境界線の認識
11月7日、木曜日、今日も声日記を残していきたいと思います。
ビビリな私が自分にエールをの、ゆうのです。
今日は、何について喋ろうというところだったんですけど、
この間、リッスンという音声のアプリのプラットフォームで、
おかんざ団会という、お母さんたち4人が集まって、
いろいろなテーマを設けて話しているという番組がありまして、
それをちょっと聞いててですね、テーマが境界。
境界ってどういうことを想像するかとか、
境界っていうことについて深掘りをして、家族との境界線、子どもとの境界線だったりとか、
境界線って一体人にとって何なのか、みたいなことをすごくたくさん話されていて、
聞いていて、なんかすごい考えさせられるなと思って、
それを聞いて、私も境界についてテーマを拝借させていただきまして、
声に聞き取ってみたいなと思ったので、
今日のテーマは境界ということで、境界線っていう境界ですね。
境界について考えていけたらなと思いました。
なんやろ、境界線とか境界、境目って聞いて、
私は何をイメージしたのかっていうところをちょっと初めにね、
おかんざ段階を聞いてて、思ったんですよね。
その時にイメージしたのは、
自分は何者か、相手は何者なのか、みたいな、
自分を表すのと相手を同じなのか、それとも違っているのか、みたいな、
そういう判別、区別をするものをイメージしたんですよね。
境界って聞いて。
境界線っていうところを最近感じたことあるかなってちょっと思ってまして、
それは娘のお友達との関わりで感じたことがあったんですよね。
以前、公園でたまたま学校がお休みの日に、
娘の幼稚園から一緒のお友達におったんですよ。
家族、ご家族も一緒に来ていらっしゃって、
結構クラスずっと一緒ですね、みたいな、
1年生も一緒だけど2年生も一緒ですね、グループも結構一緒ですね、
みたいなんでお話しする機会があって、お母さんのほうと。
娘もその子のことがすごく大好きで、
結構グループ分けした時に一緒に工作チームになったりとかして、
制作を一緒にしたりとかしてるんですよ。
その中で、仲良くしてもらってめっちゃ嬉しいです、みたいなことを私が言ったら、
でもうち仲良しなんでって言われたんですよ。
その仲良しっていうのが何なのかっていうところは、
小学校に仲良し教室っていうのがあって、
家族と社会の境界
私は詳しく知らなくて、把握もしてなかったんですけど、
通常学級とは別に、別の教室で勉強したりだしたりとか、
コミュニケーションのスキルを磨いたりとか、
特別な支援が必要な、聴覚、耳が聞こえないとかもそうですし、
発達に関して少しサポートが必要っていう児童が、
そこの教室を利用するらしいんですね。
それまではあまり知らなくて、
うちの子は仲良しなんですって、仲良し教室行ってるんですって言われた時に、
パッと線が見えたんですよね、そのお母さんと私は。
その時はその仲良し教室自体が何なのかがわからなくて、
何のこと言うてはんねやろうとか思いながらも聞けばよかったんですけど、
聞くまでのコミュニケーションをあまりとってこなかったので、
あ、そうなんですね、みたいな感じで終わってしまったんですけれど、
このガンザ団塊でお話しされてた教会っていう、
あなたのあった教会はどこですか?みたいなテーマでね、
話されてるのを聞いた時に、そのことをすごく思い出したんですよね。
息子の幼稚園でもお話ししてる時に、別のお母さんなんですけど、
上靴の話になってね、
上靴お兄ちゃん小学校行ってはるけど持って帰ってきますか?みたいな、
うち全然持ってこなくて、びっくりすることになってたんですよ、
みたいな世間話をしてたんですよね。
その時に、あ、うち仲良しなんで?ってまた言われたんですよ、別のお母さんに。
あ、そうなんですね、ってまたその時も同じリアクションをしたんですね、私は。
だから仲良し教室通っているので、
送迎は私の方がしてるので、上靴は持って帰ります、みたいな、
さらっとそういう会話をやったんですけど、
その時にも何かの境界線ですかね、境目をすごく感じて、
何か違いを表す言葉に感じたんですよね。
あ、何か仲良しなんで?って言われた時に、
あ、違うんで?っていうことなのかな?とか思ったり、
嫌なふうには取らなかったんですけど、私も。
やっぱりでも聞いてはいけないっていうわけじゃないけれど、
何らかの表現するための、区別するための、
何か違いを表すための線っていうふうに感じたんですよね、
私は境界線のことを。
何だろう、自分がどこに所属をしているというか、
どういう人間で、どういうタイプなのかとかを、
何か改めて自分もですけど、娘に関しても考えさせられて、
何かこう、ちょうど本当に境目で、
こっからここは分からないし、分かり合えないこと、
入ってはならない領域みたいな、
何かそちらとあちらみたいなんで、
何かすごく線引きがされているものだなって思ったんですよね。
だから何かこう、境界って聞いたときに、
やっぱり発達とか、健常者と障害者とか、
そういう違っていること、違いを何かここで、
あなたはこっちの人で、
あなたはこちらの人ですよって分ける意味かな、みたいなことを、
おかん座談会のお母さんたちがお話しされているのを聞きながら、
私はそういうことを想像してたんですよね。
おかん座談会の方では、家族との境界線、
子どもとの境界線は曖昧になりやすいとか、
旦那さんとか一緒に家族になればなるほど、
境界ってなくなっちゃうけど大切やし、
やっぱりある程度の自分のパーソナルスペースっていうんですか、
自分としてっていうのをごっちゃごちゃにしない、
夫婦であっても子どもであっても、
一個人ということを考えていくことが大事だ、
みたいなことを話されてて、それもすごく納得して、
家族だとその境界線って言われるようなものが曖昧化するのに、
社会に出るとその線はものすごく明確で、
私はどこに位置する人間なのかっていう、
自分の社会的ポジションっていうんですか、
そういうものが明確に浮き彫りにされる感じがしたなと思って、
何でも線引きってできるなと思って、
同じ母親であっても専業主婦をしている私なんですけど、
そういうお母さんもあれば、
お仕事をされているお母さんもいる、
ここでやっぱり境界線までは思わないですけど、
線引きとしてラインがあるなと思って、
どちらに自分が属しているのか、
同じところもあれば違いが明確化できるのが、
その線で分けられることができる、
区別するもののものかな、みたいな感じがしたなって、
すごく思ったんですよね。
だから本当、何やろう、
何で家族ではこんなにも境界線って言われるものは、
本当に曖昧化するんですよね。
家庭内の境界線
子供は個人として自分の意思もあって、
自分としてはどうしていきたいっていうのは持っているので、
それをきちっと尊重する意見を聞くことは大切って思ってても、
何だろう、お母さん、母親やからって言って、
こっちにしといた方がええじゃん、とか言うんですよ、
服を選ぶときとかも。
ちょっと待って、それ公園行きにくいから、
こっちの服の方がええって、みたいな。
何で私が選ばないと思うけど、
そういう個人としての主張を、
家族からね、子供から特にされても、
聞かへんこと多いなって思わされました。
でも何か家族では曖昧になるけど、
社会や家族、家庭っていうものの小さな社会ですよね。
家族4人か、少ない単位でいくと夫婦とかであれば2人なんですけど、
その単位の中では境界線は本当に近すければ近しいほど曖昧になるけど、
その家庭っていう小さな社会を一歩出て、
大きな社会、会社だったりとか、
そういう大きい視点になると境界線ってものすごくたくさんのところで
描かれているものなんだなって改めて、
そういうことを私は思いました。
何かちょっとまとまりがないんですけど、
他者との関係性
境界線って必要やなってなんとなく私は思いました。
やっぱり入ってきてほしくない領域、
入ってはならない領域って誰にでもあるし、
子供にもきっとあるし、これからもっと出てくるだろうしね、
思春期とか。
夫にもやっぱり夫としての顔もあるけれど、
私の夫としての顔だけを持って生きてるわけじゃないので、
仕事の時は仕事の顔を持ってますし、
友達とは友達との顔。
これまで一人の人間として歩んできた家庭を
夫も持っていますし、私ももちろん持っていますので、
そういう部分では、
なんやろう、境界線っていうものを家庭の中でも持っていて、
それ以上は踏み込んで、
口出ししないっていうこともとっても大事だなと、
家族間に関しては思いました。
社会的な境界の違いが明確になった時は、
さっきのエピソード、一番初めに話したことなんですけど、
うち仲良しなんでって言われた時に、
そうなんですねって言って軽く流して、
聞いてはならないって思っちゃったけど、
関係性にもよると思うんですけど、
わからないからこそ、仲良しってなんなんやのとか、
どういうことなんだろうとかを線引きして、
あちらの方みたいな感じにしてしまうんじゃなくて、
知ろうとすること。
家族以外の他者、他人に対しては、
私はこうなのでって言われても、
踏み込みまではしなくても、
線引きができて、違うなってわかった実験で、
違いって何なんだろうっていうところから、
相手を知っていきたいという、
小学校に仲良し教室とか、
他の教室も多分あるのかなと思うんですけど、
そういったことに関心を持つ知識として、
まずは知っていく。
そこから個人的に、
もう少し深い関係だったりとか、
境界線が引かれていたものが緩まったときは、
個人のお子さんのことだったり、
お母さんのことに関しても、
知っていけたらなと思うんですけど、
まずは何なのか、
自分とは違う名前がついているとか、
自分とは違う特徴、
性質を持っている人はどういった人たちなんだろうとか、
どういう場所なんだろうとか、
そういうのを、
間違えるのか、
終わりってせずに、
やっぱり知っていくことがすごく、
私は大切だなっていうふうに、
今回は思いました。
取り留めのない話になって、
何言っとるねみたいな、
ベラベラベラベラ、
同じこと何回も言ってるような感じするんですけど、
もし聞いてくださった方いたら、
あなたにとっての境界線とか、
境界っていう定義、
意味合いとかって、
どういうものをイメージするかっていうのを、
一度、何やろうなっていう程度でいいので、
考えるきっかけになったら、
いいなと思いました。
おかん座談会の方も、
境界っていうテーマで、
本当にいろいろなことを深掘りして話していらっしゃるので、
ぜひ聞いてみてほしいなと、
いただきたいなと思いました。
では今日はこんなところで終わりにしたいと思います。
ではまた。