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2023-07-06 1:04:45

#23|LIVE「映画『怪物』について語る60分<公開収録イベント:TAPROOM #5>」GUEST:毎日映画トリビア(PODCAST 深めるシネマ)〈収録:2023.6.30〉


from 雑談【LIVE】では、雑談で不定期、あるいは定期で開催する「公開収録イベント」の模様をお届けします。(収録 2023.6.30)

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[GUEST] ───────────────────

【毎日映画トリビア/PODCAST 深めるシネマ】

映画情報発信アカウント運営者『毎日映画トリビア』と、その幼馴染『Tomohee』の二人が、毎回一本の映画について語らい、映画の見方を深めていく “徹底対話型” ポッドキャスト番組です。作品の魅力はもちろん、映画から見えてくる人生観まで、じっくり話し合って深めていきます。映画は見るだけじゃもったいない!<火曜日夜更新> https://eigatrivia.com

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[HOST] ───────────────────

【真夜中、コンビニの駐車場で。(ホンダ・ヤマグチ)】

ひとつの場所を72時間にわたって定点観測するNHK番組「ドキュメント72時間」について、その感想や愛を語るPODCAST「勝手に”ドキュメント72時間”をしゃべるラジオ」を毎週金曜23時に配信中。2022年には NHK公式PODCAST「聴くドキュメント72時間」へのゲスト出演を果たし、さらにコラムニスト吉田潮をゲストに招いた公開収録を行うなど、個人PODCASTの領域を越え、精力的に活動する。 https://lit.link/d72hwatch

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©︎雑談 https://zatsudan.co.jp


00:08
TAPROOM
東京は東中野にあるCRAFT BEER BAR付きポッドキャストスタジオ、
雑談からライブでお届けするトークイベント、TAPROOM。
TAPROOMでは、毎回ゲストの方にお持ち寄りいただいた、
今、個品的に最も旬なコンテンツを軸にトークをお届けします。
なお、この模様はTwitterスペースでも同時生配信中。
現在、Twitterスペースでこれをお聞きのあなたはぜひ、
リアルタイムでTwitterスペース右下にあるコメントボタンより、
メッセージをお寄せください。
ということで、真夜中、コンビニの駐車場でより本田です。
同じく喋っております山口です。
はい、今回はですね、早速行きたいと思います。
今夜、ゲストに来てくださったのはこの方です。
はい、映画ポッドキャスト深めるシネマをやってます。
毎日映画トリビアです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
じゃあ簡単に自己紹介をお願いできますでしょうか。
自己紹介ですか。
はい。
深めるシネマというポッドキャスト、
映画について喋るポッドキャストをやってるんですが、
もともとは名前が、毎日がトリビアという、
これが名前なのかってよく言われるんですけど、
もともとTwitterで映画のトリビア情報を発信するアカウントをやってて、
そのままスライドでポッドキャストを始めたって感じなんですが、
なぜかトリビアさんって呼ばれましたんで、
そのまま名乗ることになりました。
みなさんでトリビアさんって呼んでます。
はい。
というところで満を持してのトリビアさん。
はい。
ゲスト回ですよ。
満を持してなんですか。
僕らのタップルームの第1回の時から第2部で。
そうです。
あれね、最初に出させていただいた時は第2部で、
ようやく一部に上げてもらえたと。
昇格、昇格。
そんな枠でしたかこれ。
オールナイトニッポン星じゃないですか。
ゼロからみたいな。
ゼロから第2部で参戦した方はね。
1回目に出た時に山口さんと一緒になって、
ホンダさんとかにマーベルのアメコミの映画のマウントを大人気なく撮りまくるって。
ありました。
まだ見てないんですかって。
それでホンダさんに本当に嫌われて、
共演NGだったのかなと。
全然そんなことないです。
なかなか誘ってもらえないんで。
確かにMCはまだ1個も見てないんですけど、大丈夫です。
大丈夫ですか。
そんな感じで満を持しての登場なので。
出てもらうなら、これはっていうのを語っていただきたいなと思ってましてですね。
本当にもう早速いきましょう。
本日のタップルーム。
このトークライブではゲストの方に今個人的に最も旬なコンテンツを持参いただくようお願いしております。
では鳥部屋さん、本日のタップお願いします。
本日私が持ってきたのは映画怪物です。
03:02
タップルーム。
絶賛公開されている映画になります。
本屋についてはネタバレ満載でいきますので、
ガンガンあらすじなども紹介せずガンガン行っちゃいますので、
もしこれまだ見てないよ、ネタバレ聞きたくないよっていう方については、
ぜひ見終えた後でお楽しみいただければなと思いますので、
もうちょっと最初に謝っておきます。
今日はネタバレガンガン行きます。
あらすじはwikipediaで調べてください。
今もう見てください。
見てもね、そんなに損するわけでもないかなと僕は思ってるんですけど。
ちょっとぜひですね、
これなぜお持ちしたのかというかですか、
語らざるを得ないこの怪物についてっていうところなんですけれども、
これなぜお持ちいただいたんでしょうか?
いや、今めちゃめちゃ話題になってるじゃないですか。
見た人はわかると思うんですけど、
いろんな議論みたいなのが巻き起こってて、
この作品を中心に。
それがどんどん飛び火してるみたいな。
そうですね、いろんなところに。
とんでもない飛距離で飛んだりとか、
いかがなものかみたいなやつとか、
これはどうなんだ?
あと作品の出来はどうなんだ?みたいなのが巻き起こってて、
それはたぶん作り手側もある程度意図してやってることなんだと思うんですが、
一方、逆に中身の話あんまり逆にされないのかなと思って。
なんかその第一声からそういう外側の話の議論に入りがちっていうのがあって、
せっかくなら内側からしっかり話してみたいと思ったんで、持ってきました。
そうなんですよね。
だからトリビアさんに出ていただくにあたっても、
このタップルーム過去回一テーマ決めるのちょっと難しかったですからね。
揉めに揉めた。
けんけんがくがくの議論の末に、
いや、でも怪物でいこうと。
そこが怪物っぽいですよね。
そうですよね。
だからそれぐらいのやっぱり、今本当に一瞬で、
いろいろな社会状況とも密接に接続している、
この映画についてちょっと語らざるを得ないんじゃないかっていうところが、
今回の趣旨となってますけど。
逆にまあだから、逆に語りにくくなっちゃってる部分もあるんで、
そこを腹を割って話そうと。
対戦よろしくお願いしますって感じ。
そういう対戦方式で僕らやってますよね。
リング方式じゃない。
違いますね。
というところなので、
まずトリビアさんから見た、
この怪物の状況というか、
本当にあらすじとか全然いいので、
なんというか感想じゃないんですけど、
どういう映画だったのか、
トリビアさんにとってみたいなところっていかがですか。
僕このためにですね、
計4回見てきたんですよ。
06:02
ちょっと見すぎなので。
ちょっと今ギャラリーから悲鳴が上がったような気がするんですけど、
引かないでほしいんですが、
気合が入りすぎて。
4回見てきたんですよ。
今日も見てきて。
最初に見たときは、
僕も監督、小枝監督のことは、
の作品は結構好きだったりするので、
ある程度の期待の上で行って、
ちゃんとなるほどって感じだったんですけど、
今回これにね、タップルームで取り上げてくれるということで、
複数回見た上で、
これ見るたびにどんどん好きになっちゃったんですよ。
結構。
最初のときよりも、
最初のときは、ここどうなのかなみたいな。
なんか若干の不協和音みたいなのが見えたりしてたんですけど、
これ見るたびに、
どんどんこの登場人物のそれぞれの焦点、
それぞれに焦点を当てて、
考えていった結果、
めちゃめちゃ面白い映画だなと。
言っていいのかなっていうのもあるんですけど、
面白いかどうかっていうのもあるんですが、
すごく見ごたえのある作品になってきました。
そこは1回目からの感じから見ていくにつれて、
いろんなキャラクターというか、
登場人物の揺れ動きみたいなのは、
確かにすごく計算されつくしてるなっていうとこあるんですけれども、
そこが具体的にはどういう見方に変わっていったんですか?
そうですね。
最初に見たとき、やっぱり3章とかに分かれて、
視点がこう変わっていくっていうような形で、
最初、特に1章はすごく不気味な映画だなって思って見てたんですよ。
で、出てくる人も、
あんまり、この人はなんでこういう行動をとってるんだろうとか、
っていうのが見えないことが多くて、
出ている役者の方とかはすごく実力派で、
実在感のある演技をしてるんだけど、
なんか分かんないなあが多かったんですけど、
だんだんと、この人の過去こうだったんじゃないかなみたいな。
見えてきましたね。
見えてきた。
で、そこでどんどん好きになっていったって感じですかね。
結構、その中では出てくる登場人物のそれぞれに結構ライドしていった感じ?
そうですね。
4回も見ればね、っていう感じでもあるんですけど。
どうでしょう?4回も見たら、もはや神の視点になりそうだなと思うんですけど。
どんどん、この人、
このそれぞれのキャラクターがなぜこういう行動をとるのかっていうのが、
一種のエンタメとして描かれているから、
09:00
その都合よく動かされてるなって感じるときもあったりしてたんですけど、最初見たときは。
見ていくたびに、
あ、なるほどっていうふうになっていったのが多くて。
なるほどな。
特に、主人公、誰が主人公かはいろいろあると思うんですけど、
麦野君、麦野みなと君って男の子のお母さん。
はいはい、お母さん。
安藤さくれさん。
彼女が冒頭とかで、火事見ながら、がんばれって。
なんか消防団に。
一言みたいにね。
ね。
絶妙ですよね、あの演技はね。
あれも、だから最初見たとき、え?ってちょっと思うんですよね。
なんかこれは、そんなことやってる人あんま見ないし。
だからあれは何を思ってやってるのかなとかって思ってたんですけど、
なんか複数回見てたら、あれがやっぱりちゃんとあのキャラクターを指し示してるっていうか、
なんか他人に、自分の気持ちをのっけがちな人なんだろうなみたいな。
で、すごく共感力があるから、
自分がもし消防団だったら、がんばれって言ってほしい。
自分と他者は同じ感情であるから、
自分が言ってもらいたいことをかけてるんだろうなみたいな。
っていうふうに共感できるんだけど、
それ共感できるがゆえに、
みんな自分と同じ感情だと思ってるから、
気づけないことが結構出てくるみたいな。
で、それがその息子のみなとくんの抱えてる問題に気づくのはちょっと遅くなるとか、
っていうのがそういう細かいところで描写されてるのかなっていうふうに、
繋がってって、なるほどっていうふうになってったんですけど。
じゃあ結構、わりと逆に1回目の方は、
みなとくんのお母さん、安藤さくらの感じに、
第一部ってその視点じゃないですか。
そこにはそんなの乗れなかったっていう感じですか?
だいぶ引いてみてました。
だいぶそうですね。
映画の作りとしてどう考えても不気味じゃないですか。
周りの。
そうですね。何が本当かわかんないというか。
これはなんか裏があるなっていうのが気づいてたから、
だいぶ引いた目線で見てたんですけど。
これはだいぶうがった。
うがった見方だよ。
どうですか?山口さんもそんないきなりあれにはライドする感じでもなかった?
なんか共感みたいなのはないですよね。
これはそもそもの話であれなんですけど、
この怪物っていう話に出てくる人、
誰一人に共感しなかったので。
それはすごい物語構造として複雑で、
共感しないけど一部には共感するっていうことだと思うんですよね。
あれは要はなんていうかフィクションなので、
12:02
ある程度誇張されてるっていうか、
それを体現する言語として描かれてるわけですよ。
それぞれのキャラクターが。
例えば最初の安藤さくらであれば、
モンスターペアレンズですよね。
一言で言えば。
その次の堀先生で言えば、
あれはユトリモンスターですよね。
ユトリモンスター。
ユトリですけど何が。
ユトリですの何がですよね。
ユトリモンスターですよね。
最後はそもそも純粋無垢な子供がモンスターとして描かれてるってことなわけじゃないですか。
その他の3つのモンスターの掛け合わせなんですよね。
この映画って。
そうなった時に、だからモンスターだから共感はできないんですよ。
だけど誰もがそういうモンスター性とか怪物性みたいなものは持っているから、
それはあの3つの視点があるからこそ、
全部一人には共感全くできないんだけど、
通してみると何かわかる気がするっていうのが生まれるんですよ。
それぞれパーツで共感できるから。
みたいなのはすごい思いましたね。
あとはその構造として、そもそもあれが謎解き映画みたいな風によく怪物の批評とか語ってる人もいますけど、
見た時は僕はそうじゃないというか、あんまりそういう見方がそもそもしてなくて、
物語として一つの事象をいろんな場面から描いてるんだなぐらいの感じで、
あんまり僕は謎解きの方には考えがそもそも至らなかったんですよね。
僕も一緒ですね。
謎解きとは考えずに最初見てたから。
ただなんか一方でそのティザーの感じとか、
そもそも怪物誰だっていうその煽り方っていうかね、
っていうところから、たぶん意図的にそうなのかって思わせて、
だからそれを感じさせて、なんか8割ぐらいの人は、
これそういういわゆるフーダニットだみたいな感じで、謎解きに言ってるかもしれない。
で、やられたっていうのもあるだろうし、
2割ぐらいの人はとはいえみたいなので来てるだろうしっていうのも、
全てどちらに転んでも見に行くように仕掛けられた、
なんかこう宣伝広告な、すごいハックな感じはすごいしてて。
河村元気先生の仕掛けですね。
プロデューサーなどの。
その辺が上手いなと思ったのはそのティザーそれだけじゃなくて、
これまでの流れっていうのがあるじゃないですか。
いわゆるその邦画の流れで、なんか似た雰囲気で、
その例えば美奈とカナエの告白とか、
悪の経典とか。
告白は河村元気先生なので。
なので、だからもう最初からそういうふうに線が踏まれてるんですよね。
もう最初からそういうふうに線が繋がっていって、
じゃあ怪物、もしかしたらまたそういうやつなのかもしれない。
先生、もしくは生徒、もしくは母親、
誰かが怪物としての見たくもない、
でも見なきゃいけない姿みたいなのを見せつけるんじゃないかっていうのを、
予告以外のところからすでにもう仕掛けられているところはあるので、
15:00
っていう仕掛けられてるだろうなみたいに見てる2人の方が、
ちょっとなかなかけぐなっていうところがあって。
そこまででもなんかこう、
なんかそういうふうに仕掛けられてるなとすらもあんま思ってなかったかなと思うんですけど。
それはあれですよ、たぶん予告編とかあんま見ないで。
見ないですよね。
僕も見ないで行ったんですよ。
それは映画の楽しみ方っていろいろあるじゃないですか。
僕とかトリビアさんとかそうですけど、
映画館行くから割と予告見るじゃないですか。
でもなんか映画館でかかってる予告と、
よりもなんかロングバージョンがYouTubeに出てたりするのあるじゃないですか、映画によっては。
2分くらいあったり。
本編冒頭10分公開みたいな感じでやるじゃないですか。
そういうのって本当に今本田さんが言ったみたいに、
映画の雰囲気を感じさせていかに集客するかっていう、
本当PRとか広告的な視点なわけですよね。
そういう視点で絡めとられると、やっぱり怪物だあれみたいな話が物語の中心なんじゃないかって、
そういうマインドになるんですよ。
多分それで上手く話題作りもできて、この映画って成功してるんですけど、
僕もトリビアさんも一切ゼロで行っちゃったからな、
世の中とは逆で。
映画でそういうことやらないしね、よく考えれば。
それは知ってる側はそうなんですけど、
ただそういう名前で見に行く人がどれくらいいるかじゃないですか。
なんかでも昨今その考察ブームみたいな、
あれも影響してるのかなと思いますけど、
考察がもう本番みたいな、
ドラマとかもそういうのが多い、
僕はほぼドラマあんま見ないんで、
でもなんか話題になってるのは、
そういう考察ができる自習までに、
これにこういう隠された、
それこそ穿った見方なのかわからないですけど、
それがもうみんなに馴染んでるというか、
それが面白いわけじゃないですか。
それがありきでとかになってますもんね。
実際多分その怪物に関しても、
相当今YouTubeとかでは考察動画みたいなのはすごく上がっていて、
そこができるようにも全て仕掛けられてるというか、
それこそ誰がっていうミステリー要素がないはずなのに、
やっぱり細かいところでわかりやすく伏線回収してくれるじゃないですか。
いろんなところで。
なんでこんなにお母さんは男らしさを主張してたんだろうとか、
そういうのがすごくわかりやすく、
やっぱこれだったんだ、
鼻と手が接触するなんてありえないって思ってたら、
この流れになっちゃうんだっていうのがわかりやすく、
それプラスそういう何かのオマージュであったりとか、
メタファーっていうのもちゃんと設置されてる。
そこは多分坂本優次というか、
結構そのドラマで培ったものも含めて、
会話劇の中の橋橋っていうところも含めて結構差し込んでるというか、
いうところですよね。
これね中身の人物の話をもうちょっと振り下げた方がいいと思うんですけど、
僕がこのいろんな人出てくるじゃないですか、
お母さんも子供も先生も出てくるんですけど、
18:01
僕がこの話、怪物っていう映画を語るのに一番軸だなと思うのが、
東京ゼロサンのカクタなんですよね。
京都先生。
チンアナゴ。
そう、チンアナゴ。
子供たちにチンアナゴって言わせて。
チンアナゴって。
と思ったんですよ。
あのキャラクターってどう見てます?トリビアさんって。
4回も見たですから。
4回のチンアナゴはどうだった?
チンアナゴ育ててんなって。
でも4回見た上で、
なんかあの人は本当に普通のステレオタイプかもしれないですけど、
ことながらで校長に寄り添って学校を守ってるっていうような人かなと思ってたんですけど。
なんかにしては多分あのキャスティングはキャラがありすぎるんですよ。
カクタさん。
だって坂本作品だと出てますけど、
全員その最初のそれこそ安藤さくら、麦野さんが来て、
みんな目が死んでるっていう中で、
やっぱこうカクちゃんだけ目殺しきれてないわけですよ。
演技でやっぱりコメディアンの感じでちゃってるわけですよ。
一人だけ。
謝り方とか。
謝り方含めて。
で、なんかその辺りも含めて、
それって小枝監と坂本監の微妙な差異だと僕は思ってて、
坂本雄二はカクちゃんの物語を書く人なんですよ。
それはどういうことかって言うとやっぱドラマだから、
彼がやっているのはこうドラマ?
全文の中で毎週こういろんな人にそれこそ焦点当てて物語を作っていくんだけど、
小枝監督がずっとやってきたことってやっぱりどこまででも当事者性なんですよね。
彼がやってきたことって。
だから今回の物語でもやっぱり麦野くん、堀先生、であと星川くんとか、
基本的に当事者の物語なわけです。今回も。
その中の異質物としてカクちゃんがいるわけですよ。
それが多分本当は坂本雄二はそっちの視点も書きたかっただろうし、
なんか俺よく3時間の話をまとめたみたいなインタビューでよく言ってるじゃないですか、
脚本で坂本雄二書いたらもともと3時間になっちゃったんだけど、
それを圧縮したみたいな。
で、その元のヤンコを知ることはできないけれども、
おそらくそこがもうちょっとカクちゃんとか校長先生の話もそうだけど、
もうちょっと周りの話を多分深く描いてたんだと思うんですよね。
だからそれが映画内図、小枝内図された結果、そこがそぎ落とされて、
あの全員目が死んでるんだけどカクちゃんだけ目が生きてるみたいな微妙な違和感というか、
その微妙な違和感がずっとあるんですよ、あのキャラクターって。
だってモブキャラだったらもっと目立たない人でいいんですよ。
まあまあそうですね。
選び方として。
まあわかりやすく、カクちゃんっていうわかりやすさもあるし、
だからそれが一番わかりやすい例で、
でもやっぱり最終盤の方でいじめっ子の子、男の子、
21:03
2人をみんないじめてたあの子も台風の中、
多分家の手伝いで新聞配達のところで仕分けしてるみたいな、
ああいうのもわざわざ描写する必要ないんですよ、本来であれば。
あれって別にただのいじめっ子しか役割ないんで。
だけれどもああいうシーンを差し込むっていうことは、
そこにも多分その本当に今回でやりたかった、
いろんな人がいろんなその見えてる部分だけじゃないところで抱えてるものもあるし、
だからこそその行動が誤解されることもあれば、
まあその悲劇を読んでしまうっていうことが一個一個あるよっていうところが全部含まれてるなっていうところがあるので、
中村支道のお父さんもそうだし、高畑光の彼女堀先生の彼女っていうところも、
細かく多分あれがドラマ版だったらなおかでその視点が入るんですよね。
僕はあの堀先生の彼女いるじゃないですか、
この映画の中で本当に怪物って全員が怪物だみたいな、
もしくは誰も怪物なんていなかったっていうんだけど、
あの彼女は怪物なんじゃないかなと思ってるんですけど、
唯一、唯一。
あれ嫌じゃなかったですか。
それ多分鳥部屋さん目線だから。
僕だけです。
あれ彼女じゃない可能性ありますから。
いや、そうですよ。
ていうかあのめちゃめちゃ見下してるじゃないですか、パートナーのことを。
見下してるふうに見えてしまうんですよね。
そう、だけどなんかあの若干の暴力性も見える。
あのイチャイチャしてるけど、あの顔とかをなんかこう押したりとか、
なんか飴をこう食べなとか言って勝手に顔にバッて触ったりとか、
あれ多分そのジェンダーが逆だった場合は、
普通にDVになっちゃうって見られると思うんですよ。
だから、なんかあの嫌な感じを僕はずっと感じてたんですけど。
だから最後のこう、じゃあ出ていく出ていかないってなった時に、
あの痛いように繋がるわけですよね。
だから彼女はそういうのを全部うまく使ってる人なんですよ。
そういうジェンダーの立場とかも多分うまく使ってる人なんだけど、
だからまた結局この映画の中で、
いろいろな多分そのバックボーンがあるはずってことになってると、
なんかこう一概にこの人もいろいろあるんだろうなみたいになって、
いろいろあるということを思い浮かべていくと、
なんかもう心の勢いはなくなりますよね。
でもなんか自分の経験から照らし合わせると、
なんか昔付き合ってた女の子にあんなことされたなとか、
思い上がってくるとこう多分普通に作るかもしれないっていう。
彼女だけは特に回収されずに終わるじゃないですか。
そこはなんでなのかなって僕はずっと気になってるんですけど。
高畑光輝のちょっと無駄遣い感がありましたね。
いや、でもめっちゃうまく使ってるなって感じはありますけど、
すごくやーな、何回?
4回見た上で、4回目は本当にもう、
なんかこう拳を握りしめながら見ました。
すごいやーだなーっていう。
で、堀先生は彼女だけじゃなくて、
その人からやっぱ舐められてるっていうのが描写が結構いろいろあって、
24:01
まあ、そうですよね。
同僚の先生からもなんか、キャバクラだけにしましょうねとか、
完全に舐められてるし、
他のその角田さんとかね、
もうなんかバーンって突き飛ばされたりとか、
やっぱそれがすごくあの堀先生の過去、
あの子供の頃っていうのをすごくこう思い起こさせてくるっていうか、
やっぱその男らしくあるみたいなことみたいなのに、
すごくこう言われて育ってきたのかなっていう。
あの小学5年生の時に、なんか作文を書いた作文を、
あの生徒の前でなんか発表するじゃないですか、
西田光さんと結婚するんだっていう。
あれもなんかその直前に、
僕は生まれ変わったんだ、西田光さんと結婚するんだ、
大リーグのなんかのも選手でしたっけ、なんか書いてたけど、
みたいにっていうので、
弱い自分はもう1回捨てて生まれ変わって、
強くなって西田光と結婚するような男になったんだっていうので、
1回生まれ変わってるわけですよ。
だからその男らしくない自分を1回捨ててるっていう、
っていうのがちゃんと後半、
あの子どもたち、主人公の子どもたちが抱えてるものと、
ちゃんとシンクロしてて、
だからこそ気づけたっていうのも あるかもしれないですけど、
ずっとだから、キャバクラに行ってたかどうかは堀先生が、
わかんないんですけど、
行ってたとしても、
いわゆるコンプレックスの裏返しみたいな感じで、
女遊びみたいなのをしないと、
男として認めてもらえないみたいな、
っていう部分があったから、
行ってたとしてもおかしくないなっていうのがあって、
その辺もうまいなって思ったんですけど。
なんかその、これ江田監督の作品って、
言い訳の映画だなと僕は思っていて、
例えば万引き家族とかだと、
万引きをする言い訳、
それは暮らすためみたいな話だし、
今のキャバクラに行くっていう話も、
自称として良い悪いっていうのは置いておいて、
そういう男性性の裏返しみたいなことというか、
ことがあったりすると思うんですよね。
で、なんかその言い訳みたいなことを、
どう今回の映画で捉えていくかっていうことだと思うんですよ。
それこそ、例えば安藤さくらで言うと、
それは言い訳というか、
子供を守るっていう目的ですよね、
があるわけじゃないですか。
で、堀先生とかだと、
自分を守るっていうのもあるし、
それは彼女を守るとか、
そういういろんな子供たちを守るっていうのを最後に言ったりするんですけど、
基本的にやっぱり、
小枝作品に通定するのは、
誰かのために何かをするかどうかみたいな、
言い訳として、
それが悪いこと、良いことは問わずみたいな。
多分通定してるなとは思うんですよね。
今回の生まれ変わりみたいなモチーフ、
最初からずっと出てくる話で、
鉄道に乗ってね、
27:01
最後生まれ変わるかどうかみたいな話もありますけど、
そこよりもどっちかっていうと、
今話したみたいな生まれ変わりとか、
もうちょっとフィクションみたいなところを、
多分、
彼としては意識してるんじゃないかなと思うんですよね。
っていうのも小枝さんって、
坂本雄二もそうなんですけど、
両方ともテレビ出身なんですよ。
テレビドラマだし、
小枝監督はドキュメンタリー、
ノンFXとかのドキュメンタリーを作ってる人じゃないですか。
今回の作品も、
究極ノンフィクションとかで描けるような、
モンスターベアレンスの今みたいな。
だけど、フィクションで描いたところって、
今多分鳥部屋さんが想像したこともそうだし、
4回見ていろんな人物を想像したっていうのもそうなんだけど、
余白の問題が結構あると思うんですよね。
そこを多分小枝さんってすごい信じてる人なんですよ。
余白を、力を。
で、坂本雄二も多分それをすごい分かっていて、
それをめちゃめちゃこう、
エンハンスさせるため、強化させるための脚本を多分すっごく書いてるわけですよね。
だから4回見ても楽しめる映画になっているし、
さっきのその生まれ変わりとか、
いわゆるこう、普通に日常で考えてると出会わない単語。
物語の外部に連れて行ってくれる単語みたいなことが、
入ってくるんじゃないかなと思いますかね。
ビッグクランチとか。
そうそうそうそう。
あれも、だから僕何回も見て思ったんですけど、
ビッグクランチって本当にある単語じゃないですか。
子供たちはビッグクランチとは言ってなくて、
ビッグクランチって言い間違ってるわけじゃないですか。
でも、それは彼ら子供たちにとっての正解というか、
その2人だけの間で成り立つ言葉で、
誰からも修正される前の、そのままのものみたいな感じで、
登場しているのかなと思って。
それがだから大人に、いやそれは違うんだよっていうふうに、
修正されてしまうじゃないですか、いつか。
ビッグクランチだよって。
で、堀先生の趣味が雑誌とかの誤植を見つけて、
投刊するじゃないですけど、
あれとまたそこもつながってて、
その修正される前だった時期があるのに、
修正されることに、
とらわれてしまうようになっていくみたいな、
演出になってるのかなって。
その辺も細かいですけど。
細かいですよね。
細かく余白が散りばめられていて、
それが最終的にはラストシーンにつながるわけですよね。
ラストシーンって言ったのが、
正直一番最大の空白というか余白であると。
ただいきなり余白に持っていくんじゃなくて、
やっぱそれが坂本雄二がエンハンスって言いましたけど、
本当にまさにそこで、
最初結構分かんない分かんない、
その不気味なところっていう描写の中から、
どんどんそういうことだったんだっていうのが、
次々と分かってくる。
30:01
でも同時に生まれ変わりとか、
ビッグランチみたいな、
余白もどんどん加わっていって、
最後どうなっていくんだろうっていうところで、
多分その第2部から第3部に行く時っていうところの中で、
ガッと一気にそのイノセントの世界に没入していくっていうのは、
いきなりイノセントな没入の世界だと、
ああそういう雰囲気がねってことになっちゃうんですよね。
それを割と坂本雄二は、
そこの入っていけるように、
逆に1部と2部でガッチリ大人の世界で、
リアル感を相当演出してやってるんですよね。
それすごいありますよね。
小枝監督の作品ってそこがすごい入り乱れてるじゃないですか。
この辺りとして。
子供のシーンがあって、大人のシーンがあってみたいな。
絡むシーンがあってみたいな。
今回めちゃめちゃ明確にパキッと分かれてますよね。
そこがすごい計算し尽くされていて、
たぶん本当に一個一個最初から、
安藤さくらの母さんの目線にライドした人が、
すごい最後話され方をしたと思うんですよ。
ガチガチっとレールのところで、
あの世界に入っていって、
本当に子供が心配で、学校にムカついて、
でも第二部であれ違うじゃんってことに気づいて、
そしたらまた次は堀先生にドライブするわけですよね。
ライドして、あれこんなみんな俺をスケープゴートにしていくの?
っていうのでライドしていった結果が、
いやーでもやっぱそれって子供がこういう世界に引き込まれるんだってなって、
そこでもライドするんだけど、
最後どうなるんだろうって気になるのに、
あのラストシーン、解釈は皆さんに委ねますって。
Greatest Showmanみたいな。
本田さん嫌いですよね。
嫌いじゃないですよ。
なんかすごい計算し尽くされた意地の悪い構造だなと思いながら。
見てる分があって。
あのラストどう捉えたんですか?お二人。
どうってどうですか?
一応一般的には子供たちが亡くなってしまったんだけど、
あれは空想の世界というか、
なのかちゃんと生きたままあれは実際に起きたことなのかっていう、
2パターンに多分分かれてると思うんですけど。
だって僕は一部と二部で、
断片的な情報だけで判断しちゃいけないと知られたんで。
ちょっとあれだけじゃん。
そういうことなんですか?
断片的じゃないでしょ。でも全部見てるから。
でもあれだけリアルな世界から、
結構そこが炎上してる部分のポイントでもありますよね。
あれだけリアルな世界、リアルな世界だからこそ、
映画なのにフィクションなのに、あれだけ本当にあると思わせておいて、
最後があれが現実の世界なのかどうかがわからないっていうところは、
ちょっとやっぱりあれって思う人は多かったはず。
でも別に僕はラリドしてないんで、あまりそれは思わなかったですけど、
33:00
ただあれはもうちょっとそうせざるを得ないというか、
これが今回クエアパルム賞を取ったみたいなところにあるんですけど、
やっぱりこの創作物とはいえ、
今の日本社会を冷静に見たときに、
あの二人が簡単に救われるエンドはさすがにやっぱりもう描く。
それはやっぱりなんとなく嘘になっちゃうなっていうところがある。
でももうはい、なくなりました。残念ですねっていうのをちょっと奈落の底に突き落とすなってなってくると、
小枝さん的にはあの選択肢しかなかったんじゃないかというか。
なんかあれですよね、実際の坂本雄二のシナリオとしては何パターンかあったっていうのも結構有名な話で、
ラストではないさらに一歩を踏み込んだパターンとかいろいろあったらしいです。
それがあれに落ち着いたっていうのは、そこはいわゆる社会派としての境地というか、
やっていくときにあれまで、あれが現時点での、
だからこれこそが2023年の限界というか、いうのはちょっと感じましたけどね。
でもあれって言うと、二人とも坂本雄二もそうだし小枝監督もそうですけど、
やっぱりフィクションみたいなものをすごい信じてるんだなと思ったんですよね。
結局その夢の世界みたいな、どっちかわからないでしょうみたいな、
映画の世界の中での夢の世界ですよね、感じじゃないですか。
そこに行かないと本田さん言ったみたいに、わりと絶望的な終わり方っていうか、
別にあれはあのまま亡くなってても地獄だし、生きててもあんま変わらないみたいな状況が本当に改善するのかって言われたら、
正直それは改善しない可能性もあるわけじゃないですか。
なんでそれをそういう現実ではなくて、夢の世界っていうので終わらせること自体が、
多分あの作品の持つ意味だし、あの二人小枝監督と坂本雄二自体がフィクションっていうもの、
想像力っていうものを本当に信じてるんだなと思うんですよね。
それはやっぱり最初に言ったみたいなドキュメンタリーじゃなくてフィクションであるみたいなことで、
小枝監督っていろいろ社会問題の映画を描く人って言われてると思うんですよね。
最近で言うとベイビーブローカーとかもそうだし、ワンビッグ家族とか、それこそ誰も知らないとかも最初の頃はそうですけど、
基本的に社会問題を描いてきたと。だけど小枝監督がロールモデルとしているケンローチ監督っていうのがいて、
その監督はもっと社会問題を正面から描いてるんですよね。
それによって社会移民問題とかを描いていて、社会を変えようとしてるんですよ。
小枝監督って残酷なことに社会を変えようとしてないんですよ、多分。
彼の作品自体は。あるものを変えているだけなんですよね。
すっごいうなずいてますけど。
本田さんが今すごい嬉しそうな。
すごい嬉しそうな感じしてましたよ。大丈夫?
僕の心を代弁してくれてるなって感じで。
36:01
嫌いですよね。
嫌いじゃないです、嫌いじゃないです。本当にそうだなって。
本当に僕はそうなんですよ。小枝監督の作品って割とそうで、ある物語をただ描いているだけなんですよ。
それによって想像力で、こういう問題ってあるよねと。
捕まった人が実は裏にはこういう物語があるかもしれないよねっていうのを見た人に与えることで、
見た人の生活の中に想像力を加えるっていうことが小枝作品の魅力だと思うんですよね。
それを今回はよりフィクションっていうさらにわかりやすい形で終わらせることで、
いわゆる昨今の考察ブームみたいなところに乗っ取って、
もう少し人々の生活の中にフィクション、想像力をっていうのを与えた作品なんじゃないかなと思いますかね。
さっき僕がすごい笑ったっていうかニヤニヤしてたのは、
結局そうしないと届かない層があるっていうのを多分自覚的になんですよ、小枝さんって。
これはこういう問題があってこうですって直接的に言うのって映画じゃなくてできる。
だってクローズアップ現代っていいですね。
クローズアップ現代、僕が大好きなNHKのクローズアップ現代やニュースナインでだいたいできる。
でもじゃあなんでそれが人に届かないんですかってなった時に、やっぱり事実をただ伝えるっていうことだけではないパンチ力というか射程範囲というか、
っていうところの中で自分のやり方はこうだっていうのが小枝さんのいわゆる正面から問題ですよとか解決策はこうあるべきですっていうところを提示するように、
フィクションの中でそれぞれに考えてもらう。ただそれをこれまで小枝さんやってきたんだけれども、
そこもああなんかその邦画の社会の題材にしたやつねってやっぱりなってたところに今回坂本さんやプロデューサーの河村玄貴の力もあって、
いわゆるその今の考察ブームっていうところをどんどん引き込んでいく構造にしていった。
それがやっぱり第一部と第二部のそういった構造っていうところなんですね。
すごく自覚的にそうやってやっているっていう部分があって、うまく引き込んでいったなっていうところはある。
ただこれでもやっぱり結構諸刃の剣で、でもそうやってなんかこう情報断片的に切り取るのがよくないよねっていう第一部第二部のところ、
最後通帯しての価値観だけれども、それを呼び込むためにはそれこそティザーで怪物だ、あれだみたいな感じで、
断片的な情報を使って、いわゆる情報メディア的な諸刃の剣をすごい使ってしまってるなっていうのは怪物感じた、
結構その外側で今起こっているところの演員にもなってるんじゃないかなって。
だからなんか歪になってますよね。
ホレーダ作品として見たら、今回多分さっきもおっしゃられたと思うんですけど、だいぶ広いレンジに向けて投げないと、もうこれは届かんぞ。
もうそれはもう諸刃の剣、デメリットも承知で一歩表に出るかっていう感じで、多分大きな挑戦したんのかなっていうのは、
39:04
なんかちょいちょいあるじゃないですか、中村志堂が演じてるヨーリックのお父さん。
いわゆる広レーダ作品的な、いろんな人にいろんな事情があるっていうのの回収方法が台風の中でこけるっていう、
あれで終わっちゃうのはすごく歪だなと僕は思ってるんですけど。
それがずっと坂本コレーダ論をしててあれなんですけど、二人とも多分時代とすごい密接に絡んでる人だと思うんですよね。
だけどその時代のアプローチが多分違ってて、坂本雄二はやっぱりトレンディドラマ。だから時代のトレンドと割と寝てるんですよ。
で、コレーダ監督はニュースと割と寝てるんですよね。比喩的に言うと。
それってどちらも時代なんだけど、そこのアプローチの対象の広さが違うんですよ多分。
坂本雄二はめちゃめちゃ時代と寄り添うのが上手いから、それこそ花束だってすごいわけじゃないですか。チューニングを仕切った結果。
解像度もそうだし、時代の描き方もそうだし、本当に同世代なんだっけっていうぐらいのカルチャーもそうだし、出てくる小物一つとってもすごいわけですよ。
で、それをコレーダさんの持つある意味ニュース性の閉じた感じみたいなのを坂本雄二が開けた。
開けたっていうことにしたことによって、それで多分今トリビアさんに言ったコケて終わるみたいなとこは、その微妙な歪さだと思うんですよね。
その両者がぶつかった結果の良い化学反応もあれば、なんか悪い化学反応っていうか、でもそこはある意味あの映画の不協和音として残ることがせいなんですよ。
それはあの映画自体が最初にトリビアさんが言ったみたいに、なんか歪な関係だから不協和音な関係、最初のほうと特に。
で、そこがなんかずっと合っているようで、あの二人が噛み合っているようで噛み合ってない映画だと思う。
とりあえずね、悪いっすよ。
そう、悪いっすよ、あれめちゃめちゃ。なんかすごい最高の作品みたいに見るんですけど、全然良くない?あんなの。申し訳ないけど。
魂はやっぱりいくつかに分散されてるんですよね、あの映画の中で。
もうそれって非常にあの映画が描いていることじゃないですか、見方はたくさんあるよね。
それは坂本派の人はこう見る、ゴレーダ派の人はこう見る、ティザーだけ見た人はこう見る、考察中はこう見るみたいな。
もうそういう映画としてパッケージされているっていう、なんかある意味その映画っていうか怪物っていうコンテンツ自体の魅力は多分そこにあると思うんですよね。
見た人の鏡になるっていうか。
だから、僕はそういうのを旗から見てて、プロデューサーが誰だとか、脚本が誰だ、監督が誰だっていうのは、音楽誰だとか。
で、一番面白い部分ではあるんですけど、にしてもやっぱりそっちに触れすぎてて、結果その作品の中の話は置いてきぼりになってるってこと自体が、
42:03
この映画に出てくる子供たちが、外側で大人が勝手にごちゃごちゃやってるっていう、作品自体があの子たちみたいになってる、かわいそうだなってちょっと思ったりとかしてて。
なんか、確かにいびつだし、円溜めに振ってるんだけど、やっぱ中見るとすごくドキッとする演出、その余白のある、これはどういうことなんだろうっていうような演出とかが、やっぱりあって、
言葉にしてない、言葉じゃなくて伝えようとしてること。
例えば、あの、登場人物で言えばその、港区のお母さん、すごくいいお母さんなんだけど、仕事もしつつ、一人で息子の世話をしないといけない、食っていかないといけないって大変だから、すごくいいお母さんで、息子のこともすごい理解してる。
あのね、なんか部屋を荒らしても、そういうことあるよねって、あの頭ごなしに怒るとかじゃなくて、あるよね、そういうのっていうふうに接してるんだけど、それゆえにちゃんと向き合ってないんですよね、なんか。
その何があったのかは、結果的にちゃんと聞けてない。
で、それがその画面上見ても、4回僕見たからなんとなくわかるんですけど、あの画面上で大人とか、まあ人物がちゃんと向き合ってるシーンがほんとにないんですよ。
あの画面の奥と手前で会話してるし、奥のキッチンでお母さんなんかやってて、手前でその息子がテレビ見てるとか、あの堀先生がよりくのお父さんの家に行くときに、初めて仲間の仕事さん、なんか酔っぱらって帰ってきた家で話するときも、なんか庭の水やりをしながら、手前と奥で話してるみたいな。
だからちゃんと画面上2人が、誰かが向き合ってるシーンがほぼなくて、1個だけあんのが、あの怪物誰だゲームをしてる男の子2人なんですよ。
あの2人は、ちゃんと2人が電車の席、向かい合わせの席に座って、画角的にも2人がちゃんと向き合ってて、で額につけたゲーム、その相手の動物が何なのかっていうのを、お互い自分のあれって、そのいわゆるアイデンティティを確認し合ってる。
他者から見た自分によって、その自分は何なのかっていうのを確認し合ってるって、すごく美しいシーンじゃないですか。で、そういうのって言葉にしてないけど、すごくいっぱい隠されてるんだけど、そこの話は多分あんまりされないっていう。っていうのが、なんかかわいそうだなって思ってきたんですよね。
そこが構造的な問題だなーってやっぱ思ってて、やっぱそこを絶対通廷してあるんですよ。向き合いましょう、対話をしましょう、相手の見えない部分をただ想像するだけじゃなくて、まずは考えてみよう、話してみようっていうところから始めましょうっていうところは、それだけで言うと教科書的だから、それをしっかり伝えるための演出はすごくあって、
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それが計算され尽くしている。だけれども、結局この山口さんがちょっと前に言ったことが本当にそうで、これだ派はこう見るみたいな、何々派はこう見る、考察中をたくさん引き連れたために、考察中はこの見方をするっていう、その諸派の剣によって観客たちは何々派でこう見るが、誰一人対話してないんですよ。
そうですね。ツイッターですもんね、だって。
だからそれがやっぱり構造的に、でもそういうふうに計算してそれを呼び込んできてしまっているから。本当はそこでそれを呼び込んだ上で、じゃあみんな対話しようってなるべきなんだけど、やっぱり大人の世界ってもはや成立してないよねっていうのが、今現在だなっていうところをしみじみと感じられるからこそ、なんか自分も最初に言ってた、あまりこれについて語りたくないとか。
言ったら負けだみたいなところが、やっぱりそういうところにつながってるのかなっていう、もうそれぞれの目線が違うふうに、あれはもう整理され尽くしてる、やっぱりそういうふうに計算されているっていうところが、その通帝の向き合うっていうところまで、なんかたどりにくくさせてるんですよね、逆に言うと構造がすでに。
さっきのトリビアさんの話聞いてて、トリビアさんやっぱり本当に映画好きなんだなと思って聞いたんですよ。
僕、今日この場でそういう話をバンバンしたかったんですよ。
それってすごい、なんて言うんでしょうね、僕、それこそこの映画をどこで見たかって話じゃないですけど、新宿の109シネマプレミアムだっけ、ということで、
いくら? 4500円なんですけど。
ポップコーンおかわりし放題。
ポップコーンおかわりし放題っていう、歌舞伎町タワーに新しくできたとこで、坂本隆一が監修した映画館だし、音楽もそうだったら見に行こうかなって言ったわけですよ。
で行くと、本当に豪勢なソファーとラウンジがあるわけですよ。で、そこに始まる前も始まる後も、くつろげるみたいな感じになってるわけですね。
で、見終わった人たちがいろんな話をしてるわけですよ。もうRRRを見終わった人がすごいテンションで出てきたりとか、リトルマンメイド出てきた人たちがどうなんだろうみたいな気持ちで出てきたりとか、いろいろあるわけですよ。
ただその映画館って4500円払ってる人が来てる場所なんですよ。だから見終わった後にすごい会話もしてたし、この映画はどうでみたいな、今本田さんで言った話もしてるし、
今トリビアさんが話したような話もしてるんですよ。向こうカット終わりの話もそうだし、カメラの構図の話もそうだし、すごいしてるんです、その場は。
だけどそこから一歩外に出て、歌舞伎町の街中に出た瞬間に、そんな話をする人はほとんどいなくなるわけですよ。
48:05
それこそツイッターの限られた村なのかもしれないし、本当にそれはすごい狭い世界になっちゃうんですよね。
でもそこをトリビアさん的にも、中身の話をトリビアさんがし続けた方がいいと思うんですよ。今回の話ってトリビアさんが中身の話をしたいのに対してメタ構造がかぶさってくるっていう、まさに怪物の構造を僕らは体現していた、今のタップルームの回だなと思って、
でもトリビアさんは、こういう場でそういうことを言うことがすごい重要だし、むしろポッドキャストっていう媒体でそういうことを言い続けることが、そこを拡大する一歩につながるとすごい思うんですよね。
だってその話をする人はトリビアさん自身もおっしゃいましたけど、あんまりいないんですもん。なんでいないかって本当だから、それはね、映画を喋るためのものになっちゃってるから、誰かとコミュニケーションするためのレファレンスになっちゃってるからそれ。じゃなくて映画自体を語るっていうことを多分すごく重視してるし、まとめると本当好きなんだな映画と思って。
いや、好きじゃないと4回も見に行かないしね。
聞いてました。
いや、そうなんですよね。なんか本当にそういうこぼれ落ちる演出は、最初僕はだから今回は小枝監督は脚本を書いてないっていう、一種の変化球じゃないですけど、ほとんど自分で書く人なのに書いてないっていうことだし、宣伝方法とかを見ても、やっぱちょっと、さっきも言ったように広いレンジに投げるために向きを変えてるっていうのは、なんとなく感じてて、
だから、あんまりそういうことを拾いに行くつもりでもなかったんですけど、やっぱうまいんですよ。なんかそういうのやってるんですよね。なんか僕が好きなのは、水の演出みたいな。
舞台が諏訪湖、湖じゃないですか。で、大きい水の塊みたいな。で、僕2回目ぐらい見たときに、後半で、みなとくんが堀先生に追っかけられて階段まで追い詰められてこけるって。その後に、なんか屋上じゃないですけど、校舎から外を見つめるシーンがあって、横に校長が出てくるって。
あのときにコップにお茶が持ってるんだけど、外見るときにこぼしそうになってるっていうの覚えてません?なんかすごい僕見ててヒヤヒヤしたんですけど、あれなんでわざわざコップを、なみなみでもないんですけど傾けて、ごめんなさいって言いながらやるんですけど、あのシーン2回目ぐらい見たときに、よくよく考えると、ずっとこの映画って、こぼれる水が出てきてるんですよね。
その冒頭のその火事のシーンとかからも、その湖から水があふれてるダムみたいなシーンとかあったり、で、あのよりっくんの家にその安藤さくら、お母さんがみなとくんのお母さん行ったときも蛇口から水をコップについであげるシーンとか、とかあったり、あと金魚鉢ですよね。
51:20
あの堀先生が金魚をトイレに流そうとしてやめるシーン、でもやめるんだけど、やめた後に足を滑らせて水がこぼれたことによって気づくじゃないですか、だからこぼれそうな水、あとまああの台風のときに安藤さくらの家の蛇口の水がポタポタ落ちてるのを止めるシーンとか。
で、最後台風が来て、大災害が来て、全部それを洗い流されるっていうのがちゃんと水の演出として通ってて、だからみんなのその、まあ僕の解釈ですけど、コップに溜まった何かが一定量を超えて全部超えた瞬間に何か大災害が起きるっていうかとんでもないことが起きてしまうっていうような、みんなそれぞれそのキャパシティーがあって、みんなそれ溜め込んでるんだろうなって。
で、それが溢れた瞬間に何かひどいことが起きてしまう。で、最後だから台風が過ぎ去った後にすごいすがすがしい気になるじゃないですか。あれはみんなの何かがこう全部流れてったっていうような演出になってんのかなとか、っていう何回か見ないと多分そんなに気づけないものなんだと思うんですけど。
そういう演出とかの話を僕は映画を見ながらいつもしたいんですよね。で、そこから何が見えてくるかっていうので、まあメタに行くのも全然ありだと思うんですけど、なんか最初にそのメタの話に行くっていうのは、なんか本当かわいそうかなって作品があって思うときがよくあって、それ最近の流れなのかなってその考察みたいな。
僕はそっちよりもやっぱ中の方が好きなんですよ。
なんかあんまりこうなんて言うんでしょうね、具体的に考えたがらないんだと思うんですよね。
やっぱり怪物って言ったときに割ともう単純化しちゃうっていうか、怪物だれだの話もそうだし、割とこう一単語と結びつけがちだと思うんですよね。怪物だれとかこれだとか坂本とか。
で、今のトリビアさんの話も結びつけようと思ったら、たぶんスワコとかあるんですけど、スワコみたいなヒント一つもないじゃないですか。
今見てトリビアさんみたいに考えていくと水がやたら出てくるし、謎の湖のシーンめっちゃ出てくるし、あれは何だろうっていうふうにどんどん具体に具体に掘っていくと、あれはスワ地方で撮っててスワコなんだみたいな。
それがモチーフなんだみたいな。で、そこから初めて坂本勇次の作品でみたいな、湖が出てきてみたいな、それでも生きていくがあってみたいな話になってくるんですよ、たぶんね。
なんだけど、そこまで至るにはやっぱり具体の話を最初にしていかなきゃいけない。で、それもしかも今言ったみたいに俳優の話じゃないんですよね。
54:09
安藤さくらがとか、そういう少年がとか、他の作品何に出ててとかっていう話じゃなくて、映画自体の持つ魅力みたいな話をしていかないと、その領域にはたどり着けないし、あんまりそれをやってる人はいないなと思いましたね。
答えがやっぱりあることのほうがね、だから坂本勇次だなって言ったりとか、やっぱこれらはすげえなみたいな、まあそれは絶賛も含め、国標も含め、またこれらはこれをやってるみたいな、も含めて具体というよりは、なんかそれで語ったことになっちゃうのは、まあそれ楽しいんですけどね。
でも、なんかもうちょっと味のする部分いっぱいあるのになっていうのがあるんですよね。
そこがだから、これだとか、そういう固有名詞としてやっぱりビッグネームになりすぎてるがゆえの。
そうですね。
作品そのものに没入がやっぱりできにくい構造になってしまっているというか、そういうのってやっぱり本当に今トリビアさんがおっしゃってたこととかって、昔はだからそれが文学作品なわけじゃないですか。
過去の古典を読んで、文学作品を読んで、その行と行を追っていくごとに、自分自身がそうやって研ぎ澄まされていって、その作品と向き合っていくって。
で、そこについてその、太宰賀とか、芥川とかってこのくらいはないはず。
なのに、文学もやっぱりそういう道をたどっていって、なんとか賞っていうところの中で、その誰がっていうところに回収されていく。
メタっておっしゃったんですけど、ほとんどただの外側っていうだけですよね。
側のところっていうところで留まってしまって、じゃあ中を愛する人ほど、どこへ行ってしまったのだろうっていうのが文学作品にあって、
で、今はその映画っていったところでも、やっぱそうなりつつあるのかなっていうのは、ちょっとほんとに今日のこんな全体を振り返って思ってしまったところですね。
そう、賞を取ったとか、そういう話もそうだしね。
賞を取ったことが、それを受けて監督がまたそのね、それに特化したものではないって言ったことがまた取り上げられるっていうのも。
バリーが続いていくわけですからね。
話し合ってないんですよね、それが。
だから、見てたらその登場人物の感情とか追っていくと、監督がなんでそれクイアについてだけの映画ではないって言ってるのかも、なんとなくわかるっちゃわかるんですけど、
なんか、やっぱりその、さっきも言ったその堀先生とかが、その昔自分はたぶんおそらく男らしくないみたいな楽園をされて、
57:03
シングルマザーで。
とかって、によって受けたことで生まれ変わろうとしたっていうのが出ちゃう。
あの学校の時とかも、あの男らしくあれみたいなことをさらっと言っちゃうじゃないですか。
うん。
あと校長先生とかも、こういう問題が起きた時に、あんたがこの学校を守るんだよって堀先生に言うし、とか。
あれもたぶん、校長先生が誰かに投げかけられた言葉なんだと思うんですよ。
だからやっぱり、人って誰かに投げかけられた言葉を人に出しちゃうっていうことが、全部つながってる気がしてて、登場人物。
だから、その人に発する言葉、すごく慎重にならなきゃいけない。
こうでなきゃいけないっていうのは、やっぱ残ってその人が他の人に出しちゃうから。
っていうことを描いた映画としてみたら、それはクイアンに対しても言えることだし、
男らしいっていうことに言われ続けている人とかも言えるし、だからあらゆることに対して、人間についてですよね。
だから、そのクイアンっていうことだけを特化したものではないっていうことなのかなって、僕は理解したんですけど。
そう思います。
思ってですか?
なんだそれ。
いやいや。
新しいですね、今の。
いや、そうだなーって思ってしみじみ。
そうですね。
ほんとですか?
投げかけられたことでできちゃうから、子供たちは、子供たちにどういう言葉を投げかけるかは、すごい慎重にならなきゃいけない。
だから本当にそれはすごくあって、すごい難しいんですよ。
あの中の話っていうのは、断片的な情報で人を判断してはいけないみたいなところはあるんですけど、
とはいえ、それぞれの生い立ちとか環境とか育ってきたものによって、人ってやっぱり規定されてしまう。
そういった部分があるのは否めないっていうところはある。
ですけれども、だからじゃあこの人はこうですっていう、そのいわゆるその先入観っていうのも大人になるにつれてそれがどんどん溜まっていく。
でもそれがやっぱりいないのが純粋な子供たちの話である。
だからその怪物は誰だっていう遊び自体も、それが怪物なのかどうかっていうのはあんまり関係がない。
ビッグクランチもそうで、ビッグクランチもビッグランチという。
それは彼らの中の他の偏見っていうのがないからこそ積み上がっていくもの。
でも周りにはそういうテレビなどに影響を受けてこれはどっくりでしょっていじめを仕掛けてくるような残酷さも子供たちの世界の中にはあるっていうのはものすごく表現をされているんだけれども、
ここを語れば語るほど本当に言葉を自分も選ばなきゃいけなくなるし、
それを投げかける相手がどういう方なのかどういう人なのかっていうところもしっかり見極めていかないといけないっていうところがあって、
それがやっぱり今回怪物を選ぶっていうところにあたって、じゃあゲストはトリビアさんです。だったらやりましょうなんですよね。
1:00:01
だから全然知らない人たちに対してこれってこうですよねって語りかけるのではやっぱりこの怪物というテーマについて語り尽くせない気がした。
そこはやっぱり僕らの関係性というか、いつもの母と飲みながらでもその中でも少しずつ交流があって、
っていうその心理的安全性によって今回ってやっぱり成り立ってるよねっていうところは本当にめちゃめちゃ思いますよね。
あれだと思うんですよね。飲み会で怪物の話できるくらいの世の中の方が正しいんだろうなって思うんですよ。
でもさっき言ったみたいに話しづらいじゃないですか。それは間違ったことをしてしまうからかもしれない。
この映画に出てくる人は全員間違ったことをしてるんですよ。それは子どもたちもそうで、嘘をついてたりするから。
だからその時に間違ってるよって言える関係性があるかどうか。
だから社会がそういうふうにいきなり最終的な決裂に結局繋がるじゃないですか。
間違ってるっていうので終わってしまうっていうのは話し合いでも何でもなくて、
だからそういう意味で本当にこういう関係性がやっぱり大事っていうことでもあるんだと思うんですよね。
まあそれが本当に一長一短ではなく積み重ねていくことがやっぱり大事なんだなというところがあるので、
本当にこのタップルームも積み重ねていく良いものになるんじゃないでしょうかね。
それは何のまとめですか?
いいふうにやりたかっただけなんですけどね。
僕ですか?僕、感想っていうかあれをどう捉えた?
語り尽くしたところとして、そこがまだ足りてない。
僕はまだ木田さんの話とかもしたかったんですよ。
まあしたいですよ。
それは第二部ですか?
まだどっかでやるんですけど。
僕は素直に普通に一回見たときは、死んでるとかは捉えなくて、
普通に作り手側の気持ちが乗った希望だと思ってます。
希望っていうのは託した希望っていうか、
この子たちがあのまま突っ走っていけるような社会であってほしいっていう希望が乗った終わり方だと思ってたので、
悲しい終わりとは見なかったです。
悪いですか?
全然悪いです。
なんか不満げな顔をしてこちらを見てる。
すごいみんな疑心暗鬼になってるじゃん。
対話大事って言ったもん。
そういう映画の対話って言ってるのに。
というところですかね。
というところでちょっと時間もありますので、
ここでいきなり鳥谷さんに来ていろいろ喋っていただいて、
最後にというところなんですけれども、
番組の告知などをいただければと思うんですが。
鳥谷 はい。
ポッドキャスト番組深めるシネマっていう番組をやってまして、
幼馴染とやってるんですけど、
最近シーズン2になりました。
1:03:03
大事ですね。
鳥谷 大事です。
幼馴染と毎回映画を一本選んで深めていく、
さっき言ったみたいな中身の話を結構僕はしたいのでしてる。
そこから派生したいろんな話をしてますので、
興味がある人はぜひ深めるシネマを見てください。
ぜひお願いします。
はい。ではそろそろお時間となります。
ツイッタースペースでお楽しみの方はそのままお聞きいただけます。
ただこれをポッドキャストでお聞きいただく方とはここでお別れとなってしまいます。
毎月雑談2で開催中、公開収録イベントタップルーム。
次回はぜひ直接雑談へ足をお運びください。
ここまでの相手は真夜中コンビニの駐車場で、
より本田と山口とマニチュエがトリビアでした。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
この番組は東京東中野にあるクラフトビアバー雑談で収録しています。
厳選されたクラフトビールとこだわりのスパイスカレーを楽しみながら、
夜な夜な繰り広げられる雑談に参加したい方は概要欄をチェック。
では次回の更新をお楽しみに。
ご視聴ありがとうございました。
01:04:45

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