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今日はですね、東京都ハーグ区国際法を語るポッドキャストをやっているポッドキャスターのひろとくんがご来店しています。
お邪魔しております。
簡単な自己紹介は自分でする?それとも俺が紹介するのがいい?
任せます。
じゃあ自分でやってください。
そういうとこ、そういうとこ。
ひろとくんが雑談でどういう関係なのか含めてちょっと簡単に説明してもらえると。
雑談に初めて来たのは1年ちょい前ですね。
大学生だったよね。
大学院生でした。
あ、院生か。
はい。大学院生だった時に初めて来て、今はもう社会人ですけど。
今年の1月からポッドキャストを始めました。東京都ハーグ区っていう国際法っていう学問法律について語るポッドキャストをやってます。
タイトル通りお堅い内容と捉えてもいいポッドキャストなんですけど。
柔らかくはしたいんですけどね。
でもね、俺の役に立ったんだよね今日。
どういうこと?なんでなんで?
今日はアベプラってあるじゃん。アベマプライム。アベプラでICCの大崎邦子さんがガザ地区の例のお話していて、話がわかるわかる。
よかった。
国際法とICCとは何ぞやみたいなのをこの無学な僕でもアベプラを見て理解できるっていうのに非常に役立つポッドキャスト。
何よりです。ありがとうございます。
で、何かひろとくんの魅力を何かの形で伝えたいなと思って、このフロム雑談にも出てもらいたいなと思ったんだけど。
さっき言ったように国際法に関してさ、フロム雑談でさ。
するわけない、するわけない。
聞いてもさ、成立しないでしょ。
成立しないです。
だから何か理由付けしたいなと思って。
さっき言ったように僕無学な人間なので、長い本読めないんですよ。
でも読みたいなと思ってた本があって。
で、僕ちょっと本読めないから、ひろとくんにちょっとこの本読んできて読み聞かせしてって課題図書を渡したんだよね。
それが何の本でしたっけ。
あずまひろき著、訂正可能性の哲学ですね。
各章でもね話題になってるし、ポッドキャストとかでも取り上げてる方とかもちょいちょいいたりする本なんですけども。
ちょっとこれについてひろとくんに読んでいただいて、感想ぐらいでいいからお話ししながら撮りたいなっていう建前でマイクの前に立ってもらいます。
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怖いな。
ちなみに、フロム雑談今日出ますっていう話を他の常連さんにもね、私もちょくちょく来させてもらってるからしたわけですよ。
で、先週ここに来て、常連さんと閉店時間後一緒に帰り道歩いてて、フロム雑談来週出るんですよ、めちくろさんと2人なんですよって言ったら、毎度ブラックポッドでおなじみトリビアさんが、格好しとけよ、いじめられんぞ。
いじめたことは1回もない。
でさ、ひろとくんにね、興味を持ったポイントが1個あって、来店して何回か目にお話ししてたときに、次の就職どうすんのみたいなお話ししながら、ああそういうとこ行くんだって話してて、なんでなのって聞いたらさ、ひろとくんがさ、いい夢を語ってくれたんだよね。
何を言ったっけ。
ひろとくんが総理大臣になるんです。なりたいんですじゃなくて、なるんですって言ったよね。いいなあと思って。飲み屋でこういうことを語るってさ、いわば小学生が100億万円欲しいですみたいな話と同じとして聞き流すこともできるんだけど、
僕はひろとくんのこれまで学んできたこととか、あとまあそういうその総理大臣になりますって言ったお話の内容とか聞く限りは、そういう内容とは俺はとってないよね。
ひろとくんの自分の人生のビジョンの中に、そういう絵を描いてる人なんだなあと思って、まずはそこを軸にして、僕はあなたに興味を持てる。
ありがとうございます。
て感じでね、僕の総理大臣のとか官僚さんとか、あっちの世界に霞が関の世界にいる人たちのイメージが、なんで髪見て喋るんだろうなんて。
わかるー。いやめちゃくちゃ気持ちはわかりますよ。
この前もさ岸田さんがさ、今外遊していてさ、なんか外国の首脳とお話ししてるけどさ、彼はなんかフランクに自分の言葉で喋ってるみたいなものがテレビに映ってるのあんまり見ないんだよね。
そうですね。
それはひろとくんも感じる?
いやめちゃくちゃ感じます。
てことで今日はアドリブでいきたいなと。
そういうことね。
そういうことか、予報演習だぞってことですね。
これは。
私は今国会答弁に立たされているから。
そういうことね。
見えてきたぞ。
アズマヒロキさんっていう現代の地の巨人の著書を読んでいただきながら、それを読み聞かせしてっていう体でその話題をお話ししたいんだけども、基本的にはその本に何が書いてあったのかとかっていうのは、著者に対して失礼にならない程度にはひろとくんが感じただしいと思うことを言ってほしいんだけれども、基本的に僕が今日お話ししたいのは、ひろとくんがどう思ってるのかっていう話をしたいなと思って。
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ノリはそんな感じで。
わかりました。
怖くなかったでしょ。
まだ怖いかな。
なので真っ暗的にというか、僕がそもそも興味を持ったっていうのは嘘じゃなくて、今回の定性可能性の哲学とその前の著書の観光客の哲学っていう、今アズマさんがここ数年自分の主題にしているこのテーマっていうのは僕もちょっと興味は持っていて、
この本自体は読んでないんだけども、これに触れているものや、アズマさん本人のインタビューみたいなものとかはすごくよく見てるので、視聴したいことっていうのはざっくりアウトラインは知ってるつもりなので、それを実際本を読んだひろとくんと話したいなと。
ちなみに興味を持ったのは元々アズマ・ヒロキさんをウォッチしてたから。
アズマさんに限らず、基本的に今の言論人、論談の人とかっていうのは基本的には一通りはアパートは見ているので。
よくそれで無学って言うな。
本当に学問を学んだことない。試験を受けたことない。
試験をね。
僕が人生の中で試験と面接を受けたことないんです。
まあまあいいんですよ。そんなのはよくて、僕なりに興味を持っていて、すごく長くて大変だったと思います。
ざっくりとした読語の感想ってどういう感じでした?この2つを読んでみて。
そうですね。観光客の哲学が一応前編的な感じで、後編的な感じで定性可能性の哲学があったわけなんで、一応両方とも多分300ページ超え、400ページ近いのをそれぞれ読んで。
まあ読語感としては基本的には納得したっていう印象です。
反論したいところは別に特にわからなかったんですけど、これを出すのはなかなか勇気は必要だっただろうなとヒヤヒヤしながらちょっと。
今この現代において彼の立場でこのテーマについて語るのに。
そうですね、それこそ定性可能性の哲学の方は言ってしまえばもうタイトルからわかる通り自分の発言であったりこれまでの考え方を改めることができるかっていう話をもちろんしているんですけど、
それって自分にも刃が向きうるじゃないですか。お前これまでこんな話してただろうっていうのが。
で実際これ読んだ後いろいろ他の人の感想も見てみたんですけど言われてるんですよ。この件あったじゃないかお前定性しない位置からすごいなって煽られてるわけですよ。
だからまあそれカッコの上で書いたのかっていうのはすごい思いましたね。
逆に言うと彼が言いたいのはおそらく予想なんだけども、故に包着化してるものがあるんじゃないのかっていう部分も掘り下げてんじゃないかなと思ったんだけど。
で多分それがあのすごいざっくりとした理解ですけどリベラルに対して言ってるのかなっていうのがまあ読んでみた感じですね。
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明らかに凝り固まってる、包着してる、定性できなくなっている。自分で自分の首を締めているっていう状況に対して一石二鳥している。
でも別にそれはあのガイアから言っているというよりは韓国脚の哲学のだいぶ序盤の方で私はリベラルであって明確に名言はしていて。
文章として。でその上でじゃあリベラルが今弱いと言われてしまっている少なくとも一部では。
その原因として定性可能性の話を挙げているっていう文脈なのかなと思います。
結局リベラルの側っていうのは自分たちが政権を取らないっていうような、
中場取るっていうお題目を掲げながら取らないっていう安全権による発言性の優位みたいなところで戦ってる部分もあるから、
だからこそ定性可能性っていうものを自分たちに内包しないと、それって自己矛盾を起こすよっていうような提案にも今のお話聞くと聞こえるんだよね。
リベラルサイドの側として自分を仮定した場合はこれを読んだ時にリベラル側の硬着している状態に対する提言だなって取るだろうなっていうのはすごく納得がいいっていうかね。
逆にリベラルじゃない方、保守とか右みたいな人に対してももしかしたらこの言葉っていうのは共通で向けてもいいだろうしとかね。
でもやっぱりなんかね、あんまり読者層を保守に想定してないのかなって読んでて感じましたね。
なんか自分はリベラルである、でその上で自分たちはもっとこうすべきだよねっていう口調にすごい私は感じました。
それはじゃあむしろエールとも呼べるし自分もそこに立ってますよっていうような宣言にも聞こえるしそういうふうに捉えられた。
そう捉えました私は少なくとも。
ただやっぱり耳が痛いと思うのでそのリベラル側からしたらだから反発してしまう部分は少なくともあるのかなと。
でそれこそさっきチラッとその訂正しない力じゃないかって煽られてるっていう話をしたと思うんですけど、確かにその匿名性の高い外野で責任を取らなくていい人たちも言いつつも責任を取らなきゃいけない名前を出してる人たちも一部言ってはいて、
でそこらへんは確かになって私も思った部分はあったので過去の発言とかを見てそれはちょっとアズマさんも反省しなきゃいけないんじゃないみたいなのは思ったところはぶしぶしあったので。
そうですねちょっと難しいななんて言うんだろうその自分のターゲットに届けたいけど届きづらいことを必死に、だから多分800ページになってると思うんですよ合計。
逆に今挙げられた人たちそれはコメントで石を投げる人っていうところまで下げたってもいいんだけどその人たちでさえもアクションを起こしてる人だと思うんだよね僕から見ると。
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逆に今言われてる病理って失敗したくない病みたいなアクションを起こすこと自体から逃げる、逃げるというよりも降りる。
アクションを起こさなくてもいいポジションを取ることの方がスマートみたいなムーブがもし蔓延するとしたらひょっとしたらそこに対する処方箋なのかなとも思うというか。
どうなんだろういやでもちょっと犯例をパッと思いついてしまってそれに対して。
アズマヒロキが何年の選挙だったか覚えてないんですけど明確に積極的に危険すべきだって言ったんですよ一度。
私その意見に関しては明確に反対でゲームルールには乗っかんないと実現したい未来も何も作れないと思うし。
選挙に対する積極的危険を発言した部分に関してはなんかそれこそこの訂正下の選哲学含め本書で言っていることとあまり噛み合わないんじゃないかなっていうのは。
それこそその発言を今のあなたはどうなんですかって聞かれた時にそれを訂正して今はこう考えてるって言える空気みたいなものの方がいいんじゃないっていう提案。
僕はタイトルから当たってる。そういうニュアンスは込められてる。
込められてると思います。
じゃあトータルでそういうような世界の方がイケてねみたいなそういうカジュアルさっていうのはこの本の中には入ってる?
あんまりなんて言うだろうそういういわゆるちょっと言葉を選ばずに言うと冷笑的というかっていうスタンスはないのかなと。
だったらいいね。
なんかただそう勘違いされそうな表現はいっぱいありますけどでも自分でフォローはしてていやこれは冷笑してるわけじゃないこれは別に全てを投げ出してるわけではないっていうのは何回も何回も自分で自分をフォローはしてるんですけど。
僕のこういう長い本の印象なんだけど基本的にはそういう反論に対する防御を張るために本来10行で書けることを300ページにしてるっていう印象なんだけど。
いやめちゃくちゃそうだと思います。
定性可能性哲学の一番最後もこういう主張だと最後にまとめてあってで本書はそんな恐ろしく当たり前な認識を哲学や思想の言葉でガチガチになってしまった人に思い出してもらうために書かれた書物である。
だから別に言ってることは当たり前だよって本人もわかってはいて。
僕はこの定性可能性の哲学を読んでって言ったにもかかわらずその前の著書の観光客の哲学まで遡って読んでもらったんだけども。
その2つの本の共通項みたいなものってひろとくん何か感じたのってある?
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共通項か。
あずまさんが観光客の哲学を書いたからこそ次にこの定性可能性の哲学を書いたんだろうなって思うような共通性みたいな。
というよりも定性可能性がめちゃくちゃ勘違いかもしれないですけど定性可能性の哲学を書くために前提となる言葉の説明を観光客に哲学でしてる感じを受けました。
テーマとしては全然関連性のないような2つ。観光客と定性可能性って関連性がないように見えるんだけどもそこにはブリッジがあるように感じたんだね。
ブリッジは明確にあると思います。本当に前後編的な内容でした。読んでいて。
それは何?引用されている文献とか哲学体系みたいなものの共通性があるとかそういう話なの?
それもそうだし定性可能性の哲学の前半とかは観光客の哲学でこう説明したようにっていう感じで続いてるので。
だから明確に前後編を意識しているのかなと個人的には思いました。
ってことは観光客の哲学ってざっくりどういうことが書いてる?
そうですね。観光客って何かっていうと、あずまひろきは大きく観光客以外に村人と旅人っていうものを設定していて
村人が自分の共同体の中だけで過ごす人、旅人っていうのが共同体を持たずにいろんなところに転々とする人
でその間の態度を肯定していくべきなんじゃないかっていう風にあずまひろきは言っていて
それが観光客っていうもの。で間ってどういうことかっていうと
共同体に片足を置きつつもいろんな他の共同体をある種無責任に除く存在として観光客っていうのを設定している。
でその無責任さというか中途半端さで他者と関わることが結果的に連帯を生むんじゃないかみたいな表現だった。
抗議の連帯ってことだよね。要は所属陣としての連帯というよりは
もっと全体的に社会全体として
社会を構成する一陣としての連帯っていうイメージだよね。
そこ自体はひろとくんは同意できる感覚?直感的にっていうか
それはめちゃくちゃ納得はしています。
それこそ観光客の哲学における観光客的な態度ってちょっとポッドキャストにも似てるなって個人的には思って
ポッドキャストは聞く側と発信する側で大きく分けられると思いますけど
聞く側ってYouTubeとか他の媒体と違って割と長らぎきが推奨されるというか否定されないと思うんですけど
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それってすごい中途半端というか別に1時間ぐらい長いのを長らぎきして
何言ってたって聞かれたらなんかあんま内容覚えてないけど楽しそうだったぐらいな感じでポッドキャストって聞くことも多いと思うんですけど
それが観光客的というか
でいろんな世界を無責任に覗くというかその無責任というのは悪い意味を込めず
変に肩に何かを背負わないぐらいの感覚で無責任って言ってるんですけど今
喋る側も喋る側で顔が出ないサムネ出すことはできますけど出す必要がない
動画の編集と音声の編集ってもう全然大変さが違うじゃないですか
だからその参入コストの低さっていう部分とかもある種の中途半端さっていうのが許される空間かなと思っていて
そこはちょっと似てるのかなって
まさにねそれは俺も実感的にそう思うね
でなんかね観光客っていうそのワード通り使ってる他のジャンルのお話を例にいたしたいんだけど
2021年に亡くなってしまったバージル・アブローっていう最終キャリアとしたルイ・ビトンのアートディレクター
黒人初でやった方がいて
アメリカのみならず世界中のファッションシーンどころかカルチャーとか
それこそ思想にまで影響を与えたバージル・アブローっていう人がいて
その人がねダイアローグっていう名著を出してたんだけども
そこで色々皆さんが引用するのがピューリストとツーリストっていうもの
彼っていうのはルイ・ビトンでそれこそ観光客的な
いわゆる引用によるアートみたいなものですごく名声というか評価を受けた人なんだけども
彼も本当に現代的な感覚としてよくツーリストっていうワードを使ってたから
そこも数年の時差はあるんだけども
この東さんの語ってるような感覚ともすごい近いなと思うし
あと時代感としてみんながなんとなく腑に落ちるというか
それこそインターネット以降の今のこの世界の中で
この主張っていうのはワード的にすごく染みるんだろうなと思う
でもちょっと怖いのはその何でしょう
こう理解誤解されちゃいそうだなって思う部分は1個あって
インターネット以降っていうとやっぱりなんて言うんでしょう
それこそアマゾンで何か買うってなるとどんどんどんどん
自分に先行されたお勧めが出されるレコメンドが
それってやっぱりどんどん偏りを生じさせる凝り固まらせるっていう部分もあると思うから
ある種それに対するアンチテーゼ的な部分もあるのかなと思ってて
その観光客に哲学に何度も出てくるキーワードとして
誤拝っていう言葉謝る配るで誤拝でそれを何度もキーワードとして出していて
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それを重要視している部分が強いんですけど
その誤拝が結果的に共感を生んで連帯を生むっていう風な表現だったと思います
それはもうアズマさんは本当著書としては一番ルースに辿るぐらい存在論的郵便的
これから言ってる誤拝っていうワードもずっと紐付けて語ってる
そうですねその郵便的マルチチュードっていう表現を使ってましたけど
それをずっと引っ張ってきてる感じですね
それは誤拝を良いものとして書いてないっていうことなのかな
いや誤拝をむしろ誤拝を促進すべき
結果的にそのためには観光客的な態度が認められるべきっていうことなんだと思います
一方で今ってさっきファッションの方を引用したんだけども
ファッションの方でもよくあるのがエスニシティに関連する問題としては
文化投与みたいなお話
観光客的な視点から何かの文化を引用するっていうことが
連帯側にいるピューリスト側の主体からすると文化投与だっていう
運動が起こってしまうっていう問題も同時に抱えていて
それが文化投与かどうかのジャッジが下る基準っていうのが非常に曖昧
共感と連帯っていうものまで到達したものに関しては文化投与と言われないけれども
なんとなくでも民意というかネット的民意の中で
そこまで至らなかったものっていうのは文化投与と言われるみたいな
結構そのボーダーにある面白い現象ってファッション界でもよく起きていて
これを思想に置き換えてもなんとなくそんなことが起きてるようなとは感じるよね
確かにな文化投与かそこは想像してなかったな
確かにそこに対する反論というか事前の抑えは特に見られなかった気がするな
確かにややこしくなるしね
社会論を語るときってサブカルチャー的な引用を哲学者が仕出すのとかって
ここ二三十年すごくブームだしまさに矢妻さんにしても
もう皆さんやられてることなんだけども
カルチャーの方の現実っていうものの引用と
いわゆるネット空間とか政治空間とか言論空間哲学空間みたいなものと
ガッチャンコして語ると明確に語りづらいっていうのが起きるから
だからもしかしたら今言ってるのは文化投与的な意思差みたいなものっていうの入れちゃうと
それこそ300ページ収まらない
800ページになりますみたいな話になるのかもしれないよね
確かに
あんまりそうですね
東寛さんでイメージされるのはそれこそサブカル的な
エヴァンゲリオン論みたいなのも語ってましたけど
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そういう話はあんまり出てこなかったですねその側面は
だから僕の彼の今の印象はサブカルチャーのような
僕が最近使ってる言い方だとこのディスプレイの中っていうか
僕はフレームと呼んでるんだけど
フレームの中で行われてることを引用したり興味を持つところから
それがかつてサブカルを引用した哲学者の時代だとすると
東寛さんは言論カフェっていう場を持っていこうって
もうそのフレームの外に飛び出して
アクティブに身体的主体を持って活動してる哲学者って印象があるから
だからよりサブカルチャーとかディスプレイの中で起きてるようなこと
僕の言い方だったらフィクションの世界のものっていうものは
紐づけるっていう興味というか実感を失ってるんだろうなと思うから
そういう点で言うと僕はすごく共感してるんだよね
いまだ同じ時代の論者の中では
いまだそのフレームの中で起きてるものの現象と
今の社会状況を結びつけながら語る人もいるんだけども
そういう人に対する共感よりは東さんのように身体を持って
資本主義家の中に自分も埋もれながら哲学するっていう人の方が
僕もリアリティを感じて聞こえるので
って感じでひろとくんも総理大臣という
いわゆる社会に主体性を持って紛れ込もうというか
としてる人にこの話を振ってみたかったな
そこが繋がるのか
なぜなら定性可能性っていうことが起きるリアリティとか
自分の発言のリアリティって
それこそ政治活動っていうものを行う人って
常に24時間365日切り離せない
晒され続けますよね
自分のプライベートだろうが何だろうが
全てがそこに紐づいていく人であるだろうから
なんかサブカルチャーと紐づけたりして語る人よりは
よっぽどこの本を読んで何か実感を持つんじゃないかなと思ったんだよね
っていう意味では文章上の空中線的な納得感を聞きたいというよりは
ひろとくんが肌感的にこのお話を
自分ごとのように感じているのかどうかっていうのを聞きたい
それで言うと
いやー喋りづらいなー喋るか
いやーあの
私のバックグラウンドさっき言わなかった部分をもうちょっと補足すると
メチ子さんにはお伝えしたことありますけど
2015年あたりに国会前で叫んでたこともあるし
その後もちらほらと政治活動に関わったこともあって
最近はそこまでそういう路上に出るっていうことはできてない
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正直そこは反省点ではあるんですけど
できていない状況ではありつつも
当時の仲間とは月一ぐらいで何人かは会ってはいて
だからその人たちが今何を考えているかは
ちょっとは垣間見ている状況なんで
なんて言うんでしょう
安嶋裕樹さんがリベラルに対してここがダメだよって言っている
そのリベラルを目の前で毎月見ている状況ではあるから
具体的な顔がいくつか思い浮かぶなとは思いつつ
おそらく平人くんはそういう経歴を踏みながら
自分の思想や行動っていうのをやってるであろうから
だから僕はさっき言った総理大臣になるって言った
その主張を僕はディスプレイの中のホラーとか
エソラ事としては聞かなかった
そういうことなんだよね
いやでもこれ逆に私1億2000万人に疑問なんですけど
こうなって欲しいっていう気持ち世の中に対してが
全くない人は一旦置いておくとして
ちょっとでも何か思っている人って
合理的に考えたら全員総理大臣目指すべきじゃないと
私は思うんですよね
そういう意味でいくと僕もディスプレイの外に出て
何かの思想をもとに生きている人間ではあるんだけど
僕の主体ってそことは切り離されていることは証明できるんだけど
僕は国民国家よりも自分が関わっている文化の方が上だと思っている人間なんだよね
ってことは総理大臣とか日本国とか今の政治状況とか戦争とか平和よりも
それよりも上の概念で僕は文化っていうものを見ていて
そこに参加してるっていうかそこのピューリストであるっていう実感があるので
ある意味政治のお話や日本国民である僕っていう主体に関しては
いわば観光客のような立ち位置で
ちょっと日和み的って言ったら変だけどもすごく興味はあるから
いろんな立場の人のいろんなお話を聞いたり
自分もそこでいろんな試行実験をするんだけども
いわばちょっと観光客的な立ち位置なので
そういう意味でいくと1億2000万人の中の一人ではあるんだけれども
総理大臣になるっていうような実感っていうのは
自分の直感的な感覚としてはない
すごい納得はできて逆に私はカルチャーに対して
すごい観光客的だなと思うし
そこはあるよね
それこそ以前飯黒さんに言われましたけど
私が消費者にすごい向いてるみたいな話も以前されてたと思うんですけど
それって多分カルチャー側にいる
カルチャー側の話をしている時の私だと思うんで
それはもちろん多面性はあると思うんですけど
なのでさっき1億2000万人総理大臣を目指せばいいっていうのは
なかなかの暴論ですけど
30:00
別に総理じゃなくても軸足を置いている部分の中で
そのフィールドそのゲームの何かを設定し直せる立場を目指すことは
合理的なのかなとはすごい思ってはいて
ゲームを消費者としてやらされてる側なんじゃないよっていう
君たちはゲームメイクすらできるんだよっていう意味だよね
まさにそうです
それが別に国民国家っていうものを上に置いてるか
カルチャーを上に置いてるか他のものを上に置いてるかは別として
どのフィールドでもみんなゲームメイキングできるし
今それこそみんなツイッターXを多くの人がやって
自分の意見を少なからず発信してる人が多い
全員と言わせると多い中で
そのゲームメイキングをなんでしないんだろうっていう
純粋な疑問をずっと思ってます
僕から見るとそういう今言ったようなざっくりしたそういう人たちは
僕から見ると消費者の行動に見えるんだよね
なぜなら自分っていう主体を外れた理想を他者に置いて
いわば推し活動のように日本国を見ている
野球場でバッターに対してヤジを飛ばしてる親父と一緒
ヤジを飛ばしてる50何歳の中年男性っていう属性っていうのは
その時その人から外れていて
目の前に見えている野球選手に自分を投影して
そいつが失敗したことに対してヤジを言ってるじゃない
俺だったらお前そこでホームラン打つよっていうのを
その人に貸してるわけじゃないみたいなことを
日本国にもやっているように見えるのが今言った
消費者的な立ち位置で参加している今言うのような行動を取る人
っていうイメージなんだよね
それは今最近よく言う守護でかい論と一緒で
それは守護でかいものに自分が乗っかったら楽だし
自己肯定感も上がるし
自分のアイデンティティをそっちに置くことの方が
精神的な安全っていうのは保たれるので
そこはアンチだろうが推しだろうが一緒だと思っていて
それは機能としては俺すごくいいと思う
ゲームルールとしては
さっき言った平和っていうのを保つならば
そういうものは多ければ多いほどいいと思うんだけども
逆に民主主義の中の構成員としての
自分で言ったら消費者の立場では許されないものってあるよねっていう
ちょっといわば厳しい役割だよね
責任っていうこと
そこがひろとくんの話を聞いていると
隣にいるその人が消費者なのか
だから観光客なのかピューリストなのかが
見分けつかないで一緒に紛れていると苦しむだろうなと思って
あれこれカウンセリングでした?
いや違います
あなたの隣にいて一緒に街頭に出て
なんか活動している隣にいる彼ももしかしたら
ひろとくんはピューリストとして参加してるつもりなんだけど
彼はもしかして無自覚に観光客として参加してるかもよっていうお話
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それって今俺のように無責任に観光客のような立場で言われると
どう思います?
どうだろう
両方思い浮かびますけどね
彼はピューリストだっていう人もいますし
あの人は確かに今言ってたように無自覚に観光客なのかもなっていう人も顔は思い浮かぶし
まあ紛れてる可能性は全然あると思うんですけど
じゃあそのあなたっていうのは誰なの?
あなたっていうのは何なの?っていうことを問われてる時代だと思うんだよね
その時に明確に自分を鏡で見るための指標として
この観光客だったり定性可能性っていうようなツールを
アズマさんが与えるというよりは目の前に差し出してんじゃないかなっていう風に
読んでない僕は思います
でもすごいそれは思っていて
逆にこれはちょっとこの本に対しての私のちょっとチクッと言いたいところではあるんですけど
概念提起はすごいしていて
こういう観光客っていう概念があるんだよ
語配っていうワードがあるんだよ
定性可能性っていう考え方があるんだよっていうのを並べてはいるんですけど
じゃあどうすべきだみたいなのはそこまで書いてない印象があって
なんかちょっと迷子になったんですよね私これ読み終わって
それが今僕の言ったツールでしかない
そうそうそうまさにまさに
ツールを渡したアズマ・ヒロキに対して
使い方をまで優しく提示してないことの怒りみたいなものが芽生えるんだろうなと思うんだよね
しかもなんか持ってるはずだよなっていうのは
彼がいろんなyoutubeとかイベントに出てるのを見てると思うので
なんかそこが若干違和感ではあったところですね
今ヒロト君が大学院を卒業して
勤めることになった組織っていうものも
いわゆる何か共通の目的を持った組織なわけじゃない
特定はしないけれども
おそらく普通の企業体よりは
よりそのルール設定は強固な組織に入ったよね
ってことはその組織がやることって
ヒロト君の個人、個人性みたいなものっていうのを
訂正することによって取り込む
この年代側の人間として
あなたを訂正しようという圧がかかるはずなんで
今めちゃくちゃかかってますよ
やばいな
だから訂正を自分主体でできるっていう話だと思うんだけど
この本はね
でも人間っていうのは社会で活動する
特に労働者として参加する企業だったりすると
自分が主体じゃなく訂正されるっていう
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客体として訂正されるっていうシチュエーションもあったりするから
僕にはないんだけど就職したことないから
ヒロト君はそこを同時に味わってるリアリズムもあるんじゃないかなと思って
そういう意味でいくと訂正される自分っていうものの気持ち悪さってどう捉えるのかな
めちゃくちゃ気持ち悪い
めちゃくちゃ気持ち悪いですけど
私の場合は総理大臣っていう話もさっきありましたけど
いつか自分の訂正されきったかもしれないけど
どこかピュアな部分青臭い部分も残した自分で
社会表に出てやろうっていう野望を一応今のところはなんとか備えられているので
踏ん張られているからかなっていうところではあるんですけど
でもさ例えばそれがデザイン会社だろうが
いわゆる公務員的な組織だろうが大企業トヨタみたいなところだろうが
みんなだいたいそういうイニシエーションといけるわけじゃない
その中で完全に組織人として同化してそこで成り上がっていくっていう術を選ぶ人もいるし
それを良しとされる世界でもある
でもその中でもやっぱり自分のピュアネスっていうものを残しながら
2割そこを残しながら8割は騙す
騙し方だけ覚えてその組織に順応する人もいたりするわけじゃない
ヒロト君は組織から与えられる訂正に関しては
どのぐらいまで洗脳されずに済むって今のところ思ってる?
いやまだ全然大丈夫だろうって思ってますけど
それは相手にも表明するんです
組織内でもピュアな自分を表明しながら組織人であろうとするのか
それとも完全に組織人として擬態してみせる
その代わり心の中にはピュアネスを持つのだろうかどっちなんですか
表明してたから安間ザロー得なくなっちゃったんですよ
だからより圧が強まったんでしょ
なのでもう擬態という
お前は訂正がまだ済んでないっていうまだジャッジを受けてるってことですね
はいそうです
なので擬態という技を最近覚えまして
逆に完全に擬態してみせようっていう興味みたいなのってわからない?
要するに上り詰めるかどうかという話も含めてますか
要は今の組織人として求められるぐらいのことだったら全然嘘としてというか
自分の心には嘘をついてでも全然擬態できるよみたいな
そういう興味っていうのはわからない
興味かいやすごい勧められるんですよ実は
それこそさっき言った月一で会っているもともとそういう活動してた仲間の人にも
いや中でもう擬態して上り詰めればいいじゃんとすごい言われるんですけど
うーん私がそれできるイメージは全くつかないんですよね
そこを訂正可能性って話を持ち込むとどうなんですか
うわー厳しいな
39:02
そっか
アイデンティティの許容範囲っていうものを言ってるような気がするんだよね
うんうんそれはそうだと思います
今みたいな極端な僕からの提示からすると
そこって訂正できるようなものに聞こえるかどうかって話だよね
ってことはそれができるようになるかどうかって
気持ち的に思想的に負に落ちることだと足りない何かが必要なのかもしれないよね
だってそうですもんね訂正可能性の選択の思想に関しては負に落ちている
いるわけだもんね
でも今実際自分が主体として
しかも自分の人生観みたいなレベルのお話において
散々話した後にそれの訂正可能性は?って聞かれるとそんな気がしないっていう
いじまる
いうわけだもんね
だから逆に言うと僕の自分の人生論みたいなお話をした後に
そういう訂正可能性は?って水を抜けられた時は
ピンとくる予感がしないんだよね
そうなんですか
逆の立場でおいてもね
何を言いたいかというとこの訂正可能性の哲学っていうほどの強度を持つ論なのかな
っていうことですらあるっていうかね
確かにそうですね
だからやっぱり前半の話にも出たその訂正しない力だって煽られている部分を見て
それに対して東さんもツイッターで反論してたりするんですよね
訂正可能性っていうのは全てに関して謝って変えることではない
ツイートしてるんですよ
だからみんな問われてますよね
東さん含め
でさっきのバージル・アブローのピュリストとツーリストっていう概念をここにもう一個持ってくると
僕は楽になるんじゃないかなと思って
なぜかっていうとバージル・アブローはいろんなものを引用して
表現をして社会に認められた人なんだけども
こと一つ黒人差別っていう問題に関してはピュリストとして絶対何も変えずに
自分の作品性にも発言にも全て一貫したものを持ち続けた人でもある
そうやって生涯を終えた人でもある
だから自分の中にあるピュリストとツーリストっていうものさえ理解していれば
ツーリストである何かっていうものだったらいくらでも訂正できる
でもピュリストの部分は訂正はもうほぼ無理だよね
だからこその自分だよねっていう
それが今のひろとくんの思想をもとに今積み上げてる人生観っていうものに関しては
訂正可能性って言われても変える気がしないけれども
例えば今の勤めてる今の会社っていうのはその人生における過程であるから
そこは観光客的なツーリスト的な立場だから
それだったら全然ほぼ99%訂正しても全然自分だよなって思えるような気がしてて
そこ分けて考えると本当になんか今スッと肩に身がおりた感じじゃないけど楽にはなりますよね
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2つの主体っていうものに対する解像度の話かなって思った時に
このあずまひろきとバージュラーブローっていうものを両方くっつけると
なんとなく納得いくような気がしたから今日は俺はバージュラーブローを持ってきた
納得いきました
よかった
そうですねそれででも何なんだろうな
私がどこがピュリストなのかっていうとちょっとパッと思い浮かばないところも正直あって
多分今後自分の根拠のない○○っていうところで今ドライブできてるうちはそれいらないと思うんだけども
そこでいろんな道をたどると思うんだよね
その時に訂正可能性を求められるであろういろんなシチュエーションで
それを繰り返すとおそらくその自分のピュリストは何なんだろう
ピュリストである自分の主体ってどこなんだろうっていうのが見えてくるだろうから
多分経験がない状態でそれが生まれるということはほぼないと思う
僕もさっき言ったように国民国家よりも文化の方が上にあるって
今断言できてるのって僕の過去があったから言えてるっていう部分もあるので
おそらくひろとくんと同じキャリアの時はここまで明確には自分でも言えないんだよね
文化カルチャーじゃない可能性もあった
例えば僕が文化を語る時って国民国家よりも家族よりも上って言ってるのはなぜかっていうと
僕が何で生きてるのかの話を考えたから
その時に自分の遺伝子を残すっていうことも人間として生きた理由にはなるじゃない
僕はその判断をしないだろうなって思った時期が過去にあったので
ってことは何のために生きてんだろうと思って
ってことは遺伝子を残すのと同じぐらい価値のあることなんだろうって考えた時に
文化っていうものだけは僕っていう今のこの80年とかの人生を超えた過去と未来をつなぐ
生きた意味を残せる
例えばこの200年後の人も使える何かのために今この令和6年にやった僕の行動が
利活用できるものをもし僕が関われたんだったら
僕は200年後の人類のために何か意味を残せたってことになる
そこの思考方法は全く一緒なんですよね私
こういうふうなシステムを残して死にたいなんですよ私は
人類が今の文明が活用できるシステムに何かさんができれば
生きてる意味があるっていうことだよね
まさにそうだと思います
だからそこの先が総理大臣じゃなかったとしても
その肯定で辿った道が
ひろとくんが生きた理由になるんじゃないっていう意味でいくと
そこは訂正しなくていい部分だと思う
そこさえあればその他のことって
いろんな目的による意思決定がある
その時は過去言ったことだろうが自分が約束したことだろうが
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なんか訂正していいことなんじゃないかな
意外と私それに反する生き方をこれまでしちゃってたなってすごい今
予測不可能性が怖いんですよね多分私
まあそうだろうね
僕が通ったことないエリートの道だから
それはそうだろうなと思うんだけど
そこを大事にすればこそ訂正可能性のすごく
レジリエンスの高いというか柔軟性のある
柔らかい強度を持った社会的な自分というものを
うまく構築できればできるほど
よりなんか僕よりはエリートの道をたどるんだろうかな
その道の階段っていうのは登りやすくなるような気がするけどね
想像ができないないやいかんせん
まずそのこの学校入りたいっていうのを
私小学生の頃から思ってて中学受験で入ったんですけど
小学生の頃塾行く時に
塾の予習を行くバスの中でしてるんですよ
そしたらまあ小学生だから全然知らない見知らぬおじいちゃんおばあちゃんとかが
偉いねとか言ってくるんですよ
超恥ずかしいんですけど今思ったら
なんで
あのいや私そこに対して超恥ずかしいんですけど
いや私ko行くんでって言ってたんですよ見知らぬおじいちゃんおばあちゃんに
外盛り固めたんですよ
で今の就いた仕事も小学生の頃からこの仕事に就きたいと思っていて
周りに散々言ってきたんですよ
だからある種訂正不可能に
外盛りを固め続けてきた人生だったんで今のところ
なんか全然想像ができないなっていう
だから今さ社会に出て2年目なんだよね
で動いただけでもハレーションっていろいろ起きていて
かつてのルールゲームルールだとなかなかうまくいかない状況っていうのが日々現れるわけだよね
でその時に
だんだんだんだん色々自己訂正してきたから動くんだろうけれども
確かに今の道をたどるとそうなるんだと思うんだよね
そうなるっていうと外盛りを固めて
行くだってそうすることの方が今自分が望んでいるものの近道だと思えるっていうか
いやまさに
貸し取るものがあってそこに行くためにはそっちの方が合理的だと思う行動だと思うしね
あとそういうメンタル
そういうメンタルの人ほどそっち行きそうだしね
でさっき言った
それってピュリストである自分を構成するまでのゲームなんだよね恐らく
そこから社会に出るとそのツーリスト的な自分っていうものが
いろんなステークホルダーと合うことによって生まれてくる
そこの今いろんなレッスンをしてるんだと思うんだけど
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今回の著書とか関係ないんだけど
おそらくね成功と失敗ってあるよね
エリートになる人ほどその成功と失敗の試行回数が多い人だと思う
そのチャンスを与えられたってことも含めてね
でなった時に実は強い人って失敗の経験が多い人ってよく言われるじゃない
言われますね
でもそれって僕から見るといわば民間企業しかもベンチャーみたいなものに
すごく適したルールであって
今ひろとくんが向かおうとするエリートのコースって
おそらく成功の仕方のレッスンをもっと受けなきゃいけないなと思って
そうなんですか
なぜなら今行く道って敵は外にいないんですよ
必ず中から生まれる世界なんですよ
ってことは成功の仕方って大事で
自分が成功した時に嫉妬や劣等感を
自分の中の人間に生まない成功を上げていかないと
それこそ総理大臣になった時に
首を掛かれる人がそうじゃないかってそこなんですよ
そこの解像度高めとかなきゃいけないわけですね
だからさっきのバスの中でおばあちゃんに言われた時に
慶応っていうワードを使うことが
その人に劣等感を生んだりする可能性があるかっていう敏感度の方が
むしろこっから先大事で
ピュアに自分の気持ちを伝えるっていうことは
誰も裏切ってないし美しいことなんだけども
美しい上に人を傷つけるってことが生まれるんですよ
僕らアートの世界もやっぱりそうで
美を追求してものを作るんだけども
アートの特性って必ず人を傷つけるんですよ
なぜなら人に衝撃を与えるアートっていうのは
必ずなんかの傷をつけている
そうなんですか
それはみんながイメージするネガティブな意味じゃない場合も多くて
ポジティブなものだとしても
何か人の心に傷をつけてるんだよね
そうしないと印象にも残らないし
感動にもつながらないしって考えたらわかるでしょ
確かに潔白な一切汚れのないものはアートとも呼べない気がしますよね
美っていうものは相反するそういうものを含むので
考えるとやっぱり今言ったポリティクスの世界でも
おそらくそういうものがあって
よりアートよりも厳密に
人を傷つけている意識っていうものって
敏感になった方がいいなと思って
いやーそうですよね
その時におそらく観光客の振る舞いっていうのも大事なんじゃないかな
その感覚を味わうためにはやっぱり
観光を繰り返さないと身につかない部分もありますよね
もし自分の本当に大事だと思ったらピューリストのようにして振る舞っているであろう
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今の職場だったり活動の中でも
どこか観光客的なマナーみたいなものが
おそらくさっき言った人を傷つけているのが
どこまで傷つけているのかみたいな
でもそれすごい今ずっと考えていたのが
総理大臣になるっていう一つの目標というか
それのためにおいて私がすごい自分の中で
欠点というか足を引っ張りそうだなと思っているのが
自分の出自
何度もこの収録でめちくろさんが出しているワード
エリート
これはまあ足引っ張りそうだなと思っていて
逆逆逆
人ってどんだけ言っても
エリートがエリートになることって否定しないのよ
そうなんですか
隣の人間がのし上がる方が嫉妬するのよ
って考えると
エリートであることは別に足枷にならないんだけど
エリートの振る舞いとしてこういうことをしたら
人を嫉妬させたり傷つけたりする
それが外面的な人気とか票とかフォローみたいな
票数みたいな話だったらまだいいんだけども
それが中の人間に対してだよね
一緒に戦っていると思っているチームメイトに
そういうことをした時に
おそらくあなたの世界ではよく書かれると思う
外の世界でそこの票を落としただったとか
マイナスにつけられたっていうのは挽回可能なんだけど
中の経歴で成功の仕方を失敗しちゃダメって感じ
いいフレーズ
成功の仕方を失敗しちゃダメ
相談されたじゃんもう一個の番組のお話
あれの時にアドバイスしたのがそれだと思うんだけども
今ひろとくんの年齢でひろとくんのキャリアで
ひろとくんの好奇心でやれることっていっぱいあるから
いろんなチャレンジした方がいいし
いろんな失敗した方がいいんだけども
失敗の仕方はどんなパターンやってもいいと思うんだけど
成功の仕方だけはイメージした方がいいから
だからやめ方をデザインした方がいいよって言ったらそういうことで
一緒にやろうとしているお友達が
例えばだけど無邪気な承認欲求でやろうとした場合
何か成果を残しました
じゃあその時に彼からひろとくんの立場がどう見えるであろうってことを
常に意識する人であれっていう感じ
そこで嫉妬とか生まない
一緒に成功した時に彼からあなたがどう見えてるのかってことを
常に意識した方がいいっていう
自分の根首を掻くのは隣にいる人の可能性が一番高い
一緒に頑張った人が一番そう思う
なぜならそうなんだよ観光客じゃないからなんだよっていう
彼からするとみたいなね
その話は今回と関係ないんだけど
紐付けるとそういう話になる
定性可能性みたいなものを自分に実装する時に
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よりリアリティを持ってイメージするのはそういうシチュエーションなんじゃないかなと思う
成功の仕方を失敗しない
だから本当に尊敬されてる社長さんと
どこかビジネスライフにスタッフが付き合ってる社長さんとの差って
そういうことだと思うんだよね
民間企業でもそういうのはあるし
一緒に外のマーケットと戦ってる仲間って意識が
おそらくどんな組織でもあると思うんだけども
実際リーダーっていうのは
中の人間に対して自分がどう見えてるのかってことに関して
誰よりも意識できるじゃないと
しかも総理大臣ぐらいまでなろうとしているエリートって
本当に自分のキャリアの初期からそれができてる人じゃなきゃ
無理じゃないかなと思う
キャリアの初期
明日から今日から
失敗のエピソードはどんだけ極端なものあっても
晩年でも喜ばれるんだけど
成功の過程っていうのは
大変不可能
特に内側にはっていう
あなたにスポットライトが当たれば当たるほど
あなたが輝けば輝くほど
過去のデジタルタトゥーみたいな
ピンクになります
なので今後も
少しこういう課題と正直にして
ひろとくんの人生のキャリアの過程ごとに
こういう話できると面白いなと
あれではね順調にいけば
またこの2,3年の間に何か自分のキャリアっていうか
ステップが変わるような事象って起きるんだもんね
一応今最初にお伝えした通り
若干お休み中です仕事
で1ヶ月以内にはおそらく復職すると思います
なのでそれは一つ変化
その上で順調にいけば1年後は海外にいます
だからそれも変化ではあるかなと思います
そういう過程があるまで
例えば雑談がやってるならばね
都度都度こういう話ができる
残しておいてここ
俺が飽きるから観光客から帰る
5年ごととか前言ってましたよね
じゃあ最後に
ヒロト君が自分の番組をちゃんと
この場で告知してほしいなと思うので
今ヒロト君がやってる番組をちょっと教えてください
国際法を語るポッドキャスト
東京都ハーグクというものをやっております
私と相方で
私は一応大学院まで国際法をやっていて
と言っても修士までなので
プロでは全然ないんですけど
ある程度国際法をかじった人間として
国際法って面白いよっていうのを頑張って
柔らかく伝えようとしつつ
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今のところ毎回固くなってしまっているのを
そこのやっと柔らかくなったかっていうのを
いつか見てほしいなと思っているんですけど
そんな番組をやっています
ちなみに国際法は
訂正可能性を体現してるって
東浩も実は言っておりまして
そうなんだ
そんな本が
最近出版されたばっかりなんですけど
もがみとしき先生という方による
国際法囲碁というものを
今実は手元にも持ってきているんですけど
その本に触れて
東浩さんが国際法って訂正可能性をすごい
体現している
政治における訂正可能性って国際法のことだよね
みたいなことを
最近の1ヶ月前ぐらいの配信で
おっしゃっていたので
今日のウェプラでも
尾崎さんとの会話の中で
番組中でもやっぱり
国際法の独特な立ち位置に関して
それに近いニュアンスのことは
言ってたので
一応私の東京と羽賀区っていう番組で
この国際法囲碁っていう本に関しての
感想を語る会話
6月29日の土曜日に
配信しようと思っています
じゃあ東京と羽賀区での
ひろとくんは固い
さっき一番この番組の冒頭で僕が聞いた
総理大臣ってアドリブしないよね
総理大臣になりたいひろとくん
うわー
伏線回収されちゃってるな
もうちょっとアドリブ増やすというか
木村くんとの会話
お互いの心がどう動いたのかの会話が
もうちょっと本編の中で
交わされると
より良いポッドキャストになるかなと思うので
そうですよね
でも分かるんだよ
ひろとくんの自分のこういうものの成功体験って
要は事業だったりとか
したものがレファレンスになってると思うから
あの形になるのはすごくよく分かるんだけど
じゃあその上で
よりポッドキャストらしくなるんだとすれば
おそらく今言ったような
アドリブ性というか
実際会話をしている2人っていうニュアンスが
もうちょっと出てくると
より魅力的になるんじゃないかなと
いうことを老害から
いやいやいや
じゃあちょっと本当に
でもねテーマを含めてすごく興味深いことを
いっぱい語ってるので
この東京都ハグクは
このフラム雑談聞いてる人にも
聞いて欲しいので
よろしくお願いします
概要欄にも貼っておくので
ありがとうございます
一応週1更新をなんとかやめないように
頑張ってます
まあまあでもそんなに肩肘払わずに
やれるのがポッドキャストだと思うので
じゃあ今日のゲストは
東京都ハグクから
ひろとくんでした
ありがとうございました
ありがとうございました
この番組は
1:00:00
東京東中野にある
クラフトビアバー雑談で収録しています
厳選されたクラフトビールと
こだわりのスパイスカレーを楽しみながら
よなよな繰り広げられる雑談に参加したい方は
概要欄をチェック
では次回の更新をお楽しみに