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1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、
また各業界のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、
そこに燃える情熱に迫ります。
ノミネート作品が発表されました。
もう発表されたのはいつだっけな?
1月の終盤ぐらいですかね。
すげえ。もうレベルが違う。
もうなんか、プロじゃんっていう人ばっかりあるね。
そうそう、全員プロや。すごい。
っていうのも、このね、2019年が第1回目だったんですけど、
その時にノミネートされてたのも、ほとんどなんか素人というかね、
なんていうんでしょうか、僕らも含めてなんですけど、
手作り感あふれる感じだったんだけど、
もう、ちょっとあれだよね。
やっぱもうこれだけでもポッドキャスターが盛り上がってるってことなんですね。
そういう言い方もすればそうなんだよね。
アリタさんとか、コメディアン系が多いのかな。
そう。
なんでしょうね。
漫才系とかね。
クリームシューのアリタさんとか。
超州力。
カマイタ時代やん。
佐藤と小林で、小林で大鳥は小林?違う?
そうじゃない?
違うかな?え、かな?
わからん。
超州力。
愛のラリアット。
すごいんだけど。
そうなんですよ、もう。こうなってくるとね。
なんかちょっとあの、あ、もうそっちの方行っちゃったのねっていう感じがしちゃうんですよね。
03:12
ということで、残念ながら1%の情熱物語は、
かすりもしないという結果になりました。
ちょっとね、レベルがね。
そう、もうレベルが違ってきちゃったね。
ただ、可能性としてはゼロではなくて、まだあのあれなんですよね。
皆さんにちょいちょいお願いしていたリスナードチョイスというね、のに選ばれている可能性はゼロではないと。
だからね、そうですね。
それがね、たぶんいつだっけな、3月のどっかで発表されるんで、またお伝えしたいと思いますけども。
でもなんかまあ、ポッドキャスト聞く人がね、なんか増えてきてるような、ずっと言ってるけど。
増えてありますよね。
いいなーっていう感じですかね。
はい。
もっと増えるといいなと。
なので、番組を聞いていただいている方は皆さんね、友達に勧めていただくとか、
海外にね、興味を持っている若い人にちょっと紹介してもらえるとかね、したら嬉しいなという感想でした。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
では本編に入りましょうかね。
はい。
一人の方のインタビューを4回に分けてお届けしているこの1%の情熱物語ですけれども、
今回はプロダクションマネジャーとミュージシャンでいらっしゃいます。
山本昭博さんのインタビューの2回目。
はい。ジャズミュージシャンですね。
基本的には、あのー、秋くんの話、
まあ先週はね、活動内容とかを聞いてたんですけど、
今回は、えーっとね、
まあいろんな楽器をね、やっていて、
どういう経緯で今のコントラバスまでたどり着いたかとか、
ニューヨークに来た経緯、あとはそのアメリカ横断1週半した話とかね、
はい、盛りだくさんになっております。
では聞いていただきましょう。
はい。
はい。
じゃあちょっと今からね、過去の話に入っていきたいんですが、
はい。
えーっとね、まず生まれは?
生まれは鳥取県です。
鳥取県の何市?
鳥取市小山町です。
鳥取県鳥取市というのがあるんですね。
そう、あの鳥取砂丘のあるところです。
06:00
おおー。
まあ私の妻も鳥取なので、鳥取はまあまあ親しいですけど、
おお、いいですね。
多分あまり行ったことがない人の方が多いのかな、どうやろう。
確かにね。
まあでもひょんとね、ひょんと鳥取さっき行ってるよーとか。
まあ確かにね、行くか。
あとは境港にゲゲの北郎の行くよーとかみたいな。
そうだそうだ、北郎のね、水木しげるさんの、なんだご生まれ?が境港っていう場所でね。
北郎のなんかいっぱいあるもんね。
まあ、何を言いたかったんだっけ。
まあそこで生まれて、ごめん。
ごめん、あんまり大事なところ吹っ飛ばされたね。
いいよいいよ。
あれね、どういう子供でしたか?
どういう子供だったか、すげー久しぶりに聞かれた質問が。
どういう子供だろうね。でも音楽はやっぱ好きで。
音楽はちなみに子供の頃からやってたの?
たぶん小3、小4の頃にピアノ始めて。
えーそうなんだ。
その時に小学校のトランペット固体クラブっていうのでトランペットを吹き始めて。
ただ鳥取ってなんとなくこう音楽やると、今じゃ考えられないかもしれないけど、
音楽は女の子がやるもんだみたいな。
昔はあったね、ピアノ弾いてるのは女の子みたいな偏見じゃないけどそういうのあったね。
なんとなくね、特に田舎だとそういうのもあって、それがちょっと恥ずかしくて、
中学はピアノだけをやってたんだけどトランペットを辞めちゃって。
ただ高校時代にはもうその辺いいやと気にならなくなって、
むしろ音楽やりたいという思いがなって、
ブラスバンドに入ってコントラバスを始める。
そっからコントラバスをずっと弾いてる。
そんなブラスバンドにコントラバスなんてあるの?普通。
そうそう、全国の吹奏学部の人があるよって言ってる。
あるよって言ってると思うけど、
なんで吹奏学部に弦があるんだとか言われるけど、
なんであるのかは知らないけど、あるよねちゃんと。
なかなかでもさ、ピアノやってたのになんでいきなりコントラバスに行くのそこで。
それは鳥取西高校っていう高校に行ったんだけど、
定期演奏会っていうのがあって、それを入学前に見に行ったで、
マーチングとかでみんな演奏会やってる時に、
コントラバスがあるのを見て、
コントラバスってかっこいいと思って、やりたいって普通にビビビと思って、
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コントラバスやりたいですって言って、入部しましたみたいな。
じゃあそれは別に楽器とかは買わなくてもよかったんだ。
学校の楽器を貸してもらって。
コントラバスだけは確かに自分の楽器を持たなくて良い、なぜか良い楽器で。
まあね、確かに運ぶのも大変だもんね。
そうですか。
じゃあピアノもずっとやってたんだね知らなかった。
ピアノは地味にやってました。あんまり上手じゃなかったけど地味にやってました。
じゃあいわゆる絶対音感みたいなのが。
音感はないんだけど、リメンバリングピッチというか相対的な、
なんとなくこの辺の音だなみたいなのがわかる。
なるほど、でもそれはもうじゃあミュージシャンになるっていう風に、
なんていうのか夢というか。
中学の3年くらいかな、わかんないけどそのくらいには思ってたんじゃないかなと。
中学の時はピアノは続けつつ、ギターが弾きたくてしょうがなかったんだけど機会がなくて、
それで友達がギターとかエレキギターを持ってるぞと言って弾かせてもらって、
わー何これとか思って、その頃にやっぱり日本のJ-POPというかいわゆる歌謡曲を
弾き始めたというか、いっぱい聞くようになって。
逆に言うとそれまではクラシックとかを聴いてたということ?
ジャズとか?
そう、でも小学校の時ってそんなに音楽を意識して聴いてなかったんじゃないか。
テレビに流れる音楽を聴いてそれは好きだったけど、
多分ヒカル・ゲンジが流行ったとかそういう時代だったんだけど。
そうだね、俺ら一緒だもんね。
ただ中学ぐらいからはTMネットワークとかボーイっていうバンドがあるらしいぞとか
ボンジョフィってものがアメリカにはいるらしいぞとか、
エックスっていうのがあるらしいぞみたいな感じで興味を。
なんかね、友達でいるじゃん。
CDを貸し役をしてるね。
CDができた頃だったもんね。
CDというものが世の中に誕生した頃。
それを貸し役をしてダビングするんだよね。
カセットテープに持ってないから自分。
ちゃんとA面とB面の切れるタイミングとかを本当に覚えてて、何回も聴いて。
でもピアノはちなみにクラシックを弾くわけだよね。
習いに行くっていうこと?
それはそうです。
なるほど。
いろんなそこでいろんな方面に興味が向いていって。
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その頃から音楽はずっとやりたいっていう気持ちがあって、
高校の時はもう本当にブラスバンドにドハマりしてて、
ブラスバンドなんで比較的クラシックとか吹奏楽とかそういう音楽なんだけど、
家ではもちろん歌謡曲とか聴きながら、自分の中で音楽好きな日々だったかな。
ドハマりっていうのは吹奏楽部のコンテストというか、
そういうのに勝つぞみたいな、そういうノリなの?
そうです。いわゆる世の中の吹奏楽部のコンクールとかあって、
鳥取県だし、そんなに駅馬っていうわけじゃなかったんだけど、
でもみんなで頑張って金賞を取ろうとか、定期演奏会っていうのがあって、
定期演奏会っていうのは今でも思うと自分の中でキーなんだろうなと思って、
当時学生指揮者になってたのね、高校2年生の時に、学年で。
だから指揮者だったの、コントラバスを弾きながら。
どの部活も、部活の先生が指揮をする以外にも、
学生指揮者っていうのはあると思うんだけど、どこの部活でも。
生徒の中の指揮者代表みたいな、音楽部長みたいな。
部活の部長は部長なんだけど、音楽面では技術というか、
リードする人ですね。
練習計画を立てるとか、選曲の責任を負う。
責任を負うわけじゃないけど、みんなで決めるみたいなところの部長。
なんだけど、定期演奏会っていうものは年に1回3月ぐらい、
学年末、学期末にやるんだけど、
なんかね、演目を作って、タイムマネージメントして、
その裏方で人が動いてとかを、もうその時に考えてたわね、なんとなく。
ああ、じゃあ前輩のこういう人が動きて。
ディレクションする経験をもうそこの時点でしてたってこと?
そうそう、プロデュースなのかな。
プロデュースか。
その時は学生、生徒だったから出演もするし、
先輩方にはこういう流れになりますみたいなのを先輩と相談して、
2時間ぐらいのコンサートを休憩、月のコンサートをするんだけど、
そのためには半日?昼ぐらいからずっといろいろ準備してリハーサルしてとか。
その時なんか裏方でどういう人が動いてるっていうのが、なんとなく頭に入ってて。
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今もテレビの仕事っていうのはそういうのと同じノリなんだなって。
多分プロデュースするのが好きというか、裏方が好きというか、
音楽を演奏するのも好きなんだけど、ステージを開くというか、
エンターテイメントの場を影響するのが好きというのが多分自分の中にあるんじゃないかなと。
ちなみにちょっと聞き忘れてたんだけど、そのピアノを始めたのは両親のあれなの?それとも自分の意思なの?
母親がピアノを弾いてて、家のピアノがあって、
どうなんだろうな、やりなさいとか提案されたのかもしれないけど、
いわゆる可愛い楽器、可愛いミュージックスクールみたいなのがあって、
行ったけどエレクトーンみたいなのがあって馴染めなくて、
近所の個人レッスンみたいなのに行くようになって、
そこの先生がすごくよくしてくれたんで、ずっと続けられたっていうのは。
好きだったんだけど、なんとなくやらされてる感がないわけでもないというか、
外でみんながサッカーとかしてたら、行きたいじゃない?
そっち行きたいけど練習しなきゃみたいなとか。
やっぱあったんだね。 そういうのはあった。
練習したくないみたいなのは普通に、勉強がしたくないみたいなのと同じであったけど、
でもやったんだなとは思うから、やらせてもらえた上には感謝ですけど。
好きだったんでしょうね。 好きだったんでしょうね、きっと。
それでそうやって音楽を続け、裏方というかエンターテイメントを作るっていう感じになってたわけですね。
そうなんですよ。
ちなみにね、アメリカに来るまでの話の前にちょっとみんなに聞いてるのは、
なんか衝撃を受けた出来事とか人生の転換期になったなーみたいな話があれば、
まあアメリカ来て後でもいいんですけど。
まあそんなに衝撃的なことがあるわけじゃないんだけど、
多分アメリカに来るきっかけ何よく聞かれるのは、
子供の頃にカナダに、親の父親の仕事でカナダに住んでたことがあって。
どれぐらいの期間?
小学校入る前に2年ぐらい。2年住んでたのかな。
小学校に入る前?
5歳、4歳、5歳とかそうだね。
中学の時にも同じとこに遊びに行ったりして、
ボニーさんっていう家族ぐるみの知り合いのおばちゃんがいて、
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今でも仲いいんですけど、
いたのね。
日本に行った時に、日本で大学にちょっと行ってたんだけど、
ちょっと?
ちょっとだけ行った。中退しちゃってるんだけど。
なるほど。
その頃にやっぱ音楽を、
日本の大学では電子情報工学部っていうむちゃくちゃ理系の学部に行ってたのね。
音楽関係なく?
音楽関係なく。
でもその当時オーケストラとか大学のサークルでやってて、
気持ちはずっと音楽やり続けてて、
ただ楽部は理系だったんで、
ちょっと悩んだというか、
音楽やりたいなってずっと悶々としてて、
そこでその頃に川田にとりあえず遊びに行ってみようと思って、
夏休みに一人で行って、
多分その格安チケットみたいなのがロサンゼルス経由だったのね。
なるほど。
だから帰りにロサンゼルスに寄ったのね、1日か2日だか。
その時にロサンゼルスの街でウォークマンを聴きながら歩いたりして、
ハリウッド見たりとか、ハウスブルースに行ってみたりとかして、
そこでアメリカ来ようって思った。
それが何回も言ってるから結構来たみたいな話だけど、
日本で音楽聴いてた、同じ例えばエリック・クラプトンのギターとか、
ロサンゼルスで聴いた時にすごいしっくりきたのね。
つくば多分わかると思うけど、
日本で聴いてて日本でも好きだったんだけど、
ニューヨークアメリカに来た時に、
なんだこの自然な感じが。
そこで生まれたもんだからね。
バスの中で黒人のおばちゃんたちが喋ったりしてる中で聞こえる、
エリック・クラプトンがすごいしっくりきちゃって、
ここで勉強ってここで音楽やるのが一番いいんじゃないかなと思っちゃって、
そこからアメリカ来ようと思って。
それで通帯やめさせてくださいって。
そうそうそう、すいませんって言って、
すいませんって言いながら来て、
本当は1年とか1年だけとか2年だけみたいな感じでせこせこ来たんだけど、
でもすげーアメリカ来てからやっぱり練習して、
そこでジャズに出会ったのね。
それまで全然ジャズとか聴いてなくて、
ジャズとか別に好きでもなかったんだけど。
でもその大学オーケストラでやってたのもコントラバスを続けてたの?
コントラバスやってたけどそれはどちらかというとクラシックのジャンルなので、
弓を使って正しく譜面通りにちゃんと正しく弾くとか、
いい音をちゃんと出してみんなで一緒に演奏するみたいな。
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正解があるみたいな感じかな。
正解があるし作曲者の意図はどうだみたいな感じの世界だったんだけど、
ジャズってものをやった時になんだこんなに楽しい、
自由なんだみたいな。
自由というかね、なんか躍動感があるっていうかね。
まあ踊り出したくなるみたいな?
そうそうそう。
あと和音とかもすごい、
なんかジャズってもっと難しいものだと思ったんだけど、
すげーポップだなと思って、
なんでこんなに明るいんだと思って、
それが謎というか、
それがこんな勉強できる場所にいるんだみたいなところでジャズって、
とりあえずなんかわかるようになりたいと思って、
カジで始めて、
当時ベースとかやってたけど、
ギターをとりあえず弾きたくできるようになりたかったから、
ギターをずっと練習してて、
ギターばっかり練習してんだけどベースも弾けちゃうみたいな。
ピアノも弾けちゃうし。
そうそう、ピアノはベーシックなことをやってて。
さらに面白いのが、日本で理系の学校って、
アメリカのカレッジで、
真面目にプレスメントテストとか受けたら、
むちゃむちゃ数学の点数がいいわけ。
だから音楽の仲間の中で、
お前だけなんでそんな難しい数学のクラスとかやってんの?
って言われたら、
後で手を抜いてテストすればよかったなって思った。
数学に関してはね。
余裕で受かってたってことね。
そうそう。
だけど、数学の仲間の中で、
お前だけなんでそんな難しい数学のクラス取ってんだよ?
みたいな感じで、
あと数学のクラスって、
エンジニアになりたい人とか、
理系の納得にやりたい人とかいるからね、
お前何に学ぶ?って言って、
音楽?とか言って、
は?みたいな感じで言われて、
でも数学一生懸命勉強したから、
英語もすごくできるようになったと言わないけど、
地理とか歴史とか勉強したので、
何気にすごい勉強のためになったなと思ってて。
それは何?音楽やる上でも他の仕事する?
今振り返ると仕事をする上で、
やっぱり英語力とか知識とかって、
教養だよね。
特に日本で育っちゃうと、
アメリカのことなんか知らないじゃん。
知らない。
アメリカの歴史とか。
俺は日本のことも知らない。
何も知らない。
分かった。
知らないことに気づけた。
そうだよね。
そうなんだよ。
20歳くらいになってから、
自分って何も知らないってことも気づくんだけど、
その時にアメリカにいたから、
アメリカのことをすごく勉強することになったし、
アメリカに来たことによって、
日本の良さとかすごい分かるようになったし。
そうだね。
アメリカに来ると、
アメリカの不便さとか理不尽さが目について、
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日本の素晴らしさがどんどん気づくって、
日本の奥行かしさとか、
素晴らしいところとかがすごく分かるんだけど、
4,5年経ってくると、
アメリカに慣れちゃうのかなんかで、
あれ、日本がおかしいんじゃないかってことに気づき始めて、
日本の方がおかしいんじゃないかってこともちょろちょろ気づき始めてきて、
今では別にお互い違うもんだってのは普通に思うんだけど。
そうね。よしやし両方あるよね、それはね。
そうなんだよ。ほんとそうだよね。
でもそうか。
衝撃を受けたのはハリウッドとかアメリカの風景とか、
そうかもしれない。
そういう感じなんだね。
そういうのがアメリカの匂いとか空気感で。
その瞬間のあれだよね。
いや、それすごく分かる。
俺もなんか、本を読んで読み終わった後の雑踏とかで、
すごい衝撃を、衝撃っていうか、
自分の中でゴローって変わったこととかもあるし、
ちょっと伝わってるか分かんないけど。
そういう時にあるんだよね、きっと。
そうそうそうそう。
だから別に何かね、事件があったとかじゃないんだけど。
そう、じゃなくてね、何かふとした瞬間にあるんだろうね。
なるほど、それでアメリカまで来ちゃって、
音楽を年賀の音楽をやるってことになって、
その頃にじゃあきっと出会ったんだろうな。
僕もバンドをやっていて、
その時アキ君はロックのバンドもやってて、
ギターを弾いてたんだよね。
エレキベース弾いてたかな。
そうだよね、エレキが。
懐かしいですね。
その時にもやっぱ裏ではジャズをすげえやってて、
いやーだってほんとこの人なんかめちゃくちゃ頭いいなと思ってたもんね。
ほんとに?そうなのかな?
全然そんなことない。
まあそっからじゃあなんでまた今ニューヨークにいまいるけど。
あーそうそうで、
カルフォルニアもそうミツ君もいた、ロサンゼルスに行ったんだけど、
常にアメリカにいる人は思うと思うんだけど、
いつ日本に帰らなきゃいけないんだろうとか、
いつ帰るべきなんだろうみたいなのが常にあるじゃないですか。
そこでアメリカで大学ジャズも一通り勉強した時に、
日本帰るべきなのかな、でも仕事もせないかんしなみたいなのがあって、
音楽で学部出ても別に仕事って教えるとかしかないんだけど、
ただちょっと自分はジャズをやってるのにニューヨークに行ったことがない感じなので、
行かないといけないんじゃないかなと思って、
とりあえず日本帰る前に行っておこうと思って、
その時に大学院でちょうど自分のしたい作曲とかビッグバンドとか、
作曲のジャズの大学院があって、
27:00
そこに幸い受かって、
あれそれはどこだったの?
それがね、ウィリアム・パターソンっていうニュージャージーなんだけど、
ニューヨークの川近くというか、
まあ川渡ったところかな。
川渡ってちょっとのところで、
一回なんか会ってるよね俺らニューヨークでね。
会ってるよ。
その頃かな。
いや俺だから、その頃か。
その頃かな、その後かな、わかんないけど。
あのイサムノグチミュージアムに行ったの覚えてるでしょ。
行ったよね。
あれ。
それその頃か。
そうその頃なんじゃないかな、ちょっと潤いだけど。
東側に来てちょっと、ちょっと経ったぐらいかなと思ったと。
で、このまま家庭を出しちゃうと。
大学院に行って。
大学院でジャズをがっつりやってて、
それこそビッグバンドとか音楽理論とかをもっと追求してて、
ビッグバンドを書くとかね、作曲するとかアレンジするとかやってたんでね。
あとコンテンポラリーのクラシックの作曲の方法とか勉強してたりしてて、
自分の中では一番クリエイティブにものを作ってた時期だと思うんだけど、
なんかその音楽と、音楽としての美というか、
音楽としての深みとかを追求してた時期だったんだけど、
幸いその大学院のスカラーシップというか、
グラジュエートアシスタントって言うんだけど、
大学院で働くことができて、
学費延長、プラスなんかお金出るみたいなのがあって、
そこで配属されたのが映像学館だったのね。
そこで映像につながっていくんだ。
なるほど。
そこで、自分はジャズを勉強してたんだけど、音楽やってたんだけど、
その大学の放送学科みたいな、テレビニュースの学校バージョンみたいな。
学校内のニュースを番組作るみたいな、そういうこと?
そうそう。
あとローカルでも流してたのかな、地域でも。
スタジオとかあったり、編集機があったり、
それこそファイナルカットっていう、
アビットとかそういうのがあったり、デジタルのカメラがあったりしてて。
そうなんだ、なるほど。
ミニDVとかそういうのがあった時代なんだけど。
そこのスタジオ管理をやったりしてるうちに、
生徒のクラスを覗き見ることができ、
なんかこれ面白そうと思って見てて、
ファイナルカットっていうものをちょっと教えてもらったりして、自分でいじってて。
それちなみに何年頃の話だろう、YouTubeとか?
2008年、そうそうYouTubeが、今YouTubeって言おうと思ったんだけど、
YouTubeが出ようとしたところ、すごい右肩上がりの時代だったね。
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で、やっぱ音ってこう自分で、それこそ昔から音を作ったりしてる時に、
周波数とか音質とかってすごいこだわるんだけど、
映像が出てくると音質よりもやっぱり情報量が多い。
そっちに目を奪われるとね。
ミュージシャンが汗かいて弾いてたら、それを見て、
あと音でね、ドラムがあってベースがあってキーボードがあってとかっていうのを聞くのもいいんだけど、
ものに見て、ライブに行くのとは違うけど、ライブを見れるような感じじゃない。
だからYouTubeってすげえなと思って、映像ってすごいなと思って、
大学院の卒業演奏、自分の卒業演奏っていうのが卒業科目であったんだけど、単位であったんだけど、
卒論を書くみたいな?
卒論みたいな感じで、
自分の全部アレンジしたものとか作曲したものとかやってたんだけど、
映像学科の友達にちょっとビデオ撮ってよって撮ってもらって、
それこそ3カメこれとこれとこれってやって、
それ全部自分で編集して、
自力で自分の卒業コンサート音楽ビデオみたいなの作っちゃって。
そんなことできるんだったら、いい加減仕事をしなきゃいけないしというので、
探してたら映像プロダクションみたいなのが急に来てて、
今の会社ではないんだけど、そこに、
すいません音楽やってるんですけど、こういう映像も作るようになったんで、
仕事はありますか?みたいな、何でもやりますみたいなので入ったら、
コーディネーターっていう仕事をやるようになって、
今と同じ仕事?
今のところの、運転とかから始まったりするんだけど、
これがまた俺すごい旅するのが好きで、
アメリカ西海岸と東海岸を車で往復したことがあって、
だから結構いろんな州に一人で行ってるのね。
一人で?
一人、自分で車で行って、
それこそね、西から東行った時に楽器があるから、
飛行機に乗って行けないなっていうのがあって、
まあ行けるんだろうけど、
まあ持ち込めないから危険だもんね。
でもそうして持っちゃったら他の荷物持てないじゃん。
ギターもあるし、エレベーターもあるし、ウッドベースもあるし、
それは車に行かない感ってことか。
車に行かない感だったので、
全部荷物、車積んで、
エッチャエッチャで1週間くらいかけて行って、
その時は南側のロサンゼルスの南の方から
アリゾナ、テキサス、ユメキシコ、テキサスとかに抜けて、
とりあえずアトランタとか抜けて、
33:02
ジョージアとか抜けて、
東海岸を北に上がったりしたっていうようなルートをしてたんだけど、
もうちょっと楽器を西側に置いてて、
友達の家に置いてたから、
取りに帰らないといけないって話で、
夏休みに、学校の大学院の休みの時に、
今度は北に行ってみようって言って、
カナダの方というか、後台区とかシカゴとかあっちの方を抜けて、
マウントラシュモとか見て、
うわ、サウスダコだじゃん。
そうそう、あの辺を抜けて、
ソルトレイクシジとか抜けて、
サンフランシスコまで出て、
エッカーコインが落ちてきたとかやって、
やばいんだけど、また帰ったんだけど、
一億半してるのね。
やばいね、それ。
だからアメリカのことを結構何気に知ってて、
アメリカ自治より旅してるの、本当に。
それすごい、でも本当に今の仕事にも役に立ってそうだし、
いろんなクリエイティブなところでも役に立つそうだね。
音楽作る上でも。
そうかもね。
あとそこででも、
これまた仕事に繋がるんだけど、
ソウルのサウスダコタとかノースダコタとか運転してると、
ネイティブアメリカン、インディアンのミュージアムみたいなのがあって、
一人で運転してると疲れるから、
気晴らしに寄ってみようと思って、
フラッと寄ってみたときに、
地元のおっさんに、
お前どっから来たんだ、みたいな。
アジア人初めて見たぞ、お前みたいな感じの
おじさんに話しかけられて、
今ちょっとニューヨークに住んでるんだけど、
アルフレミアに移動途中なんだ、みたいなことを言って。
そのときちょうど、
ブッシュ政権が、
1回目だか2回目だか忘れてたけど、
選挙前かな?だったんだけど、
なんだったかな?
共和党がジョン・ケリーだったんだけど、
その辺で、すごく保守的なアメリカの共和党の人におじさんに出会ったのね。
なるほど。
そのときに、
俺は民主党の方が好きだって話をして、
なんでだって言うから、とりあえず環境問題気になってるから、
アメリカ、京都会議とか抜けちゃうし、
環境全然気にしないし、
良くないよね、みたいな気持ちで俺は言って、
そのおじさんは、
俺は人口中絶はダメだとか、
ミスター・ブッシュはとてもジェントルだ、
みたいな話をしてて、
全然違う人なんだっていう。
歴史とか宗教とかの。
そうそう、宗教が。
それこそ、サウス・ザクターの
ノースだってことは忘れてたけど、
天気むちゃむちゃいい自然の囲まれた人が、
36:01
この人、環境問題気にしないよなって思って。
それは知らんわな、そんなのと思って。
それよりも隣村の自分の友達の娘が中絶したら、
それは大問題だよなって思って、
初めてその人の気持ちを理解しようという気持ちで出会えて、
それが今でも選挙の取材するときとか、
すごい生きてる、こういう人もいるんだなって。
考え方の源っていうか、
ここに住んでいればそれはそうなるわなみたいなね。
だって例えば自分も鳥取県にいて、
鳥取県のばあちゃんたちとかって、
田舎のなんとかさん家の議員さんが偉い人で、
自民党のなんとかさんが偉い人なんでしょ、
みたいな選挙に行くわけじゃない?
分かんないけど。
それと都会の人たちの感覚とかっていうのは、
東京の都会の人とかの若者の感覚って全然違うと思うのね。
やっぱりそれこそばあちゃんの環境問題がとかいうよりも、
やっぱり違う企業にお金が落ちなきゃとか、
偉い人がどうとかこうとかって言ったら、
感覚が違うんだろうなっていう。
そうだね。視野の広さとか、
入ってる情報の量とか、
いろいろなあれがあると思うけど、
生活圏内見たら全然違うもんね、それはね。
そうなんだよ。
だからやっぱりその住んでる環境の考え方とか、
その場の問題、自分にとっての問題って違うなってのは思うから、
一応テレビの話になっちゃうけど、
そういう気持ち、旅してね。
旅してそういうことにいろいろ気づけたっていうことですね。
なるほど。
何の話してるんだっけ、ごめんね。
まとめられなくなった。
今の仕事までの経緯を聞きなかったのでちょうどいい感じなんですけど、
ちょっと今から仕事の掘り下げをしていきたいと思います。
仕事と後は音楽活動ですね。
学位でも音楽の学位を持ってらっしゃるんですね。
学位は、そうだね、何だっけ。
委員まで行ってるからね、でも。
すごい。音楽で何ですか。
39:00
マスターですか。
マスター、バチュラー、どっちだろう。
行ってらっしゃるんだ。そこ大学院ですもんね。
マスターオブミュージックですね。
すごいな。
ジャズ、コンポジション、アレンジメント。
ウィリアム・パターソン・ユニバーシティですね。
ニュージャージーにあるって言ってましたけど、
ニューヨークの反対側。
はいはい。
だからもうニューヨークにいるようなもんだけどね。
アメリカ一周半してたってのはちょっと知らなかった。
そりゃあいろんな教養というかね、なんというか。
そりゃあよ。
だし、クリエイティビティもすごいと思うよね。
そういう経験をしたってことだね。
本当にアメリカはね、違う国が集まっているほど
全く違う場所ですからね、州によってね。
日本ほどね、四季があってとかそういう感じではないけども、
土地としてやっぱりでも。
あと特産物とかそういうものは少ないけど、
なんかやっぱり違う。
州ごとにね、法律も違えば、何もかも違うみたいなね。
国がいっぱいくっついてるみたいな感じだもんね。
本当はやっぱり人種として、
それをいつやるかっていうのもあると思うけどね。
多分、あきくんはこれだから25、6とかかな。
6、7、8とかそんなもんじゃないかな。
大きいよね。
吸収力がすごいある時期ですよね、20代とか。
いやー、大きいね。
大きいね。
吸収力がすごいある時期ですよね、20代とか。
いやー、もうなんかでも俺、今コロナになったから、
外に出る機会って減ったじゃない、だいぶ。
はいはいはい。
で、俺昨日結構オレンジカウンティーをなんかフラフラじゃないんだけども、
容姿があっていろいろ行っててさ、
やっぱり人に会うのはいいなーっていうのはね、
それだけでも思うから、
なんか旅に出ないとなーと。
なんか、やっぱりそうクリエイティブな感覚というのもそうだし、
偶然の出会いみたいなのもそうだし、
作らないとそういう機会ほんとなくなっちゃうよね、と思って。
そう、ほんとにね、何にも自分から自主的に作らなければ、
全部オンラインで済んじゃいますよね。
そうなんだよ、パソコンの前でてきてきやってたら、
とりあえず生きていけるんだけどさ。
そうなの、そうなの。生きていけちゃうから。
何かが、何かの能力が絶対落ちていると思うよね。
うん、それはあるでしょうね。
なかなか。
確かに。
42:00
いやー、そうなんだよなー、だから。
そういう人が、今映像とか、
番組の制作とかに関わってらっしゃるってわけじゃないですか、
いやー、ほんとにこうやってちゃんと自分の目でアメリカを見た方が
連れてるっていうのは、非常に。
なんか安心感もあるよね。
ちゃんとしっかり作っているんだなっていうのはね。
信頼が持てますね。
信頼が持てますね。
やっぱね、LAとかニューヨークもそうだと思うんですけど、
とかにいると、これアメリカじゃないからね。
なんかもうアメリカっていうかLAっていう場所だから。
あーまあね。
そうそうそうそう。
まあそうだよね。
とかにいるとね。
カリフォルニア共和国みたいな感じになっちゃってるし。
そうそうそうそう、ちょっと違うから。
確かにそうだな。
本当のアメリカを知らないっていう意味ではあるかもしれないね。
そう、と思いますね。
いやー、でも俺が本当にアキ君と接触してた時は、
彼はロックバンドをやってて、
だけど裏ではジャズをめちゃくちゃ勉強してたっていうのはね、
それがだから、あの時やたら知的な人だな、この人はと思ってたんだよね。
そういう理論とかもちゃんと知ってたんだろうし。
なるほどなるほど。
なんかすげーなーと今になって。
おもろいっすなー。
ほんとですね。
まあそれで映像もね、ひょんなことから映像、
ひょんなことっていうか、大学で仕事してる時に映像プロダクション科みたいなところで、
映像学科か。
海賊になって映像にも興味を持って、
でプロダクションの方に仕事が流れていくっていう感じでしたね。
なるほどなるほど。
はい。
人生何が起こるかわからん。
はい、それでですね。
来週は?
来週はですね、なんとトヨタアキオ社長、
今ちょっと話題になってるトヨタの社長変わりますってことで、
今これ現時点で話してるのは2月の終盤27日とかです。
あ、違うわ。
あ、そっか、放送の時。
1月ね。ごめんごめん。
じゃあ収録してるのは1月の27ですけど、
そうですね。
トヨタアキオ社長が交代になるというニュースをね、
たぶん2、3日前になんか出たばっかりで、
すごいトレンディーな内容ですね。
そのトヨタアキオ社長とのエピソードだったり、
あとはなんや、そのトットレとクラシックとかね。
へー。
クラシック音楽を元々はね、はっきくんが聴いてたということで、
とかブラスバンドの話とかね、なんかその辺面白いなっていうのが次ですね。
へー。
あともう少しこのなんていうのかな、先進論っていうか、
この音楽をやっている姿勢とかモチベーション?
はいはい。
その辺を深くちょっと切り込んだ感じのお話になっております。
45:02
はい、楽しみにしております。
はい。
リアルアメリカ情報。
よっ。
このコーナーでは最新のビジネス生活情報を
アメリカ・ロサンゼルスよりお届けしてまいります。
はい。
えっとね、先ほどのインタビューで
アメリカ横断みたいなお話出ましたけれども、
私、今月初めて東海岸に行ってきました。
おー、今月というのは2023年1月の話ですか?
はい、そうです。
はい。
寒かろう。
って思うじゃない。
あの、行ったのはノースカロライナなんですけど。
あ、ノースカロライナ、ニューヨークじゃなくて。
そう、東海岸のノースカロライナという州で、
まあまあ下のほうか。
そう、まあまあ下のほう、真ん中ぐらいどう?
真ん中よりちょい下ぐらいか。
フロリダが一番下なのね。
そうそうそう、っていうような感覚なぐらい
わかんないんですよね、場所がどこかね。
よくわからんけど。
フロリダがとりあえずあったかいイメージはありますね。
東海岸の南の。
東海岸の中の一番南にね、位置するのはフロリダで。
で、東海岸の北側に位置するのがニューヨーク。
ニュージャージーとかね。
そうですね、その辺ですね。
まあその間ぐらいかな。
なるほど。
何でまた。
出張だったんですけど。
あ、出張で。
そうそう、出張で行ってきました。
お仕事ですね、じゃあ。
お仕事で。
シャーロットという一番大きなとこかな、町。
シュートか、シュートは違う、わかんないけど。
一番大きな町がありまして、あそこに出張で行ったんですけども。
アメリカに行ったことがあったのは、私はカリフォルニアとネバダ州ぐらいなんですね。
隣のラスベガスのある。
砂漠ですね、この辺の砂漠ですね。
この辺の砂漠したなくて。
ちなみにミツさんはいろんな州行ってます?
いやーでも俺もその辺オーロラしてるのと、サンフランシスコ、ハワイ、ニューヨーク、ニュージャージー。
あとシカゴもあるかな。
あ、サウスダコタも。
でもあとサウスダコタも、もともとサウスダコタですからね。
確かにサウスダコタからは車で来たから、
すごいすごい。
半分は車で来てるよね。
知ってるんだ。
ロサンゼルスにいるとさっきも話したんですけどね。
48:01
うん。
アジア人ってすごい多いし、
ラティの、ラテン系の人たちが半分ぐらいを占めたりするので。
確かに確かに、ごちゃ混ぜた。
そうそう、ブラックの人も多い。
白人っていうのはもうね、少数派に位置することが結構多いわけですよ。
マイナーですね。
マイナーなんですよ。
そんなところでずっといるもんだから。
白人だらけのレストランとかに行くとちょっと緊張しちゃう。
確かにね、白人見ると、
あ、あの人本物のブロンドだってちょっとびっくりするもんね。
たまに見るけど。
これがアメリカっていう感じのイメージのものみたいなね。
大体偽物の金髪の人多いからね。
染めてね、髪の毛染めてるから。
そうそう、なんかすごい不思議な感覚で。
仕事でもう缶詰だったので、
全く外出れなかったんですけど、
だとしてもやっぱり夜ご飯を食べに行った隣の
ちっちゃいレストランとかも、
本当にアジア人ももちろん一人一人いないし、
白人って感じで。
それは金髪で青い目の白人ですか?
うん、そうそう、基本的に。
そういう感じの人が多くて、
で、ラティーノも全くほぼほぼいなくて、
黒人の人もほぼほぼいなくて、
なんかアメリカってこういうことを言うのねって思いました。
なんかアクセントとか喋り方とかもちょっとやっぱり違った?
うん、なんかちょっと、
みんなすごいフレンドリーな人が多かったですけど、
こっちみたいにのんびり喋んないかなって感じ。
あー、そうなんだね。
えー、そっか。
それはお仕事だけどね、やっぱでもそういうのを見れるだけでもね、楽しいよね。
なんかすごい貴重な体験をしたなと思うんですけど、
なんかこうやっぱりアメリカにいるからには、
他のところ、ロサンゼルス、ニューヨークとかだけじゃなくて、
他のとこも見なきゃなーって思ってるんですよね。
そうねー。
まあネイティブアメリカの話、秋くんの話にも出たけど、
俺もね、サウスタコタで会ったことがあって、
その時はなんか結構、野蛮って言うとちょっとあれかもしれないけど、
なんか喧嘩のやり方を教えてやるから来いみたいなことを言われてさ、
ちょっとヤバそうな人だったんだけど、
でもね、結構そういう人たちうろうろしててさ、
なんか、
まあなんかいろいろね、アメリカの歴史を見るといろいろその、
ちょっと、
難しいところもあるよね、そういう人たちが最初に住んでたのにとかね。
そうそうそう、先住民がね。
そういう人たちが今持っている利権みたいなのもあるだろうし、
51:03
まあでもそういうのをね、そこに行かないとそんなこと考えないしさ、
きっかけになるよね、やっぱり旅は。
いやそう思いますよ。
うん。
なんかみっちさん今後行くとこ、計画ありたりします?
俺でもね、友達があのー、どこだっけ、シカゴじゃなくてあの、
ゴダイコのあるところ。
ケンタッキーとか?
おお!アトランタ?
そうそう、その辺にいたんだ。
いて、行こう行こうと思ってたらもうその気にしちゃって日本に帰っちゃったから。
あら。
なんか誰もいないと別にそこに飛ぶ理由がないっつうかさ。
そうなの。
ゴダイコ?って言うやつ。一人でそこに行ってもなみたいな。
だから誰かいたらね、行くきっかけになるんだけどね。
特に、まあでもテキサス行ってみたいかな、やっぱりあのー。
あー、はいはいはい。
えっとなんだっけ、えっとあれ、イベントあるじゃない。
イベント?
で、サウスウエストってやつ。SXSWだったっけ。
なにー。
えっとあれだよ、セスみたいな、CSみたいなあのー。
あーそうなんだ。
あのテクノロジーもあるし、でもあとエンターテイメントとかアートとか。
その辺全般の、もうなんつーの。
展示会という意気を超えて多分もうエンターテイメントになってると思うんだけど。
おもしろーい。
あと名人さんも多分たくさん来て、あのー、演奏したりとかって。
いつでやってんだっけあれ。いつか行きたいなーと思いつつ。
お仕事兼みたいなね。
まあね、そう、そういう話があればいいんだけどね。
えー。
テキサスはそうか、私の知り合いも近日中、直近。
行く?
もうすぐ引っ越すって言ってました。
あとなんか日本の、アリゾナだっけ、コロナだっけ。
うん。
なんか日系の、日本から結構お金出て、なんか誘致が進んでるみたいな、なんかそんな話を聞きましたけど。
え?
工場かなんだか。
あら、そんなんですか。
そこに行く人も増えるんじゃないですかね。
うーん、アリゾナは確かにね、聞きますよね。
うん。
なるほどねー。
やっぱ上の、上半分とこの東半分あたりがやっぱ、行ってみたいけど行く用事がないっていうね。
未知、未知未知。
そう、本当にアメリカ広いんですけど、なかなかね。
それこそ1ヶ月ぐらいかけてキャンピングカーでね、やっぱ。
うん。
のんびりとやりたいよねー。
それ楽しいですねー。
割とね、こっちの老後のね、過ごし方の夢の一つでね、皆さんが、年配の方がね、キャンピングカーでこう、のんびり旅してるっていう光景はあるよね。
54:03
そう。でもこのご時世できちゃいますよね。
まあね、仕事しててもね、やろうと思えばね。
結構ね、同僚とかも多分やってるはず。
うーん。
っていうのも、どこにいても結局私たちミーティングオンラインだと、どこにいるかわかんないから。
そうなんだよね。
そう、実は別のとこにいたんだっていうのもね、きっとあるんですよ。
インターネットさえつながってればね。
そうそうそう、インターネットさえつながってて、その平日はどっかにキャンピングカー止めといて、キャンピングカーの中でお仕事してればね、済んじゃうから。
そうなんですよねー。
まあなんか日本もね、わりとそういう働き方もね、認知されつつあるようで。
らしいですね。
本当は海外にいますみたいなね。
なるほど。
時差だけ頑張ればね、自分が頑張れば。
でも実際今俺ズームで沢井ちゃんと話してるけど、背景がね、ファンシーな家の壁紙だから。
そうそうそうそう。
どこにいるかわかんないしね。
みんなね、壁紙後ろ書いちゃえばわかんないから。
そうなんだよね。
そう。
まあ。
そういう時代ですね。
出張お疲れ様でございました。
はい。ありがとうございます。
はい。
ということでリアルアメリカ情報でした。
はい。
締めのコーナーです。質問。
はい、質問。えーっとですね、なんかね、今朝思い出してたというか、なんか質問どうしようかなーって考えてたときにポッと思い出したというか、
思いついたのが、今はなくなってしまったが、また行ってみたいなーって思う場所ありますか?
あー。
懐かしい場所なのか、わからないけど、もうなんだろうね。
まあ俺から話しましょうかね。考える時間。
俺はね、それ思い出したのは、ニューヨークとか、あきくんの話を聞いてて、ニューヨークの出張中だったと思うんだけど、
CBGBっていうですね、ライブハウスがありまして有名な。
そこはパンクバンドがよくやる場所で、ラモンズとかね、有名な人たちがジャケットに出てきたりもするんですけどCDとかね。
あそこに行けたこと、それはもうなくなってしまったんだけど、確か何年前だったかな、もう一定数年経った後に。
でそれともう一つLAにも、ザ・ガレージっていう、これはね、コリアンタウンの辺、ハリウッドのちょっと外れあたりにあった、これもまあライブハウスで。
57:05
よくそこで演奏もさせてもらったし、ギターウルフとかね、日本から結構有名なロックバンドとかも来てたりしとか、
そこで憧れてたパンクバンドのメンバーがそこで普通に飲んでて、
で俺らもそこに見に行ったり演奏したりして、普通に一緒に食べることができたりとか、なんかすごく思い出深い場所。
それもなくなっちゃって残念だなっていう。また行きたいなーっていう場所なんですけどね。
そういうライブハウスとかはそういう歴史がいっぱいありそうですね。
もうシールベタベタ貼ってあったりとか、汗とか染み込んだような汚い、壁とかアンプとかいろいろ置いてあるっていうね、歴史なんですけどね。
今はないけど、なんか懐かしい場所って沙織ちゃんにとっての?みたいなのはありますか?
そうですね、やっぱり小っちゃい頃かなって思ってて、今ね、すごいこれ話そうって思ったのに、
うん、忘れちゃった。
思い出した、よかったよかった。
でもわかる、それある。
俺なんだ、今さっき思い出したのに。
そう、2秒前みたいな。
やばいやばい。
中学校の頃って、まだなんだろう、高校まで、高校ほども自由ないけども、でもお小遣いももらえて、ちょっと自由があって、
友達と放課後とか。
学校帰りに。
っていうので、いつも結構タムロしてたのが、山梨県の甲府駅周辺にあるパセオっていうね、
山甲とかパセオとかっていうデパート、駅前デパートみたいな。
で、何個かあるんですけど、そこの無印に行ってお菓子を買って、そのお菓子を持ってその非常階段でジュース飲みながらタムロしてた。
そういうのわかるな。
あるでしょう。
場所ね。
そう、あの場所。
あの場所みたいなね。
ちょっと行きがってんだけど、なんかジュースとお菓子みたいな。
そういう時代。
あるね。
結構みんなあるんだろうなっていうね。
でも何もないんだけど、そこで食べるのがね、
そうそうそうそう。
ルーティーンになってるみたいなね。
そうそうそうそう。
まあでもそういうの、建物とかももう開発されたりとかしてなかったり、売却されて他のものになっちゃったりとかしたけど、
そうだよな。
楽しかったな、あの時代。
無駄な時間ね。
無駄な時間、いや本当無駄というかあの、余白だよね。
この、余裕のある時間というかなんていうか。
今はあまり持てないもんね、そういう時間。
1:00:01
そうそう。当時は、当時で必死だったんだけれども、
でもやっぱり、ああいうなんか、生産性のない感じのね。
どうでもいい時間。
そうそう、楽しかったなっていうね。
楽しかったね。
まああと俺あの、チャリ、チャリ2だったから、やっぱチャリで学校の帰りとかにだべってる時間も相当楽しかった。
田んぼのあぜ道とかを。
分かるー。いいですね、風をなびかせながらね。
えーとか言いながら一緒に泊まってた。
たまに顔に虫が当たってね。
あ、当たる当たる当たる。
でーって当たるんだけどね。
そうそうそうそう。いいですよね。
おかし話になっちゃうけど。
そうそう。っていうとなんかやっぱ田舎育ちで良かったなってすごい思いますね、私はね。
まあね、でもまあ都会でもねやっぱりそういう場所はもちろんあるだろうし。
都会は都会なりのなんかそういう思い出がきっとあるんだろうけど。
ね、なんかまあそういうのは大事にとっておきたいですね。
これどういう、まとめに。
どういう話だったっけ。どういう話だったっけになるけど。
いいか別にしんみりしなくてもいいんですよ。
そうそうそう別にいいの。
ということで今回お届けしたインタビューとリアルアメリカ情報のインフォメーションはブログに掲載しております。
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ということで今週も聞いてくださってありがとうございました。
ありがとうございます。
また来週お会いしましょう。
じゃあね。