そのフィードバックの仕方とかもすごく面白かったよね。
それはこのエピソードに限らず、結構全体として言えるところで、基本的に何なんですかね、全体の構造みたいなと言うと、個人と社会の関係性について日常の体験と一冊の本というのを交えながら議論を深めていくみたいな感じなんですけど、
その中で自分で喋りながら自分で発見していくみたいな、あるいは相手に気づきを与えていくみたいな姿勢がちょうどいいなっていう。
僕もこれまで色々紹介してきたものの好きなものの特徴なんですけど、喋り手と聞き手だけに収まらない2人のキャッチボールが会話でできている人が好きで、
この2人もそうだなって感じるのが、ずっと聞き役にならずに、名前場さんが今回の場合は野次さんがずっと喋っていることに対して、ちゃんと何か気づいて、野次さんに気づきを与えるような発見を自分から与える。
そうすると野次さんが気づいて、次また自分の気づきを返すみたいな、ちゃんと段階的に積み上がるような会話のキャッチボールができている。
やっぱりすごくそこに知性とお互いの信頼関係をむっちゃ感じるなと思って。
こういうダウナーの文系のポッドキャストでいうと、結構1個の作品をテーマにして話していくみたいなスタイルがよくあると思うんですけど、
その中で自分の気づきみたいなものに対してメタファーを延々回していくみたいなのが結構なりがちだと思うんですよね。
言い換えというか、こういう問題なんだよねっていうのを例え例え例えで、螺旋回転折れたような気になってるけど、同じとこ回ってるだけじゃない。
主題は進んでないんだけれども、そこだけでぐるぐる回るようなやり取りみたいなのではね。
なんかそういうのを聞いていると、結構癒し効果みたいなのがあるんですけど、
なんかこう、それで議論してよねみたいになるのは若干違和感があるなって結構思っているので、
なんかこのお二人の会話はすごいこう、前に進むっていうのは若干違いますけど、深めていこうっていう姿勢がすごいいいなって思いますね。
そうね、だからいわゆる僕の言い方で言うグルーミングトークっていう、
要はテンポの良さとか相手の動調のリンクの仕方だけでぐるぐる回るっていう気持ち良さも当然、
それはそれで一個の面白いジャンルとしてあるんだけど、こういうふうにお互いが積み上がっていくような議論とかディスカッションにちゃんとなってるっていう会話って、
なかなかあるようでないっていうかね、できている人もそう多くはないっていうのを考えると、やっぱすごくいいですよね、お二人。
今回のエピソード以外でも当然そういうのをすごく感じるっていうかね。
そうですね、第5回で食べることを出すことっていう著作に関して話したときに、結構割とすごく自己懐知りみたいな内容があるので、
どこまで触れるのかっていうのはありますけど、結構野次さんがつけ麺を食べていたっていうエピソードがあって、
友達と一緒に、昔からの男友達と二人でつけ麺を食べに行ったときに、もちろん大盛りしようって言って大盛り頼んだら食べれなくて、
でも残せないから全部食べちゃって、その後に嘔吐してしまって、それがトラウマというかトレガーになってパニック障害のようなものを起こしてしまうっていう話があって、
誰に話すでもないというか、普通のトークだとなかなかしづらいような、相手に変なリアクションを求めてると思われちゃうんじゃないかとかって、
野次さんとかもすごい考えそうなことだと思うので、そういったテーマを語りつつ、お互いどっちが喋り始めても受け止め方というか、
ただ単にうなずくだけじゃなくて、一個返していくみたいな姿勢がすごいいいなって思いますね。
なんかこういうさ、例えば読書感想みたいなのもどうか含めて、コンテンツ紹介をするようなポッドキャストっていっぱいあるんだけど、
よくあるのが、僕はこの作品を見てこう思ったっていうのを一人が言って、もう一人が分かる、受ける、もしくは私はこう思ったっていう、
二つの感想が並ぶだけで、そこをテンポだけで乗り切っちゃうものが多い中でいくと、この人たちっていうのはやっぱりそこに自分の別のエピソードトークンをくっつけながら、
相手に気づきを与えて新しいものを引き出すっていう、なんか本当感想に閉じてないっていうかね、
ちゃんと自分たちの身体性のところまでフィードバックしながら、二人でこの本を通して何を感じたりしたのかっていうことはちゃんと言い切れてるので、
やっぱりすごいレベル高いなと思うし、実際この生山さんとかも、ルノアールに私よく行くんですよって話してて、
そこでルノアールに行って、自分の仕事をしているふりにしながら周りの話を聞いているっていうエピソードを言ったときに、
本題の話の例として話したはずなんだけど、やっぱり自分の思いみたいなのをわーっと話しちゃったときがあって、
その時に野次さんがそっかそっかって言いながら、でも僕はその感覚よくわかんないんだよねって言いながらまた本題に野次さんが戻すっていうシーンがあって、
なんかその客観性、相手への共感性っていうのをしっかり持ちながら客観性を持っていって、
二人でどっかの道にちゃんと進もうとするのをすごい感じるっていうかね。
だから一人がエモーショナルになって話したとしても、なんかそれを聞いているもう一人の方が、
もっかい道っていうのを相手を傷つけたりとか否定せずに、ちゃんと道を修正する能力が二人にあって、そこはすごい気持ちいい。
今それで思ったのは、なんでそう思ったんですかとか、昔からそうなんですかみたいな質問が結構多いなと思って、
それはやっぱりそういうところから来ているのかなというか。
だからその読書自体から感じた、そのテーマに対して感じたことだけじゃなくて、
相手の身体性っていうか過去の記憶とか体験みたいなものまで引き出そうとする、
そういうある意味シビアさを持っているし、それを言える優しさっていうのが共存しているから、
この二人でこういう会話ができるんだなというのは感じるよね。
そうですね、なんか先章も流行りの本に乗っかるっていう形というかは、
普段自分が生活している中で思った疑問、いじめ解決じゃないですけど、思った疑問に対して、
その気づきを与えてくれそうな本を抽出して、そこから話をしていくっていうのが、
ありそうで確かになかなかない番組だなと思いましたね。
しかもこの打率が高いというかね、毎回そういう和法で話せているっていうね。
結構一個の型をちゃんと二人で持っているなというのを感じるよね。
そうですね。
野次さんの喋り方とかも、最初は若干抵抗がある部分はあったんですけど、
なんか聞いているうちにすごい引き込まれていくというか、結構ついになる。
そうだね。
なんかこう仕事場で深夜に外でタバコ吸いながら缶コーヒー飲んでいるみたいなテンション感みたいな。
分かる分かる分かる。
いいなって。
ダウナーというかローなテンションなんだけども、
なんかやっぱり知的な集中力が切れていない会話だから、
全然自分的にもトルクを落としたまんまずっと長く聞けるっていうかね。
リラックス系なんだけどちゃんと意味としてっていうか、刺激としてグイグイ入ってくるっていう。
はいはい。
トルクが遅いんだけどもグイグイ入るみたいな。
なんかそういう感じ。
それすごい分かりますね。
だからチルじゃないんだよね。
はいはいはいはい。
なんかその場に停滞してないというか。
そうそうそうそう。
だからさっき言ったようにただのグルーミングトークでこのローテンションだと、
多分本当に俺何聞いてるんだみたいな瞬間が1時間とか中には起きちゃうんだけど。
ちょっと冷静になっちゃう瞬間が。
ちゃんと会話とか議論っていうものが積み上がったり、
お互いの要は見聞きしたものだけの語りじゃなくて、
ちゃんとお互いの体験を引き出しながら積み上がるローなトークだから、
ちゃんとこう展開があるっていうかね。
結果的に話全体に展開があるから、
なんかすごくゆっくり落ち着いてグイグイ来るっていう、
すごい珍しいタイプというかね。
今回のエピソードでも進行っていうテーマから文体っていうのは若干飛んでると思うんですけど、
それを受けた生居場さんもしっかり自分のエピソードを介してるというか、
浴室の時に伊藤聖光さんが浴室の時は蝶を山で見た時に蝶って呼びたくないっていうことを言ってて、
そこから生居場さんが言うんですけど、あれってちょっと聞いても思う部分があって、
それを喋っていく中でリスナーとしても分かっていくというか、
真口の狭い表現をするようになるっていう話をしてて。
あの瞬間って本当に感性とか彼ら彼女たちのセンスがバッと出る瞬間っていうかね。
そう、生居場さんは浴室っぽい時に私も閉じがちですっていう話をしていて、
伊藤聖光さんの話をするんですけど、それを聞いた野次さんがそれ逆じゃないって言われてから、
問いで説明していくと、真口の狭い表現っていうのに自分の境界線からはみ出た表現というか、
ファンであることの行動とかのパターン、
いろいろなものを見聞きするし、目聞きするんですけど、
この人のスーパーファンとしてのレベルの高さっていうかね。
今、知識量がすごいっていう話を高名くんに言ったんだけど、
この人は知識量だけじゃなくて、行動力も異常じゃないですか。
そこなんですよね。やっぱり一番行動力で、
このエピソードの中では、
沖田博之さんという方のファンだったらしいんですけど、
ナチュラルに中学校に行った話みたいな、
出身中学校に。
すごいなと思って。
今言ったように、この番組は、
いわゆる昭和のコンテンツみたいなものについて、
異常なレベルで深掘りというかね、
網羅していくポッドキャストなんですけど、
あらゆるものに対して興味を持った時の、
深入りの仕方っていうのが尋常じゃないというかね、
ほんとスレスレやってる行動だけ多分過剰書きにすると、
おそらくモンスタークレイマーとか、
ストーカーとかみたいなものの行動原理に近いように見えるぐらいのことをやってるんだけども、
そこがものすごくピュアな、本当のなんていうのかな、
このふくちゃんの、ある意味品がある、
品があるスーパーファンのアクティビストだよね、みたいな動きだから、
やだみがないんだよね、聞いてても全然。
怖さがない。
他のエピソードで言うと、徳永秀明のライブに行った時に、
一番前の席で双眼鏡で見てたら、
ちょっと笑い話みたいな感じで注意されたっていう話とか、
大崎豊のライブで知り合いに誘われて前の方にいたんだけど、
あんまり興味ないから寝ちゃったら怒られたっていう話とか。
あとファミリーマートのとろーりたこ焼きが大好きになりすぎて、
ずっと食べてたんだけど、ある時パッケージが変わって、
あれと思って食ったら全然違う味になってて、
もういてもたってもいられなくなって、
オフィシャルサイトの方のフォームから、
そこに対するある意味クレームみたいなものを、
しっかり思いを伝えたら、先方からもしっかり丁寧な返事があって、
その数週間後、味が戻ってたっていう。
だからもうロビーングみたいなことができちゃってるっていうね。
しかもそれが全然、いわゆる今のネット的な、
意図的な石を投げてすっきりするための直接行動じゃなくて、
しっかり自分が本当に好きであるっていうことを、
誰よりも深くっていうか、アクティブに行動してるっていうのがあるから、
聞いてて全然嫌じゃないっていうかね。
気になったら調べるっていうことの徹底性みたいなのがすごい。
今回のエピソードでも沖田博之さんの歌ってた曲のカバーが、
ドラマかCMか何かで使われていて、
そのカバーがこれ本人に似せて歌ってるんじゃないかっていうことを、