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2023-04-21 1:37:02

#18|VOICE「ポッドキャストとWeb1.0」feat…竹中直純〈収録:2022.12.23〉

from 雑談【VOICE】では毎回不定期に、いま声を聴くべき人を雑談へお招きしお届けします。

第二回となる今回は、竹中直純さんをお迎えしての前編。文化と技術の両面でインターネットを支え続けてきた天才プログラマーは、”ポッドキャスト”の歴史といかに交わってきたのでしょうか?その黎明期から現在までを掘り下げたロングインタビューをお届けします。(収録 2022.12.23)

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[GUEST] ───────────────────

【竹中直純(プログラマ/起業家)】

1968年福井県敦賀市生まれ。90年代前半のインターネット黎明期からさまざまなサービスを企画、設計、開発するプログラマ、起業家。現在は技術開発を本業とするディジティ・ミニミ社をベースに、OTOTOY、BCCKS、未来検索ブラジル社でいずれもプラットフォームサービスを運営しつつ各種開発も手掛ける。砂原良徳、國崎晋と共に音楽を楽しむ環境を見直すPodcast番組"Operation Sound Recovery"のホストも務める。

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[HOST] ───────────────────

【Mechikuro】

マンガ・オーディオ・アート・クラブミュージックなどの第一線で、分野横断的に活動するクリエイティブディレクター。 グラフィック&プロダクト両面のデザインのみならず、編集&ライティングからブランディング&プロデュースまで多様なスキルセットを駆使する。 これまでの経験と知見を活かし、『JAPAN PODCAST AWARDS』では創設メンバーとして、2019年創設〜2021年まで3年に渡り理念&審査レギュレーション設計、選考委員選定、ノミネート作品選考、グラフィック&トロフィー造形など中核業務の全てを担当。 作品選考作業においては、年間平均2000作品・2000時間強に及ぶ聴取・リサーチ・分析を行い、アワードという一つの基準において、国内ポッドキャストシーンの可視化とクオリティの定性評価に寄与した。 現在、自身のポッドキャスト作品としては、ぷにぷに電機と共に制作する『LAUNDRY AM』を配信中。 『雑談』では、より広く、より深く、音声作品の可能性と魅力を伝えるべく、さらなる能力を解放する。

https://bit.ly/Mechikuro

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Twitter|⁠https://twitter.com/zatsudan_co_jp⁠ / Instagram|⁠https://instagram.com/zatsudan_co_jp⁠

©︎雑談 https://zatsudan.co.jp


00:01
今回は竹中直純さんをお迎えしております。
こんにちは。
今日は、竹中直純さんのさまざまな経歴や、さまざまな伝説…
丸刈り伝説。
丸刈り伝説とか、挑発伝説とか、
ちょっとひとまず置いておいて、今回は音声に絞った形で、
直純さんからいろいろ過去の話と今の話を聞きたいので、お付き合いください。
よろしくお願いします。
そもそも、僕と直純さんが何でこういう接点があるのかっていう話からなんですけど、
出会いはともかくとして、音声に関わるところでいくと、
その際に、第1回と第3回の先行委員をお願いしたのが音声でいうところのつながりになるんですけれども、
なんで僕がそもそも、
今、僕が当時、ポッドキャストの可能性をすごく感じて、アワードの立ち上げに関わったんですけど、
第1回目の前ですね。
そうですね。
その際に、その前に、
その前に、
その前に、
その前に、
その前に、
その前に、
その前に、
その前に、
その前に、
その前に、
その前に、
やっぱりすごく広大なフィールドだなって思ったんです、可能性含めてポッドキャストは。
いわゆる人文からサイエンスから、それこそエンターメモも含め、
それこそプログラマーの方々、テックの方々もすごくいろんなジャンルがあったので、
そこを網羅して、そこの価値っていうものをしっかり見ていただける方っていうところで、いろいろ候補というか、
誰にお願いしたらいいのかを考えたところで、
僕は本当に井上一馬さんにお願いしたいなっていうのがあったんですけど、
本当に膨大な量を聞いていただいた上に、
あのすごいクオリティーの総評までいただけて、
僕らとしては本当に頭が下がるというか本当に嬉しかったんですけど、
でですね、ちょっとそのアワードのお話はまたこの後するとして、
まず最初に伺いたいのが、
直澄さんっていわゆる日本のインターネット、
日本のと言わない、
インターネットが立ち上がっていく瞬間から、
かなりリアルに体験されていて、
見てました。
03:00
しかも最前線でプログラマーとしていろいろ関わられてきた経歴の中で、
その最中、この音声っていうものがどのような立ち位置にあって、
当時の直澄さんがどのように捉えていたのかからまず伺いたくて。
なるほど。
音声の捉え方か。
初期のインターネットって、
ブラウザがまずモザイクとか、
それからネットスケープが最新版みたいな状況の時に、
MP3っていう企画があったんですけど、
MP3ってなんだっけ的な。
そこからなんだ。
はい、そこからですね。
で、それはビデオの企画があって、
ビデオの音声トラックを、
ビデオのストリームの中にどう埋め込むかみたいなところから派生した、
MP1とかMP2とかがあって、
MP1よりもMP2よりも音がいい企画が、
ドイツのフランフォファーっていうところから出たのが、
90年とかじゃなかったか、
92、3年かな。
今何も見てないんですけど、
Wikipediaなんかに書いてあると思うんですが、
MP3っていうのは圧縮の方法をうまく、
技術の話は省くとうまくやるようになって、
実用に耐えるような音声になって、
音声はPCMって言って圧縮してないものがあるんですけど、
いわゆるCDクオリティだと1550キロっていう量なんですけど、
これを10分の1に縮められるっていうことが、
技術的に可能になったっていう時代なんですね。
92年頃。
企画ができたのが。
それがパソコンの速度で実用的に圧縮ができたり、
再生ができたりするようになったのが、
5年後から2、3年間なんですよね。
そこがないとインターネット上に音声いくら置いても、
初期のWindowsのBMPみたいに、
しょぼい落書きみたいな絵を出してみましたぐらいのこととか、
それから今からだと想像がつかないかもしれないんですけど、
EC、コマースですね。
通販みたいなものの概念が、
テレビ通販ぐらいのものしかなかったんですよ。
または雑誌の後ろにカタログみたいな。
ハガキで送ったり電話で。
電話したりみたいな。
ああいう時代の通販のイメージしかないところに、
インターネットのページ上にクリックできるボタンがあって、
これをクリックすると決済をすると。
その決済はクレジットカードがまだそういうネット対応してないので、
06:04
クレジットカードさえまだ珍しかった時代に、
クレジットカードをフォームにデータを入れて、
なんかわかんないけど、サブミットってボタンを押すと、
ありがとうございましたって出たけどこれ何?みたいな。
そんな時代だったんですよね。
なので何がタダとか、今みたいにビデオがタダだとか、
テキストがタダだとか、新聞のような有料の情報が、
一部断片的にでもタダでやってくるみたいなことは、
全然当たり前じゃなくて、みんな恐る恐る使ってたような時代ですね。
そこに音声が扱えるぞってなったのが、
ブラウザの対応を待たなきゃいけないんですけど、
さっき言ったように企画ができて、コンピューターの速度が追いついたのが、
1997年、8年とか、それぐらいですよ。
ちょうど僕が坂本隆一さんのライブを手伝ってた頃というのは、
95年だとストリームワークスっていう、
これMPEG-2っていう、今の地上波デジタルと原理的には同じ仕組みなんですけど、
それをこんなちっちゃい、こんなちっちゃいって手で示してもわかんないですよね。
320×240の解像度で、やっと送れるようになったっていう時なんですね。
そこは、やっぱり当然音声ついてないといけないので、音声もついてるんですけど、
ステレオじゃないぐらいですね。
16Kとかなんかそんな感じで、
FMラジオよりも全然聞き味が悪いみたいな音声が、やっと家庭でモデムで伝わってみれるみたいな状況でした。
その後2,3年はやっぱりライブを手伝い続けたんですけども、
ストリームの容量が、モデムの速度が上がると、
例えば最初は28.8Kだったのが56Kとかになるわけですよ。
56Kだとステレオにできるかなみたいな、そんな感じでした。
それでもそのぐらいなんだ。
56Kですからね。
今のMP3の聞いてて不快にならないような容量、帯域は128Kとかですね。
128Kなんてどんなモデムよりも速いですからね。
144Kみたいなのが最後の方には出てきてましたけど、
でも基本的には9600BPSとかだったわけで、
やっぱりそういうマルチメディアというか、
メディアデータを扱うような帯域を家庭まで持ってこれたっていう時代と、
やっぱり微妙に前後するんですが、
90年代の後半っていうのはまだちょっと早い時期だったんですよね。
じゃあちょっと今おさらいすると、
09:00
それこそ今語られた坂本隆一さんの件などは、
今別のポッドキャストでまずは右から始めようという形で、
やってますやってます。
配信されてるの僕もすごく聞いていて、
ありがとうございます。
最高なんですけど。
いわゆる坂本さんが当時の90年代中期から2000年代頭の手前までの間に、
インターネットに文化を持ち込んだ最初の人的なお話として、
そちらでは語られてたんですけども、
今の2022年の僕からすると、
インターネットに文化を持ち込んだっていうと、
今のイメージでしか想像できないんだけど、
今まさに直澄さんが語られてたような環境、
インターネットと言われる環境の中で、
リアルタイムで音楽ライブっていうものを配信するっていうところまでをチャレンジしたっていうのが、
その当時の話だったってことですね。
そうです。
やばい。
それこそ僕が当時触れてたインターネットって、
いわゆるテキストベースの、
ホームページにあるものがあるらしいと言って、
そういうテキストベースのものを楽しむ。
画像って言っても今言ったように、
それこそ柄形初期の画像よりもさらにちっちゃいぐらいの。
JPEGが例えば50Kあるとして、
50Kが上からゆっくり来るみたいな。
ホームページも切り分けて表示しないと読み込まないから、
1枚入れっていうものも56分割して開くみたいな時代でしたよね。
そういう工夫もしてましたしね。
じゃあその頃はまさにテキストベースだったインターネットの中で、
それこそ画像とか音声といったような重さのものっていうのは、
圧縮技術とともに徐々に徐々に実験的に実装されたっていうのが、
その頃だったっていう解釈になってますか?
実験的というか、見たいよねっていう欲をどう叶えるかみたいなことと、
通信回線の充実が並行して進んだ感じですね。
JPEGは企画見てもらうというか、
技術者で実装をちょっとでも生でやろうと思った人なんか知ってるんですけど、
ややこしいフォーマットなんですよ。
JPEGだっていろんなパラメーターがあるし、
圧縮しないみたいなパラメーターだってあるわけで、
これはどういうものかを判別し、
細い回線からやってくるものをちょっとずつ貯めていって、
コンピューター上のビットマップにそれを展開していくみたいなのって、
もうめんどくさいんですよね。
それがブラウザでいきなり全部揃ってたかっていうと、やっぱりそうじゃなくて、
最初はJPEGは確かね、
Webって有名な話なんですけど、
Nextっていうコンピューター上で、
Tim Berners-Leeっていう人がスイスの研究所で実験的に実装したっていうのが始まりなんです。
12:06
だからNextで表示しやすいものがまず採用されたんですね。
なのでNextのネイティブイメージフォーマットっていうのはTIFFっていうフォーマットで、
TIFFはNextのAPIっていうプログラミング環境の中で、
勝手に読んで展開してくれるような機能があったんで、
TIFFが多かったんですよ。
でもTIFFは圧縮があんまりしないフォーマットなんで、
でっかい絵はでっかいんですよ。
2.8メガとか。
今の僕の実感でもそういうイメージです。
ですよね。
だからTIFFはでかいなみたいな感じになって、
じゃあなんだってことになると、
BMPっていうX11っていうUNIX由来のフォーマットがあるんですけど、
それは白黒で本当に点々が01で書いてあるようなフォーマットがあって、
それはちっちゃくて済むから、
じゃあBMPは表示できるよねみたいな感じで、
少しずつどんどん表示形式が増えていったっていうような記憶がありますね。
それで結構初期に対応したのが、読み方にいくつか説があるんですけど、
GIF。
じゃあGIF、はい。
で、アニメーションGIFも結構早かったんですね。
そうなんだ。
で、いまだに現役で若干の拡張はあったんですけど、
よく使われてますね。
昔はあんなビデオみたいなものを動かす感じでGIFを使うっていうのはすごい贅沢だったんですけど、
今はかなりスタンプにさえ使われてた気がするじゃないですか。
確かに確かに。
だから時代変わったなってああいうのを見るたびに思います。
ですよね、今ほんとSNSで少しローファイな表現をする際に使われるぐらいなもんですもんね。
じゃあ当時はそういう激変していく、それこそ月替わり年替わりでどんどん変わっていくインターネットの世界の中で、
音声だけを特別談家っていう意識というよりはあらゆるもの、マルチメディアがいろいろ没効する中でいろいろ捉えするうちの一つみたいな対象の印象だったんですか。
そうですね、やっぱりコンピューターと音声って最初はやっぱりテレグラムというかテレフォンですね。
電話をどう置き換えるか未来的ないわゆるSFの中の音声的な何か新しいコミュニケーションとしての音声はどうなるんだみたいな感じで追求された感はあります。
ありますよね。
ウェブの話でさっき言ったNEXTの環境で音声がどう扱われていたかというと、箱を開けますよね。組み立てますよねNEXTを。
ケーブル繋いで電源入れますよね。ログインとかするんですけど最初にユーザー決めて。
15:03
そうするとスティーブ・ジョブズからメールが来るっていう仕掛けがあるんですよ。今で言うmacOSのメールアップで。
そうするとスティーブ・ジョブズからウェルカムトゥザネクストワールドっていうNEXTなんでNEXTワールドってちょっと洒落た感じで音声が入っているんですけど。
さすが音声なんだ。
そうです。そういうちょっとフューチャリスティックなものとして描かれていて。
ちなみにNEXTってApple創業者のスティーブ・ジョブズがAppleを一旦追い出されてその時期に創業というか携わっていたのがNEXTっていう認識であってますから。
やさぐれて。ピクサーを救ってその後NEXTを全然Macに勝つやつを作りたいっていうので1987年とか8年に創業して2年ぐらいで今のmacOSの原型になるNEXTステップっていうのを
アビーテバニアンという人を中心に作り上げて世に出したんですね。
そのNEXTに関しては直澄さんってどのような関わりがあったんですか。
もう記憶が結構だいぶ消えかけてるんですけど、兼業でプログラマー、フリーのプログラマーから急に慶応大学に勤めることになったんで、
大阪に住んでた頃にNEXTの専門業者みたいなことをやっていて、それでずっとNEXTの環境で仕事をしていた関係で、
日本でNEXTを売っていたCanon販売っていう会社が、Canon本体がそのNEXTに出資をしていたので、
見たにあった研究所に呼ばれて、なんかやりましょうよみたいなことを言われて、アプリケーションの日本語化とか、OSの日本語変換の部分の、
なんだったかな、それをだいぶ忘れてしまったんですけど、クレアっていう日本語変換システムがあったんですね、Canonワードをベースにした。
覚えてる。
それをユーザビリティー化なんかを良くするんだったな、なんかちょっと忘れたんですけど、OS周りのそういうことを手伝った覚えがあります。
じゃあまあざっくり言うと、NEXTを日本にローカライズする際のコマゴマしたものを実装を含めていろいろやられたってことは。
そうですね、なんか頑張ってジョブズに日本語の取り扱いがアメリカから見たとき、アメリカのチームが雑なんで何とかしてくれみたいな話を直談判しに行ったりとかしましたね。
18:03
でも本当そういう時代だったって聞きますよね。
NEXTワールドエクスポっていうエクスポジションがあって、そこにうろうろしてるので、スティーブ・ジョブズさんが。
だからちょっと時間いいですかって。
なんか今僕はCanonでこういうお手伝いをしてるんだけど、ちょっと雑すぎませんかみたいな。
じゃああの人が担当だからみたいな感じで呼んでもらって、そっちの人と話してましたけど。
僕がだから直接話したのはその1回だけですけど、話しました。
今スティーブ・ジョブズっていうキャラクターを1人置くことによって、その当時のインターネットとかコンピューターとかっていうものがどのぐらいの社会の中での立ち位置だったのかって、
なんとなく今肌感で伝わるかなって僕は感じたんだけど、やっぱそういう時代だったんですよね。
要はパソコン自体が、それこそWindows95が出る前って本当にマニアのマニアのマニアが触る。
なんかそういうこと、ラジオを手製で作る人たちの延長にあるような。
その時代がまだ残ってましたね。
ということですよね。
そこから一気にすごい速度で進化する中の数年っていうのがやっぱその辺ってことですよね。
今のタイム感の10年とはちょっと違った10年かもしれないですね。
そうですね。
じゃあそのNEXTの頃の体験としては、箱を開いた時のスティーブ・ジョブズの声でのウェルカム・ネクスト・ワールドみたいなのが音声だった。
音声で、その音声の形式はADPCMっていう、アダプティブPCMっていう、その差分だけが連続して微分の値だけが書いてあって、
だから微分の値、プラス1とかマイナス2とかいうのが振幅として再生できる、圧縮しやすい音声形式だったんですね。
それは取り扱いが結構難しいので、再生する時なんかに。
だから結局NEXTの中ではネイティブフォーマットとして使われてたんですけど、普及する音楽用のフォーマットとしては全然スペックが足りなかったという感じですね。
じゃあ本当、黎明期どころか創世期ぐらいの話が今の話だとすると、さっき坂本隆一さんがインターネットに文化を持ち込むという形と、
同じ立ち位置から今ちょっと質問させていただくと、いわゆる音声でこうやってトークですよね。
お話で人に何か伝えるっていう、それをコンテンツにするっていうような可能性が、
インターネットって呼ばれるものの中で可能性が見られてきたのってどの辺まで遡る?
もうアダム・カリーさんがフォドキャストっていう言葉を発明して、
2004年ぐらいの話。
2003年から4年ですよね。
もうこれだみたいな感じの宣言ですね。
宣言はステートメントが出て、それでみんな急に気が付かされたって感じですね。
21:00
長澄さんでその当時2004年にアダム・カリーなりがフォドキャストっていうステートメントを発表したのを聞いたときに、
実際自分のプログラマーとしての実装すべき対象として、音声みたいなものでなんか閃いたりしました?
圧縮効きそうと思った。
それは何?圧縮効きそうっていうのは自分でさらに改善できそうみたいな魅力だったのか、
音声でやりたいことあるのかどっちなんですか?
人間の声ってこういう間があるので、
あとそういう楽器に比べるとそんなに複雑な、複雑ですけど単音ですから基本的には。
だからMP3が10倍ぐらい縮むっていうものだとされてたんですけど、もっと縮むなみたいなのが覚えてました。
音楽で言うと今でも20から20までの帯域のところの上下カットするみたいなものって言うと、
やっぱ音楽っていうものを表現しようとするとやっぱり20Hzから20kHzみたいなものが必要だけど、
確かに音声だけ絞ると間も含めて帯域自体ももっと狭められる。
そうですね、つまめるんでね。
ギターのディストーションなんかはやっぱりノイズを足すじゃないですか。
ホワイトノイズっていうのが一番カオスレベルが高いというかエントロピーが高いので、
そんなものを圧縮するのは無理なんですよね。
でも音声に関してはベクトルというか傾向があるので圧縮しやすいし、
それは今の携帯電話の圧縮技術なんかにも使われてるんですけど、
MP3というポピュラーなフォーマットの中では確かに声ならいけるなと。
その前に2004年っていうのはもうすでにiPodが出てた頃でしょ。
iPodはiTunesもすでに存在していて、音楽用で音声をとことん楽しもうみたいな雰囲気ができてたところに、
そういう圧縮しやすい音声でラジオ的な使い方ができるじゃんっていうことを突然言われて、
確かにってみんな思ったんですよ。
ですよね。
みんな思ったんです。
今そう考えて僕も振り返ると、
いわゆるiPodを含めて音楽自体がデジタル化していく、
MDって言ったら物理メディアだから、
何かデジタルデータみたいなものを保存する、箱の中に入れられるみたいな印象でガヤガヤしてた時期だったので、
すっかり音声っていうもの自体を区切って考えてなかったなと思ってたんですね。
音全部みたいな。
確かにハッとさせられるステイトメントではありますね。
それは技術者としてもってことですね。
技術者としても面白い感じになったなと。
だからみんなテキストは書きますよね。
24:00
でもそれがCMSという仕組み、フォームで誰でもユーザーが技術者じゃなくても
ウェブページにどんどんどんどんテキスト追加していける。
それが日記になったりコメントになったりっていうようなことが起こってたじゃないですか。
それと同じような、でも載ってるのはテキストですよね。
それと同じように音声は楽器でもいけるし、人間の声でもいける。
人間の声っていうのは意味を伝えるっていうことが主な、意味のキャリアですから
そのキャリアを最大限に活用するような使い方を思いついた人が
ついに現れたみたいな感じになりますね、その記憶をたどると。
じゃあ少しコロンブスの卵的なトリックみたいな感じがあったってことですね。
みんなだって夢中でしたからね、音楽の方に。
ナップスター、初代のナップスターがみんな交換できるみたいになって
その海賊版がものすごく出回って、それが一通りアカンやんけって言われて
じゃあナップスターどうするみたいな時代ですよ。
まさに、今のサブスクなんていうものよりもっともっと手前の
デジタルデータっていうものの著作権を含めたところで
それこそ直澄さんもその著作権のデジタルの扱い方に関して
戦われた一人でもありますもんね。
それは結構ロングストーリーなんですけど。
最初はやっぱり本当に僕は忘れもしない
自分でエンコードした最初の曲はスマッシングパンプキン。
わーしぶい。
スマバンの曲をたまたまCDかなんかで聴いてて
手持ちのMP3エンコーダーっていうのが存在するっていうのがあって
自分でコンパイルして変換してみたっていうのが最初ですね。
でそれをMPマンっていう
MPマン?
MPマンっていう、MPマンですよ。
だから多分明らかにウォークマンのウォークをMPに変えてるっていう
なるほど。
韓国製の世界初のMP3プレイヤーがあったんですけど
それにシリアルケーブルかなんかでガンパってめっちゃ入れて
64メガしかないんで
しびれる。
なんか2曲3曲ぐらいしか入らないんですけど
そこ入るように圧縮したの?
いやMP3にすると1曲4,5分の曲は20メガとかになるんで
5メガとかになるのかな?
入れて一生懸命、すごいシリアルなんで遅いんですけど
入れて、でMPマンからヘッドフォン挿すと
再生押すとスマパンが聞こえると
聞こえる!
音も最悪ですよ、当時のエンコーダーなんて
なんか全然こなれてないし
で僕はリファレンスコードを使ったので
フランフォファっていうところの
あんまり最適化もされてなくて
27:02
で自分で手作りコンパイルをして
だからあれですよ
小学生がスバコとか犬小屋とかを
下手な釘打ちとか
下手なペンキとか
やっとできた、やった!みたいになって
それを楽しんでる感覚でした
だからなんかコンピューター触ってる時って
どっちかっていうと今のコンテンツに触れるというよりは
工作とかの体験にかなり近かった
知的好奇心を満たす
ですよね、それこそスカジーケーブルつないで
ちゃんと動くかみたいなところから
ワクワクしてたみたいなレベルが当時だったんで
そうですね
じゃあ直澄さんだとしても
当時のそういうMP3とかにまつわる体験って
やっぱそういうものだったんです
そうです、そういうとこから始まりました
そっか、でなんかできるだけ今回のこのポッドキャストは
今のこのポッドキャストと言われるものの
いわゆる人文的な魅力のところまではお話ししたいので
要は何を語るのかとか
どういう可能性があるのかみたいなところまで話したいので
今ぐらい原始的だと結構たどり着かないなと思ったので
そうですね、これもう本当に
じゃあ石の斧からハンドアックスに至るまで
どんな段階があるんですかみたいな
長い話になりそうです
じゃあちょっとその辺のお話で一個おさらいしておきたいのは
もう一個だけキーワードがあって
RSSって言われるものと当時のポッドキャストって言われるものって
おそらく配信者含めてかなり密接なものだったと思うんですけど
RSSっていうもの自体は直澄さんの認識だとどういう捉え方になるんですか
ブログの相互ネットワークみたいなものだから
じゃあポッドキャストと言われるのはブログの相互ネットワークの
プラットフォームという言い方かどうかわからないけど
そのシステムを使って音声を
音声をアタッチメントとして音声もついてますよみたいな感じで流せるようになって
それでメディアデータがあまりにもポッドキャスト文脈ではメインになってしまったので
じゃあ著者は誰なのオーサーは誰なのかクリエイターは何なのかみたいな拡張がされて
RSSはバージョンが2になったんですよね
そうなんだ
だからバージョン1でいろいろ試されて
全然例えばサムネイル貼れないねとか
音楽の著者と喋ってる人をどうやって分ければいいの
坂本隆一の曲を解説してる僕だったら
オーサーに入れるべきのは坂本隆一なのか竹中直澄なのかどっちなのって
並べたら変でしょみたいな
30:00
そういうのでいろんな名前空間が作られて
いろんなクリエイティブに対して
適切なクレジットだとか
適切なメタデータ付属データが付けられるように試みられた
それがRSSですね
そっかそっか
じゃあいわゆる今のスポティファイなのかアップルなのか
どのプラットフォームを選ぶみたいな話ではなくて
ではないですね
RSS自体はそういう認識で全然間違ってないということですよね
みんなが共通に使えるアナウンスの仕組みだったり
それから権利の主張の仕組みだったりっていうのがRSS
権利の主張の仕組みっていう言い方がしっくりくるかも
タイトルとかね
テキストだとタイトルがあってボディがあってってあるんですけど
音声だと中にタグが含まれていたとしても
単なる音声ファイルですよね
まさにまさに
これはじゃあ誰の何ていうタイトルの曲なのかっていうのを
RSSレベルで知ることができないっていうのは不便なので
じゃあ最初からつけましょうっていうことに
当然なったっていうのが当時の流れですね
だからそれこそ今のビットコインにもつながるというか
要は証明するための技術って
意外と最初からなかったりして
後からつけたりしてみたいな歴史って
その当時からあって
RSSも1から2に変わった時っていうのは
まさにそこのアップデートってこと
書けるんですけど
それが本当かどうかわからないっていう
レベルで言うとすごい原始的なものですよね
だからそこをちゃんとやろうっていうのがブロックチェーンだったり
そうですよね
なるほど
要は台帳の話ですよね
レチャーですね
台帳つけることによって
その台帳を書き換えるとか台帳をめくる速度が
速いとそれをごまかすことが難しくなるみたいな仕組みが
プルーフ・オブ・ワークだったりとか
プルーフ・オブ・ボートとか
いろいろあるんですけど
そういうものだったりします
でもそっち行くとすげえ時間もかかる上に
話が反れていくと思うので
はい
じゃあ当時のお話で1個
直泉さんに関して聞きたいのが
デジ用宇宙という
やられていたというのが
そこがおそらくこのポッドキャストの話をする際に
何かしらフックになる気はするんですけど
デジ用宇宙自体ってどういうものだったんですか
あのですね
今日のこの収録があることが分かってたので
当時の記録どこまで残ってるかなって掘り返したんですけど
デジ用宇宙自体は2007年か8年くらいまでは存在してたんですよ
33:01
2004年の春からかな
さっきのアダム・カリーのステイトメントと同じ年ってことですね
サウナブームを作った田中克樹っていう人知ってますか
はい
ポッドキャストブームが2004年にも来てたんですよ田中克樹さんに
そうなの
克樹ブレインの中に来たみたいになって
番組の名前忘れたな
田中克樹さんは500回以上1000回とか続いたんじゃないですか
ポッドキャストを続けてたんです
インフルエンサーなのでサウナと同じように
サウナいいよと同じようにポッドキャストやろうよみたいな感じで
周りの人みんな巻き込んで
多分田中さんだけで何十人も始めさせたんですよね
ICレコーダーあればできるからみたいな感じで始めるじゃないですか
始めるけど当時いろんなホストサービスがあって
ロリポップとかべっこ雨とかそういうのがあって
そこに音声載せるんだけど
言われた通りにタグ貼って聞けるようにするんだけど
じゃあそれポツンとあるだけじゃないですか
誰も知らない星なわけですよね
これをまとめるっていうことをできないかみたいなことを
相談されたのか勝手に考えたのかわからないんだけど
それを作ったんですよ
それがデジオポータル
一つ一つのポッドキャストのサイトというか
一人が喋るでそれがシリーズになっていくみたいなものを
星だとするとそれを太陽系みたいに集めて
銀河系みたいに集めてっていう風になぞらえると
このポータルは宇宙だということでデジオ宇宙
なるほどじゃあシンプルに言うと
バラバラに始めたポッドキャストなるものを
まとめたポータルサイトというものを作ったっていうので間違いはないです
その田中さんが太陽みたいな存在で
まずだから始めてこれすげーぞっていうことを
みんなにもう勢い言いまくり
それで始めた糸がびんさんとか
そういう人たちがポツポツポツっとできたんだけど
これどうしようってなって
集める必要が生じた
だから巨大な引力である田中太陽が
みんなをギューッと集めてきた
でもインターネット上にいくら引力があっても
集まりませんから
じゃあポータルという形でスクリプトいっぱい書けば
最新のエピソードだとか
36:04
それからその人気順とかそういうのが一覧で見れて便利じゃんって
その一覧で見たもの
何か百何十個ピークであったと思うんですけど
200個近かったんじゃないかな
その中で最新のものを
番組をまたいで最新のものみたいなのを
RSSで出すとか人気順をRSSで出すみたいなことをやってた
むっちゃ便利そう
便利でしょ
今SpotifyとかApple Podcastのプラットフォーム上の
プレイヤーの機能も
いわばそういう言い方はしてないけれども
そういうことをやってるじゃないですか
当時200とか100とか集まったものを集合させるって
今僕ふわっとポータルって言い方したけど
やっぱりカツキさんっていう太陽を中心に
そういうデザインとかがないと
いわゆる今あるポータルサイトを
普通にコピーして作ろうっていう発想だと
絶対気持ちよくならないはずだけど
今ちょっとお話をふわっと聞いてるだけでも
そのサイトってすげー楽しそうっていうか
体験価値がすごいありそうに聞こえたんですけど
あったと思いますね
だから結構な人気が出て
フォワーをしてもシステムがちゃんとスケールするように
一生懸命頑張って調整したりとかして
なんかややこしい
クローリングするんですけどね
そのウェブをクローリングして
新しいエピソードあるかなっていうのを定期的に見て
あったら反映みたいな仕組みが
いっぱい動いてたんですけど
なんかねドメインが失効してしまって
消えたんですよね
今たどってもないんですよね
なんかこういうシンプルな
ミスという言い方変ですけど
シンプルな失くし方するのとかも
やっぱすごく当時らしいというか
そうですね
僕のせいじゃないから
主幹事がまた山添さんじゃなかったってことですよね
ドメインの持ち主が深見栄一郎という人が
なんか失効しちゃった
こともなげに言うんですよ
みんなあんなに熱持ってやってるのに
以上見えないんだけど
それこそ今ウェブ3っていうか
ビットコインとかで起きてることと
同じことっていうのはずっと繰り返されていて
でもやっぱ俗人的であるってそういうことだから
でも今お話聞いていて
今の僕のフレッシュな感覚と
すごくつながったポイントがあって
今スポーティファイがあり
アップルがあり
アマゾンがありっていう
プラットフォームの中で
皆さんポッドキャスト番組が乱立していて
その中で僕がそもそも
アワードを始めた理由もそれなんですけど
もう検索性が異常に低い音声コンテンツを
プラットフォームで
いかに体験価値を上げるのかっていうのが
一個がアワードでもあるんですよね
要はキュレーションではないんですけど
39:00
アワードという形で可視化することによって
最初聞くものが見つかるっていう機能も
果たしたと思うんですけど
今のデジオ宇宙みたいな
今のプラットフォームとはまた違う
少しプレイヤーっぽい
自分の趣味思考に合わせた
今何万番組あるものから
例えば100ぐらいまで
ギュッと縮めたものを
今の最新が上がっていくみたいな
純粋なプレイヤーがあるだけでも
すげえ使いたいなって思います
それはそうですよね
あんまり今は
横断的なブラウズができるような
便利なプレイヤーはないので
あとSEOみたいに
デジオ宇宙の中で
一番上に来れば聞かれる確率が上がるので
1日に8回更新する人とか
当時もなってました?
なってました
そこってそこまで予期して設計されたんですか?
割と1年以上付き合って
その場その場で改良し続けたので
僕も番組を持ってたんですけど
それが一部残ってて
それを聞いたら
ランキングの相当のバグを直しましたみたいな
報告をしてるんです
それをポータルの開発者が言うということは
少なくとも番組持ってる人は
デジオ宇宙の中に
番組が載ってる人は
気になって聞きますよね
聞くね
そうすると
自分は特権を得られるわけじゃないですか
多分そういう
開発者の気持ち良さみたいなことも含めて
継続性が
僕の中ではあったんだと思いますね
今まさにポッドキャストって
マネタイズというものが
YouTubeのように
広告モデルじゃない中
ずっと続いてきて
今現在
アメリカからも始まってるんですけど
広告モデルにプラットフォームが
なり始めているという中で
その体験価値って
おそらくここ数年変わるはずなんですよね
ってなった時に
もう一回シンプルに考え直して
今のデジオ宇宙みたいなサービスを
それこそDAO的な形でやって
その中の生態系の中で
作り手も配信者もリスナーも
つながった少し小さい小宇宙ですよね
作るような形って
もしかしたら可能性あるかもしれないですよね
今でも全然あると思いますよ
しかもマネタイズの方法って
当時の中でも圧倒的に
要は決済の方法とかって
今やるのは圧倒的にあるから
そこをもう一回
プラットフォームから離れてやる動きは
もしかしたらあり得ますよね
このジャンルこの志向の人たちが集まる
500番組だけが集まるポータル
42:01
その何でククるかによるし
あとそのNetflixがやって
700円で今月額でやってる
CMを挟むみたいなことが
ポッドキャストというメディアに
聞いてる側が
馴染むかどうかみたいなことは
やってみないと分からないんですけど
当時も考えてました
消えなきゃやってたと思います
当時のコンピューターのパワーでも
音声をペタペタ張って
CMだったりジングルだったり
次回予告だったりっていうのを
挟んでいくっていうのは
全然できたので
準備してた記憶があるんですけど
それが消えてしまったので
やれずじまいだった感じですね
僕こういうの話すときに
よく言うアイディアなんですけど
広告すらも普通に
音声コンテンツとして置いて
自由に自分の番組に
貼っていいようにしたら
例えばだけど歴代の音声CMの名作って
緊張のものとか色々あるんですよね
あとサウンドステッカーで言ったら
博多の仕様とかみたいな
ああいうキャッチーな
サウンドステッカー
いっぱいあるじゃないですか
ああいうものをポータルの中で
クリエイターが自由に
自分のところに貼り付けられるようにするとか
今のLINEスタンプのような形で
広告みたいなものもありえるなとか
そういう小さい宇宙だったら
それこそ今の現在の広告史上
ありえないんだけど
ワンアイデアでいけば
そういうのもありえますよね
ありえると思います
ただグローバルにすると
悪いやついっぱいいるんで
悪用するとか
その商品のサウンドステッカーで
言われている商品の評判を下げようと
わざとコンテンツを作る
みたいなことだって
やる人はいるので
そういう意味で
グローバルじゃなくて
500だったら500とかに
制限するっていうのは
そこに意味がある
クローズドっていう方は
ネガティブな意味じゃなくて
クローズドな生態系の中で
それこそ参加者全員が
それこそ大腸として
身分証明もされている
状態の空間の中では
意外とそういう自由って
聞きそうな気はしますよね
そうですね
今日の前半戦のメインテーマに
話せそうだなってポイントに来たので
ちょっと話したいのが
今僕がポッドキャストに
関わった理由でもあるんですけど
ポッドキャストって
ウェブ1.0っぽいなって
思ったんですよ
ウェブ1.0
要は2.0を
ソーシャルネットワークサービスの
時代だとすると
インターネット
そういうことで
梅田持夫さんが言ってたような
インターネットみたいな
あの世界の頃に
僕らが夢見ていたというか
無双していた
インターネットの世界に
45:00
近い生態系が
ポッドキャストにありそうだな
要はこのウェブ3とか
言ってる今の時代に
すごくウェブ1.0っぽい
集まり方や
楽しみ方ができそうな
遊び場だなって思ったのが
今の僕のポッドキャスト感なんですね
はい
ちょっと今かなり乱暴な
区切り方したんですけど
今のこのキーワードって
直澄さんからすると
ピンとくるのか
ちょっと外れてるように
聞こえるかだと
どっちですか
部分的には
その通りだと思いますね
ただ人間は欲の生き物
動物なので
どんどんリッチにしていきたい
っていうのが
耳に関して言うと
働きにくいので
それをプロデュースする側が
ちゃんと気を付けていけば
コントロールできる範囲で
ウェブ1.0的な
そういうものが
ウェブ1.0のまま
盛り上がる可能性は
見える気がします
つまり
世界中の誰もが
発信者になれる
みたいなことっていうのは
ウェブの最初から言われていて
1.0の頃から言われているんだけど
じゃあその発信って
どういうことよっていうと
今のYouTubeに代表されるような
テレビのバラエティとか
それから映画みたいな
演出があったり
オープニングがあったり
にぎやかしの後ろの
バックグラウンドとしての
きれいなソファーがあったり
みたいな世界になってるじゃないですか
ポートキャスターいらないんですよね
いらないですね
そこが声で勝負できる
っていうところは
とてもウェブ1.0的だし
これはどんなに
飾ろうと思っても
そんなに飾れないですよね
そうなんです
よく言われているのは
音声は嘘つけない
みたいな
要は漏れない
漏りにくいっていうところも含めて
ちゃんと今
下手からだと思うんですけど
ある意味
欲望を喚起しづらい
遊び場にも見えるというか
お金稼ぎたいとか
目立ちたいとか
承認欲求満たしたい
っていう目的の人って
音声の方の遊び場に来ないで
他にいっぱいあるので
みんなそっちに行くと
ウェブ1.0の頃のような
欲望ドライブさせた人
ほどボットキャストが
向いてる遊び場だなって
見えてるんじゃないかなっていう
そういうイメージなんですよね
だから
欲望を刺激したところで
ここが
僕らの思っている
欲望を持っている人からすると
魅力的に見えないっていう意味で
いい意味でフィルタリングが
時代的に効いてるなと
村が違うってことね
そうそう
これはもう本当
時代的なタイミングだけの
一過性的なものかもしれないんですけど
今ここ数年のボットキャストって
なんかそういうのに似てる感じが
すごいするんですよね
だから
専鋭化しないんですよね
アカデミックな方だとか
48:01
何か考えて
何か言いたい人だとかっていう人が
テレビに出ると
馬鑑されたり
プロみたいな人がいて
素人と言われ
あれは僕大嫌いな言い回しなんですけど
誰もがそういう
音声だと
同じ平等な
まず平等なところに立って
それが喋ったことに
リスナー側が聞く気さえあれば
ちゃんと聞いてもらえるっていう
メディアとしては
初期に理想的な
理想的なっていうか
煽りで言われていた
誰もが発信者になれるっていうのが
そのまま使えるメディア
ですよね
間違いない
長澄さんが
それこそこの前の
Forbes Japanのインタビューの時でも
少し語られて
だいぶ前ですよ
語られてた
2018年とかだと
ワードな気がするんですけど
長澄さんってやっぱり
プラットフォームを
プログラマーとして作ったりする方なので
その公共性みたいなことに関して
ものすごく意識的に発言もされてるし
おそらく自分の活動のスタンスも
その公共性みたいなものって
軸にある
あります
僕はかなり写ってるんですけど
そういう意味でいくと
今のこのポッドキャストと公共性って
何か設計して
うまくいくようにすべきなのか
それとも今僕が言ったみたいく
勝手になってる遊び場
要は誰かがデザインしたわけでもなく
今ちょうどいい塩梅になってる
遊び場っていうところって
こっから先人為的に
公共性を意識して
デザインをした方がいいのかだと
どう映ってますか
それはやっぱり
ポッドキャストのプラットフォームが
Spotifyが進出してきたように
音楽のものだったSpotifyが
アプリの名前いつも忘れちゃう
何だっけ
アンカー
アンカー
アンカーでワンストップで
いろんな管理ができたり
録音もできますみたいな状況にすることで
Spotifyの音楽が
音声メディアっていうところで
一つになるみたいなことがあるじゃないですか
そうすると強制的にSpotifyのメニューの中に
ポッドキャストの喋りと
ヒット曲とかが
同居しますよね
これが
ポッドキャストを
発信すべき
人の
理想的な形かっていうと
どうなんだろうっていうのはありますよ
Appleはその辺が
ちゃんと分かれていて
ミュージックがあって
ポッドキャストがあるっていう
あとはもう権利関係のめんどくさい
話があって
めんどくさいって言っちゃいけないんですけど
結局ポッドキャストの中で
音楽扱うのが非常に難しい
っていう問題がいまだに残っているので
だから
同じ音声なのに
51:01
違う村なんですよね
ここの
誰もまだ解決
心理的にもうこれでいいや
みたいな落としどころが
見つかってないという意味で
特殊な状況に
今はあると思ってますね
音声に限らず
音楽が特にそうなんですけど
音楽における公共性で
一番ぶつかるのってさっきおっしゃった
権利
権利とそこから収益を
どう上げていくのかみたいなところで
ユーザー側と
作り手側とレーベル側と
とかみたいなところで
バッティングするところがあって
それでいろいろコネコネして
改造を繰り返してやったのが
今の状況だと思っていて
決して公共性をデザインして
できた今の形じゃないと思うんですよね
ないですね
とした場合に
SpotifyのスタンスAppleのスタンスが
ありながらも今は現状こういう形だけど
公共性をもって
ポッドキャストっていうものの
プラットフォームを考えようとした場合って
なおずみさんって
理想みたいなイメージって
あったりしました?
さっき僕のデジオ宇宙の話って
相当理想的には
聞こえちゃったんだけど
だから
デジオ宇宙は残念ながら
2年とか
3年ぐらいでなくなってしまったのですが
その
2年3年の間だから
できたこととしては
割とベストな公共の場所が
作れたんではないかと思いますが
これが30年続いたら
ポッドキャストやってる人の中に
死んでしまったり
あと
継続が不可能になったり
あと喧嘩したり
みたいなことがあるとしたときに
その公共の場所は
どうなるべきなのか
みたいなことを
もっとたくさん学習しないと
いけなかったはずで
そこが
すごく惜しくて
だから僕みたいに
不定期で
1ヶ月空きました
こんにちはみたいなことをやる人もいれば
田中さんみたいに
1日1回必ず
他にもいらっしゃいましたけど
小淵さんとか
500回とか600回とか
続けて割れながらすごい
みたいなことを言っていて
確かにすごいんですけど
それを500個600個貯めたときに
既存の
ホームページサービスの
容量として
いっぱいになるでしょ
それを他に引っ越そうと思っても
そんなの技術者じゃないので
いちいち引っ張り出してまた移し替える
みたいなのってすごい手間かかるじゃないですか
それって
プラットフォームとしては
引っ越しが
簡単にできるようにするため
できるようにする機能は
義務なのかどうかみたいなこととか
ブログのときにもありましたよね
ブログが潰れるときに
全てのテキストデータ
54:01
引き出せるのは当然として
引き出したデータを
存続している
ブログサービスに置き換えるのって
結構大変で
その度に今はそうでもないと思うんですけど
ボランティアのプログラマが
アベマブログに
アベマブログで合ってますか
アベマブログに読み込めるように
するためのフィルターを書きました
紙みたいな感じになる
それも含めて
好評かもしれません
さっきの成り立ちの
お話からするとテキストと音声の
スタートから
一般化までって
タイムラグが数年あるじゃないですか
でいくと
今2022年の僕らって
ブログサービス終了に伴う
アーカイブの
移行問題みたいのって
ちょっと前の話だけど
リアルタイムで体験してる
ってなるともしかしたら音声も
そういう可能性って
数年後起きるかもしれない
今さっき言ったデジオ宇宙みたいな
サービスに近い形って
もしかしたらスタンドFMとか
ラジオトークみたいな
アプリケーションで
要はクローズの中で
やられてたりして
ラジオトークは外に出すことも
できたりするので
引っ越しみたいなものって
そのやってる時点からできるんですけど
だから
何か
AppleとかSpotifyみたいな
でっかい遊び場に参加しない
やり方の
スタンドアローな形を取ると
今言ったブログのような問題が起きる
じゃあそれでどっちが
音声コンテンツにとって
公共性が高いのかって
確かにまだ議論を
誰もしてない
死んだ人のブログどうするか問題
とかっていうのは時々
今出てきてるわけですけど
音声に関してはまだ
されてないし当たり前ですけど
家庭の中に
家庭の中残っているビデオカメラ
の中のSDカードとか
8ミリの
カセットの中におじいちゃんおばあちゃんが
写っているこれは
要はブロードキャストしてないので
どこにも公開してないので
問題になってないんですけど
そのYouTubeが
今後そういうのをどうするか
みたいなことをYouTubeに決められる
可能性が
みんななんとなく薄く分かってるんだけど
あんま真面目に考えてないっていう
問題がありますよね
だから
すごい簡単な話
みんな高齢化を叫んでいる
昨今まだ
親が生きている間に
喋らしたりビデオ撮ったりして
YouTubeに載っけておくとしますよね
YouTubeが
消すみたいなことは
ただで
使えるプラットフォームだから
ありえますよね
プレミアムとかそういうのに
入ったとしても
じゃあ未来英語1000円ずつ払い続けるのか
57:01
自分が死んだ後どうするのか
みたいなことを含めて
まだ未踏の領域なので
これ結構大変なんですよ
僕の今の
リアルタイムのその点の
話題としては
ポッドキャストアワードを
始めた時に
コンテンツの呼び方を何にするのか
という議論を持って
僕らは番組とかじゃなくて
作品と呼ぼうと決めたんですね
それでアーカイブ性も
含めて
僕らのステイトメント的な意味で
僕らが言うポッドキャストの
音声コンテンツというのは
作品と呼ぼうと言ったんですけど
その時に起きる問題
引っかかっていたポイントとして
さっきWEB 1.0
とは
プロと素人というものの
区切りというものを
なくす方が
良いという価値観ですよね
がありながら
僕らはアワードというものをやって
作品という名前で
何か良いものの基準を作ろうとしていると
それはアーカイブされる
べきものだって僕らが
自信を持って伝えている
ことではあるんですけど
一方でさっき言ったおばあちゃんの
記念写真のような
いわゆる
作品として作っていなかったけれども
そこに意味という
ものは記述していない
アーカイブみたいなものがあった場合
よく民族学とかで
起きることなんですけど
誰も気にも止めて
いなかった
市政の人々の営みみたいなものを
学術的に振り返ってみたら
実は民族学と呼べるもの
として体系化できた
みたいな話ってあるじゃないですか
そういう意味で
僕らってアーカイブするものを
今2020年の
僕という基準で
何か圧縮で
切るところと
残すところを決めるかのように
何か限定することって
公共性に即しているのかなと
ずっと僕は引っかかり続けている
ポイントだと思うんですよね
って言った時に今音声
ようやく
それこそみんなが写真を撮り始めたように
ポッドキャスト
のような形で
録音して保存する
っていうことをすごくやりだしてる
時期になったと思うんですけど
その中で
何が残っていくって
残すことと聞かれることと
広げていくことってどうバランスするのが
いいのかみたいな話
それはまだ誰も答えがないですね
写真一枚
今2メガとかなんですけど
iPhoneで撮ったものでも
Androidで撮ったものでも
2メガあれば
128Kで
だいぶ残せるんですよね
2,3分は喋れる
だから写真一枚っていうのは
そういう情報量なんだってことなんだ
と思うんですけど
Appleは
典型的なんですけど
Appleとして大事にしますっていう方針を
1:00:01
打ち出して
例えば
FBIが見せろと言っても
Appleがそもそも
鍵を持ってないので分かりません
みたいな世界を作ろうとしてますよね
プライバシーを
とすると
鍵を取り出せなくなる状態
つまり無くなったり
もう頭が
記憶が無くなったりしたような場合に
そういう貴重な
アーカイブは全て
無いことになるっていうのが
Appleが理想とする
世界だったりとかしますよね
これは公共に即した
公共の善に
即したアクションなのか
っていうと微妙じゃないですか
難しいですよね
すごい難しいです
デジタルタトゥーみたいな話ともひも付くし
そうですね
だから
身内だったら
おじさんがスマホで最後に撮った写真
見たいとかあると思うんですよ
それがパスワード分かんないみたいなことで
見れないっていうのは
世知辛くないですか
分かんないけど
あとは物理的に
ハードディスクやパソコンやスマホがある
ローカルの中で保存している
っていう世界から今だんだんだんだん
クラウドに自然に繋がっている
状態になっていて
自分の保存している何かっていうのがどこにあるのかって
人々の中でまだ
かなりぼやーっとしている
状況になっている中で
さっき言ったアップルのような
アップルの考える公共性で
作られた仕組み
他の人が作った仕組みが
すごく混ざり合っている
時代ですよね
やっぱり
別に開古趣味じゃないんですけど
写真を現像して
アルバムに貼って
家の戸棚に置いてあるっていうのは
すごい優秀なんですよ
最後に撮った写真みたいなことの
問題も全部解決するし
さっき500人って言ったけど
10人とか
ファミリーの中でね
5、6人のファミリーの中で
閲覧するためのものすごく優秀な
装置が神のアルバムだったり
わけですよ
これをなぜ捨てているのか
なぜこの便利さに
気がつかないのかみたいなことを
今考えなきゃいけない
時代に来たんだと思います
ちょっと家族内の
コミュニケーションがうまく取れていて
デジタル機器をちゃんとおばあちゃんとか
親世代にも渡せた人って
Googleドライブを家族で
シェアして同じような家族の
アルバムのように使われている方も
いはするんだけど
さっき言っていた一冊の
アルバムに家族の写真を
収めてた時代のものとは
ちょっと意味が違います
異質なものの異質ですよね
いわゆる世代的には
直澄さんって僕の先輩でもあるし
時代の
意気承認的な人でもあるので
どちらかというと
先端の話を聞くというよりも
1:03:01
今言ったような
バックトゥーベーシックを
もう一回しっかり
自分に叩き込むために聞きたい質問が
やっぱりどうしても多くなっちゃうんですけど
結構さっき言ったように
あまりにも
速度が速いので
当たり前のように
OSレベルで頭が
切り替わっちゃっていて
自分も昔何を考えていたのか
何を大事にしていたのか分からなくなっちゃっている
今のような僕の
そういう状況だと
置き忘れてしまっていたものって
あるはず
今の家族のアルバムのような話も
すごいある気がしていて
音声ってさっき言ったように
簡単だし
残す容量も軽いので
というところでいくと
結構アーカイブっていうことに関しては
意外と過去忘れてきたものを
実装するとか
あとさっき言ったように
Web 1.0的な空き地が実は音声空間って
ポコッとあったりするっていう
ちょっとハッキングに近いんですけど
なんかそういうアイデア
一個入れて
介護趣味とは言えるんだけど
実はこれってすごい大事じゃねっていうものって
入れ込めそうな気はしてるんですよね
あーなるほど
でさっき言ったのは
保存アーカイビングと
あと作品性みたいなものから見る
公共性も含めた
なんか正しい
正しいというか
今僕が正しいと思える音声の
残し方
みたいのって
直澄さんの知性で
アイデアを聞いてみたい
アイデア
これから言ってて
あんまり相手にされてないんですけど
例えば
印鑑証明の付いてる印鑑と
認め印は違いますよね
写地旗も違いますよね
でそれって3層になっていて
どうでもいいやつは写地旗でいいや
で銀行員で
別に印鑑証明とかいらないから認め印でいいや
でなんか自分がお金を借りたり
何かを売ったりする時には
自分の役所が
証明してくれるやつがある
3層でしょ
でも今のインターネットのセキュリティって
全てに金属の
軟禁状を
何重にもかけるみたいな
確かに
ライトな認証がなくなってますよね
なくなってしまってるんですよね
でその必要性は
昔から言ってるんだけど
なんか1024ビットが
2048ビットになりましたみたいな
ことしかないんです
だから家族には
開けてもいいとか
フェイスブックとか
ツイッターでサークルだったり
友達関係に開けていい
みたいなことをやってて
それはまあ認証なんですけど
あれはだから要は
パスワード
などのセキュリティと
密接に関わる
壮大な社会実験なんですよ
あんまりそれを
分かってないというか
1:06:01
使う側がそんなに
持ってないっていうところに問題があって
でも
幸旗でいいかみたいなことって
みんな僕ら世代だったら
分かってるわけですよね
でもフェイスブックで最初に入ると
全てが公開とかになってて
だからすごい危険な
状態に突然ポンと
幸旗も何もない
当然実員もないみたいな
状況に荒野に
一人置いてかれるみたいな状況
っていうのは
フェイスブック仮に公共だと
考えた時には
とても出来の悪い公共の
場所っていう風に
見なせますよね
だからそこの
基本的なリテラシーと
それから
そういうものに
社会常識に実践に合わせたような
プラットフォーム作りを
ちゃんと
社会に応じて
日本とアメリカでは違うだろうし
アフリカでも違うでしょうから
そこに合わせて作るっていうようなことを
ちゃんとやった方が
僕はいいと思うし
それが
メチクロさんのおっしゃる
新しいアイディアに
繋がるような気がしますね
僕最近
自分でずっと意識付けてるのが
どうやってスケールさせないで
存続させるのか
っていうことが
デザインが関与できる領域あるな
と思いますね
それは
スケールさせようっていうのはイコール
さっき言ったように
認証とかっていうもの全部が
過剰
全部実装しないと
それこそ70億人が使うサービスって
そうだよねっていうところから
スタートしなければいけないけど
そこを自分たちのスケールの規模を
1万人とか500人とかで
作っていれば
それこそ鍵かけなくても
村化させるっていうイメージ
開いてるんだけど村みたいな
そういうのって
まずこれが現実的かどうか
置いといて
ポッドキャストってもしかしたら
今の日本の状況って
僕の予想だと
YouTubeのようにスケールしないイメージなんですね
それもあって
音声って切り抜かれないから
燃えないとか
音声って嘘つけないから信用できる人が集まるよね
今偶然起きてる
トラストというか信用
コミュニティになってるんですけど
このまんま柿の話をしなくても
なんか
程よい規模で
とどまって生態系ができる
かもなっていう
こういうかなり牧歌的な予想って
プラットフォームを設計する
直澄さんの
意識からすると
甘すぎるというか
油断しすぎに聞こえます?
だから
王様がいるような世界と
共和性が
共産ではなくて
共和性が
どう違うかみたいな話にもなると思うんですけど
1:09:01
今僕らは
リアルワールドとの
つながりを考えると
ポッドキャストで月収
いくらあれば暮らしていけるのか
それが
イーロンマスクみたいに
何兆円も出せるような
ことがゴール
ゴールではなく
毎月30万円とか
で全然いいや
税金高いですけど
税金に応じて上がっていくんだと
思うんですけど
その生活をするためには
何人のファンが
いればいいかとか
どんなスポンサーがついてくれればいいか
ってことを
自分の定義で測れるような状態になれば
それは解決すると思うんですよ
それは
ポッドキャストということになるかもしれない
そうですね
あと僕のイメージは二毛作三毛作
だったり
兼業
兼業みたいなイメージがやりやすい
それこそYouTubeのように
背景セット作ったり
画像の
編集含めてすごいコストが
かかるような作り方じゃない
ライトにとれるということもあって
ポッドキャスト専業で
これで飯を置く
YouTuberのようにこれで一攫千金する
じゃなくて
それぞれ専業がありながらやる
ただしすごく大事な活動としてやる
それでも回っている
コミュニティが
すごく適しているようなものに見える
そうですね
副業として考えたときに
生活なんかできなくても
気の向いた人が月に一回100円投げてくれれば
500人で
5万円
月に5万円
最高じゃないですか
たまに何ヶ月かに
少しフワッとやるような
クラウドファンディング的ではない
少しフワッとお金を
集めるような
また平時に戻って
配信することもできるだろうし
そうなんです
タレント
とかお笑いの人たちは
それ自体が職業なので
内容が
例えば一発ギャグであるとか
漫才の決まった
プログラムであるとか
披露すれば
お金が儲かる仕組みになっているんですけど
僕たち日常を
過ごす人間は
どういうことかというと
ポッドキャストを収録している
とき以外で
何か気づきがあったり
仕事上何かを生み出したり
したようなことそのものが
コンテンツになるので
だから
広告することに対して
経済的価値が生まれる
みたいなこと自体が
喋ってお金を得るという
プロ行為とは全く違うんですよね
この構造分かってないと
YouTubeみたいになっちゃう
そう
だからそのYouTuberである
自分を成立させるために
1:12:01
コンテンツを作るとか
要は
動機が
そっちに引っ張られていく
ようなものづくりって
どうしてもなっちゃうじゃないですか
限界が来ますし
ポッドキャストを僕が聞いていていいなと
思うのが
自分の本職という言い方が
適しているか分からないけど
しっかりした自分の
暮らしがある中で気づいたことで
話したいことを話す
残したいことを残す
伝えたいことを伝えるという
すごく自然なクリエイトが
すごく多いなというのがあると
それで公共性という意味でいくと
そういう場っていいじゃん
あと村祭って
別にあれで稼ぐ人はいないんだけど
それぞれが持ち出したもので
1回やったりしているの
あるじゃないですか
あれって義務でやっちゃっている人も
いるんだろうけれども
成り立ちと存在自体はそういうものに近いなと
思うし
あれも公共の中で
残っている祝祭じゃないですか
そうですね
なので
そういうスケールさせる
今言っている成功とは違う形
スケールさせない形で
この音声空間というものが存続する
そうですね
盆踊りで太鼓叩いている
みたいなことがみんなに見上げられて
すごい気持ちいいというのが
一つのカタルシスになるような
世界というのは
100人とか200人で全然成立するし
それが100人200人が
1万とか2万が
あったのが昔の日本ですから
だからそういう
全世界でそれがあったわけですから
そこに立ち戻りやすい
やり方だということですよね
これって
決して刺激的な
ビジョンに聞こえない
ワードになっているんだとは思うんですけれども
僕からすると結構
未来っぽいなっていう
これから先
人類が行こうとしているのって
むしろそういう
ものな気がしているという意味でいくと
一旦もグローバルを
知ってしまっているので
グローバルを知った上で
適切な
大きさのグループの中で
きちんとした生活ができ
望めば
もしくは
必要に応じて
グローバル側に
行けるというのは
現代的ですよね
僕が
Web2.0
SNSを経た後の
ポッドキャストがWeb1.0っぽい
まさにそれで
片方はグローバルだったり
SNS的な世界というものを
知っているし使っている上で
もう一個の自分の居場所として
Web1.0的な空間が
インターネットの中にある
というのでいくとポッドキャストって
向いているような
Twitterのローカル版の
マストドンが
盛り上がらない理由も
同じようにあって
1:15:01
裏表なんですけど
音声だと
喋るということに
意識が低いのか
それとも
喋ることによる
自己催眠的な効果があるのか
わからないんですが
マストドンで
書いても壁打ちをしているみたいで
つまらないという気持ちがあるんですけど
音声に関して言うと
壁打ち感というのは
少なくとも自分が聞いているので
そこの寂しさが
まずないんですよね
一人語りだとしてもですよね
そうなんですよ
僕は2004年の
最初の頃に
すごくよく覚えているのは
音声を
長尺で10分とか
20分ぐらいしか喋らなかったんですが
2時間喋る人もいたんですけど
その10分20分でも
喋っているときに
自分の声を後から聞いて
わーなんか気持ち悪い
というのがあるじゃないですか
あれで
気持ち悪くなく喋るとか
他の人が聞きやすいように
喋るみたいな訓練が
自然にできてくるんですよ
そうすると
ポッドキャストじゃない対人関係が
非常によくなるんです
そうでしょ
僕よく言っているのが
スマホを手にして
人は写真をすごく撮るようになったので
鏡を見るのと
プラスして自分を画像で
自分の姿を認識するのに
すごく慣れてきた
で、ポッドキャストが面白いのって
驚くことに
人間って
自分の声を録音して
自分のその声を聞いてフィードバックする
という経験って実は
ポッドキャストがしてきていなかった
鏡を見たことがない
声の鏡を聞いたことがない状態の人は
ほとんどの中でいると
撮ってみると分かるんだけど
鏡を見て自分の
身だし並みを整えるように
声もしだすんですよね
身だし並みがあるんです
で、コミュ力コミュ力って
よく言われているんだけど
実は何を伝えるか以上に
声をどう届けるのかっていう
かなりルックス的な
ルックスっていうか
リスンス的なね
あるだって分かるよね
あるある
多分まだまだ本当に
それがこの数年ようやく起きてる
ぐらいの時期って考えると
そこはもっと伸ばせるなと
伸ばせるし、あと
人間の脳の特性もあると思うんですけど
それができない人もいるんだろうな
っていうのは想像がつきます
例えば
コミュ障と
自傷するような人と
話した時に
まず
目を見るとかはあんまり
コミュニケーションとしては
別に上出来ではなくて
でもね、声を
1:18:01
ある方向に定めて
きちんと話すみたいなこと
っていうのは別に見なくたってできるんですよ
下見ながら喋れるんですよね
で、伝える
努力を本人なりに
コミュ障と言ってる人の一部は
それが全くできてない
こっち向いて喋ったり
ね、ボソボソ喋ったり
滑舌が全然悪いのを
全く改善するつもりが
なかったり
ワードチョイスなんかもそうですよね
確かにそうですね
わざと聞こえにくくするみたいな
なんか謎の努力は
するにも関わらず
ハンサムな声に
しようという努力をしないっていうところに
問題があるから
ハンサムな声になれば
単純な話
興味ないかもしれないけどモテますから
普通に聞いてもらえるようになるんですよね
そうなんですよ
そこがだから分かればいいのにな
という風には思います
ゲスな言い方だと
モテテクみたいのでよく言われる
モテたかったら質問できるようになれ
みたいな話よくあるじゃないですか
フォトキャストみたいな形で
トークっていうものを普通に
EDCA回すと
聞く側になるっていう
訓練って自然にできるじゃないですか
声をかぶせないみたいな
自然にできるようになりますからね
なるし
そもそも会話がキャッチボールってことすら
わからないような人もいたりする
訓練で治るものは
フォトキャストやれば治りますよね
だからなんか
少しフォトキャスト
会話そのものの話になっちゃったんだけど
意外とさっき言った
置いてきてしまった
テクノロジーが早い速で進んで
置いてきてしまったものの中の
一つとして
実は音声ってコミュニケーション術として
置いてきたものを
もう一回このテクノロジー下で
みんなで楽しむ
運動なのかもしれないしとかっていうと
すごくいっぱいあるような
気がする
可能性ありますし
それと音声の特性として
僕まだこれちゃんとした言葉で
言えないんですけど
倍速で聞いてもちゃんと頭に
入ってくるんですよね
映画とかは台無しになりますよね
ドラマもそうですけど
けどポッドキャストに関して
言うと音声だけであれば
倍速で聞くことによる
質の劣化が
ほぼ起こらないっていう意味で
もちろん相手に失礼みたいなことありますよ
けど時間は有限だし
向こうの喋ってる人が
頑張って1時間丁寧に
話したことを30分で聞けたら
その人の1時間を
30分でもらった
ことになるんですよ
最高に効率のいいメディアなので
こぼれ落ちる
ものってそこで何
っていうのって直澄さんって
今認識できてる部分ある?
僕はないと
考えてます
2倍だとね
本当に聞き取れないみたいなことがあるので
1:21:01
それは情報として
落ちちゃうってことですよね
でも1.8倍ぐらいならほぼパーフェクトに
聞こえますし
直澄さんおとといで
ハエル像を配信するプラットフォームをやられてる
ぐらいなので
音楽の魅力
っていうものでこぼれ落ちるものと
こぼれ落ちないものってかなり意識されてるじゃないですか
そういうこと圧縮することによって
失われる帯域
なんかハイハットが全然聞こえなくなっちゃった
みたいな
音楽って圧縮したり
倍速音したりすることによって
芸術としての体験価値って
かなり下がるパターンも多いじゃないですかね
あります
時間芸術なので
BPMが変わるだけでも変わるし
僕も音声って
意外と
体験価値美的な
感覚全部含めて
意外と速度によって
影響を受けないんですよ
意味の劣化がないので
そこが素晴らしいと思ってて
こんなに
効率よく
例えば古典ラジオとかあるじゃないですか
倍速で聞いたら
半分で終わるわけじゃないですか
それが
記憶に残るかどうかはまた別の課題ですけど
あとは
声が低くてゆっくり喋る人の魅力
みたいなざっくりした
印象的な魅力って倍速にして
した場合残るのかとか
そういうのはまだ検証必要だと思うんだけど
僕はそれ残るっていう
持論を持ってます
なぜなら他も倍速で聞くから
面白い
倍速
月の重力と一緒みたいな
引力重力が変わるから
そこでの体感
環境はもう全部そうだから
そこでゆっくり喋ってくれれば
そのゆっくり喋っている魅力は
十分に伝わりますね
全体が速いからゆっくり喋っている人の魅力
っていうのを認識するということ
ちゃんと認識できるから
って考えると
やっぱありますよね
音声のみで
できることや
あります
そういう
ルックスがないがゆえに
ピュアに
言っていることが
聞こえるとかってあるので
それが散らかっている
見た目だったら気になって
しょうがないじゃないですか
そうですね
最後の質問なんですけど
ねあずみさんって
いわゆるウィザードと呼ばれる
プログラマーで
来ている経歴の中で
本当さまざまな
表現手段と向き合ってきたと思うんです
例えばだけど
音楽ライブをやったり
プラットフォームそのものを作ったり
金融だったり
いろんなものをプログラミングという形で
実現してきた人だと思うんですけども
僕の印象では
いろんなものがある中で
なおずみさんって
音っていうものに対して
すごく惹かれて
純粋に何か表現されているように
1:24:01
感じるんですね
プログラマーとしてなんですけど
なんで
絵や画像や
いろんなもの
いろいろある中で
音にまだまだずっと
引き付けられて
活動されているのはなぜなんですか
そのものを純粋に
好きだと思ったことは
あまりなくて
音楽がベースにあります
音楽
それは芸術体験としての
音楽って意味ですかね
社会的機能としての
音楽とか影響力としての
音楽界とかじゃなくて
音楽そのものですか
最初から
最初に幸いなことに
立ち会うことができた
体験って結構強烈で
いろんなことを知っているわけですよね
なぜ車が走るのか
車の産業ができるときには
タイヤって
3輪でいいんじゃねみたいな
そういうのさえもあったわけだから
そういうのを全部見てきた体験を
しました
音楽に関してはもちろん
何万年も前からあるものだから
歴史でいうともちろん
最初に立ち会うことは絶対できないわけですけど
少なくとも
技術が
サンプリングミュージックとか
ジャンルが生まれる
ドラムンベースとか
ツーステップとか
そういうものが生まれて
それがみんなの中でこなれて
次に
ミクスチャーが次に行くみたいな
ヒップホップが
多重に
いろんなものと混ざっていくみたいなことを
見てると
それがすごい楽しいんですよね
人間
というか
音声を使って
人間の可能性を試している感が
すごいビンビンくるのが好きで
そこにノスタルジー
とかも入るんです
どんな技術を使っていてもノスタルジー
入れることは可能だし
ノスタルジーは
知らないと分からないようなことがあるんです
一緒に
ポッドキャストをやっている
砂原よしのりさん
マリンさんなんかは
飛行機が好きで
70年代のパンナムの
アナウンスだとか
飛行機の音だとか
飛行機の形みたいなことに
特別な好きだなみたいな
感情を持ってるわけですよね
それが最新の
テクノロジーを使って
アルバムにまとめられたときに
誰かが吹き込んだ
パンナム風の
空港で流れるアナウンス
みたいなのって
完全に気持ちが入ってるわけですよね
リバーブがどうとか
そんなん関係ないわけですよ
エモーションの話ですね
それは
映画なんかだと
画面から来るものを
1:27:01
全部受け止めるのは大変なんですけど
音楽の場合幸いにして
集中すれば
一直線にやってくるものを
シリアルに
逐次受け止めていけば
100%受け取れる
っていうような感覚があって
面白い面白い
それはたぶん
すごい密なコミュニケーションなんですよね
一方通行ですけど
それが仮に同じようなことが
返すことができたら
パンナム好きなんですねみたいなことが
返るわけですけど
それが要は会話になるわけですよね
だから僕は会話は
そういう一方通行のメディアメッセージを
受け取った人が
感動して返すみたいなこともできる
すごい素晴らしい
行為だと思ってるんです
会話そのものが
だから誰とでも会話はしたいし
自分が
メッセージを発するようなことができて
相手が
何かを言ってくれるんだったら
それはとてもありがたいことだと思ってるので
なので
ポッドキャストに
無限の可能性を感じるっていうのは
あります
テキストチャットでの
会話の往復による
インタラクションとは
直澄さんの認識は明らかに
違うんですね
テキストに関していうと
ネイティブにというか
僕はキーボードを
打つのは速い方なんで
全然
喋ってるのと同じような感覚に
陥ることができるんですけど
なるほど
世の中そんな人ばっかりじゃないので
だから僕は何度も
会社関係でも
仕事関係でも
それから先輩後輩関係でも
チャットをして
失敗したことがいっぱいあって
僕は速すぎるので
さっき言った会話の被りみたいなことが
起きちゃうってことなんですか
待ちますよもちろん
だからこっちで10秒くらいで
打ったものに3分かけて
返ってきたまたこっちで10秒で返す
ってすると向こう側は
一生懸命3分かけて打ってるのに
すぐ返ってくる怒ってんじゃねーか
なるほど
そこに感情っていうものを
勝手に推測されてしまう
バグが生まれるみたいな
コミュニケーションのバグです
そこはだからテキストの
テキストというかタイプする
という
タイプするだったらこういう速度でできるけど
タイプするっていうのは個人差がすごいあるので
そこが
ネックになりますね
今テキスト
っていうのはいわゆる
僕らだったら日本語っていうものを
テキストでコミュニケーションする
って言ったテキストだったんですけど
一方でコードで使うようなプログラム言語
っていうような言語で言うと
それとはまた違う機能を持つんですか
例えばプログラムで打ってる
コードが音声で
できるとしたら何か変わったりするんですか
音声ではできないと思いますね
全然違うものなんですけど
でもそれがもう
1:30:01
老害で
言われる原因になるかもしれないですけど
音声によるメリットっていうのはないですね
やっぱり違うものなんですね
そうですね
さっき僕なぜ今聞いたかっていうと
同じ言葉
日本みたいな言葉だとしても
音声で発する日本と
テキストで書かれた日本って
意味っていうものでは同じように伝わるんですけれども
その伝わってる量
だったりっていうのは
全く違うものだなっていうのは
僕は思っていて
さっき言ったようにプログラムも
音声でできないもしくは
する必要がないっていうことだと思うんですけど
ってことはやっぱり明らかに
同じ言語を打つっていうことと
発話するってことは
全く違う価値のものが走ってるってことですね
発話でプログラムの内容は書けるんですが
プログラムで
発話の内容は書けないんですね
そうか
そうなんです
それがさっき言ったエモーションだったら一直線
インタラクションで返せるもの
それは排除するためのものが
プログラミング言語なので
エモーション入れようと思っても入らないし
入れることができるとすれば
それは動作において
言語ではできない
動作で何か感情を表す
っていう風にしかできないので
そこが
一方通行というか
互換性のないところですね
じゃあやっぱりそのポッドキャストに感じる
無限の可能性の一つはさっき言った
込められるものエモーションを
含めて込められる情報量が
すごく多い言葉である
っていうこともイコール
はいそうです
すげー
なおずみさんぐらいの人に
それ言ってもらえると僕納得できなかったんですよね
自分の中では仮説はあるし
めちくろさんは納得したかったんだな
納得したいというか
仮説を立証するのってこういうのって
美みたいなものもそうなんですけど
やっぱり主観でしかないので
それって論文だったり
何かで立証するようなもんじゃないので
やっぱり自分の中では
さっき言ったように
自分の主観で納得することができるんだけど
やっぱり鏡を通して
やっぱりそうだったなって
思いたかったところがあって
やっぱり
言語っていうものを
普通に話す言語も使うし
プログラムっていう形でも
言語を駆使しているなおずみさんから見て
いわゆるテキストで記述するような
コミュニケーションと
発話するコミュニケーションは
さっき言ったエモーションのような部分で違うっていうのを
感じてるんだとすれば
感じてますねそこは違います
だとすれば多分
今僕そこはブレずに
そう思い続けたいと思えるようになった
ただ言葉
バーバルな言葉でも
バーバルな言葉の
作用として
また副次的に
エモーションというか感情が
湧き起こるみたいなことはあるんです
そこはプログラムも同じなんです
ロジックを書いて
そこに動作
1:33:01
とかグラフィックとか
音楽が生成されれば
気持ちが動作によって変わったり
影響を受けたりするでしょ
それと同じなんですけど
言葉の場合は言葉そのもので
感情があるっていうのが
僕の持論で
意味としてね
決定的にプログラミング言語とは違います
なるほどなるほど
すごい低レベルで
forを使うかfor eachを使うか
doを使うか
みたいなのが好みの問題
とかだったらそこに感情が出てるって言えば
出ますよもちろん出ます
美しいことかどうかみたいな
美っていう意味は
入ってますもんね
そこはちょっとまたでも
エモーションとは違う部分だろうな
そうですよね
なるほど
形状上配列上の美
みたいなものっていうのは存在するし
設計の美あります
建築的な美はあるけれども
今言ったように音楽
最初に音に見せられてる
直澄さんが語った音が持っている魅力
って言われてるもののエモーションだったり
音声っていうものは込められない
込められないですね
すげー最高
それ聞けただけで
音声っていうものにここまで
ちゃんと
全体中乗っけていいかどうかって
ある一点において
疑問は持ってたんですよ
今タイミングもすごくいいし
さっき言ったように空き地が明らかにあるので
ここは今
空気っていうのはあったんだけど
音声そのものに関して
今このテクノロジーが
発展した現代において
未来もこれに対して
人間の
耳の形態が変わらない限りは
普遍的に
同じ作用を
インタラクションを含めて持ち続けますから
なるほど
そのぐらいシンプルに考えていいってことですね
いいと思いますよ
ただ耳の機能がない方もいらっしゃるので
その人がどうなのかっていう問題は
常に残ります
それは言い始めると
じゃあ目の見えない人に
映画はどうなのとか
そういう話になるんで
その辺も最近研究進んでて
その人たちなりの
感世界
センサーが違っても
捉え方は近いような捉え方をする
っていうのも出てきてはいるので
おそらく僕らの言った今のニュアンスって
センサーの違いとかというよりは
物事を感じるときの
エモーションだったりの話だったりするので
なんか
言い方は気を付けなければいけないけど
言ってる意味はなんか
ポジティブに語ってる気がする
うん
じゃあちょっと最後
休憩挟んで
おさらい的に
アワードの件だけ少しだけおさらいして
終了ってことで
ビール飲めるんですか
飲んで
ビールは飲めるそうです
だってしかももう
1:36:01
2時間くらい話させて
ビールスタンバイお願いします
なので少しビール飲みながら
ちょっとあのポッドキャストアウトを含めて
今のポッドキャスト回を
少し振り返りたいなと思うので
はいわかりました
じゃあちょっと後半戦それお願いします
はい
ありがとうございました
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クラフトビアバー雑談でした
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