスに全然違って、
それこそロサンゼルスはこう、
洋服でオシャレするっていうよりも、
筋肉を鍛えてその体に中にフィットして、
ファッションとするようなところがあるんで。
1:00:00
そうです。
本当にそうなんですね。
そういう意味でね、アメリカでも両縁が全然違ったり、
実際に来てみての発見ってありますよね。
でもね、確かにセカンドハンドの店はいっぱいあって、
サイクルが早いとか、
見てて飽きないっていうか、
そういうのも感じますね。
なるほどね。
結構短い期間でも、
すごいいろんなことを学んで吸収されてる感じがしますけれども、
このインターンで学んだことを活かして、
この将来はどういう風な道を考えてらっしゃるんですか?
そうですね。
正直、イギリスの大学院に行きたいって言ってたんですけど、
それは、アメリカがダメとかじゃなくて、
イギリスの院のシステムが1年間で終わるっていうシステムで、
お値段的にも払わなくて、
英語圏で生活ができるっていうメリットがあって、
イギリスも興味あるんですけど、
そこに行こうっていう風に考えてたんですけど、
ショップの社員さんとかバイトの人たちと結構仲良くさせてもらって、
結構友人のアートの展示会とか、
あとはファッションブランドのパーティーとか連れてってもらったりして、
いろんな人と関われる環境なんやなって思って、
それに結構魅力されてしまって、
ちょっとシンドはニューヨークにまた帰ってきたいなっていう風に悩んでるというか、
すごい魅力的な街なんだね、やっぱり。
やっぱりそこでこのインター先で出会えた社員さんたちがすごく良くて、
それにちょっと魅了されてしまいました。
すごい意味のあるインターンじゃないですか。
ちょっと衝撃的ですね。
だからそうですね、今の流れでいくんやったら、
アメリカのファッションビジネス系の大学院に目指すか、
それもあるけどとりあえずアメリカに、ニューヨークに飛び込みたいなっていう気持ちはあって、
ちょっと悩んでるって感じですね。
1:03:03
結構社員さんの経歴とかも聞いてても、
あんまり日本みたいに23歳で就職みたいな、
あんまりそういうの関係ないというか、
自分がやりたいことを思って、ちゃんとここまで生きてるんやろうなって思って、
僕も結構そういう気持ちが強いので、
そういう人たちに出会えた縁を大事にしていきたいなと思いました。
なんか良かったって思いますね。
エコロジック良かったですね、本当に。
すでに良かったです。
いい意味で今は悩んでるってことですね。
そうです。
では最後に、今からインターンとかOPTとか、
アメリカで働きたいってことに興味がある方に向けて、
メッセージをお願いできますか?
メッセージ、そうですね。
インターンっていうそのものに興味がある人は、
もちろん来た方がいいと思うし、
あとはその国のカルチャーが好きとか、
その人と現地の人と喋りたいとか、
そういう気持ちがある人は絶対に来た方がいいと思うし、
インターン、短期の場合、僕は短期なので、
短期の場合やったら、
結構観光、いろんなところに行けるとか、
そういうメリットがあるとは思うんですけど、
正直、観光っていうのもいいと思うんですけど、
僕が結構いろんな人に出会ったように、
現地の人といっぱい関わる、いっぱい喋るっていうのは、
本当に大事なことだなと思ったので、
ぜひインターン行きたいという方は、
現地の方と絶対にたくさんコミュニケーションを取った方がいいなと思います。
わかりやすいアドバイスをありがとうございます。
ありがとうございます。
今回のようにエスターさんみたいに、
1ヶ月という短期のインターンの方もいれば、
今までいろんな方にインタビューさせてもらった、
1年以上という長期のインターンの方もいらっしゃるんですけれども、
そういういろんなバリエーションで、
スカイアスさんはご相談に乗ってくださるということですので、
あとは、実際にアメリカに来ているOPTの方のご相談にも
乗ってくださるということなので、
ぜひスカイアスさんの方に興味のある方は連絡されてみてください。
ということで、最後にプレミアムスポンサー様のご紹介をさせていただきます。
スカイアスは世界6カ国11都市に拠点を置くグローバルエデュケーションブランドです。
1:06:04
海外留学、スタディーツアー、海外インターンシップ、ジュニアキャンプ、
オンラインプログラムなど、
グローバルへのきっかけをつくる多彩な教育プログラムサービスを展開されています。
詳細はwww.scius.global.com
もしくはwww.america-intern.comにてご覧ください。
ということで、今日はニューヨークで1ヶ月間の単金インターンをされている
吉田さんにお話を伺いました。ありがとうございました。
吉田さん ありがとうございました。
吉田さん ありがとうございます。
以上、リアルアメリカ情報でした。
締めのコーナーです。質問。
はい、しょうもない質問します。
はい。
えっと、さおりちゃんは好きな絵文字、もしくはよく使う、もしくは便利な絵文字ってありますか?
なるほど。
あの、日本にいるときはもっともっといっぱい絵文字を使っていたんですが、
日本人、まあね、絵文字って言葉自体が日本語っていうのもあって、日本人は絵文字をいっぱい使うじゃないですか。
もう、でも英語だよね。絵文字だよね。
絵文字だけど、もうね、やっぱ日本発祥なぐらいですから。
そうですね、そうですね、確かに。
やっぱりアメリカ人はそんなに絵文字を日本人ほどは使わないし。
使わないけど、最近でもなんか使うようになってきてんじゃねーかって感じはあるね。
そうね、そうね。
白黒にたまに黄色い顔がいるぐらいね。
そう、だからそこがさ、またこのさ、この番組によく出てくるさ、そのダイバーシティ、何色にすべきなのかっていうね。
なるほどね。
俺は黄色なんだけど、友達のサーファーの人とかは真っ黒のやつとかたまに出てくるのね。
日焼けしてる風に。
それとかも笑っていいものやら、なんかその人種的にさ、いろいろあるじゃない、黄色、白黒。
確かに、確かに。
これを出していいのかとかね、なかなか難しいとこもあるけど。
なるほどね、確かに確かに。
私が言った黄色ってあの顔、丸い顔文字、真っ黄色の顔文字ですよね。
いやでもさ、それも白黒黄色っていろいろ人種によってあるじゃない。
1:09:00
あのスマイルくんの話か。
スマイルくんの話。
あーそうね。
確かに人はね、選べますよね。
そうそう。
あ、そうか、何を使うかってことか。
スマイルくんの。
そうそう、よく多用するものとか、これ便利だよねみたいな。
いや例えばさ、よろしくお願いします的なやつあるじゃん、日本の。
お辞儀してるみたいな。
お辞儀してるみたいな、あれすげー便利だなって思う。
超便利。
わかる。ピョって送っておけばいいからみたいな。
そうそう。
と、あとごめんのマーク。
確かに手を合わせるやつね。
ごめんってとかお願いします的なやつは、いちいち書かなくてピョンって送れば、気持ちが一応伝わるみたいな。
わかる。これどっちも英語だと伝わらないやつですからね。
でもごめんはなんとなくありがとうってやってる感じは、最近は認知が広がってる感はある。
あ、そうなんだ。
あんま使わないけどね。アメリカンとのやりとりはやっぱり使わないよね。
あれかな、グッドっていう感じかな、親指が上がってるフェイスブックマーク。
それもよく使われるね。
いいねマーク。あれだったら英語でも、社外の、社内の人じゃなくても、敬語っていう言葉は英語にはないけれども、
公式な場でもグッドは公式だと思われる感じ。だから結構グッドは使えるかな。
そうだね、俺でもその時に黄色と白と黒とか色々あってさ。
色ね。悩むところ。
悩むというかあんまり使わない方がいいのかなみたいな。
やっぱ自分の色がいいんじゃないですか?
黄色だと思うから黄色にしてるんですけどね、黄色人種ですから。
黄色っぽい、黄色人種のやつ。確かに、その人によって自分の色にみんな変えてるなって感覚は受けますけどね。
そこでね、サンファーの人はね、結構日焼けして真っ黒だからね。黒い手でこういうマークあるじゃん。
あー、アロハのマーク。
アロハだっけ、これなんだっけ。
それが出てくると、日本人同士だと笑えるんですけど。
でも確かに日焼けしてるからね。
そうそう、黒いんですけど。
なるほどね、みんな何を使ってるのかな。
まあでも基本やっぱりスマイルとグッドとかか。
サンファーはアロハか。
アロハだっけ、これ何て言われたか忘れちゃったけど、名前違うんだけどね。
1:12:03
あ、違うんだ。
そんなもんか、まあなんかそれで話が広がるかなと思ったんですけど。
確かに確かに、でも言われてみれば、あんまりでも使わなくなりましたね、アメリカは。
まああと日本の方はあれか、LINEのスタンプか。
そうなの、スタンプなのよ。スタンプで全部語ってくれるので便利なんです。
便利だよね、ほんと。
とても便利なんです。
まあそんな話でしたね。
そんなことでまとめますかね。
はい。
はい、ではでは今回お届けしましたインタビュープラス、リアルアメリカ情報のインフォメーションをブログに掲載しております。
podcast.086.com、podcast.086.com、または1%の情熱物語で検索してみてください。
はい、皆さんからのお便り、そしてレビューお待ちしてます。
あとパトロンさんからのご支援も引き続きお待ちしてますので、よろしくお願いします。
はい、今週も聞いてくださってありがとうございました。
ありがとうございます。
また来週お会いしましょう。
じゃあね。