2025-08-30 1:07:46

【インタビューLIVE15】NY在住ジャズボーカリストみとゆかさん😄🎤♪

【8/30 20時〜NY在住ジャズボーカリストみとゆかさんインタビューLIVE】

インタビューLIVEの第15弾のゲストは、
ニューヨーク在住ジャズボーカリスト みとゆかさん。

ニューヨークで、会社員、ジャズシンガー、そして最近はオンラインでのジャズボーカルレッスンにも活動を広げています。
渡米の背景や当時の苦労話、会社員との二足の草鞋のコツなど、教えて頂きました。

http://yukamito.com/
👆みとゆかさんのwebsite

https://youtube.com/@yukamito?si=W7J61djN-GH3uJxa
👆みとゆかさんのYouTube

https://www.street-academy.com/myclass/198402?conversion_name=direct_message&tracking_code=412b66a281d2fcdd75fdeb142feb405d
👆みとゆかさんストアカ

渡米して28年。
ジャズボーカリストとして、老舗クラブのDon’t Tell Mama、Jazz at Kitano、Club Bonafideなどに出演。
日本でも、キーストン東京、東京倶楽部、中目黒楽屋といった多くの著名なジャズスポットに出演してきた実力派。
2025年10月には、東京、山形、仙台でLIVEを予定しています。
また、作詞作曲も手掛けるゆかさん。
2024年にはdoLuck Jazzから、アルバム「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」と「ラブ・イン・ザ・シティー」を同時リリース。
applemusicなどにもアップされています。
タワーレコードでもCD販売中。

【ゆかさん帰国LIVE🎤(^^♪】
東京:2025年10月16日(木)Jazz Dining B-flat
開場: / 開演: 料金:¥3,850
山形:2025年10月17(金)開演: Perform Spot “Mercy”料金:¥2,000 *要ドリンクオーダー
仙台:2025年10月21日(火)開場: / 開演: Mondo Bongo MC:¥2,500

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#ジャズボーカリスト #ニューヨークライブ #ジャズ好きと繋がりたい #挑戦する人へ #人生は何回でもやり直せる #好きなことを仕事に #ジャズライブ配信 #二足のわらじ #日本人ジャズシンガー #インタビュー番組 #NYから生配信

サマリー

ニューヨーク在住のジャズボーカリスト、美戸ゆかさんがキャリアや人生の選択について語ります。彼女の東京での経歴やニューヨークでの活動、そして帰国ライブの情報が紹介されます。ゆかさんはアメリカ留学を経てニューヨークで音楽を学び、ジャズの魅力に引き込まれました。ディズニーランドでの経験を活かしつつ、帰国後もジャズシンガーとしての道を歩みながら、仕事と音楽活動を両立させています。このポッドキャストでは、ゆかさんのキャリアや挑戦が語られています。彼女は金融機関で秘書業務を25年間行っており、その間に音楽活動も続けています。異文化の中での仕事の難しさや失敗からの学びにも触れています。美戸ゆかさんが自身の音楽キャリアやジャズクラブでの挑戦について話し、金融機関で秘書として働きながらジャズ活動を続け、その中で日本の文化や自身の音楽性について表現しています。さらに、来日の予定やライブ情報についてもお話しします。

インタビューの開始
みなさんこんばんは。この後8時からインタビューライブを行いますが、あと数分ですね。お待ち下さい。
BGMとかね、聞こえますかね?
本日のゲストは、なんとニューヨークにいらっしゃるんですよ。ゆかさん入れるかな?
ジャズって、なんか大人な気分になれますね。
今日はご本人のアルバムをかけてね、インタビューをしようというところなんですけど。
あー、ありがとうございます。すでに何人か入っていただいて。こんばんは。
あとちょっとお待ち下さいね。というか、ゆかさんが来ないぞ。
あー、サリーさんこんばんは。ありがとうございます。
土曜日の夜に、きっとお忙しい中。みなさんありがとうございます。
あれー、ゆかさん。
サリーさん、あとトムキャットさんもありがとうございます。
ちゃんとさんもありがとうございます。
あれ、ゆかさんね、招待してるよ。入れるかな?
昨日、サリーさんのインタビューの時もそうだったんですけど、ご本人の曲をこうやってBGMにかけるじゃないですか。
そうするとね、そっち聞いちゃうんですよね。
お話も楽しいんだけど、つい曲を聞いてしまうというね。
そこでなんかこうね、片耳曲の片耳お話みたいな。
そんな感じで、とってもね、インタビューする私としては難しいんですよね。
はーい、8時になりましたが、ちょっと待ってくださいね。ゆかさんが入れないね。
招待してるんですけどね。なんでだろう。
招待済みなんですね。
ちょっと皆さんお待ちくださいね。ゆかさんが入れないな。
どうするんでしたっけ。手のマークから。
なんでだろうね。本当にね、リハーサルしてるのに、なぜか当日になるとなんかあるっていうね。
そう、サリーさん、ゆかさんのアルバムの雰囲気素敵ですねって。
そう、サリーさんとはまた全然違うものですよね。ジャズだからね。
皆さんありがとうございます。ご参加いただいて。
来た。ゆかさん聞こえますか。
あ、よかった。
そう、なんかね、ずっと招待していたんですけれども、なんかうまく入れなかったね。
どうしてね。
右下のリハーサルの時と違うところにアルバムが出てきて。
あ、本当ですか。なんなんでしょうね。同じにしてくれと。
なんかね、右下の、前回はそのボディ、ステージのボディ自体に入ってたんですけど、
今回は右下にお知らせのところに入ってます。
あ、本当に。なんなんでしょうね。
私、自分が招待されることあんまりないので、分かってないのかもしれないんだけど。
すいません。ということで、2分ほど過ぎちゃいましたけれども、早速始めようと思います。
はい、とんでもないです。本日インタビューライブのカウント始めてから15回目っていうことになるようなんですけれども、
水戸ゆかのキャリア
ゲストはなんと、ニューヨーク在住のジャズボーカリスト、水戸ゆかさんです。いらっしゃいませー。
ところで、What time is it now in New York?
朝のね、朝の7時です。
早い時間からね、すいませんね。
だから昼より結構逆ですよね、日本とね。
ありがとうございます。
ゆかさんはジャズボーカリストということで、日本人ですよねって。
それでニューヨークで歌いながら、ちゃんと住んでいらっしゃるっていう、
それだけ聞いても、なんてかっこいいんだと私なんかは思ってしまいます。
いや、マジマジマジ。
なかなかね、海外憧れるけど、思うように海外に行けないなぁみたいな人って、私はそうなんですけれども、
いるんじゃないかなというふうに思いますね。
あ、れんさんありがとう。本当かっこいいって書いてあるけど、本当に私もそう思うんですよね。
トムキャットさんもありがとうございます。
ですので、そんなかっこいいゆかさんが、どうしてそんな風になれたのかっていうようなあたりを、
今日はね、ほりはほりお聞きしようという回なんですけれども、
ちょっと簡単に私の方から、ご経歴って言ってもちょっと端折った感じになるかもしれないんだけど、
お話しさせていただくと、都米されて28年と、現在は金融機関で会社員をしながら、
ジャズボーカリストとして、老舗クラブのDon't Tell Me Mamaっていうのかな、
あとJazz at Kitanoとか、そういった老舗のクラブで出演されて歌ってらっしゃると。
日本でもそういった著名なジャズスポットに、これまで出演されてきたということなんですけれど、
彼女の経歴と活動
なんと皆さん、日本でゆかさんの生のライブ聴くチャンスがありますよ、今度。
10月にですね、なんと帰国ライブを企画されているということで、
東京、そして山形、仙台、この3カ所で予定があるということなので、ちょっとワクワクしますよね。
そんなゆかさんは、ご自身でも作詞作曲を手掛けられるということで、アルバムも2つかな、出してらっしゃるんですよね。
Apple Musicとかいろんなところにも出ていらっしゃるので、皆さん是非横文字で入れればいいのかね、ゆかみとって。
そうすると、出てきますので、是非日常的に聴いていただければと思っております。
タワーレコード?
販売しているので、
そうそう、なんかフェイスブックでしたっけ、タワーレコードでご自分のCDがあったよっていうのは、写真を見た記憶があるんですけど、それあってる?
すごいことですよね。
ということで、ちょっといろいろヒストリーをお聞きしていこうと思いますが、
ゆかさんは今ニューヨークに住んでるけど、もともと出身はどこなんでしたっけ?
東京なんですね。
東京!東京の人がなんでニューヨークに飛んで行っちゃったかっていうところなんですけど、ってことは東京でお育ちになって、大学までは東京にいたってことでよかったんでしたっけ?
そのとおりですね。
社会人と学んでいたんですけど、東京ディズニーランドの方だったので、千葉だったんですけど、そこはさんとですね。
東京ディズニーランドだから、オリエンタルランドに就職されたってことですよね。
そのとおりですね。
ちょっと戻ると、大学は音台?
いえ、違うんですよ。文化、単大。
単大は何を学んでたんですか?
大文学。
何学?
大文学。
はいはいはい。そんな外国の文学を学んでらしたという、全然違う勉強をされて、で、なぜかオリエンタルランドに就職されたっていうことなんですけど、これオリエンタルランド行った理由とか聞いていいですか?
そうですね。学生時代からダンスを習っていまして、で、やっぱりエンタル少年とかすごく好きで、舞台もすごい興味があったんですが、
サービスビルっていうホテルとか文房会社とか、そういうサービスビルにも興味があって、それをどこにしようかなって考えたときに、東京ディズニーランドっていうのがあったとき、まだ今の人がオリエンタルランドに出てきたら、就職するのは大変っていう時代でしたけれども、まだそういう感じではなかったです。あんまり行かれてなかったです。
おー、そんな時代もあったんだよね。ディズニーランドもね。
なるほどね。
うん、OK。ゆかさんさ、ちょっとだけマイクに口を近づけてお話できます?
ちょっと聞こえづらい方やった?
そうそう、さりさんからね、そんな風にコメントしてくださって、ありがとうさりさん。なかなかね、バランスがね、難しいんですよね。
今ぐらいに言っていただくと、私も楽です。ほんとね、さっきも言ってたんですけど、この曲聞いちゃうんだよね。小さいと余計曲に耳が行っちゃってね。話が飛んじゃうみたいな感じなんで。大きめに話していただけるとすごい助かるなっていう感じですね。
今大丈夫ですね。ちょっと近づけてみましたけど。
うん、今大丈夫。今大丈夫。助かる。めっちゃ助かるわー。
もう一回言うと、ダンスを習っていたと。ダンスってさ、どんな類のダンスなの?今で言うヒップホップ?
ジャズダンス。
それもジャズダンスなんだ。かっこいいなー。
そういう趣味でやってきていて、そんなところからサービス業に興味を持って東京ディズニーランドを選んだと。
そういうことはサービス業って言っても、やっぱりそうやって人をダンスなんかを通して楽しませるようなサービスしたいっていう、そういう思いだったってことですよね。
一方面ありまして、エンターテインメント、ステージで表現するのが好きっていうのと、完全にサービス、人と触れるのが好きなので、
旅行会社とか人にサービスを提供するっていうことが合ってるんじゃないかと、その時には思っていて。
で、出発の時によく探していたところで、ディズニーランドがその融合みたいなところがあったので。
そうだねー。
ディズニーランドに入った時には、やっぱりエンターテインメントのセクションに入りたかったんですけども、
エンターテインメントセクションっていうのはまた、違う社員ではなれないんですね。
私はアトラクションの部門に配属されて、ディズニーランドの中の運営に携わっていたという感じですね。
アトラクション部門に配属されて、仕事的にはどんなことをしてたんですか?
そうですね、行かれたことがある方もいらっしゃると思うんですけども、
昔、今はなくなってしまったアトラクションで、
カプテンイオーとか、あとはシンジルラジオミステリーツアーとか、
そういうアトラクションがあったんですけども、あとはイッサスモールワールドとか、
そこで、お客様をお迎えするキャストと言われるセクションにいたっていうことですね。
キャストやってたんですか?
そうですね、キャストの店長さんみたいな感じのことをしてたんですけども、スーパーバイザーとして。
そしたら何?例えば、シンデレラジオだったら、
みなさん、ようこそいらっしゃいました!みたいなことを言う役?
はい。
マジですか?
騎士の格好をして、お城の騎士の格好をして。
そうなんだ。
じゃあ、それはさっきのエンターテインメントセクションではないけれども、
それに近いことを実際やってたってことだね。
その通りですね。
やはり、その業務をするにあたって、演劇の要素も非常に必要になるので、
歴史、トーク、演劇の要素を教えたりとか、指導したりはしていました。
もちろん、自分も受講しましたし。
楽しいね。好きな人はなんだよね、だからね。
そうですね。
うーん、そうなんだ。さすがそこは、やっぱりなんか、踊ったりもするの?キャストをやるっていうのは。
しないですね。
踊るはないんだ。
ないんですね、その中では。
なるほど。なかなかでも他にはない職場ですよね。
そうですね。やはり、女性が活躍できる会社っていうのはありましたね。
ウェスタルランドっていうのとか、ディズニーランドっていうのはやっぱり女性のお客様が多いっていうところで、
従業員も女性の視点が非常に多くなったところもあったので。
なるほど、なるほど、そうかそうか。
それで先ほど7年間、7年間いらしたっていうことなんだけど、7年間ずっとキャストだったんですか?
そうですね。運営部にいたので。
うーん、なんかその時代のゆかさん見たかったね。
見てみたかったね。
いいなあ、私でも1回ぐらいやってみたいなっていう気はしましたね。オーバーしなかったけどね。
絶対田本さん会っていいと思いますよ。
そう、なんか性格的には絶対会ってると思うんだよね。自分で言うのもなんですが。
なるほどね。そんな7年間があって、ニューヨークにっていうその流れの中では、7年経った時どうしたんですか?何があったんでしょうか?
そうですね、その時に首尾でバンドで歌を歌ってたんですね。
アメリカのポップスと日本のポップスを歌ってたんですけども、
その社会人を日本で知っていた時に、やっぱりちょっと1回海外から日本を見てみたいっていう気持ちがとても強まって、
最初はもう短期間でいいから、留学をしてみたいということで会社を辞めて、
今考えると、なんていう思い切ったことをしたんだろうって。
いや、本当ですよね。
アメリカ留学の決意
本当ですよね。若気のいたりって言うんでしょうか。
なので、その時に貯金していたお金を持って留学をしたという2年間の経験でした。
なるほどね。これじゃあその海外から日本見たいって思ったのは、やっぱりバンドやってたことが大きいってことなんですかね?海外の歌を歌ってたから。
もうそれもあるし、やっぱりオリエンタルランドは日本の会社でありながらも、やっぱりディズニーなので、
アメリカのエッセンスっていうのが非常に肌に毎日とても広がってきていた。
そこでやっぱりアメリカとか海外っていうのに興味を持ったっていうところもありますね。
なるほどね。ディズニーっていうのはさ、本当に素晴らしいマニュアルがあるんですよね、会社ね。
そうですね。
そう、私昔ビジネススクールにいた時に、ディズニーランドのそのマニュアルみたいなものが題材になって、もう忘れちゃったけどね、やったことあるんですよね。
でも細かにいろんなことが決まっていて、やっぱり一定あれだけ楽しいみんなが夢の国っていうことは、もう徹底されてるもんね。
隅から隅まで。どこか一箇所でも疎走があってはいけないっていう、その徹底ぶりっていうのはもうすごいなっていうふうに思ったんですよね。
それが染み込んでいる床さんが本望みたいっていうふうに思う。それはなんかわかる気はしますけれども、
でもかといってそこで、アメリカの本国のディズニーに就職したってわけではないんだよね。
そうですね。
もうこちらで仕事をするっていうよりも、とにかく留学をして、英語力もなかったので、英語勉強を受けながらも仕事をするまでのレベルの英語力はなかったので、
まず英語学校に入って、英語を勉強して、それから音楽を勉強しようって。留学という名の、留学みたいな感じですよね。見本を広げるという、そういう感じで。
なるほど。だからこういう思い切った決断をしてアメリカに渡ったのは、多分20代ってことだもんね。
本当ですね。あの頃だったからできる決断ですね。
これはさ、例えば家族は反対とかしなかったんですか?
最初はされなかったんですけど、数ヶ月話を父にした時に、両親に来た時に、数ヶ月後にやっぱり心配になったのか。
父がその一人でニューヨーク行って、危ないイメージがあるじゃないですか。一人ニューヨークなんか行って大丈夫なのかって。
心配されて、若干トップするような感じのコメントは言われましたけど、
最終的にはやっぱり二人とも、両親ともサポートして始めました。
ジャズの専門学校とオーディション
良かったね。あれご兄弟はいらっしゃるんだっけ?
そうですね。兄が。
兄ちゃんは何も言わなかった?
そうですね。兄は。
なるほど。そもそも行き先はニューヨークとロンドンを迷ったんじゃないかっていうような話もありましたけれども、最終的にニューヨークっていうのは何か理由があって。
はい。留学を決める前に、ロンドンもニューヨークも両方とも観光で来たことがあったんですね。
ニューヨークって、街並みがあんまり綺麗ではないんですね。正直。
ヨーロッパだと、もう街を歩いてるだけで気分が良くなるし。
まあそうね。全然違いね。
ニューヨークはお風呂になんか持ち帰りし、収集所の人は態度悪いし。
思ったんですけれども、美女と野獣がブロードウェイで開催されていて、そこを見に行ったんですね。
その美女と野獣に出ていた出演者の俳優さんの演技力が本当に素晴らしくて、
ニューヨークっていうのは街並みじゃなくて人間さんだなって思ったんですね。
人間の魅力が本当に鮮明に出てくる感じなんですね。
こっちの方が面白そうって思ったのが、まあそこなんですよ。
なるほど。美女と野獣のミュージカルを見たのは、ニューヨーク現場?
ニューヨークで。
おー、なんかわかる気がしますね。決して綺麗な街じゃないんだよね。
でもなんかすごく、まあヨーロッパに比べたら歴史がないっていうことになるのかもしれないけど、
でもなんかすごく新しくない街っていうのかな。歴史がある感じが私もしましたね。
あと独特な匂いしません?
そうですね。
なんかシガレットの匂いっていうか、葉巻の匂いっていうのかな。
それはあるかもしれない。でもそうかな、そうかな。
感覚、今パッキーしてるからね。
まあずっと住んでんだもんね、そうですよね。
私はね、そんな気がしたんだよね。それでなんか寒い時期だったせいもあるか、もう知らないけど、マンホールから湯気が出てるみたいな。
もうその通り。ニューヨークの映画を見ると必ずマンホールに湯気が出てますね。
そうそうそうそう。なんか、いやーこういうとこなんだと思って。
でもなんか私も2回ぐらいしか行ったことないですけども、なんか独特なワクワク感っていうのがありましたね。
人間なんだなっていうのはなんか、そこに通ずるような気がしますけれども。
じゃあそれでニューヨークに行こうって決めました。
最初は英語を学んで、現地の人とコミュニケーションができるようなレベルまで持っていこうみたいなことで、まあいいんですけど、その後、いわゆる音題みたいなとこに行ったわけですよね。
そうですね。ブロックリンクインズコンサバトリーオブミュージックというところに、音楽の専門学校に行って、
それまで私はジャズっていうのを全く知らなかったんですね、日本で。
はいはいはい。
ずっとポッって歌ってたので。
で、その時にジャズ科か、クラシック音楽科か、その2つ選択しかなかったので、
まあどっちかっていうと、ジャズのほうがポップスのほうが近いかなと思って、ジャズを選んだんですね。
はいはいはい。
で、ジャズを選んで、オーディションがあるんですよね、専門学校に入るのも。
で、ジャズの曲を一応選んで、ピアノで弾き語りをして、オーディションをして、一応留学とかが出て、入りました。
ミスティという歌を歌ったんですけども。
ジャズシンガーとしての活動
ミスティってどういう曲なの?横文字の歌だよね。
そうそう。
それをピアノ弾きながら歌ったわけだ。
すごいね。それは何?やってた趣味のバンドでやってたことがあった?やったことがあった?
あ、なかったですね。それはもう完全なジャズスタンダードなので、受験のために練習をして。
なるほど。これってさ、なんていうのかな、語学学校はまだわかるんですよ。
で、この音楽の専門学校に行こうっていうのは、もともと海外に旅立つ時に留学しようっていうのはあったと思うんだけど、
その時点で音楽って決めてたんですか?
そうですね。その時に何が一番やっぱり情熱を注いでたかっていうと、バンドの活動だったので。
3つのバンドを掛け持ちしてたんですよね。
えー、そんなにやってたの?
はい。4つですね、4つ。
うーわ、すごい。
なので、本当に音楽が楽しくてしょうがなかった。今考えると、多分今留学を考えたら、会計とかを選ぶんだと思うんですけど。
でも、その時は音楽が本当に楽しかったので、音楽を絶対行こうって思って、日本にいる時から音楽学校の修行を探してたわけですね。
なるほど。それは就職する時には、いわゆるサービス、人と触れ合う接客業とか、エンターテイメントっていうことをおっしゃってたわけなんだけれども、
でも7年間勤める中で、やっぱりその中でも、私は音楽だなっていうふうにバンドをやりながら選んでたっていう、そんな感じなのかな?
そうですね。本当に自分の好きなことを、とにかくやろうって思ったんです。
それをさ、20代後半で選べたっていうのが、私はすごいと思うな。
無謀ですよね、今考えると。
いやー、無謀かもしれないけど、いやでもこれは、いやー、私もしたかったなって思う。
やっぱりなんていうのかな、就職にしても何にしても、自分の好きっていう気持ちに沿っていくっていうのが、実は近道なのかなっていうふうに今の話を聞いていると思いますね。
ですが、やっぱり98年間、今はこうやって仕事もあって歌もできてってなってるんですけども、やっぱり最初の方は仕事を探すのも大変。
そりゃそうですよね。
音楽のやっぱり仕事がないのでね。なので、やっぱり人回りであったことは確かなと思います。
OK。ちょっとじゃあその仕事の大変さみたいなところは、ちょっとまた後で伺おうと思いますけれども、
じゃあその専門学校に行って2年間とおっしゃいましたよね。学んで、その2年が終わった後は1回帰られるんですよね。
そうですね。
1回日本に帰ってきたと。で、帰ってきた後は、さっきの老舗のジャズスポットみたいなところで歌いだしたっていうことでしたよね。
そうですね。
じゃあその帰国された期間っていうのは、それがいわゆるお仕事になってたっていう感じなのかな。
そうですね。仕事で、ジャズシンガーとしてクラブで歌うようになって、ただやっぱりそれだけでは生計は立てられないので、
アルバイトをしながら人のことをしていたっていう感じですね。
何のアルバイトしたんですか。
ロケーションコーディネーターのアシスタントみたいな。
ロケーションコーディネーターってなんだ?そんなのあるの?
雑誌とかで、皆さんモデルさんがいろんなところで撮影するじゃないですか。
そういうのって、ロケーションを見つけて、この雑誌にこういうところがありますよっていうコーディネーターがいらっしゃるんですよ。
なるほど。
この方とご縁ができて、アシスタントをしていました。
なるほど。でもそういうのもディズニーランドのお仕事が生きてるかもしれないですよね。
そういうね、だってフォトスポットだらけじゃないですか。ディズニーランドなんて。
センスが多分あったんじゃないかななんてふうに思っちゃいますけれども。
そうかそうか、じゃあそんなアルバイトを総合で歌いながらっていうことをしながら、またニューヨークに戻るっていうのは何があったんですか。
そうですね、やっぱり戻ってきたいっていう気持ちと、当時にお付き合いしてた方とご縁があってということで戻ってきてくださいって言われて。
当時の青い女の彼氏がいたと。
青い女の彼氏が、ユカ、Please come back to me みたいなそういう感じですか。
Come back to me そうかって言って帰って行ったってことは、すみません、もし答えられたらいいんですけど、
結構その7年間ディズニーランドで働いて、ジャズの勉強をしてっていうところでそれなりにお金がかかったと思うんですよね。
で、またもう1回アメリカに戻るっていう時には資金的にはどうだったんですか。
もう全然ないので、もうこちらで来て、すぐに既所の仕事が見つかって、今も会社員として既所を消耗してるんですけれども、その仕事が戻って、わりと数ヶ月後に見つかって。
それからもう25年くらい。
なるほどね、続いてるわけですよね。
ってことは、今あまりお金がないなっていう状態でアメリカに戻ったけど、その時は助けてくれる彼氏がいて、仕事を探して、幸いにも既所の仕事がすぐ見つかったという感じなんだけど、
さっきは仕事探すのも大変っていう言葉があったんだけれども、その大変さを聞いてもいいですか。
もちろんです。っていうのが、やはりニューヨークの会社で働くっていうことは、皆さん、学校で大学で専門分野を学んでから就職をするんですよね。
例えば、アカウンティングの勉強をしていたら、会計の勉強をしていたら、金融機関でアカウンティング系の部署に入ったりとか、
MBAを取ってやれば、金融機関でも営業職の方に行ったりとか、管理部門に行ったりとか、
ただ私のバックグラウンドが音楽だったので、やはりそこで秘書という仕事が幸いにも見つかりましたけれども、
秘書をしながら、やはりビジネスのアカウンティングの勉強を、仕事をしながらアフターファイブで始めましたね。
偉いね。そうなんですか。これ、秘書の仕事に合格したのは、決め手は何だったと思いますか。
秘書業務の重要性
なんですかね。やっぱり、秘書っていうのも、差別業に割と近いところがあるんですよね。
秘書をサポートするっていうところで、どれだけ気遣いができるか、目標を回せるかっていうところが非常に大切なところなんですけれども、
差別業もやっぱりそれが多くて、そこら辺がリンクしてるっていうところかなと思います。
なるほど。気遣いって、例えばどんなことですかね。具体的に、例えば今秘書っていうことだと、どんな、例えば具体で申し上げられるとしたら気遣いしてます。
そうですね、例えば、何か、例えば案件があって、その承認をマネージャーさんから取らなきゃいけない。
でもマネージャーさんは忙しくて、なかなか承認することができない。
私はね、犯行を使って、書類に犯行を押してっていう、そういうところで気の回る秘書であれば、
そのマネージャーさんのどこの時間にその書類を持っていったら、すぐにスムーズに承認が各秘書で取れるか、
そういうふうに気を回せる人と回せない人っていうのは、本当に細かいことですけれども。
なるほど。日本人はそれ結構得意なのかもしれないなというふうに思いますけれども、
アメリカ人でもやっぱりできる人はそういう気遣いって細やかにできる?
かなり。やっぱりエグゼクトバンシスタントになる、特にトップについている方は、そういう気遣いがかなり効く人ではないとやっていけないですね。
なるほどね。そうですよね。やっぱり上の役職になるほど責任も重いですから、秘書についてもそういった気遣いができるしっかり人じゃないと勤まらないよっていうそういうことなんですかね。
音楽とキャリアの両立
そうですね。
なるほど。ちなみに今働いているその25年間勤めていらっしゃるっていうのは金融機関ってことでしたよね。
そうですね。違う会社ではありながらも、13、15年勤めています。
すごい。なんかその中でね、留学で語学学んだっていうのはあったけれども、やっぱり苦労されたんじゃないかと思うんですよね。
そういう言葉で困ったことって何か思い出すことありません?
いつもですね。
いつも?ちょっと待って、今も困る?
今でも。通常の業務に関しては問題ないですけれども、少しちょっと込み入ったことを自分の意見を述べようとすると、
やっぱりある程度準備をして伝えていかないと、パッと言葉が出なかったりとかっていうのはありますね。
それはでも仕方がないことなのかな。だって母国語じゃないんだもんね、私たちはね。
年差に何かがあっていう時にパンと言い返せなかったりとか、悔しいっていうのは私も思いますけど、
でもそんな中で自分が思っていることを伝えていくコツとかあります?なんだろうね。
コミュニケーションじゃないかなと思います。
ニューヨークの人ってやっぱりドライですので、皆さんやっぱり自分自身の業務をきちんとしていかなきゃいけないので、
割と気遣いっていうところに欠けてるっていうことはないけれども、
割とあまり人のことを気にしないところがありながらも、きちんとコミュニケーションを日頃からしていくことによって、
先方も私に興味を持ってくださったりとか、話を聞いてくださったりとか、
環境作りっていうのはコミュニケーションを常に日にとっていくっていう感じでしょうか。
なるほどね。すごいな、私海外で働くっていうのは本当に大変なことだと思いますよ。
カルチャーも何もかも全部違うじゃないですか。
正社員なんだよね、今。
そうですね。
それで25年間、しかもそれと並行して歌ってるんでしょ。ジャズクラブで。
それはすごいことだと思うんだけど、秘書の業務やり始めて、もう最初の頃から歌も並行してたんですか。
いや、最初の頃は歌うどころではなくて、まず英語力をつけなきゃいけないし、
筋ネス資料をつけなきゃいけないというところで、
もうしばらく音楽はしていなくて、学校に通って、昼磨きをしてアッターファイブやったっていう感じでしたね、最初の10年。
じゃあ結構そこは、あれなのか、ジャズボーカリストとして活躍できるようになるまでには、それなりにゆっくり、語学とか現場での仕事の方になれるっていうことに時間を使ってきたわけですよね。
そうですね、本当にその通りです。
なるほど。
語学がないと、自分の音楽活動っていうのがなかなかできなかったりするので。
そうだよね。そこはやっぱり優先順位をきちんと自分の中で、どんなに歌が好きでもちゃんと持っていらしたっていうことですよね。
仕事の挑戦と成功
そうですね。
うーん、そうか。なんかね、言葉のギャップがあるっていう中で働く、ニューヨークでですよ、しかも。
それっていうのは、もう本当に私なんかには想像を実することだと思うんだけど、なんかここで話してもいい失敗談とかありません?こんなこと失敗しちゃって、みたいな言葉が原因で。
あんまりない。
思い浮かばないですけども、ただ働きながら会社に辻になったことはありますね。
大失敗。
マジですか?そんな話聞いていいの?
えー、それは何?どれくらい働いてクビになっちゃったの?
12年ですね。
そんなにいたのにクビになっちゃったの?
ニューヨーク、アメリカはもう。
それこそドライか。
すごくクビを。
ファイヤー。
秘書の仕事以外のアナリストの仕事っていうところの間隔に移動をして、いわゆる他のアメリカ人の若い男の子、女性もいましたけども、若い方々のアナリストと肩を並べて業務をしていたんですよね。
かっこいい。
いやー、それがやっぱり自分の能力不足で解雇されましたよね。
それは何が、アナリストってさ、いわゆる証券アナリストみたいなことですか?
証券ではないんですけども、技工業務で。
あー、結構大変ですよね。
業界用語も知らなきゃいけないし、分析力がなきゃいけないし。
やっぱりスピードですよね。
案件をお客様に貸し出しをするときと流れで、1時間9秒、1分2分、本当に早い時間で決断をして、貸し出しの業務を進めていかなきゃいけないというところで。
なるほど、審査みたいなことですね。クレジット審査みたいなこと。
営業の部門にいたので、クレジットの方に案件を見せるとか、その準備をしなきゃいけないとか。
その業務とかも、すぐにデータを書いて、計算をして、ドキュメントを揃えて、お客様と審査と、あとは貸し出し部門に行って、コミュニケーションを取って決めていくんですけども、とにかくスピード命っていうところがあって、
やっぱり若いアナリストの人たち、アメリカ人の人たち、どんどんどんどん、業務を遂行できるところは、私はどうしても、第2言語っていうところで、なかなかうまくいかないというところがありますね。大失敗です。
失敗ってしちゃったんですか?単にスピードが遅かったってこと?
やっぱりその通りですね。大失敗って言うことではないけれども、やっぱりそのポジションは違う人に渡したかったという。
これはでも自分で希望して移動したの?
たまたま呼んでいただいたのでっていうのはありますよね。
でもめちゃめちゃ大変だと思いますよ。だってこれまでのバックグラウンドと全然違うじゃないですか。
本当にその通り。それまでアカウンティングの勉強をしたりとかはしてきたので、
そう言いながらもやっぱり、そんな簡単には行かないですよね。
そりゃそうだよね。ゆうかさんは本当に、今ちゃんとさんが書いてらっしゃるけど、そもそも英語をペラペラかと思ってましたって。
全然。
すごく努力されてるのがすごいってゆうさんがおっしゃってますけど、私もそう思う。
私ね、やっぱり金融に行ったんですよ。17年働いて、海外部門で審査業務とかやってたんですね。
だからどのぐらいそれが大変なことかっていうのはすごいわかります。
私は日本人の中でそれやってて、それだって大変だったのに、
それをさ、もう周りは英語しかないっていう中でやっていくっていう、しかもニューヨークでスピード要求されるところで。
そりゃあそこにいただけすごいと思う。
本当にそう思う。
涙なくして語れない。
いやいや、めっちゃガッツあるよね。
それすごいと思う。なんでそこで頑張れたんですか?
そのアナリストの仕事って何年やったの?それが12年やったの?
4年間。
4年もやったの?尊敬ですよ。超リスペクトです。
これなぜ頑張れたの?そんな4年間。きつかったでしょ?
きつかったですね。
なんでできたの?
自分から辞めればよかったんですけどね。
でもやっぱりせっかく呼んでくださった方がいたので、その人が先にクリになってしまったっていうのもあったんですけど。
ドライだね。
移動させて呼んでくれた人がクリになって、私もクリになったっていう感じですね。
なるほどね。
つらい。つらい。
つらい。つらい。もうなんか傷口に塩を塗るみたいな話だよね。めっちゃわかるわ。
そう。
本当に耐えてやっていかないとこの街では生きていけない。
生きていけないよね。生きていけない。
そういう覚悟っていうのかな。なんで頑張れるの?それすごいね。
あんなに人が頑張れたっていうのは、せっかく呼んでくださったっていう、その呼んでくださった方への罰つけちゃいけないみたいなね。
その人のために頑張ろうみたいな気持ちがあったかもしれないけれども。
でもやっぱりここでクリになっちゃったっていうことは相当なショックであって、そこで例えばもう日本帰ろうとかも思わなかったわけでしょ?
思わなかったんですけども、これクリになるっていうのは割とそんなに、なんて言うんですか?
レアなことじゃないんだ。
そう、その通りで。
で、割と金融業界特に、金融だけじゃないと思うんですけど、アメリカでは会社員がクリになるっていうのは怖いと思うんですよ。
当たり前。
そうね、そうね。
全員ではないですね。
ということは、再雇用のチャンスっていうのもやっぱりある。
だからすぐに、もう2週間後には違う仕事を見つけたので。
かっこいい。
土壌が揃っているから、おくびって落ち込んで何もできませんっていう感じではないんですよね。
そこらへんがやっぱり日本とアメリカの文化の違いっていうことになるんでしょうか?
そうね、そうね。
そういうなんか、クビになっても、ああそうですかって笑えるぐらいの、また次行けばいいやみたいな、
なんかそういうカルチャーは日本よりそっちの方がいい気がするよね。
日本でクビになるってね、ドーンと落ち込むじゃない?
言われなかったですね。
そのカルチャーは羨ましい気もするし、それをちゃんと順応していったユカさんも私はすごいと思いますね。
なんかもう今ではそういう、なんていうのかな、クビになったぐらいじゃ平でもありませんっていう、
その強さみたいなものが染み付いてるよね。
それは素晴らしいなと思うな。
なんか例えば日本だとクビっていうこと自体がそもそもあまりないじゃないですか。
あんまり何社も何社も転職してるっていうことをマイナスに取られてしまうでしょ?
しょっちゅうしょっちゅう転職してみたいな。
でもアメリカってそうじゃないじゃないですか。
何社も経験してたからって別にそれが何かっていうことなので、
なんかそういう日本にいてね、クビになっちゃった以外もあるかもしれないけど、
私ってダメだみたいにへこんでしまっている人に何か声をかけるとしたらユカさんなら何て言いますか?
人生は何回でもやり直せますっていうことでしょうか。
なので大丈夫です。今辛いことがあってもきっと挽回できるから大丈夫ということでしょうか。
それを身をもってやってきてるんだもんね。
そうですね。今のところ。
さすがですよ。
で、その25年間働いてるって言うけれども、その中で何社ですか?2社?3社?
3社ですね。
3社か。
いやーたくましい。
ジャズボーカリストの挑戦
そのエネルギーをこの配信を聞いてくださっている方にぜひ伝えられたらなというふうに私は今すごく感じますけれども、
そんな感じでいろいろご苦労もありながら、10年ぐらいは仕事に専念しつつ勉強もしつつ、
歌を始めましたということですよね。
で、その歌うっていうところは、2社目から3社目から?
2社目に入って、1社目が2年間働いて、2社目が10年だったんですけど、
もう2社目に入って、2年ぐらいしてから歌を始めたので歌を始めて、
そういう時に人気があったジャズアクターの日系のホテルの中の1階にジャズクラブがあって、そこに出演が決まって、
ただやっぱりジャズクラブに出演するっていうのも本当に狭くもんで、
日本人っていうのもあるんですけれども、やっぱりアメリカ人のフィンガーの人、ミュージシャンの人もやっぱりリスニングするのが結構大変だったりするんですよね。
なので、毎日とか毎晩とか毎週っていう感じではなくて、もう年に数回という出演の数でしたけれども、
でもただやはりその出演をしたことと、当時にアルバムをリリースしたということで継続して、
ジャズフィンガーとしての活動ができているという感じですね。
なるほど。そういうのって、ジャズクラブそれぞれに対して何かアプローチするんですか?歌いたいんだけどって。
その通りです。
ソロコンは試験か。
試験はなくて、ドッキングマネージャーに持って行くんですよね、CDを。
何度も断られて、いろんなところに持って行って何度も断られて。
今はもうEメールでドッキングマネージャーにお送りして、でももう無視ですよね。全然返信もない。
すごいよね。何度も断られて、もうどうして持って行けるの?
要はさ、同じジャズクラブに何回も持って行くんでしょ?
そうですね。
それは持って行く中身を変えるんですか、毎回?
いや、例えば来た時はもう一回渡すじゃないですか、ドッキングマネージャーに。
それでも、もういっぱいCDもらってるからちょっと着けてないっていうことを言われて、何度も足を運んでもらって、
まだ着てない、まだ着てないっていうことの繰り返しで、
やっと着て、OK、じゃあこの日やってみるっていう感じでオファーをもらったりとか。
すごーい!何回くらい来ました?その同じ場所に。
えらい!そこで心折れないのはなぜなの?
ないでしょう。姿勢が決まらないので。
じゃあ辞めればいいんですけど、やっぱり好きなんでしょうね。
辞められない何か自分の中であるんだと思うんですけど。
断られてもまた持って行くというのが、そういうパワーを欲しいね、本当に。
なんかもうこういう話を聞いてると、うまくいかないなとかって思ってる自分の仕事だとかいろんなこともさ、
全然足りないじゃん、やってることがっていうふうに、本当に思えてきますね。恥ずかしい。
本当そう思いますよ。
これ何?4,5回行くって言ってもさ、どれぐらいの間隔で行くんですか?また来たの?って言われちゃうでしょ?
そういう時は言われないですね。たぶん慣れてるんだと思います。みんなやってることだから。
なるほど。
断られた面と向かって、これじゃあ無理っていうことも何回も言われたこともありますし。
すごーい。でもさ、その4回も5回も断られてもまた持って行ったっていうことが、ある時、じゃあいいよって言ってもらえるっていうことですよね。
やる時もあるし、やっぱり全然ダメな時もあるしっていう。
ニューヨークはジャズのメッカでありながらも、やっぱりそんなにジャズクラブでたくさんあるホテルの中とか、バーとかレストランとかでありながらも、やっぱりミュージシャンのネットワークで回してるところもあったりとか、だからその中に入り込んでいくっていうのも非常に大変ですね。
なるほどね。今だって3カ所も4カ所も歌ってらっしゃるわけじゃないですか。だからそれぞれについて4,5回行ったと仮定するとさ、20回以上断られてきて、それで今のポジションを得てるっていうことじゃないですか。
日本文化の表現
これはね、もうすいません、もう爪の赤を煎じて飲みますって。
いやマジでそう思いますね。
さすがですね。恥ずかしいよ、もうそういう話聞いてると。
もうちょっとなんとかできないかなって今も思っております。
今でも行くの?
今はEメールでやり取りをするんですけども、やっぱりEメールだけがスルーされてしまうことがほとんどなので、やっぱり会場に足を運んでっていうこともしますよね。
今狙ってるのはどこのクラブなんですか?
今はね、バードランドに出演したいですね。
なるほどね。そこ何回行きました?
そこは行けないですけども、かなり頼ってますよね。ただやっぱりそのブッキングマネージャーにコンタクト行っても取れるっていう機会が毎回とかではないので、
今はちょっとお休みって言ったら変ですけども、あんまりそうじゃないですけど、今度はパンジアっていうところに11月に初出演が決まって、
それから日本人のブッキングを担当してくださるという人とお付き合いになって、その方がアップデートしてくれました。
なるほど。これはじゃあ一応アップデートを取っていくの?
河野さんっていうこちらで、エンターテイメントのアーセンで活躍されている方がいるんですけど、その方にお願いしたので、その方が顔を見せに来たんだと思うんですけど、
なるほど。その人を迂回してっていう感じなんですね。
いやー河野さんって偉いんだねー。
変わってますよね。
いやーもうめちゃめちゃ、そう、私はもうめちゃくちゃ元気もらいましたね。
いやーさすがです。もう見習うよ。本当に。これからも仲良くしてください。
よろしくお願いします。
はいはい。そんなユカさんなんですけれども、ご質問がいくつかあったので、ちょっとそこもお聞きしたいんですけどね。
ぜひお願いします。
まず、言ってみれば二足のはラジオ履いてるようなもんじゃないですか。
その秘書の金融機関で秘書のお仕事をしながら、ジャズボーカリストとしても活躍していると。
そもそもどのようにボーカリストとして活動するようになったのか、最初の一歩を伺いたいですって言ってるけど、
この一歩っていうのは、今までお聞きしてきたお話で足りるかなと思いますけど、最初の一歩ってなんだ?最初の一歩。
そうですね、その趣味で始めたポップ日本で。
ポップがまず第一歩で、ジャズフィッサーとしての活動はこちらで、本格学校でジャズファーに入ったことで、
日本に帰ってからジャズクラブで歌い始めた、上野アリエルっていうところだったと思うんですけども、
上野のアリエル?
本当ですか、それが一歩だったよっていうことで。
だからやっぱり趣味のバンドを四つも掛け持ちしてたぐらい、やっぱり好きだったってことですよね。好きなことを見極められたっていうことかな。
なんかそんな風に思いますけれども、ありがとうございます。
それからね、このご質問は多分ご本人も音楽をやってる方だからかなと思いますけれども、
ジャズライブなどで歌っているときに、ご自分の日本人らしいものを自然に感じることや、むしろ意識して表現することはあるでしょうか。
例えば、わびさびのような美意識、古くから伝わる日本の音楽や、民謡の中にあるリズム感や、メロディーから滲み出る雰囲気のようなものですっていう風にいただいてますけど、かなり専門的な方かもしれない。
どうでしょうか。
日本人であるっていうことを隠さず、隠れようもないんですけれども、表現していて、基本的にこちらで歌う、日本でもそうですけれども、
ジャズの名曲、ジャズスタンダードを英語で歌ってるんですが、自分自身が育ったのが80年代、昭和と歌謡曲ですよね。
なので、その昭和の歌謡曲を意識するデパートに、セットリストに入れたりとか。
おー、そうなの?
はい。水曜日が、ここが平成の歌だと言うのも、平成日が流れているままでライブだったんですが、
今回歌ったのが、中島みゆきさんの糸という歌をね。
糸ね。
はい。やっぱり歌詞っていうのが、糸が人生のメタフォーだから、器具になってるわけですよね。
その美しい歌詞の表現っていうのを、日本語と英語とでお伝えしたりとか。
あとは、私のオリジナル曲、父の背中という曲があるんですけれども、高橋さんの父のことを思って書いた曲、
それは日本語で書いたんですけれども、そこで演奏したりとか。
で、どちらかというと、日本の古来の文化というよりも、私が育った昭和平成のポップスの日本のものを、こちらで表現するっていうことは、今はしてますかね。
なるほどね。そうですね。お父様のこと歌った、Memory of Fatherって歌があって、今それを書けました。
ありがとうございます。
これ日本語なんですよね。
そうですね。
なるほど。ありがとうございます。
素晴らしいね。本当に。
いろいろありがとうございました。本当にあっという間にもうすぐ9時っていう感じになってきているんですけれども、
やっぱりこういう二足のわらじを履いて、片方はジャズシンガーとして、ジャズボーカリストとして好きなことをやっている。
もう一個は、いわゆる米仕事っていうのかな、生活していくためのお金を得る金融機関で秘書の仕事をしているっていう、そういう日本だてでやってるんだけど、
でも根底にあるのは、やはり好きなこと、私歌好きなんだっていうのを、ディズニーランドで働きながら、バンドをやりながら、
そうやって自分でまず最初に見つけてた床さんっていうのが、すごく大事なポイントになってるんじゃないかなっていうふうに私はすごく思いましたね。
専門学校行って学ばれて、またもう一度アメリカに戻った時に、最初から両方やろうじゃなくて、最初はやっぱり稼ぐことにちゃんと英語がついていけるように、
仕事の方に10年ぐらいは注力して、歌はお休みしてたっていう、もちろん何かはやってらっしゃったんでしょうけれども、そういうふうに優先順位をちゃんと見極めてたっていうあたり、そこらへんもすごいなというふうに思いましたね。
オンラインレッスンの提供
で、あとはなんとゆうかさんがクビになったことがあったっていう話は、私は今日初めて聞いたけど、でもね、そんなことがあったってアメリカではクビになるなんていうのは別に珍しい話じゃないよと、人生は何回でもやり直せるんだよみんなっていう、そういう元気をたくさんいただきましたね。
で、その2足のラジの好きな方である歌だって、ニューヨークでね、そういう老舗のジャズクラブで歌わせてもらうためには、何回も何回も言ったと。今でこそね、4,5箇所で歌ってらっしゃるけど、それぞれに最低4,5回は通ったんだと。
このねばっこさ、すごいことじゃありませんか。ジャズのメッカでありながら、そんなに誰でもスッと歌えるんじゃないんだよっていう。いやーめちゃくちゃいい話だったよ。ありがとう。
ありがとうございます。
これは力が素晴らしいですね。
そうですか。ありがとうございます。それでですよ、この次目指すはバードランドですね。
祈っててください。
バードランド、もうみんな応援しましょうよ。バードランドで歌うゆかさん、もう絶対実現するよ。これだけのパワーがあるんですから。私はね、本当そんな風に確信しましたね。今日のこの話を聞いていて。
ありがとうございます。
はい、ありがとうございます。
それでですね、ラストに、ゆかさんはこうやってお仕事をされてる。他に、日本の私たちが関われるとすると、ユーデミでオンラインのレッスンをされてるんですよね。
ごめん、ストア化か。間違えました。ストア化で。これはどんなレッスンなんですか。ちょっと教えてもらっていいですか。
それはオンラインのジャズボーカルレッスンで、発声練習をして、その後に課題曲を生徒さんと一緒にレッスンしていくんですけど、45分から1時間をかけて、曲のジャズスタンダードを、例えば、Fly me to the moon とか、レッシャーで、
ライブのお知らせ
そういうジャズスタンダードと、45分、1レッスンで一曲仕上げるっていう、そういうレッスンをしています。
なるほど、じゃあこれはストア化を、なんて検索すれば出てきますかね。
なんて言う、そうですね。
ミトユカさんで、ジャズボーカルとかって入れると、確か出てきますよね。
そうですね、ミトユカいったがなで。
はい、ありがとうございます。
そしてですよ、冒頭で申し上げました通り、来日予定がありますよ、皆さん。
ぜひぜひ、ご都合がつく方はいらっていただきたいんですが、ちょっと待って、これさ、あれ、ちょっと待って、私が見てるとこ古いのかな、ちょっと待ってくださいね。
ちょっと待ってね、なんで2024なの。
あれ、ちょっと待って。
10月16日木曜日に、
ホームページの、
赤坂。
はいはいはい。
赤坂のBフラットですね。
はい、ありがとうございます。
はいはい。
それから、
ごめんなさい、私が見てる場所間違えた、失礼しました。
そうそう、東京が、はい、今言ってくださった2025年10月16日木曜日、
ジャズダイニングBフラット。
はい、というところで18時開場、19時開演。
それから次が山形ですね。
10月17日、翌日金曜日、パフォームスポットっていうのかな。
パフォームスポットメルシー。
19時半開演。
それから仙台、
10月21日の火曜日、
モンドボンゴという会場かな。
そこで18時30分開場、
19時30分開演ということで予定がありますので、
ぜひ皆さん後でどっかに張ろうと思いますけれども、
ご都合のお着く方は、
ぜひ生のゆかさんライブ、
行きましょう。
もっとパワーもらえると思いますよ、今の話。
ありがとうございました。
素晴らしいジャズミュージシャンの方と共演するので、
楽しんでいただけると思いますので。
それは折り紙好きですね。
ユウさんから、バードランドで歌えますように応援していますってコメントいただきました。
ありがとうございます。応援してますよ、本当に。
ということで、ありがとうございました。
本日のゲストはニューヨーク在住、
ジャズボーカリストの美戸ゆかさんでした。
ありがとうございました。
いい話だった。
パワーいっぱいもらいました。
Thank you very much.
それでは、
みなさんまた、
おやすみなさい。
そちらは良い一日をですね。
Have a nice day.
Thank you so much. See you soon.
01:07:46

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