フィードバックの基本
この前ですね、友人であり元同僚の近所さんにね、急に明日飲みに行けませんか?と誘われましてね、行きましたと。非常に嬉しかったですよね。お互いね、子供もいて、たまたま向こうの時間が取れたと。
で、私も子供がいることはもちろんわかっているんだけど、もしかしたら来れるかもしれないとか、なんかその可能性がないかもしれないけど、こう誘うっていうこのアクションは本当に素晴らしいなって思うから、あのマジでありがたいなって思って楽しんできました。本当にありがとうございます。
ということでですね、フィードバックは押し付けではいけないということでやっていこうかなと思います。えっとですね、まあ今回のテーマはですね、非常にこうなんていうかね、自分の中では、うーん、まあ、あれですね、非常にネガティブなもの、ネガティブな感情はいろいろあるんですけど、なるべくあの具体的なところにならないようにして、
抽象化してしゃべれればなと思っています。で、あの、まあ、フィードバックっていうのがあるわけですよ。で、フィードバックって、まあ、これいろいろこう諸説あるんじゃ、諸説あるというか、えー、何でしょうね、フィードバックって前提に立つと、あんまり意味がないものがあるわけですよ。
で、まあ、これいろいろこう諸説あるんじゃ、諸説あるというか、えー、何でしょうね、フィードバックって前提に立つと、あの、基本的には相手に役立つかもしれないという前提で気づいたものをお伝えするものですよね。それがもしかしたらポジティブなものかもしれないしネガティブなものかもしれないと。
ポジティブにしろネガティブにしろ相手に伝えることによって相手に役立つかもしれないっていう前提でお伝えするのがフィードバックというのが前提だと思っています。これを前提にしたいと思ってるし、これが私の主張でもありますし、おそらく一般的にもこうなんじゃないかなと思います。
まあでもわかんないです。一般的にはわかんないんで、とりあえずここでの前提はこういうことにしましょう。あの、相手に役立つかもしれないものをお伝えするもの。で、えーと、じゃあどう役立つかっていうのを、そうですね、ちゃんとフィードバックするときに伝えないとこれは難しそうだなって思うんですよね。で、それを伝えないとただの意見になるんですよね。
つまりですね、えーと、例えばですね、あの時にこうした方が良かったよみたいな、これもまあフィードバックじゃないですか。で、そういう時にあの時にこうすれば良かったって、それによって相手にどう役立つんですかねっていうのは多分とても大事で、それをしたらその相手はどうなってどういうこう、
まあ今回のはネガティブなフィードバックなんで、どういう良い結果が待っていたのかとか、あるいはそのなんでしょうね、まあわかんないですけどね、結果なのかその人のこう他からどう見られるのかとか、まあとにかくですね、えーと、フィードバック役立つと思っているのであれば、こう役立つ内容をちゃんと伝えなきゃいけない。
って思うわけですよ。そうじゃないと、あの受けた相手は、あのー、まあこれ後で言うんですけどね、全然あの納得感いかないですよね。な、なんでって。なんでって普通になるし。で、なんでって聞いても、うーん、まあイマイチだかこう自分にはあんまりピントこねーなーみたいな、そういうのは出そうですよね。
あと、そう役立つかどうかをちゃんと伝えないと、まあただの意見になるって言ったんですけど、もう一つは、マジで関係性悪くするだけのもう有害なコミュニケーションだと、もう言い切っちゃいますけど、思うんですよ。
フィードバックは、どっかでも、まあいろんなところでも言われてそうな気はするんですけど、とにかく諸刃の剣だと思っていて、それによって人生変わるレベルで、えーと、なんでしょうね、なんか行動変容が起きて、で、なんでしょう、その人の活力につながるとか、いうことももちろんありますと。
フィードバックを受け取る自由
一方で、関係性を劇的に悪くさせることもありますと。これ何がファクターになってるかっていうと、まあ関係性ですよね。そもそもフィードバックをする側とされる側の関係性、これがめちゃくちゃ大事。
つまり、そんなに関係性のない人からフィードバックを受けても、全然響かないんですよ。一方で、関係性がある相手だったら、さっきのまあ役に立つかどうかの話で、ちゃんとした説明がなくても、まあこの人がいいならそうするかってなるんですよ。人間ってそういうもんじゃないですかと。
関係性の力はめちゃくちゃ強くて、全然無視できない。なので、フィードバックは、まあ関係性がものすごく大事なんですよね、と思ってますと。で、まあいいや、関係性の話はまた別でやるんですけど、別でやるというか、まあやらないけど。
とにかくフィードバックは役に立つかどうかが、ちゃんと相手に伝わってないといけないよねと。で、伝わってもなお、それを役立つかどうかって判断するのは、結局フィードバックを受ける相手に委ねられますよね。
さっきも言いましたけど、あの時こうすればよかった、こうしてたらこういう結果になったかもしれない、そうしたらあなたの立場はすごく良くなっていただろう、みたいな、そういう説明を受けたとして、その説明をされた側がそれで納得できるかどうかはまた別の話なんですよね。
で、納得しないことなんて全然あるわけじゃないですかと。で、全然それでいいですよねと。フィードバックは役に立つかもしれないという前提で送っているものなんで、役に立つ立たないっていうのを判断するのは本人なんですよ。
なので、それは受け取れないっていうのは、フィードバックを受ける側にはそういう受け取らない自由はあると。ありますと。で、自由があっていいし、あるんですよ。
で、それがですね、みんなのフィードバック大全っていう本があるんですけどね。この本あんまり好きじゃないんですけど、その中でもね、コーチャブルっていうワードが出てきたんですよね。で、これどういう意味でこの本の中で使ってるかっていうと、要するに素直にフィードバックを受け取れるかどうかっていう意味合いで使ってますかね。
はい。で、ちょっとコーチャブルって私コーチングやってるんで、非常にこう、なんでこのワード使うんだろうなって、ちょっと違和感を感じるんですけど、まあいいでしょう。
だからこの本を信じてる人が結構いて、この本を信じてフィードバックする人っていうのが周りにいるんですよ。で、私も、私もというか、私はそういうフィードバックをよく受けるんですけど、この本を信じている人からですね。
たまに、たまにというか、まあ多くの場合その人のフィードバック全然役に立たなくて私にとって。まあなんか、だからでもそこでこう、なんだろうな、あのいちいちこう突き返しても面倒くさいんでありがとうございますで終わってんですけど、たまにあの受け取らないことがあったんですよ。
で、そうすると、あの、なんでしょうね、まあ言葉としては言わないけど、コーチャブルじゃないですねっていう評価をするんですよ。この本信じてる人って、えっと、まあ本当にちゃんと読み込んで信じてるから、あの結局受け手次第みたいなところがこの本に書いてあったと思うんですけど、コーチャブルじゃないと評価するんですけど、まあそうじゃないだろうっていう感じがするんですよね。
フィードバックが役に立つかどうかは、それはあなたの主観では役に立つと思ってるかもしれないけど、こちらの主観では役に立たないんですよと。だったら別に受け取らなくてもいいじゃないですかと。受け取らないっていうとコーチャブルじゃないですねって言って私の能力を否定してくるんですよ。
すごい怖い本じゃないですか。怖いですよねと思ってて、めちゃくちゃこの本危険だなって思ってて、なんかこう、なんかすげーフィードバックして、でフィードバック受け取られないとコーチャブルじゃないですねって言って、なんかレッテル貼ってきて、もうなんか、あの、なんでしょうね、二段構えなんですよ攻撃が。
一回攻撃して、で返されようもんならもう一回反撃が来るんで、なんか勝てないというかね。で、そこでもう議論してもしょうがないからもうそれで終わって、結局最終的には私はコーチャブルじゃないというレッテルを貼られて終わるんですけど、もうマジでこれほんとやだなと思ってて。
で、この本ね、最初の方でね、フィードバックが広がらないのはコーチャブルな人が多くないからじゃないかみたいな仮説を立てたみたいな話があるんですけど、世の中フィードバックを受ける側の能力が足りないからフィードバックが広がらないんじゃないかみたいな。
いやまあそれはそうなのかもしれないけどさーっていう感じがして、どちらかというとそういう前提に立って、じゃあどうやってフィードバックしようかっていう。結局周りを変えることはできないんだから、その本を読んでる人、この本がね、どっちを向いてるのかわかんないんですよね。
フィードバックをする側なのか、される側なのか。おそらくフィードバックに関心ある人ってする側なんで、多分この本の対象読者はフィードバックする側で、私からすればフィードバックをする側の対象読者に対して世の中フィードバックを受けても、
まあ急に素直に受けておれる人は少ないから、その中でうまく対処しようねぐらいのニュアンスだったら全然よかったのに、なんかコーチャブルになるためにはみたいに急になんか受けての章とかが出てきて、なんかなーみたいな感じなんですよ。
ちょっと本の書評になっちゃうんでやめときますけど、そういえばですね、コーチャブルっていうワードで言うとですね、成長を支援するということっていう本が、また別の本があるんですけどね、これは完全にコーチングの本なんですけど、コーチャブルモーメントというワードが出てきます。
これはもう本当にコーチできるタイミングって意味合いで使っていて、どういうことかっていうと、常にコーチできるわけじゃないよって言ってて、まあそりゃそうだよねと。
例えばどういう時がコーチできないかの、すげー極端な例で、抑圧された政権下にいる市民ですね。コーチングの中で拡大質問っていうものがあるんですけど、そういう質問をした時に、そんな考えをしたら逮捕されますみたいなことを言うんですよね。
もうなんかその、コーチングを受けて何か発言すると逮捕されるんじゃないかみたいな恐怖感にいる状態の人は、そりゃコーチできないよねみたいなことがコーチャブルモーメントじゃないって言ってて、まあなんか非常にそうだよなーっていう感じがある例でした。
まあ本当に、コーチャブルっていうのはコーチができるっていう意味合いで使ってて素直な意味だなーっていう感じはしますね。
押し付けではいけない理由
言いたいことは、フィードバックは押し付けではいけないですよね。
フィードバックをする人が、フィードバックをする、フィードバックを受けないのは相手の能力が低いからだっていう態度が非常に押し付けなんですよね。
ちょっと自分自身が完全に正しいと思っているんですけど、これちょっとやめた方がいいですよっていうのが私が言いたいことですかね。
はい、ということで今回はフィードバックは押し付ければいけないでした。
それではまた。