1. まなびのはなし
  2. #038 - フィードバック

ティーチングの文脈でもコーチングの文脈でも使うことのあるフィードバックについて、学習者を支援する立場としての考え方や、自分自身の成長・学びの視点で感じていることなどを自由に語り合いました。

  • 「評価・採点される」と、もらうタイミングが似ているフィードバック、だからこその難しさ
  • 前に進むために重要だからほしいもの、もらうのが怖いなという気持ちになるもの
  • "Feed-forward"
  • 基準値や期待値を基点にした観察内容を伝えるフィードバック
  • 褒められた・ダメ出しされた、との違い
  • 義務教育の影響
  • 信頼関係という土台
  • "オープン360"という仕組み(tomo経験談)
  • 丁寧に準備してくれた、想いが伝わってくるフィードバックをもらうことの喜び
  • フィードバックを与える側のマインドセット、受ける側の状態・性格・(フィードバックをもらう対象の活動に対する)自己効力感の度合いなどの掛け算
  • 許可をもらってから、相手に伝える時の話
  • 自然にもらいにくくなるフィードバック、いかに自分からそれをもらう仕組みをつくるか

エピソードで触れたもの、関連情報

関連エピソード

「#まなびのはなし」について

大人の学びをサポートしている二人が、それぞれ見つけた・考えた、ことを、話したいから話しています。話している二人は「英語教育」「コミュニケーション学」「言語コーチング」に専門性ええをもつemi (⁠⁠⁠ウェブサイト⁠⁠⁠)と「インストラクショナルデザイン」「リーダーシップ」「キャリア・ライフコーチング」に専門性をもつtomoko (⁠⁠⁠ウェブサイト⁠⁠⁠)。毎週1回配信しています。自己紹介エピソードはこちら:⁠⁠⁠#001 - 自己紹介⁠⁠。文字起こしは⁠⁠LISTENサイト上⁠⁠で見ることができます。

サマリー

このエピソードでは、フィードバックについて話されています。フィードバックとは、言葉の誤解を解き、学習者の受け取り方やフィードバックの重要性について議論されています。メンバーは、フィードバックを刺さりやすく感じる理由やチームの信頼関係の重要性について話しており、また、自己考慮感の低さやフィードバックの具体性が受け手の反応に影響を与えることを示すエピソードを共有しています。このエピソードでは、言葉や行動がどんな気持ちにさせるかが一番印象に残り、変わる原動力になることもあると伝えています。フィードバックについて話したエピソードで、AIにとっては難しい部分ですが、ポジティブなフィードバックを受けることが重要であることを共有しています。

フィードバックの誤解
このポッドキャスト、まなびのはなしでは、大人のまなびをサポートしている2人が、それぞれ見つけた、考えたことを話したいから話しています。
今日もよろしくお願いします。
お願いします。
今日のテーマは、フィードバックについて話そうと思います。
コーチングにはつきものみたいなところありますよね。
先生としてもありますよね、あのティーチングの。
人によってもイメージとかもね、いろいろあるかもしれないので、
そもそも、フィードバックって、えみさんにとってはどういうものですか?
私がやっている英語のコーチングにおいて言うと、
プログラムの中に課題があるので、その課題をやってもらって、それに対してするとか、
セッションの中で学習者が何か言ったことに対して、私から返すとか、そういうものですね。
なるほど、それをいつやるとかも全部自分で決められてるんですか?
課題については、課題が出てき次第。
で、さっきティーチングでもってね、ともこさんおっしゃいましたけど、
ティーチングだと、わりとティーチャーからの評価とか、
評価ね。
成績とか、そういうイメージが強く出てしまうので、
特に英語ってなると、先生に丸付けしてもらう。
確かに、赤ペンぽい。
採点されるみたいな印象を持たれやすいので、
あえてそういうものじゃないという意味で、
フィードバックっていう言い方に変えているところはありますね。
なるほどね、確かに。採点とちょっと違うのに誤解される印象が。
タイミングが似てるんですよね。
確かに確かに、行動の後にね、客観的に見てる人から何か降ってくるみたいな感じでは似てます。
なので、名前をフィードバックに変えたとて、
学習者の方では、採点が来る、成績が来るっていう風に思っている場合は結構あって、
特に最初の頃とか、開けるのが怖かったです、みたいなのをね、後から言われたりすることもあって。
メール上で?
ウィキ、プラットフォームを使ってるんですよね。
セッションとセッションの間っていうのはね。
そこでは書き言葉のやり取りになっているので、見るのが怖かったです。
でも大丈夫でした、みたいなことを言われたりして。
一旦大丈夫になれば、その後は怖さはなくなるんですけど、
最初の頃、先生からコメントが来るみたいなのを結構な緊張感で受け止めようとしている学習者っていうのはやっぱり多いなという気がしますね。
確かに。
それを聞いて今ちょっと思ったのが、今大学院で、よくチームプロジェクトみたいなのがあるんですけど、
だいたい期限が2回あって、1個目が教授にチームのドラフトを提出する。
そうすると、フィードバックが戻ってきて、それを生かして最終形にしましょう、みたいな。
最初からそういうプロセスが決まっていて、
その時は教授にもらうフィードバックに怖いという気持ちもなく、むしろ早くくれみたいな感じなんですよね。
前に進む上で、彼がここももっと考えたらいいんじゃないのとか、
言ってくれたりすることが重要だから欲しいっていうマインドセットになるんですよね。
で、何が違いなんだろうなってちょっとぼんやり思ってたのと、
直近に聞いたポッドキャストでも、そのフィードバックじゃなくて、フィードフォワードという。
フィードフォワード。
そうそう。で、捉えましょう。
で、そういえば聞いたな最近って思って、
多分大学院のその課題の文脈でのフィードバックは、
頭の中で勝手にフィードフォワードだと思っているから、
そういう心理的なドキドキ感みたいなのなかったのかなって思いました。
フィードフォワードに変えようかなって思っていた時期があって、
あゆみさんが。
今もまだ思ってるんですけどね。
でもフィードバックですら、何ですかそれって言われたりすることがあるのに、
その先のフィードフォワードに変えるのはあまりにもアバンギャルドすぎるかしら。
確かにね。そもそも日本語じゃないですしね、フィードバック。
そうなんですよね。
気持ちとしてはそうです。
学習者が英語を学ぶというプロジェクトにおいて、
私はそれを前に進める役割なので、
やっつけようとかへこませようとかするはずがないのですが、
やっぱりそうは思われないこともあるし、
もちろん前に進むためにいわゆるネガティブな、
それも今はラーニングフィードバックとかね、
インプルーブメントフィードバックとか言ったりする場合もありますけど、
よくするためだとはいえ耳が痛いっていうこともなくはないので、
前向きに捉えてもらうっていうのは、
ちょっとまだ工夫の余地がありそうだなと思っていますね。
分かります。
あと私はそのさっき言ってたフィードフォワード的な、
何かを作っている過程に前に進むきっかけにもらうみたいなものと、
もう一つ似てて多分重なる部分もあるんですけど、
求められるあるべき姿とか基準みたいなものと、
現状のギャップに対して観察したことを伝えるのがフィードバックだみたいな定義を聞いたことがあって、
そうすると基準値よりも現状が低い場合っていうのは、
それを皆さんイメージすると思うんですけど、
ここがさらに足りないから頑張ろうねっていうフィードバックになり、
基準値よりも上に現状があると、
あなたはここがうまくできてて強いからそこをさらに頑張って活かしてねみたいな、
ポジティブフィードバックとかも言われるかもしれないんですけど、
そういうあくまでも期待値とか基準みたいなものを、
起点に観察したことを伝えるみたいなフィードバック、
似ているようでゼロから何かを作ろうとしているときに、
こうやったらどうとかこういう風になってるねっていう風になるのとは、
ちょっとだけ違う部分もありそうだなと思うんですよね。
重なってる部分もありそうなんですけど、
教授はこういう感じでプロジェクトしてほしいっていうざっくりしたのはあるはずなので、
だけれどもそこまで基準っていうものがカチッとしてない気がしていて、
なるほどなぁ、そうですよね、両方ありますよね。
フィードフォワードの懸念
私がコーチングっていうものを学んだのが、
ヨーロッパの言語コーチングだったり、
アメリカがベースになっていたりする中で、
日本人の学習者の方と接して、
ちょっと違いがあるのかなって思うのは、
基準を超えてきたときの私の純粋な驚きだったり、
感銘を受けるとかね、
なんかそういうタイプのフィードバックは、
褒められたっていう風に捉えられて、
もう少しここ頑張ろうねみたいな、
インプルーブメントに関するフィードバックは、
ダメ出しされたみたいな風に学習者が捉えることが多くて、
褒めてないし、ダメも出してないよって思うんですけど、
そういう名前をつけられやすいのかなって思ったりすることがありますね。
個人的にもちょっとわかります。
ちょっと傾向としてはある気がしてて、
その理由が何かは私はよくわかってないんですけど、
みんなと同じが正しいみたいな文化としてあることが繋がってるのかなという気がします。
みんなは変わってるっていうその際を、
特にスポットライト当たることは慣れてないし、
なんかちょっとむしろ当てられたら、
もうそれでちょっと恥ずかしくなりすぎてて、
その場から当たりたいというか苦しい体験になるっていう。
なるほどな。
基準値からどれだけ離れているよっていうギャップを見せられた途端に、
それがポジティブだろうがネガティブだろうが、
恥ずかしくなっちゃうっていうのはあるかもしれないですね。
基準のすごく近くで静かに立っていたかったのかもしれないけれども。
でもまあそれは無理な話ですよね。実際のところね。
誰が決めた基準っていうのがね、シチュエーションが全然違うので。
例えばフィードバックとして、今言ったことやったことは一番多数な一番普通のやつですよって。
でもそれだと次どうしていいかが見えないですよね。
なのでやっぱり少し教育の影響もあるのかもしれないですけど、
自分が安定に近いのか近くないのかとか、何が特に弱みなのかみたいな、
受験関係のフィードバックをもらうという体験が人生のマジョリティだったりすると、
フィードフォワードとしてね、テストの件数って、
生物のテストで例えば80点で心臓の部分だけすごく苦手みたいなのがあっても、
じゃあこれから心臓勉強しようってテストが終わってからならないじゃないですか。
もういつも過去ですもんね。
テストをして学んだかどうかをチェックする仕組みが、
次につなげようという仕組みになっていないので、
フィードフォワード慣れてないんでしょうね。
例えばバレーをやっている学生がここのジャンプがね、
フィードバックの受け取り方
とか鏡を見ながら自分のフォームのここがあってて、
常に自分でフィードバックを他社からもらって鏡からもらって、
自分のフォームをきれいにするっていうか、
完全なフィードバックを受けて改善している作業だけれども、
学校のテストとともに遠い世界だから、
同じフィードバックって思ってない気がしますね。
それ別に日本に限った話じゃないんですけど。
そうですね。前にも言った気がしますけど、
英語って学校の科目にあったので、その印象から離れにくい。
やっぱりその一つの単元みたいなものを覚えたら、
それは過去のものとしてできたできないの結果をもらったら、
もう無関係の単元が始まるみたいな、
そういう枠組みの中で学ぼうとしている人が大人になってもいて、
これは完璧主義にも関わることですけど、
100点にするためにあとどこが足りないですか?
どこが正しくないですか?その部分にフィードバックください。
そういう求められ方をすることも結構あって、
実際そのことが学習者にとってはやる気のもとだったりすることもあるので、
そこはちょっと難しさは私の方では感じることがあるんですけど、
私の考えとしてはバレエのように、
だんだん自分の脚力や柔軟性をつけていって、
いろんな場面に対応できる英語のユーザーになってほしいっていうのがあるので、
そもそもそこはもう少し丁寧に伝える必要があるのかなって今思いました。
今のエミさん、この点数のここが足りなかったものを教えてくださいって、
まだ本人がそこを知って攻略しようと思っているから、
少し動機あるじゃないですか、関係題名いつも間違えるからそこを教えてもらいたい。
さっきのバレエリーナも良くなりたいっていうモチベーションがあるから、
それは結構フィードバックをもらうタイミングとかレディネスというか、
準備ともつながる話かなと思いました。
リーダーもメンバーにフィードバックをするとか、メンバーからもらうみたいなのがあって、
それを機械的にやらなきゃいけないから、市販機に集めるみたいになっても、
やっぱりその瞬間にいきなりどっかから降ってきたように起きても、あまり刺さりにくいというか、
例えばメンバーにあげる文脈だとしたら、
フィードバックの受け手の反応
メンバーがこういう自分になりたいんだっていう、
このモチベーションのところのホミモグシみたいなのを先に上司が仕事をアサインするときぐらいからやっているから、
フィードバックが刺さりやすかったりとか。
リーダーもリーダーで、メンバーからのフィードバックが1年に1回来るんだよ、みたいなのじゃなくて、
自分が欲しいって思ってその仕組みを使うとかしないと、
結局フィードバックやってもやらなくても次に繋がりにくそうだなっていうのは、
テストで苦手リスニングだっていうのを知ったときに次に使うかどうかって、
何のために英検を受けに行ったかにも結構影響しそうだなっていうのと近いかな。
そうですね。いつも戻りますけどね、目的ですよね。
そうだね。
あらゆるところに目的が絡んできますね。
本当、学習者の側のモチベーションっていう意味では、
ありがたいことに私が出会う学習者っていうのは、
みんな自分を変えていこうとかね、何かやりたいことを持ってきてくれるので、
フィードバックを割と池の恋みたいに口を開けて待ってくれているっていう風に感じることが多いんですけど、
でもそうだとしてもやっぱり信頼関係っていうのはすごく大事で、
まだ出会って間もないところでいくらフィードバックくださいパクパクってされても、
入れるものがまだ決まってないのでまだあげられません。
少し時間をくださいみたいな言い方をするときはありますね。
プロ意識なんでしょうね、えみさんとして。
変な餌入れちゃうと後が大変だから。
そうですよね。
信頼関係にちょっとつながる話ですけど、私が人生の中でこんな仕組みもあるのかって感動したフィードバックのやり方を一つ共有すると、
前々職のところでやったんですけど、6人か7人くらいのチームで、そのくらいのサイズじゃないと実現できない仕組みなんですけど、
360度評価って普通にあると思うんですけど、それを口頭で対面でやるっていうオープン360度評価っていうのをやったんですね。
最初にそれを上司がやるよって言ったときは私結構ひよってて、
え、怖そう。
そうでしょ。だからアメリカンはとかって勝手に思ってて、そんなダイレクトなことをいきなり。
その6人なり7人は一緒に働いてる本物のチームのメンバーなんですよね。
そうです。
そのために集まったわけではなく。
ではなくて上司1人と残りほぼフラットでその彼女にレポーティングするみたいなチームで、スタートアップ的な感じで、
わちゃわちゃみんな役割もカチッと決まってない感じでよいしょよいしょって働いてるメンバーだったんですけど、
まあとはいえね、人間同士なんで、少しいざこざもあったりとか、もやっと思ってることで成仏してないものが溜まってたりとか普通にあるんですよ。
だけどやっぱりその前提としてお互いの信頼関係とか、コアな部分でお互いを尊敬してるとかがあるんですね。
そのごちゃごちゃしたことがたまにあったとしても。
でもそれがあったからうまくいくんだなと思ったんですよ。そのオープン360度。
実際やってみるとですね、なんか結構びっくりしたのは、それがちょっとフィードバックにもつながるんですけど、
具体の、あの時あなたがこうしたからこうだってね、よくありますよね、そのフレーマー。その具体のエピソードを用いて、事前準備として参加者全員に対して3つ強みのエピソードと、
3つウィッシュっていうフレーズで柔らかくしてもらってたんですけど、あなたにお願いしたいこと、また私があなたにこういう風になったらもっといいなって思っているお願い事。
やんわりね。
準備するっていうやつで、順番に1個ずつシェアをするっていうので、そのやっぱり強みのものをみんなから浴びるっていうのはすごいインパクトが大きくって。
360のフィードバックって、マイナスのことにすごく意識が集中する。自分は何を言われるんじゃないかって怖いんですけど、すごくみんなが自分に強みについて言ってくれると、すごい感謝の気持ちでいっぱいになって。
1つ、仲間の強みの部分を、私が見えてない部分の強みを周りが言ったりすると、一緒に働いてる人ってこんな素敵な人なんだ、みたいな感じになるわけですよ。
もちろん、成長課題のフィードバックとか被ってたりすると、みんなそう言うんだな、みたいなので刺さってくるわけなんですけど、それともほぼイコールぐらいポジティブの印象もすごく強くて、
すごくチームが後でキュッとタイトになるんですよね。こんなチームで働けてよかった、これから頑張ろう、みたいな感じになるっていう意味ですごくパワフルな時間で、
ポジティブフィードバック、ネガティブフィードバック両方存在して、チームの信頼関係と、しっかり真面目に事前準備に取り組む人たちみたいなのが前提としてあるんですけど、やっぱ上手くできてるなというのを思いましたね。
本人としてやったことないですよね。
さっき言ってた、日本の割とカルチャーにありがちな、褒められると恥ずかしくなって居心地が悪くなっちゃうっていう人は、そこのチームにはいなかったっていうことなんですかね。
具体的なフィードバックの効果
いなかったですね。
そう、やっぱみんなお互いあんまり見れてないなっていうのは改めてわかるんですよね。みんな忙しいから、あの人そんなこともしてたんだとか、恥ずかしいというよりは自分にとって当たり前のことが他の人にはワオっていうのが相互に起きてるっていう感じで、あんまり恥ずかしいって気持ちはなかったですね。
恥ずかしさもね、慣れてくるとその恥ずかしいの感情じゃなくね、事実としてスッとね、受け入れられますよね。
確かに今エミさんがおっしゃっている事実に基づいて結構重要な気がしてて、なんかトモコさんは優しいですよねっていうんじゃなくて、このプロジェクトの時に新しい人で文脈が分からなかった人に対してマンツーマンでフォローアップしてましたよねみたいな、なんかそういう具体な。
その時に私はこう感じたっていうのを聞くだけなので、あんまりそこまでいやいやそんなことありませんっていうふうに気持ちに当たらなかった。
そうですね。抽象度が上がると、いえいえそんなって受け取り拒否に合いやすいっていう感じはするので、具体性っていうのはフィードバックには大事ですよね。
私ももらったフィードバックの思い出として、言語コーチングを最初に学んで、その資格を取る最終試験みたいな形で実際のセッションを録音して提出するっていうのがあるんですね。
受講生だった私としてはそこまでトレーニングきつかったから、もうこれで終わるんだって思って録音して送った時点でもほとんど本人としては終わっているんですよね。
でもそれから数週間経ってフィードバックが来た時に、それも開けるのは怖かったですけど、まず開けたら想像を超える長文、すごいボリュームでびっちり書かれていて、
それを読んでいったら、本当に具体的にここであなたがこの質問をしました、このことはこんな風に効果があってよかったと思います。
この質問のおかげで学習者からこういう言葉を引き出していました、みたいなすごい詳細なフィードバックが来て、
それはすごくありがたかったし、本当に見てくれているんだなみたいな、それまでももちろん信頼関係はあったけれども、そのセッションを通じて、
でもその最終のフィードバックをもらった時に、そこまで見ててくれたんだなっていう感動があったなっていうのは今思い出しますね。
そうですよね、フィードバックを信頼関係がある人とかにもらう時って、そんなに見てくれたんだとか、そういう視点をそういう風に言ってくれるんだって結構ね、やっぱギフトだなと思いますよね。
フィードバックの傷つける可能性
時間を取ってわざわざ言葉にして、特にそういう書いてもらうやつとかって時間かかるじゃないですか。
一方、大学受ける、すごい昔の時ですけど、なかなかレジュメとかがうまく書けなくて、
当時AIの2とかで制作とかもなかったので、社会人の先輩とかに送ったりして、ボロボロに制作が入ってくると圧倒されてしまい、
あれは基準値とのギャップの大きさ、見てくれてるんだって気持ちじゃなくて、普段読むだけで書かないんですよね。
本当にえみさんを思って一言一言書いてくれるかっていうのと、差がこんなにあるよっていうのをえみさん書いてくれるのだと、受け取る側もちょっと違うんだよなという風には思いますよね。
その辺はフィードバックをする側の気持ちみたいなものの違いですかね。
それと受け手の自己考慮感の低さをえぐるかどうかもありそう。ある程度自信を持って書いたものだったら何?ってなるけれども、
もともと恐る恐るビクビクしながら下書きしたやつにアーカーペンがバーってくると心が折れやすいっていうのはありそう。
性格特性とかも少し、あとはさっきのフィードバックを前の無理でもらおうとしているのかどうかにもよる。
そうですね。そこの前提が共有されていないと噛み合わないことがあるっていうことですかね。
コーチングの文脈で相手に許可をもらってから発言するっていう時があって、これはどうですか?提案していいですか?みたいな時に、今ちょっと思ってることがあるんですけど言っていいですか?みたいな聞いて、
たまに言うんですね。もしかしたらいや絶対違うよっていう気持ちになるかもしれないですけど言ってみていいですか?とか言ってOKかどうかを聞いてから言う時もあって、こっちで読めないので相手がOKかどうか。
そうですね。特にコーチングの中で直感っていうのは実は大事だよっていうのがあって、ただその直感は直感に過ぎないので、間違ってるかもしれないですけど、今ふと思ったことを言ってみてもいいですか?みたいな。
お互いを立ててから表現するっていうのはありますよね。
そうですね。あと大体やっぱ印象に残るものって想定外の視点だったり、想定外じゃないんだけどグサッときて胸が痛いみたいな時に、やっぱりそのフォーワードになるインパクトの多いフィードバックであることも私は人生の中で多くて、
もらってなんかいろいろ自分のことを考えさせられる視点をくれる人っていうのはちょっと耳の痛いことを言うっていうのがやっぱり長いインパクトがあるなとは思ってるんですけど、それは多分性格もあるしその言ってきた人と私の関係性もあるので、でもそういうの投げてほしいわけじゃ全然ないんですけど。
そうなんですよね。私としては自分があんまり強いフィードバックを得意としないので受ける側として出すときは割と自分なりには慎重に出しているつもりなんですけど、やっぱりね組み合わせなので思ったより傷つけているのか刺さりすぎてえぐってしまうみたいなこともあるようで、
それを何週間も経って、実は毎週セッションの後血だらけでしたみたいなことを言われたことがあって、うわーそうだったのかでもそれがなんか心地よかったみたいなことを言っていただいたんですけど、私としてはもうそんなことをしていたのかってそのフィードバックにすごく刺されてしまっていることがありましたね。
難しい。
今日それをちゃんと言ってくれる関係性というか、向こうは素直に伝えとこって思えたっていうのはお二人の関係について表すエピソードだなと思いますけど。
できれば溜めないで言ってほしかった。
確かにそれはなんで溜めたんだろうかっていう小さな。
フィードバックの印象
言えない空気感だったんでしょうね。そういう意味ではそこに私の気づけなかった落ち度がありますね。
結構そう考えたら刺さったフィードバックいっぱいありますよね。私も20代の時とか、今思うと恥ずかしいって思うようなこといっぱいしてて、先輩たちにもズバッと言われるみたいなこと結構あって。
今思い出すと恥ずかしいって思ったりもしますけど、それでも最近でも全然あって、例えば彼には関係性があるから向こうもあんまり意識してないでズバッと言うんですけど、
気になったのは、いつも自分だけが正解の側にいるような顔して話してて、みたいなことをズバッと言われたんですよ。
なんなのとか、きついなあ。きついでしょ。
確かにって思うわけです、自分は。英語でself-righteousnessみたいなことを言われて、その感情が固まった時にそれを彼は言ってるんですけど、
真実も少し入ってると思ってて、確かに私が間違っているっていう立場に2人でバトった時ですね、どのぐらいの比率でいるかなって思うと、かなり少ないわけですよ。
私が間違いを認めている場にいるってことは。っていうのをしばらく考えてて、こういう印象を彼に与えているってなんか嫌だなって思って。
本人はやったことすっかり忘れてると思うんですけどね。
私は間違いませんみたいな感じの人が一緒にいたら嫌じゃないですか。
こんなことないと思ってるけど、やっぱり自分で分かっている自分と他人から見ている自分の違いみたいなのは考えさせられますみたいなのを今思い出した。
でもそれを受け止められるともこさんが素晴らしいですよ。
いやいやいや。
即座にではないにしても、時間を置いて、確かに真実があるなあなんていう風に受け止められるっていうのはやっぱ器の大きさを感じますね。
何ももらえなくなったら一番怖いじゃないですか。
そうなんですよね。晴れ者に触るようにされてはいけないなあと思って。
周りに言ってくれる人って減っていくじゃないですか。
ただ年齢が上がるだけでもやっぱり年下の人からは言いにくくなったりするだろうし、
そこまで私のケアを本気でしようと思ってくれる人も少なくなっていくので、
どこかからは人に頼らず自分でフィードバックしていくサイクルを確立していかないといけないんだろうなあと思いますけどね。
やったことないですけど、チャットGPTに効けそうな気がしますね。
こういう傾向がある私みたいな、なんかエピソード5個ぐらい投げて、その他者との関わり方で。
どんなフィードバックになってますか?
フィードバックっていうのもね、ああいうAIたちの機能として一つあるにはありますからね。
しれっと辛辣なことを返してくるかもしれないですよね。
確かにね、こういうバイアスありますねとかサクッと分析されちゃうかもしれない。
AIは本当にしれっと、私はAIで感情もないのでこう言いますみたいなこともね、前置きとして言ってきますからね。
確かになんかいろいろ前置き最近言いますよね。間違ってるかもしれないけれど。
だからそういう感情を持たないものからのフィードバックっていうのもね、
新しい目線として一つ加わっているっていう考え方もできるかなと思うんですけど。
なんか感情を絡めずにフィードバックをしようと心がけたりする場面もありますね。
そうですね、なんか技術的なものは感情がなくても、もしかしたら改善みたいな形でフィードバックをもらって前に進むかもしれないけれども、
その変わらなきゃいけないものが結構アラーニングしなきゃいけないこととか、自分のマインドセットをちょっと変えなきゃいけないものとかだと、
機械にいくらロジカルに指摘されても変化につながるのかなみたいな気はまだまだしますけどね。
それを言われると、時々私思い出すクオート、名言みたいなので、
もともとは最初にアメリカで住んでた田舎町で幼稚園のボランティアをしてたんですね。
幼稚園の職員室に貼ってあって、それに私はハッとして、時々それを見返してたんですけど、
後でそれはマイアンジェロの言葉だっていうことを知ったんですけど、
有名なやつですけど、
何を言ったかやったかではなくて、どんな気持ちにさせたかっていうことが実は一番印象に残る。
その辺のところはちょっとAIには難しいところで、人間ならではなのかもしれないなって。
私はその幼稚園の景色と一緒にこの言葉に戻ることが時々ありますね。
すごくフィードバックの回にぴったりのクオートですね。
フィードバックの重要性
それをね、多分今日言うつもりは多分なかったと思うんですよ。
今日ね、話してきた一連のことを結局私たちがそれを受けた時とかにどう感じたか。
その受講生にバクッと言われたりとか、私も彼に言われたりとか、
新聞の360度評価で温かい気持ちになったとか、やっぱり何を言ったかとかよりも、
それが一番長くインパクト残るなって。
でね、それが原動力になって変わることもあるかもしれないし、
次の行動の時にちょっと注意するとかもあるかもしれないなっていう、
いい感じの締めなんじゃないかなと。
ありがとうございます。ポジティブなフィードバックをいただきました。
今回はフィードバックについて話しました。
紹介した情報や関連するエピソードへのリンクは、エピソードの情報欄にまとめています。
マナビの話は毎週1回配信予定です。
番組をフォローしていただけたら嬉しいです。
それではまた次回。
28:01

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