だから、僕はそれまでクラブミュージックとかブラックミュージックで、パンクロックでポップスも聴くし、
ジャズも聴くし、民族音楽とかも興味があるしっていう状態で行って、
一番仲良くなったやつが、メタルが好きっていう感じになって、
僕もそのメタルシーンにちょっと惹かれて、かっこいいなっていうのになったんで、また1個広がったっていう感じですけど。
じゃあ結果、自立して知らないものに対する好奇心を持ってる少年だから、環境が変わったり、周りの人間が変わったりするたびに、
自分の好きになるというか、知れるものが増えていくっていう。
そうですね。
そういう習性を持つ人。
多分、好奇心旺盛なんだと思うんですよ。
人を見てると、人より多分、知らないことにやっぱり興味が向くんで、
せっかくならその人が好きなものをおすすめされたいし、理解したいって思うので、
これは映画とかもそうだし、あらゆるアートじゃなくてもそうですけども、興味が出てくるっていう性質なのかもしれないです。
僕もクリエイターの子、僕よりもキャリアが浅い子とかを見てたり、
あと僕も学校で教えてたりしたこともあったので、
その時にクリエイトに向いてること向いてない子の圧倒的な差って結構そこで、知らないことに対してちゃんと興味を持てる。
知らないことがあった時に自分ごとじゃないという形で、シャットアウトというか、
聞いてるかのようにはおとなしくしてるんだけど、ほぼ耳が塞がってるみたいな、そういう傾向がある子ってやっぱり伸びないんだよね。
好きが強烈にあった子だとしても、やっぱり知らないことに対する好奇心。
それって多分文章の読解力とか人間の理解力にもイコールで、
自分と違うものに対しての反応ってやっぱりすごくバカッと分かれるんだよね。
それでいくとかなりクリエイターというか、
ものを表現する仕事とかなりわいをするにあたってすごく向いてる育ち方を運良くしたんだろうね。
あんまり自分でクリエイターキッスと思ったことが、この歳ぐらいになるまで、
それこそ発信するとかっていうのも、今までほぼしてこなかったんで、若干なんか文章を書いたりとか。
Twitterのアカウントを始める前は、そういうのはしてなかったんだ。
なんかちゃんとしたのはしてないです。
一旦ブログとかを20歳そこそこで書いたりしましたけど、好きな音楽紹介するとかはしたけど、
そのアートを自分で読解して、自分の言語で語るっていうのの、
現体験は、学校での市民権っていうのを与えられたことによって、
映画を読解するっていう視点を獲得したのは、ほんとにその瞬間なんだね。
だから、そこでやっと、いわゆるこじらせたりとかしなくなったっていうか、
アクション映画最高から、アクション映画ちょっともうダサいよねみたいな、
アートだよねみたいな、難しい映画のほうがいいよねっていうのだったんですけど、
そこで全部アートなんですっていうことに繋がったんです。
そこにね、気づけない、気づけるか気づけないかなんです。本当に。
まあ、そうですね。
本当にそこだけど、よかったね。
いや、本当によかったです。
授業、本当に厳しいことで有名な教授だったんですけど、
授業、もう最後のほうには、最初50人ぐらい教室にいたのに、最後残ったら10人ぐらいみたいな、
めちゃめちゃ間違ってるって言われるし、厳しい先生だったんですけど、
でも、本当にあれがなかったら、たぶん、いまだにこじらせてた可能性はありますよね。
逆にそれ獲得するだけでさ、ほぼ無限、楽しめるものが無限になるじゃない。
アートをそうやって見れるようになった瞬間、
今手元にあるグラスとか、今使ってるスマホとか、
そのレベルから何が素晴らしいのかってことを自分で考えるようになるし、
お店に行って買うときに、自分がどういう理由でこれを素晴らしいと思うのかっていう、
納得をして物を買うことができるようになるじゃない。
いやー、だから本当貴重だ。
なんでそれが限られた人にしか学びの機会がないんだろうね。
そうですね。難しいな。
与党だ、野党だ、別れる必要がなくなるわけじゃん、その瞬間から。
プラットに行けるステージがあるはずなんですけど、
それは僕が最初に言った音楽の時点で、
どっちの野党、与党、右翼、左翼みたいなのに、どっちにも属せなかったから、
自分と向き合わざるを得なくなったっていうのがあって、
だから自分が間違ってることもあるんだなっていう視点にもなったと思ってるんですよ。
今ってそれこそコミュニティが結構無限にあるじゃないですか。
だから他人と自分が違うってなったときに、
とりあえず駆け込めるコミュニティみたいな、
自分の話が通じる人たちみたいなのに、
ネット上とかツイッターとかでもすぐ入れるみたいな。
そうすると多分、ずっと他者は敵のままっていう感じになるんじゃないか。