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2023-10-23 37:43

vol.033「私たちは何について話をしたのだろうか?そこゆずる?ゆずらない?」 康太郎雑技団チャンネル

今回はまっさんと、yuさんの「私たちは何について話をしたのだろうか?」シリーズ。ちょっと時間があいていたりする中で、今回は電車やバスにある「優先席」についてかたりあいました。

サマリー

今回のエピソードでは、電車の優先席についての譲り合いや優しさについて話されています。街の人々との関係や譲り合いの経験について話し合われ、与えることと愛について考えられました。優先席の話を通じて、お互いの助け合いや優しさの連鎖について話し合いました。 彼らのラジオ番組では、今回のエピソードでは、電車の優先席のことについて話しています。また、街の人々との関係や譲り合いの経験についても話し合われています。彼らは、互いに与えることや愛についても考えていたようです。優先席の話を通じて、助け合いや優しさの連鎖についても話し合っていました。

優先席の譲り合い
みなさん、こんにちは。こんばんは。康太郎雑技団チャンネル始まります。
始めます。このチャンネルは、つくるをテーマに空間と時間をともにした仲間がそれぞれが持つ発行させた技を対話を通して、さらに次のつくるを実現する番組です。
康太です。今日もよろしくお願いします。
今回はですね、久しぶり、久しぶりですね。
僕たちは何を話したのだろうかシリーズで、松さんとゆうさんに来てもらっております。
松さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ゆうさん、よろしくお願いします。
ゆうです。お願いします。
お願いします。なんでこんな期間が空いたって、ちょっと松さんから説明してもらった方がいいのかな。
はい。
懺悔のためにも僕からお話をさせていただきますが、前回の収録を僕がスッポ化しました。
朝8時からの収録だったですよね。ということで、多分その収録がある前に小田さんからモーニングコールするねって言ってもらってて、
大丈夫ですよなんて言ったから一応お願いしますなんて言ってたら、見事に寝坊しました。
本当にモーニングコールをさせてもらいました。
それでも起きれず、その説は大変申し訳ございませんでした。
松さんも普通の人間だったっていうところで、僕とゆうさんでちょっとお待ち申し上げましたけど、3回ぐらいモーニングコールをしたっていうのが面白かったなっていう。
大変申し訳ございません。
おかげで収録が空いた間にね、いろいろと話すこともちょっとたまにずっとという感じですね。
ネタがね、たまってた。
発行させておりましたね。
優しい。
ということで、今回発行のネタということで、どのテーマからいこうかみたいな話をさっき話したんですけど、
あれですよね、松さんから、電車の優先席の話でちょっと感じるところ、思うところがある。
これは僕もあるんですけど、思うところがあるって話があったんですけど、なんかちょっといいですか?
はい。
この小太郎雑議団のメンバーで飲み会をしたときに、優先席の話で少し盛り上がりまして。
妊娠している方がいらっしゃって、その電車で優先座席を譲ってもらえるかどうかっていうのを長は社会実験的に観察しているって話をお聞きして、めちゃくちゃ興味深いなと思って。
譲ってくれるシーン、譲っているシーンも見ることがあれば、僕も気づいたら譲るんですけど、結構人によって全く譲らない人もいるよなって思ってて。
まずその、妊娠している方に譲るっていうシーンは割り返しよく見るんですけど、僕が一番難しいなと思うのは、高齢者の方への席を譲る。
俺は結構なんか難しいなと思ってて、すごく低姿勢な方で、こちらがもう譲りたくなっちゃうようなシーンもあれば、「おいおい、譲れよ!」みたいな感じののもあって、それはなんかもうちょっとどうなんみたいな、正直になってしまうのもあるし。
でもなんかその、よく日本っておもてなしって言いますけど、相手に対してのホスピタリティというのか、そういった優しさを発揮して譲り合うっていうのが美徳として、外からは語られてる気がするんだけど、
実態として100%そうなってるかって言うと、正直全然そんなことないよなーって思ってみたり。で、僕ちょっと昔の記憶はないですけど、どうなんだろう、昔はもっと譲り合ってたんですかね。ここ最近の話なのかな、なんかあんまり譲れなくなったの?みたいなのも思ったり。
譲り合いの困難さ
あー。譲れなくなった。譲れなくなった。
ちょっと関連する話としては、友達とどんな話してんねんって話なんですけど、ちょっと前に友達と話をしたのは、最近その高齢者に対して尊重するっていう精神が薄れてきてるんじゃないかって話をしたんですよね。
やっぱ日本ってその儒教がやっぱり影響してるっていうのもあって、その年上というか、高齢者の方に対してその孝の精神というか、尊重するっていう精神はあったはずだけど、最近はそれがないんじゃないかみたいな話もあって、話をしたんですよ。確かにそれちょっと感じるなーっていう側面もあったりして。
なるほど。で、なんかその最初の電車で譲る譲らないの話でいくと、なんかいくつかパターンがあるような気がしていて、明らかに譲ろうとしていない人がいたりとかするのを見ると僕はちょっとイライラ。
で、なんかこう分かってんのに、携帯をこうガン見し始めるみたいな。
いやーっていうか、俺行くけどねみたいな、俺譲るよみたいな感じでガッて立つみたいなのはあって、なんか自分よりも若いメンバーっていうか座ってる人たちが、
そうなった瞬間にみんなこう携帯を見始めるのがすごいイライラして。
あれは何なんだろうかって。
で、一方で、さっきマスさんが言った、譲れようらを出してくる人に対する対応もちょっと困るし、
あとは譲ったのに断られた時の、なんかこう、いや僕はいいから譲らないでくれみたいな。
あーはいはい。
高齢者の対応も困るみたいな。
確かに。
でもその、その儒教的な下り文明部でいくと、やっぱりこう、なんていうのかなこう、
なんで譲ろうとしないのかなーみたいなのは、ちょっと不思議に思ったりしますよね。
なんかこう、困ってる人がいる、困ってない、まあ困って、難しくないですか、こう。
妊娠されている方であれば、マークの札を持ってたりとかするから、
それを見た瞬間に僕はどうぞって言うんだけど、
あ、大丈夫です、大丈夫です、とかっていう人もいるじゃないですか。
だからその本人の意思をこう考えると、
あ、ちょっと行き過ぎたことしちゃったのかなって若干反省をしながらも、
僕のポリシーとしては譲りますみたいな感じなんですよね。
そこのなんか、境界線をあえて引く必要ないのかもしれないですけど、
ゆえに難しいなと思ったりしますね。
僕この席譲るのは、実は現体験があって、
小学生だったか中学生の時に、地元の親友が結構、何だろうな、
そうやって電車に乗った時にすぐに席を譲るイケメンだったんですよね。
しかもね、気づくのが早いんですよ。全然僕気づかないです。
全然僕気づかないですけど、その友達は譲るべき対象の人を見つけるのが得意で、
すぐに譲っているのを見てたんですよね。
またその譲り方、声のかけ方も素敵なんですよ。
僕は当時は、そもそも見つけることすらできてなかったっていうのもあるんですけど、
さっきの甲太さんの携帯を見てしまうっていうのと一緒なのかもしれないんですけど、
声をかけるのが恥ずかしいっていうのがあったんですよね。
優しさの受け取り方
声かけするのが恥ずかしい。
なんで恥ずかしいのかちょっと僕も今わかんないですけど、
例えば、いいですって断られるのが怖かったのかなんなのか。
でもその友達が譲ってるのを見てめっちゃかっこいいなって思ってから、
僕も見習おうと思って、そこからね、180度変わって、
絶対見つけたら譲るんだっていうのを自分に課してきましたね。
ていうかそれ今もそう。
通常だとこの後は優さんに振るんですけど、
今、原体験の話されてすごく嫌な思い出があって、
バスに普通に座って乗ってた時があって、
小学校の頃です。小学校の頃に。
お年を召した方に席を譲らなかったら、
その隣にいたおばちゃんに、
お前なんで譲んねんだよって言って、
そのバスの中で20分ぐらい説教されてたっていうのがあって。
あ、はい、そう。
なんかね、しっぷ家に行くまでのバス、
ほんと20分ぐらいずーっと説教されてて、
嫌な思い出。
トラウマになってるかもって思い出しましたね。
嫌な思い出。
その記憶を今掘り起こしてしまった僕の。
そうそう、原体験って言われて、あったみたいな。
あったなみたいな。
それが怒られたのがトラウマで譲るようになったんですか?
それね、多分半分ぐらいありますよ。半分ぐらいある。
あの、なんだろう、パブロフの犬的にピッて立ち上がるっていうのは、
多分そういうのがどっかにあるんじゃないかなって、
今話聞きながら思いました。
あんまり考えてない感じ。
なんか譲る、もちろんそうやって、
より座るべき人に譲っていく方がいいと思うんですけど、
目に見えてないけど、実は座る理由がある人も中にはいるかもしれないし、
人に譲りなさいって強制するのも、自発的に譲るのは全く問題ないけど、
人に譲りなさいって強制するのは、なんかどうなんだろうとか、
思ったりしましたね、今聞いてて。
そうだよ。いや、ほんとそれそうだよ。
おばちゃん譲ってなかったしな。
いやいやいや、座りながら僕のことを説教してたから。
僕は立たされて。
そうだよ。
私がその優先座席で記憶にあるのは、
これも自分の中ではちょっと嫌な思い出ではありますけど、
仕事でヘトヘトになって、
優先座席に座ってたか普通の席に座ってたかはちょっと忘れたんですけど、
どうしてももう疲れて座りたくて、
座ってるときに、そのご高齢の方が入ってきて、
優先座席に座った方がいいかなって思ったけど、
ハイキング帰りで、
優先座席だってめっちゃ元気やんって思って。
それより今、私このヘロヘロの体だから、
座らせてほしいとかって思って、
譲れなかった記憶とかも、今思い出しました。
あと、もう一個最近の体験では、
バス乗ってて、
ベビーカーをしたお母さんが乗ってきて、
その瞬間に、
バスの前方の方の優先座席に座ってた、
ちょっとご高齢の方がパッと立ち上がって、
バスに乗ってきて、
バスに乗ってきて、
バスに乗ってきて、
バスに乗ってきて、
ちょっとご高齢の方がパッと立ち張って、
ここ座りって言って、
譲ってらっしゃったんですよ。
でもそのベビーカー乗ったお母さんは、
たぶんそんなに長く乗らないし、
降りるところの近くに、
ちょっとステップがあるところにスペースがあるので、
そこにベビーカーを置いて待ってる方がスムーズだから、
2回ぐらい断ってたんですよ。
ありがとうございます。
でももうすぐ降りるんで、
あっち置いておくんで大丈夫ですって言ってたけど、
譲った方が、
座ってご案内して、
結果的にその優しさを受け取って、
ちょっと通路が狭いところにベビーカーを寄せて、
ありがとうございますって言って座ってらっしゃって、
お互いの優しさがあふれてるなと思って、
でもそうやったらいいよっていう気持ちと、
それはすごいありがたいけど、
本当は立ってる方が今は楽なんだけれども、
最終的にちゃんとその優しさを受け取るっていう優しさと、
あるなと思ったんで、
自分はいらない、譲ってもらう立場じゃないんだとか、
まだそんなに歳とってないから譲らなくていいっていう風に、
拒否するケースもあるけど、
なんて言うんでしょう、
もう座る必要なくても譲ってもらった時に、
ちゃんと受け取るっていう優しさもあってもいいなっていうのを、
その姿見ながら、
ちょっとほっこりしたというか。
いやすごいですね、本当そうだな。
今ゆうさんの話聞いてて思いましたけど、
さっきゆうさん言ってましたけど、
義務感じゃないっていうところですよね。
それは多分、
今は優先座席の話なので、優先座席を譲られるの、
譲る譲られるを通しての優しさのジュジュの話からですけど、
義務的に譲る譲らないとかじゃなくて、
優しさを与える、受け取る。
しかもその優しさを受け取る優しさもあるっていう。
それは本当そうだなって思いましたね。
なんか今僕ゆうさんの話聞いてて思いましたもん、
昔って近所の人とぶつぶつ交換して、
街の人々との関係
生活を成り立たせてたって話を僕は今思い出してたんですけど、
やっぱその昔は東京であれどこであれ、
近所との関係の結びつきが強くって、
結構コミュニティで生活をするっていうのがあったんだと記憶してて、
で、ぶつぶつ交換だったりとか、
そうやってやっぱり優しさのジュジュをナチュラルに生活の中でやってたんだろうし、
それを親がやっていることを子供を向いてたんだろうし、
その延長線上で優先座席を譲る譲られるっていうのもナチュラルにやってたんだろうなって思ったりしたんですけど、
こと東京に限って言えば相当今関係が気迫化してて、
近所との人と関わること怖いとすら思うから、
だから優先座席の話もそうやってなかなか話しかけないで携帯見ちゃうみたいなのは、
ある種、怒るべくして怒ってるかもって思ったりしました今。
確かにね、そのなんか昔の話でいうとちょっとこう、
ちょっとしたおせっかいっていう言い方がいいのかどうかわかんないけど、
そういうのあったような気はするんですよね。
ちょっと、あのお隣さんのためにどうだろうかみたいな。
そういうのは今確かにないですもんね。
だから、そういう感度が鈍ってるというか、
お互いのために良かれと思ってやってることも、もうちょっと対話があったら、
つながるようなことってたくさんあるような気もするし、
それすら許されないことはないんだろうけど、
遠慮の塊みたいになっちゃうようなこともあったりするような気がするなと思って。
なんか受け取るっていう経験がなかったら、
なかなか人にまた差し上げるっていうこともできなかったり、
発想に思いつかなかったりするかもしれないので、
さっきの妊婦さんに席を譲る人が比較的女性が多かったり、
比較的年配の方が多いっていうところも、
きっと自分がそれを受け取ってきたから、
その時のありがたみとかがわかってるから、
それを後世にお返ししてあげようっていう気持ちとか、
もしかしたら自分がそれをやってもらえなくて、
辛い思いをしたからそういうふうに思わせないようにしようとか、
そういうふうに相手の立場になって考えられるからこそ、
近しい人に対してはまずお返しをしていこうみたいな、
そんなところに繋がってるのかもしれないので、
例えばその東京に住んでてとか、
気迫な環境に住んでるときに、
そういうものを受け取った経験がなかったら、
誰に何を差し上げていいかもわからない。
っていうのは麻生さんが言う通りに、
なるべくしてなってるのかなと思いました。
麻生さんは受け取った経験があるからこそ、
確かにそれはあるかもしれない。
そうだよね。
うちも娘いますけど、
譲ってもらった経験があるから、
そういうのをやってるっていうのはすごいあるし。
小さいとき、お子さんいらっしゃるときに。
やっぱりありがたかったって、
嬉しいというよりもありがたかったみたいなところがあるし、
こういうものなんだなっていう経験があるから、
今もどんどんどうぞどうぞっていうような感じにはなる。
一方で最初の話に戻すと、
携帯を元にするっていう人たちは、
そういう経験がないから、
どう振る舞っていいのかわからないみたいな。
そうですね。
どう振る舞っていいかわからないのかもしれないですね。
もちろん譲りたくなくて、
譲ってない人もいるんだろうけど、中には。
もしかしたら、どうしたらいいかわからないって人の方が多いのかもしれないですね。
そっちの方が多いのかもしれないね。
少なくとも僕はそうでした最初、子供のとき。
なるほど。
それどうやって普通に声をかけられるようになっていったんですか?
それは友達がかっこよかったからです。
譲ってる友達が。
で、ちょっとやってみて。
そうそう。てかね、やっぱかっこよかったから、
ああいう風になりたいって思ったんですよね。
やっぱりでもその、なんかスマートな人いますよね。
いるいる。
そうそう。
確かに憧れます。
いるんだよ、そういう人が。
なんか記憶がちょっと蘇ってきたんですけど、
そうやって譲りますよって言ったときに、
何らか事情があって、
大丈夫です、すぐ降りるんでっていう風に断って、
そのまま座っておいてくださいって言ってるシーンを見たんですけど、
その場でも、何て言うんでしょう、変な断り方では全然なかったので、
お声掛けした人も、なんか後悔するみたいな感じには全然なってなかったと思うんですけど、
その断られた方が、
断った人、譲ってもらったけど断って立ったままになった人が、
次の駅に降りるときに、譲ってくださった方に一言、
ありがとうございましたって言って降りていきはったんですよ。
それがすごく、なんかいい雰囲気をより柔らかくしてるなと思って、
断ったことで何も気にしてないような空気感にはなってないけれども、
それを最後に、お声掛けありがとうございましたって言って降りていくと、
また次同じような人がいたら、ちゃんとまた譲ろうって思えると思うんですよね。
その最後の後味の良さがあると。
そういうスマートな声掛けの仕方とか、
優しさの受け取り方とか、
そういうのを身につけたいなと思いました。
そういう風な空気感を出せるような人になりたいなって思って、
ちょっとメモみたいな、
こういう風に言ったら相手には、
声掛けてよかったなって思ってもらえるような、
残し方ができるんだなっていうのを学びました。
そういうのをちょっとやるのって恥ずかしいみたいなところもあるじゃないですか。
みんなに見られてるから。
でもそういうのが少しでもできると、
ちょっとずつちょっとずつできると、
大げさだけど世の中的には良くなっていくんだろうなみたいな、
そういう連鎖が生まれるのはいいんじゃないかなと思いましたね。
譲り合いの経験
本当に。
譲るの大切だよね。
それで終わりたくなくて、
多分席を譲るっていうところからターンを発したとき、
ターンを発して、
要はコミュニケーションっていうか、
人と人との関わり合いをもっと増やしていこうぜって話だと思うんですよね。
関わり合いが増えた結果、そういった優先座席を譲るべきシーンがあってたときに、
ナチュラルに譲れるっていうことになると思うんで。
どうしたらそうやってその関わり合いをもう一度増やすことができるのかなっていうのは今話で思いました。
なんかこう、
みんなにやってほしいけど、
それを強制する話でもないし、
それをこう、
やるのはやっぱり自分の小さい行動なのかなって思ったりとかして、
自分は率先してやっていけばいいみたいな。
で、
あとは、
これはもう僕の個人的なあれなんだけど、
そういうときに譲れなかったことがあったんですよ。
要は、自分が譲ろうと思ったら隣の人がもっと早く譲ったみたいな。
そのときの、
敗北感というか、
競争じゃないんだけど、
モヤモヤ感がすごいあって、
あ、俺譲ろうと思ったのに隣の人がもうすごいスピードで譲ったみたいな。
負けたっていう気持ちと、
あ、俺何してたんだろうみたいなところもあったりとかしたっていうのが、
時々ある。
いやー、それわかるなぁ。
なんか、譲れなかったというか、他の人にも譲れなかったというか、
なんか、譲れなかったというか、他の人が譲ったときに、
僕がこう座り続けてるわけじゃないですか。
そうしたときに、周りから、
この人、何も考えずに譲らんかったぞみたいな風に思われてんじゃないかなということに対して、
モヤモヤする。
そうそう、あるあるある。
そういう感じ、そういう感じ。
なんで俺は早く気づけなかったんだろうかみたいな。
ちょっと携帯に夢中になってたりとか読書に夢中になってたりとかして気づけなかったぞ、俺。
そうそうそうそうそうそう。
そういうのがあった。
あります。
でもなんか、そういう譲り合い、譲り合いはできるというか、
まあ違うか、さっきのなんか、そういう経験をどんどん次の人にバトンを渡すような感じのことができると、
なんかもっと良くなるんですかね。
でもそうですね、さっきユウさんに言ってたけど、確かに、
与えられるという経験をしたから与えるという動作になるっていうのは本当そうかも。
またその連鎖していくっていう話でいくと、
松山が友達がやっててかっこいいと思って真似していったのと同じように、
きっと松山がそうやって譲る姿を見て、かっこいいから真似しよって思ってる友達とか、
同じ電車に乗った人とかはいると思いますけどね。
なるほど。
僕は真似ますよ、僕は真似る。
コウさんさん譲ってたじゃないですか。
マスタンの真似したい。
真似したい。
寝坊は真似られたら困るんで。
それは真似しない。
今、愛するということっていう本読んでて、エリヒフロムの本読んでるんですけど、
ちょうど今愛とは何かみたいなの書いてあると読んでて、
その中にやっぱり与えることってあるんですよね。
そうですね。
配慮と責任と尊重と、あともう一つ忘れちゃったんですけど、
与えることって配慮と責任に通じてるものがあって、
両方ともそれを与えることであるって書いてあって、
そうかもなっていうのを今話し聞いてて思いましたね。
あれかも、与えられるっていう経験を通して自分を与えるなるっていうのは、
愛の話かもなって思ったりして。
わかりやすいのは親子の愛は最初発動するじゃないですか。
多くのパターンにおいて。
両親から愛を受けて育って、
その人が大人になってまた子供ができた時に愛するっていうの。
それはわかりやすい愛のバトンタッチだと思うんですけど、
それは他人に対してもそうかもなって思って。
他人っていうか血のつながってない人に対してもそうかもなって思って。
そういう意味だと僕は、
そういう経験を積ませてもらったというか、
いろんな人から与えてもらった、
いろんな機会を与えてもらったっていうのがあって、
なんかすごい不思議だなと思うのは、
それに対して与えてくれた人は別に見返りを求めてなかったっていう
感覚がすごいあって、
本当にありがたいなって。
だからこそ自分もその人を模範というか班として、
そういう風にしていかなきゃいけないのかなっていうのが
すごく最近感じているところはありますね。
何かを誰かにしてあげる時に見返りを求める求めないとか、
逆に何か得を積むじゃないけど、
この人から見返りがあるかどうかわからないけど、
そういうことを積み重ねていくことで、
いつか自分にも返ってくるかもしれないと思ってやるとか、
いろんな考え方あるじゃないですか。
どっちですか、お二人は。
いつか自分に返ってくるかもしれないと思って、
潜在的に思いながらやるかもしれないとか、
全くそれを期待せずにできているものなのか。
期待をしないというのは嘘になると思うので、
若干期待しても返ってくるとは思っていない。
与えることと愛
何かいろんな形で回り回り回って返ってくるかなーっていうので、
その返ってくるというか、
その返り回り回って返ってくるかなーっていうので、
その返ってくる打率もそんな高くは思っていないっていう感じですかね。
だから半分はちょっと自己満足みたいなのもあるのかな。
期待…いや、正直そういうのを期待して裏切られてきた経験もあるので、
結果として期待しないぐらいがちょうどいいかなっていうのが正直なところですかね。
松さんはどうですか。
相手によるかもしれないですね。
相手によっては本当に期待せずにやってるのもあると思いますね。
ちょっと血縁関係になっちゃいますけど、
弟とか妹に対しては僕も本当期待ゼロというか見返りゼロというか。
いくらでも時間費やしますって思ってるかもしれないですね。
関係が希薄になればなるほど見返り求めるっていう動作になるかもしれないです。
でも血縁関係なかったとしてもやっぱりこの人のためならって思う人もいるし、
血縁関係なくてかつ人間関係的にも希薄だとあまり腰に乗ってこないかもしれないですね。
これなんか仕事の側面でもそうで、
あまり関係構築をしないままに最初に仕事しようってなった時にうまくいかなかったのを何回も僕経験してるんですよね。
それやっぱりね自分は見返りを求めてるんですよその時。
で見返りをこっちは求める結果、やっぱりうまくいかなくなるっていうのはあって、
やっぱその金銭的に問題になったりとかするっていう反省を踏まえて、
ここのところはしっかり人間関係を構築して本当にこの人と一緒にやりたいと思ったらやるっていう風にし始めてるんですけど、
どうなると、その学びは割と最近の話したんで、その結果どうなるかはこれから次第とかあるんですけど、
少なくとも今の段階でもやっぱり自分にとっても気持ちがいいし、
フラストレーションたまらない状況になっている気はしてます。
いいですね。
私も今の話をちょっと振りながら仕事で考えることが多いなと思ったんですけど、
仕事で昔、女性社員がまだそんなに多くなかったり、
女性の管理職が全然ロールモデルがいなかったりするんで、若手の女性社員にメンターみたいなのがついて、
いろんなキャリアの相談に乗ってもらうみたいな、そういう制度が会社の中にあったときに、
女性の先輩から言われたのが今でも結構残っていて、それが今結構仕事のポリシーになっているなと思うのが、
仕事って役割分担ありますけど、明確に線引かれていないところがあったりとか、
お互い助け合いで拾いに行くみたいなところの仕事ってすごい多いと思うんですけど、
それスタンスとして拾わないって決めてる人もいると思うし、拾いに行く人もいると思うし、
時々だと思うんですけど、そういうことを拾っていったり、誰かにヘルプされたときに、
しっかり助けてあげたりしていくことで、女性の場合はキャリアの中で休んだりしないといけなかったりとか、
誰かの助けを借りながらパフォーマンスを出さないといけなくなるシーンが、男性と比較してくる可能性が高いし、
そういったシーンが多いから、そういったときに助けてもらえる人になるためには、
今の間から周りの人を助けておくのが一番できることだよって言われて、
そういった誰かに助けてもらわないといけないシーンが来たときに、
本当に助けてもらえるかどうか分からないし、今からそのために備えてできることなんてないので、
今、身の回りのいる人の助けをしてたら、周りもあって本当にその人、
分泌者で帰ってくるかどうかは分からないけど、きっとそんなに会社の中広くもないし、
そういったところとかで、自分がやってきたことにいつか助けられると思うよって言われて、
漠然とした不安を抱えているよりも、目の前でできることをやっておいたらいいのか、
安心材料になるというか、そういうのをすごい感じたので、
さっき最後のまさの話とかとちょっとつながりますけど、
そうやってやっているほうが気持ちいいし、
でも、身帰り全くゼロでやっているかというと正直そうではなくて、
いつか自分のためにもなるかと思っていないと、さすがに全力ではできないかなというところもあったりしますね。
なるほど。本当に身帰り期待ゼロだったら菩薩ですもんね。
でも最初の電車の優先席の話に戻ると、それに近いところがあるかもしれないですね。
いつかどこかで自分もお世話になるというか、どこかで戻ってくるみたいなのがよくあるかもしれないですね。
優先座席の話は僕、優さんの言葉が結構響いてて刺さってて、
そういった優しさを受け取ることによって、またその優しさをギブするような人になるっていう、
その優しさの連鎖ってマジでそうだなと思いました。
しかもそれがあれですよね、最後の話にも通じますよね。
やっぱりその優しさの連鎖っていうのは、
しかもそれがあれですよね、最後の話にも通じますよね。
やっぱりその見返り、まあまあ、求めずにやって、
でもそれがやっぱり自分に返ってくるってのはそういうことですもんね。
譲り合いと連鎖の始まり
すごい、まとめていただいてありがとうございます。
いやいや、すごいね、自分の中で刻に落ちました。
いやいや、すごいね、自分の中で極に落ちました。
うん。
着陸成功。
着陸成功。
という感じでちょうどお時間もいいということで、
はい。
今回はこれで一旦終了したいと思います。
どうもありがとうございました。
これ放送聞いたらちょっとね、
なんかそんなシーンがあったら譲ろうかなとか。
譲るよ、ほんと。
まさに連鎖が始まるかもしれない。
ね。
いや、いいですね。
いい。
連鎖が始まる。
うん。
はい。
じゃあ、皆さん譲り合いましょうということで、
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
37:43

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