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2023-07-18 1:02:29

#25 | SESSION「傷つけかたのメソッド」by 毎日映画トリビア(PODCAST 深めるシネマ) & Mechikuro〈収録:2023.7.7〉

from 雑談【SESSION】では、雑談にお越しいただいた方との偶発的な"雑談"を不定期にお届けします。(収録 2023.7.7)

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【毎日映画トリビア/PODCAST 深めるシネマ】
映画情報発信アカウント運営者『毎日映画トリビア』と、その幼馴染『Tomohee』の二人が、毎回一本の映画について語らい、映画の見方を深めていく “徹底対話型” ポッドキャスト番組です。作品の魅力はもちろん、映画から見えてくる人生観まで、じっくり話し合って深めていきます。映画は見るだけじゃもったいない!<火曜日夜更新> https://eigatrivia.com/

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【Mechikuro】
マンガ・オーディオ・アート・クラブミュージックなどの第一線で、分野横断的に活動するクリエイティブディレクター。グラフィック&プロダクト両面のデザインのみならず、編集&ライティングからブランディング&プロデュースまで多様なスキルセットを駆使する。これまでの経験と知見を活かし、『JAPAN PODCAST AWARDS』では創設メンバーとして、2019年創設〜2021年まで3年に渡り理念&審査レギュレーション設計、選考委員選定、ノミネート作品選考、グラフィック&トロフィー造形など中核業務の全てを担当。作品選考作業においては、年間平均2000作品・2000時間強に及ぶ聴取・リサーチ・分析を行い、アワードという一つの基準において、国内ポッドキャストシーンの可視化とクオリティの定性評価に寄与した。 現在、自身のポッドキャスト作品としては、ぷにぷに電機と共に制作する『LAUNDRY AM』を配信中。 『雑談』では、より広く、より深く、音声作品の可能性と魅力を伝えるべく、さらなる能力を解放する。https://bit.ly/Mechikuro

00:00
セッション
結構久しぶりに飲みに行こうみたいな話をしてて、
じゃあ、どこ行こうかってなった時に、その相方が、「ちょっと1個行ってみたい、気になる店がある。」って言って。
「え、何それ?」って言ったら、この店。
ポッドキャストバーって。
何それ面白そうって言って。
今朝、あれか、あの最初の日か。
最初の日です。
そうですね。そんで、そんなに混んでなかったから、お話結構できて。
で、「何やってんの?」って話で、ツイッターでトリビア、深めるシネマ。
毎日映画トリビアっていう、映画のトリビアをひたすら発信するアカウントをやってて、みたいな相談しましたね。
そうだよね。
で、何かその話の流れで、
だったらポッドキャストとか、こういう利点があるから、良いと思うような話をした記憶がある。
そうですね。僕も覚えてます。
全然、ポッドキャストのポ文字もよく知らないまま、
ふらふらっと来て、で、何か、今結構ポッドキャストは来てるみたいな話とか、
何か、梅地黒さんにも会って、何か会ってそうだね、みたいな話をされた覚えがありますね。
そっから番組を始めた。
で、タブラ化されて、今二人で始めたって。
今収録して、このテーブル、マイクがあるテーブルに何か座らされて、
あ、似合ってますね、っていう。
七五三の子供の写真撮影みたいな、飴も出されるみたいな。
ポッドキャスターっぽいって感じ。
そうそう、良いですね、みたいな。
ヘッドホンしますか、みたいな感じでおだてられて、
まんまと、次の週には何かもう撮ろう、みたいな感じになって。
そう、そんで、何か始めたって、本当に始めたって言うから、
当然楽しみで聞いたら、
何か普通に初っ端から良くって。
本当ですか?
何か別にさ、教えるとか教えないとかなくてもさ、
元相方さんも、いわゆるこういう機材とか強いし、
あとトリビアさんの、そもそも自分でメディア発信してた技量とかもあったんだと思うんだけど、
何か十分に普通、一発目からああいうテーマありコンテンツを完成させるって、
そんな簡単じゃないと思うんだけど、
全然普通に最初から出来てて、
それで向いてるなっていうのは感じて、
そっから、もうちょいで1年?
そうですね、だからこのお店と同じタイミングで1年ぐらいになります。
03:04
すいは曲折だな。
そうなんですか、いろいろ、1年の間にこんなにいろんなことがあるみたいな。
いやでも、ちゃんと続けられてるのもすごいし、
当然クオリティもどんどん上がってるし、
本当ですか?
いや、何か素晴らしいというか、素晴らしいなっていう感想しかないんだけど。
ありがとうございます。
それで、まず聞きたいのは、
今までTwitterアカウントで映画のトリビアを毎日語るっていうのをやってて、
いわゆるテキストと画像と、あと一部YouTubeみたいなスタイルだったところから、
音声だけっていうのをやってみて、
何かやってる側としての感覚の違いってありました?
そもそもやってることが同じとはあんま思ってなくて、
Twitterっていうのは本当に情報をひたすら投げるっていうのを、
ある意味実験的にやり始めて、意外と好感触だったから続けてたんですけど、
そっから派生してYouTubeしたときも、やっぱり情報をメインで行こうってなったんですね。
で、一方、それ以外の自分を出すみたいな場が本当になかったんで、
ポッドキャストをやるにあたって、
ポッドキャストで情報だけって多分難しいんじゃないかなって僕は思ってて、
やっぱ普通につらつら情報だけ喋ってるのは、ボット感が出るじゃないですか。
で、相方がいるっていうのもそうだし、
だから、もっと自由に、本当は僕が喋りたいこととか、発信したいことするのにすごく適してるなと思ったんで、
延長線上ではあるのかもしれないですけど、
あんまり同じことやって、ポッドキャストというツイッターで違いがはっきり見えるとかではなくて、
本当に新しいことを始めたって感じではあります。
じゃあ、手応えとしては全く同じじゃないっていうのがありつつ、
楽しい、楽しくないっていう意味での手応えだと、ポッドキャストやってみてどうでしたか?
ポッドキャストのほうが全然楽しいですね。
のほうがとか言っちゃダメ。
まあまあ、でもそれはそうだよね。自分を出すっていう。
情報を投げるといろんな人が喜んでくれるっていうので、ツイッターとかもやってたんですけど、
なんかこう、やっぱり喋るの、僕結構多分好きなんだと思うんですよ。
06:02
で、相方がいるっていうのもあって、楽しさは本当にポッドキャストのほうがありますね。
なるほど、なるほど、なるほど。
で、なんか話すの好きだなっていう感じは聞いててもすごい感じるんだけど、
当たり前だけど、トリビアの情報を出してるのではやっぱり言い足りてないというか、
全く出せてない思いも含めた大量のストックがある人だなっていうのが感じる。
今まで縛ってたものが出てるってことですよね。
で、逆にプライベートで、そういう映画の感想とか議論みたいなものって頻繁にする人ではあった?
いや、発信ですよね。ウェブ上とかに。
ウェブ上問わず、普段映画を見終わった自分の湧き上がる思いを会話で発散するっていうのはしてた?
あんまりしてないと思います。
あ、それであの、なんか…
喋りたくてしょうがねえ感が…
確かに出てたのかな?
出てくることなのかもね。
だから本当に楽しそうなんだよね。
会話の内容や起きてる現象は楽しくないようなことも起きているのかもしれないですけど。
なんだけど、そもそもが熱意とか、思いを伝えたいという気持ちみたいなものが下がってるのを一回も聞けたことがないから、楽しいんだろうなっていうのは感じて。
題材選びからやっぱり選ぶのも楽しいし、
基本、前の相方との時は僕が全部映画も選んで、語る映画も選んで、どういうテーマでいけばいいのかなみたいな。
どういうふうに投げたら届くかなとか考えてる間もやっぱり楽しいし。
だから本当にもっと早くやればよかったなっていうのもあるんですけど。
まあ言うてね、すごく遠い存在だからね、ポッドキャストって。
名前知ってたりしてても、自分ごとだって認識するのってやっぱり外の世界にいると。
深まないよね。
そうですね。
海外、ここに来るまでポッドキャストって言ったら海外のものは聞いてたんですよ。
それは情報源として聞いてて。
なんかそれこそ本当に情報、最新の情報とか手に入れるとかいうので聞いてたんですけど。
全然知らない領域ではありましたね。
こういう文化みたいなのが日本でできてきてるっていう。
じゃあその1年前に始めて自分ごとになってから、
自分のトライアンドエラーもそうだし、
その他のポッドキャストを調べたりとかリサーチしたりみたいなことをやり始めたって。
そうですね。
それ自体は楽しい?
09:01
それも楽しいです。
学ぶっていうか。
もちろん、勉強になりますね。
じゃあタブラ化してよかった。
人生を狂わされたタブラかもしれない。
責任を取らないくせに。
友達1人僕失ってるんで。
大丈夫、彼はいい子だから絶対戻ってくる。
で、なんかずっと聞いてて、常連さんだからとか誘った人だからっていうの抜きに、
普段僕はポッドキャスト他のを聞くようにずっと聞き続けてるんだけど、
その中で深めるシネマの個性みたいなものっていくつか感じてて。
で、他のものと比べた時にも武器になってるポイントはやっぱあって。
それは映画の情報とか詳しいとかってことはもちろんそうなんだけど、
それ以外に最も強いのが、純粋にトリビアさんが作品をアートとして捉えて、
アートを自分で感じて自分の言葉で言語化するっていうことができてるのがとにかく強み。
で、どういうことかっていうと、簡単に言うと美術でアート、絵を1枚見て、
それに何が描かれてるのかってことを自分で感じて、自分でそこに意見を持つっていうところまで、
いわゆるアートを鑑賞するっていう一通りの工程ができるっていう人もそう多くないんですよ。
できる人からすると、なんでって思うかもしんないんだけど、
普通にアートをアートのまんま感じて、自分の解釈で言葉にする。
自分の感想を持つっていうことができるのって結構立派なスキルで。
それができてる人が映画を語ってるっていう意味で十分に差別化ができてて、
ちょっとそこを掘りたいんだよね。
トリビアさんがなんでエンタメタロウがアートを自分の解釈で捉えようっていうのができてるのかを教えたくて、
大本の初期衝動とか最初の頃の体験聞きたいんだけど、
海外留学を含めて生活があったっていうのは知ってるんだけど、
もっと手前の田舎にいた時代みたいなところから聞きたいんだけど、出身ってどこだっけ?
出身は大分県です。
大分県、レップ市に住んでた頃のトリビア少年は、
いわゆるアートとかサブカルとかエンタメに触れる環境として恵まれてたんですか?
その家や周りの環境を含めて。
アート。
たくさん触れたりする環境だったんですか?
いや、たぶん平均よりはるかに下なんだと思いますね。
12:05
例えば同級生と自分が興味があるようなことを一緒に語れるような環境ってあったんですか?
まあ、一人とかそういうレベルですね。
友達の中でも、アートっていってもいろんな分野があるじゃないですか。
最初に僕がアートとして認識し始めたのは音楽だったんですよ。
で、その後に文化としていろんな美術館で鑑賞するようなアートとか現代アートとか、
あと映画とかっていうのに広がっていったんですけど、
音楽の話ができるやつは一人だけで、それが今の相方ですね。
ああ、なるほど。
幼馴染。
じゃあ、その音楽っていうのは、いわゆる同級生が聞いてるようなものとは違ったってことなのか?
そうですね。
どういうものを聞いてた?
僕が一番最初に音楽を聞き始めたのは、クラブミュージックだったんですよ。
じゃあ、友達いないからね。
Webでクラブミュージック。
WebでDJになりたいと思ってたっていう。
いいね。
まあ、情報のソースはともかく田舎でも接種できたんだろうっていう過程があったとしても、
そこで食いついたのがクラブミュージックだったっていう時点で、
歌謡曲とかJ-POPとか聞いてるようなことは、当然趣味というか、話せる内容が違ったってことだったんですか?
そうですね、いわゆるJ-POPを聴く、大体の人が成長するにしたがって、音楽であってJ-POPを聴く。
で、それに対してパンクロックっていう、二文化だいたいしてると思うんですけど、
今の僕の相方はそのパンクロック側の。
で、そいつの友達とかもバンドをやり始めた。大体中学生ぐらいでみんなギター。
友達のできる可能性のある方のジャンル。
そうです。そこはそこで、要するに一つのコミュニティになるじゃないですか。
で、僕はどっちにも属してなかったんですよ。
で、ある時に、自分がいいなって思ったクラブミュージック、ハウスミュージックとかだったんですけど、
それがすごいいいなって思って、人にこれ俺いいと思うんだよって言った時に、伝わらない。
全く伝わらないんですよ。それはそうだよね。
その時ってどういう伝え方をしたって記憶ある?
良かった部分こうやって伝えてみたんだけどピンとこなかったみたいな。
あんまり覚えてないんですけど、普通に多分聞かせたりしてたのかな。
でも一応その当時僕が多分中学生の時とかは、若干そのJ-POPの方とクラブミュージックがちょっと接近してた。
15:07
例えばそのM-Flowとかがチャートに入るとか、で、歌田ヒカルとかも来てたし、それがリミックスアルバムとか出したりして、
有名なDJがリミックスしてるっていうバンドとかが出たりしてたんで、まだそこの近かったのかもしれないですけど、
それ経由で何とか攻めようとするっていう。この人の福良木舞のリミックスアルバムのこの曲良くないみたいな。
このトラックメーカーがっていう話に持ってきたような。
でも全然そこ、だからみんな歌だし、カラオケっていう文化が強いから、歌しか聞かない。
で、バックトラックも聞かないっていうのだから、あー、通じないなって。
で、一方その逆でパンクロック、ミシェルガンエレファントとか、そういうパンクを元にするロックンロールっていう派閥が出来上がってるけど、そっちにも行けないっていう。
で、僕一人本当に、これはどっちにも入れないんだなっていう風になってたんですね。
で、そこで断絶とは言わないまでも、自分の好きが伝わらないなって感じたトリビア少年は、周りのJ-POPやパンクロックを理解しよってその時って思えた?
思いました。思ったし、だからなんでだろうっていうところから、僕は理解しようと、どっちも理解しようとして、どっちもある程度好きになれたんですよ。
だからさっき言ったみたいに、J-POPのアーティストのJ-POPのチャートに入るような音楽も好きって言えるような状態だったし、一方そのパンクロックの方も好きで自分もギター買ったりとかしてはいたんですけど、心の底では完全に通じ合える人はいないっていうのが多分結構強烈な体験だったんだなって今思うと。
伝わらないんだっていう前提が、そこで多分生まれたんですよね。
少なくてもそこではいたて気になったりとか、意固地になってJ-POPとかメジャーシーンをバカにするみたいな、そういう若気のいたりっぽいところは元の性質としてなかったんだね。
知らないっていうことに対して、自分が知ろうという動機が生まれる子だったってことだよね。
そうですね。それはやっぱり一人だったからこそなのかなって。
要はパンクロック側の人は、俺たちわかってる勢が集まるから、そのJ-POPはやっぱバカにするし、J-POP側はなんかよくわかんないことやってるっていうので、私たちは普通だよねっていうのになるじゃないですか。
18:00
僕は、その俺たちがいなかったから。
派閥を組めながら、党派を無所属。
無所属。
与党でも野党でもなく無所属。
無所属です。
でも、ギターとかをみんな始めるからって言って、地元に頑固なギター親父がやってるギターショップがあるんですよ。
その地区のロック小僧たちは、一旦イニシエーションみたいな感じで、一旦そこでギターを買うと。
認められるみたいな通貨切れみたいなのがあったりとかして。
僕も音楽好きだったし、そういう意味でパンクロックも好きだったから、ギター買いに行こうかなって言って、先にギター始めてる同級生とかに連れられて行くわけです。
その友達が、チーズみたいな感じで入って行って、連れてきたんですよ、ダチを。
で、頑固そうな親父がいるんですけど、余計なことを僕の友達が言うわけですよ。
こいつテクノとか聴いてるんですよみたいな。
それ最悪の紹介だよね。
もうそれ言っちゃって、その時めっちゃ鮮明に覚えてるんですけど、中学生ですけど、
年も多分50とかそのぐらいのおじさんに、ああ、あんな音楽ね、すぐなくなるからねって。
あんなの音楽じゃないからねって。
中学生の僕に向かってめっちゃストレートに言い放った経験があって、
ああ、そうかっていう、そういう世界なんだなって、その時に多分めっちゃ傷ついたんじゃないかなと思うんですけど。
まあ、そうだろうね。
そんな大人げないって多いじゃないですか。
私、間違ってるしね。
全然、むしろロックのほうがちょっと今楽なって、今もその楽器屋の時代ないんですけど。
だから、
そうか。
そういう、その都等を組むみたいな文化、縦社会がロックとかも特にめっちゃ強いんですけど、
なんかそれに入らなかったからこそ、
その、なんか自分の好きなものがあっていいんだっていう感じになったのかなっていうのはありますけど。
あれだよね。
だから、結果的に自立せざるを得ない、文化的自立をせざるを得ない思春期を体験したってことなんだね。
そうですね。
それで、アメリカに渡るんだっけ?留学で。
高校出てすぐ、はい。
で、アメリカ生活ではそれに似たようなことあった?それとも全然環境が変わった?文化において。
文化においても変わりましたね。
その、付き合う相手とかによって。
21:01
だから、僕はそれまでクラブミュージックとかブラックミュージックで、パンクロックでポップスも聴くし、
ジャズも聴くし、民族音楽とかも興味があるしっていう状態で行って、
一番仲良くなったやつが、メタルが好きっていう感じになって、
僕もそのメタルシーンにちょっと惹かれて、かっこいいなっていうのになったんで、また1個広がったっていう感じですけど。
じゃあ結果、自立して知らないものに対する好奇心を持ってる少年だから、環境が変わったり、周りの人間が変わったりするたびに、
自分の好きになるというか、知れるものが増えていくっていう。
そうですね。
そういう習性を持つ人。
多分、好奇心旺盛なんだと思うんですよ。
人を見てると、人より多分、知らないことにやっぱり興味が向くんで、
せっかくならその人が好きなものをおすすめされたいし、理解したいって思うので、
これは映画とかもそうだし、あらゆるアートじゃなくてもそうですけども、興味が出てくるっていう性質なのかもしれないです。
僕もクリエイターの子、僕よりもキャリアが浅い子とかを見てたり、
あと僕も学校で教えてたりしたこともあったので、
その時にクリエイトに向いてること向いてない子の圧倒的な差って結構そこで、知らないことに対してちゃんと興味を持てる。
知らないことがあった時に自分ごとじゃないという形で、シャットアウトというか、
聞いてるかのようにはおとなしくしてるんだけど、ほぼ耳が塞がってるみたいな、そういう傾向がある子ってやっぱり伸びないんだよね。
好きが強烈にあった子だとしても、やっぱり知らないことに対する好奇心。
それって多分文章の読解力とか人間の理解力にもイコールで、
自分と違うものに対しての反応ってやっぱりすごくバカッと分かれるんだよね。
それでいくとかなりクリエイターというか、
ものを表現する仕事とかなりわいをするにあたってすごく向いてる育ち方を運良くしたんだろうね。
あんまり自分でクリエイターキッスと思ったことが、この歳ぐらいになるまで、
それこそ発信するとかっていうのも、今までほぼしてこなかったんで、若干なんか文章を書いたりとか。
Twitterのアカウントを始める前は、そういうのはしてなかったんだ。
なんかちゃんとしたのはしてないです。
一旦ブログとかを20歳そこそこで書いたりしましたけど、好きな音楽紹介するとかはしたけど、
24:06
当時もそんなに一生懸命とかではなく、遊びだったし。
僕本当に手先が不器用なんですよ。
絵とかマジで書けないし、字も汚いし。
音楽とかも、一回それこそDTMみたいなパソコンで音楽作るみたいなのも、
それこそ中学とか高校の時にやったけど、当時はまだ機材とかもそんなに今ほど簡単に手に入るとかではなかったんで、
経済的にも難しかったんですけど、ちゃんとできるって思ってなくて、何やってもダメだなって。
未だにそれは思ってて。
だから本当にそういう意味では、コロナ禍で始めたそのTwitterのアカウント。
あれも、やってることはある意味ニュースみたいな。
情報発信。
そうです。
だからあんまりクリエイトしてるわけではなくて、どっかから引っ張ってきたものをまとめるっていう感じだったんで、
僕が多分本当に何か、今、ものづくりって言えるのはポッドキャストぐらいなんですよね。
人生でやってきた。
やってることはもうTwitter始めた時点から俺はクリエイトだと思っていて、
なぜなら自分の主観やキュレーションがあって、それを人に伝えてる時点で、
手法として、当然そこには書く技術だったり、伝わるための言葉や編集っていうのができてる時点で十分なクリエイトだし、
ポッドキャストにもそこが多く現れてるし、
だからすごくクリエイターに向いてると思います。
クリエイターじゃないって自分が言わないけど、クリエイターっていう職種の中には編集者とかプロデューサーとかもいるじゃない。
僕はクリエイター側だけど、彼らもクリエイターだと思ってるし、
クリエイターとしての神秘感を含めた素質がない限りは、編集者もプロデューサーもできないから、
技能として絵を描いたりとかしてないだけで、
そこでさっきの話に戻るんだけど、
自分の感性でものを感じて、それを自分の解釈で言葉にするとか行動にするっていうのができるかどうかが僕はアートだと思ってるから、
当然、鑑賞者もアートに対してアーティスティックなことをしてるわけですよ。
アートを鑑賞できてるとすれば。
なので、そういう意味でトリビアさんの今表現してるものの能力ってすごく高いなって思うんだよね。
27:00
で、もう一個、影響を受けた人みたいなのについてちょっと聞きたいんだけど、
音楽に興味を持って、映画も興味を持ってた証言って、
今やってるポッドキャストとかツイッターに繋がるような影響を受けたであろう人って誰か思いつく?
要は喋る人、書く人みたいな、そっち側の人。
影響を受けたで言えばやっぱり菊池なるよしさんですかね。
それは音楽の方それともラジオの方?
先に僕は菊池さんがやってたラジオから入ったんですよ。
昔あれ東京FMだったと思うんですけど、水曜ウォンテッドっていうとんでもない番組があって、
メルデンパの前だね。
そうです。
しかも作曲。
かよユニバースみたいなのがあって、それのさらに前なんですよ。
水曜日、深夜3時から朝5時までみたいな枠で1年ぐらいやってたんですけど、
当時高校生で学校あるのにその日だけは本当に起きて、朝5時まで聞いて学校行くみたいなのやってて、
強烈に打たれたのはその番組だったんですよ。
ちなみに、その時の菊池さんから受けた衝撃みたいなもので、今言葉にしようとするとどういうところにやられたっていうか、かっこいいなと思ったのかな?
やっぱふざけてるところですね。
そうなんだ。
なんていうのかな。
彼の知性、いわゆるレトリック含めた見事なボキャブラリーみたいなものとかというよりは、
彼のふざけ方というかスタンスの方に惹かれたんですか?
そうですね。知性を元にしたふざけてる感じが圧倒的にかっこよく見えて、
音楽では、その時まで僕もジャズはほぼ聴いてなかったんですけど、その番組きっかけでジャズ聴くようになったり、
やっぱりフラットにあらゆる文化みたいなのを扱えるっていう、
その番組自体が本当に音楽をかけるんですけど、
そのJ-POP、その週のJ-POPのトップ10みたいなのと、
そのジャズとか、あと現代音楽とか、民族音楽とかをマッシュアップして生でかけるっていう、
そのとんでもない、いろんなごったに感みたいなもの。
で、それをおもしろくするっていうところとかにふざけてる感覚があって、
30:03
大人のふざけ方っていうんですかね。
それにすごい打たれて、その菊地さんの本を買ったりとかし始めたんですね。
じゃあ、でも菊地成吉に高校で影響を受けると、アバンギャルドな方に思いっきり舵を切りそうなもんだけど、
なぜ今のバランスになったのかまでは知りたいかもね。
菊地成吉のふざけたかっこよさに傾倒すると、真面目だったりしっかり伝えるみたいなものとは離れそうなんだけど、
その一方ちゃんとしたものって、そのときって何か触れてた?
菊地成吉一触だった?
そのときはそうですね、なんかその物書く人とかに、僕は後にも先にも多分あんまり他の人にはハマってないし、
なんか、僕はその、そういう意味で高校時代とか、まあ思春期に一番影響を受けたのはやっぱ菊地さんと、
サーストムーアっていうソニックユース、この二人だけだったんですよ。
だから本当にそのソニックユースっていうパンクロック、まあアヴァンギャルドですかね、ノイズとかまで行くサーストムーアと菊地成吉っていう二人だったんで、
いやーご就職様だな。
もうメインには戻れないんですよね、もう完全に。
体がもう完全そっちになって。
そう、だからそういう意味で本当にちゃんと、まあ映画とかに関しても、まあ菊地さんも映画の評論とかもやってますけど、
あんまり僕はそれを逆に読んだりしてなかったりとか。
菊地成吉の映画評の方は当時は読んでなかった?
あんまり読んでないですね。
なんか自分が好きなものを見たりとかするぐらいだったの。
菊地さんは本当に音楽とふざけ方みたいなのどっかかな。
じゃあちょっと前の世代で言うとこの電気グルーヴ的な憧れ方を菊地成吉でしてた。
そうかもしれないですね。
なるほどね。
で、その時って映画ってどのぐらい自分の中で接種してた?パーセント的に。
音楽と比率でいくと。
音楽7、映画3ぐらいですかね。
そうだったんだ。
あんまり、まあやっぱり音楽と映画って結構文化的にはクロスしてるから、
それ経由で音楽映画みたいなジャンルとかもあったり、
33:03
いわゆるサブカル的な扱いのカルト映画とかちょっとおしゃれな、
要するに普通のアクション映画じゃないものとかに触れたりしてたんですけど、
もっと前は僕は普通にアーノルト・シュワルツ・ネッカが大好きだったので、
僕の原体験はシュワちゃんなんです、映画との出会いが。
じゃあいわゆるシネフィルのエリートの子みたいな、
その頃からゴダールだなんだみたいなタイプでは全くなく、
むしろ先は音楽。
思春期の原体験はむしろ音楽って感じだった。
じゃあさ、そっから映画の方が自分が箇所分時間を使うようになるタイミングってあったの?
ありましたね。
作品?
作品もあります。
大学で映画の授業を取ったんですよ。
授業だったんですか?
授業で。
元から好きで見てて、人があんまり見ないような、それこそゴダールとかの作品とか、
シネフィルが見るようなものも見てたし、
だけど、いわゆるサブカル的な、ちょっと見て賢くなっとくぐらいの距離感。
あるよね。
ありますよね。
だからそれの感じだったんですけど、
最初はシュアちゃんから始まり、アクション映画もジャッキー・チェンとか、大好きでずっと見てて、
思春期を経て、いわゆる中二病的な、若干アートの作品も見るし、みたいになった後に、
大学の授業で映画の授業を取ったんですよ。
で、そのときに一発目に、最初の授業の日に、
教授が、とりあえずこれを見ろって言って、見せられたのが、市民権っていう映画。
映画史の授業あるあるなんですけど、1941年、オーソン・ウェルズの歴史、世界史上最高のって言われるぐらい有名な作品ですけど、
それをまず見ろって言われて、
そこで、よくわかんないんですよね。
普通に古いし、面白いけど、何がすごいのかわからないっていう状態だったんですけど、
その次の週から解説しますってなって、
一個一個、ほんとに一コマ一コマぐらいのあれで、説明されたときに、うわって言う。
なるほど。
そんなこと考えて、映画って作られてるんですかっていう。
それはすごいものを、いろいろ見逃してきたかもしれないってなって、
全部もう一回見ないとっていう風になってから、狂ったように映画見るようになって。
それがもう完全に、さっき一番最初に僕が評価したポイントに繋がるね。
36:00
そのアートを自分で読解して、自分の言語で語るっていうのの、
現体験は、学校での市民権っていうのを与えられたことによって、
映画を読解するっていう視点を獲得したのは、ほんとにその瞬間なんだね。
だから、そこでやっと、いわゆるこじらせたりとかしなくなったっていうか、
アクション映画最高から、アクション映画ちょっともうダサいよねみたいな、
アートだよねみたいな、難しい映画のほうがいいよねっていうのだったんですけど、
そこで全部アートなんですっていうことに繋がったんです。
そこにね、気づけない、気づけるか気づけないかなんです。本当に。
まあ、そうですね。
本当にそこだけど、よかったね。
いや、本当によかったです。
授業、本当に厳しいことで有名な教授だったんですけど、
授業、もう最後のほうには、最初50人ぐらい教室にいたのに、最後残ったら10人ぐらいみたいな、
めちゃめちゃ間違ってるって言われるし、厳しい先生だったんですけど、
でも、本当にあれがなかったら、たぶん、いまだにこじらせてた可能性はありますよね。
逆にそれ獲得するだけでさ、ほぼ無限、楽しめるものが無限になるじゃない。
アートをそうやって見れるようになった瞬間、
今手元にあるグラスとか、今使ってるスマホとか、
そのレベルから何が素晴らしいのかってことを自分で考えるようになるし、
お店に行って買うときに、自分がどういう理由でこれを素晴らしいと思うのかっていう、
納得をして物を買うことができるようになるじゃない。
いやー、だから本当貴重だ。
なんでそれが限られた人にしか学びの機会がないんだろうね。
そうですね。難しいな。
与党だ、野党だ、別れる必要がなくなるわけじゃん、その瞬間から。
プラットに行けるステージがあるはずなんですけど、
それは僕が最初に言った音楽の時点で、
どっちの野党、与党、右翼、左翼みたいなのに、どっちにも属せなかったから、
自分と向き合わざるを得なくなったっていうのがあって、
だから自分が間違ってることもあるんだなっていう視点にもなったと思ってるんですよ。
今ってそれこそコミュニティが結構無限にあるじゃないですか。
だから他人と自分が違うってなったときに、
とりあえず駆け込めるコミュニティみたいな、
自分の話が通じる人たちみたいなのに、
ネット上とかツイッターとかでもすぐ入れるみたいな。
そうすると多分、ずっと他者は敵のままっていう感じになるんじゃないか。
39:05
要は自分の今感じてるモヤモヤを、
自分の方が正当だと確認できる場所がインスタントにどんどんなってるから、
よりそうなりづらいってことかな、なのかもしれないよね。
僕は見てて、確かにそれで救われることって多いんですよ。
もちろん。
自分も大丈夫なんだっていう風になれる場があるのはいいことなんですけど、
その一端前に、根本的に自分が好きって、同じものが好きでも、
いいよね、あれやばいよねって言ってても、
お互い見てるそのヤバさは実は違うみたいなのが、
分からないまま育っていくと、
多分ずっとその外側の人は敵っていう、
あいつらが間違ってる、
俺たちみたいな、私たち最強みたいな、
なってフラットに多分見れなくなっちゃうんじゃないかなって。
まあそうだね。
だから、世の中のサービスのほとんどはそういう救済の効力も持ってるので、
そういう形で接種しようと思えばできるから、
当然そうなんだけど、さっき言ったようにクリエイターに向いてるもそうだし、
世の中に対して一つ、アート的な見方を持って、
自分の自意識以外の視点を一個持てるっていう能力としては、
やっぱりさっきのポイントってすげえ大事で、
ましてやさっきのように、
自分のモヤモヤを確認できるコミュニティがあった上に、
さらに自意識と折り合いがついてない人って、
やっぱり世の中の作品を見る目や、
世の中の起きる現象を見る目っていうのは、
どうしても偏るというかバイアスがかかったまんまになっちゃうよね。
一個の焦点でしか見れないレンズに変わったまんまになっちゃうというか。
みんな自分が正しいと思ってるっていう、
なんかその絵ってもったいないと思うんですよね。
プラスね、今、正義という魔薬を行使できる場所も山ほどあるから。
悪い奴を懲らしめられるから。
なるほど。
じゃあもう完全にターニングポイントは、
その学校の市民、県かもしれないね。
そうですね。
じゃあそっから、
映画に限らず相当面白くなったでしょ。
あのファッション一個撮ってもらって。
そうですね。
だからやっぱりそれぞれの文化に、
同じようなその細部に対するディテールとかに、
めちゃめちゃその、
いろんな工夫がされているとか、
42:00
考えられているっていうことに気が付くようになったし、
それまでも現代アートとか好きで、
美術館とかに行ったりしてたんですけど、
それはまあスタンスとしてみたいな、
ちょっとかっこいいじゃんって。
そっち側の俺っていうのをキープするために行く場所みたいなことでしょ。
そう、よくわからないアートみたいなのを見てる俺みたいな。
一種類が自分に向いているっていうのだったと思うんですけど、
やっぱり圧倒的に、
自分何も知らないんだなっていう経験がさっきの市民圏だったんです。
見てて、何にもわかってないんだ自分。
じゃあ全部そうなんじゃないか。
デザインとかも本当に興味持った時もあったし、
だからすごいって、
さらに多分好奇心は旺盛になったのかもしれないです。
今のあのポッドキャストになる理由は非常によくわかりますね。
なんかそうですね、
ポッドキャストを今やってるのも、
映画を批評するとかっていうことよりも、
映画を見た後の感覚みたいな、
映画1本見た後に自分がどういうふうに影響を受けるかみたいなのを、
どうポッドキャストで再現できるかなっていうことを考えながらやってる感じです。
それもね、むっちゃアート的で、
前に津田彩介さんの、
従軍慰安婦の展示があった時の騒動の時に、
宮台さん、宮台真司さんが語ってた有名なアートの表し方があったんだけど、
アートっていうのは、そもそも本来的に人を傷つける。
アートっていうのは傷つけるものなんだと。
で、そこから修復するプロセスっていうものに価値があるんだっていうのを彼言っていて、
だから基本アートっていうものは、それを見る前と見た後で自分が変わってしまうっていう機能を本来持っていて、
で、それがなぜなのか、それによって自分がどう変わったのかっていうことを認知することが、
いわゆる修復のプロセスで自分が成長する価値なんだと思うんだよね。
だからアートを見たことによって自分が得られるものって、まさにそこしかなくて。
だから今、鳥部屋さんがポッドキャストでやろうとしてることそのものが、
まさにアートを見て、アートを語るっていう、その一通りの経過を表現しようとしてる。
だから、まったく正しいね。
だからすごくアート的に感じたのも本当にそこなのかもしれない。
そのためにね、いろんな身を削っているのもあるかもしれないですけど。
で、今の新しい相方に筋トレって言われてね。
筋トレは要は、筋組織を破壊して再生するっていうところに行って、新しい筋肉が増大するっていうことなので、
あの費用も、費用も正しくって。
45:01
そうですね。
そうなんですよ。
なんか、やっぱ傷つくのを恐れる世の中になってるのはあるから、
まあ率先して自分が傷つきにいくかっていう、
全部ね、前の相方とのテーマを全部見せるかっていうのとか、
なんか自分がやっていくかっていう感じになってきてるんですよね。
まあでも本当に身を削るとか、
自分の戻るべき自分の本質のところまで傷ついてしまうことっていうのは表現者ってやり必要はなくて、本当はね。
だから身を削ったりするようなものを称賛される傾向はあるけれども、
やっぱり自分が長く続けてそれを表現をプロフェッショナルとしてやるためには、
戻れる場所っていうのを持ってなきゃいけなくて、
いわゆるイギリスの役者の教えるメソッドの中でも、
役を抜くためのトレーニングから入るっていうのをまさにそれだと思ってて、
だからアートっていうのは本来傷つくもので、
そこの修復が価値なんだよと言いつつも、
その傷つくっていうものに対して戻れる、修復の可能性があるようなものを常にキープするっていうのは当然大事だから、
やっぱりそのためにもちゃんとさっきのようなアートに対する向き合う立ち位置を覚えるっていうこと。
要はそこは学校が教えたことって、市民権を読解することだけじゃなくて、
映画っていうものを読解するっていうアプローチで接することを覚えさえすれば、
映画にはまり込んで傷ついたとしても、戻る場所、自我の方には戻れるっていうのがあることを教えてるっていうのが、
本当に技術だと思う。
それは本当に学んだと思います。
他のものにも応用できるしっていう、その批評ってスタンスも、
なんか批評によりすぎるのもあんまり最近僕は面白くないんですけど、
なんかどんだけ、批評って結構距離を取ることだったりするじゃないですか、
ものと距離を取っていくって、
だけど僕が今興味あるのは、どんだけ引き寄せれるかっていう、
自分とどんだけつなげられるかって方が、映画見てて興味があるんで、
それを多分みんな割と、今批評ブームで、みんな距離取りがち。
だから僕結構天の尺でもあるから、そっちの面白さもあるけど、
めっちゃ近づく面白さは、
やってる人はいなさそうなんで、映画とか特に。
日本だけなのかな?海外では結構そういうアプローチあったりするんですけど。
48:00
だからそれこそ、メソッドとして、
型がないから日本人ができてないんだと思ってるんだよね。
要は引き寄せた上に批評するっていうことが、
どのような技術を持ってやってるのかっていうことがわかんないと、
引き寄せるってことはイコールさ、
好きだ嫌いだ、与党だ野党だっていう感覚でアートに触れてる人って、
要はそこの否定をされたりすると、
人格攻撃だっていうふうに捉えるっていうふうになっちゃうじゃない?
だから当然防御に入るのは当たり前だし、
でもそこが、もしさっき言ったような距離、
アートへの向き合い方っていうのをメソッドで覚えてる人って、
別にそこの否定が入ろうが、
自分が否定する立場になろうが、
その相手の人格を攻撃してるわけではない。
あと、自分の自意識を傷つけられてるわけではないっていうことはわかるじゃない?
だからそこを、だから一回今、
鳥居弥さんのようなアートとの距離を、
メソッドで覚えた人が自分に引き寄せるっていう方が多分できるはずだし安全だと思う。
サイコパスと言われながら、
自分に引き寄せるっていうのをチャレンジするのはすごくいいと思うし、
あと実際この前のタップルームの時の怪物表の中で、
鳥居弥さんは怪物の水の表現、
しずくを通して伝えようとしてることがあるっていうのを言ってたエピソードがあったじゃない?
あの中でもし、今の鳥居弥さんが取り組んでることでプラスできることがあるとすると、
あの表現によって自分がどう感じたのか。
そこに気づいたよっていうところまでは見事に、
あの映画の中から水っていうモチーフを伝えるっていうところまでできた。
見事。
そこに気づくときの最初の自分の直感と、
あとそこに気づいた後の自分の解釈っていうものまで入れ込めたら、
多分あれは本当に見事な競技になると思う。
そこが僕もそうですけど、やっぱ結構抜けてるんですよね、時代的にも。
なんか自分を出さずにどんだけ論じれるかになってたりとかする感じがする。
そうだね、だから分析っていう言い方とかさ、
あのーが流行りすぎてるんだけど、
だからそこも間違ってる気がしてるんだよね。
だから、まずは直感で自分の問いが立てられることが、
とにかくトリビアさん本人のユニークネスを表すのが一番大事なポイントだし、
直感で気づいたことをロジックで解明するための行為っていうのは、
さっきの学校で覚えた読解する能力だし、
その後問いに対して答えを言えるとこまで行ったら見事な表現だけど、
51:03
問いと読解のとこまで行ったら、俺は答えがなくてもいいとすら思ってるので、
だからこそやっぱり最初の直感のところっていうのは、
自分のセンスだったりとか、
それこそトリビアさんの本当に個人的なものであった方がいいと思うので。
本当にアメリカとかは特に割と何でもメソッド化する文化だけど、
日本は割とそこはブラックボックス化というか、
才能とか感性みたいなもので、モヤっとしたまま取り扱われてる感じがするんですよね。
だからそれってもったいないし、その人にしかできないものみたいな感じになるんですけど、
どう感じたかは実はちゃんとロジックがあったりとかするってとこまで見ると、
もっと解像度上がると思うんですよね。
で、最初の直感にあたる問いのひらめきだよね。
それこそが自分の生き方に直結するので、
普段人間とどう接してるのかとか、
人間とのコミュニケーションや体験によって、
自分がどう変わったのかってことが試されるし、
あと自然をどう感じてるのかとか含めて。
だから本当に欧米の、欧米って言い方も乱暴だけど、
欧米の人があんだけメソッド言いながら、
ガーンとパワフルな、本当に本能みたいなものができるのってなぜかっていうと、
両方あるからなんだよね。
ロックの話言ったら、
アンプ直つなぎでガーンなんだよって、
言えば言えるような音じゃない?
アメリカ人の出すメタルのサウンドって。
でも彼らはその感性を持ちながら、
ロジックを積み上げてるっていうところが、
そう僕らに感じさせる説得力だし、
フワッとしてる人がやるガーンなんて、
ガーンと伝わらない。
なんでだろうっていう、そこなんだよね。
ちゃんとそこのロジックの部分を理解するのが大事なんだけど、
やっぱり今はマウント問題とかと関わるんですけど、
知識でドライブする感じのことはちょっとダサいとか、
むしろ知識がかっこいいっていう人たちもいるんですけど、
その感性こそが史上みたいな感じのものとかもあって、
やっぱどっちもいるよねって。
だって感性だけあっても伝えられないし、
ロジックだけあっても伝わらないしっていう。
だからそのどっちもをどう伝えるか考えてますね。
54:05
だし感性の旅のほうが途方もないし残酷なんですよ。
そこでの付き方ってエグいので。
もう完全に分かんないものは分かんないってことですもんね。
そう。だからこそ最初に読解するための道筋だよね。
覚えてったほうが絶対いいし。
だから、いわゆる僕、例えばだけど、
僕って漫画の世界に長くいたので、
超一流の漫画の才能と大量に合うわけですよ。
その人たちの感性ってもうもはや化け物なんだよね。
なんですよね。
日本の漫画って本当にグローバルのトップなので、表現形態とかで。
そこの超一流たちの感性ってやっぱりエグいんですよ。
それを全員が身につけようって夢見るのってあまりにも残酷。
だからこそ漫画ってこうやって作るんだよとか、
漫画の良さっていうのはこういうところに現れるんだよ。
そこを知ることから始める。
とか、模写をしながらでも、
模写によってそういうところを知るんだよっていうのを、
ちゃんと型を覚えていれば、
最終的に感性の旅に出たときに、
自分が授かった感性のパワーっていうのはこのぐらいなんだって、
たぶん認めることができるはずなんだけど、
感性から入っちゃうと、化け物たちと自分を比べて、
ただの絶望しかない。
さっき言った傷つくの修復のプロセスの機会を失うんだよね。
なるほどね。確かにね。
だからちょっとその日本の教育のスタイルで、
僕もアカデミックのとこ通ったことないからわかんないんだけど、
もしフワフワしてるんだとしたら、
それはあまりにも残酷な修復の機会のない旅に。
それこそでも、僕が影響を受けた菊池なるよしさんとかは、
音楽のメソッドみたいなのをしっかり教えるってことを今やったりとかされてるっていうところも、
やっぱりあれだけ感性で作られてそうな音楽をやってる菊池さんが、
ロジックをちゃんと教えてるってところなのかなって、
そう思いますよ。
その先にやっぱりあるっていうことなんだと思うんですよね。
だから自分の向き見のところに大きな傷が届く手前のところで、
アートに向き合うための、プロレスラーでいうとこの受け身だよね。
だったりみたいなところって、ロジックだったりメソッドだったりっていう部分なんだとしたら、
やっぱり一億クリエイターみたくなってる、
今こうなっちゃうの、そりゃそうだよなって思ってるから。
だから運良くそういうアートとの向き合い方を獲得できたトリビアさんが、
57:05
今ポッドキャストでやろうとしてることはすごい貴重だと思うし、
前例があまりないのでこの世界では。
だからこのまんま行ってほしいし、
あと孤独に耐えられるメンタル持ってるっぽいので、
それはなくても。
そうですね、それだけはありますね。
だからこのまんま行ってほしいなと思いますね。
そうですね、評価とかもあんまり気にはしてないし、
でもまだ本当に始めて1年経ってないんで、
スキルの方はまだまだ全然何にもできないと思ってて、
その分何事も僕は早く始めた方がいいと思ったりとかして、
このポッドキャスト始めるときも元相方にめちゃめちゃ2ヶ月ぐらい準備しようみたいな感じのことを言われてたんですよ。
だけど僕はもう来週撮るって言って、
無理矢理撮って始めてやったんで、回数多い方が多分成長できるし、
どうせズブの素人が2、3ヶ月研究したところで1発目多分うまくいかないじゃないですか。
そんなのじゃ多分到底立ち打ちできないものに挑戦しようとしてると思ってるから、
だからまだまだ1年経ってないんで、本当に。
今後全然違う方向に触れるかもしれないけど、
軸は本当に多分最初から本当に変わってないつもりでいるんで。
なのでちょっとこの今言ったようなことを大事にしてもらって走り続けて欲しいから、
だからせっかくここで常連のように僕らと毎日話せる機会があるので、
僕らからはポッドキャストとしての会話ってどういうことなんだろうとか、
構成の話とかをできるだけさっきの大学の市民研のような体験まではいかないけれども、
今これからトリビアさんが微調整するためのヒントみたいなことっていうのが僕らからも返せると思うので。
本当に今までもだいぶ教えてもらってますから。
でも本当にまだ僕らも体系化して語れるほどのポッドキャストに対する言葉を持ってないんだよね。
だから僕らも壁打ちをお互いしながらこの体系化をしていくんだろうけれども、
でもやっぱりそのためにも才能と触れていないと僕らのほうもブラッシュアップされないし、
だからすごくありがたいです。
本当ですか。
だからそれこそ道香さんが多分ポッドキャスト、ここで僕が出会ったときか忘れましたけど、
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早い段階でポッドキャストも一個一個が作品だっていう視点は本当にそれをもとに単に映画の感想を語るだけではなくて、
聞いた人が映画を見たかのような、その映画っていうか会話も込みで影響を与えられるようなものにしようというのはそういった視点。
ねちこさんとかしぶさんとかにいつも教えてもらっていることをもとにやってるんで。
だからお得な情報を得られたとか癒されたとかそういうものっていうのは副次的な効果であって、
本来作品としてやるべきことってさっき言ったように傷をつける。
それは良い気遣い、悪い気遣いともかくとして、とにかくトリビアさんの作品を聞く前と聞いた後でその人の状態が変わっているものを作るべきで。
それをやるに値するフィールドだなっていうのはポッドキャストに関しては俺も確信しているので、
そこをしばらくは一緒に突き詰めるような時間ができるといいですね。
宜しくお願いします。
じゃあもう今日はお酒タイム。
いきなり締める。
急に真面目に話した。
いきなり締める。
この番組は東京東中野にあるクラフトビアバー雑談で収録しています。
厳選されたクラフトビールとこだわりのスパイスカレーを楽しみながら、
夜な夜な繰り広げられる雑談に参加したい方は概要欄をチェック。
では、次回の更新をお楽しみに。
あ、そうです。
クラフトビルのポッドキャストのスタジオ。
セッション、フロム、雑談。
01:02:29

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