お二人のお話聞いてるとそういうのじゃなくてちゃんと体系化された技術があって、
僕からするとすごく現代に必要ななりわいだなっていうのと、
プラスひょっとしてこれってポッドキャストにむっちゃ向いてんじゃないっていうのは、
薄々お話聞いてて感じていて、
今日お話したかったことが、ついにこの前、たまたまなのかもしれないんだけども、
お二人のコーチング自体をお試し的にやった回がね。
そうですね。名前言っても、ユートリー・フリーターさんっていうポッドキャスター仲間の、僕ら先輩でもあるんだけど、
その人とやったっていうね、回が。
それこそ1周年、この東雑談が1周年のときにイベントに呼んでくださって、
彼女も来てて、話してたらすごい盛り上がって、彼女が興味があるって言ってくれたので、
じゃあやってみようかっていう話に、ここでまさに生まれた企画なんです。
雑談で会ってお話が決まって、やってみようかって収録した回があった。
だから僕も初めて、あれがいわゆる完璧なパッケージではないとは思うんだけれども、
初めてコーチングっていうもののセッションしてる模様っていうのを直接ポッドキャスターに聞くことができて、驚いた。
驚いた。
驚いた。
めちくろさんを驚かせた。
すごい嬉しい。
嬉しそうだな。
嬉しい。
何にしろ、僕はとにかく何かがちゃんと技術のもとに成り立っていることが好きなので、そうじゃないものっていうのはあまり関心を持たない。
その中でコーチングっていうものを自分でイメージはしてたんだけど、実際どういうものかわからないってなった時に、
ゆとりブリーダーさんと橋さんとのセッションを聞いた時に、これはもう確実に技術をもとにして行われているものだというのを感じて、
なので話せる範囲でいいので、今日質問答えてみます。
嬉しいね。めちくろさんから質問してもらえるって、嬉しいね。
めちくろさんが個人的に知りたいことっていう感じが。
雑談の店主とか、ポッドキャスターとしてとかっていうことももちろんあるだろうけど。
ある種の職権乱用みたいな。
僕はこの雑談やってる理由でもあるんだけど、とにかくポッドキャストっていうものの可能性を広げたい。
関わってるので、そういう意味ですごくお二人のコーチングっていうものとポッドキャストの相性に関して可能性をむっちゃ感じたんですね。
ちょっと具体的に言うと、聞く技術ってさ、世の中にいっぱいあふれて、それこそ本もいっぱい売ってるようなものがあるじゃない。
嘘だよね。
そうなんですよ。
どんなにこれがいいものとか、プロコンでいいと言われても、やっぱり体はそれにあんまり喜べなかったり、
逆もありますよね。
もうボロクソ言われてて、そんなのやってどうするんだって言われても、
でも俺これなんかいいんだよなみたいな、恋愛とかもそうかもしれない。
そういうものに意識を向けてもらうのは、本当にトレーニングだし、そのためには僕ら結構話を中断するし、
この前結構しました。
じゃないとね、状況をみんなやっぱり話して、自分の居心地のいいモードにして、
あまり自分に向かないようにいくんですよね、悪い意味じゃなくて。
なんか分かりますよね。向き合わないときってすごいそういう話するんでしょうね。
知識や経験が自分にしっかりつけばつくほどそれができなくなるっていうか、
言い訳を上手にできるようになる。
他人に対して会社の中でできてるうちはまだいいんだけど、
自分に対する言い訳もどんどん上手になってくる。
そうなんですよね。
言い訳の成功体験が積み上がってるから、それが自分だって思っちゃってる。
でも、クリエイトや集中や没頭みたいなものには一番それいらなくて、不思議なことにね。
なんでポッドキャストに向いてるかっていうと、音声ってそれが手に取るように分かるんだよね。
視覚情報とかがないから、リトリーフリーターさんの心の日々や感情の動きや、
気づいた瞬間みたいな気づきそうな予感とかもありありと音声に記述されていて、
だからコーチングの模様って本当に、さっきトレーニングって言ったんだけど、
彼女のトレーニングの模様を聞いてる僕がセラピーされてる感じになってたんですね。
結構ね感想でそういうのいただきました。
あれを聞いて、なんか自分がすごく自分に刺さったみたいな感想が。
だからね、プロモーションのつもりでやってないかもしれないけど、
あれをやることが一番コーチングにとってのプロモーションだなと思った。
しかも来発的動機で受けたいって思ったくなると思うんだよね。
悲しいことに、ストリームリーダーさんの体と心って彼女のものなので、
僕がどんだけ共感したり相乗りしても、あそこには同じ実感を得られないんですよ。
フィクションとかって自分が感情移入すると、主人公の感情に乗っかって気持ちよくなったりできるんだけど、
コーチングのあの模様って、やっぱり彼女とハッシーがやったセッションの模様なので、
セラピーされてるんだけど、あれを体感したかったら、やっぱり自分がクライアントにならないと。
で、そこがもう分かんなくなって、表と裏が分かんなくなってる。
自分の問題なんだか、他人の問題が憑依しちゃってるのかも分かんなくなっちゃってるっていう人もすごく多いんで。
なんかアートって、自分を追い詰めていくようなところに、だからこそ得られるものがあるみたいな、そういう世界も少しあったりしますかね。
もちろん、だから多分、自分の中に入っていって、見たものを外に出すっていう技術を持ってる人たちではあるからこそ深く潜るし。
でもなんかそれが逆にちょっと重しになりすぎちゃってるっていうか。
だから、役者さんが役にハマっちゃって戻れなくなるのを解除するためのトレーニングがイギリスとかは体系化されてるんです。
それと同じように、クリエイターも自分の中に入り込む作業と外に出る作業っていうのを自分でスイッチを往復できなかったら、本来あんなに過酷なことできないはずなんだけども、そこがやっぱり教えられてないし体系化されてないので。
できる人はできるし、できない人はできない。できなくなっちゃった人って本当にどこまでも深く入っちゃうので。
だからやっぱり生命に関わるようなメンタルの問題が起きちゃうので。
だから自分にフォーカスを当てたり外したりっていうことをトレーニングとしてコーチングで体験できればね。
トレーニングっていうのはでもなんか僕すごいしっくりきますね。
そういうことにだんだん自分で気づいていったりとか、自分は今結構周りの声にやられてるなとか。
で、ちょっと自分にちゃんとつながってみようみたいなことを意識できるとか、そういうトレーニングをやってるとも言えるね。
今に居続ける筋肉とか、それ本当筋肉だと思います。
こういう話じゃないちょっとスピリチュアルのお話だと、私の一生の何かを見つけたとか、本当の私があったみたいな確実な何かが見つかるかのような、同じようなサービスだよね。
そういう気にさせるサービスあるけど、コーチングを聞いてる限りはそういうものが見つかるんじゃなくて、
自分にちゃんとフォーカスを向けるための習慣がついてくる。意識の中でついてくるだけなので。
でも分かりやすいのは、これが見つかったっていうのが分かりやすいんですよね。
それだと商売しやすいだろうし、売れるし、サブスクリプションで何かの関連もできるんだろうけど。
僕らはすごいその辺はそういうつもりはなくても、そういう風に聞こえちゃったりとか、あんまりキラキラしたもの。
僕も好きを仕事にするみたいなことを掲げるみたいなキャッチーなものについては、去年も2人でアイデア出して東洋経済に記事出したんだけど、そんな別に好きなものを仕事にしなくても全然。
なんかニヤニヤしてるけど。
彼女のやっぱりなんかその、まあ2人でっていう言い方もできるんだけど、
なんていうんだろうな、そういう魅力なんだよな。
面白いなんかためになるというよりはね。
なんかこの2人のやりとり自体が面白かったりもするじゃないですか、それ自体が。
さっきけいこさんがアートだって言ったのもまさにそうなんだけど、
映画でも、面白い映画、面白くない映画、いろんな切り方できるけれども、
ストーリーの起承転結が納得いったっていう面白さと、そうじゃないいい映画ってあるじゃない。
だからそれでいくと、ストーリーの起承転結がうまくいって、
あと主題が魅力的だったりする映画って、ショート動画が作れるんです。
ああ、なるほど。
全部カットアップして、目次的にサマリーしたような2時間の映画を10分にしても、
その映画の良さって伝えられるんですね。そこの魅力だけ。
ただそうじゃない、映像や役者の息遣いや、とにかく場面転換、
全体的に流れるアート的な美しさの作品ってあるじゃない。
話はよくわかんないんだけど、すごくみんなの印象に残ってる。
それが今のポッドキャストっていうか、今のこの前のゆとりフリーターさんの会に近いというか、
あの30分ってお話としてどういうお話でしたかっていって説明できる人いないはずなんですよ。
確かにな。
でもあそこで流れてた2人の呼吸や場合やセッションみたいなものっていうの自体がアートなんで、
そこって切り取ることもできないし、入れ替えることもできないんですよ。
確かに。
だからやっぱりアートである限りはもうそのまんまで全然美しい。
俺今話してて、僕昔から映画とかにしても何にしてもなんかね、
ハッピーエンド、完全長枠、なんかこうハリウッドどんどん、最後ダーンみたいなのがあんまり得意じゃなくて、
好きじゃないので、なんか最後これどうなったのこれみたいな、デビット・リンチとかすごい好きで、
ハッピーでもなんかもう訳わかんないみたいな、
それもしかしたらこの商売のちょっと好きなことかもしれない。
だから合ってるのかも。
デビット・リンチの映画って善なんですか悪なんですかどういうオチだったんですかっていうの証明できない。
できない。レコメンドしづらい。
でも人を引きつける言語化できない魅力っていうのはあらゆるところに詰まってるから人を魅了するわけで、
たぶんね、お二人のやってるセッションってそういうことだと思うからそのまんまでいけるんじゃないって思ってる。
なるほどね、だからハリウッド映画みたいには売れないってこともわかんない。