番組の始まりとゲスト紹介
こんにちは、マーチンです。
ナッティです。
ホンヤスキーラジオ始まりました。
この配信は、東京公園地にある瀬戸、小杉湯を拠点に、本と本屋の魅力をゆるいと話していくトーク番組です。
本棚を眺めながら、一緒に話しているような、そんな雰囲気でお送りしていきます。
というわけで、お気づきの方もいるかと思いますが、今回キッシーさんがお休みということで、スケットMCとしてナッティに来てもらっています。
よろしくお願いします。
お願いします。
ナッティは、シーズン1の時にゲストで来ていただいてて、地元の歩き方とか、想定の回で登場していただいた形になります。
久々で緊張しております。
最近はどうですか?
はい。
本活は進んでますか?
のけぞったけど。
本活ですね。
本活どうですか?
最近は、ストア哲学にハマっており。
ストア哲学?
そういうジャンルがあるんですね。
ぜひまた読んでください。
ちょっと深掘りしたいけど、ゲストが来ていただいているので、この辺にしておこうかなと思いますが、今回お送りしていくのはこの企画。
物語について話したい。
物語を書く動機
というわけで、今回この企画のために素敵なゲストにお越しいただいております。
インターネットで書いている人、のやぎさんです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
のやぎさん、よろしければ自己紹介をお願いしてもいいでしょうか。
インターネットで書いている人、のやぎです。
肩書きがちょっと何かっていうのが決められないんですけれども、ノードというプラットフォームで物語を書いたりエッセイを書いたりしている普通の人です。
普通の人です。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
実はこの本屋スキーラジオの企画編集をしているゆうすけさんとお知り合いということで、今回ゆうすけさんに進行していただこうと思いますのでお願いします。
はい、どうもこんにちは。本屋スキーラジオ企画編集しているゆうすけです。
二度目ましてですね、皆さん。どうもよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
実はのやぎさんと僕が結構古くからの友人で、結構20代の大切な時代をですね、共に切磋琢磨した。
名優と言いますか、同志と言いますか、戦友と言いますか、そういうような感じでですね。
僕の個人的にやっていた物体の演出とか、お手伝いをしてもらったりとかですね、いろいろ本当に関わってもらった大切な人に今日ちょっと来てもらったという形になります。
嬉しい。ありがとうございます。
でですね、本屋スキーの皆様はですね、たくさん小説や漫画を読んでいると思っているんですけれども、今回はですね、のやぎさんが物語を書いているということもありまして、
物語を書くことや、その読むことについてちょっと緩くお話しできたらなと思っています。
お願いします。
お願いします。
そもそも、なってぃんもまーちんさんも小説とかショートショートとかって読んだりします?
私は最近ショートショート系のドラマにハマってまして、NHKさんの星真一さんの不思議な不思議な短編ドラマですとか、バカリズムさんのノンレムの窓とか。
ありますね。
最近そのショートショートのドラマ化っていうのは結構ね、この秋もまたあるので、その辺来てるんじゃないかなって個人的には思っていて。
小説だけじゃなく、映像でもこの辺りの旋風が来てるんじゃないかなと思ってます。
私はあんまり、あんまり小説とかショートショートを読んでなくて。
あ、そうなんだね。
そうなんですよ。でも大学生ぐらいの時期はめっちゃ読んでました。
あーそうなんだ。
はい。
それは何か理由があるんですか?
なんか社会人になってから、すごい近くにある人の話を読みたくなってるんですよね。エッセイとか。
リアルにその実社会を生きてる人たちの話が結構多く読む感じですね。
なるほどね。そっかそっか。野柳さんはノートとかインターネットで書いているってこともあるんですけど、そもそも書こうと思った理由というかなんかあるんですか?
もともとは物語とかは全然書く人ではなくて、子供が生まれて夜寝かしつけとかをするんですけど、深夜マジで起きないんですよ。
子供をベッドに置くができなくて、寝ない子だったので、ずっとこう抱っこしながらソファーとかにもたれかかるんですよ。
やることがなくて。
なるほど。
聞いてとかは空いてて、スマホがあるので、そこで読むときにノートっていうサービスがあったので、よく読んでいて、なんとなく自分でも書こうかなって思ったのが最初です。
最初はエッセイとか、エッセイにならないけどちょっと気持ちを書いたりとかをしていて、途中からちょっといろいろ書き始めた。
創作の過程と視点
そうなんですね。
いわゆるブログとかじゃないんですね。
使い方はそんな感じだとは思ってます。ブログというか、そうですね、日記に近いものとかを書いていて。
今はちょっと違うけど、その頃はそういう文章がいっぱいノートにあったので、いろんな体験談、近しい人のやつを読んだり、身近な人っていうよりはインターネット先の似たような境遇の人の話とかを読むのがすごく楽しかったので、そこからちょっと書き始めてるところです。
そんな感じだとマーチンさんのさっき言ってたこととちょっと似てる感じはありますよね。
そうですね。
はたのひろしさんっていう写真家の方のエッセイとか大好きでよく見てて、ラブレターっていう本に最近もあったんですけど、
そういう実体験というか子育てしながら感じていることとか、普段生活している中で気づいたこととか、そういったのを見たりするの大好きですね。
なんか書き留めておくことって結構重要だなって最近ちょっと思ってて。
というのも、俺たぶん苗木さんのノート見返すと、子供がこんなに大きくなってっていう感じがするんですよ。
自分でも思えば。
そうそう。なんか、てか本当に僕そのお子さんにお会いしたことはないけれど、なんかちょっとした親戚のオディ感というか、なんかそういうのがあるっていうので、
何かこう残しておくことって結構重要だなっていうふうには思っている中で、その中でも苗木さんがさっき言ったブログっていう使い方もしてると思うんですけど、
今そのショートショートを書いていたりとか、いわゆるフィクションって呼ばれるものを書いているんですけど、どういったヒントを得ながら書いているところってあるんですか?
えっとですね、なんかすごい小説とかショートショートとかっていうと、なんかしっかりしてるというか、書くハードルがちょっと高いと思うんですけど、
どっちかというと、日常でもしこうだったらいいなみたいなことってあるじゃないですか。
うまくいかなかったりとか、確かにこの時こういう人が来てくれたらよかったのにとか、あの辺が結構ヒントというか、あの辺をこう願いというか、こうしたいなみたいなところを膨らませていって、
膨らませていって書くことが多いです。
なるほど。
いわゆるこう、この自分が歩まなかった道の方を想像してみるみたいな、そんな感じですかね。
深いですね。
深いか。
なんか想像力ですよね。自分がこう歩まなかった道って絶対経験はできないですけど、
その時にどうだったんだろうなっていうところを思い進めていくって、なんかすごく、なんかエモくないですか。本来は言えなかったところをちゃんと想像するっていうところが。
たぶん誰しも転機があるじゃないですか。
そう。
その時にちょっと片方の道に思いを馳せるみたいなやつですよね。
なんか、滝口雄章さんの長い一日っていう本があるんですけど、それが最初エッセイで始まってるんですよ。
本人の名前が出てて、滝口っていう主人公がいて、物語始まって、物語じゃないんです、最初エッセイなんで。
実体験が始まってるんですけど、どっからか物語に移行していくんですよ。
書きながら変わってったらしくて、で、それが結構面白くて。
なので、それ物語って呼んでいいと思うんですけど、そういう書き方されてるものもあったりしてて、パッキリ別れて今書いてらっしゃる。
もしかしたらそれで言うと、たぶんちゃんとやらないと怒られるというか炎上しちゃうかもしれないんですけど、エッセイを創作するような作り方なのかもしれない。
自分は体験してないんだけど、体験したとしたらこうだったろうみたいな、使われなかった分の選択肢をやっていくみたいな感じをして、
そうすると願いとか自分の希望とかに寄るじゃないですか、そこがたぶん自分の創作の幅になると思うので、
そういうところを楽しむみたいな書き方が多い気がします。さっきのやつちょっと読んでみたい。
結構長いんですよ。
長い1日だね。
長いんですかね。
なんかそういうのでね、エッセイベースでフィクションを作っていくことの名前がついたらいいですよね。ジャンルというかね。
そうです。
なんかドキュメンタリーとモキュメンタリーみたいなのあるじゃないですか。
ロバートのアキエマさんがやってるフレーザーザイル。
フレーザーザイル。
ドキュメントに見せながら、でもあれは完全なるフィクションじゃないですか。
でもあれはロバートのアキエマさんがやってるから、完全なコントだなってのはわかるんですけど。
あれも一つ真実というか、そうだよねみたいなのがあるから、ちょっとそのブレ幅が面白くて、だと思うので。
そういうの確かにあるといいと思います。
物語を書くことの難しさ
あるとね、面白そうな感じがするよね。
本屋好きラジオ
でもその元々、やっぱりなんかすげえ書くなんてやっぱり難しいなと思ってて。
僕も結構のやぎさんがノート2015年くらいからやられてて、多分それ僕見て、こういうサービスあるんだと思って、僕もちょっと一時期毎日書いてた時期はあったんですけど。
やっぱりね、続かないし。
なんかやっぱりネタも切れるし、難しいなってのがあっていて。
でもすっごいなやぎさん、すごい頻度で上げられてるじゃないですか。
なんか、なんていうんすか、なんかやってるでしょ。
書き続けるコツみたいのは教えたいですね。
あるんですか。
そうですね。
エッセイとかだと、でも本当になんだろう、今のSNSとかそういうサービスとかって正直でいる方がいいと思うので。
さっきの書けないだったら書けないことを書くっていう。
なるほどね。
全然書けませんで、下を書いていって習慣化していくっていうのが良いなって気がします。
書けない人っていっぱいいるわけじゃなくて、書ける人よりも書けない人が多いはずなので、書けないことの方が届きやすいんですよ。
だから、書けないよねって集まる。
なるほどね。
そして、書けない中でもどう書けないかっていうところってそれぞれだと思うし、そこをしっかりするのは難しいんですけど、
やっていくうちになんとなく自分でこういうのはやりやすいなとか、こういう時に生まれやすいなみたいなのを見つけていくのはすごくいいと思います。
なるほど、なるほど。
書いてる中で、読者の方の反応みたいなのって見てたりするんですか?
めちゃくちゃ見てますね。
作品に向いてるものなので、なんか楽しかったよとかいろいろ言ってくれるのももちろん嬉しいですし、
それを使って書くっていうよりは、そこがあるからやっぱり書ける人って多いと思うし、私も多分そうだと思います。
読んでもらえることが一つガソリンになっていて、じゃあ次また書こうみたいなことが循環していくといいと思うので、
だから私もちょっと読むし、読んだら面白かったよとかだけでもちょっと言ってもらえると、
次この人また書いてくれるかもしれないなっていう、そういうのが嬉しいと思うので。
単歌と物語の共通点
なるほどね、確かに確かに。
いい読者でいるってことも結構重要なことではあるってことですよね。
そうですね。
なんかプロじゃないというか、考察ではないので、本当に楽しかったよとか、読んだよでも全然いいと思います。
嬉しいですね、確かに。
読んだよって多分すごく嬉しい。
確かに嬉しいですね。
読んでほしくて書いてると思うので。
確かに。
こんやすきラジオもね。
聞いたよって言われると嬉しいですよね。
嬉しいよね。
ヘビーリスナーが友人にいてですね、「今回の回良かった!」と個別にフィードバックをくれたりするんですけど、やっぱそういうのがあるとめっちゃ嬉しいですね。
嬉しいですよね。
はい。
なってぃも単歌とか書いてたりすると思うんですけど、どういう風に書いてたりするんですか?
そうですね、本当に日常のシーンの中から気持ちが動くことを見つけるっていうところなのかなと思っていて、
単歌のですね、「飛び散る水たち」って私の好きな歌手があるんですけど、
単歌とは無意味な世界を意味のある世界に変えてくれるっていう言葉があって、
例えば本当に何気ない通勤通学の道のりだったりとか、そこで例えば季節が変わった瞬間が見えるとか、
そういった本当に日常の1シーンの中でも感情が動いた瞬間を言葉とか受けに切り取っていくっていうところが、
単歌の素敵なところだと私は思っていて、それをミソ一文字に綺麗にまとめるっていうところかなと思っていて、
なんかそのショートショートの1つの物語の中にすごく感情が動くシーンがあったり、
最後思っても見なかったような展開で最後終わったりとか、
そういう感情の振り幅みたいなところがキュッて詰まってるっていうところがすごく共通点を感じるなと思って、
のやぎさんの作品を見ながら感じていました。
なるほど、でも俺ちょっと思うんですけど、
これのやぎさんとか書く人全てに聞きたいのが、なんかちょっと自分を切り売りしてる感ってありません?
わっかる。
なんかその辺ってどういう風に考えてるというか、自分の一部分を切り出して書いてるってことは、
多分僕が特にそういう書き方をしちゃってるから、書けなくなっちゃうっていうのは、
なんか自分の出せる余分な部分がちょっとなくなってきてるみたいな感覚がちょっとあるんですけど、
のやぎさんはそういうのではないタイプなんですかね?
いやでもすごいわかります。
エッセイストさんとか、エッセイを書く方とかでやると、
自分の体験談ってその感情を覚えてそれを出していくから、体験が枯渇すると難しいので、やっぱりいろんなことやってらっしゃる方多くて、
それで切り売りしてるような感じになっちゃうのはあるかなと思います。
だから多分ショートショートとか小説とかを、もっともっとハードル下げてやりやすくした方がいいなと思っていて、
体験と感情と外見というか事実とか、いろいろ分けた時に組み合わせたりとかするんですよ。
自分こんな時こんなこと思った、じゃあこうだったらこうだろうみたいな。
そうすると自分ではないもので物語を作れるし、
そういう掛け算をしていくと、エッセイじゃないけどエッセイの要素から生まれた物語っていう書き方をしていくと良くて、
時々そういうことで救われる方も多分いらっしゃる。過去自分ができなかったことを代わりにやってもらうみたいな。
そうしていくと切り売りというよりも自分の体験の延長でどんどん創作をしていけるのではないかなとちょっと思ってます。
なるほどね。
今の話聞いてより思ったのは、ある意味人に世間話で言えないことをとんと自分の差し出せない大切なものと乗っけたりした時に、
なんかそれこそ、いやちょっとこの話はイマイチだったねって言われたら立ち止まれないじゃないですか。
だけどそれをフィクション、さっき言ったショートショートとかちょっとフィクションを纏うことによって、
いやそれは俺の話じゃないしって言えることもあるから、いわゆるその書きやすさっていうのは出てくるのかなって今聞いてて。
そうですよね。日記とかエッセイとかよりも多分出しやすいという。
出しやすいな。
今って会社員でSNSとかやるのって言って難しかったりとか言えないことが多かったりとかすると思うんですけど、そこの要素を抜いて、
いやフィクションなんで、これは本当じゃないんでっていう前提で、ただ書くとなるとこだけは分かってくれる人がいるかもなみたいな。
そういうのってすごくいいと思いますし、そういう繋がりがあるとやっぱ書くことが楽しくなると思うので、
そういう書き方みたいなところがあるといいなっていうのは自分でも思うけどね。
単価もね、文字数の制限があるからこそのちょっとね、真実とは遠いね。
そぎ落とすことによるトランスフォーメーションみたいなところがありますよね。
フィクションとノンフィクションの掛け合わせによって膨らませていくっていう考え方がすごく面白いなと思って聞いていました。
物語への魅力
いや、切り売りありますよね。
切り売りはある。
切り売りありますよね。
切り売りはあるけども、でもなんかこの気持ち誰かにちょっと分かってほしいなっていうのもあるじゃないですか。
だからね、残しておきたい。なんかね、ちょっと書いておきたいっていう気持ちもね、ありながらね。
で、届いたら最高だよね。
そうですね。
最後に、なんで物語に惹かれるんだろうっていう話をちょっとしたいなと思ってるんですよ。
なんで?
だってまあ普通に多分、さっきマーチンさんが言ったみたいに、
多分学生時代は、多分僕もなんですけど小説結構読んでたなって思うんですけど、社会人になってからあんまり確かに読む量はすごい減ってて、
それこそビジネス書の方を多く読んでたりとか、なんか実業家の人たちの会話を聞いてたりすることの方が多いんですけど、
でもなんか自分たちの生活に物語ってやっぱり必要だなって思う瞬間はとっても多いんですけど、
これなんで、ね、多分、なんだろう、二足三門にもならないじゃないかっていう感じありません?
なんか、いやなんかこれは俺が多分変靴な人間だからだと思うんですけど。
多分投資新宅の本でも読んでろみたいな。
いやいやいや、実物。
感じだと思うんですけど。
でもそれでもやっぱり物語ってすごい良いものだなって思う。
で、なんでなんだろうっていうのは最近ちょっと思っていて、
のやぎさん的にそういう目線とかってなんか思ったりあります?
そうですね。社会人になってあんま小説読まなくなればすごい気持ちが分かって、
なんか人生の死後があんまり自分じゃなくなっていくというか、
なるほど。
会社で考えなきゃいけないとか、家族単位で考えなきゃいけないとか、
その父親である時の自分で考えなきゃいけないとかそういうことがあると、
物語との関係
たぶんエーステーだったり、体験談というか便利なものっていう言い方を読む方が実理的というか、
進みやすい道しるべって気がするんですけど、
もともと書くなとこだと結局は自分は自分だから、
そういうのに響く物語ってたぶん欲しいし、
学生じゃ読んだ本を読み返すとかそういう発想なのかなって思ってます。
なるほど。
だからこそパーソナルな物語とかもっともっと増えていって、
自分と近しい人生を歩んでるんだけど、こういう体験談がフィクションであってとかがあるといいなって思ってて、
インターネットってそういうことができると思うので、
本にするのってすごい大変なので、もともと短い物語があって、
あれ良かったなみたいなぐらいでいたらいいと思うんですよね。
そういうふうに物語が人生に寄り添ってくるようなことはきっとなくならないんじゃないかなって気がしてます。
なるほどね。
社会的な役割の視点で本を選んでたんですね。大人になった時の自分が。
私が学生の時に物語を読んでた理由をちょっと考えた時があって、それは現実逃避したい時にめっちゃ読んでたんですよ。
分かります。
大学生の時は私理系で実験をめっちゃしてたんですね。
測定し始めると3日間ぐらい缶詰みたいなとかやってて、
待ってる間によく小説を読んでたんで、
現実から物語になると視点が全然違う人になるので、
主人公が海外の人みたいなのとか、今私日本人みたいな感じで、
全然違う人になれるから、それがすごく救いだったところもあって、
両面というか、いる場所をいくつか持ってたいみたいなところで小説読んでたな、物語読んでたなっていうのはありましたね。
確かに確かに。今の話を聞いて、社会的な目線っていうのが、
裏木さんだったらお父さん、社会から見たらお父さんだと思うし、会社員だと思うしっていう、
そういう社会性のある自分と、多分それを排除したときのなる内面の自分の居所が物語にもあるんだなっていう感じがするんですよね。
すごい共感しますね。
だからそこの居場所として物語を書いてくれる人とかがいたときに、
あ、私の居場所ここ!ってなるっていう感じになるんだなっていうのは聞いて、
それこそ無くならないものだし、寄り添えるものだなっていう感じしますね。
創作の楽しみ
時間が経てば経っただけの魅力も出るじゃないですか。
当時のものっていうのを書けるし、さっきの数年前の子育ての文章なんて私もこんなこと思ってんだって自分でも思うけど、
物語だって時間を経てると変わっていくので、
でもその時に思ったとこに立ち返るみたいなすごく良いパーソナルな世界をキープできるみたいなことはいいのかなって思ってます。
そうだね。だからなんかやっぱりいつか書こうって思ってるよりも、
今すぐ書けよって感じなんだよね。
書いちゃえよ。
そうだね。書いちゃえよって感じやんな。
確かに。
というわけで、悩木さんとお話ししてきましたが、いかがでしたでしょうか。
以上、物語について話したいのコーナーでした。
ぽんやすきラジオ
はい、というわけでエンディングになりますが、悩木さんいかがでしたでしょうか。
ありがとうございます。なんか自分でも書いていることとか作っていることってなかなか言葉にする機会もなくて、
文章にすると一人なので、お話ししながら見つめ直すっていうのはすごく楽しかったですし、いろんな発見がありました。
みんな書こう。書こう書こう。
ぜひぜひ読みに行きます。ありがとうございます。
ありがとうございます。
なってぃ、どうでした。
悩木さんの物語が出てくる背景っていうところ、その仕組み、秘密を伺えてとても楽しかったです。ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
最後に悩木さんからお知らせがあればお願いいたします。
はい、お知らせがありません。
ノートでショートショートとかエッセイ、物語をまだまだ書いていきますので、お時間あるときにぜひ読みに来てください。よろしくお願いします。
はい、それでは本屋スキーラジオお相手はマーチンと、なってぃと、ゆうすけと、のやぎでした。
あー物語読みたい。