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2023-07-11 56:32

#24|SPOTLIGHTS「百百(ヒャクヒャク) - 立石従寛/陳暁夏代」の魅力について。〈8HOURS FOR:2023.7〉

from 雑談【SPOTLIGHTS】では毎月「雑談」がセレクトする Spotify プレイリスト「8HOURS FOR(https://bit.ly/3XKJpCu )」からレコメンドした番組をピックアップしてご紹介します。(収録 2023.7.7)

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[今回ご紹介した番組, EP] ──────────────

百百(ヒャクヒャク) - 立石従寛/陳暁夏代

・#004 微生物と性格形成【器用貧乏は眠らない。】( HERE
・#027 40歳で死ぬ【百百(ヒャクヒャク)】(HERE

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[Player] ───────────────────

【SHIBU】
TOCINMASH 主宰、合同会社TCM, 株式会社雑談 代表。グラフィックデザイナー、ウェブデザイナー、イラストレーターとしてキャリアを重ねたのち、2020年より音声コンテンツ制作に軸足を置く。2006年ポッドキャスト黎明期より活動する技術と知見を活かし、2022年には「Podcast Weekend」立ち上げに協力、さらに同年、新たな活動拠点として「雑談」を創設。現在、自身のポッドキャスト作品としては、TOCINMASHとして、16年に渡り複数の番組を配信中。主な受賞歴に Apple Best Podcast 2016,2019受賞、Apple, Spotify Podcast 総合ランキング首位複数獲得、JAPAN PODCAST AWARDS 初年度「墓場のラジオ」大賞ノミネート、第2回「NOTSCHOOL」ベストナレッジ賞ノミネート、第3回「月曜トッキンマッシュ」ベストパーソナリティ賞ノミネートなど。https://tcminc.co/

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【Mechikuro】
マンガ・オーディオ・アート・クラブミュージックなどの第一線で、分野横断的に活動するクリエイティブディレクター。 グラフィック&プロダクト両面のデザインのみならず、編集&ライティングからブランディング&プロデュースまで多様なスキルセットを駆使する。 これまでの経験と知見を活かし、『JAPAN PODCAST AWARDS』では創設メンバーとして、2019年創設〜2021年まで3年に渡り理念&審査レギュレーション設計、選考委員選定、ノミネート作品選考、グラフィック&トロフィー造形など中核業務の全てを担当。 作品選考作業においては、年間平均2000作品・2000時間強に及ぶ聴取・リサーチ・分析を行い、アワードという一つの基準において、国内ポッドキャストシーンの可視化とクオリティの定性評価に寄与した。 現在、自身のポッドキャスト作品としては、ぷにぷに電機と共に制作する『LAUNDRY AM』を配信中。 『雑談』では、より広く、より深く、音声作品の可能性と魅力を伝えるべく、さらなる能力を解放する。https://bit.ly/Mechikuro

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Twitter|https://twitter.com/zatsudan_co_jp
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©︎雑談 https://zatsudan.co.jp

00:00
久しぶりのスポットライトなんですけれども、よろしくお願いします。
お願いします。結構間が空いちゃって。
そうですね。
本当は、月に1回公開している、
PODCASTと音楽のプレイリスト、8HOURS FOR:の中から、
毎月3回公開しています。
毎月3回公開しています。
8HOURS FOR:の中から、毎月3個ピックアップして、
スポットライトという形で上げていくというのを目指していたんだけど、
ちょっと作業が膨大すぎて。
そうですね。
毎月8時間×3だから、24時間分のプレイリストを作った上に、
それをチョイスして記事を書いて、
PODCASTを撮るって確かにオーバーワークだった。
思いつつ、やっぱり僕らが今いいと思う、
PODCASTを紹介したいなというのはあるので、
そこはちょっと形を変えて、毎月1個、1作品に絞って、
2人で語るというコーナーにしたいなと思って。
先切ってやっていこうかなと思うんですけれども、
8HOURS FOR:、これが雑談で毎月1回オリジナルプレイリストとして配信しているものなんですけれども、
チル・ワーク・スワックと8時間ごとに楽曲もミックスして、
偶発的な音楽とPODCASTエピソードの出会いというのを提案しているんですけれども、
という中で本日取り上げさせてもらうのが、
100×100という番組でございます。
これがたていし・じゅかんさんとちんしょう・なつようさん、
お二人でやられているPODCAST番組なんですけれども、
始まりが2022年の12月ということで、すごい最近始まったばかりの番組ですね。
あとタイトルがもともと違う名前で。
企業貧乏は眠らないという番組でしばらくされてたんですが、
100×100にリニューアルされた。
これはアップされた瞬間からやばいってなって、
もちろんずっと聞き続けている番組なんだけど、
僕も8Hours4のプレイリストにこの100×100を2回ほど入れているのかな。
そのエピソード、何で選んだのかのお話したいんだけど、
最近入れたやつが、シャープ027の40歳で死ぬっていうお話なんだけど、
これは珍翔さんのお友達の女性が40歳で死のうと思っているんだという切り口から。
03:00
これめっちゃすごくて、
珍翔さんのお友達が40歳で死ぬって決めてるって話から入って、
でもタイトルのインパクトと会話のどこに行くんだろうっていう掴みとしては、
すごいじゃん。
すごい。
自然体でゆっくり話してる雑談のような話なんだけども、
いわゆるまるで後世作家とかが作ったかのような掴みとも言えるんだけど、
多分そうは作ってないんですよ。
だから普通の気づきで話したエピソードトークなんだけど、
とにかくテーマとしてすごく面白いので、
この027番40歳で死ぬの会話おすすめなんだけど、
いわゆる人が言いづらいお話を信用してる友達から聞いた話として、
信用してる友達にお話をしてるっていうとってもいい関係の会話なんだよね、そもそもが。
そもそもがね。
ちょっとだけじゃネタバレじゃないですか。
その40歳で死のうと思っているという女性は、
ルックでお仕事をされていることで、
どうしても絶望的なまでに女性というのは4週で美を失うんだ、
みたいなことを言っている面白い友達がいるということなんですよね。
で、例えばこういう魅力もあるじゃないっていう、
いわゆる年齢に達した方の有名な方をいろいろ陳昇さんも言っていたらしいんだけど、
そういうことじゃないんだっていう。
でもこれ聞くだけでもどういうことどういうことってなるじゃん。
だからここから先はぜひ聞いてほしいんだけども、
こういう話ってさ、他で聞いたことないじゃんっていうのがシンプルな話、すごい。
じゃあこれが、例えばSNSでやれますかって言ったら絶対無理でしょ。
だし、例えばロフトプラスワンのようなステージでお客様がいる前で2人で語るものだったら、
こんな話はないじゃん。
多分トークの流れ方が変わってきましたね。
聞かれるものが意識されちゃうと。
だと思うんだよね。
だから要はクローズの場所で絶対非公開ねっていう形でのぶっちゃけトークってあるんだけど、
やっぱりステージとフロアの関係性っていうのがあると、
あの温度間でのあの会話には絶対ならないんだよね。
2人だけが話している。
で僕がよく言うさ、カメラがある時点で人はそこに視線っていうものを意識するので、
カメラを前にして話をすると話の質って変わるよねっていうのでいくと、
ポッドキャストってカメラの存在みたいなものがないので、
こういう話ほど、なんていうのかな、
2人でちゃんと話してるってなるので密度が段違いで違うんだよね。
それも難しいんですけどね。
06:01
で多分この後話すと思うんだけど、
これって心理的安全性だと思ってて、
どういう聞かれ方するのかっていうリスナーに対する心理的安全性もだし、
語ってる同士の2人の心理的安全性っていうのも大事だしっていう、
だからそこがなんか本当惑星直列のようにガチッとハマってないと、
こういうお話がこういうノリで世の中の人が聞くものとして出るって、
結構ありえないなと思ってて、
だから僕はこういうところにポッドキャストの可能性とか魅力をむっちゃ感じてるっていう。
だからこれは、なんていうのかな、
どんな角度から聞いてもこれ大丈夫だと思います。
今僕らがこうやって言ったから聞くでも大丈夫だと思うし、
突然ふっと耳に入っちゃってもこれ大丈夫だと思うし、
すごい質の高いエピソードですね。
これは結構5月のエピソードなので、最近といえば最近なんですけれども、
もう1個僕の好きなお話が、
シャープ004、かなり初期ですね、
の微生物と性格形成っていう話題を言っていて、
これは本当に知的好奇心をくすぐりまくるお話なんだけど、
これは塾安さんが今長野に、カルイザーかな、
拠点を移されながら活動してることもあって、
いわゆるこう、なんていうのかな、
微生物を幼少の頃に、
どれだけ触れとくかみたいな話。
なんかよくある話なんだけども、
これは聞いてほしいんだけども、
かなりアングルとして面白い会話がなされてます。
やっぱりアーティストだなって感じさせる、
塾安さんの捉え方。
いわば子供は自然で育てろみたいな、
安直な想像はいくらでもできるんだけども、
さすがBEとアートと哲学みたいなところに触れている、
突き詰めてる塾安さんならではの見方で、
いろんな角度からこの話をしてて、
これはもう知的好奇心くすぐりコンテンツだなっていう代表例だなって感じてて。
いわばこういうお話って古典ラジオを始めとして、
いわゆる本読みだったり学歴みたいなところで、
頭のいい人たちが語りがちな話題だったりするんだけど、
これをこの二人のようなアートやエンターテイメントに携わっている人が、
こういうテーマで知的な話題にするってなかなか珍しい。
アーティストってさ、一般的なイメージだと、
要は子供心を忘れてないみたいな、
あとより本能的なみたいなのを良しとされているような古いステレオタイプってあるじゃないですか。
09:03
ありますね。
なんだけれども、僕もアートに携わってるからわかってるんですけど、
アートをこの時代に自分の生業にするって、
相当なプロデュース力や言語化能力などがないと成立しないんですね。
それこそステイトメントが全てだったりするような世界だったりもするから、
やっぱり多様な知識を持っていたり、
あと自分の抽象的な発想をいかに具象化する、
しかもそれをまた言語で伝えたり、
あと言語を変えさせに気づかせるための裏のテクニックが必要だったりするぐらいなので、
やっぱり一流のアーティストって、こういう人文知に対する能力も非常に優れてるんですよ。
だからそこがすごくよく分かれてる。
受管さんの言葉を聞いてると。
アート文脈でどういうふうにこれを切り取っていくのかみたいなところで、
そういった気づきが得られる。
そうだね。アートを直接絡めて語ってないんだけど、
アーティストってここまで世界を捉えてるんだよっていう凄みっていうか、
こういうのってしぶちゃんも僕もデザインをやってるから、
デザイナーが言語化してきたようなニーズがここ20年ほどあったじゃない。
でも本来こういうことってデザイナーだけじゃなくって、
当然アーティストもやれてるしやらなきゃいけないしっていうところでいくと、
受管さんってこれ聞くだけでも相当レベルの高いアートをやられてるんだろうなっていう想像が瞬間につく。
それはポッドキャストならではなのかな。
やっぱりデザイナーよりもアーティストの方が自分がどういうことを考えてるみたいなものを発表する場ってないんですよね。
むしろそれ出すことが得か損かみたいなところのディレクションも入ってくるから、
アーティストの方って意外に聞こえない。
アートって自分の作った作品に対して載せた文章によるステイトメントが全てなので、
それ以上でも以下でもあっちゃいけないので、できるだけ言葉っていうものを外部に出すことって少なくしてるはずなんですよ。
だからその人の思考のプロセスやその人の人格みたいなものまで想像を呼ぶってなかなか機会がないんだよね。
それがこういうポッドキャストみたいな形で、彼の人格を含めた思考の広さみたいなものってやっぱりポッドキャストで、
これがテキストだったらまたできないはずなんですよね。
やっぱりフィックスした断言して切り取られる可能性のあるものである以上は。
相手が言って会話劇として成り立っているからこそ出てくる言葉となるんですよね。
今もそれを語れる陳生さんっていう、さっきの言い方と心理的安定性が担保されたパートナー、
12:04
語るパートナーがいるからこそできる会話だし、これもなかなか聞いたことがないというか、
この質のこのレベルの会話ってありそうでないですよっていう。
なのでこの2つは004と027はぜひちょっとこれ聞いた人は聞いてほしいかな。
まずこの100100という番組がどのようなものなのかっていうのがすごくわかりやすいです。
確かに確かに。
なんか語りしろはすごくあるなと思いつつ、
まあシンプルに語ることもできるし、おかげで語ることもできるしって感じで。
渋ちゃんはこの作品最初聞いた感じ、感想って率直にどんな感じだった?
確かそれこそ雑談で、めちくろさんにヤバイの出たよみたいなのを聞いて、
ちょっと聞いてみますって黄緑色の清美は眠らない当時のカバーアートを見て、
一番最初感じたのはスタイリッシュだなっていう感想でしたね。
そうだね。
かっこいいっていう。
だから初手からかっこいいっていうね。
よく僕らもポッドキャストって参入衝撃が低いこともあって、
スタートの時ってみんな様子見しながら固まらずに始めるじゃない。
なんだけどこの作品に関しても最初からかなりクオリティがキープされてるというか。
そうですね。
さらにちょっと足早になったらダメだぞと思いながらも、
聞き手を意識するそのボリュームというかが1話目からできてるじゃないな。
1話目ってさあということで、これを誰が聞いてるかわからないんですがという、
いわば本人ごとが10分20分話しちゃうんだな。
エクスキューズから相手が。
そうそうそう。
もちろんそれがあるんだがない。
そしてその一貫した主義やテーマが一番最新エピソードまでちゃんとつながっているので、
間違ってミスってないあたりもどこまで天然なんだろうなって狙ってるのかな。
でも狙ってる様子は絶対見せてない感じがあるしなとかも含めてスタイリッシュですね。
お二人のキャリアを調べてもらえればすぐわかると思うんですけども、
いわゆる他の世界でのクリエイトの一流の方々、お二人がやってるので、
当然自分たちがクリエイトするものに対しての意識的な部分っていうのは、
当然洗練されてるに決まってるって話ではあるんだけど、
15:03
にしてもポッドキャストっていう新しい場で何かを表現するときって、
かなり他のジャンルで違ったものをそのまま使えなかったりとか、
当て勘みたいなものを探ったりとかって必ずあるはずなんだけど、
やっぱそこもさすがっていうか、
わかってるなって部分と、やっぱセンスのいい人がやると、
こういうことに気づいて最初からできるんだみたいな、
だからやっぱその驚きと単純に憧れみたいなもの、両方入るみたいな、
すごい稀有な作品だなと思って。
そうですね、だからご自身のキャリアっていうのがもちろんものを言わせているっていうものは多分してあるんだと思うんですけど、
そうは言っても、きっともしかしてポッドキャストネイティブと、
ラジオネイティブが作るポッドキャストっていうのが一個語りしろとしてあるかなと思ったりして。
そうだね、作品内でも言及されてるんですけど、
ベンチマークに置いてあるものっていうのは明らかにポッドキャストから、
こういう形でやればいいんだなっていうのを感じたっぽいのはあって、
初期の頃からやっぱり花音姉妹のことを語ってたりとか、
やっぱり今のポッドキャスト界をパッと眺めて触れて、
自分たちのクリエイターでこうやろうっていうのを気づいたんだなっていう点からしても、
やっぱりラジオネイティブが始めるポッドキャストと、
やっぱり明らかに違うスタイルになってるなっていうのはすぐ感じる。
そうですね、僕なんでズブズブのラジオネイティブなんで、
ラジオを知って聞いて好きになって始めたのがポッドキャストなんで、
そこを突き詰めてしまっているのが僕だったりするから、
すごくドカンと殴られた感じを受けますね。
これは100%に限らずですよね。
最近始まった番組とかで圧倒的な、いわゆるラジオマナーと呼ぶとするなら、
それを踏襲していない番組の潔さだったりかっこよさだったり、
未来感だったりっていうのを僕も感じて、
自分のクリエイトにもすごい刺激になりますよね。
僕の言い方だと、ラジオって生で放送するものであったりとか、
僕の言い方だと大衆の生活の中に溶け込ませるものではあるので、
やはり面白さの質とか温度感みたいなものは、
僕の用語でいう風俗寄りというか、今。
文化と風俗でいうと。
文化と風俗を分けるとすると風俗寄りの今にチューニングした面白さとかかっこよさっていうのになっていく。
一方、ポッドキャストってやっぱりアーカイブであることとか含めて、
18:04
文化寄りのかっこよさの方を表現しやすいっていう点でいくと、
そこでも分かれるなと思っていて。
だから簡単に言うと、ラジオの方はお笑い人が多く活躍されているのが顕著なんだけど、
面白いっていうのがいわゆる笑えるとか、そっち側の面白いの価値ってやっぱり高い。
なので一方、ポッドキャストで有利なのはインタラスティングの方の面白い、興味があるとかの方の面白いが活かされるので、
やっぱりこういうかっこいいっていうスタイルは非常にポッドキャストの方が絶対やりやすいなと思っていて。
そうですね、確かに。
昔ってAMとFMでそこ分かれてたんだけど、言われ方が。
AMは前者、FMは後者みたいなこと言ってたんだけど、
FMの方っていうのもやっぱりラジオ的な方で言うと、
やっぱりそこからもはみ出るインタラスティングの方のかっこよさって、やっぱりポッドキャストはやりやすいなって感じるよね。
そうですね、暗直にここ表層などって言っちゃうので、100×100はFMっぽいよねみたいなことを言っちゃいがちなんですけど、
決してAM、FMっていう軸ってもうなくなっているわけで。
全然違う。
そうですよね。
言うてFMのかっこよさって、少しカリカチュアの効いたというか、
フィクションに近いぐらいの、当然JWAVEが県庁なんだけど、バイリンガルの方が、
要は洋楽しか書けないと言って始めたJWAVEのように、
そういう雰囲気、ちょっと異世界観みたいなかっこよさでもあったりしたんだけど、
やっぱりポッドキャストでかっこいい人たちをバーッと眺めて抽出していくと、
なんかもっともっと違う種類というか、しかも長さとか、どうですかこの自然体みたいな、
そこが許されているというか。
だから冒頭に僕が言った、聴き手をどこまで意識するのかしないのかみたいなチューニングとつながってくるんですけど、
なんか最近聴いていて100役をもちろん聴いていて思うのは、
この自然体のトークの魅力っていうのが改めてというか、かっこよさにつながっているのかなと。
間違いないね。
思いますね。
自然体っていうのは、なんかよくポッドキャストを表するときに、
ファミレスの隣の会話みたいな、そういう自然体を表すような用語もあったんだけど、
そこにかっこいいっていうレンズで眺めたときの自然体ってまた全然違うスタイルがあるので、
100役とかのかっこよさの中にある自然体って、
21:01
ちょっと注目しなければいけないし、
僕らは普通にいいな、かっこいい会話ってなんだろうねっていうのをすごく考えちゃったっていう。
それはポッドキャスト問わず、会話がかっこいいってどういうことかなって。
今までっていわゆるオールナイトニッポン的な、
ブンブン振り回すかっこよさみたいなものって1個あったと思うんだけど、
会話の面白さってもっともっといろんな種類があるんだとしたら、
今僕らの言ってるような自然体のかっこよさみたいなのってやっぱり絶対あるなと思って。
絶対ありますね。
そこで残酷なくらい差が出るって言ったら変だけど、
かっこいいってあるよねって思って。
メチクラさんとこの前に喋っていたときに、
僕がハッとした、気づかされたのは、
聞けちゃうんですよね、自然体なんですよね、なんなんでしょうね、かっこいいですよねって中で、
テンポをひとつしばしば上げていて、
めちゃくちゃテンポがいいんだよね。
でも、え?ってなって、
すごくローな、しっとりとした感じに僕は受け取っていたので、
どういうことですか?って聞いたら、
お二人のセンテンスが短いと思う、とても。
だから、どっちかがガーッと喋ってボソボソ、ガーッと喋ってボソボソっていうのではないからこそ、
聞きやすいっていうのがあると思うよって。
確かに思って。
普通にかっこいいなと思うのが一つに、知性ってあるじゃない。
知的な会話ってかっこいいよね。
知的な会話はかっこいい、それはわかると。
でも知的な会話って難しかったりとか、一人よがりだったりとか、
あとはカタカナ用語でマウント取るみたいなのを含めて、
いろんなかっこいいとは外れた欠点ってあったりするんだけど、
その中で知的な会話って何がいいんだろうってちょっと分解して考えたときに、
要は相手が話してるときに頭で想像して、
そこに対して重ねる言葉がすごく具体的な比喩だったりとか、
あとはその相手の会話をただいいねとかツッコミのように返すんじゃなくって、
そこに重層的に積み上げるような言葉を返せるっていうことが知性の表れだと思うんだけど、
それがいかにちゃんとキャッチボールされてるのか。
だから知的な想像をちゃんと交換できてるっていうことは、
おそらくかっこいい知的な会話なんだと思うんだけど、
そこでよく陥るのが、一人が話すパターンが長すぎる。
要は話したいことを具体的にすればするほど、
知的な会話ってやっぱり長い説明になるので、
24:01
一人のバトンが長くなりがちなんですね。
そうですね。
なんだけど、この100100ってすごくローなテンポで、
すごくしっとり話すっていう、しるちゃんが言ったような通りで、
実はすごくゆっくりしている会話に聞こえるんだけど、
実は会話のバトンの交換自体は早いんですよ。
早いんですよね。
それがなぜできるかっていうと、やっぱりお互いが知的能力が高いので、
話している間にその次の返しっていうものは、
やっぱり具体的にすぐ浮かんでいて、
相手の言ってるセンテンスの後にすぐ重ねても、
十分報酬できる。
やっぱりそこはスキルの部分というか、
能力の部分として絶対あるなと思っていて。
知的インテリジェンスみたいなものが、
ともすれば難しい言葉、カタカナみたいな、
よく最近言われているものではなくて、実際。
思うことを紡ぐまでの単なる接続詞みたいなところに、
その人の人となりだったり、
相手を思いやる気持ちだったりがかいまみえた瞬間、
すごくこの人って知的だなって。
例えば、受鑑さんがどのシーンだったか忘れたんですけど、
審証さんの言葉を受けて、
なるほどね、つまりは、
ごめん、つまりってことは要するにないんだけどって、
ちゃんと言える感じ。
あの感じって出ないんですよ。
言っちゃうんですよ。
相手を要約してしまうかのような言葉で繋いじゃうんですよ。
それを一旦一時停止できている感じとかが、
ものすごく効いてて心地よくて、
同じ大人としてかっこいいんですよ。
それが自然体なんだなって思ったりして。
だからちょっと自然体って、
要はオフモードで話すってことに聞こえると思うんだけども、
テイストはオフモードのように語られてるんだけども、
集中力とか読解のスピードとかっていうのは、
明らかにオン、がっつり入ってる感じ。
そこに関してはやっぱりこうやって人様に提供して、
人が聞くに値するコンテンツになる、すごく大事な部分で。
だからリアルタイムで彼らは会話中の読解力っていうのも超速でやってるし、
あと自分の発言して放った言葉がどういう意味を持つのかっていうことに対しても、
敏感だからさっきのような修正がリアルタイムでできるしとか。
あるいは自分はこう思っているのをぶつけ合いでもないんですよ。
どんなエピソードだったか。
最初はこう思って言ってたけど、
その言葉を受けて議論していくうちに、
こうだったかもっていうことまですごくパッケージとしてまとめられているから、
そこに嘘がなかったりとか、
画を通すみたいなものもなくて、
ちゃんと会話として成立している様もかっこいいし、
27:01
なんだろうあの感じも、あ、鹿がいたみたいな。
ちょっと待って、やばいみたいな。
カルイザー収録の時。
そうそう、鹿がいて止まる感じとかもおしゃれなんですよね。
かっこいいよね。
これはポッドキャストに問わず、限らず、
普通に言えることなんだけど、
知的であるって、要は何かの物事を会話する時の引き出しが多いっていうことでもあるじゃない。
だからそこはやっぱり敏感さんも陳翔さんもやっぱりすごい膨大な、
すごく広いジャンルの知見を持っていて、
それを一つのテーマで語っていきながら、
いろんな引き出しからお互い出し合って、
それが応集されてって積み上がって、
ある二人の気づきに至っていくみたいな、
それ自体がそもそも気持ちがいいというか、
いわゆるストーリーで言う希少転結のような、
こっちが乗っかってって積み上がって変化していくこと自体を楽しめるので、
立派なストーリーになってるっていう、
それを自然体の会話の中でできるって、
それがかっこいいよね。
これなかなかできないんですよ。
他の例で言うと、超相対性理論とかタクラムレディをやってる、
タクラムの渡辺幸太郎さんなんかはそれがすごく上手で、
声の音とかも近いんですけど、
その上で彼はやっぱり本とかからの引用、
膨大なインプットを持っている人なので、
すぐ会話の中からこんな例があるっていうのをすぐ引き出しを出せるっていうのは、
あれは見事にかっこいいんですけど、
だからそれに近いというか、
樹冠さんなんかはほんと哲学とかアートの方から引用するのすごく上手だし、
純祥さんとかはやっぱりマーケティングとかエンターテイメントとかすごく精通されてる方なので、
そういうとこから自然に持ってくるし、
だからかなり抽象的なテーマだったり、
結構危ういテーマ、
初期の頃とかも意外と危ういテーマを持ってきてて、
そういうのを持ってきても、やっぱり知的な引用みたいなものが積み上がるので、
すごく安心して聞けるというか、ハラハラしないんだよね。
ここでもう1個語りしろとして持ってくるとするのは、
男女であるっていうのも1つあるかなと思ったりもして。
これは僕らの言うかっこいいという、
本能的な感覚からすると絶対逃げちゃいけないポイントで、
やっぱり男女であるっていうことは結構でかい。
この前、ノーズノーズや山田玲司さんのバックガイビッツの時でも、
男女コンビっていうものについて少し語ったんだけども、
男女コンビだから出せる魅力ってあるよねっていう。
ちょっとここで、いわゆる政治人としての云々とかジェンダーとかっていうところは当然あると思うんだけど、
ちょっとそこは置いといて、
男女が語ってるっていう時点で生じるバイアスとか、
前提にしてかっこいいかどうかっていう話がすべきかなと思ってて。
30:04
普通にさ、男女が会話をするってどの中で言うと、
いわゆる恋愛とかそういう2人の関係性みたいなのを念頭に置きながら会話が成立するっていうバイアスがかかるので、
そこって意識しなければいけないポイントだったりするじゃない。
ただ、男女が興味のある会話を対等に語れてるっていう時点で、
それってすごくいいことじゃん。
私、そんな時間ってすごく素敵じゃんって言うだけでも、
男女がこういう会話をしてるのってすごくかっこいいし美しいし。
単純に身体的特徴として男性の声色と女性の声色が紡いでいく会話っていうのも、
一個音色として気持ちよかったりするから。
間違いない。
そこはやっぱり切っても切れないなとは思いますよね。
これってどういうことかっていうと、
ちょっと今僕言ってるのって勘違いされると非常に危ないので補足すると、
心理的安全性がどこに置かれる会話なのかっていうことがやっぱりすごい大事で。
例えば、
聞いてる人か。
いや、両方だね。
聞いてる側も語ってる側も、
パートナーのポッドキャストってあるじゃない。
そういう男女っていうのもあるんだけど、
それって心理的安全性のありかが明確じゃない。
パートナー。
要はプライベートもパートナーだったっていうのがあるから、
そこを前提に聞けるので、聞く側も心理的安全性がある意味担保されてる。
この番組に関しても、
僕はすごく心理的安全性を感じるんですよ。
それでどういうことかっていうと、
シンプルに言うと、
陳翔さん、女性の側がその会話の内容自体にずっとフォーカスし続けてるし、
どっちかがリードしてる関係じゃない会話であるっていうことがすごく大事。
前もちょっと言ったんだけど、
男性が語りたいことを女性アシスタントがフォローする形って、
すごく僕にとっては心理的安全性が担保されない番組なんですよ。
バランス的にどう聞いていいのかわからない。
特に女性側の人格っていうのをどう捉えてこの会話を聞けばいいかわからないっていうところで、
聞く側の僕としてはちょっとハラハラするんですよね。
で、いくと大前提としてお互いが対等に語ってるっていう、
そこの部分はすごく大事で、
そこさえあればジェンダーとかってほぼ関係がない。
そうですね、確かに確かに。
で、男女でその形を作るのって意外と難しかったりするから、
コア色の相性としてはすごくいいのになかなか成立しづらいってそういうことかなと思ってて。
33:04
そうですね、そこがなんでしょうね、
本当性別とかそういったものじゃないところで対等に話ができているからこそ、
性別が違うことがちゃんとアドバンテージに機能したトークが作ることができるみたいな。
なんかその場合女性ってどうなのとかが自然に聞こえてくる。
男性ってこういうときどうなのっていうのがそこでやっと機能するみたいなのは感じますね。
だからやっぱりそこの前提の信頼関係がないと、
多分語れる幅も絶対狭まるはずだし、
そもそもがお互いの話し方とかテンションに必ず影響するんだよね。
だからそう考えるとかなり部粋な分析になっちゃったんだけども、
そもそもそれが担保されてるから気持ちいいんだけどなかなかできないからさ、こんなんって。
もちろん2人の相性だったり関係性はあると思うんですが、
この番組は陳昇さんを誘って始めたんですか。
言ってましたね。
その段階でだからね。
そこのイメージとか当然あって始めてるんだろうし、
それがなかったら絶対やらないはずだし、
どう聞かれるかなんてこの人たちのキャリアからしたらすぐにわかることなので、
だから聞いててすごい安心できるんですよ。
ちょっと自分たちの話をしてしまうと、
メチクロさんがやってる番組ランドリーも女性と男性の構図ではあるじゃないですか。
やや同じスタンスかなとは僕は感じました。
それで100役を聞いたときの感想としては、
それでも同じ狙いがあるのかなみたいな。
狙いっていうか、
立場の違う人と社会的な問題も含めて気軽に話せるって、
なかなか他の媒体だとできないんですよ。
要は自然体で語る言葉を世の中にリリースできる場所って、
僕の考える限りYouTubeとかでもないし、書籍とかでもないし、
って考えるとポッドキャストってそこが唯一やりやすい場所だなと思ったところで、
僕はプニプニ電機っていう素晴らしいアーティストと2人でやってるんだけど、
なんか当然男女に聞こえるポッドキャストであるっていうことが表立ってる以上は、
そこに関してはすごく意識的だよね。
なんかね、そういう意味では分かるね、100×100のやってることの難しさと、
36:06
良さをどこで捉えるのかっていう、センスの部分がどこに現れるのかっていうのは、
僕もやってるので分かりますね。
僕なんて男性としか喋ったことがここにないから。
やってみたいって思ったことは。
めちゃくちゃありますね。
で、いざやろうってイメージすると、
相手も含めてやっぱりそこってかなり難易度高いのか。
すごく個人的なわがままなことを言わせていただくと、
まさにそうやって対等に性別ってものを置いて話ができる女性とまだ出会えていないんだなとは思います。
かっこいいにつながるのかもね。
本当そう思うんですよね。
もちろんそういう方いらっしゃるんですよ、知り合いとか。
でもポッドキャストやろうって話が全然また変わってくるので、
本当にプロポーズみたいな感じになるので。
よく言うもんね、お笑いでも相方っていうのがプロポーズと言う。
やっぱりそのぐらいの意味を持っちゃうっていうね。
だからパートナーだったらポッドキャストはそこの時点でプロポーズ的なものがなされてるからっていうのもあったりするんだろうし、
相性みたいなものは事前にクリアされてるからっていうのはあるんでしょうけど、
いわゆる他人と言ったら変だけど、友人なのかっていう。
そこでこういう会話に責任を持つ同士でやるっていうのは確かにハードルは高いのかもしれないよね。
なぜなら友人として友人と語る番組を作りたい、
それが僕の場合だと同性とばかり作ってきた中で、
やっぱり女性と語るからこそ出てくる問いだったり、
なんか帰結する答えみたいなものも絶対あるんですよ。
どうしてもおじさんとおじさんがしゃべって正しいことを言ったところで、
おじさんとおじさんがしゃべって導き出した答えになっちゃうんですよね。
そこって残酷な場面やっぱりまだまだあるのね。
なんかやっぱりすごく今繊細なお話をしてると思うんだけど、そこはあると思うんだよね。
だから逆手に取るというか、今現在必要以上に叫ばれているジェンダーの話、
界隈の話っていうところで敏感になっている。
なんかそういった辞任がない人まで、こういうのって言っちゃいけないんだっけ、いいんだっけみたいなことに敏感にならざるを得ない中で、
この100役の2人の中のエピソードで紡がれてる言葉って、
なんか逆手に取っている感じを僕は受け入れて、もっと上手く言いたい。
そこにね、エクスキューズ本当に入れてないんですよ。
私はこう思うみたいなところで、普段周りだとこう言われてるけどとか一切なくて、
単なるそこにあるのはスタンス表明だけで、それを信頼し合っている2人がしゃべっているから、
もう口を挟む余地がないんですよ。
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そう、だから野望。
そう、野望なんですよ。
相手にそれを言わせたら相手が野望になるよって、もう圧倒的にかっこいいじゃないですか。
そういうことなんですよね。
これをね、ポッドキャスター音声コンテンツを作っている身として、
こういう番組ってどうやったら作れるんだろうな。
自分がしゃべるんじゃなくても、誰かがしゃべるときにディレクションする立場としても、
どういう、それこそ進行台本だったり、最初のプレゼンだったりで、
どういえば目の前にいるお二人は、なるほどこういうことねって腹落ちしてくれるのかっていうのが多分課題だなってこの百々を受けて。
だからこの番組が成立している時点で、いろんな何だろう、いろんな難解なものが積み上がっているはずなんですよ、本来。
これをゼロから企画として作ろうとすると、これって絶対積み上がらないぐらい難解なパズルなんですよ。
一個あるのは確実にあるのは、二人のタレント性ですよね。
もちろんそれはもうお二人しか作ることができないものっていうのは前提としてもちろんあるんですよ。
あるんですけど、それを認めちゃったら、もう本当に松本ひとし以外の笑いは認められないみたいなものになるじゃないですか。
でもさ、本当かっこよさの残酷性ってそういうことだと思ってて、だから結局彼らの人生や経験したものや彼らが人格としてどういう信用を獲得してきてるかによって、これが成立するかしないかってやっぱ決まるじゃない。
みたいなところも含めて、そこが自分たちだと難しいなって感じるからかっこよかったり憧れたりっていうロックスターとか、今回は声のコンテンツだけど、
ロックスで戦ってる人たち、例えばモデルさんとか芸能人さんみたいな人たちも、あそこも残酷な、ロックっていう美しさっていうものを身体によって表現されてる方特有の企画で積み上げたからできるものじゃない何かってあるじゃない。
人に言ったら天性のっていう言い方をしたりするよ。だからそういう部分を含めて、やっぱり総合芸術になっていくんだよね、結果的に。
だから持ってない僕からすると、いいな、こんなのかっこよくって最高じゃん、こんなのできたらって思うんだけど、じゃあ自分ができるかできないかってことは、やっぱ自分が培ってきた人生みたいなものを照らし合わせて、そこって選択せざるを得ないものになっていくわけだし、だからそれが個性かなとも思うっていうかね。
確かにそうですよね。
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だからきっとこれってさ、プロデューサーサイド、企画としてこういうものを量産するっていうのは絶対不可能だと思うんだよね。だからポッドキャストだなって思うっていうか。
いやでも欲しい、エッセンスが欲しい。
わかるわかる。
なんかただかっこいい、やっぱり自分たちもっていうのはありますよね。
ただそこで渋ちゃんもやっていることの共通点でいくと、カバーアートやBGMやジングルあと音質みたいなのに対するクオリティで作るかっこよさって、
彼らも、ジュガンさんの能力が大きいんだと思うんですけど、彼らも当たり前のようにハイクオリティなものでやってるんですよ。
そこは渋ちゃんも当然、それこそこの十数年選手の中ではかなり器用なレベルでやり続けてるじゃない。そこでかっこよさで一個できることだったりするので。
そうですね。
ただそこにプライドを持ったり、そこの技術っていうものを使ってかっこよく表現するっていうこともある意味技能なので残酷な部分が一個だったりするじゃない。
ただ訓練でどうにでもなる要素なんで、そこは救いがある気がしますね。
ただそれが必要だって誰も聞いてない時期からやってるって、やっぱり渋ちゃんの天性のセンスだったり、渋ちゃんが培ってきた人生から生まれる美の基準なんだよね。
僕はそこをざっくり文化教養みたいな言い方をするんだけども、やっぱり日々の人生で自分に培っている文化教養みたいな質ってあらゆるかっこよさにつながっていくので。
だからそこの選択を間違いでなくていい選択しているものほど当然かっこいいになっていくし。
それは自然体っていうキーワードにつながるかなと思うんですけど、なんかそのポッドキャストをやる時間っていうのと普段過ごしている時間っていうものがリニアなのを感じるんですよ。
なんか収録だ、だからこう気負わなければみたいなものっていわば不自然であって、なんか話すネタがないとか、中でもね100々のお二人もそこに元気をされてますけど、そこがね、そこも自然体なんですよね。
生活の中にポッドキャストがあって、それを抽出してエピソードに落としてるからかっこいいというか、なんか無理してない感じというか、もちろんわかんないですよ。めちゃくちゃ無理されてるのも知れないんですけど、月1回収録でみたいなことも。そこいいな、かっこいいなと思います。
だから日々の生活の中で自分たちの文化教養を高めるような生活をしてるわけですよ。日々触れてるもの、見聞きしてるものっていうものをちゃんと自分たちらしくやってるからこそ自然体で語る言葉の中の引用にいろんな複雑なものも持ってこれるし、美に関するものも持ってこれるしってことでいくと。
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だから蓄積みたいなものがこんだけパーッと魅力としてあふれてるのって、やっぱり彼ら彼女の生き方そのものだなっていう意味で言うとコピー不可能だし、簡単にTipsでなんとかなるようなスキルの種類じゃないよって。
でも僕そこはここはTipsとして持ってこれるんじゃないかと思った派なんですよ。
っていうのは日々過ごしていて思ったこととか感じたこととか体験とかっていうのをマイクをオンにした時に喋ればいいだけであって。
でまたマイクをオフにしたらまた次の収録に向かって見聞きしていく作業これを生きると呼ぶならば、ポッドキャストってもしかしてずっとマイクの前にいるような自分で誰かに聞かせるときだけ録音ボタンを押すみたいなようなマインドで日々を過ごすだけで続けやすくなるみたいなものもあったりするのかなと思ったので。
でも結構今のラジオ的に聞こえたいい意味でね。
ラジオの人も毎週やってるとネタがなくなって大変だぐらい話すじゃん。
特にああいうお笑いの方がやってる深夜2時間とか3時間の番組ってその週起きたことを面白いエピソードトークで話すみたいなすごいハードルでやられてる。
毎週面白いことが起きませんもん。
だからそれを例えば今回のこういう種類のポッドキャストに置き換えるならば息を吸うかのようにこういう会話がするための日常を送ってないと多分出てこないはずで。
毎週の収録のためにネタを探して集めて準備して調べてってやってたら多分こういうものはできないし。
逆に台本あるような方でしか、構成作家さんがやるようなやり方しか無理でさっき言った自然体とはどんどん遠くなるはず。
ということでいろいろ語ってきましたけれども、何かちょっとまとめ的な感じで締めていきますか。
あのね、俺はかっこいいポッドキャストって可能性あるのでもっと増えてほしいなと思いつつ、かっこいいポッドキャストを目指して作ってみるっていう欲はもうちょっとあった方がいいかなと思ってる。
さっき渋ちゃんがさ、エクスキューズをしてないって言ったじゃない。あそこが全てなんだけど、ポッドキャストってさ、いろんな言い訳を自分にもつけれるし聞き手にも委ねられちゃうからこそ見えとかぐっとこらえるとかっていうものを発生させづらいんだよね。
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解放させちゃうんですよね。
それがよかったりもするじゃない。ぶっちゃけに繋がるんで。ラジオなんか特にそういう良さもあったりしたんだけど、やっといつ自然体をいかにかっこよく見せるのかっていう少し、なんていうのかな、伊達の部分みたいなものって意識するだけでポッドキャストでもできるって彼ら証明してるんで。
僕はそれは個人的にはすごく意識してることは、ポッドキャストって何喋ってもいいんですよ。何話してもよくて、だからこそこれは喋らない、これは言わないってことを意識的にしてるんですよね。
で、そこがかっこよさとかセンスがいいように感じたりとか、なかなか言語化できない他との差別化、自分の番組のね、っていうものにつなげていってはいるんですよね。それをやっぱりすごい新しい切り口で100×100は展開されているだろうからこそ身が引き締まるし、またまだ自分もいけるなって思う。頑張らなきゃっていうかなんか。
そう、だからキキカイカイなんか見てても感じるし、それこそトークなので、あっけらかんとした雰囲気っていうのは必ず乗るんだけど、その中に内包してるプライドとか、シェフちゃんの言う言い方と言わないこととか、ここを見せる。
これをこういう見せ方で見せるみたいな意識って、磨けば磨くほどいいに決まってて、それがずっとさっきから話してるかっこよさのお話かなと思ってて。
あとはなんか僕はそこに番組っていう呼び方と作品って呼び方の違いみたいなものも垣間見るんですよ。
そうだね、前も言ったけど僕もアワードを立ち上げるにあたって、ポッドキャストを何と表記するのかのところで番組じゃない作品だねっていう話もしたの、まさにそういうことなんだけど。
やっぱこう残っていくっていうことの意識があった上での。
アーバイブされていく。
あった上でどこまで中を出すのかみたいなところが大事だと思ってて。
要はさ、かっこよさっていう言い方してもいいし、色気っていう言い方してもいいんだけど、やっぱその隠れてる部分に色気が漂うんだとすれば、そこのどこを隠す場所として意識してるのかって色気なはずだし。
そうですね、このひゃくひゃくは色気が満載。
もう色気だらけだよね。
だらけ、アートワークからして。
ただここは何度も重ねて言うけれども、その色気っていうのがいわゆる野暮な冠から来る男女のなんとかじゃないっていうところが圧倒的に知性的でかっこいいんですよ。
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これってなかなかできないからこそ人を憧れさせたり、かっこいいなって唸らせる何かになるっていう。
ね。
ということなんです。
うちはこうやって語っちゃってるんでもうすでに野暮なんだけど。
でもこういうのっていいよね。
こういうのがポッドキャストの、僕は書店の棚って呼ぶんだけど。
こういう作品が棚に並んでるポッドキャストを書いて、すげえかっこいいよねって思うっていうか。
だからこの時間ももしかして書店員さんのおすすめっていうようなスタンスなのかもしれないですよね。
なんかより本を好きになってもらいたいとか、作家を増やしたいとか、そういった感覚で僕らも喋らせてもらってるんですけど。
音楽で言うとさ、ジャケットを部屋に面出しして飾りたいジャケットと棚差ししたいものとって別れるじゃんっていうのでいくと、
自分の部屋にジャケットアートをパンって置くんだとしたらこういう百々みたいなものを置きたくなるよねっていう。
そういうものがもっともっと増えていくとさ。
そうですね。見方が変わってきますね。
書店の平台がこういう作品が並んでたら超かっこいいよね。
もっとかっこつけていっていいかもっていうね。それだけじゃないしね。
で、あとかっこつけてみないとかっこいいものと自分の差ってわかんないし、かっこいいから逃げるというか避けたらきっとそこの魅力って、
受け手としての感度しかやっぱり高まらないので、
表現されてる方でかっこいいっていうものに興味があったり自分にそこに期待をしてる人がいたら、
なんかもっともっと意識的になってもいいんじゃないかなって思うね。
そうですね。で、かっこよさっていうのも本当にいろいろあって、
なんかなんだろうね、本当にダサかっこいいとかあえて言葉にするとそうなんですけど、
なんか一見なめられた感じ、かっこ悪い感じに見せつつの軸として、
でもかっこいいよねって立て合わせることって僕はできると思って。
いや、絶対そうだね。
なんかね、そこにはやっぱり美学が各々作っている人もあると思うんですけど。
いや、本当そう思います。
ただやっぱり自分が意識できるところは多ければ多いほどそこは美しくなるので、
で、その美しいの基準がいわゆる世間でありていに言うBである必要はなくて、
自分らしさであればいいと思うんだけど、ただそこまで自分で磨き上げられるんだとしたら、
磨いた方がいいなと思いますね。
いや、本当にそう思いますね。
あの、開業一つのバランスまで僕やってるんだよ。
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概要欄の。
気づいてないと絶対そんなところ。
僕が気になるんだよ。
丸をつけるのかっけないのかって。
そうそうそう。
なんか本当さ、こだわりをさ、こだわってますっていうのほど野暮なことじゃなくて、
だけど、いいなって思うのもほぼ全てはもうこだわりの極みなんです。
知っちゃってるからこそね。
そこが意外性があればあるほど個性があるようにユニークに見られるわけだし、
それがさっき言ったBの基準は一個じゃないっていうことのすべてで。
なので、本当日々生きてる生き方からつながるよねっていうさっきの話とイコールなんだけども、
自分が表現してるもののどこが自分が美しいと納得してるのかは、
至る所に興味持った方がいいと思いますよって。
客観的視点を常に与えつつね。
でも本当に僕はポッドキャストに長く関わってきて、
こういう百々のような作品が出てきて聞けるっていうことにすごく嬉しいし、
純粋にリスナーとしてファンなので、
いいよね、こういう僕の1週間の中の30分はこういう美しいもので埋められるわけなんで。
最高ですね。
ということでまた次回も。
ちょっとかっこいい回はもうちょっと語彙を増やしたいです。
また何かピックアップしてご紹介したいなと思います。
本日は縦石塾館さん、新庄夏代さんによるポッドキャスト番組100々をご紹介いたしました。
ありがとうございました。
この番組は東京東中野にあるクラフトビアバー雑談で収録しています。
厳選されたクラフトビールとこだわりのスパイスカレーを楽しみながら、
世な世な繰り広げられる雑談に参加したい方は概要欄をチェック。
では次回の更新をお楽しみに。
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