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みなさん、こんにちは、こんばんは。康太郎雑技団チャンネルです。
このチャンネルは、作るをテーマに空間と時間をともに
やっぱり勘弾した仲間がそれぞれが持つ発行させた技を対応を通して
さらに次の作るを実現する番組です。
康太です。よろしくお願いします。
すいません。やっぱりちょっと始まる前に軽く打ち合わせしようと話をしてたら
やっぱり勘じゃないかって言ったら、やっぱり勘でしまったっていうよくある話なんですけど、
前回ですね、倉田さんとゆうさんとで、
人が介在する価値みたいなところの話をしてたかと思うんですけれども、
今回もそれに続くような形で話をしていければなというふうに思っております。
倉田さん、よろしくお願いします。
お願いします。
ゆうさん、よろしくお願いします。
お願いします。
はい、お願いします。
前回いい話でしたね、本当に。
面白かった。
言葉の大切さとか、倉田さんのサービスやってどうだったみたいな話で、
全然深いところまで話してないですけど、
受けた感覚だけでもなんか共有できて面白かったなと思うんですけれども、
前回の話をちょっと振り返って、倉田さんどうでしたか。
そうですね、なんかこういう形で実際受けて、
その後どうなったかみたいなことが聞けるのが僕はすごく嬉しくてですね。
なんか僕の伝えたかった思いもすごく良かったです。
ゆうさんどうですか。
そうですね、私も受けてみてやっぱりすごい衝撃が大きくて、
翌日とかすごい自分でぐるぐる昨日のことを振り返りながら考えてやってたんですけど、
やっぱり普段の日常に戻っていくと、
なんでしょう、やっぱりいつもの思考の癖にちょっと戻っていってしまったりとかしがちなので、
たまに作ってくださったビジョナリーキャンバスをパソコンで開いて、
キャンバスを眺めながら言葉をちょっと返したりするんですけど、
その時間すら結構楽しいというか楽しんでるところがあったりするんで、
なんかその後に自分を思い出すきっかけになったり、
立ち返れたりとかする形としてものが残ってるのはめっちゃいいなと思ってます。
確かに。
ビジョナリーキャンバスの体験
グラタさんこれなんでビジョナリーキャンバスだったんでしたっけ。
もともとGPTさんに作ってもらったところはあるものの、
でも実際作ってもらって、
いろいろ案とかもある中で選んでいったんですけど、
僕の中でこのセッションって何が特徴的かっていうと、
一緒に作ってる感じがすごいあって、
最初真っ白いじゃないですか、
Miroのコードで、Miroを使ってやってるんですけど、
Miroのコードって真っ白な状態からどんどん文字が広がっていくんですけど、
僕は文字とはいえ、それがまるで絵を描いてるような感覚がしたんですよね。
僕が淡々と描いてるというよりかは、
セッションをさせてもらう人と一緒に共同作業で絵を描いてるような感じがしていて、
そうですよね。
そこからその人が進むべき未来というか、
こういう風なところに行きたいっていう願いも見つかってくるから、
ビジョンとキャンバスに絵を描くような形で、
ビジョナリーキャンバスみたいな名前があって、
それを選んだという感じです。
確かに。
やってて僕も面白かったですもんね。
画面を見てるのがすごい面白かったです。
キャンバスって確かに絵を描くって言われて、
そうだなと思ったのが、
なんか倉田さんのライブパフォーマンスを見てるような気分だったんですよ。
わかるわかるわかる。
わかります?
わかる、すごいわかる。
目の前から、目の前でどんどん何かカラフルなものだったり、
言葉が出てきて、それぞれが繋がって、
っていうのが作り上げられている過程を見てるのがすごく面白くて、
それが全部自分のことなんですよ。
なんでこれとこれ繋げちゃうのって、
一瞬モヤッとするんだけど、
そうそうそう、繋がったみたいなのが結構あって。
えーみたいな。
初めて見るんで、もちろんそうやって自分の考えとか思いとかを、
言葉にしてくださったり、繋げていって、
こことここ、こう関係してるんだねとか、
原動力になってるんだねっていうのを繋げてくださる、
そんな画面を見るのは初めてなのに、
出来上がったものを見ると、初めて見たようには思えないんですよ。
それぐらいしっくりくるというか。
なんか全部納得感のある絵が出来上がっていて、
すごい不思議な感覚で、
こんな、今のライブパフォーマンスでこんな言葉にしてもらったのは、
倉田さんの言葉の力
初めてなのに、出来上がったものの腹落ち感がめっちゃあるっていう。
えーと、すごい僕ニヤニヤしてますけど。
そうなんだよね。
倉田さんの言葉にする力と、
抽象化する力と、
関係性を繋いでいく力と、
をすごく感じたのと、
それももちろん、こっちが話してるこちらの、
それこそこの言葉はちょっと違和感あるなとか、
なんかちょっとこれはあまりしっくりこないなみたいなのも、
対話しながらしっくりくる言葉とか、
しっくりくる形に修正してくださるっていうのもすごく感じてました。
どうでした?
倉田さん受けられてて、
その倉田さんの目の前で繰り広げられる。
えっと、そうそう。
なんか驚きしかなかったのと、
その思考の癖のところが僕はすごいインパクトがあったんですよ。
で、
その、
メンタルモデルをベースにやってるなっていう風に、
実際メンタルモデルの本を読んだりとか、
勉強も一瞬したりとか、
他の人で受けたりとかしたこともあったんですよね。
で、これは僕の悪い癖なんですけど、
それと近しいものなんじゃないかっていう風に思いながら、
言ってたら、いい意味で裏切られたみたいな感じの展開がすごいあって、
ベースにはなってるんだけど、
この、なんか、倉田さんのオリジナリティはすごい驚愕というか、
こういう風に繋がっていくんだなーっていう風に思ったのと、
最後、付箋でまとめてくれるじゃないですか。
はい。
付箋で。
あれがすごいなと思って。
あれだけの量を話をしていたのに、
それを、
よくこのサイズ感に言葉をこう、
凝縮してまとめて構造化してくれるってどういうこと?みたいなのは、
すごい感じたんですよ。
特に僕の場合だと、
父親の影響を相当受けていて、
で、居場所が、居場所がないって感じだったんですけど、
そんな風には思ってなくて、どちらかというと逆?
僕は常に居場所があると思っていたタイプなんだけど、
話をしていく間に、
あ、そうなんだよねって。
居場所ないかもって思い始め、
しっくりくるのは、
そう、自分はそうだったなみたいなところで、
丸裸にされた感じというか、
これ抵抗できませんみたいな感じに持っていかれた感じはあった。
あって、
もうだからもう、これはもう変に作らない方がいいなと思って、
自分も楽しもうみたいな感じで話をしてた記憶があって、
で、何より、
なんか、自分が最近ちょっきんモヤモヤしてたキーワードの、
敬意性って言葉を出してくれたりとかっていうのが、
本当に良かったですね。
その後の、
何でこれ俺イライラしてるんだろうとかって、
普段の生活に戻った時も、
あの付箋でまとめてくれた構造を、
でまとめてくれたところの、
ワードをポンポンポンとちょっと思い出していくと、
自分の思考の癖を理解する
そうそう、これこの怒りは多分敬意性だなみたいな。
っていう風にわかるので、
心が穏やかになるんですよ。
これ敬意性発動した。
あ、やっぱりダメだみたいな。
っていうのは、
ありましたね。
それだけでもすごくこう、
普段会社とか仕事してると、どうしてもなんかイライラすることがあって、
自分の価値観と合わない人って当然出てくる中で、
そのイライラの根本的なところって、
何なんだろうなっていう風に考えると、
その今回やってくれた、
その痛みの原因みたいなところを自分自身であえて辿っていくと、
安らかになれるという、
なんかこう不思議な現象はありましたね。
なんかやってる行為としては、
なんか僕がもうバーッと伝えるっていうよりかは、
一緒に歩いてる感じなんですよね。
画面見ながら。
それがなんかキャンバス描くっていうイメージにつながってるんですけど、
一緒に歩んでるって、
自然とここにたどり着いたっていう感覚だとか、
抵抗できないみたいな話がある、
おっしゃってくださったんですけど、
それでもなんか一緒に歩いてるから、
もうなんか、何だろう、二人三脚してる感じなんですよ。
それは、僕はやっててその感覚をすごく感じていて、
でもやっぱりこちらは、
導いてもらってる感じはすごくあるかもしれないですね。
でもなんか一緒に歩いてるなって感じですよ、僕からしたけど、
もう皆さんも歩み進められてる。
なるほど。だから気づかず勝手に、
なんか歩んでしまってるのかもしれないですね、会話する中で。
倉田さんが先に歩いてるわけじゃなくて、
並んで歩いてる感じなの?
並んで歩いてます。
目線がね、目がいいんですよ、みんな。
こっちに行きたいんだろうなってわかるから。
なるほど。面白い。
なんか思考の癖のところとか、
みんなそれぞれの癖があって、
多分、本当はこう考えられたら楽なんだろうなとか、
きっと対処方法もあるはずだと思うんですけど、
だからこう考えていきましょうね、じゃなくて、
自分の思考の癖をまず理解しましょうね、
って留まってるのもめっちゃいいなと思ってて。
本当はというか、
よくあるのはこうやって考えを切り替えたら楽になりますよとか、
そういういろんな対処方法が世の中あふれている中ではあるんですけど、
まず現在地知って、
自己理解の深まり
日常生活に戻って、
そうやってもやもや感じたり、違和感感じたり、
嬉しかったりって感じたときに、
それは自分の思考の癖のこことつながってるんだってわかるだけで、
コウタさんおっしゃる落ち着く感じ、
それだけで別にいいんですよね。
だからそのもやもやをどうにかしようとかじゃなくて、
私はこの思考の癖があるからここに対して違和感感じるんだ、
うんうん、だけでめっちゃ満足。
そうそうそうそう。
自分を受け入れてる感じが、
一旦受容してる感じがすごいいいというか楽というか、
ありますあります、
そんな感じ。
そういうふうに思えるようになりましたね。
どうしない、どうにかしないととか、
そういう焦る気持ちとかがあんまりなくなった。
それ多分自己理解が深まったから、
自信につながったりとか、
別にこれでいいんだって思えるようになったっていうのにもつながってるかもしれないです。
まあまあ自己理解の本読んだり、
自己理解のことやってきたけど、
やっぱりちょっと違う感じがするんですよ。
やってる内容が、
到達地点がやっぱ違う。
だからまあ、
それはうまく踊らされてたのかもしれないけれど、
なんかこういろいろなツールとかね、
それこそキャリアコンサルタントの勉強してたときにも、
キャリアアンカーだーみたいな感じとか、
○○テストだーみたいなところはまあまあ紹介もされたしやってきたんですけど、
なんかどっかでやっぱりもやってるというか、
ストンと落ちてない部分が、
雑念的に常にあったんですけど、
やっぱりこれを受けて、
やっぱり良かったのはそういうところなのかなーみたいな。
なんていうんだろう、ちょっとうまく言えないですけど。
そういう感覚はありましたね。
そういうツールって便利ですし、
幅広くたくさんの人が受けるにはすごく最適化されてると思いますし、
やったことなかったらそれで初めて気づく部分もあるんで、
いいと思うんですけど、
やっぱり4時間かけて第一で話すっていう、
それの時間のかけ方がすごい出てますよね。
うん、出てるね。
だからオーダーメイドというか、
唯一無二のサービスというか、
そんなところがすごくあって。
実際、優さんこれ受けて変化って何かあったりしましたか?
変化、そうですね。
さっきの思考の癖のところとかは、
普段の自分のもやもやポイントとかの解像度が上がったなってすごい思いますし、
最後の才能診断をしてもらった後に作ってもらったユニークネスモデルの特徴、
付箋で、こういうのが私の願いで、
これが原動力になってて、
でもそれにはこんな条件が必要で、
最後ここにたどり着くんですよ、
みたいなのをまとめてくださったんですけど、
やっぱりそれは、
なんていうんですかね、
今までの自分がやってきたことの肯定にもつながってるし、
これからもそれを信じてやっていったらいいんだっていう気持ちにもなるし、
ユニークネスモデルの活用
足りてない部分もたくさんあると思うんですけど、
それより自分の持ってるこの、
自分オリジナルのこのユニークネスモデルをもっとぐるぐる回していけるように
いったらいいな、
だからその弱みをどうカバーするかじゃなくて、
自分らしさをもっと突き抜けていったらいいんかなって思えるようになったので、
まだ何かその行動に起こしてどう何かが変わったとかではないですけど、
そういう心持ちに慣れてます、今。
うーん、僕の話していいですか?
どうぞ、してください。
僕も何か大きく変わったかっていうと、
まだまだこれからなんだろうなって思いながら、
このユニークネスモデルも思考の癖も利用してるんですけれど、
思考の癖の方はやっぱりその、
怒りに対するその需要みたいなところができたっていうのは、
普段の心穏やかに暮らしたいっていう願いに対しては、
すごく効果的というか良かったなっていうふうには思ってますと。
で、実際それがあって、
なんか今まではこう、
突発的発作的じゃないけどこう、
相手から受けたその何か嫌なことに対してすぐ反応してたんですけど、
一呼吸を置いて行動を取れるようになったのが大きいかなって思ってるのと、
ユニークネスモデルの方は僕は特にこう、
構造化とか仕組み化みたいなところをすぐ考えて、
思考として働いていたっていうのが、
すごい新たな気づきで、
なんか全くその構造化みたいなところは僕はできないと思ったんで、
フライヤーのブックキャンプの構造化の講座も受けてたりとかしたんですけど、
意外とそういうのって好きなんだなっていうのをこう、
今回の思考の癖の後のユニークネスモデルをやったことによって分かって、
それを普段の生活の中で照らし合わせたら、
あ、確かに構造的に人に質問してるわ俺みたいなところがあって、
あ、これやっぱ特徴なんだねみたいなところとか、
僕はその人と人との関係性に興味があるというか、
ところもあるので、
その人の反応をうかがいながらって、
人の反応を確認しながら、
観察しながらやっていくっていうのも、
こう形にしてくれたので、
それをこう仕事にも生かしてるし、
なんか新たなことにチャレンジしようとするときも、
それをベースに考えているので、
すごくこう、
安心・安全があるから、
自信につながっているのかなっていうふうに思ったりしましたね。
コータさんのさっきの話で、
もともとメンタルモデルをしてらっしゃったんで、
そことの要は差分、何が違うんだろうなみたいな目線で、
受けてくださったみたいな話されたじゃないですか。
そこがもうまさに才能っぽいなって感じがしていて、
ユニークなところだなって思って。
常にやっぱり自分の中で、
一定の構造的な理解がないと、
どことどこを比べていいか分からないじゃないですか。
なんかざっくりと、
持ってる情報で比べるって言っても、
何が違うのかって判断できないので、
違いを判断できたり、
元となるものがあって、
そこと比べてどうなんだろうっていうのを
思考ができるタイプは、
僕は構造化が、
頭の中でしっかりできてるんだなってすごい思って、
そこを結構分析させてもらったりします。
あとなんか、
逆に、
構造的にものを見るのが得意なんですとか、
いうやつは、
僕は嫌だったんですよね。
嫌だったけど、
自分がそうだったっていうのを認められたっていうのは、
よかったかもしれない。
そんなね、構造的にいつも捉えられるやつなんて、
チッとか思ってたんだけど、
自分がそうだったのかって。
無駄に抵抗しないって言ったのは、
それもあって受け入れられることができて面白かった。
多分それがなかったら、
受け入れてないので、
最後言われても、
えー?みたいな風に思ってたかもしれないですけど、
そのプロセスがあったから、
もう受け入れて、
逆に言うと、
それを楽しむようになってる、
自分がいるのかなっていうのは、
これは結構大きいなと思ってますね。
おもしろい。
受けてなくても、
みんなそれぞれきっと、
自分の中のユニークネスモデルなり、
思考の癖なりがあって、
それがまあ、
言語化できてる人とそうじゃない人と、
もちろんたくさんいると思うんですけど、
みんなそれぞれ、
自分たちのオリジナルの経験から、
生まれてきてる思考の癖だったり、
すぐできてしまうものっていうのは、
それぞれ一人一人持ってて、
きっとでも思考の癖が違うと、
たぶんぶつかることもあったり、
理解し合えないこととかも、
あると思うんですけど、
でもこの人にはこの人なりの、
たぶんこの、
その人の中で成立してるロジックの、
思考の癖があるんだろうなって思えると、
なんか、
言いまかそうとか、
自分の思う通りにならないとかに対して、
なんか諦めがつくって言ったら、
ちょっとネガティブですけど、
なんかまあそういうもんかって思ったり、
することもできるので、
なんか、
他の人がどんな思考の癖か、
はまだわかんないですけど、
それぞれの思考の癖があるんだなって、
思えるだけで、
ちょっと過ごしやすくなる、
ところがありますね。
うーん、
確かに。
そうそうそう、
そういう人もいるし、
そういう考え方も確かにあるなっていう、
反対意見に対しても受け入れることが、
容易になるような気がする。
結構それ一番、
結構わりかし裏で伝えたかったポイントで、
自己理解って、
自分だけを理解するっていう風な、
なんか概念で使われがちなんですけど、
実際の先に他者理解が結構あるんですよ。
自分ってこういう前提があるから、
こう思ってんだっていう風に、
本当の意味で受け入れたときに、
じゃあ自分と他者で絶対違う経験してるから、
じゃあ他者にもそういったものがあるんだ、
っていう風な気づきが生まれるんですよね。
そこで何が起こるかっていうと、
何か発言したときに、
それわけわかんないとか理解できないっていう、
発想が起こりにくいんですよ。
もしかすると自分と違う背景があって、
文脈があって、
その文脈で照らし合わせたら、
確かに自分と違う意見になるかも。
そしたらその背景が何なのかっていうのを、
自己理解と他者理解
もっと理解したいなみたいなコミュニケーションが起こる。
僕のセッションで提供したいのって、
あくまで自分一人で完結するものを提供したいんじゃなくて、
その人が何か自分の中にあるものを気づくことによって、
他の人の中にあるものにも気づけるっていうところが、
僕はすごく一番届けたい内容だったりしている。
うーん、わからずして届いております。
嬉しいな、嬉しいなって思って。
マスさんとこの前ある会で飲んでた時に、
全然このアワケンと違うメンバーで飲む機会があって、
マスさん、それが他のメンバーが来るまでちょっと時間があって、
2人話したんですよ。
マスさんが倉田さんとね、
カビオチをやったっていう話から、
いや、倉田さんのサービスは世界を平和にするんですよねって。
あれは絶対平和にしますよみたいな。
大げさ?とか思ってました。
今の話を聞いて、スッと来た。
やっぱり今、ダイバーシティとか多様性とかって言われてるじゃないですか。
それできないのって、他者理解ができないから、
そういうのが問題になっていて、
その手前の自己理解が多分不十分なんでしょうね、きっと。
みんな自己理解が大切だって言われるから、
自己理解をいろんな方法でやってるんだけど、
だけどグループに類型化されるぐらいがいいところで、
自分を若干押しとどめながら、
ストレングスファインダーの資質
僕は大型ですからみたいな、
血液型と同じような振り分けをしてたりとかするんですけど、
やっぱり本当の意味で自己理解をすることによって他者理解に行って、
さっき倉田さんが言ってた、お互いを理解することができるって、
まさにマスさんが言ってた世界平和の話になってくる話ですよね。
世界を幸せにするというか。
っていうのは、それは飲む前に話してたんで、
真面目に話してたんですよ、その時は。
なんか自己理解するのにも本当にいろんな手段があって、
それこそ私、ストレングスファインダーを受けた時とかは、
自分の上位の資質が出てきたのとかもすごく嬉しかったし、
その資質の話でいろんな人と共通のキーワードで話して、
他者理解とか自己理解ももちろん深まったし、
それ自体すごく面白くて、
私のこの1位の資質ってどういう意味なんだろうとか、
どう使ったらいいんだろうみたいなのを
考えるのすごい楽しかったんですけど、
結局でも上位の資質って、
1位のやつだけじゃなくて、
たぶん1位から5位とか、
ちょっと10位くらいまで開いたら、
どれも自分らしいなとか、
意外と私この資質上の方に入ってるんや、
みたいなことの気づきにもつながるんですけど、
やっぱりどうしても34の資質のどれが上位ですかっていう風に
割り当てられてるので、
その言葉わかるけど、
めっちゃドンピシャではないなみたいな。
これとこれって結構矛盾してるのに、
上の方に入ってるってどういうことなんだろうとか、
資質同士の関係性とかが、
まだそこまでの深掘りした理解とかができていなくて、
どうしてもツールをやっただけだと。
でも自己理解する一歩、
最初の一歩としてはすごくいいツールだし、
やってる人もすごく多いんで、
ユニークネスモデルと自分らしさ
会話にもなるしいいなって思ってるんですけど、
本当のところでそれの理解をしきれてない自分がいたんですよね。
それとそこから倉田さんのセッションを受けて、
最後そのユニークネスモデルの特徴は、
いくつかあるうちの資質から作られてるわけではなくて、
本当に私のモデルを作ってくださったので、
本当にオリジナルで、
唯一無二のもので、だからこそしっくりくるし、
言葉が並んでるだけじゃなくて、
そのリレーションもちゃんと図示されてるっていうところで、
すごく理解が深まったので、
そういうふうに自己理解したいなとか、
してるつもりだけど、ちょっとしっくりきてないなみたいな人とかは、
すごい価値がある倉田さんにいろいろセッションしてもらうっていう、
価値があるんだろうなって思います。
あと聞きたい。
倉田さんはセッションをする側でやってて、
いろんな人を集めて100人以上のお話聞いて、
それで倉田さんがどう感じられてたりとか、
するのかをぜひ聞いてみたいです。
確かにそれ聞きたい。
ストリングスファインダーはストリングスファインダーで、
めちゃくちゃいいツールなんですよね。
一方で、もう一歩先として、
使ってもらえると嬉しいなっていうのが、
僕のサービスだったりしていて、
100人いろいろやってきて思うのが、
みんな違うんですよ。
同じもの一つもなくて、
なんとなくタイプ分けはできますよ。
タイプ分けはできるけど、
そのタイプ分け自体も、
あまり意味は伴ってないなというのが正直なところで、
その人がどこについついできちゃうような、
自然な自分らしさが含まれているのかとか、
どこにその人がこだわりを持って、
ここをこうすると、
この人喜んでくれた、
みたいな体験が裏付けされているのかっていうところが、
全然違うんですよね。
アプリケーションだとか組み合わせが。
だから、
作ったものを最終的に皆さんに見せて、
僕自身もすごく感じるのが、
だからこれ作ったんだなって感じなんですよ。
4時間もやってると。
だからこれ作ったし、
だからこれがうまくこの人は言ってるんだなって思うし、
だからこの人のそういうこだわりが、
いまにじみ出てるんだなってすごく感じるから、
僕自身もすごく楽しいし、
やっぱり本人としても、
それが自分の中でしっくりくるっていう体験になってるのかな、
っていうのはすごく思ったりするんですよね。
だから最初、
4時間かける前は、
もちろんどんなものが出来上がるかは分からなくって、
浦田さんも一緒に、
2人三脚で進んでいって、
そういうアウトプットが出てきて、
振り返ると、
その過程とか含めて、
すごい最後の出来上がりに納得感がいくっていう感じなんですね。
自分らしさに出会い直してもらってるなって感じがする。
もともと持ってるし、
もともとこれが一番自分らしいやり方だなって思ってるんだけど、
いろんな社会関係だとか、
会社だとか、
いろんな求められることに応えていく中で、
それをやっぱり、
だんだん忘れていくというか、
そうは言っても、
こっちじゃないといけないよねみたいな感じの中で、
失っていくものというか、
輪郭がなくなっていくっていう感じに近いのかもしれないですけど、
そういったものを、
ゆっくりゆっくり、
もう一回戻していくというか、
これが自分だったなみたいな体験を、
作ってるんだろうな、
最後の皆さんのリアクション。
全く知らない自分が出てきたっていう感じじゃないんですよね。
思い出したとか、
確かにいたかもみたいな。
それはある。
それはある。
才能ってそれでいいんだとも思いました。
うんうん。
めっちゃ伝えたいメッセージですね。
僕の中では。
大層なことでもないし、
誰かにしか掴み取れないものでもないと思うんですよ。
才能って。
その人に会って、
これがすごくしっくりきていて、
ずっと付き合ってきたものだと思うんですよ。
自分の人生の中で。
やっぱりこだわり持ってやってるからこそ、
思い入れと、
なんかいったなっていう体験がひも付いてるし。
自分の資質は何があるでしょうみたいなときに、
いろんな資質の言葉が並んでて、
これかなみたいな、
私は何何力かなみたいなのを考えるときに、
でも何何力で言ったら、
もっと世の中すごい人いるしなんとか、
思ってしまいがちなんですけど、
でも何何力、
かける何何力は私だけかもしれないとか、
こういうときに発動する何何力は、
私のオリジナルかもしれないみたいな。
たぶん一つの何何力だけじゃなくて、
いろんな組み合わせで、
いろんなオリジナルの資質が発揮されてると思うので、
それを本当に、
ユニークネスモデルという形で可視化してもらっている。
そこに出てくるキーワードも、
人によって全然違うんだろうなと思うので、
それって別に、
それに足らないものと思えばそうかもしれないけれども、
でもこれが私らしさなんだって思って、
信じて、
形に残るだけで、
それだけですごいこんなに元気が出るんだっていう、
驚きもあります。
なんか今話聞いてて、
才能なんだけど、
才能じゃないんじゃないかなって思い始めてて、
このシーンなんて。
ユウヤさんが最後に言ったら、
そのらしさみたいな、
自分が持っておかなきゃいけない、
持っておいた方がいい、持っておかなきゃいけない、
その自分らしさを、
確固たるものとして持つことができるような、
サービスのような気がしていて、
もちろんそれをベースに才能を発揮していく、
とかって話にはなっていくんだと思うんですけど、
これ持ってたらいいよみたいな、
自分らしさってこういうものだよっていうのを、
自分の中でこう、
腹にストンと落としてる感覚はあるんですよね。
そっちの感覚が僕は強いかもしれない。
才能って言葉に若干違和感があるんで、
ユニークネスって言葉を使ったりしてたりするんですけど。
やっぱりその人の中にある自分らしいものっていうのが、
僕はすごくテーマでこれやってるんだろうなって思います。
倉田さんのサービスの価値
最初は倉田さんのサービスを持ち上げすぎてもねーとかって、
なんかちょっといやらしくなるもんねーとか言ってたのに、
結果後半ずっとベタボメみたいな。
持ち上げちゃったかもねーみたいな。
そうそう、持ち上げすぎちゃいけないんですよね。
いやでもなんか嬉しいですね。
本当にいろんな意味で、僕は人間ってやっぱり
究極は安心・安全とかの世界だと僕は思ってるんで、
そこの世界を作り上げるにはいいというか、
それをベースに自信をつけられるし、
自分らしさみたいなところも作り上げることができるから、
いいとしか言えないみたいな。
自分の中にきっとあったもの、私忘れてたものだけど、
自分だけだったら絶対にたどり着けない。
あーそうそうそうそう、まさに。
そう、だから私内政、ごめんなさい。
内政ってすごい苦手というか、あんまりやり方が分かってなかったりするんですけど、
最初に内政って別に人とやってもいいんだよって言ってもらって、
めっちゃ気が楽になりました。
自分と向き合わなきゃって思ってたけど、
そうやって対話してくれる相手がいたら勝手にポンポン出てくるし、
自分だけだったらたどり着かないところにも行けるっていうので、
そういう意味で、なんか内政の概念が変わったかもしれないです。
すごい、すごいですね。
倉田さんさっきはにやけてばっかりだけど。
僕の一番サービスのメインで受けて欲しいなっていう方の対象っていうのは、
やっぱり一人で悩むっていうことをそうしなきゃいけないよねって思ってる方たちにこそすごく受けて欲しいなと思ってて、
今のはやっぱりやっぱり、
でも実際、それって本当に正しいのかって話していただくし、
本当になんか自分一人でしか見つからないものなのかって思ったりもしていて、
ずっと話していく中で、なんかこういう意味で、
本当に自分で何とかしなきゃいけないものをやりたいと思っている。
それが僕の一番、
どういうふうに思うかって思うんですよ。
それって本当に正しいのかって話だと思うし本当になんか自分一人でしか見つから ないものなのかって思ったりもしていてね
なんかずっと話していく中で中皆さんからお話しいただいた通り なんか他者の目にしか見えないものであったりする
だってこういうふうなものなんじゃないですかみたいな思ってることたくさんあるし それこうあの僕がなんか一緒にその伴奏をしていくというか一緒に23客でお手伝いさせて
もらうっていうのはうーんとそういうサービスもあってもいいんじゃないかすごく思う ん
がなんかうーんと すごく自分自身が一人で苦しかった時代もあったし他の人見て
なんでそんなに他者比較で自分を下げちゃうんだろうと思ってしまう 雨のあの人にでなんかその苦しみを理解している外部になんか僕のサービスで
少しでもあの 気楽な形で気持ちが楽な形で苦しくない形で内面
来世するっていうものが何かできたらいいなと思う 確かに
まさに 人が開催する価値ですね
なんかどんどんどんどんこう人と人とのつながりって なんか作りにくくなってるじゃないですか会社のあれはあるけれど
そういう中からそういう開催してくれる人探すの方が何かこれから大変になっていくん じゃないかなっていうのは
僕は猫なんかたまたまこの泡犬っていう繋がりの中でこう お互いこう繋がって言ってるからこう
強強すぎず弱すぎずみたいな感じの繋がりがあるから恵まれてるなぁと思いながらも 思ってるんですけども世の中的に見たらねっていう繋がってない人が多いですもんね
お二人受けてもらったのももさんからの紹介です そうですそうです
ももさんがあんときこれですって言われて 受け回すみたいな感じで
勢い余って受けてしまったかもしれないですけど その直感が良かったですね結果的にいやそうそうそう僕は直感タイプなん
他者の目によるサポートと人とのつながり
ももさんも直感的にお二人に紹介と思ったからね 繋がったんだなぁ
あとタイミングみたいなもあったらかもしれないですねもともと倉田さんがやってる サービスを知らなかったわけじゃなかったんだけど
なんか僕の中でもこのタイミングで受けなきゃと思ったところがあったりとかしたの 何が理由だったかちょっとわかんないですけど忘れちゃったけど
そろそろ あっという間の時間ですけれど
なんかでも自分たちでやった自分たちがビジョナリキャンバス作ってもらったなんか 乾燥戦みたいな感じで面白かったです
乾燥戦ね もっと自慢したいみたいな
ずっとにやけてばかりでした 乾燥戦か面白い
という感じでじゃあこのあたりで終めたいと思います どうもありがとうございました ありがとうございました