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はいどうも、Yuzuruです。おはようございまーす。
まあ、俺はおはようございますか。聞いてる人は、こんにちはかもしれんし、こんばんはかもしれんな。
今日は、意外と、なんだろう、真面目な人が落ちりがちな罠みたいな部分について話そうかなと思っとって、
なんでこれを思ったかというと、ついさっきというか、先日やねんけど、俺のパートナーと喋っとって、
喋っとってじゃないな、やりとりしとって、なんか俺の言葉が、
パートナーの機嫌を襲こねた。機嫌を襲こねたって言ってんのが子供時みたいな感じやねんけど、ただなんか心に刺さったじゃないけど、
でも何が刺さったか俺はわからへんくて、それをたまたまツイッターで、別に俺って書いてないねんけど、
誰かの言うことで自分がイラついたと。だけどそれは結構ズボシの部分があるから、
なんてツイッターだったかな、それはもう忘れたねんけど、まあとにかくなんかそのおそらく俺やろうなっていうのが入って、
そこでイラついたみたいな気持ちが動いたみたいなのを書いておって、
で俺がそれってこの前の言葉なぁみたいな感じで言ったら、まあまあそうですとは書いてないけど、
絵文字解してきて、でその後別に何も俺は言わへんかったねんけど、他の件で、新しく契約書を更新しなあかんかったりするから、
それのやりとりをしている時の文面が、俺からしてみればもうなんか、
もう明らかによそよそしさがこう、
何、あの、よそよそしさ全開なわけよ。
もう明らかに何か言葉遣いとか変なわけ。
で頑張って丁寧に書いてるけど何かこう、まあ5時とかも入ってるし普通に、
で何かそのその前の契約書の前の話し合いが全然違う話し合いしとって、
そこの言葉遣いと全く違うわけよね。
ですぐに俺はもうピンときて、でしかも何かそのその前の話し合いの時の多分俺の言葉が何か気になったからつって、
そこに対してのリアクションもなして全くその前の俺の返答をスルーして、
新しいその契約書の話になっとったから、まあとりあえず契約書の話に関しては大切やから俺も書いて返写したいけど、
それに関してもすげードライな感じの返信で、何やこいつと思って、
分かるけど別にそれはそれでいいけど、
前の返信に対して何のリアクションもなく次にあたかも何も起きたか起きなかったかのような形で進めるのはマジで気持ち悪いわみたいな感じで書いて、
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でもなんかそれでも淡々とこうメッセージ進めようとしてるからもう面倒くさいなぁと思って、
で、電話するわって言って、電話していいみたいな感じで言ってそこで電話すぐ始めたわけ。
ほんで話したら、まあ何やろ、俺がその人も他のね、ビジネスやりつつ投資とかもしてんねんけど、
まあその能力を否定するっていうか、何やろな、まあその能力はうまくいってないよね、でその投資も、
まああんまりなんか俺からしてみたら、別にそんななんか投資をすること自体は全然問題ないし俺もしたらいいと思うねんけど、
投資の仕方、自分自身が、自分自身の能力に合わせた投資の仕方をした方がいいなっていう部分で、
それをしてへんかったからは投資もあかんよなみたいな、投資も向いてないなみたいな感じの言葉をしたら、
その投資も向いてないよなのもに引っかかってめちゃくちゃなんか悩んどってさ、
で俺からしてみれば何やろ、いや投資もっていうか、投資そんなに別に極めてるわけでもないのに何かあたかも、
もう今までベテランがやってたかのような、もしくはそのまあ投資先のことを、投資先じゃないな投資をこう手伝ってくれる人のことを知ってるかのようなスタイルで投資してる時点でマジセンスなくねって俺からしては思うから、
これ言わない方が逆に言うとさ、何やろ優しさないんちゃうかってぐらいの気持ちやから、言ったらまあその人的にパートナー的には、
要は自分はこれもできないと、あれもできないと、そして投資もできないのかみたいなさ、こうなんか自分、自己嫌悪じゃないけど、
自分の価値を否定されたかのような感じになって、ただこれ俺との信頼関係があるからこれ普通やったらさ、
俺もここまでバーンって言わへんで、だけどこの人との信頼関係がもう抜群にあるから、このパートナーもその意図を読み取ってくれっていうか、別に俺傷つけようと思って言ってるわけでもないってわかってるから、
そのパートナーが感じたのは、自分は諦めてる、要はまあはっきり言って能力値は、
まあお世辞にも高いとは言えない、正直言って、論理的な思考とかもそこまでできる人でもないし、
どっちかっつったら直感が、でも直感はもう圧倒的にすごいから、俺はもうちょこそこを研ぎ澄ませさせていったらいいなっていうふうに思ってんねんけど、ただなんか
直感が曇ってしまうような無駄な行動をしてるっていう感覚やな、
でその理由っていうのが、他のセンスないものを諦めればいいのにっていうものをあたかも日頃は諦めてるような振る舞いをしてるけど実は諦めてない、
その証拠に今回のそのもっていう言葉に対してイラついてしまったっていうふうな分析をしとったんね。
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俺はなるほどなと思って、結構ずっと英語もあんまできへんしみたいなさ、集客もできへんし、マーケティングもできへんし、ビジネスもできへんし、経営もできへんし、しかも投資もできへんしっていう、
文脈的に言えば普通の流れやん、なんかできへんできへんできへんだらけやな、だけどビジネスうまくいってるようなのでいいやん、それで。
いやねんけどその時的にやっぱ自分自身の何やろな、価値観が揺らいでしまうというかさ、どこかでそういう自分を許せないみたいなさ、
っていう部分があるってことに改めて気づいたみたいな話しとって、そんなに深く捉えてたんみたいなさ、俺からしたら今までの他の話の文脈の流れから普通な感覚で、
いや当初向いてへんなお前みたいな感じで言って、別に向いてへんなら向いてへんで、向いてない人なりの戦い方すればええやんって感じやねんけど、
向いてないってことイコール自分は能力値がない、自分は価値がない人間みたいなさ、感じになってる、
な感じの捉え方をしてしまう嗜好があるなっていう風に分析しとって、ほんまそうやなと思って、めっちゃもったいないなと思って、
で結構なんか真面目な人って俺はこういう捉え方してしまう人結構いるんかなって思って、要は自分を振り返るってことするやんか真面目な人ってさ、それなりに、
反省はするねんけど、反省以上のことをするっていうか、言い方なんて言ったらいいんだろうな、反省するんだけど自分をいじめるレベルまで反省するみたいなさ、
それ反省ちゃうくないみたいなさ、反省じゃなくてそれいじめちゃうみたいなさ、自分で地面いじめてるやんみたいなさ、感じまで追い込んじゃう人って結構いるんかなと思って、
で俺これって結構大事、この人間って間違えるやんかなんでも、で能力がないものも、俺ぐらい40代ぐらいになるとどんどん分かってくるわけよ、自分が得意な分野、自分が苦手な分野、
自分がセンスがある分野、自分がセンスがない分野ってもうわかってくるから、結構この、なんだろうな、反省してもしょうがない部分を見極めて諦めていくっていう能力って結構重要やと思うねんな、
例えば、俺が昨日か一昨日思ったのが、TikTokがめっちゃ流行ってるとして、TikTokで動画を見るわけよ、俺見たわけよ、見て、俺この人たちにと、なんかなんか20代の子たちとか10代の子たちと戦ってく、
戦ってくって決めたらあれやねんけど、でもこの人たちよりも自分、そんなこんな動画できへんと、こんな踊りできへんと、こんな歌歌えへんと、こんな風な何、でこめもできへん、だから自分ダメだって言ってるような感じやねん、ある意味な、
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俺は、なんかそれで例えば俺が好きやったら、勝負したらいいと思うね、ああいう風に歌いたいな、ああいう風に踊りたいなとか、踊りたいなとか歌いたいなとかも1ミリも思わへんし正直言って、
でああいう風なショート動画作りたいなも1ミリも思わへんねんな俺は、その時点でここで何か、何やろな、まあそれでやりたいと思うんだったらそれなりの自分なりの形を見つけてやってけばいいとは思う正直言って、
40代なりの何かこう、何、語り口調で、ちょっとそういう雰囲気を出すっていう部分とかを交えながら上手く撮るっていう方法はあるんかもしれへん、多分な、だけど俺あんま興味ないからそこに対して諦めてんねん、僕負けましたと、
で負けてることイコール自分自身がダメっていう風にはでもならへんねん、負けは認めてるけど別にそこはもう何か、いやもうやってないんだから負けてるに決まってますっていうスタイルやねんな、
だからこの何か諦めっていう、いい意味での諦めで、諦めっていうのが何かできるかどうかが人生楽しく生きる、豊かにしていくには結構鍵になるんちゃうかなって何か話して思って、でそうそうこの人と話した時に思ったのがパートナーと話して思ったのが、この施術、美容サロンで施術の人って講師もしてるわけよ、
実力があんねん、そこに関しては圧倒的やねん、だけどその圧倒的な実力を要はお客さんに対してもしてる、講師として新しいセラピストさんを教育していく部分に対してもしてる、それは自分からしてみれば何やろう、
特別なことじゃないと、普通、要は別にできて当たり前でしょっていう感覚っていう風に言っとったね、だから俺もそれを聞いた時にそうだよな、できて当たり前、そのだから完璧な自信っていうのは俺はいいなと思ったんだよな、
だけど逆も考えてほしいと思ってその時に、できてその部分できて当たり前やんかーっつって、それは自分自身の積み重ねてきた経験とか俺センスもあると思うしそのエネルギーとかもわかるからさ、だからそういう部分で判断して実際にお客さんにも結果出てるし、やっぱりうちのビジネスパートナーを指名で選んでくださるお客さんとかもいるし、やっぱりリピートの部分とかでも圧倒的に結果出るからやっぱ違うな、違う見せてんだって思うねんけど、
できて当たり前もあれば、できなくて当たり前って捉えてもいいんちゃうっていう話をした瞬間に結構びっくりしとって、そういう捉え方があるかみたいなさ、例えばこの人できないのが英語できへんねんな、マジで、でも俺からしてみれば俺英語どんだけ勉強してきたかっていう話なわけで、結構やってるわけよ俺は、
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英語だけの英語っていうのはまあまあそれも多少はしたけど、大学生時代にね、それ以上にその後でやっぱり会話が上手くなるためにシャドーイングの練習もどこどこでしたりとか、あとリスニング上手くなるためにとにかく外人の人と喋ったりとか、やっぱりあとポッドキャスト聞きまくったりとか、死ぬほど聞いたりとか、そういうのを徹底的にやっぱりしてるから、
単純に努力量が多分ね結構やってる方だと思うねんな、俺は、でもどっちかって言ったら座学はそんなしてへん、俺は、座学っていうよりかもう実用的に使えるものを身につけるためにどんどんどんどん実践で使って、ミス間違えてまた使ってっていうのを繰り返してやってる、その練習量が圧倒的に多い俺は、やっぱ数勝負でやってるから、
それを俺からしてみたら、俺はそれなりのレベルには行くよな、別に別にそんなめっちゃ上手くないで、英語も、めっちゃ上手くはないけどある程度のレベルは話せる、だからこっちでビジネスできるレベルとか、プレゼンができるレベルには喋れると、
だけどそれをその角度から言うと、いやできなくて当然やみたいな、やってへんねんから、逆にだからその感覚を彼女にも俺は持ってほしいなと思うわけよ、いややってへんねんし、
今の時点からもちろんもっと上手くなりたいなら、その上手くなりたい気持ちをモチベーションとして勉強したらいいけど、他と比較しては自分まだこんなレベルだみたいなさ、同じ年齢ぐらいの人はこんだけ喋るのに、私はこんだけ喋れないみたいなさ、
そういう比較ってマジわかるよ、俺もしとったから、そういう気持ちになるなってわかるし、今も例えば40代ぐらいでさ、もちろんもっと俺よりも起業して成功してる人もたくさんいるし、むしろ40代ぐらいからやって一気に活躍してる人とかなんか、
俺からしてみたら、俺30からやってこんだけ時間かけてここまで聞こえてて、おっそ!みたいな感じになるけど、俺同時にそれ見た瞬間に、昔の俺やったらこの時に比較して落ち込んで、自分って才能ないなーみたいな、自分ってやっぱ向いてないなーとか、自分ってあんま力ないなーとか能力低いなって思ってたなっていう風に冷静に分析できる自分が今いるわけよ、俺は。
だけど今は別に、それはその人の能力がうまく発揮されてるだけであって、俺自身はもちろん、俺自身の能力が低いから今この時点でいるっていうわけではなくて、ただもちろんもっと発揮できてへん部分はたくさんあるなっていう風な捉え方。
だからこれからもっともっと発揮せなあかんわっていう捉え方だよね。能力が低いから、だからなんか伸びしろしかねーな俺はみたいなさ、感覚。本当やったら俺その人ぐらいまでいけてるはずなのに、俺いけてへん、何しとんねん俺みたいなさ、もっと俺能力使ってかな、みたいな感覚だよね。だから伸びしろしかないっていう捉え方になってるわけ。
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だけどあとタイミングとかもあるしな、みたいなさ、運もあったしな。逆にでもそうやってて活躍できなかった分、いろいろな失敗体験とか、どうやったら失敗するかっていうような体験は得られてるから、それをやっぱり活かせるってなると、やっぱこれから俺の方が強いんちゃうぐらいの勢いで思ってねえな。
でもやっぱ、俺のパートナーとかやと逆に、こんだけ自分生きてきてんのにここまでしか喋れへん、みたいなさ。そう思うことが全然次の英語勉強することに対してのモチベーションに繋がってないね。
だから、できて当たり前野郎と一緒で、できなくて当たり前野郎っていう覚悟で、いや私できなくて当たり前野郎みたいなさ、こんだけしかやってへんし。でも逆に、こんだけ英語できへんのに、こんだけセラピストさん、周りは英語できまくる、ぶっちゃけオーナー役にもできるセラピストさんばっかやで。周り入ってきてくれてる人、優秀な人ばっかやでな。
が、逆に先生って慕ってくれるの、逆にすごくない?みたいなさ。ネタとして使えよ、みたいな感じで俺は言っとるんだけど。こんだけ英語できへんのに、こんだけビジネスうまくいってんのおかしくね?みたいなさ。だから、笑うとこやで、それっていう感じやね。俺からしたら。
これマジですべてもう角度だよね。角度によってはこいつポンコツやなって終わりやけど、角度によってはおもろみたいな話になるわけよ。この角度、この見方を身につけられると人生って全然180度生き方、生き方っていうか、生き方も変わるよな。
生き方も変わるし、やっぱり豊かさが変わる。同じ人生生きとっても豊かさが全然違ってくるから。自分もこの考え方に変わった瞬間、今まで闇歴史、黒歴史たくさんあるわけよ、俺。うまくいかへんかったことのほうが多いってくらいやし。
あの時の高校時代とか、マジ青春せえへんかったからさ、ミスったなみたいなさ。そこで犠牲者、ビクティブ、犠牲者メンタリティを持ってしばらく生きとったけど、それが逆に犠牲者メンタリティを持って生きとったことが俺も今ネタやからな。
ほんまにマジもったいないことしたなみたいなさ。ある意味、その犠牲者メンタリティで生きてる中の時は、もったいないことしたななんて思えへんからね、その時はね。なんでかっつったら、犠牲者メンタリティでいたいわけやから、その時は、もったいなかった、そうじゃない、そういうようなことしなければよかったなんて思ってもいないわけやね。もう入っちゃってるから、もうこっから抜け出せへんみたいな感覚やね。
だけども、この角度が変わるだけで、いや角度が変わるって俺無理やろってね、正直昔ずっと思っとったねんけど、全然できるねん。このレンズを変えるっていうか、眼鏡を変える感じ。見てる世界がガラッと変わるからな。驚くぐらい。しかもこれ40代からもう全然可能やっていう。だから多分40可能で50とかも全然可能なんやと思うで。
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ただ、ほんまに何やろな、オープンになっていく必要あるな。だから弱みも俺全然さらけ、この音声でもさ、めちゃくちゃさらけ出せてるし、何のね、1ミリもの躊躇する気持ちがない状態になれてるみたいなさ、別にそれが何か自分自身をディファインっていうか定義するものでもない、何だろうな、自分自身の良さを定義するものでもないみたいなさ。
逆にそういう弱さも含めて自分自身っていうところをすべてひっくるめて受け入れられてるっていうのがあるんかもしれへんような。弱いもんは弱いし、しゃーなくねんみたいなさ。だから言って別に自分の価値が落ちることもなくねんみたいなさ、感じになってる。
ここまで、俺は気づかへんかったけど、ここまで来ると強いんやなって、これを話した時の他の人の反応を聞いてると思うわ、マジで。
なんかなんか、扇望の目っていうかでちょっと見られたりするようなこの話。この弱みが堂々とばらっと喋れるようになってる状態。
確かに俺も苦労してたなって、振り返ると苦労してたなって思うもんな。弱みを出すことが苦手じゃないけど。なんか恥ずかしいし、自分自身のブランドが崩れるとかさ、やっぱ能力低い人って思われるのやとか。だから俺がそこが能力を判断する基準って多分思ってたからなんやと思うねんな。
俺からしたら全くそんなことないし、逆にそうやって挑戦して失敗してっていうのを繰り返せること自体が能力高いなっていうふうに思っちゃうぐらいやからさ。失敗してへんの?みたいなさ。失敗してへんって挑戦してへんことちゃう?みたいなさ。逆に弱ささらけ出せへんって弱さの証拠ちゃう?ぐらいの勢いで見れるわけやから。
これもでもさ、はっきり言って見方が変わっただけやからさ。不思議なもんよね。ともあれ何かそうそう何が言いたかったんや。反省するのは大切。俺も反省するし、やっぱりこうやって間違えたりするし、例えばさ、ソーシャルメディアとかも、自分はやっぱりソーシャルメディア圧倒的にセンスないと思うね。
センスはない。だけどセンスない中でどうやって勝負していったらいいのかな。だからもうなんかめちゃくちゃバズったりとかめちゃくちゃ影響力をつけたら面白いやろな。そういう世界戦に戦うとどういう世界が待ってるんやろなって思うこともあるけど、そんなとこ見たってしょうがないと。
もうちょっと先、ほんとに。少しでもエンゲージできてとかコメント一件もらえてとかさ、いいね一件もらえてみたいな。そこができるためにはどういうふうに伝えたほうがよかったんやろなみたいなさ。俺の良さが全然伝わってへんなみたいな。
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自分が悪いから伝わってるっていう感覚よりかは、いいのに伝えれてないのは、そこは改善していかなきゃいけないなって思うだけで、自分自身の価値自体を貶めるような、自己嫌悪に落ちるような言葉かけとかメンタリティはもうしてないよね。全くないな。そこに関しては。
それができてからは言葉にも力が全然こもるし、力がこもるというか、いいこと、自分が得意なことを喋っているときには力こもって、自分が苦手なことを喋るときには力こもんないっていうスタイル、そっちのほうが少なくなるみたいな、あんまり見せたくないからみたいな感じのスタイルじゃなくて、むしろ弱いところに結構力こもって、おもろくねみたいな。
こんなにセンスないのやばくね?ぐらいの勢いで、ネタとしてむしろそっちのほうが使えるぐらいの、反転した感じやん。
ぐらいにもなってるから、まあね、ともあれね、なんかまあこれ聞いてる人でも、まあなんか20代30代でそこを乗り越えられてる人はすごいなと思うけど、おそらくまだ40代とか50代とか60代いっても、こういうなんかこう、
まあ反省する、真面目な人ほど、真面目な人ほど反省し続けてる人生やと思うけど、それをね、いじめのレベルに行くまで、自己嫌悪になるまで、悲観的になるレベルまで、
なんか振り返る、振り返るっていうかいじめちゃってるっていう、振り返るとはなんか違う気がするんだよな、俺からしたらそれって。
ってなってる人は、ちょっともうこの良い意味での諦めっていうのを、これもね、練習やからな、取り入れてほしいわ、もう。
俺からしてみたら、なんやろ、例えば自分のパートナーなんか可能性を、なんか俺がその状況やったら、パートナーの状況やったら、
ああなんか私の可能性を生かせる場所がまだ見つかってへん、もったいない、なんて無駄なことをしてるんや、こんな英語とかそういうところに時間かけてる場合じゃないと、それはそれなりにやるけど、
自分自身が輝けるとこはここじゃない、なんてことや、もったいない、もっと頑張るなって思う、あの英語で、まざまざと自分の実力の無さを突きつけられた時でも、そういうふうに思って生きていくようにしていくよな。
その方が結局価値的やんか、そこから。それがむずいとは思うよ、確かに。俺も昔できへんかったもん。
だけどこれも練習やから、絶対練習。俺だって43やで、43年間結局そういうネガティブなメンタリティーで鍛う人間が変われるねんから、
いやきっとね、俺なんか元から自信がある人と違うから、俺はここまでの時間かけて苦しんだ時期が長かった頃こそ、結構変われる、みんな変われるんやなっていうのは確信ある。
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もちろん変わるのが難しいっていうこと自体は変わるやん、だって43年かけて変われへんかったんだよね、マジきついで。
いやけど、最終的には変われる、どっかで変わるチャンスは来るんちゃうかなって、諦めなければね。
俺は諦め悪いからさ、それだけは悪いから、と思うから、ぜひね、もしそういうことで悩んでる人がいれば諦めずに、こういう眼鏡もかけてみても、反省だけすると。
自分こうした方がいいな、自分の良さが出えへん、もったいないなみたいなさ。 だからこういうミスしてる、ああそういうミスすると私の良さがこれ出えへん。
むしろこのミスが出たからこそ、私の良さがこれ出るチャンス、 私の良さが他の部分で出すチャンスなのに、それをこのミスによって、
自分自身の可能性を潰すなんてもったいないっていうふうに、言葉かけで書き換えてほしいな、そこはな。
というような感じでね、ぜひね、ちょっとメンタリティの部分について話しましたけど、 イケイケ、オラオラ系の人からしたら全く関係ない話やけど、
真面目すぎて、時々自分自身の殻に籠ってしまうほど落ち込んでしまうような人は、こういう考え方もあるんだよねっていうぐらいで捉えて、
実践、試してね、試してもらえたらいいかなっていうふうには思います。
はい、じゃあ今回の音声はこれで終わりにしたいと思います。ありがとうございました。