2023-03-25 31:44

【##6】「ALPHABOAT(アルファボート)合同会社」藤田 理さん(前編)

毎週1本、30-40代の方のキャリアストーリーをインタビューした収録をお届けします。第3回目となるインタビュアーは、新卒で大手タカラトミーに入社したのちに、ITベンチャー企業のSpeeeにジョインして80人規模のミドルベンチャーから500名以上のメガベンチャーへのグロースと上場を経験。その後、スタートアップの1号社員・執行役員CMOのキャリアを経て現在は、住友商社系列であるALPHABOAT(アルファボード)社にゼネラルマネジャーとして転職。大手・ミドルベンチャー・メガベンチャー・ドベンチャーを全て経験した藤田さんのお話をお伺いしております。改めて、人生が変わる #キッカケ のポイントをいくつかお伺いする中で、たくさんのチャレンジする人の参考になるお話しが収録できたと思います。是非お聴きください!!

■本日のパーソナリティ

こどもの未来株式会社:千葉祐大(https://twitter.com/Baccho1983)
株式会社グロースX:酒井葉子(https://twitter.com/youtin)

グロースX | 業績につながる人材育成サービス:https://grtx.jp/



藤田 理さん


ALPHABOAT:https://www.alpha-boat.com/
採用について:https://hrmos.co/pages/scdm-ab/jobs/0000009

■本日のインタビューゲスト
Facebook:https://www.facebook.com/osamuf160
Wantedly:https://www.wantedly.com/id/osamu_fujita_m
note:https://note.com/osamuchandesu

⦅プロフィール⦆
2007年、株式会社タカラトミーに新卒入社。ベイブレードやデュエル・マスターズなどの商材の法人営業や人生ゲーム・黒ひげ危機一発・ファービーの販売計画に携わる。その後、ITベンチャー企業のSpeeeにジョインし、マネージャーとして80人のミドルベンチャーから500人以上のメガベンチャーへのグロースと上場を経験。営業マネージャーとしてネイティブアドネットワークUZOUの立ち上げに参画。株式会社なんでもドラフトの社員1号・執行役員CMOのキャリアを経て、2022年、ブランドプロデュースユニットのゼネラルマネジャーとしてALPHABOATに入社。


この番組「40(FORTY)」は,、30〜40代の生き方・働き方を応援する音声番組です。人生100年時代、ライフステージの変化の大きな世代も以前に比べて様々なチャレンジを求められることが増えてきたと感じます。同世代の生き方・働き方を等身大でインタビューするコンテンツも週1回のペースでお届けする予定です。パーソナリティは、こどもの未来株式会社の代表の千葉が担当します。1983年1月生まれ、私自身が40歳になったことをキッカケにスタートした番組でもあります。40歳を迎え、改めて30代の過ごし方を振り返り、40代の10年間をどう過ごしていくかを自分自身が考えるにあたって日々情報収集していることや取り組んでいることも平日は毎日10分ずつお届けしていく予定です。30−40代を応援する番組ですが、今の10−20代に対しても少しでも参考になればと思っていますし50代以上の先輩方の生き方も参考にさせて頂く為にスペシャルゲストとしてお呼びする機会もあると思ってます。こどもの未来株式会社では「こどものみらいがワクワクするキッカケをつくる」ことをミッション・ビジョンに掲げており、「自分が主人公の人生」を生きる人を1人でも応援するために、「生き方」・「働き方」/「仕事」と「育児」の両立をサポートする人材紹介事業もおこなっております。

▼千葉祐大
個人のSNSTwitter:https://twitter.com/Baccho1983
Instagram:https://www.instagram.com/yutachiba1983/
Facwbook:https://www.facebook.com/Chibayuta
note:https://note.com/babytech2020
mail:yuta.chiba@kodomono-mirai.co.jp

▼こどもの未来株式会社
HP:https://www.kodomono-mirai.co.jp/
note:https://note.com/kodomomirai
Meety:https://meety.net/matches/rOPStmnWeJfz
Yourust:https://youtrust.jp/users/yutachiba
E-mail:contact@kodomono-mirai.co.jp
00:11
おはようございます。40、30代、40代の一家と働き方を応援する番組です。
パーソナリティーの子どもの未来株式会社の千葉です。
はい、そしてもう一名のパーソナリティーを務めさせていただいております。
グロースXの坂井と申します。皆さま、本日もよろしくお願いいたします。
お願いします。
はい、今日何回目ですかね。ゲストをお呼びしてというのが、お三方目。
はい、三回目。いよいよね、待ちに待ったビッグゲストをお招待しますので。
ビッグゲスト、はい、お呼びしたいと思います。
はい、ではどうぞ。自己紹介と、はい、簡単なオーナーバイトというか。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
アルファボードという会社に今勤めております。藤田治虫と申します。
ビッグゲストという言葉をいただいて非常に恐縮ではありますが、
対面で会った人は分かると思うんですけど、非常に見た目は小さいんですけど、
うつわが大きいということを訴えながらやっておりますので、あと声ですかね。
そういう意味でもビッグなところを大谷翔平に負けないぐらいの活躍を、
今大事なところで噛みましたけど、やっておりたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。はい、ありがとうございます。
朝本さん来てくれましたね。これちょっと収録がリアルタイムで今あるんですよね。
WBGの決勝のタイミングになっている。
はい、決勝のタイミングでございます。
分けないぐらい厚いトークをしていきたいと思います。
いかに調整ができておさむかというところで注目いただければと思いますが、
対比がやばいです。
そうですね、もしかしたらちょいちょいとWBCネタが会話の中に混ざってくるかもしれませんが、
ちょっとあの時はだったなみたいな感じで振り返りながら、
皆さまも聞いていただけたらと思いますということで、
朝本さんとは私も千葉さんも直接お会いしたりとか仲良くさせていただいているんですが、
今回の40キャリアとかその方の人生について聞いていこうという形のものになりますので、
ちょっとまず簡単にご自身のこれまでのキャリアについてですね、
概要を教えていただいてもいいでしょうか。
はい、ありがとうございます。
そうですね、私ですね、今年齢が39になります。
大学卒業してからだと07年の新卒のキャリアからスタートして、
今4社を経験をしております、4社ですね。
細かいところとかは後でもいろいろ話を突っ込んでできればと思うんですが、
1社目はメーカーの出身でして、宝トミーというおもちゃのメーカーからスタートしてますね。
そこでは営業とか企画とかマーケットとかいろいろやってきましたね。
はい、来ましたね。
あとでここもいろいろ話できればと思うんですけど、2社目は全然違う。
当時ベンチャーでもう72くらいかな、の時に入ったんですけど、
03:03
SPという会社にジョインして、8年くらいいろいろ営業やったりだとか、
営業ばっかりなんですけど、コンサルやったりだとか、事業立ち上げしたりとか、
なんかそんなことをやって。
3社目はスポーツの会社を、スポーツのゲームアプリみたいなことをやってた。
スポーツという会社にいて、1年くらい働いて、卒業して、
今のアルファボートという会社に今いると。
そこでは営業のマネージャーというか、全力のマネージャーを務めております。
こんなざっくりとキャリアになってますかね。
はい、ありがとうございます。
ということで、今ご紹介いただいたキャリアのところを、
細かくじっくりお聞きしていきたいなと思うんですけれども、
まず1社目のメーカーさんということで、
こちらって、一番最初は営業で新卒入者という感じですか。
そうですね。宝跳びって、当時でいうと4,000人ぐらいがエントリーシートが紙で応募されるんですよ。
入るのは15人なんですよね、ざっくり言うと。
同期15人中、14人がマーケとか企画開発志望で、
営業なんてやついるんかいっていうところなんですけど、1人だけ僕だけがいるみたいな。
過去数年遡ってもいなかったらしいですよ、普通に。
珍しい、珍しい、本当に珍しいタイプですね。
そうなんです。
なので営業職したね。
なるほど、なるほど。
ちなみに宝跳びさんで営業職っていうと、
コラボレーションする会社さんとの営業って、
企画開発みたいなところですか。
営業は、基本的に営業って、一応必要なものを売って、
お金をいただいてみたいな話だと思うんですけど、
そこは変わらずなんですが、
いわゆる新規の営業とか、ルートの営業とかって言われるものがあると思っていて、
宝跳びに関してはルートの営業。
つまりはトイザラスさんとか、伊藤陽花堂さんとか、
あとはAmazonとか、僕が辞めるぐらいの時はAmazonの売上が上がってたんですけど、
Amazonとか、ああいう流通の向けに対して売るんですけど、
古い流通なので、営業を直接取引ではなくて、
問屋さんというものを取引して行って、そこに行くと。
なので、直接営業として、流通の下に向けてはプレゼンテーションするんだけども、
問屋さんを通して売り上げを上げていくという、そんな小流ですかね。
それをひたすらやってましたね。
6年中5年、4年、5年ぐらいはそんな感じですね。
その時の営業ってどうだったんですか?
私も実は初回ゲストでお話しさせていただいて、
人材系の営業からキャリアを始めていて、
どちらかというとまさにダイレクトにその企業さんに、
人材なので新卒取りましょうよみたいな、
バイトだったりとかっていう感じだったんですけど、具体どういう?
06:00
酒飲む仕事とか言っちゃうとまた問題になるんですけど、
でも結構そんなところはあって、
簡単に言うと、おもちゃってある流行のものじゃないですか。
年間のうち、坂井さん12月の売り上げって、
年間の12回あるうちの何パーセントぐらいあると思いますか?
これですね、実は私東京ゲームショーに関わる
ゲームの会社にいたことがあるので、
パーセンテージはわかんないんですけど、
クリスマスやっぱやばいよねっていうのは認識はしていて、
全体の6割ぐらいですか?
そこまでいったらやばかったんですけど、4割ですね。
4割。
でも年間の4割なんで、こけたら終わりなんで。
せっかく言うと11月も売ってるんで、なのでそういう話なんですよ。
何が言いたかったかっていうと、
おもちゃのリードタイムって大体3ヶ月ぐらいかかるんですよ、作るまで。
要は1万個作るぞって意思決定してからまでかかるんですよ。
もちろん企画とかパッケージとかを考えると、
もう半年、1年は当たり前にかかっていくんですね。
さっきゲームショーって話ちょっとあったんですけど、
おもちゃショーっていうのが6月にあるんですよ。
あそこが年末の見本の位置のタイミングなんで半年前なんですよ。
半年前。
あそこでリリースするある程度の商品をほぼほぼ決めて、
なんなら4月のタイミングである程度発注させておくんですよ。
夏商戦みたいなやつあるんですよね。
夏商戦でちょっと販売させるんですよ。
それで初動を見るんですよ。
その初動を見た時にその売上っていうものが何割ぐらいどれだけ受けるから、
何個売れるから、じゃあ年末にこれだけ仕込みましょうっていうのを、
6月にまさに詰めていって、半年後の勝負みたいな感じなんですよ。
なので11月中旬にトイザらスにロトっていうチラシが出るんですけども、
そこからその初動で今年のクリスマスが行ったか行かないかっていうのが分かるんですよ。
そんなおもちゃの流通の流れがありましてですね。
なのでこんなことをひたすらやると。
今申し上げたトイザらスは当時もう十数年前なんでもう行っちゃってもいいと思うんですけど、
だいたい3割ぐらいの売上があるんですよ、あそこにトイザらスに。
130店舗ぐらいあるんですけど。
それ以外に伊東洋華堂が100店舗、イオンさんが200店舗あって、
それがだいたい8%ぐらいですね。
残りがビッグ、ヨドバシとかああいうところがあって、
Amazonがちょこちょこ増えていった。
今もAmazonすっごい多いと思うんですけど。
そんな風な売上で構成になってるっていう話ですかね。
なのでここに対して各々の営業がさっきの時間軸をもとに提案をしていくっていう流れが、
これがメインの営業なんですけど、僕と実はやってなくて。
僕コンビニの営業やったんで3年間。
全然違うことをやってたんですけど。
なんで辞めちゃったんだろうなと思うんですけど。
当時新規流通でやってたコンビニエースの商売っていうのをやっていたっていうのが僕の営業のキャリアなので。
ちょっと今の話を偉そうに言ってたけど、トイザらス担当したことないっていう話でありますね。
そうなんですね。なるほど、なるほど。
ちなみに営業の全体のご経験の中で晩年がコンビニ担当。
09:05
晩年というか、そうなんですよ。営業推進たるものがありまして、
それが売上のだいたい恐ろしいもので7、8割持ってる部署で10人ぐらいの営業がやってたんですけど。
全体の営業が多分5、60、70人くらいいたかな。
通常、エースっぽい人が集まってるんですけど、
僕、さっき申し上げたときに若手で営業やりたいなっていないんで。
いいぞ、いいぞって巻き込まれて。
僕はその部署にいたから、だいたいの売り上げ全部見てたんですよ。
はい、はい、はい。
アーリウムのいわゆる街のおもちゃ屋とか、それも担当したことあるんですけど、百貨店とか。
ああいうのじゃなくて、もういいからお前こっちでエース級のやつで仕事しいやっていう感じだったので。
すごいありがたくて。
当時、流通としてここから伸ばさなければいけない。
あるあるですよね。既存の流通があんまり伸びないってなった場合、新しいチャネルを開いていくって話になって、
じゃあどこだっていうフロンティアは当時コンビニ屋しかないと。コンビニは店舗が伸びてたよねと。
で、街のおもちゃが潰れてるよね。だったらここを使うしかないよねっていう文脈のもと、
僕の大先輩で大好きで尊敬してる原信吉ってやつがいるんですけど、原信吉ってやつに、
じゃあやろうぜって言われて、むしろアサインだと。
で、商売をさせていただいて、カードゲームとか。
あとは一番くじの企画をやったりだとか。
当時、今だとトミカとかって結構コンビニに置かれるようになってたんですけど、
そういう企画とかっていうのをバンバンぶっ込んでいくっていうのをやって、
既存の流通でチャネルの人と怒られて喧嘩するみたいな。
お前らがベイブレード売るから売れねえじゃねえかみたいな。知らねえよみたいな。
そういうことをやってました。
なるほど。確かに今でさえさっき出していただいた一番くじとかカードとかってコンビニで買えるようになりましたけど、
結構衝撃でしたもんね。あの時に。
コンビニで売るようになったんだみたいな。
そういうことです。
子どもたちが手に握りしめていく先が、街のおもちゃ屋さんじゃなくて、
コンビニになったんだなみたいなのは確かに結構衝撃を受けた覚えはありますね。
まさにまさにまさに。そうなんです。
若くして流通のスピードとか、先ほど僕リードタイムの3ヶ月って話したんですけど、
それは通用しないんですよね。コンビニエンスになると。
1日あたりの売り上げを見るわけですよ。日版という。
なのでこれ後ほどの話にもつながってくるんですけど、
そもそもコンビニの商売って先ほど4割っていう話を12月にしましたと。
ここに対してみんな動いてる。
なんなら52週MDと言われる1週間が52回に分けていくっていう週間でしか見てないですよ。
でもコンビニエンスはチャンネルで毎日デイリーで365日の日版という数字で見てる。
なんなら時間で見てるという世界の人間たちとの流通のギャップっていうものに対して、
もちろんすごい宝トミーの営業ってものは楽しかったんですけども、
非常に僕が考えている以上に物事のスピードとか相物っていうのは変わっていくんだなっていうところを、
20代の営業であの会社で経験できたっていうのは結構希少種ですし、
12:05
非常に面白いところだったなとは個人的にも今振り返っても思いますね。
確かにコンビニと仕事しましょうっていう話にならない限り、
絶対業界と違うじゃないですか。
そのスピード感ってものだったりとかまさに扱ってるものも。
すごい良いご経験というか、めちゃくちゃそこキーワードになる何かしらのきっかけになるポイントだったんです。
そうですね。
おさもさんすごい仕事してましたね。びっくりしてました本当に。
してないしてない。
真面目な収録でしたね。すみません本当に。
真面目な収録なのか、破壊していいんだったら破壊するけど。
まあでもいいや。
本当に参考になりますよマジで。
すげえなと思いましたし、52週の文化と確かに日本の。
そこでしかも大企業で経験できたのってめちゃめちゃすごい経験だったなと思うし、
確かにこの経験インタビューってそのきっかけのポイントを結構深掘りしていく。
いきましょういきましょう。
ここでも初めて聞いたきっかけだったんで、すごい参考になったなと思っていて、
そこから次の経緯から5時間番組になる説があるので。
あるある。
そこからどうしたんですっけ?そこからの転職に行ける動きとか。
そうそうそうそう。
それが29なんですよ。僕が次の会社に移動するのって。
普通3年とか言うじゃないですかよく。僕やっぱ倍なんですよ。
収録はそんな感じなんですよね。
まあすごい楽しかったんですけど、
僕一人でも多くの人を笑顔にするっていうことを宝富のエントリーシートに書いて入社してるんですよ。
それって宝富が当時宝と富が合併したタイミングで、
実はエントリーシートが異様に早かったんですよ。他の会社よりも。
一番最初の一番本当のドラフトに宝富だから書いたというよりは、
俺はこうなりたいから書いたっていうのを全部使いましてたんですよね。
で、たまたま変化ってそこに問題に最終的に落ちたっていう問題があるんですけど、
落とされてそこに行ったんですけど。で、行きましたと。
で、その時に一人でも多くにって、その多くにが結構僕すっごい引っかかったんですよ。
結局チャンネルとかって言ったとて、CMだって変わらんし、別にいいんですよ。
今のもう別に馬鹿にするわけじゃないし、すごい意義がある会社なんですけど、
やっぱりマーケティングとか言ったとて、同じ小学館とのコラボとか。
いや別に悪くないですよ、小学館さん。だけどそういうこう、分かってることを分かってるようにやる。
で、やらないようにするにはある種こう、本当に今の文化をディスラプトしなきゃいけないっていうことをしなきゃいけないけど、
そんなことする気もないし絶対に。しちゃダメだし。で、なってくると、あ、限界だなっていうのがあったと。
あともう一個は、その多くにのところに対してそのマーケティングの側面と叶えられるかっていう話があって、
これ何かっていうと、そもそも市場が減っていくんですよ。子供が減っていく。
海外行けばいいんじゃないかって話もあるんですよ。だけど、海外行ったとて文化が全然違うんで、流行らんのですわ。
なんで、そうなってくると非常にドメスティックなものをやっていくという中で子供が減っていく。
しかも一番怖いのは、リカちゃんで遊ぶ年齢がどんどん下がっていくんですよ。
15:02
上がらないんですよ。絶対に。もっと面白いものが世の中にあるか。
あの、YouTubeとか今の子たち見てるじゃないですか。
おもちゃを通るっていう、すごい大事だしなくならないんだが、非常に狭くなっている。
なので、横の市場のパイも減っている。縦の年齢っていうパイも減っている。
本当にこれは多くの人が届けられるものなのかっていう問いが自分の中でも立つわけですよね。
で、立ってきたときに、あれちょっと待てよと。世の中にはもうちょっといろいろあるんじゃないかとか。
あとは会社がいろいろリストラーをやり始めてて、僕対象じゃなかったけど、
すごい自分の中で政治ばっかりやっちゃってる会社とかに嫌気がさし始め、
これ俺のあれじゃねえなと思って辞めるという意思決定をしたっていうのもあるんですけど、
一方で本当に正しく今振り返ってても、やっぱりうちの古い仲間とかと会うんですけど、
マーケティングとか新しいこととか言ってるけど、やっぱこれかっていう感じがあるので、
何だろう、別に本当に馬鹿にしてるわけじゃないんだけど、そういうこのきっかけが僕の中ではあって。
で、辞めるっていう意思決定をしましたと。
で、これ辞めるの話でまた5時間始まっちゃうから危ないんだけど。
それでじゃあなんでベンチャーだったのって話に言うと、
まあぶっちゃけ話すると、スピーとかよくわかんなかったし、
なんならインテリジェンスですよね、旧、昔の。
インテリジェンスのおじさんっていう、月なんとかさんってお兄ちゃんに、
いやここいい会社なんですよ、受からないんでみたいな。
お、受からない会社とかあんの?みたいな。受けたらぜみたいな。
そういう人のシート通って。
で、1次面接、2次面接で、1次面接の女の子もすごい優秀で、
僕の同級生の女の子だったんだけどもすごく良くて。
で、その次の子子役員のすごいかっこいい、手足が長くて、
お金がいっぱいありそうな方がいらっしゃって、
その方の面接も通させていただいて、やばいなみたいな。
なんかベンチャーのスピード感ってすげえなと思って、
3次面接で大塚秀樹っていう代表の、
もう本当に人生を変えるようなすごい尊敬する方にお会いさせていただいて、
なんだと、この意思決定のスピードとか、この流度とか、
こういうことってなんだろうと思って、
この人たちと仕事してみたいっていう、
単純な思いのもと、ビデオの録画もできないのに入ったっていう、
そういう僕は本当にわからないんですよ、ウェブサイトとか最初。
で入って、あまりのヤバさに最初ゲロ入って死にそうになるんですけど、
もう本当に思い一つでぶっこみましたね。
それがベンチャーに飛び込んだあれでしたね。
29の時に動き出したのも29ですか?30ぐらい?
何が?もう一回言って。
転職した年齢は?
29かな。
偶然、洋ちゃんとか僕とかと近いかもしれない。
洋ちゃんも30の時にっていうタイミングで一回転職を考えたって話を、
たぶん一本目でしてたかなと思うんですけど。
まさにまさに。
なるほどですね。
きっかけがすごい具体的に喋ってくれて分かりやすいなと。
さっきキーワードで言うと、
エージェントを使ってたぶん1年目初めて転職をされた。
18:00
聞いてる人の参考になればという質問ですけど、
とはいえ大企業からベンチャーに行ったわけじゃないですか。
そこの判断って当時はなかったんですか?
今の子たちとちょっとまた違うかもしれないけど、
もう10年ぐらい前の話し合いだけど。
そうですね。
比較的僕はなかったかもしれないなと思っていて、
これは僕の鈍感力をそこに発揮するっていうことなのかもしれないんですけど、
どうにかなるっしょっていう感覚が非常に強かったなと思っていて。
それはその後々大塚秀樹に言われたことがあって、
もう本当に素晴らしいな、秀樹さんに言われて素晴らしいなって思ったことがあって、
大塚さんに。
何かっていうと、
やっぱり進化の本質で変化だっていう話をするんですよ。
逆に進化をしないというか変化でどっちでもいいんですけど、
動かないことって逆に死んじゃうっていう話なので、
むしろそこに止まってる方がリスクっていう話なのかな、
シンプルにとは思いますけどね。
それを思ってやったかどうか分からないけど、
納得いかないでやり続けると壊れるんで。
後々僕の話いくつかあるんですけど、壊れそうな話とか。
だけどそういうことかなと思います。
ありがとうございます。
名前出る日も出たんで、後で記事にして包括しようかなと思うんで。
スピー時代の話も、
僕がスピーの時、大塚さんとは同僚という関係だったんで。
聞いちゃいけない情報聞きそうなので、探してみてください。
はい。
スピーに転職をされて、そこではどういった業務を担当されたんですか?
スピーに転職をされて、そこではどういった業務を担当されたんですか?
スピーに転職をされて、そこではどういった業務を担当されたんですか?
スピーに転職をされて、そこではどういった業務を担当されたんですか?
スピーに入った時は最初70人ぐらいで、当時、
ヤビの事件なんですけど、アプリ出してたんですよ。
ゲーム会社になるのかわからない。
そんなことゲーム会社になるなんて一言言ってないな。
ゲームのアプリ作ってて。
まあいいや、それも面白い話でいいや。
そのアプリとSEOだったんですよね。SEOコンサルがメインの会社で。
新規の営業とアカウントと言われる、受注してから顧客をコントロールしていくのと、
それから分析みたいなのが分かれていて、僕は真ん中のアカウントと言われる、
いわゆる受注した後に営業をさせていただきつつ、期待調整しつつ、
顧客に報告しつつみたいなことを3年間ですかね、最初やりました。
なるほど。
その時ですか、先ほどチラッとおっしゃってた、入ってみたら結構きつくて。
その時ですよ。その時です。その時です。
どんなことがあったんですか。
まず、用語がわからない。SEOもわからないのに入るって話なんですけど、なんだみたいな話とか。
なんかいっぱいあるんですよ。例えば、用語辞書みたいなやつを作ったんですね、営業マンに向けて。
21:02
住所って書いてあって、ドメインって書いてあったんですよ。なるほどな、みたいな。
IPアドレスって書いてあって、住所って書いてあったんですよ。は?って思って。
IPアドレスとドメインイコールなの?みたいになって。
でも、なんか話聞いてるとちげえな、みたいな。
作ったやつが雑っていう話あるんですけど。
でも、あるじゃないですか、そういうの。
分かります。分かります。確かに。
分かりますよね。やべえなと思って。
で、俺その日に本買いに行って、インターネットの世界とか、最初から読んでた話なんですけど、
どうやらインターネットプロトコル君ってやつがいると。なるほどと。DNSサーバー、なるほどと。
で、ドメイン、そうか、そういうことかと。そういう構造に世の中ってなってんだっていうの初めて知るわけですよ。
こっちはコンサルしなきゃいけないのに。相手のほうが詳しいですよ。やばいなみたいな。
そういうこととか、あとは無形詳細言ったことなかったんですよ。有形詳細、無形詳細の中で。
なので、坂井さんは、ある意味、無形を売ってきたから、いわゆる期待値の話だとか、現状になったとか、KPIとか、いわゆる募集団形成とかあるじゃないですか。
ねえですよ。作態文化なんですよ。さっきの話の通り。
作態10個買ってくれたから、作態カートンで12個買ったから、今年は24個買ってねみたいな。
え、なんで買わない、買う、買わないみたいな。プロモーションやるよ、やらない、やる、やる、やらないみたいな話を、おじさんたちとするんですよ。
いや、じゃあ18個とか、バルクでちょうだいとか。え?とか言って、それをずっとやるんですよ。
わかります?この話。この話が買う前提なんですよ。買う前提の話と、買わない人に対しての話は全然違うんですよ。営業ってこんな違うんだって思いました。
なので、そこ僕も苦労しました。商材を苦労した。営業も苦労した。
あと、文化。スピーっていう文化。あれはやばいんですよ。もうね、今でも忘れない。大内っていうやつがいるんですよ。
大内君めっちゃ仲いいんですけど、今では。仲良くしてるんだけど、大内君に話しかけるわけですよ。ちょっとだけ彼のことをお知らせしたんですけど。
ちょっと大内君、これわかんないからって、アナリスト分析の子なんですけど。ちょっとあっち行こうよ、ちょっとお知らせ。え、移動する意味あります?とか言われて。
え、移動する意味って考えたことないの?みたいな。ちょっと離れてたとこでちゃんとミーティングしようよってあるじゃないですか。
なんでなーって思って。なんだこいつって思って。でもそんなんばっかりね。
当たり前のように、19時半とか20時くらいからミーティングやります。ガラガラガラーみたいな感じで。
あれ?この人いつ帰るんだろう?とかいっぱい思ったし。やっぱり超ホワイト企業で働いてたんで。最初やっぱ死ぬかと思いましたね。そういうのを見て。
聞いてる人関係者爆笑の嵐だと思うんですけど。ドメインの下り方大好きなんですよ。
掃除で言うとカルチャーが違うとこに入ってて。
そうそう。掃除で言うのね。
聞いてますよ。面白すぎてお腹痛いなと思って聞いてる。
でも参考になると思います。全然違うとこに行って。実際その違う業界に行って用語分からないとかって。僕も人材からITで同じことやったなっていうふうにすげえ思いますし。
24:08
なんか、むずいよね。俺でも最初本当活躍できなかったんですよ。1年目。
ユタさんとかその後知ってるからあれだけど。本当ダメだった。大事な案件落としたし何回も。信用しちゃってたし相手を。周りも。いい意味で信用したらいいんですけど。悪い意味で信用してるんですよ。
本当に期待値自分がやってるサービスに満足いただけてるっていうことに対して本当はいただいてないんじゃないかって思わなきゃいけないじゃないですか。こういうのって。
だけどそういうこともしないで満足してもらえるだろうとか。矢印が向いてないんですよ。自分に含めてサービスにも。だから落ちるし。だから自分の回してるのがいっぱいいっぱいになっちゃってるし。
単純な実力不足でやっぱりダメだなって何回も思ったらもう無理だやめようかなってすごい思ったし。戻りたいって何回も思ったし。でもやっぱり自分のそのやり方もそうだし、自分が誰かのやり方に合わせたんですよ。実はずっと。
自分らしさみたいなことを一切出さずに。僕はこの業界知らないからって完全に傾向したんですよ。自分なんかも捨てて。否定しちゃったんですよ。僕の6年間おもちゃ会社にいたときの。ダメじゃないですか。それっていいものはいいじゃないですか。
だけどそれを見極められるほどの能力もなかったから、あれを全面否定して。で、当時の僕はそっちのスピーっぽいとかベンチャーっぽいものばっかりを見て真似をすると。うまくいかないんですよね。そもそも器とか血筋が違うから。
で、うまくなっていかないからそういうスパイラルにハマっていくと。あるとき言われたんですよやっぱり。僕の宇蔵でも一番営業なかかった増田君っていう人がいるんですよ。今宇蔵の営業のトップやってる。あの営業じゃねーや。責任者、完全に責任者やってるんですけど。彼と当時ブーカーで全然うまく、彼と折り合いうまくなかなかいかなかったんですけど。
あの藤田さん飲んでるときに、おもちゃ会社の話とかめちゃくちゃうまく言うし面白いんですよねって言って。それを営業でもやればいいと思うんですよって言われたりとか。あ、そうだなとか。で、あとは真田さんっていうすごい尊敬する先輩に、あの藤田さんらしくやってついてこないクライアントはもういいじゃないですかって。逆についてくるクライアントからよく紹介もらいましょうよって言って。
なんかあ、そうかそういう考え方もあるのか。自信なくしちゃってたんですよね単純に。で、そこをうまくもういいやって思い始めて。で、もういいやのタイミングが1年ちょっとぐらいになって。あ、よかったと思って。だんだんだんだん成果がついてきて。ようやくスピーディー人生が始まったっていうのが本当につらかったなーって今でも思います。30ちょっとぐらいのときですかね。はい。
ありがとうございます。めっちゃいい話。どこで変わったかっていうのをきっかけを伺えればと思ったんですけど、一つ目のきっかけは多分今そこですよね。自分に出せるようなスピーディーの人のアドバイスもあってっていうのがめっちゃいいなと思ってて。あとスピーディーにおいてはでも多分僕が知っている中で言うと、もともとSEOのところをやっていて、途中で新規事業の立ち上げのさっきのうぞうに。
27:05
そうそうそうそう。
前編がそのうぞうの話ぐらいまで聞いて、次に移る。
そうでしょうか。
うぞうではどんな役割でどうだったかっていうのを聞いておくんですか。
うぞうでは、あ、そもそもうぞうに何で行ったかも話した方がいいかなこれ。
あ、オッケーですオッケーです。
当時SEOと広告運用のDSPの事業が立ち上がってて、もう第三の柱を作ろうっていう企画が走ったんですよ。
で、それにASQの人たちがみんなアサインされていくんですね。企画とか含めて。
あ、これ言っておきますけど、僕アサインされてないですかね。
これちょっといまだに揺らんでますけど。
で、それが立ち上がることはうぞうが決まったんですよ。
で、その後に色々このビジネスモデル聞いたんだけど、こいつらじゃ無理だって僕本気で思ったんですよ。
で、これは当時の佐藤君っていう事業責任者、まだ25歳ぐらいなんですけど、できるわけねえと思ったんですよ。
で、これは彼が優秀じゃないんじゃなくて、むちゃくちゃ優秀なんですよ。
なんですけど、アドレットワーク大人のビジネスなんですよ。やっぱ後入って分かったんですけど。
交渉するのをメディアをどう抑えるかなんですよ。絶対に。
で、その後メディアをどう抑えるかの時のメディアの方々と、ちゃんとビジネスの話とか文化の話を含めてできないと絶対にスケールなんかしないっていう。
で、彼が営業やるって言ったんだよ。いや無理無理と。
彼は別のことやったほうが絶対いいんで。だから僕手を挙げるって言って。
で、その手を挙げることを絵を描いて、で僕はそこに入って、
兼任で入っていったっていうのが、私のジョインしたきっかけの一つですね。
内間さん何でしたっけ?もう一個。
そうです。UZOに入ったきっかけと、UZOでは僕も一緒に働いてたんで、新規事業で大変なことがあったと思うので。
聞いてる人にとって、会社の中でキャリアを1個変えたっていうところで、一番大変だった時と、そこで逆に得られたことみたいなことを教えていただいたかなと思います。
そうですね。
えっと、ごめんなさい。得られたきっかけですよね。
そうですね。何をやっぱり最初に。
なんかそうですね。なんかすごいこう、どうなんだろう。やっぱり違う文化にチャレンジをできるっていうことがすごい得られたんだけど。
なんだろうな。なんか、一から事業を作るってすごいいろいろよく言うと思うんですよ。スタートアップとか立ち上げるって一から事業だと思うんですよ。
でも実際僕3年目、3社目のキャリアってすごいその仲間に声かけてもらってやったんですけど。
文化作るとか、お金集めるとか、売上お資金を作っていくとか、なんかこうそういうものに実は結構リソースを問われてて。
事業に向き合う時間って結構少ないことって多いんですよ。多分。
僕、あの時今だから言えるけど、成功ある程度したとは自分でも思ってるんです。
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で、その時に自分たちが成功したって思ってたんですよ。
だけど、あれある意味やっぱ大塚さんとか本当に役員の皆さんとか過去の先人たちが作ってきた文化とか、そういうものがあって作ったうぞうなんですよ。
ここの部分に後々気づいたっていうのもあるし、言わされたんですけど。
なんかそこの事業に集中できたっていうことの経験ができたことは、ちょっと質問とずれちゃうかもしれないんですけど、すごくいい経験だったなって今でも思ってますね。
ありがとうございます。
いやそれでもなんかあれですね、ちょっと後半でその後、一回ベンチャーを挟んで今やってること聞けると思うんですけど、多分それを減ったからこそ今やられた気づきみたいなのってめちゃめちゃある。
あと聞いてる人でもちょっと補足をしておくと、うぞうっていう事業はアドネットワーク事業で、
今回では最高発に近い形で入ったけど、本当ファクトとして今でもうぞうっていう事業は残って、しかも売上もかなり上がっているので、
本当に藤田さんが立ち上げからスタートした事業が結果的には残っているというのは素晴らしい実績だなと思っていて、
その話はすごい、そこにいった話は良かったんじゃないかなと思ったりはします。
ちょっとマジで5時間番組になりそうなので、
前半聞いてみてください。
聞いていただいてる方はそうですよ、藤田さんの転職ストーリーのまだ2社目半分ぐらいのところなんですけど、
田柄棟に行ってからのドベンチャースピーに行って、後半ではちょっとそこからなぜ移ったかみたいな話を聞いていければと思って、
ちょっとじゃあ一旦ここで前半切りたいと思いますので、藤田さんありがとうございました。
ありがとうございました。
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