2025-02-15 58:39

Vol.338: 高橋克明(Weekly Business News Corp 代表取締役)2/4

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バイオリズムってやっぱあるんだろうなぁなんて思ったら算出してグラフ(身体、感情、知性)にしてくれるサイトが結構あるんだね!天候も気分には大きく影響しそうだなと来週から晴れ続きの予報が嬉しい金曜の板倉です、こんにちは。

「1%の情熱ものがたり」85人目のインタビュー、最初のエピソード。
岡山県のとんでもない田舎で生まれ育ち、いわゆる典型的なガキ大将だったという子供時代。12歳の頃、七夕の短冊に書いた“NYでジャーナリスト”という夢。そんな夢や世界の中心と呼ばれるニューヨークへの憧れも、目の前にある社会生活の中でいつしか忘れてしまっていたのかも知れません。さぁこれから新しい時代である21世紀が始まる!世界が大きく飛躍する!と言うタイミング、慕っていた兄が蜘蛛膜下出血で倒れ入院。病院のベッドで最後にくれた「お前はやりたいことやんなきゃな」という言葉。かつての夢を思い出し背中を押されるように一気に世界へ、憧れのニューヨークへ飛び出したのは、何か吹っ切れたような瞬間がきっとあったのでしょう。挑戦し続けなければ生きていけないと言われるほどの刺激的な街、憧れであり大好きで大っ嫌いな街ニューヨーク。常に走り続けているような生き方から勇気と元気をもらえます。そんな高橋さんの情熱ものがたり。

本当にドラマのようなエピソードが盛りだくさんの人生。面白おかしく語ってくれてはいますが、幾つもの逆境や立ちはだかる壁を乗り越えてきたからこそのポジティブさと人間味を感じた回でした。

投稿 Vol.338: 高橋克明(Weekly Business News Corp 代表取締役)2/41%の情熱ものがたり に最初に表示されました。

00:01
1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、また各業界のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、そこに燃える情熱に迫ります。
みなさん、こんにちは。1%の情熱物語、第338回目です。
こんにちは。よろしくお願いします。
みなさん、元気ですか?
はい、お元気でしょうか。
これ、配信している日はバレンタインデーですね。
日本の男性諸君、チョコレートもらえたでしょうか?
はい、いくつもらえたでしょうか。
今日ちょっとしゃべりたかったのはですね、なんかね、
これ今、収録ズームで、絵馬さんと、近所じゃないけど、30分圏内ぐらい車で、ところに住んでるんだが、
ズームでやってまして、こういう環境ってやっぱコロナ以降慣れちゃったと思うんですけど、
最近ちょっとね、俺は外に出る機会もまた増えてきてて、人と直で会ってしゃべるっていう機会もあったりして、
なんかやっぱ対面でのコミュニケーションって、そのなんか熱があるし、
交換する情報も多いなと思うんだけど、
まぁちょっとなんかそんな話をしてみたいなと思ったんだけど、
でも、ズームでなんかやるの増えたりした?仕事柄そんなに変わってなかった?
増えた?
いやでも、コロナ以降、会議とかその打ち合わせとか、今まで対面でやってたのは、
ほとんどもうオンラインになった、なりましたね。
でもそのテレビ局でアナウンサーの仕事はテレビ局には行ってたんだよね。
まぁそうですね、番組は行かないと、
そりゃそうだよね。
そうですね、できないので、
コロナのステイホーム、外出禁止?緊急事態宣言出てた時は、
03:00
番組のスタッフを半分に分けて、月間推出しやすい人と、
人減らしたってことか。
減らして、どっちかで感染者出ても大丈夫なように。
そういうことね。
やってました。自宅待機っていうか。
そういうことか、Aグループが感染したら、みんなAグループはみんな休んで、
Bグループで回していくみたいな。
そうです。
それもさ、懐かしいねって、昨日話してたんだけどさ、コロナって5年前なんだよね。
すごいよね。5年か?5年経ってるよね。
20年か。
19、20とか、そうです、25年ですもんね、もう。
つい最近だったような感じもするし、ひと昔前のような気もする。
まだまだ引きずってる感もあるんじゃあるけど。
はいはいはい。確かに。
対面のほうがは、ね、そのオンラインで、オンライン飲み会とかも一時期流行りましたけど。
流行ったね、ズームでね。
ズームで。
あれはあれでさ、やったことある?
ありますあります。
けどやっぱり、引き際がわからないっていうか。
そうだよね。だらだら続いてさ、あれ。
うわ、気づいたらもう4時間喋っとるわとか思ったよね。
そうですね。やっぱ大変じゃないと、なんか2軒目行くとか。
そうだよね。店が閉まるとこがないからね。
そう、閉まるとか終電があるとか、そういう区切りがないから。
そうなんだよね。
なんだかなっていう感じで、あまり。
しかもあれ、ズームを切った後の虚しさがなんか、何やってたんだろうみたいな。
急にシーンと家の中になってるみたいな。
あれもいねえみたいな。
はい。
あれはやっぱり対面のほうがいいですよね。
いや、ほんとそうだよね。
はい。
まあ、でもそこからね、ライバーとか、投げ線とかさ、
ああいうのも、カルチャーも増えてきたよね。
VTuberみたいな。
それちょっと違うか。VTuberちょっと違う。
でも、オンラインでなんかライブして、複数と喋るみたいな。
ですよね。家から活躍できる人も増えたり、離れてても覚えてね、話して。
いい面もね、たくさんありますけど。
まあでもやっぱ対面が、なんかやっぱね、その人の表情だったり、
仕草だったり、トーンみたいなのもね、あるし。
服装とかもそうかもしれないし。
情報量が男性の方が多いなと思う。
男性の方だと、喫煙所とかでお仕事の話し合いって、
それがすごい盛り上がったりすることがあるって聞いたことあるんですけど。
06:00
タバコ会議ね。
タバコ会議。
それも一昔前。でもタバコ吸ってる人だいぶ減ったよね。
日本でも。
こっちはほとんどいないでしょ。カリフォルニアはね。
特にLAは。タバコ吸ってる人なんかほんと見なくなったけど。
いや、でも日本も減ってきたってのは聞いたけど、
それもね、また俺一周して、またタバコ吸いたくなったりもしてて最近。
俺も昔吸ってたんだけど、2016年にやめてるんですよ。
で、やっぱそのときの前職では社長も吸ってたし、俺も吸ってて、
タバコ会議っていうのがやっぱり行われていて、
そこでほとんどのことが決まってしまうって言って怒られてましたよ。
やっぱあるんですね。
そうそう。なんか会議やってる意味がないっていう。
みんなの会議よりもタバコ会議のほうがね、いろいろ進んでしまうっていう状況がありましたけど。
はい、まあちょっとなんか変な話になってきたんで。
そろそろあれしましょうかね。
そうですね。
はい、ということで毎回一人の方のインタビューを4回に分けてお届けしているこの1%の情熱物語ですが、
今回はビークリービジネスニュースコープ代表取締役社長、ニューヨークビズ発行人、インタビュアー、
応援課でもあります高橋義明さんにお話し伺いました。
2回目ということで。
はい、2回目。
先週が活動内容とかね、インタビュー、ライフワークとしてのインタビューの話とか、
まあ海外の出るハードル上がったよねみたいな話をしてたんですけど、
今週が高橋さんが生まれて、お生まれが岡山県でね、から今の仕事につくまでの経緯ですね。
なんでアメリカに来たのかとかね。
はい。
はい、その辺をざっと伺っております。
はい、それではお聞きください。
はい。
ちょっと過去のお話を今から聞いていきたいんですが、
うん。
まずお生まれが岡山県ということで、
はい。
どんな子供だったですか?客観的に。
まあ本当にあの典型的な、あのガキ大将だったと思いますね。
大将だったんですね。
あの、完全にあの僕が生まれて、
大将だったんですね。
完全にあの僕世代のおじさんがよく言う、
昔は俺も地元で有名で悪かったっていうその悪自慢とか、
09:00
その有名自慢する痛いおっさんいますけど、
多分僕はそれ差し引いても、
おそらく、
自分の軍団を作ってかなり社会的にその地域で問題を作るぐらい、
まあ相当クソガキだった気がしますね。
うん。
そこ深掘りしたいんですけど深掘りしないほうがいいですかね。
そうですね。
なんかあの悪自慢の痛いおっさんみたいな感じになるぐらい、
まあかなり問題、ご迷惑をいろんな人におかけはしたと思います。
はい。
そうですか。
まあいわゆるだからヤンキーという言われる部類に入るやつですか?
まあ世代的に僕らの特に田舎の郊外の人間みんな、
みんなのことはないけど、
まあ今考えたらよくお前そんな眉毛全剃りで外に歩いてたよなみたいな。
よくそんな格好で外に歩いてたよなみたいな感じの、
まあ時代もありますよねもちろんね。
そうですよね。
じゃあまあこう剃り込みを入れて、
こう戸坂が立ち上がってた感じなんですかね。
そこまではないですけど、
まあまあまああんまりこれ言うとうちの社員からやめておきましょうと怒られるんで。
すいませんあんまり掘らないようにしてますねこれ以上は。
はい。
じゃあ皆さんの想像にお任せするということで、
ちなみにその幼少期の夢とかって何かありましたか?
この夢はですね、僕は実はニューヨークでジャーナリストだったんですね。
めっちゃ叶えてますね。
あの証拠写真もその時の七夕の授業に短冊にニューヨークで、
ジャーナリストって書いてるんですね。
その時はニューヨークっていうのがアメリカのどこにあるかもわかんないし、
ジャーナリストっていう仕事がどんな仕事かもわかってないんですけど、
ただなんとなく世界の中心だっていうのは聞いてた。
なんとなく作文を書くのが好きレベルかもしれないですけど、
物を書くっていう仕事に憧れはあったんだと思いますけど、
そのこの間も地元のテレビ局に出た時にその証拠写真を、
12歳の頃のタナボタの写真と、
中学の時の将来の夢の彫刻、木の彫刻の、
サミガンみたいなやつを取材に来てもらいましたけど、
まだあります。
その彫刻は何の彫刻だったんですか?
将来の夢みたいなやつの中で、
僕がこの摩天楼のビルを掘ってるような。
ああそうなんだ。
今ちょっとあるんで、ちょっと待って見せるの今一瞬。
これラジオだったらあれですけど、
これですね、見えます?
見えます。
ほんとだ、なんか年季が入っててこの。
そうだってもう今から30年前、
40年近くなんですね。
いやでもなんかすごいしっかりしてますね。
12:02
小学生ですか?中学生?
いやこれは中学の時ですね。
これは中学の時。
ほんとだニューヨークの摩天楼の後、
人が一人立っている、なんか、
おしゃれな感じがしますね。
それぐらいとんでもない田舎だったので、
岡山県の瀬戸内海際の田舎だったので、
そういう世界に対する憧れっていうのは、
子供の時からあった気がしますね。
すごいな、なんかでもイメージはついてたんですか?
ジャーナリストっていう、
ジャーナリストみたいな。
ジャーナリストみたいな。
ジャーナリストみたいな。
ジャーナリストみたいな。
ジャーナリストみたいな。
ジャーナリストっていう、
なんとなく言葉の響きみたいなのが、
かっこいいなみたいな、そんな感じなんですかね。
その程度だとは思いますけど、
ただね、ただ、
うちの5つ上の兄がですね、
国立大学を卒業する、
出席で卒業するぐらいの超インテリだったんですよ。
5つ上の兄が。
で、隣の家に住んでるいとこがですね、
3つ上なんですけど、
彼が岡山県下を取り付けてる暴走族のリーダーだったんですよ。
で、僕は隣の家に住んでるから、兄貴のような存在なんですね。
その両極端の兄貴に育てられた感じなんですよね。
それは幅広いっすね。
だから結構自分の人格にもこう、なんていうのかな、
なんか両かっこ悪いなって思ってたんですね。
で、その時に、
なんとなく、
彼は学級委員長、彼は特攻隊長だったんで、
なんかこう、僕の中のかっこいいっていうのは、
特攻隊長兼学級委員長みたいなイメージがあったんですよ。
で、その時に、なんかこう、子供の頃の印象なんですけど、
なんかこう、ジャーナリストってこう、
ブルーカラーであり、ホワイトカラーでありじゃないですけど。
確かに、闇を知ってるし、正義も知ってるみたいな。
なんかそういう憧れみたいなのは、
あんまりこう、お金お金だけでもないし、
芸術芸術っていうアーティストでもない中で、
多少両方こう、ビジネスからも逃げちゃダメだし、
何が好きなのか分からないし、
なんかこう、ビジネスからも逃げちゃダメだし、
何か制作からも逃げちゃダメだしっていうイメージは、
今言葉、その時は言語ができなかったですけど、
なんとなくそういうのがあったような気はしますね。
なんかこう、世の中のリアルを知りたいみたいな、
そういうとこなんですかね。
あとなんかモテそうじゃんって思ってたんじゃない?
あ、そうっすか。
やってるから全然モテる職業じゃなかったですね。
いやいやいや、イケメンでいらっしゃる気はしますけどね、
15:01
今顔を見ながらしゃべってますけど。
そうですか。
え、でもそのままじゃあ、
お兄さんは有名大学を出てらっしゃるということだったんですけど、
高橋さん自身はそのままどうやって進んでいくんですか。
僕は大学中退なので高卒ですね。
大学を中退してるって言ったら聞こえいいですけど、
結局単位は一個も取ってないので、
ただの高卒みたいなもんですね。
行かなかったってことですか。
行かなかった。その時1回目って結婚しちゃったので。
あ、そういうことなんですね。
そっからでも最初の就職ってどんなのだったとか聞いてもいいですか。
そのあたりはですね、僕の1冊目の本に詳細を書いてあるのでぜひ。
最初は専門学校の講師みたいなのをやってましたね。
ちなみに本の名前が、
ちょっと紹介しておきますかね。
すいません。
えーと、2年生。
ここにあったか。
2冊でも出版されてらっしゃるってことですよね、著書が。
はい。
1冊目、武器は走りながら拾え。
2冊目、ニューヨークに挑んだ1000人が教えてくれた8つの成功法則。
という本も出されていらっしゃって、
1冊目のほうにその面が書いてあるわけですかね。
そうですね。最初は大阪の某専門学校で、
講師。講師って言っても教員免許ないので、職業訓練法人なんですけど、
そういう非常勤講師みたいなのをやってました。
ちなみにニューヨークに飛ぶ話の前に、
僕ちょっと皆さんに聞いてるんですけど、
何か衝撃を受けた出来事、人生の中で衝撃を受けた出来事、
転換期となったエピソードがあれば教えてくださいっていうことを聞いてるんですが、
その辺ってどの辺りがそうだったと思いますか。
やっぱり27歳の時に片道切符でニューヨークに来たことで、
人生が全て変わったんじゃないかなと思いますけどね。
講師をやられてた中で、ニューヨークに行こうって思ったってことですか。
そうですね。
それは何かきっかけがあったんでしょうか。
当時、2000年問題って言われてて、
要は新しい世紀に突入するみたいなんで、日本は結構騒いでたんですよね。
はい。
18:00
その時に僕は岡山から家出して関西行ってたので、
そのまま子供の時の夢を忘れてたんですけど、
このまんま新しい世紀になっても今の仕事を続けるのかっていうのは
ちょっと怖くなった部分があった気がしますね。
で、その時に兄が蜘蛛膜悪化手術で倒れてですね、
岡山の病院に行くんですけれど、
その中で兄は一命を取り留めて、
障害を持つ体になってしまったんですけど、
こういうピコンピコンっていう集中治療室あるじゃないですか。
はい。
今夜は山田みたいな。
はい。
あの時に、ドラマや映画みたいに兄が僕の手を握るわけですよ、こうやって。
意識が、そんな虚ろな中。
で、だいたい映画やドラマだと、
自分はもうダメみたいだから、
親父と袋頼むな、みたいなことを言うのかなと思ってたんです、僕も手握られながら。
そしたら、自分はもうダメみたいだから、
自分はもうダメみたいだから、お前はやりたいことをやらなきゃダメだよな、みたいなニュアンスのことを言われたんですよね。
その時に、健常者というか自分がこういう状況じゃない中でやりたいことをやってないっていうことは、
やりたいことをやれない人からしてみるとすごい罪なんじゃないかなぐらいまで思っちゃったんですよね。
やりたくてもできない環境になっちゃった方からすればってことですね。
だったら、結果云々とかを考えるよりは、
幼少の頃からの夢を実現しようって思ったのは、その時だった気がしますね。
棚渡に書いた、ニューヨークでジャーナリストっていうのを思い出したんですよね、その時に。
そうですね。
海外旅行すら、てか国内旅行すら、飛行機に乗ったことなかったんですよ、俺その時。
パスポートとビザの違いもよく分かってなかったんですよ。
なるほど。
もちろん英語も一切喋れない、全くゼロでしたから、当時の。
今これ聞いてくださってる中の方で、当時の僕より英語できない人間は、
叱ってもいいけど絶対いないですよね。
AB、アルファベットならギリかけるっていうレベルだったので。
それでも最初はどうやって行くんですか?旅行ってか何だろう。
F1ですね最初は。
じゃあ、学校に一応入るっていう感じで。
それも別に学校に行くのも目的じゃなくて、とにかく何も分かってなかったので、
人に聞いたところF1っていうのが一番入りやすいよと言われる感じだったので、
21:04
語学学校に席を置いてF1で入ったと。半年間合法的に入れたって感じですね。
それがでも半年間だったんですか?
そう、語学学校なんで。
その後はどうなるんですか?
その後はもうビザ切れたら違法になっちゃうじゃないですか。
だから日経の出版社に飛び込んで、
インターンでもなんでもいいから雇ってくださいみたいな。
そこからビザ出してもらってみたいな感じになってくるんですかね。
なんかでも、バイタリティみたいな。
何でもやったら強いみたいな感じの気持ちだったんですかね、その時は。
インターンでも何でもいいから雇ってくださいみたいな。
何でもやったら強いみたいな感じの気持ちだったんですかね、その時は。
インターンなんで給料ってなかったですからね。
そうなったら日中はそこでインターンして、夜のウェイターみたいなのをして、
バイトして、はい。
っていう感じのサイクルだった感じですね。
そっか、でもその時はもう、やっぱりジャーナリストになるためにメディアに行くっていうのは決めてたって感じなんですか。
そうですね。
よく拾ってくれたなぁ、イリーガルというか学生ビザが切れかけて、
だからタダで使えるから置いといてやろうみたいな感じだったと思うんですけど、
最初は雑用ですよね、もちろん。
雑用って言っても、いろいろ営業外回りと編集側とあると思うんですけど、どの辺をやられてたんですか。
全部ちっちゃな会社だったので、全部やらせてもらえたのは良かった気がしますけど、
ただやっぱり会社側としてみたら、どんな事情があるよりもどれだけ貢献できるかしかビザは発刊できないですから、
僕自身は全く英語も話せない中、正社員も抜いて営業でトップになったので。
今やるって言われてもできないですけどね。
多分あの時だから何も分かってないからできたっていうのはあると思いますね。
プロフィールに書かれているかと思うんですけど、1年後に副社長に就任って書いてありますんで、かなりのスピード昇進だったわけですね。
もともと副社長って書くんですけど、そこまで人間が多い、ものすごくちっちゃな会社ではあったし、
あとやっぱりどんなに英語ペラペラのやつでも数字取ってこらなかったら、会社としては必要ないですよね。
24:01
売り上げあげてこないければってことですね。
買ったこと英語でも取ってくるんだったらそっちに置いておきたいっていう気持ちになってたんじゃないですかね。
ちなみにその入った当初は、自分でメディアを作るぞっていうような起業思考みたいなのあったんですか?
全くない。もうゼロですね。全くなかったです。
もうそういう発想すらなかったですね。
そうですか。
今も社長業やって20年経ちますけど、今もよくこういうこのポッドキャストに出てくる、今まで出てられた社長さんと違って、僕自身はそういうベンチャースピリッツとか、そういうのゼロというか、
社長さん、中小企業の社長さんってなんかダサいイメージがあったんで、働きにして社長さん社長さん言われる、それかむしろ尖った革靴履いて黄色のネクタイしてる、IT系です。
髭はあごだけ生やしてますみたいな。そういう、なんていうのかな、どっちかのイメージがあったんですよ。日本はよ、アメリカではないですけど、日本は日本の社長さん、指10本のうち6本指やしてますみたいな、そういうイケメン若手IT社長さんか、作業を着てる中小企業のおっさんか、みたいなイメージがあったので。
なるほどね。
だから僕もいまあごだけ生やしてます。なのであんまり社長っていうのには全然興味がなかったですね。今もうちの社員が社長って呼ぶのは、たぶんあいつらカタカナの社長、アダマみたいな感じで呼んでますからね。
メキシコに行ったら社長社長って言われる感じの。
そうですか。なるほど。じゃあ本当に普通にジャーナリストになるぞみたいな感じのイメージだったんですかね。
最終的に独立をされるわけですけど、それはきっかけ的なのがあったんですか。
そこの会社がつぶれたときに、当然その社員が注意を受けますよね。
で、そのときにあるニューヨークの大手ではないですけど、そこよりずっと大きな出版社に面接に行ったときに、僕とそれ以外についてきてくれた4人組を一緒に採用してくれないかっていう面接に行ったんですよ。
そしたら、お前だけならいいと。他の4人を切ってこいと。だったらお前だけなら採用してやるって言われたんですね。
27:04
でも、そのときちょうど僕はその半年前に母が休止したので、格好つけて断るわけにはいかない。母が休止した後でもこっちに来たので、ニューヨークに来たので、やっぱりそれは成功するために来たわけだから、
ちょっとドラマ映画じゃあるまいし、その4人をかばって断るわけにはいかないと思って、自分だけ採用してくださいというつもりだったんです。で、4人を集めてですね、僕についてきてくれた4人を集めて、今でも覚えてますけど、
42丁目のダンキンドーナッツに集めてですね、頭下げたんですね。自分だけ採用してもらうという話をしました。4人とも沈んでいく船から自分だけ助かろうとしてるわけですから、当然4人とも罵倒してくれたら気持ちが楽になったんですけど、彼らが良かったじゃないですかと、一人で言ってくださいって全員言ってくれたんですね。
で、次の日、社長さんのところに行って、4人切ってきたんで僕だけ採用してくださいって言うつもりだったんです。いまだに何かわかんないですけど、口を出たセリフが、やっぱりちょっと連中してれないんですいませんって謝ったんですよ。ありがとうございましたって。
ドラマ映画だったらかっこいいシーンですけど、現実の方はお前それ後悔しないのかって言われて、もう今すぐにしてますけどみたいな。すぐに今してますけどみたいな。なんか断ったけど4人腹立ってきたなと思ってたんですよ。
で、帰り道に電話が鳴って、地下鉄入る前ですね、電話が鳴って戻ってこいって言われて戻ったんですね。やっぱり一つの会社でビタを出せる人数って決まってるので、だからって5人全員雇えないけど一つだけ方法があると。お金出してやるからお前社長するかと。そしたら全員救えるぞっていうのが最初の会社のきっかけですね。社長になったきっかけです。
じゃあそのときの社長が席を空けるという話だったんですか。それとも新しいビジネスを自分でやれっていう感じだったんですか。
新しいビジネスをやれっていう。
ああ、そういうことなんですね。
そう。なので僕は社長業興味なかったんですけど、それ以外ノーウェイだったというか、それ以外僕と連中全部救える方法がなかったんですね。
なるほどー。かっこいいね。やっぱドラマみたいですね、でもそれはそれで。
いや、ドラマ。僕断った瞬間に4人めちゃくちゃ腹立ってましたからね。なんで断ったんやろって思ってたんで。
今考えてもあいつら全員切ってそのまま僕一人雇ってもらってたらだいぶ楽だったかな、その後の20年と思ったりもしますけど、今その4人が今のうちの営業部長と編集長とデザイナーチーフとそれぞれのトップになってます。
30:07
そうですか。それはそれは絆もありますね。なんか強いチームだなと思います。
じゃあその時に立ち上げたのがそのニューヨークビズ?
いや、その時に立ち上げたのがデイリーサンっていう新聞で、LAにも日刊さんってありますよね。あれのニューヨーク版のデイリーサンっていうのを立ち上げました。
それをずっと雇われ社長としてやってきたので、2010年に独立したいということで、デイリーサンをそのまま置いて、オーナーでニューヨークビズっていうのを新たに作った感じになります。
じゃあそのメンバー4人もそちらのほうに一緒に加わってと。
そこまではオーナーさんに恩返しというか貢献されて、そろそろ自分でやらせてくれという感じだった。
そういうことですね。
なるほどです。いやー面白い。ちょっともう少しその話、僕個人的には聞きたいんですけど、そろそろ次のセクションに入っていこうかなと思います。
中学生の頃思い描いてた夢を語学学校に行って、インターンに行って、生社員になって、着実に進めていって、夢を実現していくパワーっていうのがすごいなっていうふうに思いました。
七夕の短冊にニューヨークでジャーナリストって書いてあってたけど、何か覚えてますか?七夕に。
七夕。そんな具体的な夢は。12歳ですよね。
まあよくあるのはね、プロ野球選手とかね、サッカー選手とかだけど、俺も覚えてないもんな、はっきり言って。
そんなニューヨークでジャーナリストなんて単語すら知らんよね。
知らないです。
エマさんはでも、テレビに興味はあったのかね。いつからなんだろう。
12歳の時はまだ別に思ってなかったですね。テレビ局で働いてみたいと思ったのは、高校生の進路を決めるとき。
まあまあ遅いっちゃ遅いよね。もっと早い人はもっとだって子供の頃からね。事務所に所属してる人とかいっぱいいるしね。
33:03
そうですね。子供のときは自由に過ごしてました。
いやーでも岡山県のとんでもない田舎って言ってましたけど、どこらへんか気になるところだが、そこから今このニューヨークという世界の中心にいるっていうのがまた。
これもさ、両極端っていうかさ、先週も話してましたけど、大好きで大嫌いって言ってたりとか。
まああのエピソードの話も、お兄さんがめちゃめちゃ優秀で。
学級委員。学級委員だったって。
隣の家のいとこが暴走族のリーダーっていう。
特効隊長と。
特効隊長だ。
だからそういう両極端なものがなんか、おもろいよね。岡山からニューヨークに行くっていうのは。
まあそういうないものを欲しがる習性があるんでしょうかね。人間の本能として。
憧れ、まあそうですよね。
あとどっちの雰囲気?その学級委員と特効隊長と。
どっちも見てるからこそ、どっちのかっこよさも合わせて。
ね。でも合わせ持ってる気もするよね。
なんかだから、言えること言えないことってたぶんね、このやっぱなんつーの、ポッドキャストとインタビューで言えること言えないことあると思うんだけど。
言えない奥での高さも見てみたらいいよね。個人的に思いましたけど。
確かに。
いやなんかね、再来月、3月か4月にLAに来るっておっしゃってたんで。
あーそうなんですね。
チャンスがあればちょっとお酒でも飲みたいなと思ってるんですけどね。まだお忙しいと思うんであれですけど。
はい。著書も、稿も。
そうそう。
ね、出されていて。
うん。
すごいよな。著書の紹介もしたと思いますけど。
はい。
あのさ、2000年問題の話してたじゃん。
はいはいはい。
それって知ってる?って聞きたかったんだけど。2000年問題って聞いたことありますか?
聞いたことあります。でも。
てか、エマさんって何年生まれた?
はい。1993年です。
あ。平成?あ、じゃあは?
平成5年です。
あ、平成5年です。あ、そうだね。
はい。
じゃあ7歳か、2000年は。2000年問題ってね、パソコン上でバグが生じてえらい問題になるみたいな話があって。
36:13
っていうのが、それまでは1977年とか1998年とかっていうのを、下2桁だけで表現してたんだよね。いろんなところで。
はいはいはい。
まあ98だけ。で、それが2000年になると00に戻るっていうか、なるから。
そうですよね。はい。
その1900の00と混ざっちゃって、バグが出るんじゃないかみたいな話が。
それが2000年問題だったような気がするんだが。それってでも覚えてる?
その当時のことは。
ないか。
覚えてない、覚えてないですね。
まあでも、ノストラダムスの大予言とかは知らない?
あー、あったことは知ってるんですけど。
それもね、2000、それはだから1999年にもう世界が滅亡するみたいな話だった。
あー、そうですね、私は。
まだ子供だったもんね。
はい、物心ついてなかった感じ。
まあでも俺なんで、俺何歳だったっけな、俺結構ね、ビビって、ビビってるっていうか結構信じちゃってたけどね。
本に書いてあってさ、ノストラダムスの大予言が。
本当に滅亡するって言ったらどうなるんだろうって、ちょっと怖かったけどね。
まあいいや、あまり昭和の話しても続かないので。
まあでも、なんとなくこのガッツがある感じ、たかしさんの、昭和の感じはあるけどね。
あー。
俺的にはとても親しみがあるというか、めちゃくちゃしっくりくるんですけどね。
はいはいはい。
足で稼ぐとかさ、そういう話みたいな。
進歩してるけど、やっぱりそこが大切だったりする面もありますもんね。
そうそうそうそう。
はい、ということで次回が、仕事の掘り下げとかね、仕事に対する姿勢だったりとか。
インタビューをね、ライフワークしてるんですけど、それを、僕も、僕なりの気をつけてるとこあったりするんですけど、それどういうとこ気をつけてますかみたいな。
そんな話かな。
おー、気になりますね。私も気になります。
はい、そんな話を聞いちゃっております。
お楽しみに。
はい。
39:10
リアルアメリカ情報。
よっ。
このコーナーでは、最新のビジネス生活情報をアメリカ、ロサンゼルスからお届けしていきます。
はい、お願いします。
はい。
エマさんも、慣れてきたかな?
はい、徐々に。
第2回目ということですけども、今回は、先月発生してしまった山火事について。
はい。
その、私たち今ロサンゼルスに住んでますけど、実際どうでしたかっていう話など、リアルな話ができたらなって思いまして。
そうですね。今収録時が、2025年1月24日ですが、確か山火事が発生したのは7日とかだったっけ?
7日、そうですね。
そうですね。
7日に発生しました。
7日はどう過ごしていらっしゃいました?
ノホホンとしてまして。
ただ夜、夕方かな?友達からLINEが入って、
「みつさん、今日泊まらせてくれませんか?」つって。
「待っていいですか?」みたいな連絡があって、その子はサンタモニカに住んでる子で。
で、どうしたの?どうしたのっていうか、山火事が起こっていることはなんとなく俺見たような気もするんだが、そんなにひどいと思ってなくて。
で、「いや、火事がやばいんですよ。」とかつってて。
で、見たらエレイコと燃えてて、マリブのほうが。
で、「いや、それはもう気になるよ。」つって、うちに泊まりに来てもらったっていうのが初日でしたね。
ちなみにエマさんの家のほうが近いよね?パリシーズ、マリブのほうにね。どうでしたか?
そうですね。直接的にその避難指示とか警告は出てなかったんですけど、
たまたま7日の夜にスーパーに行って、駐車場、屋上だったんですけど、泊めたら何人も人が集まってて。
で、なんだろうなって思ったら、その山?肌のほうをみんな見てて、すごく燃えてて。
見えたんだ、そこから。
見えました、見えました。
怖いよね。
怖かったです。
翌日も、私の住んでるところも学校も、避難地域ではなかったから、学校あったんですけど、
42:03
空の色とか、全然やっぱりいつもと違うっていうか、灰色?
そうね、灰が降ってて、朝から夕焼けみたいになってたもんね。
そうです、暗かったですよね。
うちのほうも、だからその燃えてるところからは、車で30分ぐらいの距離だから、結構離れてるんだけど、やっぱ灰降ってたしね。
うん、降ってました。
で、9日は、避難エリアではないけど、空気が汚れてるし、あと今後どうなるかわかんないので、ってことで休校になりました。
あ、その語学学校?
はいはい、行ってるところは。
他のアメリカの現地の学校も結構、9日休みが多かったみたいですね。
そうだね、確かUCLAとかも休みだったよ。
いやもう本当だから、火曜日、水木、もうその週は本当仕事が手につかなくなっちゃってね。
浮き足立っちゃったっていうか、大丈夫かなって、そわそわさして、
知ってる人があっちのほうに住んでるなとか、いろいろ考えて、大丈夫かなって言って連絡を取り合ったりとか。
日本からもすごい大丈夫って。
そうだね、その頃には日本でもすごい報道されてたもんね。
いやー、そしてまあ、その後が。
そうですね。
今、一収録してる時点で、パシフィックパリセーズとアルタデナで起きた、7日に起きた火災っていうのは。
イートね。
ああ、イート。大体おおむね収まってきてるけど、まだ消火活動してて、あと22日にキャスティー区、レイク地区で新たにまた発生してしまったということで。
キャスティー区では5万人以上、今避難指示とか警告が発表されてる。
えー、そんな住んでるのか。
みたいです、はい。
お、記事がありました。
もうね、キャスティー区、あの辺はシックスフラッグとか遊園地があるところで有名なんですけどね。
はい。
まあでも山のほうなんだけど、そんな人住んでんだね。
5万人も避難してんの、大変だわ。
指示や警告ってことですけど。
1月25、26、27雨の予報。
そうだね。
早く雨降ってほしいよね。
45:00
いや、ほんとに私、夏に来てからほとんど雨降ってないくて。
いや、そうなんだよね。
この冬は、ほんとは11月と2月が雨季なんですよ、カリフォルニアね。
はい。
雨季って言ったって、もう数日しか降らないですけど。
降ってないですよね。
ほとんど降ってないね、今年はね。
今年というか、この冬ね。
この水道とかの水は一体どこから来てるんだろうって、いつも不思議に思いながら過ごしてたんですけど。
いや、そうなんだよね。
そういった感想も、感想とか風にあって、広がってしまったということですか。
でも去年は逆に、記録的な雨が降ったんだよね。2月だったから。
ああ、そうだったんですね。
そうなのよ。
そういう年もある。
山の草木がぼうぼうに生えて、おっしゃーって水がいっぱい来たから。いつも来ないのに。
ほんで、それが今年は全然雨降らなくて、カラッカラにかまえちゃって。
そこに火がついたもんだから、もうえらいことも得たって言われてますよね。
まあ、他にもいろいろ陰謀論とかもありますけど。
なんかそうですね、いろんな説が。
あんまり深掘りはそこはしない方がいいと思いますが。
対策として、私はのウォッチデューティーっていうアプリをインストールして。
なんか俺も入れたけどな。
火災がどこで起きてるかとか、避難状況とか。
ありますね。
見られるので、今後の情報は。
そうですね。
そうだそうだ、防災士のエーマさんとして。
そうですね。
いや、でもマジでこれ、侮ってはいけないなと思ったもんね、ほんとに。
いつ何時、我が身に降りかかるかわかんないっていうか。
そうですね。
実際、でも何をこれ持って逃げるかって考えたけどさ、
特に何もなかったけどね。
あの、パスポートとか。
水? ああ、パスポート、そうですね。
水。
水は最重要。
なんか飲むのもそうだし、いろんな、手洗ったり料理したり。
ああ、そうだね。
でも水が必要だから。
いや、そりゃそうだ、そりゃそうだ。
いやでもさ、車は乗れるとして、リュック、車乗れない場合もさ、
例えばリュック1個でじゃあ何を持って逃げるかって言われたらさ。
なんかある?
えー、何を、もう、まずは自分、その命助かるかっていうのと、リュック1個ですよね。
貴重品ぐらいじゃないですかね、そしたら。
ね。
避難する。
貴重品、水。
48:01
いや、なんか、俺もギターとかさ、まあまあ、あの、高いギターとかもあったりしてさ、
考えるんだけどさ、そんなもん持って逃げてられんわなとか思うとさ、
なんもねえわと思った。
とりあえず逃げるしかねえって。
いやもう、逃げる、うん。
いや、本当に万が一のときは、逃げるしかないですよね。
そしたらまたなんか、やり直せるかもしれないからね。
まあ、とにかくちょっとね、寄付とかドネーションとかできる方はね、して、まだまだ大変な人いっぱいいるんで、また、もう元に戻るとかじゃないけど、再生できるといいですよね。
そうですね。でまた、どこでどうなるかも、まあ今後わからないので、ちょっと情報を見ながら。
これからも防災士のめまさんから注意喚起をお願いします。
空気汚染とかも心配だから、そういうときも、外出控えたり窓閉めたりできることしないとですね。
はい。またそういう、じゃああれだね、アプリの情報とか、なんかそういうのがあったら教えてくださいってことで。
はい。随時お伝えしていきます。
はい。
はい。安全にお過ごしくださいということで、ここまでリアルアメリカ情報でした。
はい。質問。
ちょっと高橋さんの話にあやかってというか、
はい。
ちょうど、超インテリのお兄様、優秀なお兄様と隣に住んでた特攻隊長のいとこって話があったんですけど、
めまさん、どっち派?っていう。
どっち派?
いやその、反抗期とかあった?みたいな話を。
あー。あ、でも反抗期って反抗期はなかったんですよね、私。
ちなみになんか、小、中、高。小は違うわ。小は教学で、中、高、大が。
女子、高。
反抗期なし。
なかったですね。
親とも仲良くて。
そうですね。しゃべんないみたいなことはなかったです。
51:00
でもそれを母に言ったんですけど、私反抗期なかったよねって言ったら、
ずっと自分マイウェイというか、ずっと親の言うことを特に聞いてないから、別に反抗する必要なかったんじゃないみたいな。
最初から聞いてないの?
最初から聞いてないから、反抗する必要もないからなかったんじゃないかって言われました。
ちなみに兄弟は?
弟がいます。
血液型B型って、俺さっき見てたんだけどさ、そういう性格なの?親の言うことというか、マイウェイな性格なんだっけB型って。
マイウェイって言われますけど。
そうかそうか。
そうなんだと思います。
あまり自分的には反抗してたという自覚はないのに、反抗とは違うんか。
反抗っていうか、
親の言うことあんま聞いてなかったよっていうことで最初から。
みたいです。両親の分析によるとそうみたいです。
そうなんだね。面白いね。
それを許してくれてたっていう両親のこの器というか懐、大らかに育ててくれたっていう感謝なんですけど。
なるほど。
だからそうですね。
反抗とかありました?そういうとんがってた時期。
いやーそんなもう中途半端なのはありましたよ。
やっぱりヤンキーっていうか。
でもね一応勉強もしてたしね、中途半端でしたね。
ただ、友達が両サイドにいるっていう感じ。
どっちもいけるみたいなポジションでしたね。
ヤンキーの番長みたいな人とも仲良しだし、
プラス学年で一番みたいなやつとも仲良しみたいな。
一番いい。
なんかね、ふらふらしてるポジション。
中立的な。
そうですね。
小学校の時にめちゃくちゃ仲良くて、一緒に学校通ってた子が足を怪我して野球ができなくなって、
一緒に野球やってたんだけど。
中学に入ったらすごいヤンキーになっちゃって、その子が。
すごい番長みたいな感じになったんだけど。
でも元々すげえ仲良かったから、どっちのほうにもいけるっていうポジションだったんですけどね。
そこはそこでいろいろドラマがあるんですけど。
54:04
今でもね、たまに帰って電話で喋ってみたいなのもありますけど。
そっか。
エマさんがめちゃくちゃすごいヤンキーだったら、スケバンだったら面白かったなと思ったんですけどね。
それはなかったですね。
てかスケバンっていう言葉を知らんか。
存在は知ってますけど、周りにはいなかった、生のスケバンさんは見たことない。
スケバンさん。
スケバンさん。
でも育ったのは埼玉?
神奈川。
神奈川ね。
神奈川県って割とヤンキーそうだけどな。でも年代が違うんか。
探したらいるのかな。
あれあの、騎士団とか、あれ千葉かあれは。
騎士団っていたじゃん。ヤンキーの暴走族の恰好した人たち。
あれはちょっと違う。
ちょっとごめん、ジェネレーションギャップがね、割と俺まだつかめてないな。
そうですね。千葉県木更津市って書いてあります。
ヤンキーってまだいるっちゃいるよね。生息してるよね、日本に。
今、コンビニエンスストアの前とかにタムロしてる。
いるんだね。
とかですよね。
そうそうそうそう、ヤンキー随りしてね。
そうか、そういうほうではなかったわけですね。
わかりました。じゃあちょっとね、だんだんね、この皆さんこれ聞いてる方が、
エマさんってどんな人なんだろうってわかるようにね、ちょっとこれからも。
ちょくちょく出していければ。
濡れた人もしてるかもしれないんですが、はい。
ちょくちょく出していってください。
はい、出していけたらと思います。
はい、そんな感じかな。
で、この本編とリアルアメリカ情報はホームページでも。
そうですね。
ご覧いただけるんですね。
はい、ホームページのURL覚えてますか?
ホームページのURL。
リアル。
あれです、podcast.086.com。
podcast.086.comですね。
はい。
はい、そこに行くと、今スラックで売れますけど。
はい。
あ、間違えた。
大輔くんのメールアドレスだった、それは。
ここに行くと、みなさんそこにアクセスしてもらう。
ショーノートですね、書いてますんで。
うん。
ちなみにね、ウェブサイトにエマさんのメンバー紹介のところに、
57:01
エマさんのプロフィールとかもアップされてるはずなので、
みなさんチェックしてもらって、そこから多分インスタグラムとかもね、
ぜひ。
いけると思いますから。
ありがとうございます。
はい、ぜひ見てください。
ぜひご覧ください。
はい、ということで、1%の情熱物語は、
日本を飛び出し、世界で挑戦していく人を応援します。
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詳細はウェブサイトを見てね。
どうやって終わったっけな。あんま覚えてないよね。
俺6年もやっててさ、全く覚えてないっていう。
あ、これでじゃあ。
これで終わりなんだけど、これでエマさんのほうからなんか言ってもらって。
あ、わかりました。
それでは、次回もどんな話が聞けるのか。
はい。
はい、楽しみにしていてください。
ということで。
また来週。
はい、また来週。
じゃね!
58:39

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